++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
This is the Top Page of the AIPS HOMEPAGE
Please write me freely at hagwiara-yoshiaki@aiplab.com
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
+++++++++++++++++ INDEX +++++++++++++++++++

(0) Backup AIPS_090628

(1) Hagiwara Yoshiaki Photo Gallery

(2) Hagiwara Tomie E_Tegami ( Picture Letter Message )

(3) Introduction to Japanese Short Poem (WAKA)

(4) Activities at Community_Cafe_Ogino,Atsugi-city,Kanagawa

(5) Activities at Society of Semiconductor Industry Specialists (SSIS)

(6) Introduction to the world of Artificial Intelligent Partner System (AIPS)

(7) Introduction to the world of Super Light Sensitive Image Sensor and Solar Cell

(8) Introduction to the world of Digital Circuits for Artificial Intelligence

(9) Study English and Korean Languages for Fun

(10) Hagiwara Yoshiaki Published Paper, Invited Talk and Patent Lists

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(1) Hagiwara Yoshiaki Photo Gallery


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(2) Hagiwara Tomie E_Tegami ( Picture Letter Message )


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(3) Introduction to Japanese Short Poem (WAKA)


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(4) Activities at Community_Cafe_Ogino,Atsugi-city,Kanagawa


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(5) Activities at Society of Semiconductor Industry Specialists (SSIS)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(6) Introduction to the world of Artificial Intelligent Partner System (AIPS)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(7) Introduction to the world of Super Light Sensitive Image Sensor and Solar Cell

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(8) Introduction to the world of Digital Circuits for Artificial Intelligence


If you are interestied in the book, Please visit

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html

https://www.seizansha.co.jp/


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(9) Study English and Korean Languages for Fun
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(10) Hagiwara Yoshiaki Published Paper, Invited Talk and Patent Lists

**************************

T
he AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page Top

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

Pinned Photo Diode was invented by Hagiwara of Sony in 1975

**************************

        Story of Pinned Photo Diode

Hagiwara at SONY is the true inventor of Pinned Photo Diode

**************************

See ElectronicsStackExchangeSite on What is Pinned Photo Diode ?



*******************************************************************

See three invited talks related to SONY HAD sensor now called also as Pinned Photo Diode.

(1) International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK

(2) International Conference ESSCIRC2001 in Vilach, Austria.

(3) International Conference ESSCIRC2008 in Edinburgh, Scotland UK

*******************************************************************

Hagiwara was invited in these international conferences because of his contributions

to the image sensor community and related digital system LSI chip design works.

*******************************************************************



******************************

毎朝6時前から1時間ほど、お天気がいい日は、

 自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

 毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

 その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


*******************************









   ●荻野中学校の11月の絵手紙はこちらをclick してください。

         10月8月6月5月 3月 の荻野中学校の絵手紙です。


 


**************************************

賢い電子の目 ( pinned photo diode ) が、その発明者である、もと SONY の萩原良昭

を見ています。光を電気信号に変換する、人間の目の網膜細胞に相当する発明のお話です。

**************************************





******************************

      70歳のじじいのつぶやきです(笑顔)。

        Story of Pinned Photo Diode

    Pinned Photo Diode Patent by Hagiwara in 1975

*****************************************




*********************************************************************


半導体産業人協会主催の2つの秋季半導体技術講座の紹介です。



(1)2018年11月1日~2日開催の半導体入門講座の案内

     2018年度 秋季入門講座カリキュラム詳細版



(2)2018年11月5日~6日開催の半導体ステップアップ講座の案内

    2018年度 秋季ステップアップ講座カリキュラム詳細版

●半導体ステップアップ講座の中で萩原が担当する講座

   「イメージセンサー賢い電子の目」の補足資料 です。


********************************************************************



著書に 「人工知能を支える、
デジタル回路の世界」 


ISBN 978-4-88359-339-2 C3055  青山社 出版、

ハードカバー 475ページ、\9000 + Tax があります。

是非、購入してお読みください。


半導体素子の基本物理動作からその応用回路まで

やさしく解説しています。文系の方でも読みやすい

ように工夫し、むずしい数学のバックグラウンド知識

がなくても、容易に直観的に誰でも理解できるように

わかりやすい解説図を本書には多く用意しています。



この書籍の付録(1) 小学生の油わけ算の問題の解法例です。

       付録(2) 中学生数学で解ける特殊相対性理論の解説です。

       付録(3) 半導体まめ知識 [1] 半導体とは?

                        [2] 太陽電池とは?
                 
                        [3] 固体撮像装置とは?

********************************************

       
Yoshiaki Hagiwara, Ph.D.  IEEE Life Fellow、 

 
the inventor of Pinned Photo Diode ( SONY HAD Sensor )

********************************************

萩原良昭の自己紹介

●1948年7月4日に京都市下京区で4人の男子兄弟の次男として誕生。

  幼年時代は京都駅前の百貨店や商店街をぶらつき、
  また近くにある三十三間堂の境内を遊び場とした。

●1961年京都市立紫野小学校卒業。

  小学校時代は、自宅のそばにある、源氏物語の作者の
  紫式部のお墓があり、そのそばの公園や船岡山の公園で遊ぶ。
  近所の大徳寺の境内や左大文字も当時は入山可能でよく登った。

●1964年京都市白梅町近くにある洛星中学を卒業し、洛星高校に進学。

●1965年高校2年の時、渡米の為、洛星高校に中退し、
  米国のカリフォルニア州
Riverside市の市立技術専門高校の
  Riverside Polytechnic High School にそのまま高校2年生として編入。

●1966年高校3年の時、飛び級でRiverside市の市立の短期大学の 
  Riverside City College で 大学2年生の数学の授業を受講する。

●1967年Riverside市から車で一時間の距離のPasdena市にある、
 カリフォルニア工科大学 ( CalTech ) に進学。

1971年カリフォルニア工科大学卒業。BSの学位を取得。

1971年の夏、6月から9月まで神奈川県厚木市にあるSONY厚木工場にて
  カラーテレビ用の信号処理
用 Bipolar Transistor のIC生産ラインで実習。
  Bipolar Transistor のプロセス技術とそのICの信頼性技術を学ぶ。

1972年カリフォルニア工科大学院修士課程卒業。MSの学位を取得。

  世界で初めての産学共同プロジェクトで、CalTechの Prof. C.A. Meadの
  開発研究チームに萩原も参画し、デジタルMOS集積回路を設計し、
  Intel 社の最新のMOSプロセスラインで試作した。その成果は、後に、
  IEEE Journal of Solid State Circuits に、128 bit multicomparator と題して
  論文発表した。萩原はここでデジタルMOS集積回路の設計技術を学んだ。

  


1973年の夏、6月から9月まで神奈川県厚木市にあるSONY厚木工場にて
  Vertical Junction FET (VFET)のプロセス技術とそのICの信頼性技術を学び、
  自らBipolar Transistor 回路を設計して、そのVFETの評価ボードを作製した。

1974年2月米国 Philadelphia で開催の半導体集積回路の最大の国際会議の
  ISSCC1974にて、当時非常に脚光を浴びていた、また萩原の PhD 論文の
  テーマである、埋め込みチャネルCCDの物理動作解析の数値計算モデルと
  その大型IBM360 計算機の計算結果を、Caltech のジェット推進研究所(JPL)
  にある、惑星探索用の特殊動画作製装置を使い、36ミリフイルムに焼き付け、
  Pasadena市のお隣りにある Holywoodの映画会社で16ミリフィルムに落とし、
  7~8分の世界初めての半導体デバイス埋め込みチャネルCCDの動画映像を
  Philadelphia のホテルで開催のISSCC1974の大会場(2000人以上)で放映した。

  しかし、このころにはもうすでに Intel 社は CCDは大容量の充放電で消費電力
  が大きく、さらに転送効率にも限界がありCCDのメモリ素子としての商品化を断念
  していた。Intel社は、萩原の大学(CalTech)の先輩で、PhD論文の指導官で恩師 
  の Prof. C. A. Meadとは、同じ大学(CalTech)の同窓生で、また友人同士である、
  Dr. Gordon Mooreの設立した会社である。Dr. Gordon Moore は、その前に、
  Fairchild 社を創設し、その後、さらに Intel 社を創設し、3 transistor 型の
  active source follower 型の増幅型の DRAM cell を採用した Intel 1101 chip
  を開発商品化し、その後、 Intel Processor で世界成長と成し遂げた会社である。


  

●1975年2月にCalTechでの博士課程の最終論文の口頭試験をパスしてすぐSONYに入社。
  横浜にあるソニー中央研究所の情報処理研究所(吉田博文室長)のCCD設計評価部隊
  に配属され、CCD image sensor の開発研究に従事。萩原はCCDが固体撮像装置として
  最適であると信じいていたが、そこで学んだことは、SONYのカメラ事業部の仕様を全く、
  満足していないことを知らされた。

  表面型CCDの転送効率は、99.9 % しかなく、まったく使いものにならない。

  埋め込み型のCCDは、転送効率は 99.999 % もあり、当時のNTSCの画像素子数が 
  720H x 512V 程度だったので、実用ぎりぎり可能だった。

  転送残りは、最大でも出力回路から一番遠い位置にある画素で、垂直方向に512回で
  水平方向に720回で、合計で、720+512=1232回の転送を実行すればよく、転送
  残りは、 1.232 % でSONYのカメラ事業部の厳しい要求をぎりぎり満足していた。

  しかし、CCDは本来MOS構造の光感知素子構造で、感度は不十分だった。

  MOSの電極は、Polysilicon と言えども、金属性の電極で、金属は元来、光を通さず、
  鏡の様に反射する性質があり、特に短波長(青色)の光は全く、CCD型の光感知素子
  構造では、光吸収率が悪く、使い物にならないとのカメラ事業部の厳しい評価だった。

  萩原はSONYに入社してその事にたいへん驚いた。

  当時、もう世界の企業はCCDを使うことを断念し初めていた。

  日立は完全にCCDは使い物にならないとして、MOS型の Image Sensor の開発研究
  に集中し、すでに高画質のきずのない映像を手にしていた。

  このCCD型の光感知素子構造では表面に受光時、強い電界が生じ、複雑なCCDの
  プロセスによる不純物の混入確率も大きく、白点が多数発生し、またシリコン表面の
  捕獲準位による再結合暗電流が大きかった。

  CCDの受光素子は大問題をかかえていることを萩原は学んだ。そこで、萩原は当時
  日立が採用した N+P接合の光感知素子構造を見直した。こちらの方が生産性がよく
  素性もいいと感じた。感度はいい、問題は、残像残りと、配線(CkT)雑音だった。

  残像があると、高速撮影には向かない。飛行機の離着の様な映像は動きが激しい。

  そのためには完全空乏化電荷転送が可能なCCD型のMOS電極の受光素子構造が、
  いろいろ欠点があるが、残像なしは実現する。

  SONYはそれで受光部に透明電極を採用し、横型OFDの CCD Image Sensor を
  本命としていた。萩原はその設計評価担当技術者として勤務していた。最終的に
  残像のない IT方式のCCD Image SensorをSONYは世界で初めて1980年商品化
  に成功した。萩原がその設計評価を担当した。開発部隊は総数でも10人を満たない
  部隊での仕事だった。CCDの設計とその設計CADツールは萩原1人で担当していた。
  CCD image sensor のデバイス特性の評価と再設計改良へのFeedbackも萩原1人
  の仕事として課せられていた。カメラシステムに仕上げたのも、西村さんと名雲さんの
  おふたりだけの仕事、実際この2人の現役技術者の仕事により、この商品は完成した。



しかし、このCCD型の構造ではいろいろと満足しない特徴があり、萩原は新構造を考案する
必要を切に感じていた。それで萩原はソニー厚木工場の Bipolar プロセスの自習経験から
P+NPNsub 接合(サイリスタ―)型の光感知素子構造、後に、 垂直OFD付き Pinned
Photo Diode の発明に至った。

CCDのプロセスでさえ、複雑で問題だらけなのに、それに Bipolarの製造技術がさらに、
必要となるということで、当時のCCD開発部隊のTOPの拒否反応は当然の結果だった。

しかし、萩原はSONYならできると確信していた。世界があきらめていた Bipolar Transitor 
の生産技術を確立したのも SONYであり、SONYの厚木工場は世界で最初の、Bipolar 
Transitor 工場であり、また萩原が実習していた頃は、SONYの厚木工場は、世界で最大の
カラーTV信号処理用の集積回路(IC)の生産工場であった。SONYはそれだけ若くて元気で
怖さ知らずの、創造性豊かな会社だった。SONYの生産技術とその技術者魂はすごい。


いろいろな光感知素子の特徴を比較した。萩原は強く、自分の発明のP+NPNsub 接合
(サイリスタ―)型の光感知素子構造
の有利性に確信し、自信を持って、当時の半導体
開発部隊の責任者TOPに説明し理解を求めたが、理解されなかった(大涙)。

SONYのCCD開発部隊の技術者は、純粋の半導体製造プロセス開発技術者とデジタル
MOS回路の設計者ばかりで、半導体物理と半導体デバイスの構造とその動作原理を
理解している技術者は皆無で、萩原の発明を正確に評価できる環境ではなかった。

 


そういう環境であったが、当時の上司の越智課長と山崎係長に2つの特許の申請の
承認をお願いしたが、デジタルMOS回路技術者だった越智課長と山崎係長は全く
半導体物理も半導体デバイスの動作原理の知識が乏しく、萩原特許の価値を理解
してもらえなかった。越智課長はこんなものできるわかないと冷笑的だった。しかし、
山崎係長は
「おもしろいので出してみたら」と、運よく、サポートしていただけた。

1つ目の特許は、裏面照射型の Pinned Photo Diode の基本特許である。

「こんなものは実現難しい」とのことで、発明特許出願のみで、特許権利化審査
までは必要ないとの萩原の上司の判断だった。まったくこの特許の価値を理解
してもらえず、またこの特許出願の事実は、上司の越智課長と山崎係長の2人
のみが
SONY社内で把握していた。

最終的に、このおふたりさんもその存在をお忘れになられた。

越智課長が出版した後の書籍には萩原のこの発明の引用の形跡は全くない。
いろいろな開発方針の意見相違もあり、故意的な越智課長は萩原の貢献に
関しては言及をさけて、成果は組織のTOPとしていろいろ自分のものとされた。



もう一つは垂直 Oveflow Drain 機能を装備した Pinned Photo Diode の発明である。
この特許は幸いにも日本国内特許の権利化申請に関しては、当時の上司だった、
越智課長と山崎係長の承認が得られたが、海外特許までの必要性は認めてもらえ
なかった。USP特許にする許可はでなかった。まったくその価値を認めてもらえなかった。

これが最終的に不幸のはじまりだった。後に米国 Fairchild社から 垂直OFD機能の
Early 特許を武器に、SONYのimage sensor ビジネスに対して、特許使用料で、総額
600億円もの要求があった。この萩原特許がSONYのビジネスを守った。

また、日電からもほぼ同額の、寺西考案の1979年出願の Buried Photo Diode 特許を
武器に、SONYは日電からも攻撃を受けた。しかし、それもこの萩原特許がSONYの
ビジネスを守った。

この2つの、萩原1975年発明の基本特許は現在もSONYのCMOS Image Sensorの
ビジネスを、SONY original HAD sensor の商標の Brand 銘柄を武器に、SONYの
ビデオカメラ市場の制覇を助けている。




以上の説明から、

(1) Pinned Photo Diode は萩原の1975年の発明であることも、


(2) 縦型Overflow Flow (VOD) も 萩原の1975年の発明であることも、

(3) 裏面照射型のPinned Photo Diode も、萩原の1975年の発明である、

ということは明らかな事実である。

しかし、残念ながら、この2つの特許は、日本語特許ではあり国際社会に
知られる機会は全く今までないままとなってしまった。SONY社内でもその
存在は全く今まで知られていなかったのが事実である。

その要因を造ったのは、当時のCCD開発のTOP責任者の越智課長の
考案の市松型CCD Image Sensorの開発にけちをつけた部下の萩原
の態度が問題だったからである。また、当時SONY開発部隊が総力で
本命としていて、萩原のその設計評価を担当した、透明電極採用で
横型OFD機能を持つ、「世界初の残像のない IT方式の CCD Image
Sensor」 をも、量産性に問題あると、その 開発にけちをつけた部下
の萩原の態度が問題だったからである。萩原は自分考案のこの特許
構造をSONYの本命とすべきと主張したが、聞く耳などこにもなかった。



1975年当時、出願者の萩原と、その時の上司の越智課長と山崎係長の
3名のみがSONY社内で存在をしっている関係者で、他の社員には特許は
極秘扱いでで、その存在が開示されることはなかった。またその当時の
上司の越智課長と山崎係長はデジタル回路設計技術者で、半導体物理と
半導体デバイスの構造とその動作原理の知識はなく、萩原特許の価値を
理解してもらえる環境でもなかった。たいへん不幸なことであったが、その
まま忘れ去られ、現在に至った。一番の問題は萩原自身が自分の特許の
存在と、その技術内容と価値をPRすることをずっと怠っていたことである。

そしてそれが現在に至る。





これは発明協会の公式WEBサイトからの引用内容です。萩原はその記述内容に反論しています。

http://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00059&test=open&age=





この掲示には、SONYが誇る SONY original HAD のことは一言も引用がありません。

実は SONY original HAD は SONYの萩原の発明であり、多くのSONYの勤勉な技術者の

努力により完成した技術です。その努力と成果が全く無視されていることは非常に残念です。



以下にその根拠を説明するために萩原の1975年の2つの特許の説明をします。


*******************************************************************

Brief History of Image Sensors.

*******************************************************************

In 1960s, before CCD was invented, we already had beautiful color pictures
by the classical MOS image sensor with an excellent light sensitivity obtained
by the classical N+P junction type photo diode.

But to overcome the very large wire (CkT) noise, the three transistor
active source follower type circuits, invented by Peter Noble, was needed.

But the picture cell area was too small to incorporate this active circuit
in each picture cell area. We all knew that we had to wait untill we have
the complete MOS transistor process scale down, much furthur down.

(2) However, the CCD invention gave the image lag free and very low
wire (CkT) noise pictures. The CCD became the super star with the
help of the P+NPNsub junctiion (thyrsitor) type photo diode, which
was invented by Hagiwara in 1975. See JAP ( 1975-134985 ) .

CCD consumed a lot of power with only the transfer efficency of 99.999 %,
which was however possible to be applied for the classical NTSC picture
resolution. CCD had the serious trap noise and surface dark current problems.
Moreover, CCD had inherently MOS metal-type electrodes that do not pass
light and CCD was not as light-sensitive as the N+P photo diode. So, the CCD
type light detecting picture cell was replaced by the the P+NPNsub junctiion
(thyrsitor) type photo diode, Hagiwara 1975 invention.
See JAP ( 1975-134985 ) .


In 1978, SONY annouced in New York and Tokyo Press Conferences the world
first CCD image sensor with no image lag, very highly light sensitive, low trap
noise, low surface dark current features of the PNP junction type photo diode
sensor pixel structure,Hagiwara 1975 invention. See JAP ( 1975-134985 ) .

At that time, the world already gave up the CCD image development efforts.
SONY was the only company that never gave up. Sony showed the future of
CCD image sesnor applications. The truth is that Hagiwara in SONY was the
only engineer in the world who did not give up. And Hagiwara showed
the
future of CCD image sesnor applications. by the P+NPNsub junctiion type
photo diode, Hagiwara 1975 invention. See JAP ( 1975-134985 ) .

So Hagiwara save the CCD by his 1975 invention, which is now called by
another name, the Pinned Photo Diode.

The truth is that CCD was NOT highly light sensitive, NOT low dark current
and NOT trap noise free image sensor structure. The true super star was
not CCD. The true super star was hiden behind the curtain. The true super
star was Hagiwara 1975 invention, which is now called by another name,
the Pinned Photo Diode.
SONY called it as the SONY original HAD sensor.
The truth is that the Pinned Photo Diode and the SONY original HAD sensor
are the same thing, that Hagiwara of SONY invented in 1975.

In conclusion, Hagiwara of SONY invented and his team of many dilligent
and hard working SONY engineers developed the stitching technology
for large area image sensors. The world followed after SONY efforts.



(3) Now, the complete CMOS transistor process scale down was achieved.
And the scale-downed three transistor active source follower type circuits,
originally invented by Peter Noble, can be now easily incorporated in each
picture cell of the CMOS image sesnors, with the help of the P+NP junctiion
type photo diode with the back light illumination scheme, which is again the
invention by Hagiwara in 1975. See JAP( 1975-127647 ).


SONY diligent and hard working engineers developed the modern dgital
CMOS image sensor with the back light illumination scheme for the
first time in the world.

Now again SONY owns the world record in low-noise in the voltage domain
for the modern digital CMOS image sensors (CISs).

Hagiwara 1975 invention ( JAP 1975-134985 ) helped CCD image sensor in the past.
Hagiwara 1975 invention ( JAP 1975-127647 ) is helping CMOS image sensor now.
Hagiwara and his original team of SONY diligent and hard working engineers developed
the stitching technology of both CCD and CMOS large area image sensors.

CCD was considered as the Super Star in the image sensor world in the past,
and the inventors were awarded with the NOBEL prize.
But now CCD has
completely dissappeared from the modern digital image sensor world.

So who were the real super stars in the world ?
And now who are the real super stars in the world ?





*******************************************************************


*******************************************************************

Questions by Prof. Albert Theuwissen are ,

- who invented and developed the stitching technology

     for large area image sensors ?

- who owns the world record in low-noise

    in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS) ?

*******************************************************************

Hagiwara believes that

Hagiwara invented it , in the Japanese 1975 patent ( 1975-134985 ) as the P+NPNsub

junction ( Thyristor ) type Light Detecting Picture Cell Structure, and Sony diligent

engineers, including Haggiwara, developed, the stitching technology for large area image

sensors. SONY called it as the SONY original HAD sensor technology in SONY business.

Naturally, the technical world did not use the SONY businesss Brand Name HAD, and

called it by another name, the Pinned Photo Diode. But the Pinned Photo Diode and

SONY original HAD are the same thing
, both invented by Hagiwara in 1975.
    

At least, Teranishi did not invent the Pinned Photo Diode.

Hagiwara is the inventor of the Pinned Photo Diode.
   

Sony diligent engineers
developed and now
Sony owns

the world record in low-noise in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS)

with the Pinned Photo Diode with the Back Light Illumination, that was also invented

by Haiwara of SONY in 1975 the Japanses 1975 patent ( 1975-127647 ).



At least, Fossum is not the inventor of the active image sensor picture element.

Peter Noble is the inventor of the active image sensor picture element.

http://www.pjwn.co.uk/


In the Fossum 2014 fake paper, Fossum attacked Hagiwara 1975 patent with lies,
insulting Sony and Hagiwara honor and pride on purpose. I could not understand
Fossum motivation. But I am now convinced that Fossum wanted Fossum himself
to be recognized by the world, with false explanations on Fossum friend Teranishi
as the TRUE inventor of the Pinned Photo Diode,NOT Hagiwara.

Fossum wanted to convince the world that Fossum himself developed the modern
CMOS digital camera. But now I understand that Peter and SONY diligent engineers
including Hagiwara. This is not fair at all. It is all lies. The world should know the truth.

Until last June I did not know what is the Pinned Photo Diode. I knew SONY HAD.
But I did not know myself that SONY HAD and the Pinned Photo Diode are the
same thing. My friends in Sony informed me that Teranish received awards from
Queen Elizabeth and Japanese Emperor as the inventor of the Pinned Photo Diode.
SONY diligent engineers were not happy at all. Maybe, Albert and Peter also felt it
as a bad news ? So I began to study what is Pinned Photo Diode last June.

Then I found the Fossum 2014 fake paper. I became really MAD at Fossum.

Besides, SONY won the SONY-NEC Patent war by Hagiwara 1975 patent
against the Teranishi1979 patent a long time ago. So Teranish should know that
Hagiwara is the inventor even though Teranishi published his work in IEDM1982.
Teranishi work was just a copy of Hagiwara 1975 patents that defined as one
Example case of Interline CCD image sensor with the complete charge transfer
Mode ( no image lag ) P+NPNsub junction type photon detector structure,
which is now called as the Pinned Photo diode.


But it is now more than four years after Fossum 2014 fake paper publication.

I found this fake paper, really too late.

I was very, very late since I do not belong to the image sensor community any more.

Yes, with my interests in the intelligent image sensors included, but my current major
interests are in the AIP ( Artificial Intelligent Partner ) systems, including AI software
and AI digital circuit system applications.

Yes, I try to be calm, but cannot be silent.

I feel that the world should know at least what is the truth.

I don’t think I can change the past history.

But people can learn the truth anytime, now and in future.


Yes, many people contributed.

Their diligence and efforts must be much worth recognitions.


*******************************************************************

http://www.aiplab.com/Hagiwara_at_Sony_is_the_true_inventor_of_Pinned_Photo_Diode.html


http://www.aiplab.com/Story_of_Pinned_Photo_Diode.html


http://www.aiplab.com/


*******************************************************************


*******************************************************************

以下にその根拠を説明するために萩原の1975年の2つの特許の説明をします。



[1] 特許 1975-127647 に関してですが、

1) 基体の片方の表の面に電荷転送部が設けられ
2) 基体の片方の表の面に沿って 第1の層(N)があり、
3)その第1の層(N)の中に、基体のもう片方の裏の面に沿って
受光電荷蓄積部(P)が埋め込まれ、
4) その受光電荷蓄積部(P)は上記の電荷転送部に隣接し、
5) 電荷転送部の電荷転送電極の印加する電圧により、
受光電荷蓄積部(P)の光信号電荷は電荷転送部に移動される。

 すなわち、光感知素子は単純に NPN構造としています。

実施例図では、裏面から見て N+NPN 構造の Pinned Photo Diode です。かつ、その実施例から
その電荷転送が 埋め込み受光層(P)からの表の表面にある電荷転送部への完全空乏化電荷転送であり、
その結果、残像なしの特徴を示すことは明らかです。



その 実施図には、裏面照射型の Pinned Photo Diode の例を
提示しています。完全空乏化電荷転送の様子も図示しています。
実際に裏面照射型を開発したのは、鈴木さんをはじめ、SONYの
技術者のみなさんです。

特許庁の文献(添付資料)には鈴木さんがその発明者となっていますが、
しかし、その基本構造はこの萩原の1975年の特許の例図に提示されています。

従って、萩原が最初の発明者(考案者)となるはずですが、
そう萩原は考えますが、いかがでしょうか?

ただし、萩原は発明しただけで、手をよごして開発したわけではありません。
SONYの技術者が総力をかけて開発し商品化したものです。

この特許の実施例として、裏面照射型のN+NPN 型の Pinned Photo Diode を
図示しています。従って、萩原がPinned Photo Diodeの発明者でもあります。

萩原の特許の実施図には完全空乏化電荷転送を明示しています。萩原発明の
この光感知素子構造( Pinned Photo Diode ) が完全残像なしの機能を有する
ことを意味しています。実施例には CCD IT 方式にも適用できると
明示しています。

NECの寺西さんは発明者ではありません。NECの寺西さんのチームは
萩原発明の構造(1977年に公開特許)を 1982年になり、原理試作し、
IEDM1982の国際学会で発表しました。「残像なしの IT CCD imager」として
発表したのは事実です。

世界初の、残像なしのIT方式のCCD image sensor は、SONYが開発し、
商品化しました。 1980年にSONYは、透明電極を採用して、横型OFDの 
Two Chip IT CCD (萩原設計のもの)を商品化しています。残像のない
IT CCD imager をすでに商品化し、SONYは全日空のジャン機の
コックピットに搭載し、SONYの商品化したImage sensor の第1号でした。

こういう事実が、世間は詳細に正確にはその事実を知りません。

萩原の特許には、この萩原考案の Pinned Photo Diode が 
IT方式のCCDにも適用できると明示されています。

このことを、しっかりSONYの名誉のためにも、萩原個人の名誉のためにも、
SONYの名誉を守るために、SONYの社員がまずしっかり理解していただき、
その利益代表者であるSONYとして、会社として、SONYのTOPが、公式に
発明協会の方々にSONYを主張であると同時に萩原の主張を、ご理解して
いただけるように、SONYのTOPが努力していただきたいです。

NECの寺西さんが発明者となると、SONYのHADも寺西さんの
発明という結論になります。これは矛盾します。SONYには
たいへん不名誉なことになります。

この萩原の主張を、SONYのみなさんにも、発明協会の関係者の
みなさんにもご理解していただきたいです。

[2] 特許 1975-134985に関してですが、その構造体の定義には、
特許請求範囲で定義された構造は 

1) Nsubの基体に
2) 第1の導電層(P)があり、
3) その上に受光部で電荷蓄積部(N)があり、
4) この電荷蓄積部に接合(P+N)が形成される、

とあります。すなわち、P+NPNsub接合、すなわち、
サイリスタ―型の Pinned Photo Diodeを定義したものです。

特許請求文はいろいろな応用ケースが想定できるので、光感知部の
核となる構造のみを明確に定義しているだけの単純な構造特許です。





特許請求範囲は請求範囲を広いものにするため、文章での構造定義
としています。実施例はあくまで応用例で、特許請求範囲を束縛する
ものではありません。

特許請求範囲に定義された構造から専門家ならその具体的な構造を
イメージして、かつその構造の意味する動作は、半導体デバイスの構造
と動作を記述した教科書などの周知技術情報として、類推できます。

サイリスタ―のPunch-thru動作は教科書にあり周知の情報です。

さらに、Fairchild社所有のEarly 特許の光感知部はPhoto Diode でなく、
CCD構造のMOS型の受光構造です。SONYはそう主張に反論しました。


Fairchild社との縦型のOFDの特許戦争ではこの論理で Early 特許に
対してこの萩原特許を武器にしてSONYのImage Sensor ビジネスを守りました。

特許請求額は当時の金額で600億円以上とたいへん深刻な特許戦争でした。


NECからの特許攻撃の寺西特許(Buried Photo Diode特許 1980年)
に対しても萩原1975年の先行特許が、SONYのビジネスを守りました。

添付の資料では 縦型OFDは東芝の山田さんの発明となっています。

これも1975年の萩原発明のP+NPNsub接合(サイリスタ―)型の
構造は、縦型OFD機能を持った構造体であることは1977年には
萩原特許が公開された時点で世間一般の周知事実です。

東芝の山田さんの発明ではないことになると思うのですが、いかがでしょうか?


萩原の1975年の発明、すなわち、正確にはSONYの発明のはずです。

SONYの名誉、萩原の名誉のためにも、発明協会の方々に是非、
この事実関係をご確認いただき、ご理解いただくことは可能でしょうか? 


この萩原の主張を発明協会の関係者のみなさんにもご理解していただきたいです。


こういう事実が、世間は詳細に正確にはその事実を知りません。


このことを、しっかりSONYの名誉のためにも、萩原個人の名誉のためにも、
SONYの名誉を守るために、SONYの社員がまずしっかり理解していただき、
その利益代表者であるSONYとして、会社として、SONYのTOPが、公式に
発明協会の方々にSONYを主張であると同時に萩原の主張を、ご理解して
いただけるように、SONYのTOPが努力していただきたいです。


この萩原の主張を、SONYのみなさんにも、発明協会の関係者の
みなさんにもご理解していただきたいです。





******************************

       Yoshiaki Hagiwara, Ph.D.  IEEE Life Fellow、 

Pinned Photo Diode の発明者は もとSONYの萩原良昭です。

******************************
 その証拠は萩原が1975年に出願した日本国特許 (1975-127647) と
 (1975-134985)に詳細に記載されています。1978年にSONYは萩原が
 発明したPinned Photo Diode を搭載した Frame Transfer方式の
CCD image sensor 搭載のビデオカメラの原理試作をSONYの盛田
昭夫会長が New York で、同時に SONYの岩間和夫社長が東京で
新聞発表しています。

 萩原の発明特許(1975-134985)の実施例を示す例図1から例図5には 
 Interline Transfer方式の CCD image sensor に適用した場合を
詳細に説明しています。

 SONYは全社総力をかけてこのPinned Photo Diode 搭載の Interline
 Transfer方式の CCD image sensor のビデオカメラを世界で最初に
 SONY original HAD sensor の商標と登録し、SONY BRANDとして
 世界のビデオカメラ市場を制覇することになりました。

 その強みは、萩原が発明した、超感度で低雑音で、かつ残像のない、
高品質画像を提供する、SONY original HAD sensor 、すなわち
一般に Pinned Photo Diodeと呼ばれるものが搭載されているからです。

 また、萩原の出願の2つの特許の例図には、残像のない動作が、
萩原発明のこの光感知素子で、可能であることを明示しています。
 詳細は、萩原考案の日本国特許(1975-127647) の実施例図7と、
萩原考案の日本国特許(1975-134985) の例図6に描かれています。

 また、萩原考案の日本国特許(1975-127647) の短くて簡単な特許請求
範囲にはこの萩原考案の光感知素子は裏面照射型でも使用可能で
あることを明示しています。

 また、その特許(1975-127647) には、埋め込み受光層が裏面からの
光照射を受けていることが描かれています。そして、表の面の電荷転送
用電極に信号電荷が完全電荷転送 Mode で転送されていることを、
その特許の実施例図7に明白に描かれています。


 ●以上の証拠より、Pinned Photo Diode の発明者は 
  もとSONYの萩原良昭であることは明白な事実です。
 ●この萩原提案は、すべての電荷転送装置(CTD)に適応されると
しています。つまり、BBD型でも、古典的なMOS型でもCCD型でも、
そして、近年脚光を浴びている CMOS 型の電荷転送装置(CTD)
にも、すなわち、CMOS image sensor にも適用できるとしています。
 ●さらに特許(1975-127647) の実施例図7の中では、裏面照射型の 
CCD型 でも CMOS型でも適用可能な、Image Sensor 用光の
  光感知素子構造 ( 一般に現在 Pinned Photo Diode と呼ばれる
  構造)を世界で初めて提案しています。
 ●さらに特許(1975-134985) の実施例図4の中では、ショットキーバリア
   型のImage Sensor 用光感知素子構造をも提案しています。

 ●しかし、次の様な受賞のニュースが入ってきました。

**************************************************************
  2017 Queen Elizabeth Prize for Engineering Foundation.
**************************************************************
The winners of the 2017 Queen Elizabeth Prize
for Engineering Foundation were :
(1) George E. Smith for the CCD image sensor invention
(2) Michael Tompsett for the CCD image sensor development.
(3) Nobukazu Teranishi for the invention
of the pinned photodiode (PPD) and
(4) Eric Fossum for developing the CMOS image sensor.
**************************************************************

この受賞者の中で、もとNECの寺西さんが Pinned Photo Diodeの発明者
となっている事に、Pinned Photodiode (PPD)を発明した萩原は、また、
CMOS image sensor の開発者が Fossum となっている事に、いち早く、
CMOS image sensor の開発・商品化に成功したSONYの勤勉な技術者
チームは、あまりにもひどい事実誤認である事に驚いています。そこで、
第三者による公平な事実関係の確認をお願いしたい次第です。これは
半導体開発史およびその中でも重要な半導体素子のひとつでもある、
イメージセンサーの開発史にかかわる重要な事実関係の検証確認のお
願いです。はっきりと中立な公平な立場でコメントしていただける見識者の
方々を、萩原は現在個人的に探しております。半導体関連業界の学識者
の皆様におかれましてはぜひ萩原の主張する内容に関してご理解してい
ただき萩原をサポートしていただきたいと切に希望する次第でございます。

***************************************************************


**************************************************************************

Evidence that Hagiwara at Sony is the true inventor of the Pinned Photo Diode

**************************************************************************

Evidence that Hagiwara at Sony is the true inventor of the Pinned Photo Diode

is given by the two Japanese patents Hagiwara filed in 1975 at Sony. They are,

Japanese Patent (1975-127647) and (1975-134985). The evidence is described in

details in these two Hagiwara 1975 Japanese patents.


In 1978 Sony announced a new video camera in Tokyo and New York Press

Conferences at the same date, held by Sony Chairman Akio Morita in New York

and Sony President Kazuo Iwama in Tokyo at the same date in 1978.


The video camera was built with the Frame Transfer CCD image sensor

with the Hagiwara invented Pinned Photo Diode light detecting photo sensing

picture cell structure which has a very high light sensitivity, a very low noise

and a very low image lag features.


The figures N0.1 thru No.5 in Hagiwara Japanese patent (1975-134985)

explained in details an example of the interline transfer CCD image

sensor application with the Hagiwara invented Pinned Photo Diode.


Sony engineers, after the 1978 Press Conferences in Tokyo and New

York, worked hard for, and succeeded to acquire, the production

and the reliability technolgy of the CCD video camera of the interline

transfer CCD image sensor application with the Pinned Photo Diode

light detecting picture cell structure with the vertical overflow function.


With the diligent SONY engineers efforts, SONY could produce the

portable Passport size Compact CCD image sensor video camera, with

the Pinned Photo Diode that Hagiwara invented in 1975.


And at the same time, Sony filed a trading name officially, which

is the SONY Brand Name of " Sony original HAD sensor " .


With the help of the Hagiwara invented Pinned Photo Diode, which

was now called as " Sony original HAD sensor " with the strong

SONY original sales features of high light sensitivity, low noise and

no image lag characteristics, Sony could become soon very dominant

and strong over the world consumer video camera markets.


The feature of no image lag characteristics in the Hagiwara invented

Pinned Photo Diode is explained and shown in details, as an example

application case, in the figure No.6 of Hagiwara 1975 Japanese Patent

( 1975-134985 ) and also in the figure No.7 of Hagiwara 1975 Japanese

Patent ( 1975-127647 ) in details.



Hagiwara 1975 Japanese Patent ( 1975-127647 ) proposed a Back Light

illumiantion type light detecting photo sensing picture cell structure

with the buried layer type photo signal charge storage. And in the

figure No.7 of Hagiwara 1975 Japanese Patent ( 1975-127647 ) was

shown clearly how the signal charge in the buried storage layer are

trasfered completely to the region under the charge transfer gate

formed on the front side of the silicon wafer. This means clearly

the light sensing picture cell structure, which is now worldly called

as the Pinned Photo Diode, has the very important feature of no

image lag characteristics.


All of these Patent Claim descriptions and Patent figures for possible

patent application examples given in details in the two Hagiwara 1975

Japanese Patents ( 1975-127647 ) and ( 1975-134985 ) support the fact

that Hagiwara is the true inventor of the Pinned Photo Diode.



In conclusion, it is a clear cool fact that Hagiwara at Sony is the true

inventor of the Pinned Photo Diode. The Haiwara patents claims that

the light detecting picture cell structure ( now called as the Pinned

Photo Diode ) can be applied to any kind of charge transfer device(CTD)

which includes the BBD type, the classical MOS type, the CCD type and

the modern CMOS image sensor type charge transfer devices.


Hagiwara proposed the Pinned Photo Diode with the P+NPNsub junction

(thyrisor) type Light detecting picture cell structure with the vertical

over flow drain for the first time in the world.


Moreoever, Hagiwara proposed in the Japanese patent application example

of figure No.7 of Japanse patent (1975-126747) the Back Light illumination

Pinned Photo Diode type Light Detecting Picture Cell Structure for the

first time in the world.


Moreoever, Hagiwara proposed in the Japanese patent application example

of figure No.4 of Japanse patent (1975-134985) the Schottky Barrier type

Light Detecting Picture Cell structure in the Interline transfer type

CCD image sensor applicaiton for the first time in the world.

**************************************************************************   


*******************************************************************

See three invited talks related to SONY HAD sensor now called also as Pinned Photo Diode.

(1) International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK

(2) International Conference ESSCIRC2001 in Vilach, Austria.

(3) International Conference ESSCIRC2008 in Edinburgh, Scotland UK

*******************************************************************

Hagiwara was invited in these international conferences because of his contributions

to the image sensor community and related digital system LSI chip design works.

*******************************************************************

However last year Hagiwara learned a very surprising news:

**************************************************************
  2017 Queen Elizabeth Prize for Engineering Foundation.
**************************************************************

The winners of the 2017 Queen Elizabeth Prize for Engineering Foundation were :

(1) George E. Smith for the CCD image sensor invention
(2) Michael Tompsett for the CCD image sensor development.
(3) Nobukazu Teranishi for the invention of the pinned photodiode (PPD) and
(4) Eric Fossum for developing the CMOS image sensor.

**************************************************************

Hagiwara, the true inventor of the Pinned Photo Diode, got really
surprized at the announcement that Teranishi was awarded for the
invention of the pinned photodiode(PPD), and many SONY dilligent
engineers working for the compact digital CMOS image sensors
got really surprized at the announcement that Fossum was awarded
for developing the CMOS image sensor. The truth is that Teranish
did not invent the PPD. Teranish only developped in 1982 the image
lag free interline CCD image sensor with the PPD light detecting
photo sensor structure that was invented by Hagiwara in 1975.
Hagiwara 1975 patents clearly defined the image lag free interline
transfer CCD image sensor as an application example of his 1975
patent claims.

Fossum wrote a paper on "Active Pixel Sensors: Are CCD's
dinosaurs ?" , in Proc. SPIE, Vol.1900, pp.2-14, 1993. However,
the three transistor type active circuit was already invented by
Bill Regitz of Honeywell in 1969. This active pixel sensors was
not Fossum invention. Fossum actually did not develop the
active pixel sensors
either. Sony dilligent engineerings did.


Fossum is not the inventor of the active image sensor picture element at all.
Peter Noble is the true inventor of the active image sensor picture element.

http://www.pjwn.co.uk/

Hitachi MOS Image Sensor Engineers and Intel MOS Process
Engineers all knew that eventually scaled down MOS Process
Technology will conquer all other kinds of Process Technologies
including CCD image sensor technology because of the power
consideration and scaled down dimensional advantage of CMOS
process technology. The three transistor CMOS active picture
cell was already invented as, since the three-transistor circuit
is identical to, the three-transitor circuit of the DRAM cell with
the active source follower type current amplification. Fossum
was just a commentator in his SPIE 1993 paper above. Fossum
was just emphasizing the well understood fact and speculations
that the original image sensor experts all knew in 1970s. This
active pixel sensors was not Fossum invention.Fossum actually
did not develop the active pixel sensors either.

Sony dilligent engineerings developped the active pixel Pinned
Photo Diode type Light detecting photo sensors
for compact
digital CMOS image sensors with the Back Light Illumination.

**************************************************************



*******************************************************************

Questions by Prof. Albert Theuwissen are ,

- who invented and developed the stitching technology

     for large area image sensors ?

- who owns the world record in low-noise

    in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS) ?


Hagiwara believes that

Hagiwara invented and Sony diligent engineers developed the stitching technology

     for large area image sensors. SONY called SONY original HAD sensor.

    But the technical world ignored the SONY businesss Brand Name HAD, and

    called it by another name, the Pinned Photo Diode.
    
   
Sony diligent engineers developed and now Sony owns the world record in low-noise

    in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS).

******************************






まず次の3つの基本的な質問についてご説明します。


質問(1) 

どうしてCCD image sensor が今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界ではスーパースターのように脚光を浴びる存在
だったのでしょうか?

***********************************************

Question (1)

Why was the CCD image sensor

the super star in the past ?

 



***********************************************

質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?
***********************************************

Question (2)

Why is the CCD image sensor now obsolete
in the modern digital high vision TV era ?




***********************************************

質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?
***********************************************

Question
(3)

Why is now the CMOS image sensor dominant
over the CCD image sensor ?





***********************************************



******************************

先日の10月19日(金)に、SONYのご厚意で、ソニー厚木テックでの、
今年も、恒例(高齢)のSONY半導体OB会が開催されました。

SONY半導体OBの方々が会員となり、現在、約350名ほどおられ
ますが、そのうち、約140人以上の方がご出席されました。

******************************


ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間をお借りして、金曜日で
まだ就業時間ですが、3時半受付開始で4時開始で一年ぶりの同窓会
気分で、お酒を含む立食形式懇親会でした。


まず、全員の写真撮影の後、OB会からの会計報告を受けました。

河野文男(もとソニー専務で半導体TOP)や小笠原さん、阿部元昭さん、
辻さんの4人の方々が永眠され、元気をお顔をもう見る事ができなくなり、
参加者の皆さんはたいへん寂しい思いでした。ご冥福をお祈りしました。

その後、ソニー本社(東京)から、ソニー役員常務でもあり、また、現在の
ソニーの半導体全体をまとめる、 Sony Semiconductor Solutions (株)
の社長を兼務しておられる清水さんが駆けつけてくれました。そして、
SONY半導体の事業の現状と将来展望について、140人以上集合した、
SONY半導体OB先輩の前で、力強く元気な声で報告をしてくれました。


清水社長には、たいへん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

また、お元気そうで何よりでした。


清水さんのお話の最後に、SONY半導体OB会に新しく参加してくれた、
米村均くんが1つ質問しました。

「今の日本の半導体で、元気なのはSONYだけ?東芝のメモリーも
身売りの話がでて、、なぜSONY半導体は今でも元気なのですか?」

とその理由についての米村からの質問でした。清水さんの適格な返答は、

「今のSONYの半導体があるのは、SONYの半導体プロセス生産技術が
一番大きな要因・原動力です。」

と、清水さんはおっしゃいました。萩原もその通りだと思いました。

その時、萩原が1971年に大学を卒業して日本に夏休みだけ遊びに、
一時帰国して、ソニー厚木工場を訪問した時のことを思い出しました。


SONYはかつて世界があきらめ全くものになるはずがないと思われていた
トランジスタの量産技術を、歴史あるソニー厚木工場で確立しました。

ソニー厚木工場は、歴史的にも世界で初めての半導体量産工場です。


実は、ソニー創設者の井深さんの御親戚の前田尚利さん(今年の6月21日に
永眠75歳)と、ソニー創業からのメンバーで副社長にもなられた樋口さんの
ご親戚の方のお二人が、萩原の母校(CalTech)に、大学院の留学生として来て
おられました。それで、萩原は、お二人とは大学での先輩後輩のお付き合いを
されていただいていました。そのお二人の紹介でソニーを訪問見学することが
可能となりました。1971年の夏休みのことでした。

当時、ソニー厚木工場はトリニトロンTV用に信号処理用 bipolar transistor
IC ( CX081~CX089Series ) の量産立ち上げの最中でして、そので萩原は、
学生実習生として、1971年の夏、6月から9月までの三か月あまりの間、ソニー
厚木工場の岡田寮に宿泊していました。

うまくことが運んだ理由は、まず本社の人事の植松課長さんが非常に好意を
示していただいたことがあります。既にその時には、青木照明さんと佐藤収一
さんが、米国からの初代留学生として、SONYに入社しておられ、SONY本社
の人事は、米国留学生には、たいへ積極的・好意的な扱いでした。

萩原の希望が、「ソニーの半導体技術を見たい。」という事で、植松課長さんは、
ソニー厚木工場の半導体品質保証室の木内室長に萩原の話を投げかけました。

木内室長判断がつかず、どうしようかと思案していました。たまたま、その時、
品質保証室の木内室長のところで働いていた、青木照明さんに判断が求め
ました。青木照明さんは、木内さんに、「是非受け入れるべきだ。」と進言して
くれました。木内室長さんは、「このくそ忙しい中、アメリカ留学生の夏休みの
お遊びに付き合う時間はない。」との、厳しい現場監督として当然の口調で
した。しかし、「技術主任の宇野義道君を君の指導官につけるから、さぼらず、
しっかり学んで、成果を出しさない。世の中、 Give and Take だからね!」 
と萩原を激励してくれました。



目的は東京周辺見学のためにソニーに宿泊施設を提供してもらうのが萩原に
とっての最大の目的でしたが、、、しかし、ソニー厚木工場を見学してびっくり
しました。宇野義道主任は、厚木工場内の半導体プロセスライン(9号館など)
を隈なく案内し、そこで働く仕事仲間の皆さんを一人一人紹介してくれました。
また昼食時はいつも萩原は宇野義道主任に連れられ、仕事仲間の小笠原さん
や畠中さんたちと加わり、なごやかなに会話し、昼食を楽しんでいました。


実は、萩原の大学の先輩に Intel の創設者のDr. Gordon Moore がいます。

また、大学院の萩原の研究指導官の Prof. C. A. Mead と、Dr. Gordon Moore
のお二人は、二人とも CalTechの卒業生で、在学時代からの親しい友達同士
でした。それで、まだベンチャー会社だった Intel 社でしたが、母校(CalTech)
との産学協同プロジェクトがあり、萩原も行き来したことがあり、米国の最新鋭の
Intel社の PMOS transistor のプロセス製造ラインを萩原は見ていました。

しかし、1971年SONYの厚木工場を訪問して、萩原はびっくりしました。

日本にも最新鋭の半導体工場があると、それも当時米国TI社と集積回路の
基本特許(キルビー特許も含む)の包括契約をしていて、米国TI社と半導体
プロセス製造技術で技術提携していた、とのことです。

SONYは見る目がある。トランジスタ特許使用権利を格安の当時の値段の
500ドルでベル研から獲得し、TI社からも格安で集積回路の特許使用件を
獲得しました。後に、日電・三菱・日立・東芝の日本の半導体勢力はDRAM
の生産で、TI社のキルビー特許により、膨大な特許使用料、それを合計する
と、累計、8000億円~1兆円が日本が米国に支払われたとのうわさもあります。


しかし、萩原は1971年SONYの厚木工場を訪問してびっくりしました。

まだ32歳だた宇野義道主任(後のソニー長崎工場長など歴任)に、「ここは
東洋一の半導体大規模生産工場だよ。」と説明を受けました。彼が萩原の
実習の指導官でした。


萩原はあつかましくも、1971年 ( カラーTV用 Bipolar IC CX-081~CX089
シリーズの工場からの出荷時の信頼性試験 が自習テーマ)と、1973年(
Vertical FET の新規開発半導体素子の信頼性試験とその測定用の回路
基板の設計作業)の2回も、ソニー厚木工場に、日本に夏休み帰国していた時、
夏休みの東京周辺の宿泊施設目的にソニー厚木工場の岡田寮を利用しつつ、
ソニー厚木工場で半導体信頼性技術の実習生として萩原は勤務しました。

SONY半導体OB会での清水さんの話を聞いた時、昔のソニー厚木工場内
のプロセスラインをはじめて見学して驚いたことを萩原は思い出していました。

そうだ、その通りだと萩原は思いました。


あの時、1971年の夏、SONYの活力を目撃した瞬間でした。

その感動を萩原は思い出したました。

そしてあのSONYの活力・原動力が、SONYの熊本テックに今継承されています。

SONYの半導体プロセス生産技術は世界の歴史を築いた主役です。

その主役の座は今でも世界の CMOS digital image とその周辺信号処理回路
の設計・開発・生産技術者によって一丸となってに守られ、維持されています。

その主役はSONY original sensor の試作とを担当した鈴木ともさんであり、
CCD のimage sensor の量産プロセスでがんばった上田さんであり、SRAMと
PS3のchip の量産プロセス立ち上げでがんばった清水さんであると萩原は
自負しています。みんな萩原のかわいい後輩です。


そんな思いで萩原は、一年ぶりにお会いできた、SONYの半導体OB会の先輩や
もと仕事仲間のみなさんと、ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間の中で、
お酒を交えて楽しく懇親を今年も深めることができました。



*************************************

       清水社長および慶児テック長ははじめ多くの方のご好意により、
       11月19日(月)にSONY熊本テックを訪問することができました。

     このたび、清水社長、山口副社長、ソニー熊本テック長の慶児テック長、 
    社長室の宮永秘書をはじめ、昔からの仕事仲間の藤埜原朝義さんたち他、
多くの方々から、温かいおもてなしを受けることができ、本当にありがとうございました。

*************************************




この11月19日(月)に熊本市にあるSONYのCMOS Image Senosrの
生産拠点である半導体熊本テックを一年半ぶりにお邪魔することに
なりました。前回は、2017年3月末の訪問で、今回は2回目となります。

SONYを2008年に60歳定年退職した後、2009年から8年間熊本市
にある、崇城大学情報学部の教授として8年間勤務していましたが、
その時、2016年4月の熊本地震を身近に体験しました。


その熊本地震で、SONYのCMOS Image Senosrの生産拠点である
SONYの半導体生産拠点であるSONY熊本テックもたいへんな打撃
を受けました。

前回は、熊本地震の1年後の訪問でした。私がSONY勤務の時の
仕事仲間で後輩だった上田社長のご厚意で、崇城大学を68歳での
定年退官に際して、SONY熊本テックにお招きを受け訪問できました。
なつかしい昔の仕事仲間にもたくさんお会いすることができました。


熊本地震で大打撃を受けましたが、社員のみなさんの努力と、また、
温かい関連会社の方々の、連日の徹夜や休日返上のサポートにより、
熊本テックはほぼ完全に復帰していました。

地震から1年足らずでしたが、テックは活気を戻しており、みなさん、
元気な明るい笑顔で歓迎してくれました。

その時、私も「イメージセンサー賢い電子の目」と題して特別講演を
若手技術者をはじめ、InterNet 配信を通じて、全国にある、SONYの
半導体拠点で、同時に多くの社員が、各自のデスクにあるパソコンで
私の講義を見てもらうことができました。

あれから一年半が過ぎました。今回崇城大学の文化祭に際していろ
いろなイベント記念行事があり熊本を久しぶりに訪問する機会を得ま
した。そこで、私がSONY勤務の時の仕事仲間で後輩だった清水さん、
SONY本社常務で現SONY Semiconductor Solution Corporation の
の代表をされている清水社長にお願いして、再度、SONY熊本テック
をこの11月19日(月)に訪問させていただく運びとなりました。

その時に再度、熊本テックの技術者をはじめ興味ある社員のみなさん
に対して、一般向け技術講座として、大学の授業と同じく、90分一コマ
の講義をする機会を頂きました。

今回の講義の題目も、「イメージセンサー賢い電子の目」としています。

その講義の Review Quesion List を下記に示します。

大学の学生にはこれを宿題として来週の授業の時にその解答を
レポート用紙にまとめてきなさいという調子で大学の教授として
教壇に立っていた時は、学生に宿題として課していました。今と
なっては、たいへんなつかしい楽しい思い出です。



******************

  特別半導体技術講座

2018年11月19日(月) 10:00 ~ 11:30

@ SONY Kumaoto Technology Center  

「イメージセンサー、賢い電子の目」 

  の最初の Introduction の部分の
   
   Slide (001~033) の解説文です。

     講師   萩原 良昭  

******************




*****************************


Slide 001

本日は 清水社長、慶児熊本テック長をはじめ、
多くの方々のご配慮により、お忙しい中、半導体
技術講座「イメージセンサー、賢い電子の目」
を開催する運びとなり本当にありがとうごさいます。

Slide 002

本日の講義の内容の半分以上は半導体の基礎
知識にかかわる内容です。その詳細は萩原が
2016年3月に自主出版した技術解説書に詳細に
解説している内容です。もし、ご興味ある方は、
後ほど、各SONY半導体関連事業所の図書室
には、一冊ずつ寄贈してありますので、それを
ご参考にされるか、または、個人的にご購入いただき、
お時間をかけてごゆっくりお読みいただき、半導体
デバイスの基礎および、そのアプリケーション、つまり、
人工知能システムを支えるデジタル回路の世界に
ついて、ご理解を深めていただければ幸いです。

Slide 003

まず、本日の講座の概要・内容の紹介です。

Slide 004

最終的には、専門用語になりますが、
Pinned Photo Diode とはなにかを
ご説明いたします。そして、この講座の
結論、すなわち、萩原良昭の主張に
なりますが、その Pinned Photo Diode
の発明はもとSONYの萩原が1975年、
今から43年前、萩原が27歳の時の
発明であることを説明しています。

この件に関する細かい内容がここに
記載されていますが、後ほどその詳細
をご説明します。



Slide 005

あくまで人間の目に例えると光信号を
電気信号・信号電荷に変換するもの
で、網膜細胞というものに相当する、
光信号を感知し信号電荷に変換し
一次蓄積し、網膜細胞の役割を
担う電子の目、ロボットビジョンの
発明の話になります。

萩原は1975年に2件特許を出願しています。

一件は、日本国特許 (1975-127647) です。
P+NPNsub接合、すなわち、サイリスタ―型の
光感知半導体素子の発明です。これは縦型の 
Overflow drain 機能を有する素子構造です。

もう一件は、日本国特許 (1975-134985) です。
NPNN+接合、すなわち NPN bipolar transistor
型の構造をしたもので、かつ、裏面照射型の
光感知半導体素子構造に関する発明です。

これは、すべての種類の電荷転送装置(CTD)、
すなわち、BBD型、古典的なMOS型、CCD型、
そして近年話題を独占している、CMOS image
sensor 型の電荷転送装置(CTD)にも適用できる
としています。これが世界で、最初の残像なしで
超感度の裏面照射型CMOS image sensor の
基本特許とも考えることができる特許です。

あまりにもいろいろ専門用語が飛び交い、今の
ところ何の話がご理解いただけないと思いますが、

Slide 006

まず、この講座で、直観的に、以下の項目に関して
ご理解を少しでも深めていただければ幸いです。




●イメージセンサとは?

●イメージセンサの基本構造

●イメージセンサの動作原理

●イメージセンサの歴史

●イメージセンサの市場動向

●賢いイメージセンサとは?

まず、その中でイメージセンサの特徴として、

解像度(resolution),信号雑音比(S/N ratio)、
コマ送り回数(frame rate)、Dynamic Range、
Shutter 効果、それに、色再現度( color
reproduction )などの特徴があります。





Slide 007

次に、イメージセンサの市場動向にかかわることですが、
次の3つの基本的な興味ある質問についてご説明します。

質問(1) 

どうして CCD image sensor が、今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界では、スーパースターのように脚光を浴びる
存在だったのでしょうか?


Slide 008 質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?





Slide 009 質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?


Slide 010

そしてその内容をより深くご理解していただく為に、
次の10個の半導体物性基礎に関する質問の解説
に、時間が許す限り、その詳細解説に挑戦します。

(001) 金属とは?
(002) 光電効果とは?
(003)金属の Work Function とは?
(004) コンデンサーとは?
(005) 誘電率とは?

(006) 抵抗とは?
(007) 抵抗率とは?
(008) 半導体とは? Energy Gap とは?
(009) Donor 型不純物金属とは?
(010) Acceptor 型不純物金属とは?


Slide 011  Q002

その中で 2番目の質問、「光電効果とは?」は、
イメージセンサとは?イメージセンサとは何か?
イメージセンサの基本動作とは何かを理解する
上でたいへん重要な物理動作原理です。




金属の物理モデルは「器に入った水」です。

この場合の水の分子(粒子)が 電子というたとえになります。

金属という器の中で自由に電子(水の分子)は自由に移動できます。

だから金属は自由に電気を通すことになります。




逆に絶縁体( Insulator )は電気を通しません。

金属(器)の周りが絶縁体に相当します。

絶縁体にはガラスのように光を自由に通すものもあれば、

半導体素子を樹脂でまわりを固め、電気や光を通さないように
保護した絶縁体もあります。








合計で一般に物質は以下の4つに分類できます。





まるで血液型が以下の4つに大きく分類できることに似ていますね。





Slide 012

次の11から20までの質問は半導体素子基礎に
かかわる質問です。


(011) N 型半導体とは?
(012) P 型半導体とは?
(013) Donor 型と Acceptor 型不純物金属のペアとは?
(014) PN 接合とは? NP 接合とは?
(015) 空乏層とは?

(016) Bipolar Transistor とは?
(017) Bipolar Transistor の ON 抵抗とは?  
    SONY の川名喜之さん発明の 「中ぐり製法」 とは?
(018) Bipolar Transistor の入力抵抗とは?
(019) SONY の Transistor の開発史を知っていますか?
(020) Ge Transistor とは? Silicon Transistor とは?
米国 Texas Instrument 社のキルビー特許とは?


Slide 013   Q014

特に14番目の質問「PN 接合とは? NP 接合とは?」は
ダイオードの話で、太陽電池の動作原理からはじまり、
image sensor の光感知用ダイオード、すなわち、
Photo Diode の構造とその動作原理を理解する上で
重要な基礎知識となります。




















Slide 014   Q016

次の16番目の質問「Bipolar Transistor とは?」は
さらに、超高感度、低雑音で残像のない Photo
Diode の実現には不可欠な基本知識となります。

人間の頭脳に対応するコンピュータと呼ばれる電子
頭脳はトランジスター回路のかたまりです。しかし、
さらに人間の目の光を感知する網膜細胞に相当する
光感知半導体素子構造も実はこのBipolar Transistor
と同じ構造をしているということです。

人間の目はもともと脳細胞が外の世界を感知するために
進化したもので、目の網膜細胞も、脳細胞が脳から飛び
出したもので、脳細胞そのものです。

賢い電子の目も、結局はcomputerの基本電子部品である 
transistor 構造で、賢い電子の目も、transistor 構造である
ということです。非常に簡単なことですが、その事を萩原は
世界で初めて1975年に気が付き、それを2つの日本国特許
にまとめました。そんな簡単なことでも特許として重要だと
萩原は Image Sensor の開発技術者として感じ取りました。

萩原が1975年に発明したものは、実は現在、SONY original
HAD sensor と呼ばれ、世間一般では、Pinned Photo Diode
と呼ばれる、超高感度、低雑音で、残像のない Photo Diode
の基本構造でもあります。

これがあったお蔭で CCD image sensor は 超高感度、低雑音で、
残像のない、高性能ビデオカメラの地位を築くことができました。
そして現在では、萩原の発明があってこそ、CMOS image sensorが
実は現在、高性能ビデオカメラの地位を維持しています。







Slide 015   Q017


現在のCMOS image sensorがより超高感度の高性能ビデオカメラ
の地位を維持することができるのは裏面照射型にする技術が実現
したお蔭です。その技術には image sensor chip を薄くして、裏面
から光を照射することができるようにすることが重要です。

では世界で最初に silicon chip を薄くすることに挑戦した技術者は
誰でしょうか?それはSONYの川名喜之さんです。その目的はimage
sensor の感度向上ではなく、bipolar transistor の ON 抵抗の低減
を実現して、当時のSONYの単体Silicon Transistorの歩留まりを一段
と向上させることが目的でした。

  





Slide 016   Q019

そこで、質問です。

SONYの Bipolar Transistor の開発史を知っていますか?

このSONYの川名喜之さん発明の技術は世界をアッと言わせました。

当時米国では、単体Silicon Transistorは 米国 Texas Instrument
社が軍事用に特殊製造していたものでしたが、それよりも、SONYが
民生用小型トランジスターラジオ用に開発して、中ぐり製法のbipolar
silicon transistor の方が性能が良かったのです。TIの技術者は
SONYの技術者の生産技術に感銘を受け、その後、長くSONYとTIの
技術者の交流は深まりました。


Slide 017   Q020

ここでまた質問です。 

Ge transistor と Si transistor の違いを知っていまか?

実は Ge 結晶の エネルギー GAP は 0.65 eV で、
Si 結晶のエネルギー GAPは 1.1 e V です。

Si結晶で製造される PN 接合や PNP接合型トランジスターの
リーク電流は Ge結晶での製造よりはるかに小さいものでした。

それを世界で最初に提唱したのは、当時 PNPN 接合型の
サイリスタ―の低リーク switching 素子の研究をしていた、
Prof. John Moll でした。彼の論文はSONYの岩間さんは
たいへん重要視し、将来はシリコントランジスタ―であると
判断し、SONYでシリコン結晶から自社開発して未来の素子
シリコントランジスタの開発・生産技術の確立に注目しました。

SONYのシリコントランジスタは世界一の性能でした。

その要因を創ったのは、岩間さんが自らシリコン結晶を日本国産で
量産技術をSONYで構築するとの決断と、この川名さんの中ぐり製法
で世界一の silicon bipolar transistor をSONYが世界市場に提供
できたことが大きな要因となります。

日米半導体摩擦を起こした、日本のDRAM産業で、日本からTI社は
基本集積回路の特許、キルビー特許で多額の特許収入がありました。

しかし、SONYはTIとのそれ以前から大昔からの技術提携があり、特許
総括契約をいち早くTIと結んでおり、SONYはキルビー特許から苦しむ
ことはありませんでした。


Slide 018

次の21から30までの質問は半導体回路基礎
にかかわる質問です。


(021) Emitter Follower 回路とは?
(022) Bipolar Transistor の線形増幅回路とは?
(023) Planor Transistor とは?
(024) MESA Transistor とは? 
    
    SONY の加藤俊夫さん発明の
    Advance Passivation MESA 製法とは?

(025) MOS Transistor とは

(026) Pass Transistor とは?
(027) MOS Transistor の入力容量とは?
(028) 自己整合型 Source/Drain MOS プロセスとは?
(029) Source Follower 回路とは?
(030) Inverter 回路とは?


Slide 019   Q024

(024) MESA Transistor とは? 
    
    SONY の加藤俊夫さん発明の
    Advance Passivation MESA 製法とは?


Bipolar transistor は 1947年の暮れに、ベル研において、
まず接合(接触型)構造transistor として発明され、その後、
MESA構造のtransistorとしてベル研で考案され、米国の
Fairchild社で生産商品化されました。その後、シリコン結晶
を酸化膜で保護する製法が考案され、同じく、Fairchild社で
Planar 型のbipolar transitor が考案され量産性と信頼性
が一段と向上しました。しかし、Fairchild社はその特許使用
量を売り上げの6%と高く要求し、日本企業は手の出るもの
ではありませんでした。その中で、SONYの加藤俊夫さんは
従来のMESA構造のtransistorの BaseとCollectorの側壁
面を保護する、Advanced Passivation MESA構造を発明し、
SONYはしばらくFairchild社のPlanar 型のbipolar transistor
さけて事業を継続することができました。使わなくてもOKだよ
という強い態度が最終的に特許使用料を引き下げる効果に
つながり、加藤俊夫さんの発明はSONYのトランジスタラジオ
と小型テレビの生産事業化にたいへん貢献しました。





Slide 020  Q028


自己整合型の Source/Drain MOS Processとは?

その後、Farchild 社を飛び出した Gordon Moore氏は、
自己整合型の Source/Drain MOS Process を開発し
ました。Fairchild 社が Bipolar Tr 型の SRAMを
商品化していましたが、 Intel 社は 3 Tr 型のcell 構造
で、DRAM chip を MOSプロセス技術で開発生産する
ことにより、急速に事業が成功し、Intel 社は成長しました。




Slide 021   Q029

Source Follower回路とは?

この初期の Intel 社の 3 Tr 型のcell 構造でした。実は、
今のCMOS image sensor の 3 Tr 型の Active 回路と
全くの同一回路です。DRAM回路の歴史は、 MOS image
sensor の歴史に連動しています。今の Image sensor の
開発者の中にはそのことを全く忘れている技術者もいます。

まず、3 Tr 型 DRAM Cell の構造と動作原理を説明します。


(1)小さな記憶用拡散容量に、外部回路から、小さな信号
電荷量を 1つ目の MOS transistor である、Input MOS
transistor( Pass transistor ) を通して書き込みます。

(2)その記憶容量の電圧を、読み出す場合は、2つの目の
MOS Trasnsitorで構成される Source follower用の出力
MOSの 電極 gate に直結し、水道の蛇口の役割をさせ、
記憶容量の小さな容量電圧の値を大きな出力電流に
増幅変換します。

(3)次に、3つ目の Selector 用 MOS Pass transistorで
垂直出力 bit line に接続しています。各、出力 bit line
1本ごとには Source follower MOS transistor が
1個ついています。3つ目の Selector 用 MOS Pass 
transistor がONになっているDRAM Cell の情報に従って
垂直出力 bit lineの出力電圧値が、増幅された形で
決定され、それが外部回路に出力します。

(4)さらに同時に、その出力値を再度その選択されたDRAM 
Cell に書き込むこと ( data refresh action ) も容易に実行
でき、たいへん、容易に開発生産できるものでした。

実際には この 3 Tr 型の DRAM cell が 1969年に発明される
前に、one transisotr 型のDRAM cell が 1966に発明されていま
いましたが、記憶容量が小さくその信号電荷を簡単に増幅できる
Sense Amp 回路の工夫(発明)がまだ出現しておらず、どの企業も
one transisotr 型のDRAM cell の生産商品化に挑戦することは
ありませんでした。後に、SRAM構造の Latch-up 型 Sense AMP
回路が発明考案され、米国のTexas Instrument社と日本のNEC社
がone transisotr 型のDRAM cell の生産商品化に成功し、Intel は
次第に DRAM 事業から撤退し、micoroprocessor 一本で会社を
大きく成長させることになりました。

まさにこのDRAMの開発史は MOS image sensor の開発史と連動します。

この 3 transistor 型電流増幅回路は、そのまま現在の、
CMOS image sensor の 3 transistor 構成の電流増幅
型 active 回路と全く同一のものであります。歴史がここ
で繰り返していることになります。






Slide 022

次の31から40までの質問は半導体デジタル回路基礎
にかかわる質問です。

(031) NAND 回路とは? AND 回路とは?
(032) NOR 回路とは? OR 回路とは?
(033) 比較回路とは?
高速並列処理 128 bit Data Stream 比較回路とは?
(034) Shift Register 回路とは?
(035) Memory 回路とは?
(036) SRAM 回路とは?
     どこの会社が世界で最初に SRAM chip の
商品化に成功したのか?
(037) DRAM 回路とは?
    どこの会社が世界で最初に DRAM chip の
商品化に成功したのか?
(038) DRAM 回路の開発歴史を知っていますか?
(039) MOS Image Sensor の開発歴史を知っていますか?
(040) MOS Image Sensor の問題点は何だったのでしょうか?


Slide 023  Q033

比較回路とは?

高速並列処理 128 bit data stream 比較回路とは?

賢いイメージセンサーとは、外の世界を認識し、
自分で判断し、人間に役に立つ人工知能を
装備したデジタル回路と連携したイメージ
センサーシステムのことです。その中で、特に
画像認識や音声認識、また電話帳などの高速
並列検索エンジンは重要な存在です。その
並列高速処理をサポートする基本的なデジタル
回路は簡単な 1 bit の比較回路であり、それを
複数個、この場合 128 bit の data stream
として比較判断する高速並列処理比較回路です。
これをまた10個、10000個と連結することにより、
同時に 1K bit や 1 M bit の digital data
並列高速処理比較回路が完成します。





Slide 024

Intel社はもともと1966年米国 CalTechの卒業生の
Gordon Moore氏が創設した会社ですが、1972年
Intelが Intel1101 のDRAM chipを開発していた
時期、CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室と 
Intel社の間で、世界で初めての産学共同Project
が実行されました。それが、この128 bit の data
stream として比較判断する高速並列処理比較用
のPMOSプロセスの集積回路の設計開発プロジェクト
でした。






Slide 025   Q037  DRAM回路とは?

どこの会社が世界で最初に DRAM chip の商品化
に成功したのか?


もう明らかですが、Intel が世界で最初に DRAMを
商品化した会社です。

Intel が世界で最初に DRAMを商品化した当時、
萩原は CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室の
PhD学生でした。

まさにこの、128 bit の data stream として比較判断
する高速並列処理比較用のPMOSプロセスの集積回路
の設計を担当した学生でした。

萩原設計の 128 bit data comparotor chip が、Intelの
1101 DRAM と同じ、Intel のプロセス line で製造され
ました。萩原が所属する研究チームはCalTechにその
chip に持ち帰り、CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室
の大学院の学生仲間で一緒に評価し、一発感動を皆で
喜んだ、楽しい思い出が萩原にあります。萩原がSONYに
入社する前の話でした。萩原はその頃から人工知能を
支えるデジタル回路システムの研究に関心があり、その
ひとつの研究課題が「賢い電子の目」の開発研究でした。


Slide 026  Q039

MOS Image Sensor の開発歴史を知っていますか?


MOS image sensor の開発史は DRAM の開発史に
連動します。その理由はMOS image sensor の信号電荷
の読み出し回路もDRAMの信号電荷の読み出し回路も
歴史的に昔も今も基本的に全く同じものであることです。










Slide 027

次の41から50までの質問は半導体固体撮像素子基礎
にかかわる質問です。


041) どうして CCD Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?
(042) SONY の CCD Image Sensor の開発史を知っていますか?
(043) CCD Image Sensorを支えた重要な技術は何だったのでしょうか?
(044) SONYの CCD Image Sensor搭載デジカメの開発史を知っていますか?
(045) どうして CCD Image Sensor が 急に市場から消えたのでしょうか?

(046) どうして CMOS Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?
(047) CMOS Image Sensor を支えている重要な技術は何なのでしょうか?
(048) SONY original HAD sensor とは? Pinned Photo Diode とは?
(049) 今の SONY の半導体技術の強みはどこから生まれたのですか?
(050) 半導体は文明にエンジンであり、SONY の力の根源でもあります。
    今その未来はどこへ?



Slide 028 Q041 その中で、まず質問41 は重要です。

(041) どうして CCD Image Sensor が Super Star になったので
しょうか? この後この件に関しては詳細に説明します。











Slide 029 Q044 質問44も重要です。


(044)  SONYのCCD Image Sensor搭載のデジカメの開発史を
  知っていますか? この後この件に関しても詳細に説明します。


ひとことで言うと SONYの Image Sensorの開発はその開発部隊の発足から越智さんがずっと
責任者として頑張ってきたことになっていますが、最初にSONYでCCDを試作したのは佐藤収一さん
がTOPで狩野さんと三船さんたちでした。萩原が1975年2月に途中入社の形でSONYに入社した
時は、SONY厚木工場から新しく川名さんをTOPにしたCCDのプロセス開発部がSONY横浜中央
研究所にでき、佐藤収一さんは退社し米国企業に転職し、三船さんはソニー厚木工場の方に移動
することになり、当時まだ若い現役の狩野さんだけが川名さんの部隊に入り、部下に阿部さんと
松本さんをかかえ三人でSONYのCCDのプロセスを開発することになりました。



実際に One Chip CCD を目標に、その試作開発を担当したのは、萩原と阿部さんと岡田さんのたったの 3人
でした。それも副業で担当していました。当時、CCDの開発部隊のメンバーは全員、萩原・阿部さん・岡田さんも
含めて、本命である One Chip Interline Transfer 方式の CCD Image Sensor の開発に全員が全力投球
していました。萩原はすべてのSONYのCCD Imager の設計とそのCAD Tool Soft (DSPLAY) を担当しました。

この One Chip CCD の試作開発を担当したのは、設計担当が萩原、プロセスが阿部さん、評価が岡田さん
の 3 名だけでした。そして、純粋の技術者として東京で開催の国際会議、固体素子コンファレンスで技術発表
する許可がおりました。

Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada, "A 380Hx488V CCD Imager with Narrow Channel
transfer Gates" Proceedings of the 10th Conference on Solid State Devices, Tokyo, 1978;
Japanese Journal of Applied Physics, Volume 18 (1979) Supplement 18-1, pp.335-34


SONYが試作した最初の One Chip CCD Image Sensor は、電荷転送方式が Frame Transfer 方式の
CCD Image Sensor でした。光感知部(受光部)は、萩原が 1975年に発明した、 Pinned Photo Diode
が採用された、Frame Transfer 方式の CCD Image Sensor でした。当然、この Pinned Photo Diode
は、完全空乏化電荷転送 mode で動作し、残像が全くなく、かつ低雑音で、受光部が酸化膜(ガラス質)で
おおわれていて光が完全に透過し、たいへん感度のよい受光構造となっています。それでSONYは超高感度
な CCD Image Sensor として新聞発表しました。しかし、マスコミは、 CCD が 超感度で低雑音であると
誤解しました。元来、CCDは MOS 構造なので、受光部には採用できません。その単純なこともマスコミには
あまり半導体物理と半導体デバイスの動作原理に詳しい専門家はおらず、なかなかSONYもその詳細を説明
する時間と余裕がありませんでした。それで、SONYの CCD Image Sensor は超感度で低雑音で残像がない
ということのみがひとり歩きしました。萩原発明の Pinned Photo Diode にはまったく感心を持たれることは
ありませんでした。


その結果、萩原の影が薄れ、当時の開発部隊の組織の長である森尾さんと越智さんが組織の代表として、
ライン賞などを受賞することになりました。萩原をはじめ実際に開発したチームメンバーはその時たいへん
くやしい思いでした。 実際に仕事をした技術者は国内学会でその成果を発表する許可がおりました。


平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.


発明者であり、CCDの設計者でもあり、かつ、プロセス条件の洗い出しから、カメラ評価冶具から、CCDを駆動
する clock 信号発生用のデジタル回路の設計からすべて萩原ひとりが中心となり、本命の IT 方式の
Image Sensor の開発の忙しい中、みなさんに自主的に友人として手伝ってもらい、萩原は感謝・感謝でした。


しかし、越智さんは、萩原が懸命に頑張っていて、萩原がまわりの人間を引き込み様子を見て、本命の邪魔
をされるのを心配したのか、萩原に対しては、「あまり邪魔をするなよ。」と冷たい態度でした。Image Sensor
開発のTOP責任者としての当然の態度だったのでしょう。


越智さんは組織のTOPとしてたいへんなプレシャーを感じておられ胃が痛くなり健康を害するほどでした。

CCDがなかなかうまくできず、カメラ事業部(森尾部隊)からは、「社内で出来ないなら、いつでも日立さんや
日電さんの image sensor でカメラを開発する準備はある。」との冷たい態度でした。セットも生き残りが
かかっており、無理のない話でした。

そんな中、アメリカから帰国した萩原は、

(1)越智さんが推進していた市松型のCCDの開発にけちをつけました。絵素数が半分になるとはゆえ、
斜め方向のエイリアシングがめちゃめちゃで子供だましであると、越智さんの方針に反対し食いつきました。

(2)また、SONYのCCD開発部隊全体の開発方針として決定していた、透明電極を光感知素子(受光部)
として採用した横型OFD構造の Interline 方式にも、萩原は1人、「こんな透明電極など異物材料は量産に
向かない、横型OFDは場所をとり、受光面積が減るのでだめだ。」と、冷たくケチをつける生意気な米国帰り
の若い技術者した。その裏には自分が発明した光感知素子構造の方が良いという信念があったからです。

萩原は懸命に、自分が 2月に入社してすぐに考案した、P+NPNsub 接合(サイリスタ)型の光感知素子の
受光部を宣伝しました。その構造は、P+NPNsub 接合(サイリスタ)型で、すなわち、 Bipolar プロセス
技術を必要とするもので、MOSプロセスの経験しかない技術者には、受け入れられる提案ではありません
でした。当時のCCD開発部隊の先輩技術者に、萩原はひとりで説得・説明しにまわりました。

そして、萩原の熱意に同情してくれた先輩もいました。また萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場の 
Bipolar プロセスラインで実習していた経験があることを知って力になると言ってくれた先輩もいました。

萩原が自らCCDのプロセスラインに入り萩原自身で CCD wafer を試作するという条件で、萩原考案の 
Pinned Photo Diodeの試作を手がけるという条件で許可がおりました。これも、当時のプロセス担当の
狩野さん、阿部さん、松本さんがたいへん萩原に対して友好的であったことで実現しました。


当時、完全に傷のない CCD chip は なかなかできませんでした。

CCDの完成品を今か今かと待つCCDカメラ試作開発部隊のTOPだった越智さんは、「いつになったら
できるのですか? 」と プロセス担当者に圧力をかけていました。それはいやみに聞こえて当然でした。


月に一度中央研究所で開催の岩間社長を囲んでの進捗報告会でも、「CCDができないのは我々の責任
ではありません。プロセス担当の川名さんや狩野さんたちです。。」との冷たい報告を越智さんは岩間社長
や本社のカメラ開発部隊(森尾さんがTOP)に、言い訳がましく、していました。そういう責任投げして、文句
を言っている越智さんに対して、CCDのプロセス開発担当者は、あまりいい感情を持っていませんでした。

「ひげちゃん(萩原のあだ名)なら、厚木の Bipolar プロセスの経験もあり、プロセス担当者の、いかに
歩留まりをあげるか、その苦労がわかるようね。」と萩原に愚痴をこぼすプロセス担当者もいました。


透明電極で横型OFD型のCCDプロセスははたいへんだ、そうも感じていた萩原です。いかに単純で
歩留まり(白点やダーク電流の低減)が期待できる、素性のいいCCDプロセスが切望されていました。

萩原はその解が、萩原が考案した、透明電極を使用しない、酸化膜で保護され、光が自由に透過できる、
光感知素子、すなわち、 P+NPNsub 接合型の受光部だと確信していました。

トランジスタ―の量産技術確立努力の苦労の時代には、川名さんは、現役時代、いかにその歩留まり
向上を実現するかの苦悩の中で、トランジスタ―のON抵抗を下げるために、「中ぐり製法」を考案しました。
そういう創意工夫があってこそ、トランジスタ―の歩留まりが向上し、SONYの量産技術が確立したという
歴史がありました。この事実はあまりSONYの中でも、世界の半導体の歴史でも知られていません。


CCDの量産技術の立ち上げの時も、いろいろなプロセス担当者の創意工夫があってこそ、最終的に
CCDの量産技術が立ち上がりました。たくさんの無名の量産技術立ち上げ担当者の努力があってこそ
実現したものです。しかし、その努力のなかでも、川名さんの「中ぐり製法」の様な、もうひと工夫がないと
本当の意味の、CCDの量産技術の立ち上げは成功しません。素性のよいプロセスフローの工夫が必要
です。それは透明電極の様な異物を使うのではなく、SONYがほこる Bipolar プロセス技術を継承した,
萩原考案の、P+NPNsub 接合(サイリスタ―)型の受光部だと、萩原はSONYでひとり確信していました。


しかし、まわりには理解してもらえる人はだれもいませんでした。やっと試作の許可ができ、一部の
先輩たちは萩原の熱意に打たれ、たいへん友好的で協力的で萩原にいろいろ教えてくれました。


しかし、管理職の方々はスケジュール管理もたいへん重要であせりが出ていた時代でした。なかなか
できないと、やじを飛ばすのも無理ない状態でした。

しかし、越智さんは、萩原が懸命に頑張っていて、萩原がまわりの人間を引き込み様子を見て、本命の邪魔
をされるのを心配したのか、萩原に対しては、「あまり邪魔をするなよ。」と冷たい態度でした。Image Sensor
開発のTOP責任者としての当然の態度だったのでしょう。


しかし、仕事がうまく行った時は、管理職の方々にその成果は奪われたことになります。失敗していたら、当然
それも管理職の方々の責任になるわけですので、これは当然の道理でしたが、萩原はなにかしっくり行かず、
もの足りない思いで、トンビに油揚げを盗られた思いでした。今ではあまり許される話ではありませんが、当時
の日本の企業の風潮としては、それが当然の様にまかり通っていて、国際社会からは冷たい目で見られて
いました(大涙)。越智さんには「社外の image を使うぞ。」と言っていた森尾さんと、CCDのプロセス部隊には
「ものができないのはCCDのプロセス部隊の責任です。」と岩間社長の前で責任逃れした越智さんのふたりが
萩原考案のPinned Photo Diode 搭載の One Chip CCD Image Sensorが完成した時には、SONYの開発
部隊の総合責任者ということで、SONYを代表して、森尾さんと越智さんが名誉あるライン賞を受賞することに
なりました。実に、トンビに油揚げを盗られた思いで萩原もCCDプロセス担当者も寂しい思いでした。

しかし、見る人は見てくれていたようで、萩原は、翌年、1979年英国Scoltland の Edinbourgh で開催の、
CCD79 の国際会議に招待され、SONY の CCD Image Sensor の 開発第一人者として講演する機会を
いただきました。 

         International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK 

学会で、380Hx488V 画素の発表準備をしていたころには、すでに 570H x 498 V の One Chip FT 方式の 
CCD Image Sensor の開発が社内では完了していましたが、こちらは一体化ビデオカメラに合わせて SONY
は全社をあげて Press Conference で発表することになりました。実際にSONYの盛田会長が New York
で、そしてSONYの岩間社長が東京で同時にPress Conference を開催し、超高感度低雑音で残像なしの、
SONY 独自の発明の Pinned Photo Diode 搭載の 570H x 498 V の One Chip FT 方式の CCD Image
Sensor を発表しました。しかし、マスコミは、「超高感度低雑音で残像なしの、高性能CCD Image Sensor」
として記憶することになり、本当の Super Star のはずの、「超高感度低雑音で残像なしの、SONY 独自の
発明の Pinned Photo Diode」に関しては誰も関心をもつことはありませんでした(大涙)。





光感知素子(受光部)としては CCDは不合格であることをあまり世間では知られていませんでした。
今になりCCDが完全に消え、CMOS Image Sensorになり、世間は、CCDは結局何だったのかと、
半導体物理や半導体デバイスの動作原理を理解していない方々にはその原因が全く理解できなくても
仕方がありません。この急な変化を物理現象として理解するのはそう簡単なものではありません。

じっくりと半導体物理と半導体デバイスの動作原理、ダイオードや太陽電池やトランジスターの動作
原理から、基礎から理解し、CCDの動作原理、そして、 three transistor 回路の source follower
型 active pixel ( picture cell element ) CMOS image sensor の動作原理などの専門知識が
いろいろ必要になります。しっかりと興味ある方は、このWEBサイトに掲載されている資料をじっくり
時間をかけて学習していただければ、幸いです。






世界発の残像のない Interline Transfer 方式の CCD Image Sensor の商品化にSONYは成功。

1980年SONYは世界で最初の残像のない Interline 方式の CCD Image Sensor を開発しました。

光感知部に透明電極を採用し、横型の Overflow Drain 構造でした。これは萩原が設計したものです。
CCDの設計はほとんどが繰り返しパターンの絵素配列がほとんどの Chip 面積を占有します。1人で
CCD image sensor は簡単に 1 週間ぐらいで設計できる data 量でした。その頃は充分な市販の
CADもなく、萩原は独自に中研時代に CCD image sensor の CAD soft ( DSPLAY ) を開発しました。

この残像のない Interline 方式の CCD Image Sensor の商品化の成功により、CCD Image Sensor
の量産技術、測定評価技術、信頼性評価技術、品質保証技術などが確立していきました。そして、
最終的に、1975年に萩原が発明した、Pinned Photo Diode を光感知部(受光部)に採用することに
より、超感度・残像なし・低雑音の Pinned Photo Diode 搭載の CCD Image Sensor が、萩原の技術を
継承した、次の世代の後輩の、浜崎さん・賀川さん・石川さんたちの努力により完成しました。そして、
SONY は SONY original HAD sensor ( HAD = Hole Accumulation Diode )の商標を登録し、その
後、世界の Image Sensor の市場を制覇することになりました。 

萩原作製の CAD は萩原の後輩の竹下さんや松井さんに継承され、初期のソニー厚木工場での CCD 
image sensor の商品開発にも使用されていました。CCD image sensor の出力部の面積は全体の
chip 面積と比較して、ほとんどありません。その出力部の増幅回路は単純な source follower 回路
でした。最終的には、現在の Active Pixel CMOS Image Sensor では、この単純な source follower
回路が各絵素( Picture Cell Element = Pixel ) に組み込まれほど、CMOSのプロセスの微細化が
実現し、現在に至ります。SONY の CCD の商品化の源点はこの萩原の設計した残像なしの Interline
方式の CCD Image Sensor にあります。これでレールはひかれました。後は躍進するのみでした。

当時のSONYのCCD開発部隊はほんの数人での小さな部隊でした。

CCDの設計を担当したのはまだ20代の萩原と粂沢さんの2人だけでした。
CCDの測定評価担当は安藤さんと岡田さんの2人だけでした。
プロセス担当は狩野さん、松本さん、島田さんの3人だけでした。

この 「7人の侍」 からSONYの image sensor の種は蒔かれました。


C. Okada, T. Shimada, H. Matsumoto, T. Ando, Y. Kanoh, T. Kumesawa, Y, Daimon-Hagiwara,

"An Interline Transfer CCD Imager with High Density Structure", (in Japanese) in Tech. Papers,

Institute of Electronics and Communication Engineers of Japan, no.SSD78-5, pp.31-40, April 1978


















Slide 030 Q045 質問45も重要です。

(045) どうして CCD Image Sensor が 急に市場から消えたの
でしょうか?この後この件も関しては詳細に説明します。


Slide 031 Q046 質問46も重要です。

(046) どうして CMOS Image Sensor が Super Star になったので
しょうか?この後この件も関しては詳細に説明します。


Slide 032 Q048 質問48も重要です。

(048) SONY original HAD sensor とは? Pinned Photo Diode とは?
この後この件も関しては詳細に説明します。








Slide 033 Q050 そして、最後になりますが、

(050) 半導体は文明のエンジンであり、SONY の力の根源でもあります。

今その未来はどこへ?

これは未来予測です。未来は今現在の私たちが築くものです。
今、現在生きている我々の責任です。たいへん難しい問題ですね。


















萩原はCalTechに在学中、1972年から1975年にかけて PhDの研究テーマとして 埋め込みチャンネル型の
CCD の動作解析を課題にしました。その中で、CalTechにある当時としては最新鋭の IBM360の汎用の
科学計算用にコンピュータを使って、X軸、Y軸と時間軸T軸の三次元空間で、X軸とY軸のポアソンの方程式
とX軸とT軸の連続方程式を総合結合されて連立方程式を数値解析する Fortran Programを作製し、計算
解析し、その解析結果を、 Caltech の ジェット推進研究所(JPL)にある、動画作製用の特殊 Computer
Graphic 作製装置を使い、5分程度の 36ミリ Film の動画のしてまもめました。萩原の母校のcaltechは
Los Angeles の郊外の Pasadena市にありますが、そのお隣りに Holywoodがあります。そこで 36ミリの
Film を Holywoodにある映画会社で 16 ミリ film にして学会でも放映できるようにしました。1974年の2月
に Philadelpha で開催された、世界最大の固体素子集積回路の国際会議のISSCC1974 で発表しています。


このX軸、Y軸と時間軸T軸の三次元空間での数値計算法は、SONYで萩原がCCD部隊に配属されてからも
その解析技術は後輩の浜崎さんたちのグループに継承されることになり、SONY original HAD sensor の
開発を支える解析技術の基礎となりました。SONYでは商標登録し、SONY original HAD sensorと呼んで
いますが、世間一般には、 Pinned Photo Diode と呼ばれるもので、その構造解析に萩原がPhD学生時代
に作製して、萩原開発の解析プログラム技術を継承する事により、後輩の浜崎さんのチームは活躍しました。




萩原は CatTech 在学中、恩師の Prof. C. A. Mead から MOS デジタル回路の設計技術を学びました。

その技術は、CalTechの卒業生の Dr.Goodon Mooreが創設した Fairchild社と Intel社の誇る設計技術
と共通する CalTechの遺伝子を継承したものです。

萩原が人工知能(AI)に興味を持ったのは当時まだ24歳だった1972年のことでした。この128ビットのデジタル
dataの高速比較判定機能を持つMOS集積回路の設計は萩原の人生を大きく左右する結果となりました。

人工知能から賢い電子の目の開発から、人工知能を支えるデジタル回路の世界へと、萩原の夢は膨らんで
いきました。そして現在に至ります。萩原も70歳になりました。あれから46年が過ぎました。しかし今でも
萩原は人工知能パートナーシステム(AIPS)を支えるデジタル回路の世界の中で夢を膨らませています。 




*****************************





**************************************

 特別半導体技術講座  「イメージセンサー、賢い電子の目」 の復習用質問リストです。

    Basic Review Question List on the Image Sensor, the Smart Electric Eye.

**************************************


***********************
PART ONE 半導体物性基礎
***********************



(001) 金属とは?

Q001 What is a metal ?


(002) 光電効果とは?

Q002 What is the photo electron effect ?


(003)金属のWork Function とは?

Q003 What is the Work Function in metal ?


(004) コンデンサーとは?

Q004 What is the capacitor ?


(005) 誘電率とは?

Q005 What is permittivity ?


(006) 抵抗とは?

Q006 What is resistor ?


(007) 抵抗率とは?

Q007 What is resistivity ?


(008) 半導体とは? Energy Gap とは?

Q008 What is Eneryg Gap ?


(009) Donor型不純物金属とは?

Q009 What is the Donor type impurity metal atom ?


(010) Acceptor型不純物金属とは?

Q010 What is the Accepor type impurity metal atom ?


***********************
PART TWO 半導体素子基礎
***********************


(011) N型半導体とは?

Q011 What is the N type semiconductor ?


(012) P型半導体とは?

Q012 What is the P type semiconductor ?


(013) Donor型とAcceptor型不純物金属のペアとは?

Q012 What is the Pair of the Donor type and Acceptor type impurity metal atoms ?


(014) PN接合とは? NP接合とは?

Q014 What is a PN junction ? What is a NP junction ?


(015) 空乏層とは?

Q015 What is a depletion layer ?


(016) Bipolar Transistor とは?

Q016 What is a Bipolar Transistor?


(017) Bipolar Transistor の ON 抵抗とは?
  
    SONYの川名喜之さん発明の「中ぐり製法」とは?

Q017 What is the ON resistor of a Bipolar Transistor?

    What is the silicon chip back side center thinning method

    which was invented by Yoshiyuki Kawana at Sony ?


(018) Bipolar Transistor の入力抵抗とは?

Q018 What is the input resistor of a Bipolar Transistor?


(019) SONY の Transistor の開発史を知っていますか?

Q019 Do you know the history of the SONY Efforts for Transistor Developments ?


(020) Ge Transistor とは? Silicon Transistor とは?

    米国 Texas Instrument 社のキルビー特許とは?

Q020 What is Ge Transistor ? What is Si Transistor ?

    米国 Texas Instrument 社のキルビー特許とは?



*************************
PART THREE 半導体回路基礎
*************************

(021) Emitter Follower 回路とは?

Q021 What is Emitter Follower circuit ?


(022) Bipolar Transistor の線形増幅回路とは?

Q022 What is Bipolar Transistor Linear Amplifier circuit ?


(023) Planor Transistor とは?

Q023 What is Planor Transistor ?


(024) MESA Transistor とは? 

    SONYの加藤俊夫さん発明のAdvance Passivation MESA 製法とは?

Q024 What is MESA Transistor ?

    What is the Advanced Passivation MESA fabrication method

    which was invented by Toshio Kato at Sony ?

(025) MOS Transistor とは?

Q025 What is MOS Transistor ?


(026) Pass Transistor とは?

Q026 What is Pass Transistor ?


(027) MOS Transistor の入力容量とは?

Q027 What is the input capacitance of an MOS Transistor ?


(028) 自己整合型 Source/Drain MOS プロセスとは?

Q028 What is the self sligned Souce/Drain Formation type MOS fabrication process ?


(029) Source Follower 回路とは?

Q029 What is Source Follower circuit ?


(030) Inverter 回路とは?

Q030 What is Inverter circuit ?



*******************************
PART FOUR 半導体デジタル回路基礎
*******************************

(031) NAND 回路とは? AND 回路とは?

Q031 What is NAND circuit ? What is AND circuit ?


(032) NOR 回路とは? OR 回路とは?

Q032 What is NOR circuit ? What is OR circuit ?


(033) 比較回路とは?

    高速並列処理128 bit dara stream 比較回路とは?

Q033 What is a comparator circuit ?

    What is the fast pararell 128 bit digital data stream comparator circuit ?


(034) Shift Register 回路とは?

Q034 What is a Shift Register circuit ?


(035) Memory 回路とは?

Q035 What is a Memory circuit ?


(036) SRAM 回路とは?

    どこの会社が世界で最初にSRAM chipの商品化に成功したのか?

Q036 What is a SRAM circuit ?

    Which company made the SRAM chip business for the first time ?


(037) DRAM回路とは?

    どこの会社が世界で最初にDRAM chipの商品化に成功したのか?


Q037 What is a DRAM circuit ?

    Which company made the DRAM chip business for the first time ?


(038) DRAM回路の開発歴史を知っていますか?

Q038 Do you know the history of the DRAM Circuit Development Efforts ?


(039) MOS Image Sensor の開発歴史を知っていますか?

Q039 Do you know the history of the MOS Image Sensor Development Efforts ?


(040) MOS Image Sensor の問題点は何だったのでしょうか?

Q040 What were the problems of the MOS Image Sensor ?


*******************************
PART FIVE 半導体固体撮像素子基礎
*******************************

(041) どうして CCD Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?

Q041 Why and how did the CCD Image Sensor become the Super Star ?


(042) SONY の CCD Image Sensor の開発史を知っていますか?

Q042 Do you know the history of the SONY CCD Image Sensor Develoment Efforts ?


(043) CCD Image Sensorを支えた重要な技術は何だったのでしょうか?

Q043 What were the supporting techology behind the curtain for CCD Image Sensors ?


(044) SONYのCCD Image Sensor搭載デジカメの開発史を知っていますか?

Q044 Do you know the history of the SONY CCD type Digital Camera Develoment Efforts ?


(045) どうして CCD Image Sensor が 急に ビデオカメラ市場から消えたのでしょうか?

Q045 Why did the CCD Image Sensor disappear from the video camera market suddenly ?


(046) どうして CMOS Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?

Q046 Why and how did the CMOS Image Sensor become the Super Star ?


(047) CMOS Image Sensorを支えている重要な技術は何なのでしょうか?

Q047 What were the supporting techology behind the curtain for CMOS Image Sensors ?


(048) SONY original HAD sensor とは? Pinned Photo Diode とは?

Q048 What is SONY original HAD sensor ?  What is the Pinned Photo Diode ?


(049) 今のSONYの半導体技術の強みはどこから生まれたのですか?

Q049 Where did the strength of SONY Semiconductor Technology come from ?


(050) 半導体は文明にエンジンであり、SONYの力の根源でもあります。今その未来はどこへ?

Q050 The semiconductor technology is the Engine of our Civilization,
    and the Semiconductor Technology is also the Source of SONY Power.
    Where is the future of the SONY Semiconductor Technology going now ?




以上です。


*************************************

  この講義に関する参考文献のLISTです。

*************************************

*******************************************************************

See three invited talks related to SONY HAD sensor now called also as Pinned Photo Diode.

(1) International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK

(2) International Conference ESSCIRC2001 in Vilach, Austria.

(3) International Conference ESSCIRC2008 in Edinburgh, Scotland UK

*******************************************************************

Hagiwara was invited in these international conferences because of his contributions

to the image sensor community and related digital system LSI chip design works.

*******************************************************************


**********************************************************************

SONYの萩原良昭が1975年に出願したPinned Photo Diode の発明特許以前の

固体撮像素子の開発研究に関する重要な学会発表論文リスト

**********************************************************************


J.Bardeen and W.H.Brattain, "Transistor: A Semiconductor Triode",
Physical Review, VOl.74, p.230, July 1948.

W.Shockley, "The theory of p-n Junction in Semiconductor and p-n
Junction Transistor", Proc. IEEE Vol.51, pp.1190-1202, September 1949.

S.R.Hofstein and F.P.Heiman, "The Siliocn Insulated-Gate Field Effect
Transistor", Proc. IEEE Vol.51, pp.435-1202, September 1963


Gordon E. Moore, "Cramming more components onto integrated circits", Electronics,
Vol.38, No.8, April 19, 1965.

M.A.Schuster and G.Strull, " A Monolithic Mosaic of Photo Sensors for Solid
State Imaging Application", IEEE Trans. Electron Devices, Vol.ED-13, No.12, 1966


A. S. Grove, “Physics and Technology of Semiconductor Devices,”
John Wiley and Sons, Inc., New York pp.136-140, no.267, 1967.

P.K.Wiener, et al "A self-Scanned Solid State Image Sensor", in Proc. IEEE,
Vol 55, No.9, 1967.

G.P.Weckler, "Operation of PN Junction Photo Detectors in a Photon Flux
Integrating Mode", IEEE J. Solid State Circuits. Vol2, pp.65-73, September 1967.

P.J.W. Noble, "Self-Scanned Silicon Image Dector Arrys", IEEE Trans. Electron
Devices, Vil.ED-15, No.4, pp.202-209,1968.


S.G. Chamberlain, "Photosensitivity and Scanning of Silicon Image Detector
Arrays" IEEE J.Solid State Circuits, Vol.SC-4, No.6, pp.333-342, 1969.

F.L.J.Sangster and K.Teer, "Bucket Brigate Electronics - New Possibilities
for Delay Time-Axis Conversion and Scanning", IEEE J.Solid-State Circuits,
VOl.SC-4, No.3, pp.131-136, 1969.



W. S. Boyle and G. E. Smith, “Charge-Coupled Semiconductor Devices,”
Bell Syst. Tech. J., 49, pp.587-593, 1970.



W.M.Regitz and J.Karp, "A Three-transistor-cell, 1024 bit, 500 nsec
MOS RAM", ISSCC1970, Feb. 1970

F.L.J. Sanger, "Integrated MOS and Bipolar Analog Delay Lines using
Bucket Brigate Capacitor Storage", ISSCC1970, pp.74-75, 185, Feb. 1970.

G.F.Amelio, M.F.Tompsett and G.E.Smith, "Experimantal Verification of the
Charge Coupled Semiconductor Devices", B.S.T.J.Vol.49,pp.587-593,Apr. 1970

W.M.Regitz and J.Karp, "A Three-transistor-cell, 1024 bit, 500 nsec
MOS RAM", IEEE JSSC, VOl.SC-5, No.5, pp.181-186, October 1970.


W.F.Kosonocky and J.G.Carns, " Charge Coupled Digital Circuits", ISSCC1971,
pp.161-163, February 1971

G. F. Amelio, W. J. Bertram, Jr., and M. F. Tompsett,
“Charge-Coupled Imaging Devices: Design Considera- tions,”
IEEE Trans. Electron Devices, ED-18, no.11, pp.986-992, 1971.

M.F.Tompsett, et al "Charge Coupled Imaging Devces Experimental Results",
IEEE Trans. Electron Devices, Vol. ED-18, No.11, pp.992-996, 1971.

J.E.Carnes, "Drift-Aiding Fringing Fields in Charge Coupled Devices", IEEE J.
Solid State Circuits, Vol.SC-6, No.5, pp.322-326, 1971.

W.F.Kosonocky and J.G.Carns, " Charge Coupled Devices" ISSCC1972,
pp.132-133, February 1972.

C.H.Sequin, "Blooming Supression in Charge Coupled Area Imaging" Bell Sys.
Tech. J., 51, oo. 1923-1926, 1972.


J.D.Plummer and J.D.Meindl, " A Low-Light-Level Self-Scanned MOS Image
Sensor" ISSCC1972 Dig.Tech.Paper pp.30-31, February 1972.

J. E. Carnes and W. F. Kosonocky,
“First Interface-State Losses in Charge-Coupled Devices,”
Appl. Phys. Lett., vol.20, pp.261-263, 1972.

J. E. Carnes and W. F. Kosonocky,
“Noise Sources in Charge-Coupled Devices,”
RCA Review, vol.33, pp.327-343, 1972.


R. H. Walden, R. H. Krambeck, R. J. Strain, J. McKenna,
N. L. Schryer, and G. E. Smith, “The Buried Channel Charge
Coupled Devices,” Bell Syst. Tech. J., no.51, pp.1635-1640, 1972.

G. F. Amelio, “Physics and Applications of Charge Coupled Devices,”
IEEE INTERCON, New York, Digest, vol.6, paper 1/3, 1973.

D. M. Erb, W. Kotyczka, S. C. Su, C. Wang, and G. Clough,
“An Overlapping Electrode Buried Channel CCD,”
IEDM, Washington, D.C., Tech. Digest, pp.24-26, 1973.

W. F. Kosonocky and J. E. Carnes,
“Two Phase Charge Coupled Devices with Overlapping Polysilicon
and Aluminum Gates,” RCA Review, vol.34, pp.164-202, 1973.

D.M.Erb,W.Kotyczka, S.C. Su, C.Wamg and G.Clough, "An Overlapped
Electrode Buried Channel CCD", IEDM1973, Dec 3-5, 1973.

S. R. Shortes et al., “Development of a thinned backsideilluminated
charge-coupled device image,” in Proc. IEDM1973, Dec. 1973, p. 415.


N.G. Vogi, et al "A Half-Million Pel Bucket Brigate Optical Scanner",
ISSCC1974, pp. 30-31, February 1974.

P. A. Gray and H. Coltman, “Back surface imaging of thinned CCDs,”
in Proc. CCD, 1974, pp. 162–167.



J. Lohstroh, "The JFET as a Photosensitive Cell in Image Sensor Arrys",
ISSCC1974, pp. 34-35, February 1974.

M.H. White, "Characterization of Surface CHannel CCD Image Arrays at
Low Light Level", IEEE J. Solid State Circuits, Vol.SC-9, No.1, pp.1-12, 1974.

A. W. Lees and W. D. Ryan, “A Simple Model of a Buried-Channel
Charge-Coupled Device,” Solid-State Electron., vol.17, pp.1163-1169, 1974.


C. H. Sequin, F. J. Morris, T.A. Shankoff, M. F. Tompsett, and E. J. Zimany,
“Charge-Coupled Area Image Sensor Using Three Levels of Polysilicon,”
IEEE Trans. Electron Devices, ED-21, pp.712-720, 1974.


M. H. White, D. R. Lampe, F. C. Blaha, and I. A. Mack,
“Characterization of Surface Channel CCD Imaging Arrays
at Low Light Levels,” IEEE Trans. Solid-State Circuits,
SC-9, pp.1-13, Feb. 1974.


D. F. Barbe, “Imaging Devices Using the Charge-Coupled Concept,”
Proc. IEEE, vol.63, no.1, pp.38-67, 1975.

C. H. Sequin and M. F. Tompsett, “Charge Transfer Devices,”
Academic, New York, 1975.


James M. Early ( Fairchild Camera and Instrument Corporation, USA ) "Charge
Coupled Device with Overflow Protection", USP 3896485, July 22, 1975.
Hagiwara
had to protect his 1975 Japanese patent ( 1975-127647 ) on the P+NPNsub
Junction (Thyristor ) type Light Detecting Picture Cell Structure agaist this
Fairchild Early USP 3896485 patent. The SONY-Fairchild Patent War lasted from
1991 till 2000. Finally, Sony won the Patent war over Fairchild. But during the
long period of 10 years, Hagiwara felt as if he was in Jail and could not perform
any important job tasks in Sony at all.




**********************************************************************

            SONYの萩原良昭が1975年に出願した

  Pinned Photo Diode の発明特許に関する重要な学会関連技術発表リスト

**********************************************************************

Hagiwara ISSCC1974 Paper on "Buried Channel CCD Charge Transfer"
February 1974 in Philadelphia, USA. This was Hagiwara PhD thesis paper
at California Institute of Technology (CalTech) Pasadena, California USA>

Hagiwara, 1975 Japanese Patent ( JA 1975-127647 ) at SONY
   on the Pinned Photo Diode with Back Light Illumination

Hagiwara, 1975 Japanese Patent ( JA 1975-134985 ) at SONY
   on the Pinned Phodo Diode with Vertical Overflow Drain Function

C.A.Mead, R.D.Pashley,Lee D. Britton, Yoshiaki T.Daimon Hagiwara and
S.F. Sando, "128-Bit Multicomparator", J. Solid State Circuits, Vol.SC-11,
No.5, October 1976. This is important for intelligent image sensor systems.

Hagiwara, 1978 Solid State Semiconductor Device Conference Paper on
"Narrow Channel Frame Transfer CCD Image Sensor" at Tokyo, Japan .
This is the first paper in the world reporting the P+NP type ( dynamic
PNP junction ( photo transistor ) type light detecting picture element
structure, which was later called as the Pinned Photo Diode.

Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada, “A 380Hx488V CCD imager
with narrow channel transfer gates,” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18,
supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.


Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

Fumio Miyaji, Yasushi Matsuyama, Yoshikazu Kanaishi, Katsunori Senoh,
Takashi Emori and Yoshiaki Hagiwara, "A 25 nanosec 4 Mega bit CMOS
RAM with DYnamic Bot-Line Loads", ISSCC1989 and J.Solid State Circuits,
Vol24, No.5, October 1989. This wad for Cache SRAM memory for SONY
Compact Digital CCD Image Sensors.

Y. Hagiwara, “High-density and high-quality frame transfer CCD imager
with very low smear, low dark current and very high blue sensitivity,”
IEEE Trans. Electron Devices, vol. 43, no. 12, pp. 2122–2130, Dec. 1996.


Hagiwara, ESSCIRC2001 invited paper on "SONY Consumer Electronics"
   at Vilach, Austria

Hagiwara, ESSCIRC2008 invited paper on "SOI Cell Processor and Beyond"
  at Edinburgh, Scotland UK

Hagiwara, the 60th Aniversary ISSCC2013 Plenary Panel Talk,
  at San Franicisco, USA




   この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   1978年の初夏でした。萩原1975年発明のPinned Photo Diode 搭載の 
   FT型CCD Image Sensor の一体化ビデオカメラをSONYは新聞発表。

   盛田会長が自らNewYorkで、岩間社長が自らTokyoで、同時に、
   Press Conference を開催し、多くの新聞・テレビ・雑誌記者の前で、
   大きく、新しい民生用小型ビデオカメラの時代を宣言しました。


   しかし、ここでも、盛田会長と岩間社長は一般メディアに対しては
   全体としてCCD Video Camera が高感度であることには変わりが
   ないことから、一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   ソニーは、萩原設計の 2-chip型の Interline 方式のCCD image
   sensor の商品化に成功し、全日空(ANA)のジャンボジェット機の
   コックピットに搭載し、飛行機の離着陸時の様子を機内のビデオ
   スクリーンで迫力ある、real time の映像を見ることができました。
   この 2-chip型の Interline 方式のCCD image sensor は 透明
   電極を使用し、横型OFD構造でした。受光部は透明電極を使用
   したCCD型の光感知素子構造を採用しており、CCDの完全空乏化
   電荷転送により残像のない、Interline 方式のCCD image sensor
   をSONYは既に1980年に実用化してビデオカメラに搭載しています。

   その後、萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知素子
   構造も、萩原1975年特許の中で説明している様に、CCDでなくても、
   このPinned Photo Diode の光感知素子構造も、完全空乏化電荷
   転送により残像がありません。かつ、光感度はCCD型よりもはるかに
   超感度です。CCD型では、シリコン界面に強い電界がかかり、表面
   再結合準位の存在の為に、CCD型では表面結合の暗電流が多い
   でしたが、この萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知
   素子構造では、表面は外部から電圧固定(ピン止め)されていて
   電界がかからず、表面再結合準位が不活性(quench)され、表面
   再結合による暗電流がありません。また表面捕獲準位の影響も
   受けず、 trap 雑音、 1/f 雑音もない、超感度で低雑音を実現
   しています。


   ソニーは、当初から本命とされる Interline 方式のCCD Image sensor
   の開発生産技術と信頼性技術に全力を注ぎ、世界発のPassportサイズ
   の小型ビデオカメラの試作生産販売を成し遂げました。ビデオカメラ
   の市場を制覇独占しました。萩原1975年発明の、この高性能光感知
   素子構造が CCD Image Sensor を助け、CCDの延命に長く寄与しま
   した。そして、その勢いは現在も継続し、SONY Brand 商標の SONY
   original HAD sensor 搭載の CMOS Image Sensor の技術力と生産
   力の基礎となっています。さらに裏面照射型は、1975年萩原がこの特許
   の中で構想していたもので、現在の「賢い電子の目」の実現の源点です。
  

   Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

 この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


この開発研究チームは国内の学会でその詳細を発表しています。


平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.



Hagiwara, ESSCIRC2001 invited paper on "SONY Consumer Electronics"
   at Vilach, Austria

Hagiwara, ESSCIRC2008 invited paper on "SOI Cell Processor and Beyond"
  at Edinburgh, Scotland UK

Hagiwara, the 60th Aniversary ISSCC2013 Plenary Panel Talk,
  at San Franicisco, USA


**********************************************************************

SONYの萩原良昭が1975年に出願したPinned Photo Diode の発明特許以後の

固体撮像素子の開発研究に関する重要な学会発表論文リスト

**********************************************************************

Gilbert F. Amelio ( Fairchild Camera and Instrument Corporation, USA )
"Self Aligned CCD Element including Two Levels of Electrondes and
Method of Manufacture therefor" USP 3931674, Jan 13, 1976.

This Amelio patent (USP3931674) which was judged invalid by the prior
art of USP3745647 by Boleky and by IEDM1973 paper by D.M.Erb,
W.Kotyczka, S.C.Su, C.Wamg and G.Clough, "An Overlapped Electrode
Buried Channel CCD", IEDM1973, Dec 3-5, 1973.


T. Yamada, H. Okano, and N. Suzuki, “The Evaluation of Buried Channel Layer
in BCCD’s,” IEEE Trans. Electron Devices, ED-25, no.5, pp.544-546, 1978.


J. Hynecek, “Virtual phase CCD technology,” in Proc. IEDM1979, pp. 611–614,
Dec. 1979,


J.Nishizawa, et al, "Static Induction Transistor Image Sensors", IEEE Trans.
Electron Devices, Vol.ED-26, No.12, pp.1970-1977, 1979.

A. Furukawa, Y. Matsunaga, N. Suzuki, N. Harada, Y. Endo, Y. Hayashimoto, S. Sato,
Y. Egawa, and O. Yoshida, “An Interline Transfer CCD for A Single Sensor 2/3” Color
Camera,” IEDM, Washington, D. C., Tech. Digest, pp.346-349, 1980.


K.Hoshi, T.Suzuki, Y.Okubo and N.Isawa, "CZ Siliocn Crystal grown in Transverse
Magnetic Fields", 157th ECS Mtg Ext. Abstract, pp.811-813, May 1980.


T.Asada and F.Nagumo, "A New CCD Digital Color Camera using Direct Encoding
Method", Int. Conf. on Digital Signal Processing, September 2-5, 1981, Florence Italy.



Y. Ishihara, E. Oda, H. Tanigawa, N. Teranishi, E. Takeuchi, I. Akiyama, K. Arai,
M. Nishimura, and T. Kamata, “Interline CCD Image Sensor with an Anti Blooming
Structure,” ISSCC Digest of Technical Papers, pp.168-169, Feb. 1982.

N. Teranishi, A. Kohno, Y. Ishihara, E. Oda, and K. Arai, “No Image Lag Photodiode
Structure in the Interline CCD Image Sensor,” IEDM Tech. Dig., pp.324-327, 1982.

Y.Ishihara and K.Tanigaki,"A High Photosensitivity IL-CCD Image Sensor with
Monolithic Resin Lens Array", IEDM1983 Tech. Dig, pp.497-500, December 1983.

B.C. Burkey et al, "The Pinned Photo Diode for an Interline Transfer Image Sensor",
IEDM1984, DIg.Tech.Papers, pp.28-31, December 1984.

K. Horii, T. Kuroda, and S. Matsumoto, “A New Configuration of CCD Imager with a
Very Low Smear Level -FIT-CCD Imager,” IEEE Trans. Electron Devices, ED-31, no.7,
pp.904-909, 1984.

Y. Matsunaga and N. Suzuki, “An Interline Transfer CCD Imager,” ISSCC Digest of
Technical Papers, pp.32-33, Feb. 1984.

M.Ogawa et al, "Signal-PRocesiing ICs employed in a Single-Chip CCD Color Camera",
IEEE TRansaction on Consumer Electronics, Vol.CE-30, No.3, pp.374-381, Aug.1984


T.Kumezawa et al, "High Resolution CCD Image Sensors with Reduced Smear", IEEE
transaction on Electron Devices, VOl. ED-32, No.8, pp.1451-1456,1618, Aug. 1985.

Y.Ogawa et al, "Development of CCD Imaging Block for Single Chip Color Camera",
IEEE Transaction on Consumer Electronics, Vol.CE-31, No.3, pp.405-413, Aug. 1985


T.Nakamura,"A New MOS Image Sensor Operating in a Non-destructive Readout
Mode", IEDM1986, Tech.Dig. pp.353-356, December 1986.


M.Yamamura et al, "A 1/2 inch CCD Imager with 510 x 492 pixels", SPIE Vol.765
Image Sensors and Displays pp.41-46, Jan 13-14, 1987.

T. Yamada, K. Ikeda, and N. Suzuki, “A Line-Address CCD Image Sensor,”
ISSCC Digest of Technical Papers, pp.106-107, Feb. 1987.


T. Yamada, T. Yanai, and T. Kaneko, “2/3 Inch 400,000 Pixel CCD Area Image Sensor,”
Toshiba Review, no.162, pp.16-20, Winter 1987.


N. Teranishi and Y. Ishihara, “Smear Reduction in the Interline CCD Image Sensor,”
IEEE Trans. Electron Devices, ED-34, no.5, pp.1052-1056, 1987.


A.J.P.Theuwissen et al, "A 400K Pixel 1/2 inch Accorion CCD Imager", ISSCC1988,
Dig.Tech.Papers, pp.48-49, February 1988.

M. Hamasaki, T. Suzuki, Y. Kagawa, K. Ishikawa, M. Miyata, and H. Kambe,
“An IT-CCD Imager with Electronically Variable Shutter Speed,” ITEJ Technical
Report, vol.12, no.12, pp.31-36, 1988.

H.Yamashita et al, "A New High Sensitivity Photo-transitor for Area
Image Sensors", IEDM1988 Tech Dig pp.353-356, December 1988.

J.Hynecek, "A New Device Architecture Suitable for High-Resolution
and High Performance Image Sesnors", IEEE Trans, Electron Devices,
Vol.35, No.5, pp.646-652, 1988.

N.Tanaka, et al,"A Novel Bipolar Imaging Device with Self-NOise Reduction
Capability", IEEE Trans. Electron Devices, Vol.36, No.1, pp.31-38, 1989

K.Yonemoto et al, "A 2 million Pixel FIT-CCD Image Sensor for HDTV
Camera System" IEEE ISSCC1990, pp.214-216, February 1990.


F.Andoh et al,"A 250 000 Pixel Image Sensor with FET Amplification
at Each Pixel for High Speed Television Cameras", ISSCC1990, Dig.Tech.Papers
pp.212-213, February 1990.

Eric G. Stevens et al, "A One Mega Pixel Progressive Scan Image Sensor with
Antiblooming Control and Lag-Free Operation", IEEE Trans. Electron Devices,
Vol38, No.5, pp.981-988, 1991.


K.Ishikawa and T.Iizuka, "One inch 2M pixel CCD with Hyper HAD sensor and
Camera System for HDTV", SPIE proc. Vol. 1656, pp.30-40, February 1992.


T. Ishigami, A. Kobayashi, Y. Naito, A. Izumi, T. Hanagata, and K. Nakashima,
“A 1/2-in 380k-pixel Progressive Scan CCD Image Sensor,” ITE Technical Report
Vol.17, no.16, pp.39-44, Mar. 1993.

P.B.Denyer et al, "CMOS Image Sensors for Multimedia Applications", IEEE
Constum Integrated Circuits Conference 1993, Proc. of CICC1993,
pp.11.5.1-11.5.4, 1993.

H.Kawashima et al, "A 1/4 inch Format 250K Pixel Amplified MOS Image Sensor
Using CMOS Process", IEDM1993, Tech. Dig. pp.575-578, December 1993.

S.K.Mendis et al, "128 x 128 CMOS Active Pixel Image Sensor for Highly Integrated
Imaging Systems", IEDM1993, Tech. Dig. pp.583-586, December 1993.

E.R.Fossum,"Active Pixel Sensors: Are CCD's dinosaurs ?" , in Proc. SPIE,
Vol.1900, pp.2-14, 1993.


Hitachi MOS Image Sensor Engineers and Intel MOS Process Engineers all knew
that eventually the scaled down MOS Process Technology will conquer all other
kinds of Process Technologies including CCD image sensor technology, because
of the power consideration and scaled down dimensional advantage of CMOS
process technology. The three transistor CMOS active picture cell was already
invented as, since the three-transistor circuit is identical to, the three-transitor
circuit of the DRAM cell, with the active source follower type current amplification.
Fossum was just a commentator in his SPIE 1993 paper above, emphasizing the fact
and speculations that the original image sensor experts and engineers all knew in 1970s.

Fossum did not the develop the compact digital CMOS image sensors. Sony delligent
engineering team did. Fossum was just a commentator on the well known speculations.



R.H.Nixon et al, "128 x 128 CMOS Photodiode Type Active Pixel Sensor
with On-ChipTiming Ccntrol and Signal CHain Electronics", in Proc. SPIE,
Vol.2415, pp.117-123, 1995.

S. Kawai et al, "Photo Response Analysis in CCD Image Sensors with a VOD
Structure", IEEE TRans. Electron Devices, VOl.42, No.4, pp.652-655, 1995.


Paul P. K. Lee et al, "An Active Pixel Sensor Fabricated Using CMOS/CCD
Process Technology", in Proc. IEEE Workshop on CCDs and Advanced
Image Sesnors", 1995.


S.Kawahito et al,"A Compressed Digital Output CMOS Image Sensor with
Analog 2-D DCT Processors and ADC/Quantizer",ISSCC1997, Dig.Tech.Papers,
pp.184-185, February 1997.


T. H. Lee, R. M. Guidash, and P. P. Lee, “Partially pinned photodiode
for solid-state image sensors,” U.S. Patent 5,903,021, Jan. 1997.

R. M. Guidash, “Active pixel image sensor with shared amplifier
readout,” U.S. Patent no. 6,107,655, Aug. 1997.


Walter F. Kosonocky et al, "360 x 360 Element Three-Phase Very High
Frame Rate Burst Image Sesnor, Design, Operation and Perfomance",
IEEE Trans. Electron Devices, Vol.44, No.10, pp.1617-1624, 1997.

R.M.Guidash et al, "A 0.6 um CMOS Pinned Photo Diode Color Imager
Technology", IEDM1997, Tech. Dig. pp.927-929, December 1997.

M.Loinaz, et al, "A 200mW 3.3V CMOS Color Camera IC Producing
352 x 288 24b Video at 30 Frames/sec", ISSCC1998, Dig.Tech.Papers,
pp.168-169, February 1998.


Guang Yang, Orly Yadid-Pecht, Chris Wrigley, and Bedabrata Pain ,
"A Snap-Shot CMOS Active Pixel Imager for Low-Noise, High-speed
Imaging", IEDM1998, December 1998.


F.Andoh et al, "A Digital Pixel Image Sensor with 1 bit ADC and
8 bit Pulse Counter in Each Pixel", International Image Sensor
Workshop, P1, 1999.


K. Yonemoto et al, "A CMOS Image Sensor with a Simple FPN
Reduction Technology and a Hole Accumulation Diode", ISSCC2000,
Dig.Tech.Papers, pp.102-103, February 2000.

T. Yamada, Katsumi Ikeda, Y. G. Kim, H. Wakoh, T. Toma, T. Sakamoto,
K. Ogawa, E. Okamoto, K. Masukane, K. Oda, and M. Inuiya, “A progressive
Scan CCD Image Sensor for DSC Applications,” IEEE J. of Solid-State
Circuits, vol.35, no.12, pp.2044-2054, 2000.

M.Furuyama et al,"High Sensitivity and No Crosstalk Pixel Technology
for Embedded CMOS Image Sesnor", IEEE Trans. Electron Devices,
Vol.48, No.10, 2001.



T.Miida,"A 1.5 M Pixel Imager with Localized Hole-Modulation Method",
ISSCC2002, Dig.Tech.Papers, pp.42-43, February 2002.

T. GOji Etoh,"A CCD Image Sensor of 1Mframe/sec for Continuous
Image Capturing 103 Frames", ISSCC2002, Dig.Tech.Papers, pp.46-47,
February 2002.


T.Sugiyama et al, "A 1/4 inch QVGA Color Imaging and 3-D Sensing
CMOS Sensor with Analog Frame Memory", ISSCC2002,Dig.Tech.Papers,
pp.434-435, February 2002.


A. Theuwissen, "50 years of Solid State Image Sensors",
ISSCC2003, Dig.Tech. Papers, S26, February 2003.


I. Inoue et al., “Low-leakage-current and Low-operating-voltage
Buried Photodiode for a CMOS imager,” IEEE Trans. Electron Devices,
vol. 50, no. 1, pp. 43–47, Jan. 2003.

K.Mabuchi,N.Nakamura, E.Funatsu,T.Abe,T.Umeda,T.Hoshino,R.Suzuki,
H.Sumi, "CMOS Image Sensor Using a Floating Diffusion Driving Buried
Photo Diode", ISSCC2004, pp.112-113, February 2004.

H.Takahashi et al, "A 3.9 um Pixel Pitch VGA Format, 10 bit Digital
Image Sensor with 1.5 Transistor /Pxcel", ISSCC2004, pp.108-109, Feb. 2004.

M.Mori et al, "A 1/4 inch 2M Pixel CMOS Image Sensor with 1.75
Transistor/Pixel", ISSCC2004, pp.110-111, February 2004.


Nana Akahane, Rie Ryuzaki, Satoru Adachi, Koichi Mizobuchi,
Shigetoshi Sugawa, "A 200dB Dynamic Range Iris-less CMOS Image
Sensor with Lateral OverflowIntegration Capacitor using Hybrid Voltage
and Current Readout Operation", ISSCC2006, pp.300-301, Feb.7, 2006.

Shin Iwabuchi et al,"A Back illunated High Sensitivity Small Pixel
Color CMOS Image Sensor with Flexible Layout of Metal Wiring",
ISSCC2006, pp.302-303, Feb.7, 2006

Y. Nitta et al, "High Speed Digital Double Sampling with Analog CDS
on Column parallel ADC Architecture for Low Noise Active Pixel Sensor",
ISSCC2006, pp.500-501, Feb. 8, 2006

S.Yoshihara et al, "A 1/1.8 inchi 6.4 Mega Pixel 60 frames/sec CMOS
Image Sensor with Seamless Mode Change", ISSCC2006, Dig.Tech.Papers
pp.1984-1993, February 2006.


K.Cho et al, " A 1/2.5 inch 8.1 Mega Pixel CMOS Image Sesnor for
Digital Camera",ISSCC2007, Dig.Tech.papers pp.508-509, February 2007.


S-H Cho et al, "Optoelectronic Investigation for High Performance 1.4 um
pixel CMOS Image Sensors", International Image Sensor Workshop (IISW2007),
June 6-10, 2007.

Xinyang Wang, Padmakumar R.Rao, and Albert J.P. Theuwissen,
"Characterization of the Buried CHannel NMOS Source Followers
in CMOS Image Sesnors", International Image Sensor Workshop
(IISW2007), June 6-10, 2007.

Shoji Kawahito and Nobuhiro Kawai, "Column Parallel Signal
Processing Techniues for Reduing Thermal and RTS Noises in
CMOS Image Sensors", International Image Sensor Workshop
(IISW2007), June 6-10, 2007.

G.Agranov et al, "Super Small Sub 2 um Pixels for Novel CMOS
Image Sensors", International Image Sensor Workshop (IISW2007),
June 6-10, 2007.

J.Prima et al, "A 3 Mega Pixel Back illuminated Image Sensor
in 1T5 Architecture with 1.45 um Pixel Pitch", International
Image Sensor Workshop (IISW2007), June 6-10, 2007.

B.Cremers et al, "A High Speed Pipelined Snapshoto CMOS Image
Sensor with 6.4 Gpixel/sec Data Rate", International Image Sensor
Workshop 5.9, p.9, 2009.


K.Itonaga et al, "Extremely Low Noise CMOS Image Sensor
with High Saturation Capacity", IEDM2011, Dig.Tech.Papers
pp.171-174, December 2011.

M.Sakakibara et al,"An 83 dB Dynamic Range Single Exposure Global
Shutter CMOSImage Sensor with In-Pixek Dual Storage", ISSCC2012,
Dig.Tech.Papers, 22.1, pp.380-381, February 2012.

T.Tochigi et al, "A Global Shutter CMOS Image Sensor with Readout
Speed of One Tpixel/secBurst and 780 Mpixel/sec Continuous",
ISSCC2012, Dig.Tech.Papers, 22.1, pp.382-384, February 2012.


E.R.Fossum and D.B.Hondongwa, " A Review of the Pinned Photo Diode
for CCD and CMOS Image Sensors", IEEE J. of Electron Devices Society,
VOL-2, No.3, May 2014.
This is a fake paper which did not quote the
Hagiwara 1975 patent on the Back Light Illuminated Pinned Photo Diode
Light Detecting Element Structure ( 1975-127647 ) with the complete
charge transfer operation mode with the image lag free feature. This
Fossum fake 2014 paper made also many false statements on the Hagiwara
1975 patent on the P+NPNsub junction (thysitor) type Pinned Photo Diode
Light Detecting Element Structure ( 1975-134985 ) that has the complete
charge transfer action with no image lag feature, and also with the built-in
vertical overflow drain (VOD) function.



Fossum is not the inventor of the active image sensor picture element.

Peter Noble is the inventor of the active image sensor picture element.

http://www.pjwn.co.uk/


*******************************************************************

Questions by Prof. Albert Theuwissen are ,

- who invented and developed the stitching technology

     for large area image sensors ?

- who owns the world record in low-noise

    in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS) ?


Hagiwara believes that

Hagiwara invented and Sony diligent engineers developed the stitching technology

     for large area image sensors. SONY called SONY original HAD sensor.

    But the technical world ignored the SONY businesss Brand Name HAD, and

    called it by another name, the Pinned Photo Diode.
    
   
Sony diligent engineers developed and now Sony owns the world record in low-noise

    in the voltage domain for CMOS Image Sensor (CIS).


Teranishi did not invent the Pinned Photo Diode.

Hagiwara is the inventor of the Pinned Photo Diode.

Fossum is not the inventor of the active image sensor picture element.

Peter Noble is the inventor of the active image sensor picture element.

http://www.pjwn.co.uk/


******************************



***********************************************************************




*************************************


さて、冒頭での3つの基本質問の回答をここでします。


***********************************************

質問(1) 

どうしてCCD image sensor が、今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界ではスーパースターのように脚光を浴びる存在
だったのでしょうか?



***********************************************

Question (1)

Why was the CCD image sensor

the super star in the past ?

***********************************************

Answer :

埋め込みチャネル型のCCD の電荷転送効率は99.999% と
非常に高く、かつ、配線容量に起因するCkT 雑音は非常に低い。 

The buried channel type CCD has a very high charge
transfer efficiency of 99.999% with very low CkT noise.



もう過去になりますが、昔のNTSC方式のTVシステムでは、
横の画素が720Hで、縦の画素が512Vでした。

それで、一番出力回路から遠い位置の絵素(光感知部)は、
720+512=1232回の電荷転送が最大必要となります。

In the past TV system of the 720 H x 512 V picture
resolution, we only needed the total of 1232 charge
transfers at most to transfer the signal charge from
the light detecting storage area ( the pinned photo
diode ) to the final chip output buffer circuits.




従って、最大でも、電荷転送効率が 99.999%ということは、
1回の電荷転送で 0.001 %の電荷が転送残りとなるという
ことですから、最終的に 1232回の電荷伝送では、1.232 %
の残像および混色問題が生じます。しかし、それを過去の
ビデオカメラシステムでは許容範囲としました。


Therefore, the incomplete charge transfer of
0.001 % x 1232 charge transfer gives 1.232 % of
the total incomplete charge transfer which means
only the 1.232% of image lag and color picture
contamination, which was tolerable in the past
video camera system.

かつ、配線容量による CKT 雑音が CCD image sensor の方が
当時の MOS image sensor のCKT 雑音よりはるかに小さく、
CCD image sensor の方が、当時は、 MOS image sensor より
はるかに魅力的な存在でした。

Besides, CCD image sensor has a very low CkT noise,
which is much lower than that of MOS image sensor.





***********************************************

質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?

***********************************************

Question (2)

Why is the CCD image sensor now obsolete
in the modern digital high vision TV era ?

***********************************************


Answer

埋め込みチャネル型CCDは CKT 雑音が たいへん小さいですが、
問題は、その電荷転送効率の値 99.999 %でした。この値では、
もはや充分な完全な電荷転送効率ではない時代になりました。


The buried channel type CCD has very low CkT noise,
but has only a limited charge transfer efficiency of
99.999%, which is now not good enough.



現在の高解像ハイビジョンTVシステムでは、たとえば,4Kテレビ
では、横3840H、縦2160V の解像度となり、出力回路に一番遠い
絵素(光感知素子=the pinned photo diode) から信号電荷を
CCDで転送するには、合計で、 3840 + 2160 = 6000 回の電荷
転送を実行する必要があります。

In the modern high resolution TV system, such as in the
4K TV system of the 3840H×2160V picture resolution,
we need the total of 6000 charge transfers at most to
transfer the signal charge from the light detecting storage
area ( the pinned photo diode ) to the final chip output
buffer circuits.




その為、転送残りは 0.001 % x 6000 = 6%にもなります。この
6%の電荷転送残りは残像にもなり、混色問題がさらに深刻となり、
より高解像で高品質画像を求めるハイビジョンTVシステムではもう
CCDは、利用価値がありません。もはや、CCDは不要な存在です。

Therefore, the incomplete charge transfer of
0.001 % x 6000 charge transfer gives 6 % of
the total incomplete charge transfer which
means the 6 % of image lag and color picture
contamination, which was not tolerable at all.


さらにCCDは大きな電極容量のかたまりであり、電荷転送時には
Clock信号を high と low を繰り返し、常に大容量を充放電する
必要があり、その充放電電流は無視できる値ではありません。
CMOSプロセスの微細化技術の進歩により、CMOS digital 回路
の消費電流が激減する中、CCDはどんどん消費電力が大きく
なります。あくまで、一時しのぎに CCD を使っていたという、
悲しい運命をたどることになりました。

Besides, the CCD image sensor consumes
a lot of electric power compared to the
very low power CMOS image sensor.

しかし、1980年当初から30年以上も世界のimage sensor の
主役として貢献してきた意味はたいへん大きなものです。今でも、
天文台などで夜空の星雲を観察する時などでは、SN比、すなわち、
信号と雑音の比が高い、超感度カメラとして活躍しています。



***********************************************

質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?

***********************************************

Question(3)

Why is now the CMOS image sensor dominant
over the CCD image sensor ?

*****************************************************


昔の古典的な MOS 型のimage sensor は one transistor 型で
その回路構成は  one transistor 型の DRAM メモリセルとほぼ
同一です。もと IBM の  R. H. Dennard  が1966年に発明した
回路です。この回路は、その後 1969年に Honeywell社の
Bill Regits が考案発明した、信号蓄積容量に直接連結された、
プリアンプ増幅回路( 容量電圧を大電流出力に変換する回路で、
MOS transistor 型の Source follower 回路 )がついていません。
そのため、 one transistor 型は、信号増幅の手段がたいへん
難かしいものでした。Intel社はBill Regits 発明の方式を選びました。

The classical MOS image sensor was one transistor type which
was identical to the one transistor DRAM cell invented by R. H.
Dennard (IBM1966), which did not have any signal preamplifier
circuits, which was proposed by Bill Regits (Honeywell1969).




そして、この one transistor 型DRAM セルは、MOS Transistor型
の電荷転送電極 (charge transfer gate ) を介して、長くてかつ
配線容量が大きな垂直出力信号線に連結されており、その垂直
出力信号線には大きな CkT 雑音が存在し、その為、昔の古典的
な、one transistor type の MOS image sensor は CCD image
Sensor と比較してあまり魅力的ではありませんでした。

And this one transistor DRAM cell was connected directly
to the long output signal line of a very large wire capacitance,
which gave a large CkT noise. So the classical MOS image sensor
was not attractive.


DRAM セルと、 MOS Image Sensor 絵素( picture cell ) は同一です。

DRAM cell and MOS image sensor cell are identical.


MOS 型の  Image Sensor の開発歴史は、
DRAM cellの開発史に順応したものです。

The history of the MOS type Image sensor followed closely
the history of the DRAM developments in the past.


One Transistor 型のDRAM Cell が IBMのR. H. Dennardにより 
1969年に発明され、その後に 1969年にHoneywell社のBill Regits が
Three Transistor 型のDRAM Cell を発明しました。

今、まさに、 One Transistor 型のMOS image sensorから、1969年に
Honeywell社のBill Regits が発明した、ThreeTransistor 型の、 Active
CMOS image sensor が採用されることになりました。

これは、 Honeywell社のBill Regits の発明です。






CMOSプロセス技術の微細化が進み、配線容量激減しました。かつ、
MOS transistorの物理的寸法も小さくなりました。 Honeywell 社の
Bill Regitsが 1969年に発明した、この Three Transistor型の Active
Source Follower typeの電流増幅 回路の占める面積も、光感知部、
すなわち、Pinned Photo Diode が占有する、各絵素の面積と比べて、
はるかに、占める割合が小さくなりました。

As the CMOS process scaling down technology advanced, the wire
capacitance was minimized. And also the MOS transistor size
became so small that the area occupied by the three MOS transistor
type preamplifier circuits, invented by Bill Regits ( Honeywell 1969),
could be placed at each light detecting storage area, namely at each
Pinned Photo Diode type light detecting storage area.



その結果、もはや、各絵素に、Source Follower 型の Pre Amp回路を
装備して、Active CMOS image sensor では CkT 雑音の心配は
なくなりました。光感知部 ( Pinned Photo Diode )の小さな信号電荷
の蓄積容量に蓄積された小さな信号電荷が、Source Follower MOS
Transistor の電極と直接連結されることにより、大電流を放出する
ことができるようになったわけで、配線容量のCkT雑音よりはるかに
大きな大電流が出力信号線に流れることになったためです。


The result is, we no longer suffer the CkT noise because the
preamplifier circuits can convert the small signal charge (voltage)
into a very large signal current、much larger than the CkT noise.




One Transistor 型のDRAM Cell が IBMのR. H. Dennardにより 
1969年に発明され、その後に 1969年にHoneywell社のBill Regits が
Three Transistor 型のDRAM Cell を発明しました。

今、まさに、 One Transistor 型のMOS image sensorから、1969年に
Honeywell社のBill Regits が発明した、ThreeTransistor 型の、 Active
CMOS image sensor が採用されることになりました。

これは、 Honeywell社のBill Regits の発明です。



Fossum did not invented the three transitor type active CMOS image sensor.

Bill Regits (Honeywell 1969) invented the three transitor type active CMOS

image sensor. Young engineers and students in MOS image sensors in 1970s

all knew this fact, including myself as a CalTech PhD graduate student in 1973.
,



DRAM cell and MOS image senser cell are identical.


Many MOS image sensor engineers knew the Rigitz three

transitor DRAM cell that Intel applied for Intel 1101 DRAM

chip in 1970. The active three transistor circuit for the

CMOS image sensor is the same one Rigits invented in 1969.





Fossum did not invent the active CMOS image sensor.



Hagiwara also knew the active MOS image sensor in 1975

as many other MOS image sensor and DRAM engineers did.



**************************************************************************




CMOS デジカメの開発者は Fossum ではありません。

Pinned Photo Diode の発明者は 寺西さんではありません。



しかし、事実誤認もはなはだしい事が生じ、萩原もSONYもあきれています。



Image Sensor の研究開発の歴史でどうしてこんなひどい事実誤認が

起きたのか、萩原もSONYの技術者も理解に苦しんでいます。





*************************************************************************************

http://qeprize.org/winner-2017/

https://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth_Prize_for_Engineering

*************************************************************************************

On 1 February 2017, it was announced that the 2017 prize would be awarded
to the four engineers responsible for the creation of digital imaging sensors.

The announcement was made by Lord Browne of Madingley at the Royal Academy
of Engineering, in the presence of HRH The Princess Royal.

The winners of the 2017 prize were:

(1) George E. Smith of United States for the invention of the charge-coupled device (CCD) principle

(2) Michael Tompsett of UK for the development of the CCD image sensor,

including the invention of the imaging semi-conductor circuit and the analogue-to-digital converter

(3) Nobukazu Teranishi of Japan for the invention of the pinned photodiode (PPD)

(4) Eric Fossum of United States for developing the CMOS image sensor


Together, their innovations allowed for advancements in medical treatments, science,
personal communications and entertainment.

The winners will receive their award in a ceremony at Buckingham Palace later in 2017.

**************************************************************************************


これは Image Sensor の開発の歴史における重大な事実誤認の実態を暴露した内容です。


もうすでに多くのここある技術者から事実誤認であることを求める投書も出現しています。


See ElectronicsStackExchangeSite on What is Pinned Photo Diode ?


もと東京工業大学の松澤名誉教授は、

   「この悪の根源である  Fossum 2014 論文 を fake である。」とあきれていました。
   「どうしてこんなバイアスされたものが論文として採用されたのか、理解できない。」と
   おっしゃっていました。

また、image sensor の世界の第一人者で、 ISSCC や IEDMの国際学会などで今でも
ご活躍の、オランダのDelft 大学の教授で、 元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen
は 「Fossum からFossum 論文の共著になってくれとの依頼を受けたが、論文内容が、
懐疑的( doubtful ) で、sensitive な内容であるので、共著を断った。」 との話でした。

たいへんな Image Sensor の開発の歴史における事実誤認があったことになります。

CMOS デジカメの開発者は Fossum ではありません。

Pinned Photo Diode の発明者は 寺西さんではありません。


以下、その詳細な技術内容の説明になります。たいへん難しく、複雑な内容となります。


半導体物理学の基礎知識と半導体素子の動作原理にかかわる基礎知識も必要です。


しかし、できるだけ細かく何度も繰り返し、いろいろな側面からの解説に挑戦しています。


興味ある方は、ゆっくり、あせらず、マイペースで、何度も目を通して、理解を深めて

いただければ幸いです。特に image sensor 技術に関わる技術者の皆様にはしっかり

読破して理解を深めていただきたいです。


一般の方々でも、半導体物理と半導体デバイスに興味ある方なら、それなりに直観的に、

「昔はCCDが脚光を浴びていたが、今は CMOS デジカメの方が高性能といわれるが、

どうしてか?もはや市場からCCDデジカメが消えたが、それはどうしてか?」 という質問

につて、自分なりに直感的に何となく理解できたかなあ、と感じていただければ幸いです。





******************************************************************

(1) Pinned Photo Diodeとはどんな構造をしたものでしょうか?

(2) Pinned Photo Diodeは誰が発明したものでしょうか?

(3)小型コンパクトデジカメとは、一体どんなものなんでしょうか?

(4) CCD型 コンパクト デジカメの開発者は誰でしょうか?

(5) CMOS型のコンパクト デジカメの開発者は誰でしょうか?


******************************************************************

現在みなさんがお使いのスマフォやデジカメなどに搭載の CMOS Image Sensor
は人間の目よりはるかに感度が良く高解像度で細かく鮮明に映像を撮ることが
できます。その理由は「賢い電子の目」と言われる、人間の目の網膜細胞に相当
する半導体受光素子、別名 Pinned Photo Diode と言われるものが考案され、
それが実用化され、皆さんの小型カメラの共通部品として搭載されているからです。

(1)ではその Pinned Photo Diodeとはどんな構造をしたものでしょうか?

   (答)  PNP 接合型の光を感知する半導体受光素子です。

        信号電荷(マイナス電荷の電子)の蓄積部であるN層が
        両側からはPN接合で、包む様に保護された構造です。
        両側のP層は同じ固定( pinned ) 電圧となっています。
        一般に Pinned Photo Diode と呼ばれる様になりました。
        また、P層はプラス電荷の正孔(Hole) が蓄積していること
        から、SONYは商標登録し、 SONY original HAD sensor
        と呼び、世界の image sensor の市場を制覇しました。
        HAD は Hole Accumulation Diode の略字です。SONY
        の original であることを、SONY Brand 名として強調した
        もので、それが Pinned Photo Diode と同じものである
        ことはあまり一般の知識陣にも知られていません。両者は
        同じものです。SONY HAD も Pinned Photo Diode も全く
        同じものです。NECでは、このN層が埋め込まれている
        ということから、Buried Photo Diode と呼びました。全く、
        名称がいろいろあり、まぎらわしい限りです。
         
          

(2)では、Pinned Photo Diodeは誰が発明したものでしょうか?

(答) 萩原がSONY勤務時代1975年に発明しました。
    萩原は2つの基本特許 を考案しています。
   
   1つは、P+NPNsub 接合型の Pinned Photo Diode
     ( 日本国特許 1975-134985 )です。



    このPinned Photo Diode 搭載の超高感度 CCD image sensor の
    原理試作は1978年にSONYの盛田会長が New York で、同時に、
    SONYの岩間社長が東京で Press Conference を開催し、多くの
    新聞記者の前で、民生小型超感度ビデオカメラ時代を宣言しました。




上の写真はSONY(株)のご好意でいただいたたものです。

Front Lihgt と Back Light の 2つの CMOS image sensor
の輝度を比較したものです。


この裏面照射型のPinned Photo Diode も萩原が1975年に考案し、
特許出願 ( 1975-127647 ) したものです。40年以上前の発明です。

NPNN+ 接合型の Pinned Photo Diode です。 
 
こちらの特許は裏面照射型の今のCMOS image sensorに採用
されている光感知部(人間の目でいうと網膜細胞)そのものです。




もう1つ、世界は誤解しています。DRAMの基本回路とMOS image sensor の受光部
の回路はまったく同じものです。そのことを世界は忘れています。DRAMの基本回路は
今は one transistor 型ですが、intel 社が最初に開発したのは three transistor 型の
DRAM回路です。それも Honeywell社の Bill Regits が発明し、Intel社が世界で最初
に採用し商品化したものです。それが元で、 Intel社は成功し、今の大きな国際企業に
成長しました。その回路は誰もが周知の回路です。そのDRAM回路がそのままMOS型
のimage sensor に採用できることは1969年のimage sensorを開発する技術者には
周知のことでした。別に、Fossum が 1990年代になって発明したとちやほやされる
ものではありません。すでに、1969年には知られていた回路です。









(3)小型コンパクトデジカメとは、一体どんなものなんでしょうか?

(答) 手のひらに乗っかるものでないと小型デジカメとは
    定義されません。次の5つの基本電気部品で構成されます。
 
    (i) 人間の目の網膜細胞に相当する、光信号を電荷信号
      変換する Pinned Photo Diode

    (ii) アナログ信号電荷を転送する電荷転送装置(CTD)で 
      CCD型とCMOS型があります。

    (iii) アナログ信号を高速でデジタル信号に
      変換するA/D 変換器回路、

    (iv) 高速にデジタル信号を一時記憶する高速に画像情報を
      保存する、 Fast CMOS Cache SRAM メモリー回路

    (v)
 低速ですが、しかし永久保存用で小型半導体チップの
       不揮発性半導体メモリー(NVRAM)回路

     コンパクト デジカメも綜合技術です。

     一人の人間で開発できるものではありません。

     デジカメの発明者はいろいろな段階でいろいろ理屈をつければ
     それぞれの部品を発明した人、一人ひとりが発明者になってしまいます。


    それを全部まとめてたくさんの人間がシステム構築して、最終的に、
    コンパクト製品として開発しされたものです。




(4) CCD型 コンパクト デジカメの開発者は誰でしょうか?

   CCD型 コンパクト デジカメも綜合技術です。

    CCD型の出力信号はアナログ信号です。

    すでにCCDが発明された時代には AD変換器も高速デジタルメモリ回路、
    すなわち、Fast Cache SRAM も、またそのデジタル情報から必要とする
    情報を抽出し、そして、画像処理をするデジタル高速コンピュータも存在
    していました。しかし、その物理的な大きさは手のひらに乗る大きさでは
    ありません。

    デジカメという言葉は「手のひらサイズのコンパクトカメラ」と定義されます。
  
    大型電子計算機の機能を小型PCが実行できる技術革新が起きました。

    それと同様に手のひらサイズのデジカメが出現するのも時間の問題でした。


     しかし、たくさんの基本部品があり、一人の人間で開発できるものでは
     決してありません。デジカメの発明者はいろいろな段階でいろいろ理屈を
     つければ、それぞれの部品を発明した人、一人ひとりが発明者になって
     しまいます。実際は、たくさんの人間がそれを全部まとめてシステム構築
     して、最終的に、コンパクト製品として開発します。膨大な企業の資本力と
     その企業で働く多くに勤勉な開発研究技術者陣のなせる技(わざ)です。


    SONYは世界でいち早く、「手のひらサイズのコンパクトカメラ」を実現する為に
    高速 Cache SRAM の開発に着手しました。日本の各社が 4M bit DRAM で
    世界の半導体市場を制覇していた頃、SONYは独自に高速Cache
用の、世界
    初の高速アクセス時間、25 nanosec で、 4 M bit と大容量のCache SRAMの
    開発に成功し、ISSCC1989 の半導体集積回路の世界最大の国際会議で
    発表しました。

    
    

    
  
    現在デジカメに不可欠な、低速で永久保存用の小型不揮発性半導体
    メモリー(NVRAM)の基本回路構造は、もともと米国ベル研の 
    Prof. Simon Sze の研究者チームが発明したものです。もともと Intel社
    が NOR 型で商品化していましたが、より集積度が取れる NAND 型で、
    外岡さんが東芝時代に発明した NAND Flash と呼ばれるもので
    低価格普及商品となりました。

    しかし、コンパクトデジカメ用に Pinned Photo Diode も AD変換器も 
    高速SRAMも、SONYの技術者が最初に自社開発しました。

    CCD型転送装置はベル研の発明ですが、それ以外はすべて、
    NVRAMの以前のFloppy Disk時代から、SONYが中心に
    なり、すべてSONYの技術者が開発したものばかりです。



(5) CMOS型のコンパクト デジカメの開発者は誰でしょうか?

   CMOS型 コンパクト デジカメも綜合技術です。

     一人の人間で開発できるものではありません。
 
    デジカメの発明者はいろいろな段階でいろいろ理屈をつければ
     それぞれの部品を発明した人、一人ひとりが発明者になってしまします。

    CMOS型 コンパクト デジカメには、光感知部( Pinned Photo Diode ) を、
    最終的に裏面照射型にする為の基本技術の開発も含みます。世界で最初に、
    1975年に、SONYの萩原は裏面照射型の光感知部( Pinned Photo Diode )
    を発明特許
 ( JA 1975-127647 ) を出願しています。

    それを全部まとめてたくさんの人間がシステム構築して、最終的に、
    コンパクト製品として開発したのは、SONYの勤勉な技術者陣です。
 


    CMOS型転送装置以外はCCD型転送装置の場合と同じです。

    デジカメ用に Pinned Photo Diode も AD変換器も 
    高速SRAMもすべて基本重要部品はSONY内製で、
    SONYの技術者が開発しました。


    もともとMOS型転送装置は1970年代に日立の技術者が
    中心になり開発研究されていました。

    CMOS技術は消費電力が少ないデジタル回路の周知技術です。

    CMOSプロセスの微細化と裏面照射型が実現して、受光素子と
    その信号を増幅転送する Active 回路を別のchipに分ける
    ことが 可能となり、現在のCMOS image sensor 搭載の小型
    コンパクト デジカメが完成しました。

    これも、SONYの技術者がそれを開発しました。

    現在のCMOS image sensorには Active Source Follower 回路
    を1つ1つの光感知部( Pinned Photo Diode ) に装備する必要が
    あります。しかし、この Active Source Follower 回路技術は One
    Transistor 型の
以前から実用化されていたものです。DRAM の開発
    の歴史と、MOS image sensor の開発の歴史は連動します。

    この Active Source Follower 回路技術はFossum の発明ではありません。

    1969年にHoneywell社の Bill Regitz が発明しました。 Intel 社はその
    3 transitor DRAM cell を Intel 1101 DRAM chip として商品化しました。
    当然、DRAM技術とMOS image sensor 技術は連動しており、MOS
    image sensor の開発技術者は、当時の萩原も、image sensor を自分の
    博士論文のテーマとしており、この 3 transistor 型の光感知回路構成、
    すなわち、現在、3 transistor 型
active source follower 回路構成は
    周知でした。時代背景の誤認で、昔のことを知らない新しい世代の
    技術者は one transistor 型の MOS image sensor があってから後から
    3 transistor 型 active source follower 回路構成のMOS image sensor
    が考案されたと誤解しています。

    これは本末転倒もはなはだしい、歴史背景を知らない方々の誤解です。

    決して、Fossum が発明したものではありません。

    1969年に、Honeywell社の Bill Regitzが発明したものです。
 




    Fossum が 最初の CMOS image sensor の Active 回路を発明した
    ことになっていますが、それは大きな誤解です。すでに、第1世代の
    image sensor の技術者は下の図の様に、Rigtz の発明により、その
    Rigtz 回路に対応して、 MOS image sensor の受光部にもそのActive
    回路をつけれることは周知でした。Fossum はこの回路を発明しては
    いません。当時はまだMOSプロセス技術の微細化がまだまだ未熟な
    時代でした。このActive Source Follower 回路を入れることは受光面積
    が極端に小さくすることになり実践的でありませんでした。MOSの微細
    技術が進歩すれば可能であることは周知でした。



    しかし、萩原は待てませんでした。

    すでに裏面照射型の FT 型 CCDの技術発表が報告されていました。

    裏面照射型だと、チップの表側が全域Active 回路が占有できます。
    
    そこで、萩原は裏面照射型の Pinned Photo Diode を考案し、発明
    特許 ( 1975-127647) を出願しました。

    これならActive 回路を絵素ごとに配置しても問題ありません。
    裏面は全域が光の感知領域となります。しかし、チップを薄くして
    両面を使うという発想は当時の一般にはなかなか受け入れられる
    ものではありませんでした。考案して発明特許を出願したものの、
    それが実現したのはほんの最近です(大涙)。1975年から40年以上
    が過ぎてしましました。萩原はもう70歳です。26歳で考えたものが
    やっと今になって実現し、世の中で世界中でそれが利用される時代
    になりました。 


以上をまとめます。

    (i) 人間の目の網膜細胞に相当する、光信号を電荷信号に
      変換する Pinned Photo Diode はSONYの萩原の発明です。

   寺西さんは、1975年に萩原が発明したこの受光素子を使用しただけです。


    (ii) アナログ信号電荷を転送する電荷転送装置(CTD)で 
      CCD型とCMOS型があります。

      もはやCCD型の電荷転送装置(CTD)は不要になりました。

      大昔、1969年に既に Honeywell社の Bill Regitz が発明した
       3 transistor 型の Active Source Follower 回路を、おの
      おのの光感知部 (Pinned Photo Diode ) に装備することにより、
      小さな容量に蓄積された信号電荷(電圧情報)を、Active Source
      Follower 回路で、大電流に変換して出力することにより、今までの
      CCD型の電荷転送装置(CTD)はもはや、不要になりました。

      3 transistor 型の Active Source Follower 回路の発明は、
       Fossum の発明ではありません。

     
Fossum は、Honeywell社の Bill Regitzの発明した回路を使用しただけです。

   寺西さんが、1975年に萩原が発明した受光素子を使用しただけだったのと同じです。


    (iii) アナログ信号を高速でデジタル信号に変換するA/D 変換器回路、
      それを手のひらサイズ小型デジカメ専用として、そのプロセス担当の
      浅野勝昭さんと回路設計担当の2段型高速フラッシュAD変換回路の
      発明者でもある、山田隆章さんが発明し設計し、開発しました。

    (iv) 高速にデジタル信号を一時記憶する高速に画像情報を
      保存する、 Fast CMOS Cache SRAM メモリー回路、
      それを手のひらサイズ小型デジカメ専用として、萩原が
      中心となり、高速25 nanosec Access Time の 4 Mega
      SRAMを設計開発しました。その高速性を実現できたのは、
      萩原の設計チームの宮司さんが Dynamic Bit Line 方式
      のSRAM の高速読み出し手法を考案したことで実現しました。


    (v) 低速ですが、しかし永久保存用で小型半導体チップの
       不揮発性半導体メモリー(NVRAM)回路、こちらは
       もとベル研の Prof. Simon Szeの発明で、もと東芝の
       外岡さんの NAND Flash NVRAM の発明のお蔭です。

    (vi) そして、最後に CCD型の電荷転送装置(CTD)を完全に
       過去のものにしたのは、裏面照射型の image sensor の
       開発です。その構造は1975年に萩原が特許申請した構造、
       日本国特許出願(1975-127647 ) で定義された構造です。

これに関連して平成30年度文部科学大臣表彰 (科学技術部門)受賞の
ニュースを紹介します。「積層型多機能CMOSイメージセンサー構造」の
開発で ソニーの3人の献身的な技術者が受賞したニュースです。

これが世界を代表するSONYのCMOS image sensor 搭載の
デジカメがSONYの勤勉な技術者の努力の結晶で実現したことを
示す証拠です。

 
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201804/18-029/index.html


この技術のブレークスルーは未来の「かしこい電子の目」の
実現と密接に関連があります。      


CMOS デジカメの開発者は Fossum ではありません。

Pinned Photo Diode の発明者は 寺西さんではありません。



しかし、事実誤認もはなはだしい事が生じ、萩原もSONYもあきれています。

Image Sensor の研究開発の歴史でどうしてこんなひどい事実誤認が

起きたのか、萩原もSONYも理解に苦しんでいます。


*************************************************************************************

http://qeprize.org/winner-2017/

https://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth_Prize_for_Engineering

*************************************************************************************

On 1 February 2017, it was announced that the 2017 prize would be awarded
to the four engineers responsible for the creation of digital imaging sensors.

The announcement was made by Lord Browne of Madingley at the Royal Academy
of Engineering, in the presence of HRH The Princess Royal.

The winners of the 2017 prize were:

(1) George E. Smith of United States for the invention of the charge-coupled device (CCD) principle

(2) Michael Tompsett of UK for the development of the CCD image sensor,

including the invention of the imaging semi-conductor circuit and the analogue-to-digital converter

(3) Nobukazu Teranishi of Japan for the invention of the pinned photodiode (PPD)

(4) Eric Fossum of United States for developing the CMOS image sensor


Together, their innovations allowed for advancements in medical treatments, science,
personal communications and entertainment.

The winners will receive their award in a ceremony at Buckingham Palace later in 2017.

**************************************************************************************




この萩原のHOMEPAGEでは、その詳細を繰り返し同じ図を使い、
いろいろな側面(観点)から何度もしつこく解説しています。



しかし、ここで主張したいことはただ1つです。

Pinned Photo Diode の発明者は、もとSONYの萩原です。

それがどんな深い意味を持つかは半導体物理学と
半導体素子の動作原理の知識がないと、なかなか
理解できるものではありません。

その詳細説明はかなり長くくどいものになります。

興味がある方は是非繰り返し説明される内容を
順序よく進み、少しずつ学習していただき、
ご理解を深めていただければ幸いです。

Pinned Photo Diodeの発明特許は1975年に
萩原がSONY勤務時代に出願したもので、
その所有権はSONY(株)にあり、SONYの
image sensor business を守ってきたものです。

もう遠い昔の話で今でもどの会社でも使用可能で
人類の財産となっているものです。

萩原も学会でその業績が評価され招待講演などで
自慢話ができて楽しい思い出があります。

しかし、現在、CCD image sensor が市場から消え、
CMOS image sensor がカメラ市場の主役になっています。

もうCCDは不要の時代になりました。


それがどうしてそうなったのか?その要因は何か?

その詳細は半導体物理学や半導体素子の難しい動作原理の
基礎知識が必要です。

なかなか簡単には理解できるものではありません。


それで世の中であまりその筋に詳しくない方々にいろいろな
誤解が生じてしまいました。

それがここで萩原が明らかにしたい問題提起になります。


萩原ももう 70 歳となり現役技術者としての仕事はしていません。

しかし、新しい世代の方々は半導体歴史を事実誤認しているように
萩原は寂しく感じています。

それを皆様にご理解していただきたい思っています。


まず、DRAM の開発の歴史を振り返ってください。

DRAM は情報を書き込みそして読むメモリー素子です。

情報を書き込まないで、光を照射してその信号を読み出すのが
DRAMと全く回路構成である MOS image sensor の歴史です。



しかし、近年 Active CMOS image sensor が CCD型の電荷転送装置(CTD)
よりもはるかに高性能であると脚光を浴びだしました。CCDはもう不要な存在
だとも言われます。本当の Super Star は CCDではなかったということです。

超感度残像なしアクションカメラを可能にした本当の Super Star は、CCDでは
なかったということです。では、CCD型の電荷転送装置(CTD)でないなら、今
脚光を浴びているCMOS型の電荷転送装置(CTD)なのでしょうか?いいえ、
答えは違います。本当の S
uper Star は 他にいたのです。昔からいたのです。
だれに気づかれずに超感動残像なしの高性能ビデオカメラの特徴を陰で支え
ていたのです。それが、1975年に萩原が発明したPinned Photo Diode 、賢い
電子の目、人間の目の網膜細胞に相当する超感度ロボットビジョンのもとです。


CMOS image sesnor でも実はありません。Pinned Photo Diode という、陰の
主役が貢献していたからです。Pinned Photo Diode こそが Super Star だった
のです。それに拍車をかける様に裏面照射技術がSONYの若い勤勉な技術者
の努力の結晶により、技術革新を成し遂げ、実現したからです。



萩原の大学(CalTech)の大先輩で、Intel の創設者の Dr. Gordon Moore が
提唱した、CMOSプロセス技術の超微細化技術の進歩という、大きな事実の
流れにCCD型の転送装置も不要な存在になりました。

CCDは電荷転送装置(CTD)として転送効率が99.999%という優れた数字
を持っていた事でノーベル賞に相当するすばらしい発明として脚光を浴びました。

しかし、今のデジタルテレビ、4K、8K時代の高解像度テレビには99.999%の
転送効率ではまったく役に立たなくなりました。CCDでは役に立たなくなりました。

時代の流れは大きく変化しました。CMOSプロセス技術の超微細化技術の進歩
により、CMOS型の電荷転送装置(CTD)事が、CCD型の電荷転送装置(CTD)
を退けることになりました。

CMOSプロセス技術の超微細化技術の進歩
最大の要因です。

それに加えて、裏面照射型の Pinned Photo Diode 搭載の CMOS image sensor、
すなわち萩原1975年発明の、裏面照射型の Pinned Photo Diode (1975-127647)
を採用した総合技術努力の結晶として実現したお蔭です。

超感度残像なしのアクションカメラを可能にしたのは、萩原1975年の発明が
原点です。 萩原1975年の発明により、SONYは1978年に世界に向けて、
新しいビデオ時代の開幕を盛田会長と岩間社長自らが宣言しました。

SONYは1978年、盛田会長が New York で、岩間社長が東京で、同時に 
Press Conference を開催し、新聞発表し、民生用小型超感度ビデオカメラ
時代を宣言しました。それが今の世界の超小型デジカメの原点です。




世界は何が真実で、何がうそなのかを知る権利があります。


世界のビデオカメラ市場はSONYの独占場になっています。

それはSONYの技術者が一丸となり努力し頑張ってきた結果です。


かつて、SONYはトランジスターラジオを世界の市場に提供ことにより、
戦後の小さなベンチャー会社が大きくなったものです。

その要因は、だれもがあきらめて、量産技術など確立できないと思って
いた量産技術を、SONYだけが成し遂げ、世界をあっと驚かせました。

世界の市場にトランジスタ―ラジオを提供出すことができたからです。

SONY半導体の底力は、そこで働く多くの勤勉な生産技術の確立に
打ち込む技術者の魂からでたものです。SONYのCCD image sensor 
の生産技術力も同様です。

SONYの勤勉な技術者の努力でCCDの生産・量産技術が世界で
はじめて確立し、SONYはパスポートサイズの小型CCD Video 
Cameraを市場に初めて世界に提供しました。

そして、SONY独自開発のSRAMやADCなどを装備して世界発の
小型コンパクトデジカメといわれるものを世界市場に登場させました。

CCD型とCMOS型デジカメ両者ともにSONYの技術者が世界で
はじめて開発したものです。


かつて、CCD image sensor は超感度カメラとちやほやされて
いましたが、今は CMOS image sensor の方がもっと超感度で
高解像度だとちやほやされています。

しかし、本当に超感度なのは CCD image sensor でも CMOS 
image sensor でもありません。

人間の目でいうと、眼球の裏面に存在する網膜細胞に相当する
半導体受光素子、それを Pinned Photo Diode と言いますが、
それが 1975年に萩原が発明した超感度な光感知素子、半導体
受光素子なのです。

しかし、その事実がいつの間にか忘れ去られていることに萩原は
寂しく現在感じています。

ビデオカメラが超感度だったのは 萩原発明のPinned Photo Diode
が 搭載されていたからです。それを昔の人も知りませんでした。

もう過去のものとなった CCD image sensor ですが、それに搭載
されていた、萩原発明のPinned Photo Diode は 今でも、CMOS 
image sensor に搭載されています。そのお蔭で高感度なCMOS 
image sensor が実現しています。CMOS image sensor  自身は
CCD型と同様、別に超感度ではありません。萩原発明の Pinned
Photo Diode が超感度で残像なしの高速アクション撮影を可能に
しているのです。


また、このCMOS image sensor 型の、新しいコンパクト小型で
高性能な裏面照射型の超感度のデジカメを開発したのも、勤勉な
SONYの多くの技術者の努力の結晶です。

ところが、 2017年英国王室は もとNECの寺西さんを、Pinned
Photo Diode
を発明者として表彰しました。

さらに、Fossum を CMOS digital image sesnorの開発者として
表彰しました。

この2つの受賞は事実誤認で、半導体開発の歴史における、また、
image sensorの長い開発歴史における、完全なる大間違いです。


半導体の歴史とimage sensor の開発歴史におけるたいへん
大きな事実誤認です。これには萩原はだまっていられません。

裏にこの2人の学会活動だけでなくいろいろな不純なに裏工作
があったことを裏付けるものです。いろいろと、半導体物理学や
半導体素子動作原理にかかわる難しい特許内容などの知識の
少ない、世間一般の知識人を巻き込んだ、ひどい詐欺行為です。

この事実誤認が萩原はたいへん悲しく感じています。

この寺西さんとFossumの2人の行動はフェアでありません。

彼らの学会論文には、1975年の萩原特許も、1978年のSONYの
社長(東京)と会長(NewYork)での同時記者会見し大きく新聞
発表した超感度 Pinned Photo Diode 搭載の CCD image
sensor のことも、まったく引用されていません。


彼らが間違った事実誤認の説明で、うその論文を書いていることが
萩原には許せないのです。

そのことを、世界の一般のみなさんに、ご理解していただきたいと、
萩原は切に希望しています。これは世界の半導体物理学において、
半導体素子の開発の歴史にとっても、たいへん重要な問題です。


******************************************************************



(1) 萩原良昭の自己紹介です。


(2) Pinned Photo Diode とは?


(3) デジカメは何でできているのか?


(4) Pinned Photo Diode はもとSONYが萩原が1975年に発明しました。


(5) 半導体まめ知識 PPDとは?


(6)
1975年萩原考案の2つの日本語特許の詳細を説明します。


(7) 1975年萩原考案の2つの日本語特許の意義を説明します。


(8) 半導体産業の発展と特許の役割について

***********************************




************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************



萩原は、1975年SONY入社して間もなく、発明特許出願し、その特許は
1975年11月10日に公式に日本国特許して申請登録された。そして、
その時、SONYの pinned photo diodeの工業特許権利が確立した。

SONYは、その後生産技術の確立に合わせて、商標を登録し、生産展開し、
SONY original HAD 搭載の超感度 image sensor の brand が誕生した。

SONYは、萩原の特許に守られ、ビデオカメラの世界市場制覇することとなった。

そしてその勢いは今でも続き、超感度、低雑音、低暗電流、残像なしで、
高速アクション画像を提供する、SONY original HAD sensor 技術搭載の
CMOS digital image sensor 技術として、後進技術者に継承されている。


*******************************

これは、その image sensor の基本となる萩原発明の半導体受光構造のお話です。














































すなわち一般に pinned photo diode と呼ばれる半導体の受光構造です。

また、SONYでは Sony original HAD sensor として商標登録されました。

pinned photo diode とSONYの Sony original HAD sensor は同じものです。


CCD image sensor の事業化に大きく貢献しました。そして、現在も、

Sony original の HAD sensor 搭載の CMOS imagesensor として貢献しています。 



これは、超感度・低雑音・低暗電流で、残像のなく、高速 action 映像を可能とする、

高性能 image sensor の基本となる、萩原1975年発明の半導体受光構造のお話です。
 

*******************************

●萩原良昭 著の 技術書籍の紹介です。

   
人工知能パートナー(AIPS)を支える 「デジタル回路の世界」

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html

*******************************
  
ISBN 978-4-88359-339-2 C3055  本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

*******************************

  書籍の出版社の紹介  青山社

 TEL: 042-765-6460(代)  

******************************

  補足資料(Appendix)

  (おまけ) 高校生数学でわかる雑学相対性理論

  
頭の体操(1)  つるかめ算

  
頭の体操(2) 油わけ算

*******************************




**************************

The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 001

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

**************************
 


*************************************

                     内容紹介

*************************************


*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************


************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************

Pinned Photo Diodeについての以下の画像からもわかるように、

Pinned Photo Diodeの資料はほとんどが 1980年以後のものです。


 萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。

     Pinned Photo Diode Patent の画像 (1)

     Pinned Photo Diode Patent の画像 (2)


Pinned Photo Diode と SONY HAD ( Hole Accumulation Diode ) は同じものです。

     Sony HAD sensor Patent の画像 (1)

     Sony HAD sensor Patent の画像 (2)



 萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。


Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。


萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの超高感度・低雑音・低暗電流の特徴は

1978年にSONYが Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した FT CCD image

sensor で原理試作され、その後 1980年になってから他社からも追従した形で多くの

Pinned Photo Diode を受光構造に採用した image sensor の原理試作の発表が

ありました。しかし、最初に、その原理試作を発表したのも、Sony Original HAD の

商票登録して商品化に成功したのは、萩原がその開発部隊として従事していたSONYです。


 参考文献 

(1) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した、 
  世界最初の残像なし超感度のFT CCD image sensor の原理試作の論文発表

  Yoshiaki Hagiwara, Motoaki Abe and Chikao Okada,
  
  " A 380H x 488V CCD Imager with Narrow Channel Transfer Gates",
   Proceeding of the 10th Conference on Solid State Devices, Tokyo, 1978.

(2) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diode( SONY orignal HAD) を
  受光構造として採用した  ILT CCD image sensor  原理試作の論文です。

  萩原が1975年に既にそのPPD(HAD) sensor を考案し特許出願していましたが
  SONYはCCD image sensor の量産技術の立ち上げ・確立を優先してソニー国分
  工場でのCCD専用ラインの立ち上げに全力を尽くしていました。皮肉にも、
  世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の原理試作の論文発表の
  栄誉はNECの寺西さんの開発部隊がにぎり、世界を驚かせました。萩原は自分
  のアイデアがSONYでなくNECで実現されたいへん複雑な思いでした。しかし、
  1978年には 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diode( SONY orignal HAD)
  を受光構造として採用した 残像なし Frame Transfer 方式のCCD image sensor
  で原理試作してSONYが発表しており、残像なし ILT CCD image sensor の
  原理試作も時間の問題でした。萩原は、NECの追従を見て、自分の1975年の
  発明特許の重要性を再確認しました。

  N.Teranishi et al ; "No Image Lag Photo Diode Structure in the
  Interline CCD image sensor", IEDM Tech. Dig. Papers, pp.324~327, 1982
  
●SONYは 1984年には、 この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを

  受光構造として採用した 世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の

  商品化に成功し、Sony original HAD Sensor の商標を武器に、萩原特許に守られ、

  世界市場を制覇しました。


  SONYがCCD image sensor の量産技術の立ち上げ・確立を優先してソニー国分
 
  工場でのCCD専用ラインの立ち上げに全力を尽くした成果でした。。


  一方、NECは、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの受光構造に

  関する SONY-NEC 特許戦争に敗れ、image sensor から撤退することになりました。

  世界で最初に原理試作できたのも、すでに 1975年萩原特許は 1978年に公開特許

  となり、その萩原1975年には明確にその実施例の1つとして、残像なし ILT CCD 

  image sensor の構造図が描かれており、その実現は時間の問題です。SONYは

  原理試作を学会発表することよりも、量産技術・信頼性技術の確立を優先しました。

  そして、早期に image sensor の世界制覇を実現しました。


  一方、米国の Faichild社からも、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの

  受光構造、特にその built-in vertical OFD 構造に関してですが、10年に渡り特許権に

  関する攻撃を受けました。SONY-Faichildの特許戦争(1991~2001)です。


  米国Faichild社が保有する特許の出願は 1975年7月22日でした。

  
  一方、SONYの萩原発明の 「 built-in vertical OFD 構造付きの pinned photo diode 」 

  の特許の出願が 1975年11月10日です。


  このほんの数か月の特許申請の遅れがSONYを10年間に渡り、悩ませました。


  幸いにも、米国Faichild社の特許構造とSONY萩原特許の受光構造には、

  大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いでした。


  (1) 米国Faichild社の受光構造は 表面型CCD型のMOS容量の受光部、

     SONYの萩原発明の受光構造は、 pinned photo diode の受光構造。


  (2) 米国Faichild社の縦型OFD受光構造は、Metal/Oxide/P/N+ /構造で、

     SONYの萩原発明の受光構造は、 Oxide/P+/N/P/Nsub 接合構造で、

     いわゆる別名、Thyristor 構造として知られているものです。

   
     その動作特性の1つである、PNP transistor型受光部のPunch-Thru 動作

     を応用して、built-in vertical OFD 機能を実現したものでした。


  大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いです。

  しかし、全く、半導体物理の基礎を身につけていない、裁判関係の方々に

  説明しご理解いただくことは、SONYにとって、たいへん苦しい挑戦でした。














  萩原の1975年の発明特許 と 1978年のSONYの新聞発表が原点です。

Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。
















*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 002

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************

(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************


これは人工頭脳(人工知能を搭載したコンピュータ)がどの様に外の世界を認識し

理解し、人間の様な振る舞いをするのかを研究するお話です。まずは、外の世界

を人工頭脳が感知(sensing)するかの勉強から始めます。人間でいうと、人間の

目の網膜に相当する受光素子構造のお話です。人間がものを見て理解するには、

すなわち、外の世界の情報が脳の中に取り込まれるには、大きくわけて3つの

部分が必要です。すなわち、




(1)光信号を信号電荷(電子のかたまり)に光電変換する、目の網膜細胞と、

(2)その信号電荷を網膜細胞から脳に伝達する神経線(信号伝達線)と、

(3)神経線で送られたきた信号電荷を受け取る、脳の中にある記憶細胞です。




この3つの部分が機能してこそ、外の世界の情報が脳の中に取り込まれます。


人間の体は炭素・酸素・水素・窒素等を主成分とする構成物質で形成されます。

しかし、人工頭脳は、シリコン・酸素・金属原子を構成物質とする半導体という

物質で構成されます。



(1)目の網膜細胞に対応するのが P+NPNsub 接合の半導体構造です。


   1975年2月20日にSONYに入社し、ビデオカメラの開発研究をしていた

   萩原良昭が 1975年11月10日に申請受理され、SONYの特許権利化が

   成立した発明特許です。「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に

   関する発明特許です。

 
   現在、世界で広く活躍するビデオカメラやスマホや産業ロボットの

   「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に関する発明特許です。

  
   SONYはこの萩原考案の発明特許を武器にし、長年の他社からの

   特許権利化戦争に勝ち抜き、SONY original HAD sensorの商標で

   SONYの商品ブランドイメージを確立させ、多くの勤勉な技術者の

   研究・開発・生産に渡るすべての分野での絶え間ない努力の結果、

   CCD image sensor の市場を制覇し、さらに CMOS image sensor

   の市場をも制覇するに至りました。



   この人工網膜構造が一番重要です。光信号を電気信号に変換する

   構造体です。その光電変化効率が一番重要です。超感度で、残像が

   なく、かつ低雑音で、低暗電流を特徴とする画像を提供することできる、

   この高性能な光電変化機能を持つ、光受光素子構造が一番重要です。



(2)つぎに、網膜細胞から脳に信号電荷を伝達する神経線が必要となります。


   この信号電荷を脳に伝達する神経線に対応するのが、CCDと呼ばれる

   電荷結合装置でした。信号電荷を効率良く低雑音で、すなわちCkT 雑音

   と言われる画像雑音が非常に少ない、CkT 雑音の少ない、非常にきれいな

   画像を提供してくれる半導体素子としてCCDは 1969年に発明されました。


   これはすばらしい発明でした。萩原の学生時代でした。萩原は大学院の

   研究室でこのCCDをdoctor 論文の研究のテーマとして選びました。3人

   の恩師の教授、Prof.C.A.Mead, Prof.T.C.McGill とProf. James McCaldin

   の指導のもと、埋め込みチャネル型CCDの完全空乏化電荷転送の動作

   解析をPhD論文のテーマとして論文を完成させて、1975年2月10日には

   SONYに入社しSONY 横浜中央研究所に配属され、CCD image sensor

   の設計開発とそのビデオカメラシステムの研究に従事しました。


   そして、CCD image sensorは 1980代に入り民生用として完成しました。

   それ以来、長い間、低雑音のビデオカメラの発展に貢献してきました。


   しかし、超高感度ビデオカメラとしては、CCDは貢献していません。


   超感度を実現するのは、(1)の半導体受光素子が不可欠です。


   ビデオカメラの性能は 信号(S) と雑音(N) の比 ( S/N ) で決定されます。


   CCD は、 分母の雑音(N) を小さくするのに大変貢献してきました。


   CCDは 電荷転送配線回路の雑音(CkT雑音)が非常に小さい

    電荷転送装置 ( CTD ) として長年たいへん重要な役割を

   担ってきました。低雑音化にCCDは多大な貢献をしてきました。




   しかし、今では、半導体技術の微細化に伴い、絵素1つ1つに受光部に

   直接 active 回路、という電圧電流増幅回路を装備して信号を増幅する

   ことが可能となりました。


   また半導体の製造工程もCCDより CMOSプロセス工程の方が簡単です。

   それも追い風になり、実用レベルに削減できた低雑音のCMOS のデジタル

   回路型の半導体電荷転送装置が主流となりました。


   さらに半導体技術の微細化に伴い、CCD型電荷転送方式と比較して、

   CMOS 型の電荷転送方式を採用した CMOS image sensor の方が、

   格段に 消費電力の削減が可能となりました。


   さらに、転送効率からくる、原理的な CCDの限界があります。すなわち、

   「CCD型では信号電荷の転送効率と言われるものが 99.999% 以上は

    不可能である。」 という限界があります。


   その理由は、水平画素数が 4K ~8K などの high vision TV 用となると、

   隣接する絵素の間の混色率が、 


    10K = 10000 ですので、00.001 % x 10000 = 10 % 近くになり、


   この10%の混色率は、無視できる値ではありません。

 
   その結果、色再現が悪い、混色が目立つ、画像の極端な劣化を招き、

   もはや、CCD型の 転送方式を採用した CCD image sensor では、 

   実用に耐える、高画素数の高解像のビデオカメラの実現が不可能です。
   

   

   その理由で、CCD型は画素数の少なかった時代には大変貢献して

   きましたが、今では、CMOS デジタル回路型の半導体電荷転送装置

   が主流となっています。CMOS image senor が主流です。


   これが理由で、昔はCCD image sensor が脚光を浴びていましたが、

   今では、CMOS image sensor と呼ばれる電荷転送方式の image

   sensor が現在主流になっています。

   
   CCD 型とか CMOS 型とかいう、image sensor につく名称の由来は、

   信号電荷をどの様に転送されるかを、すなわち、その転送方式の違いを

   示した転送方式の違いを区別した名称であるということです。


   すなわち、CCD 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を 

   CCD image sesnorと言います。


   一方、 CMOS 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を 

   CMOS image sesnorと言います。



   しかし、光を感知して、光信号電荷(電子のかたまり)に変換するのは

   光電変換構造です。この(1)の網膜構造のことです。


   この(1)の網膜構造が一番重要です。超感度で、残像なし・低雑音で、

   低暗電流を特徴とする高性能光受光素子構造が一番重要です。

   
   この(1)の光電変換構造が、CCD image sensor と CMOS image sensor

   両方の性能を左右します。


   この(2)の信号電荷転送部は、CCD image sensor方式の信号電荷

   転送構造よりも、CMOS image sensor方式の信号電荷転送構造の

   方が、半導体微細化技術の進歩のお蔭で、有利になりました。


   
   CCD image sensor方式では、転送できる画素数に限界があり、また、

   原理上CCD電極容量の充放電にかかる消費電力も致命的となり、

   CCD 型の信号電荷転方式は市場から消える運命となりました。


   これが、世間一般に現在良く愛好家の間で、「CCD image sensorより、

   CMOS image sensor が性能がいい。」と言われる所以です。


   しかし、性能という言葉には、広い意味があります。

*****************************

(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。

(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。

(3)  そして、光感度の大小も性能です。

*****************************

この3つの性能についてさらに詳細に説明します。


 
(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。

    CCD 型よりCMOS 型の方が高解像化に有利です。



(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。


   CCD型は原理的にCkT雑音が非常に小さいです。


   一方、CMOS型は半導体技術の微細化により、

    CkT雑音を実用化に耐えるレベルまで低下できる

    様になりましたが、CCD型のレベルには原理的に不可能です。


    暗い画面ではCMOS型は信号線の信号転送雑音(CkT雑音)

    はCCD型に比較して見られます。しかし、注意しないとわから

    ないレベルまで改善され、今では一般の実用に耐えるものです。


(3)  そして、光感度の大小も性能です。


   信号(S)の大きさは光感度に比例します。

 
   超感度とは、光信号を効率良く電気信号に変換することを言います。



   「CCD image sensorより、CMOS image sensor が感度がいい。」と

   誤解している人も多いです。これは間違いです。



   実は、感度は同等です。感度については、(1)の光電変換部の性能

   で左右されます。(2)の信号転送方式ではありません。


   (1)の光電変換部には、 萩原が1975年に発明した pinned photo

    diode が、現在でも 世界中の CCD と CMOS image sensor の

    両方にいまだに採用され続けています。

    
    萩原が1975年に発明した pinned photo diode が、SONYが世界で

    初めて大々的にNYと東京で1978年に 当時の盛田会長と岩間社長が

    自ら記者会見してSONYの社運(ビデオ産業)をかけて発表した CCD

    image sensorに採用されて以来、現在でも 世界中の CMOS image

    sensor にもいまだに採用され続けています。

   
   この1975年に萩原が発明した pinned photo diode、すなわち、当時は

   まだ、このpinned photo diode という名称は生まれていませんでしたが、


   具体的には萩原1975年特許で発明された、P+NPNsub 接合の半導体

   受光素子構造を採用している以上、CCD image sensorも、CMOS image

   sensorも感度は同じです。


   しかし、転送方式の違いによる電荷転送雑音(CkT雑音)には若干差が

   あります。具体的には、暗い画像では、まだCMOS image sensorは

   気づかれないレベルですが CkT 雑音があります。


   信号転送線に生じるCkT雑音の少ない事は、CCDにはかないません。

   CCD転送方式の良さは、このCkT雑音が極端に少ない事です。


   しかし、CMOS転送方式も実用化に耐えるCkT雑音となりました。


   半導体の微細化技術 ( Intel の創設者の Dr. Gordon Mooreの

   sacling 則) の進歩の当然の結果です。


   実は、Dr. Gordon Mooreは、萩原良昭の大学(Caltech)の先輩です。


   また、萩原がPhD論文の指導を受けた恩師である Prof.C.A.Meadは、

   Dr. Gordon Mooreとは長年の友人で Intel 社とも創設時代以来の

   親交があります。


   それで、 Prof.C.A.Meadが初めて 「Moore の法則」と呼ぶ様になり

   世界に知られるようになりました。萩原も学生時代から、このMOS集積

   回路の微細化技術の進歩について学び、実際、Intel社のMOS プロセス

   製造ラインを使って、産学共同プロジェクトで MOS 集積回路を母校の

   大学(CalTech)の研究室で設計して、Intel社で試作し、評価して IEEEの

   学会誌にその成果を発表(共著)したことが学生時代にあります。

   



(3)つぎに脳の中にある記憶細胞に対応する半導体記憶装置の話になります。


   脳の中にある記憶細胞に対応するものは、高速Cache SRAM や USB

   メモリ等で代表される不揮発性記憶素子(NVRAM)と呼ばれるものです。


   脳には他にもいろいろな信号処理機能を持っていますが、電子頭脳では、

   これは processor と呼ばれるもので、大規模デジタル回路で構成される

   半導体集積回路のことで、いろいろな信号処理機能を実行します。その

   いろいろな信号処理を手順よく実行するためにはいろいろなソフトウェア

   が必要となります。人工知能とはこのソフトウェアそのものをも意味します。



*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 003

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************



************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************




************************************

 SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、

 かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、

 1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、

Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?

また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?

************************************



*********************************

今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから

期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が

追従し、開発製造が可能です。 


しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の

のSONYの萩原発明特許が原点です。


萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を

提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション

撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、

1975年の萩原発明特許で定義しました。


1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。


CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置

として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!


本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に

相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の

受光素子のことです。



***********************************




************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************





(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。

    この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。


(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。

  萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。

(3) Image sensor の世界の第一人者で、ISSCCやIEDMの国際学会などで、今でも

  ご活躍の、Delft 大学の教授の、 元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

  は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は

  pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許

  の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての

  CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての

  電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。

  
  また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode

  という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、

  この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、

  SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ

  カメラの試作に成功し、記者会見しました。

  
  これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である

  ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。


   このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は

   現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に

   採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、

   残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍

   しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  下図は Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode です。

   


   Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode (上図)が

   萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode (下図)と全く同じものである

   ことは、半導体物理を学習した学生なら誰でも簡単に理解できます。

 
    明らかに Fossum は萩原1975年の特許の内容を理解できないのか、

   またはその日本語で記載された特許請求範囲の記述文を読んだことが

   ないか、または故意的に無視し、自分の都合の良い虚論を展開したのかも?

    もと東京工業大学の松澤名誉教授は、「この Fossum 論文 を fake である。」

    とあきれていました。「どうしてこんなバイアスされたものが論文として採用された

    のか、理解できない。」とおっしゃっていました。また、image sensor の世界の

    第一人者で、 ISSCC や IEDMの国際学会などで今でもご活躍の、

    Delft 大学の教授で、もと  元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

    は 「Fossum からFossum 論文の共著になってくれとの依頼を受けたが、

    論文内容が懐疑的( doubtful ) で、sensitive な内容であるので、共著を

    断った。」 との話でした。誰が pinned photo diodeの発明者であるかを

    断定することは、企業間の骨肉の醜い特許戦争にもかかわる、sensitive

    な内容であり、当事者の会社同士で決着つけるもので、部外者としては

    関係ない話で、共著を断った。」 との主旨でした。


**************************************

 Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。


この事実関係は、Prof. Albert Theuwissen との e-mail での内容からも明らかです。

**************************************


-----Original Message-----

From: hagiwara [mailto:hagiwara-yoshiaki@aiplab.com]

Sent: Tuesday, July 10, 2018 7:42 PM

To: 'albert theuwissen'

Cc: 'Yasuhiro.Ueda(SONY)' ; 'Terushi.Shimizu(SONY)'


Subject: Who is the Inventor of PPD ?


Albert, thank you for your e-mail.

>After some doubt I declined his (Fossum 2014 paper) invitation,

>because I do know that the discussion about the inventor of the PPD

>is very sensitive, and I do agree with you

>that the structure you developed is indeed a PPD,

>maybe not called that way at that time (1975 )

>and also invented for some other purpose (Vertical OFD) .

>But it still remains a PPD !

>At Philips, in the late '70s a very similar structure was implemented

>in the CCDs, this was before I joined Philips in 1983.

>So yes, there were several p+/n-/p- structures known by the time

>that Teranishi issued his patent. I fully agree to that.


Thank you very much for your kind comments.


from Yoshiaki Hagiwara

************************************************************


事実、 Fossum 2014 論文では、(1) SONY original HAD と pinned

photo diode が まったく同じものであることを隠しています。 すなわち、

1975年発明のSONY original HAD と NECが IEDM1982で試作発表した 

pinned photo diode が まったく同じものであることをうまく隠しています。

(2)SONY original HAD と pinned photo diode が まったく同じものである

となると、その発明者、pinned photo diode の発明者は、すなわち、SONY

のSONY original HAD の発明者と同一人物(萩原良昭)になることになります。



 Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。



Fossum は この Fossum 2014 fake 論文 を武器に、自分に有利な評価環境を

学術学会だけでなく政治的に働きかけ、構築し成功しました。最終的に多くの技術

専門家をもあざむきました。無知な人々まで多くを巻き込みました。完全なる詐欺

行為です。 英国王室からの受賞に関しても、偽りの推薦書を集め、NECの寺西

さんを pinned photo diodeの真の発明者と担ぎあげ、さらに Fossum 自身も、

デジタル CMOS image sensorの真の開発者であると、Fossum 自身に有利な

評価環境を構築しました。本当のデジタル CMOS image sensorの真の開発者は、

勤勉なSONYの技術者です。


Fossum の一連の行為は絶対に許されない詐欺行為です。


*********************************

今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから

期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が

追従し、開発製造が可能です。 


しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の

のSONYの萩原発明特許が原点です。


萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を

提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション

撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、

1975年の萩原発明特許で定義しました。


1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。


CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置

として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!


本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に

相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の

受光素子のことです。



***********************************


*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 004

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************


************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************






   


  



以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。


  SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、

  これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。


      
Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて

  このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。

 
  たとえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo

   diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の

   派生特許にしかすぎません。1989年に萩原出願のUSP特許が先行特許です。





この萩原1975年特許は NECや米国Fairchild等からも特許権の攻撃を受けてきました。




   萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての隣接するCTD ( CCDや 

   CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)に pinned photo diodeを

   採用することを特徴とする固体撮像装置としています。CCD受光構造と同様に、

   完全空乏化電荷転送が可能で残像のない、かつ超光高感度でVOD機能付きの

   半導体受光構造( Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor = pinned photo

   diode) を今も提供し続けています。

************************************



*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 005

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************


以下、その詳細な説明です。


*************************************

(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。


  この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。

**************************************










下の図は 2014年のFossum論文 に引用されている pinned photo diodeの図です。

この図は、1975年萩原出願特許の超感度低雑音残像なしの半導体受光素子、すなわち、

Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor と同じものであることは、半導体物理

を学習した学生なら誰でも簡単に理解できるものです。















************************************

(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。

  萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。

************************************








**************************************

(3) Image sensor の世界の第一人者で、元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

  は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は

  pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許

  の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての

  CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての

  電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。

  
  また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode

  という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、

  この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、

  SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ

  カメラの試作に成功し、記者会見しました。

  
  これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である

  ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。



   このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は

   現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に

   採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、

   残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍

   しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.



************************************

(4) 以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。


  SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、

  これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。


      Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて

  このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。

 
  ととえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo

   diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の

   派生特許にしかすぎません。萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての

   隣接するCTD ( CCDや CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)

   に pinned photo diodeを採用することを特徴とする固体撮像装置としています。

************************************


*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 006

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************




************************************

  SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、

 かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、

 1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、

Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?

また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?

************************************


萩原1975年発明特許の実施図(応用例の1つ)には、PNP接合型の受光素子構造図、

すなわち、pinned photo diode の構造図が描かれている。PNP接合型の受光素子を

基体(Nsub)に構築することも、また明確に、特許請求範囲に記述されている。従って、

これはPNPNsub接合型のサイリスタ構造体である。このサイリスタ構造の固有動作、

いろいろな自由度を持つ固有動作、が期待させることは周知である。その動作の一つ

が縦型のoverflow drain 機能 (VOD) であることを特許の実施例の図は明示している。


特許で素子構造体を明確に定義しておけば、その期待される動作は公知文献や技術

資料や教科書に詳細に記述されている。公知情報である。特許の説明文に期待される

付属動作をすべて記載する必要はない。特許の真価は、その特許の請求範囲を正確に

定義した記述文そのものにある。


萩原1975年特許の特許請求文の内容は、単純に(1)基体(Nsub)にPNP接合構造を

受光素子として、すなわち pinned photo diode として、(2)電荷蓄積部(N層)から

隣接する電荷転送素子(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置とある。


実施図で、この電荷転送が完全空乏化電荷転送であることを明示し、すなわち、

残像のない画像を提供する固体撮像素子を意味する。


また、事実上、PNPNsub 接合(サイリスタ)構造であることから、自動的にVOD機能

があることも期待された固体撮像素子を意味する。


上層部には金属性電極がなく、光は酸化膜を通過できる。直接PNP受光素子である

pinned photo diodeに光が照射され、超高感度な固体撮像素子を提供する。


また、酸化膜と半導体結晶体の界面には、空乏化していない、すなわち hole キャリア

に満たされたP層が存在する。これが、Sony original HAD sonsorの名前の由来である。



この受光素子構造は、電圧が固定された、すなわち電圧がピン留め( pinned )された、

上部のP層があり、CCD型の受光構造では、界面電界のための暗電流が存在するが、

このpinned photo diodeでは、界面電界が生じないので、この暗電流がない、暗電流

による暗電流雑音のない、 S/N 比の高い、高品質画像を提供する。


HADとは、 hole accumulation diode のことを意味する。pinned photo diode (PPD)

の別名である。HAD も PPD も同じものである。この事も世界は詳細には知らない。



この受光素子( HAD / PPD ) のN層は、上層のP層により、界面捕獲準位 ( trap )

からも保護され、埋め込みチャネル型CCDの受光構造と同様に、trap 雑音のない、

S/N 比の高い、高品質画像を提供する固体撮像装置となっている。



この萩原1975年発明の pinned photo diode は、CCD image sensor の時代から

採用されていたが、その優れた特徴がCCDの特徴であると長い間誤解されていた。


CCDは金属電極の存在があり、光感度が悪く、かつ金属電極容量の充放電電流が

無視できず、省エネに不利となり、微細化技術が進んだCMOSデジタル回路技術

に負ける運命となった。



今となり、CCD image sensor が市場から消えつつある現在であるが、それでも、

現在の デジタル CMOS image sensor でも、この萩原1975年発明の受光素子

である pinned photo diodeは超感度低雑音受光素子として採用され生きている。


SONY original HAD sensor 搭載の modern digital CMOS image sensor の中には

今でも、1975年に萩原が発明した超感動低雑音半導体受光素子構造が生きている。


SONY独自のSONY original HAD sensorの開発事業化は、SONYの多くの勤勉な

技術者の開発努力の結果である。しかし、その開発努力も萩原特許の存在があって

こそ、守られ実を結んだ。萩原1975年特許の存在がなければ、単純に他社の

コピーを製造していたとされ、高額な特許使用料を請求され、事業化も難しい状態

に陥る危険性が何度も生じた。しかし、 萩原1975年特許がSONYを守った。


SONYは、1975年萩原が出願した、このSONY original Patent に守られ、Fairchild社

やNEC社等との特許戦争にも勝利し、一方逆に、Fairchild や NEC は、民生用 の

image sensor の大きな市場から撤退することとなった。今では、SONYは、世界の

image sensor 市場の6割以上を独占し、image sensorの単体売上も1兆円を超える

勢いである。人工知能搭載デジタル回路システムにデジタル CMOS image sensor

は不可欠な存在である。ますます、その未来が楽しみである。


(1) SONY original HAD sensor ( pinned photo sensor )の発明者が

  当時SONYの萩原良昭の1975年11月10日の発明であることの証拠




(2) 長年に渡るSONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原1975年特許でSONYを含む

  多くの image sensor の製造企業が守られたことを示す新聞記事





(3) SONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原が水面下の活動していたことに関して、

  当時のSONYのTOPから労いの言葉をもらった。




(4) SONYのHAD sensor 特許がNECから攻撃を受けた特許戦争において、

  SONYのHAD を守るため、 SONYからNECに出した対抗文書が出された。

  その結果、SONYとNECの特許戦争はSONYの勝利に終わり、その後 Sonyは

  SONY original HAD sensorの名前で、image sensorの事業化を展開し、市場を

  独占できた。一方のNECは市場から、撤退することとなった。これでやっと、

  萩原1975年特許( pinned photo diode 特許)の特許戦争は一段落し、萩原は

  社内でやっと公式に評価されることになった。



  



*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 007

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************



*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************




 
(1) Introduction




**************************************

  SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話です。

**************************************


SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機の

コックピットに搭載されたもので、萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でした。


ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の高い固体撮像素子の実現として世界は

注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしてしまいました。





1975年2月20日に萩原はSONYに入社しましたが、その当時、SONYのCCD開発部隊では、この透明電極を使ったILT CCD

image sensorが本命として開発されていました。しかし、その受光部は透明電極という異質の材料を使い、プロセスの歩留まりを

悪化し量産には向かないものでした。画像欠陥が多く発生し、なかなか無欠陥 CCD chip を造ることは難しいでした。また強い光

により生じる過剰電荷を掃き出すoverflow drain構造として、横型を採用しており、受光部の有効面積がそのぶん減少し、光感度

の劣化を招いていました。また、受光部構造は、CCDと同じくMOS容量型の為、半導体界面には強い電界が生じ、受光部での

暗電流やtrap雑音が発生し、微妙に画像の劣化を招いていました。



しかし、「これ以上の改善は難しい。」と当時のSONYのCCD開発部隊のTOPはこれを本命として事業化を真剣に考えていました。



その中で、萩原はSONYで一人その開発方針に疑問を感じていました。しかし、対案が無い限り、現状を否定することは消極的な

意見で、積極的な、協力的な態度とは言えません。悪口を言っているだけに聞こえます。


何かもっといいアイデアを出さねばならなりません。


萩原は1975年2月20日にSONY入社して、はじめて、1975年11月10日に日本語特許を出願登録することになりました。



この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、現在、世界では一般に

 the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD sensor と呼んでいるものです。



当時はあまり特許権利を武器に、他社の事業化を邪魔したり、特許から高額の特許料を請求することなどは特別な場合以外、

ほとんどなかった温和な時代でした。ライバル企業間ではお互いの自社の特許を交換し、両者が顧客により良い商品を提供する


ことに専念できる時代でした。企業間は温和な協力関係にあり、SONYも同様で、萩原1975年特許は単純にアイデア特許として、

SONYが事業化する場合、自社の事業化を防御する特許としての期待されるものの、、外国特許出願するまでには、萩原もSONYも

まったくこの特許がそれほど重要なものとは、その必要性を感じていませんでした。それが結果として悪さをして、現在に至ります。

この特許の存在はSONY社内でも海外でもまったく知られることのない長い時期を迎えることになってしまいました。しかし、この

1975年の萩原特許が超感度・低雑音・低暗電流でかつ残像のない高画質のデジタルカメラの実現を今でも可能にしているものでした。


SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機のコックピットに搭載されたもので、

萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でしたが、ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の

高い固体撮像素子の実現として世界は注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしました。




この透明電極を採用した受光構造は、MOS型の受光構造です。しかし、このMOS型の受光部では、半導体界面に強い電界が生じ、

強い電界による暗電流や界面の捕獲準位の存在によるTrap雑音が発生して、画像に雑音が増加し、画質の劣化を招きました。


当時の古典的な MOS 型 image sensor は、MOS型受光構造でなく、表面が単純に酸化膜で保護されたN+P接合容量型の

受光構造でした。当時の古典的な MOS 型 image sensor は、単純にデジタル回路用のMOS プロセスで製造されており、

歩留まりは悪くはありませんでした。無欠陥のMOS 型 image sensor を造ることができましたが、また、MOS 型 image sensor は

光感度と色再現性はまあまあでしたが、残像の多い画像でした。原因は、受光部にN+拡散層を使っており、BBD転送 modeで

動作して、 CCDの様な完全空乏化電荷転送動作は不可能でした。また信号読み出しの output bit line 容量が大きいのが原因で 

CkT 雑音が大きく、無視できませんでした。


そこで、CCD受光構造特有の完全空乏化電荷転送の結果成し得る「残像なし」の特徴を当然これからも維持しつつ、さらに、透明

電極を使わない方法はないかと萩原は思案しました。 当時のMOS image sensor は、NP接合型のphoto diodeをそのまま受光

構造素子としていました。萩原はそれを改良した構造ですが、そのNP接合型のphoto diodeをまま使う部分構造として使うことに

しました。その改良点ですが、まず、受光部をN+P接合とせず、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の薄い濃度(N)を使った 

NP接合構造として、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層と同じ濃度としました。埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の場合と

同様に、完全空乏化電荷転送がこの濃度(N)を薄くしたNP接合型の受光構造とすればいいのではと萩原は考えました。


しかし、それでもまだ完全でないと萩原は考えました。その理由は、まだ、半導体界面には、強い電界がかかる事になるので、

暗電流や半導体界面に存在する捕獲順位による trap 雑音はまだ存在するので、これでも完全ではないと萩原は考えました。



そこで、萩原は 1971年と1973年の夏休みにSONY厚木工場で自習したことを思い出しました。


当時(1971年~1973年)のSONY厚木工場では、カラーテレビ用信号処理用 bipolar transistorの集積回路の量産体制が、

米国 TI社との特許ライセンス提携のもと、確立しつつある時期でした。萩原はそこで実習生として、 bipolar trasistorの 

集積回路(IC)の不良解析を担当していました。具体的には、bipolar transistorの誤動作の原因の Latch-up 現象を学習し、

これは本来、P+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の punch-thru の現象であることを理解しました。



萩原はそのことを思い出だし、その経験をヒントに、このP+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の受光構造 ( the pinned photo diode )

の発明に至りました。 この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、

現在、世界では一般に the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD sensor と

呼んでいるものです。NECの寺西チームはではIEDM1982でこの萩原1975年発明の受光構造を採用した ILT CCDを発表

しました。NEC考案の独自構造として the buried photo diode と名付けましたが、その構造は、萩原1975年発明の受光構造と

まったく同一のものです











(1) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、

     SONY original HAD sensor のことであり、また、

    世界一般に pinned photo diode と呼ばれるものは同じものです。

    ほかにも、 buried photo diode とも呼ばれる事態を複雑にしています(大涙)。


(2) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、構造特許として権利化

    されています。その期待されるいろいろな動作modeに関してはその特許の

    有効性(Know How) と考えられます。また、その半導体素子の構造を明確に

    定義されれば、その半導体素子の動作は、半導体物理の教科書は技術資料に

    詳細に記述されているので周知情報として特許の説明文に記載する必要は

    ありません。その構造を使うこと自体が特許の対象になるわけで、どう使うに

    関しては特許の請求範囲外となります。使い方はどうでもいいわけです。その

    半導体素子の構造が重要な特許となります。


(3)Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、単純に P+NPNsub接合

   すなわち サイリスタ―構造の半導体受光素子としています。そして、その信号電荷

   が蓄積された受光領域(N層)から隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を

   転送することを特徴とする固体撮像装置です。。そして、その有効性を示す特許詳細

   説明用の実施例の図6に、このサイリスタ―構造は 縦型の overflow drain 機能、

   すなわち、VOD機能を持ち、また、CCD動作と同様に、完全空乏化電荷転送が可能

   である、大変有望な構造であることを示唆しています。具体的には、その信号電荷

   が蓄積されていた受光領域(N層)が完全空乏化電荷転送の結果、信号電荷のない、

   空の状態になっていることを、特許の図6Bに the empty potential well の電位曲線

   として描いています。


(4) このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は1978年には FT CCDに

    採用され、SONYは岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで記者会見し、

    超感度高性能の家庭用小型ビデオカメラの幕開けであることを宣言しました。

    当時はまだ SONY original HAD sensor という商標も、pinned photo diodeという

    名前は存在しませんでした。しかし、1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、

    今も裏面照射型の超感度CMOS image sensor にも採用され続けています。




(5) 1982年になると、NECの寺西さんが IEDM1982に世界で初めて、このHagiwara

   1975年発明の Hagiwara Diode(自称)を採用した ILT CCDの原理試作を

   国際学会で発表しました。しかしこれはあくまで原理試作です。SONYはすでに

   このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)の原理試作は1978年に

   実現しています。 SONYは 1984年遅れること2年で、Hagiwara 1975年発明の 

   Hagiwara Diode(自称)搭載の ILT CCDの量産技術を確立し、また、SONYは

   SONY original HAD sensor として商標登録して市場を独占しました。水面下で、

   NECとSONYは長年に渡り、この1975年SONY萩原発明の Hagiwara Diodeと

   NEC 寺西1982年特許( buired photo diode ) の間で特許戦争がありましたが、

   最終的にSONYの勝利となり、敗れたNECはビデオカメラ市場から撤退することに

   なりました。自社特許がいかに重要であることを物語るものでした。


 (6) SONYが今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、

     その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。

     最高の性能は自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の

     技術者との連携と彼らの知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、

     それも自社で一番強力な特許があってのビジネスの世界の話です。それが萩原が

     1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。SONYは長年、このHagiwara Diode

     に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から2000年に渡る米国 Fairchild社

     との特許戦争がありました。





この米国 Fairchild社とSONYの、埋め込み overflow drain 構造に関する特許戦争での最大の問題は、

Fairchild社の特許 (Early Patent)が1975年7月22日出願で、一方、SONYの特許( Hagiwara Patent)は

1975年11月10日出願で、数か月先行しており、Fairchild社が先願特許と位置付けられたことでした。


その為、この2つの特許の構造の違いと、その特徴の違いを詳細に、特にそのVOD構造の違いを技術的に

半導体物理や半導体素子の動作原理を理解していない裁判の陪審員や審査官にどう説明できるかが最大の

問題でした。SONY側の技術擁護弁論者として、当時 UC Davis の教授の Prof. Bob Bowerに高額の

依頼費をSONYは出していました。偶然にも Prof. Bob Bowerが Caltechの卒業生で、萩原の先輩である

ことが判明し、初めて、Prof. Bob Bowerからの連絡で、米国 Fairchildと SONYの特許戦争の話を非公式に

萩原は知りました。萩原はすでにSONYでは image sensorの仕事はしていませんでしたので、SONY内部

としては極秘事項なのでその裁判の詳細を知る余地はありませんでした。しかし、その特許戦争の対象となる

のは萩原が1975年に出願した萩原特許( Hagiwara Diode ) と Early Patent の本質の違いを明らかにする

ことでした。当時、萩原は ISSCCなど国際学会出席のついでに、UC Davis 勤務のProf. Bob Bowerの自宅

を訪問し、いろいろ非公式に、日本語で書かれた萩原特許( Hagiwara Diode ) について Prof. Bob Bowerに

その詳細と背景について説明しました。









萩原はその裁判の外の人間でした。SONYは、萩原の存在自体を裁判の流れにどう影響するか不安でした。


最悪の場合、感情論となり、「萩原はもと米国の留学生で米国から知識を米国から持って帰った、いや盗んだ

悪人だ。」と陪審員が感じ取る危険性もあったわけです。でもいずれ、SONY保有特許が萩原の発明で、

萩原が誰なのかは隠していてもいずれは暴露されることは明白でした。SONYは裁判で最後の最後まで

萩原の名前を出しませんでしたが、最後にFairchild側からの質問で、その日本語特許の出願者がかつて、

米国留学生でCalTechの卒業生であることを、Prof. Bob Bower は明らかにしました。



それも Faichild社創設者の Dr. Gordon Moore の母校のCalTechの後輩で、Dr. Gordon Moore が、

Fairchildを去った後、新たに設立した Intel社とも、密接な産学共同プロジェクトで、萩原が深く関係して

いることを知り、その偶然に裁判関係者は驚きの顔を隠せませんでした。



しかし、その結果は、どうしたことか、陪審員はFaichild社の主張を認めた判定を下しました。

その結果は、SONY側からの人間から見ると、誰が見ても意外で、論理性がない、感情論といって

いいものだったと記憶します。やはり、萩原が米国留学生だったことが最大の問題だったのか?



しかし、萩原はそれではあきらめられませんでした。萩原が出願した特許は、米国で学んだことで

出願したものではない。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistorの

製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の

Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の

問題をヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。


1975年2月20日の途中入社扱いで萩原が、SONY中央研究所に配属された時、開発部隊の

先輩だった山崎さん、山中さん、名雲さん、西村さん、中田さんから、CCD image sensorを

使ったカメラシステムの特性をいろいろ教えてもらった時に、CCDでは色再現が悪く、致命的で、

当時残像はCCDはなかったが、残像が問題のMOS image sensorの方が色再現がいいと

教えてもらった。CCDは受光部には適さないと教えてもらった。それで、受光部にはやはり当時の

MOS image sensor と同じく、 N+P 接合型がいいと萩原は理解した。しかし、するとCCDの良さ、

完全空乏層電荷転送による残像なしの特徴が実現できなくなる。それをどう解決するか、その

ためには、埋め込みチャネルCCD型と同じく、N-P 接合型の受光構造がいい、しかし、埋め込み

チャネル型は trap 雑音は回避できたが、酸化膜界面の電界がかかるので表面結合電流が増加し

受光時間に暗電流が発生し、これが暗電流雑音となる。この、N-P 接合型の受光構造でも不完全で

ある。そこで、萩原は思い出した。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistor

の製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の

Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の

問題を思い出した。それをヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。





CCD型受光部の最大の問題点、金属性電極による光感度の問題を解決するために考案したのが、

サイリスタ型の、P+NPNsub 接合型受光素子構造( Hagiwara Diode ) の発明だった。米国で萩原が

学んだ知識だけはないと萩原は自信をもって言えた。


実は1972年に CalTechで Prof. C.A. Meadの指導のもと、Computerの検索エンジンに不可欠な

集積回路 silicon chip として、128 bit のdata stream を高速並列処理比較回路 ( 128 bit data

comparator silicon chip ) の集積回路を 当時の Intel の標準プロセス製造ラインで試作し、

大学(CalTech)に持ち帰り、評価し動作確認し、Intel社の技術者(Caltechの萩原の先輩)と連名で、

IEEE Journal of Solid State Circuits (1976年)に産学協同論文として投稿していました。


萩原はいろいろな国際会議の論文委員として奉仕していたことが幸いし、多くの他社の技術者との

交流も深く、連絡を取り合い、いろいろ意見を聞き、アドバイスをもらい、それを Prof. Bob Bpwerに

feedback して、SONY側の技術養護弁論をProf. Bob Bpwerに託していました。





この米国 Fairchild社とSONYの特許戦争でやっとSONYは勝利し、萩原は、大賀会長、出井社長ほか、

当時のSONYのTOPの方々から労いの言葉をいただいています。萩原はただ自分の誇りを守るために

努力したのみです。自分がこの特許の発明者であることを証明するために努力しただけで、SONYからも

誰からもお金は全くもらっていません。





(7)この米国Fairchikd社とSONYの特許紛争ではSONYは勝利しましたが、当然、SONY一社の技術者の

  特許だけでは到底最高の商品を自社開発することは不可能です。多くの他の企業の技術者との連携や

  彼らの知恵(特許)も使って初めて最高の商品が顧客に提供することができます。小さな特許では付属

  特許として、派生特許としてどこの企業でも他社に特許料を支払うことはあります。SONYも同様です。


  しかし、主力商品の重要特許に関してはやはり自社で特許を保有していないと、なかなか大きく事業

  展開は難しいです。 SONYは今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、

  その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。最高の性能は

  自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の技術者との連携と彼らの

  知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、それも自社で一番強力な特許があっての

  ビジネスの世界の話です。それが萩原が1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。


  SONYは長年、このHagiwara Diode に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から

  2000年に渡る米国 Fairchild社との特許戦争がありました。またNECとSONYの間では水面下で、

  同じHagiwara Diode に関する特許戦争がありました。この2つの大きな特許戦争の勝利を得て、

  萩原もやっと1975年発明の自称 Hagiwara Diode 、 SONY original HAD sensorの生みの親で

  あることがSONY社内でも公式に認められました。それまでは特許戦争の行方が不透明で社内でも、

  1975年の萩原特許の存在は社内でもあまり公表されず、 image sensorの開発技術者の間でも、

  萩原1975年特許の存在は知られていませんでした。また社内で特許褒賞を受賞しても特許番号だけで、

  その特許の詳細内容は社内でも公開されておらず、社内のほんの数人の特許関係者以外は、この

  萩原特許の詳細を理解している社内技術者は、ほとんど皆無でした。その理由は、もう1975年特許

  と古く時効で、特許効力・市場価値がない「終わった人の特許」と見なされていたからでした。



  しかし、それでも、SONY社内で初めて公式に、SONY original HAD sensor が 萩原の1975年の発明

  であると認められた瞬間でした。


  この意外な事実を初めて知った、社内の image sensorの開発技術者は、驚いた様子でした。


  重要な技術情報が社内で詳細に共有されていなかったことに疑問を感じた若い技術者もいました。

  やはり、特許が公開されたものに関しては、社内社外の特許に関わらず、担当の開発技術者が

  全員情報共有する必要があると萩原は実感しました。お互いに、先人が出した特許を学習し、

  さらにそれを超える特許を出す勉強会などをもっと奨励することの大切さを感じた若者もいました。

  
  それまでの秘密主義の image sensorの 技術管理TOPの態度に疑問を持つものもいました。

  
  一般論ですが、技術管理者(課長や部長職)は部下の特許を把握し、それをヒントに部下に内緒で

  自分の部下のアイデアを盗み、ヒントにして、勝手に課長や部長が特許を出願し、その部下が生意気で

  邪魔になると、その部下を首にして職場を移動させることも可能です。 特許は 2~5年の間公開される

  までは極秘扱いであることをいいことにして、その間にいろいろ派生特許も出せる立場にあります。会社

  としては誰が発明しようがまったく関与せず、会社の所有であることには違いないので、それ以上は深く

  事実関係を追求しません。特許が 2~5年後、公開される頃には、もうその部下も職場におらず、その

  課長や部長が出願した特許の存在を知る余地はありません。そういう悲しい状況が生まれる危険が、

  情報シェアされない職場にはあると萩原は当時実感しました。

  







  しかし、その後、SONYの多くの技術者開発者の努力が報われ、現在 SONYは世界のimage sensor の市場の

  6割以上を独占する勢いとなり、これからもさらなる発展が期待されています。






 

***************************************
    
      Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.

***************************************
    
Story of Sony original HAD sensor (1)

 More Story (1) , Story(2), Story(3)

Story of Sony original HAD sensor (2)    
Story of Sony original HAD sensor (3)


Story of Sony original HAD sensor (4)

Story of Sony original HAD sensor (5)
      
Story of Sony original HAD sensor (6)

Story of Sony original HAD sensor(7)

Story of Sony original HAD sensor(8)


*************************************




return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************





*******************************

毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


*******************************








*************************************





*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 008

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************

*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************






(2) Sony original HAD sensor の背景



*************************************

 これは SONY original HAD sensor ( pinned photo diode ) の発明者のお話です。

*************************************







************************************

  まずは、SONYの商標、 SONY original HAD sensor について紹介します。

************************************


https://en.wikipedia.org/wiki/HAD_CCD

https://www.ptgrey.com/exview-had-ccd-ii-sensor-technology

https://en.wikipedia.org/wiki/Hole_accumulation_diode

https://www.sony.net/SonyInfo/News/Press_Archive/200002/00-007/


************************************

 SONY original HAD sensor  は、世界では一般には別名で、

 pinned photo diode とも呼ばれる半導体受光素子のことです。

************************************



もとSONYの萩原良昭が1975年特許発明したHagiwara Diodeのことです。

1969年に発明されたCCD image sensor は世界で初めて完全電荷転送を

可能にし、残像のない映像を初めて可能にしました。それまでの MOS

imager も BBD 型の image sensor も電荷蓄積部が濃度の高い N+の

拡散層を採用しておりその拡散層を低電圧で完全空乏化電荷転送を実現

することは不可能でした。しかし、CCDの発明は、完全空乏化電荷転送を

可能にしました。実際は 99.999%の精度での完全電荷転送で、今では

それでも充分でないことがわかりましたが、1970年当時としては最高の

すばらしい数値でした。それが評価され、CCDの発明者( 米国ベル研の

Boyle と Smith )はノーベル賞を受賞しました。



表面型CCDは改良され、埋め込み型CCDも完全空乏化電荷転送が可能と

なりました。その理由は、埋め込み層の濃度(N)を薄くし、完全空乏化電荷

転送を可能にしたからです。


1975年、当時SONY勤務だった萩原はその薄くした埋め込み層の濃度(N)

に着目し、世界で初めて、CCDでなくても従来のMOS型のimage sensorでも

電荷蓄積部の濃度を、埋め込み型CCDの埋め込み層と同じ濃度にすること

により完全空乏化電荷転送が可能であることに注目し、萩原1975年特許で

Hagiwara Diode 1975を 発明し、その特許の実施例、その1つの応用例の

図の中に the empty potential well の電位図に世界で初めて描きました。





1975年には既にCCDの the empty potential well の電位図の物理的は意味

は周知でした。すなわち、CCDの the empty potential well の電位図は、

完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像をCCDが提供するという

すばらしい特徴をCCDが持っていることは周知でした。


See Fig.53 in p.425 of Physics of Semiconductor devices

by Prof.S.M.Sze, 2nd Edition ISBN 0-471-05661-8

for the detailes of (a)BCCD (b)Enerygy band for an empty

potential well and (c) Energy band when a signal packet

is present. See also D.C.Burt, " Basic Operation of Charge

Coupled Devices," Int. Conf. Technol. Appl. CCD,

University of Edingburgh, 1974, p.1 .


萩原は1975年発明の特許の Hagiwara Diode ,すなわち、

現在世界で pinned photo diodeの受光構造でも、CCD型の

受光構造だけでなく、the empty potential well が実現可能で

あることを世界で初めて1975年に特許の中で明らかにしました。


NECとSONYの特許戦争でもこのthe empty potential well の論点が最大の課題

となりました。萩原が動作に関する記述はKnowHow に所属するのでできるだけ

記述説明を除外せよとの当時のCCD開発TOPやそれに従る特許部のStaffの

アドバイスにも抵抗して萩原が「これだけは重要だ」と主張した、この完全空乏化

電荷転送の電位ポテンシャル図の存在のお蔭で、SONYとNECの特許戦争で、

SONYが勝利できた。これは 萩原が1975年に発明した Hagiwara Diode が、

先行特許構造であることの証拠となった。逆にNECの寺西特許は萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diodeのコピーであることを証明したことになった。すなわち、

萩原が pinned photo diodeの本当の発明者であることの証拠でもある。 



Hagiwara Diodeの特許1975の図6に萩原が描いたthe empty potential well は、

完全空乏化電荷転送の結果、電荷蓄積部が完全に空になっていることを意味し、

それは action picture など高速撮像に不可欠な残像なしの映像を可能にします。

萩原は1975年にすでに Hagiwara Diode ,すなわち、現在世界で pinned photo

diodeと呼ばれる受光構造でも、「残像なし」というすばらしい特徴を持っていること

を示唆した明らかな証拠です。


この事実は理解するには、半導体物理と半導体素子の動作原理をしっかり

学習し理解する必要があります。


たいへん難しい概念ですが、バケツに入っている水をすべて掃き出せば、

バケツの形状だけが見えることのたとえで、半導体物理原理により、

半導体の受光部のバケツの形状がこの the empty potential well の形状

となることを萩原は1975年の特許の図6に世界で初めて描き明らかにしました。



この萩原が世界で初めて1975年に萩原特許の実施例図6に描いた、

pinned photo diode ( P+NPsub junction sensor ) の

the empty potential well の電位図が、もと1975年SONYの萩原が

the pinned photo diode の本当の発明者であることの証拠であります。





萩原1975年の発明はCCDだけでなく、Hagiwara Diode のちに世界一般に 

pinned photo diodeも 完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像を

可能にすることを、 もとSONYの萩原は1975年の日本語特許の図6に

世界で初めて示唆しました。 従って、pinned photo diodeは SONYの

固有の発明で、発明者は当時26歳のもとSONYの萩原良昭です。














萩原1975年の特許の実施図の第5図には、 1 bit の絵素ごとに金属コンタクトがあり、

これが製造上非現実的であると、SONY社内でも非難を受け、採用されることはあり

ませんでした。しかし、萩原1975年の特許の請求範囲はもっと普遍的な文章記述で

Hagiwara Diodeの受光構造を以下の様に定義しています。





この1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode は、CCD型とMOS型の両方の

image sensor 方式にも適応可能で、実施例図2に提示されている様に、 ILT方式の 

CCD image sensor にも応用が可能としている、萩原1975年特許のHagiwara Diode

そのものをNECの寺西は IEDM1982 で ILT CCD image sensor に応用し発表した。


これを世界は最初の pinned photo diode の発明と誤解した。しかし、NECの寺西が、

IEDM1982 で発表した、 ILT CCD image sensor に採用した buried photo diode は、

その論文に提示された受光構造を見ると、明らかに萩原が1975年に発明した受光構造

と全くの同一構造のものである。 萩原1975年発明のHagiwara Diodeそのものである。




1975年にSONYの萩原が発明した Hagiwara Diode(HAD)は、デジカメ、すなわち、 

digital CCD image sensor やdigital CMOS image sensorにも不可欠な受光素子です。

このHagiwara Diodeが超高感度・低雑音・残像のないデジカメを可能にしました。



*******************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

*******************************


このHagiwara Diode、別名 pinned photo diode、Sony では Sony original

HAD と呼ばれるものです。この超高感度・残像なしを実現した受光素子を、

萩原は1975年に特許発明しました。しかし、競合他社とのその特許権利の

問題で長い間、特許戦争が生じ、要約SONYの勝利が確定した2001年に

なってやっとその功績が社内で認められました。その評価が 26年もの歳月

がかかった背景には深い理由がありました。これはそのお話です。

**************************************


米国Fairchild社と Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) との

10年間にもわたる長い苦しかった特許戦争(1991~2000)の終結でした。






この特許戦争での陰の最大の功労者で、SONY側所属特許の発明者の萩原は、

大賀会長、出井社長をはじめ多くの当時のSONY幹部から慰労の言葉をもらった。




Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) は、こうしてその誇りある

SONY original Brand を守ってきました。Sony HAD sensorがSONY独自の創意

工夫で実現した、SONYの固有発明であることは、SONY社員全員が断言します。


SONYの創意工夫努力は萩原だけでない。過去には地道な MCZ waferの開発

から始まり、苦労を共にし助けてくれた多くの技術者、川名・加藤・安藤・岡田・

狩野・阿部・松本・神戸・鈴木とも・上田を中心としたプロセス開発部隊や、萩原の

上司・先輩・同僚の、越智・山崎・粂沢・橋本・岡沢・山中・西村・名雲の皆さんや、

竹下・奈良部・浜崎・石川・米本・角ほか多くの、萩原設計・評価技術を継承して、

さらに発展してくれた後輩SONY社員の努力と創意工夫により実現したものである。


その中でも、初期のパイオニア開発者として、また、この最大の特許戦争での

功労者として、その発明者の萩原はSONYでやっと、1975年発明の萩原自称の、

Hagiwara Diode 、すなわち世界一般では、pinned photo diode と呼ばれ、また、

SONYでは SONY original HAD sensor と呼ばれる、高性能超感度の半導体

受光素子構造の基本特許出願の発明者として、萩原は2001年4月、やっと、

2001年1月に特許戦争が米国最高裁判所の判決でSONYの勝利が確定して、

SONYで特許褒賞を受けることができた。たいへん長い闘いだった。その苦労

を知るSONY社内の技術者はほとんど存在しない。多くの社員は黙々とその

生産と商品展開に努力工夫し励んでいた。彼らのお蔭でものができ世に出せた。











**************************************





return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************







*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 009

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************


*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************



*******************************

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

*******************************



***********************************

 Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.


この話は、1975年26歳の時でSONY中央研究所に勤務していた時に萩原が発明した、

超高感度、低雑音、低暗電流で残像なしの高性能半導体受光素子構造の話である。

具体的には、P+NPNsub 接合構造を持つ thyristor 型の高性能受光素子の話である。




萩原1975年発明(Hagiwara Diode)は、サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光

構造なので、いろいろなサイリスタ―の動作(周知情報)が期待できる。組み込み型の

VOFの実現が可能なことも容易に推察される。 その周知の動作原理に関しては、

構造特許としているので、その詳細な動作原理の説明は省略している。


あくまで構造特許として重要である。


上図からも明らかな様に、サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、

また、トランジスタ―は2つのダイオードの複合構造体である。


このP+NPNsub接合構造のサイリスタ―型の受光構造( Hagiwara Diode )特許、

萩原の1975年発明は、pinned photo diodeをも含む、強力な半導体受光素子

構造に関する特許である。また、この萩原が1975年に発明した、このP+NPNsub

接合構造のサイリスタ―型の受光構造は、SONYでは、 SONY original HAD

image sensor 商標名で登録され、世界中に事業展開され市場を独占した。


萩原1975年特許の特許請求範囲を記述した文章が定義した構造図を示す。




  

 萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造の具体的な応用例として、

 下の図に3つの例を示している。この3つの例は、あくまで例であり、萩原1975年

 発明の特許の特許請求範囲を制約するものではない。特許請求範囲に示された

 内容はいろいろな派生構造、たとえば隣接するCTD(電荷転送素子)に関しては、

 CCDだけでなく、過去の classis MOS image sensor をも含み、また、現在市場を

 独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor をも可能に

 した、強力な基本特許である。


 現在市場を独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor

 の実現を可能にしたのも、萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )である。今、

 この萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )は、世界では pinned photo diode

 と呼ばれ、 SONYでは 「SONY original HAD sensor 」 搭載の digital CMOS

 image sensor とも呼ばれる。 















萩原1975特許 ( P+NPNsub 接合型受光素子 Hagiwara Diode ) の

具体的な応用例(実施図)として、下の図に 3つの例を示している。





 萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造、すなわち具体的な応用例を

 上の図の3つの実施例を含めて、以下にその詳細について説明する。



●実施例(1) 


萩原1975年特許(Hagiwara Diode) の実施例の図5に記載されたもの。

 BOX で囲まれた PNP 接合構造、すなわち、PNPトランジスタ構造であるが、

 しかし、これは dynamic 動作をする新規なPNPトランジスタ動作で、従来の

 static動作のトランジスタ電流増幅動作ではなく、CCD動作が MOS容量の

 dynamic 動作と位置付けられる様に、この発明は、 PNP 接合構造、すなわち、

 PNPトランジスタ構造の新規な dynamic 接合容量動作を提案したものである。


 その特徴は半導体界面が P+領域( emitter 端子の濃度)となっており、電圧が

 固定( pin 留め)されており、 pinned photo diodeの概念を初めて図示したもの

 である。また、電圧が外部で固定化されているので、半導体界面には電界が

 かからないので、埋め込みチャネルCCDの半導体界面とは違って、界面電界

 により発生する暗電流が、このPNP接合構造の受光素子では極端に少なくなる。

 このPNP構造の受光素子が超高感度でかつ低雑音を実現していることを、

 萩原のチームは、世界で初めて、1978年に報告している。

 
Reference :

Proceddings of the 10th Conference on Slide State Devices, Tokyo 1978;

Japanese Journal of Applied Physics, Volume 18 (1979)

Supplement 18-1, PP.335-340


また、その萩原の成果 (世界で最初の pinned photo diodeの発明と

その原理試作の報告)が注目され、英国 Scotland の Edinburgh で開催の  

CCD79 国際会議で萩原は招待講演を受けた。当時はまだ、

pinned photo diodeの名称は使われていなかったが、これが日本国外で、

世界で最初の国際会議での報告でした。このことは、当時の英国の報道誌にも

 「SONYが世界で単独がんばっている」と報告された。


1979年9月(31歳)当初の萩原のSONYでのCCD開発活動の報告でした。


なかなか、CCD image sensorが、当時の半導体 silicon chip が大口径で

かつプロセスが複雑で、ものにならなく苦労していた時代でした、開発研究を

あきらめる企業が目立った頃の話です。


世の中は、「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化

できるのかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ

見えない頃でした。


英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。


   "ADVANCES in CCD Imagers"by Yoshiaki Hagiwara, SONY @ CCD'79


    世界が CCD image sensorの開発を飽きられつつある状態の中で、

    SONYだけが単独で頑張っている印象を与えた。


    この後、松下も日電もCCD関連の研究開発を続々学会発表し、

    世界が CCD image sensorの開発が再び活性化された。




  
 受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン留めされたP+端子)をつけたもので、 

 pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。


 ピン留めさらた photo diode を文字通り英語で、pinned photo diodeという。


従って、この萩原の1975年特許の実施例(具体的な応用例の1つ)が、pinned

photo diode の発明の原点( origin ) である。ピン留めされているということは

その表面のP層が浮遊( floating )状態ではなく、外部電圧で制御されて固定

されているいることを意味する。その電圧の値は自由に固定値に設定が可能

ということである。従って、基板(Psub) の電圧 (GND 電圧)でもいいことになる。



この場合は、表面のP層と基板(Psub) させてもいいことになる。この場合は、

1975年発明の萩原特許( Hagiwara Diode )の特殊な実施例、すなわち、具体

的な例の1つである。従って、1975年の萩原特許( Hagiwara Diode )の発明

の中に含まれる。この場合は、金属コンタクトが不要であることも自明である。


上の図の1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )の特殊実施例(2)は、

1978年にSONYが FT 型 CCD image sensorに搭載された 受光素子構造

である。これを、萩原1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )を現在では、

世界一般では pinned photo diode 、 SONYでは Sony original HAD と呼ぶ。



この受光構造は今でも 裏面照射型、超感度、低雑音、低暗電流で、残像なしの

SONY original HAD 搭載、digital CMOS image sensor として採用されている。


SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して

いないCCD開発担当の管理職も、上図の実施例(1)が萩原特許そのものと

勘違いしていた。この萩原特許そのものを、使いものにならないとけなした。

その将来性を見抜くことができなかった。


Fossum の2014年の fake 論文の中でも、同じ間違った主張を繰り返している。

明らかに、Fossum は 萩原発明の1975年特許の日本語の正確な特許請求文

を読んでいない。少なくとも、理解していない。

 

この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを

各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは萩原は一言も

書いていない。

   
この構造が、製造可能かどうかは別の話として、構造特許の有効性の説明

には使える。これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを

示唆した実施例(1)である。


実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、

他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOF

の実現が可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許

としているので、その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造

特許として重要である。

 
このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diode

をも含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解

であることからも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造

であり、また、トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは

自明である。


従って、 pinned photo diodeも、この萩原1975特許の発明に含まれる。


萩原1975特許は、pinned photo diode 意外にもいろいろな機能を装備した

強力な基本特許でいろいろな応用実施例にその特許請求権利が及ぶもの

である。



昔の Sony original HAD sensor 搭載の digital CCD image sensor の場合

だけでなく、現在、市場を独占している、 modern digital CMOS image sensor

においても、1975年萩原が26歳の時にSONYで発明した半導体受光素子構造

(Hagiwara Diode)は、Sony では Sony original HAD sensor と呼ばれ、他社

では、 pinned photo diodeと呼ばれ、名称は各社マチマチだが、同じもので、

超感度で、低雑音、低暗電流、さらに残像のない Hagiwara Diode は、世界中

の固体撮像素子の受光部として今も生きている。

 



   
●実施例(2) 1978年原理試作した P+N-Psub 型のHagiwara Diodeの実施図。
 

    Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、

    表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。

    超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが

    できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。



感度向上のために、Hagiwara Diodeは不可欠である。さらに裏面照射型に

してさらなる感度向上の努力が超高感度 CMOS image sensorを可能にした。


 



裏面照射型のCCD image sensorの開発歴史は古いが、CCDは本質的にsmear が

ひどく不完全だった。萩原も中研時代、裏面照射型のCCD image sensorについて

の米国の技術文献を参考にして、裏面照射型のHagiwara Diode搭載のFT型CCD

のOne chip カラーカメラの為のCCD構造の検討 ( SONY中研 R-76206 )をした

が、CCDは smear が多くで、失敗に終わっている。しかし、現在、SONYの若い

技術者は、裏面照射技術をあきらめることなく、CMOS image sensorに応用して、

今までにない、 超高感度 CMOS image sensor を実現することに成功している。



このSONYの超高感度 CMOS image sensor  中にも、1978年に初めて萩原が

原理試作動作を確認した Hagiwara Diode 、 今のSONY original HAD sensor

であり、かつ世界では pinned photo diode と呼ばれる 高性能高感度の半導体

受光素子構造は採用されて活躍している。 






    この後、1978年のHagiwara Diode 搭載の FT image sensorの原理試作

    動作の確認後、透明電極を使うものと比べれば比較的簡単であるので、

     萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、

     Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した 

     pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案した。

     透明電極を使うと熱工程がその後入らず、欠陥が熱補正できなくなり、

     無傷の完全な CCDを量産することは難しいと萩原は否定的だった。

     しかし、SONY 開発部隊のTOPには理解されず、簡単に却下され、

     もうこれ以上寄り道はできないと部隊の全力を1つに投入すべきとなり、

     萩原1人で頑固に検討を始めようとしたが、チームワークを乱すものと

     として、最終的に首になった。その代わりは萩原は別のすばらしい仕事

     の機会をもらった。デジカメの実現に不可欠な高速 Cache SRAM chip

     の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに

     なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。

 
    ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜んだ。

     「これでSONYに勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも

     聞こえてきた時は、萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。






●実施例(3)  Hagiwara Diode を採用したもう1つのFT 型CCD構造図



1979年に Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された 

 pinned photo diode 構造である。Hynecekは表面のP+層の濃度をさらにあげて、

 電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化電荷

 転送することを実現していたもので、Hynecekの発明である。萩原1975年特許

 構造を採用して、さらに発展させた派生構造の、Hynecekの新しい発明である。


 ここで、萩原は 「Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」とは言っていない。 


 Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、ここでも、 うそを書いている。

 Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

 記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。




●実施例(4)  P+N-Psub 型の Hagiwara Diode を採用した ITL型CCD構造図


 NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を組み合わせた

 形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板のPsubが導通した pinned

 photo diode 構造を採用した Interline 型CCD imager を発表した。

 
 従来の ITL型 CCDにもHagiwara Diodeが適応できることは、すでに1975年の

 萩原特許での実施例図2でも描いており、1982年では周知の情報である。

   
このNECの寺西の IEDM1982の発表は、完全な萩原1975年特許の copy である。 



   その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に

   萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された 

   P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo

   diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の 

   IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造

   の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年

   特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの

   技術者も見ているはずである。






そして、1978年には同時に FT 型CCD image sensor での pinned photo

diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image sensor を、SONYの岩間

社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見して、大きく、次世代の

ビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。これが Hagiwara Diode ( pinned

photo diode )を搭載した、低雑音、低暗電流、超感度、残像なしの digital

CCD image sensor の幕開けであり、さらに現在も Hagiwara Diode ( pinned

photo diode )を搭載した、さらに高性能な、低雑音、低暗電流、超感度、

残像なしの digital CMOS image sensor を実現している。













ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982

で発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。


Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

1975年の萩原特許の詳細をまったく知らない人たちをだましている。


萩原1975年特許の存在とその詳細明解な特許請求文を理解すれば、

Fossum 2014年論文が 虚論( fake ) であることが即理由が理解できる。


Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろと、ある事ない事を非常に偏見

を持った、バイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、

すなわち、のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した

実施例(派生copy) である。あくまで、pinned photo diodeの発明は、

1975年の萩原特許によるものである。






 いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。 








NEC Teranish IEDM1982 application was just a copy of Hagiwara 1975 patent.








***********************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

***********************************







return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************




*******************************

毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


*******************************









return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************




*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 009

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************

*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************








 
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
    





  





***********************************
      2008年に発足設立し、過去10年間、
 このAIP異業種学習同好会を支援していただいておりました
    神奈川県厚木市在住のNPO法人、
  「特定非営利活動法人AIPSコンソーシアム」
 は平成29年12月8日の社員総会にて、社員の老齢化を理由に、
  解散決議しました。しかし、非法人組織として個人グループ活動は
老人仲間(70歳~85歳)で、ほそぼそとボケ防止にやっています。
*****************************
なお、このAIP異業種学習同好会(aiplab.com)のHOME PAGE は、
これからも、私的ボランティア活動として、ボケ防止活動として、
70歳~85歳の、まだ青春時代を楽しんでいる、自由で元気な老人
仲間で継続します。今後とも、ご支援の程よろしくおねがい申し上げます。
***********************************


************************


         代表  萩原良昭    

     hagihara-yoshiaki@aiplab.com

************************




************************
  未来の日本、世界はバラ色です。
************************

AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。

ともに、光を電気エネルギーに 変換する photo diode を使います。

もっとも光変換効率のいいのが 萩原が1975年発明のHAD sensor です。

将来は、HAD 技術搭載の光変換効率の良い、光感度にいい太陽電池が生まれるでしょう。

そして、日本の世界のエネルギー源となるでしょう。

日本は今石油と食料を大量に輸入していますが、石油ももうすぐ底をつきます。

その時は自然エネルギー(太陽電池がスーパースター)にかわるでしょう。

もし、政府が太陽電池の量産技術に補助金をもっと奮発すれば、

野菜やお米、麦、大豆などを、各企業の地下で栽培できれば、

水と電気からの光で清潔な野菜、くだもの、お米、麦、大豆が豊富につくれれば、

日本の国は、エネルギーと食料を自給できる、

世界の模範的な自然にやさしい近代国家に変貌することでしょう。

その為には AIPS image sensor 技術は不可欠です。


それに、人工知能を支えるデジタル回路が AIPS image sensor に搭載されれば、

もう怖いものなしで、未来の日本、世界はバラ色です。

************************









************************

  この 賢い AIPS sensor は、 萩原が ソニー時代に育てた

     (1)   Sony original HAD sensor   


  https://ja.wikipedia.org/wiki/Super_HAD_CCD  と



    (2)    Play Station Processor 

 https://ja.wikipedia.org/wiki/Cell_Broadband_Engine

     
        の 融合技術から生まれます。


 
        APSCIT2018 でのお話は

  2008年の学会でしゃべった内容の続きのお話です。

************************



*********************************
AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
それが理解できない方は 萩原の著書を買って読んでください(笑顔)
*********************************



もっと技術内容に興味あるかたは、会社や大学の図書館にぜひ

購入依頼をお願いして、一冊会社や大学で買ってもらってください。

そして、時間がある時に貸し出してゆっくり読んでください。

中学程度の数学の知識があれば、それを土台に話を展開している

ので、文系の方でも興味にお持ちに方なら、読破可能です。

         挑戦して見てください。



*********************************

     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

      デジタル回路の世界

        補足資料(Appendix)

********************************* 

ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

*********************************
  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html

*********************************









**************************************
               萩原良昭    紹介
**************************************




**************************************


●工博 Ph.D. 1975 米国カリフォルニア工科大学 (CalTech)

        CalTech = California Institute of Technology, Pasadena California, USA

        Major in Electrical Engineering(電子工学) and Minor in Physics(物理学)

● IEEE Life Fellow

●神奈川県 NPO 法人 AIPS コンソーシアム  代表 理事長 (2008~2017)

●崇城大学 情報学科 教授 (2008~2017)

●ソニー株式会社勤務(1975~2008)

●群馬大学 電子情報学科 客員教授(2004~2008)

●カリフォルニア工科大学(CalTech)

  電子情報工学科&応用物理学科 客員教授(1998~1999)


**************************************








  研究テーマ:人工知能パートナーシステム(AIPS)に関する研究

      AIPS = Articial Intelligent Partner System




具体的には、これは身体障碍者や高齢者の介護に役立つ、人間に、自然にやさしい
総合人工知能処理用コンピュータとロボット支援システム実用化のための研究です。

介護を必要とする人が、介護施設や老人ホームに入ることなく、自宅で、自立した
人生が、他の人にご迷惑をかけることなく、最期まで送れる支援システムです。

特にAIPSの心臓部(CoreEngine)となる real timeで、かつ、高速並列処理を、
real timeで実行する AIPS Processor 開発研究と、それをサポートするC言語に
似たもので、ソフトウエア技術者が簡単にcoding可能な処理言語を開発研究します。

 そのために人間との会話システムの構築もたいへん重要なテーマです。


      AIPS会話システムの構築に関しての解説資料


      AIPS会話システムのC言語 source program の例 (試作品)


  入出力 data base file ( AIPS001DB.txt ) と Link 情報 data file ( AIPS001LK.txt )










**************************************

  感情を持ったロボットは開発可能でしょうか?

**************************************


人間には大脳(右脳と左脳の2つの人格を持つ脳)・小脳・
間脳・自立神経などいろいろ、思考と行動(知能)をつかさ
どる器官がありますが、人間の感覚とはある意味ではこれら
の器官の高度な「興奮状態」を意味しますね。これらの人間
の器官をまねして、いろいろな機能(感情表現を含む機能)
を持つ電子部品を装備したり、その数学モデルを抽出して、
ソフトウエアでシミュレーションすることは今でも、大型の
スパコンを使えばある程度実現可能でしょう。ロボットがあ
たかも感情をもったように表面上ふるまいをするようにプロ
グラムで動作させるロボットはすでにある程度は実現可能だ
と思います。しかし、こころは知性(論理性、知能)と感情
を持ったものとすると、ロボットにもこころを植え付けるこ
となりますね。人間ほど高度な感情、いろいろな微妙な感情
表現までは到達していなくても、ネズミや猫、犬の知能レベ
ルの動物にも感情があるかと感じるときがあるように、将来
ロボットにも感情が植え付けられたと感じることになるでし
ょう。そういう意味では、感情を持ったロボットは開発可能
だと思います。しかしわれわれは、自分の存在を意識し実感
する「こころ」=自己意識というものがあるますね。ロボッ
トに自分の存在を意識し実感する「こころ」を持たせ、その
「こころ」の状態のひとつを表す「こころの感情」を持たせ
ることはどうでしょうか?たいへんむずかしいですね。近い
将来では無理かも知れませんが、「やさしいこころの感情」
すなわち私はそれをAIPSを呼びたいのですが、そのAIPS搭載
の未来ロボットを実現してみたいですね。








**************************************

   AIPS搭載の自動運転車と自動運転車いすの実現について

**************************************

2013年3月24日 16:05~17:25 放映の全国ネット(フジテレビ)バラエティー番組
 
       「100人の学者が教えます!これが正解アカデミー」

    全自動運転の車が20年以内に販売されるか

  に出演(ほんの数秒!)の際、事前質問アンケート調査に返答した内容です。

**************************************

AIPS搭載の未来ロボットは 非常に大きな DOF ( Degree of
Freedom ) が必要となります。しかし、自動運転車や自動運
転の車いすとなると、その DOF は 平面(2次元空間)程度
にしぼられます。そのぶん、AIPS 搭載の未来ロボットより、
AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現ははやく
到来すると期待します。人間が運転するよりはるかに安全で、
軽快な AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現
ははやく到来すると期待します。その為には企業や政府が必
要性を感じて、もっとお金と時間を投資することで実現をさ
らに加速することになると期待しています。燃費や総合効率
性にもつながり、エコ・カーの実現をさらに加速することに
もなります。次の国の産業の活性化にもつながります。車い
すに乗っている身体障害者や病人のアシスト、居眠り運転や
飲酒運転の防止策として自動運転車や車いすが開発市販され
ると私は期待しています。まずは人間アシスト型から、完全
自動でなくても、危険を瞬時に感知し、それを防ぐシステム
の実用化に注力し、それを同時に高速道路を走る自動運転走
行用の車線の整備や病院や老人ホーム内で実用化を!高速・
Real Time 生をもった人工知能(画像認識・音声認識・圧
力センサー・加速度センサー)システムを駆使して、人間が
運転するより、はるかに安全な制御システム( AIPS と私は
個人的に呼びたいですが)を装備して自動運転システムの開
発実現が可能だと思います。

**************************************


**************************************

  人工知能パートナーシステム(AIPS)を支える基礎知識

**************************************

(1)基礎情報数学

(2)応用情報数学

(3) 数値計算法

(4) デジタル回路

(5)半導体 LSI 特論

(6) ロボット工学基礎 


**************************************
























**************************************
              萩原良昭      活動紹介
**************************************


 この4月から、神奈川工科大学 情報学部 情報工学専攻において、

「IoT と知識情報処理技術特論」と題して、特別講義シリーズ(15回)が実施されます。

その中で、第3講義(4/23),第4講義(4/30),第5講義(5/14)を担当することになりました。



講義テーマは 「人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術」についてです。



   ●第3講義(4/23)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(I)

   ●第4講義(4/30)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(II)


   ●第5講義(5/14)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(III)





   ●人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術の代表として、「イメージセンサー」技術があります:


      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ

          
    
  いろいろな 研究分野の学部生・大学院生のみなさまに分かりやすく説明・解説したいです。





    ******************************** 

      ●ここでさらに理解を深める上で、大変参考になる文献を紹介します。

       慶應義塾大学理工学部の黒田忠広教授による特別講演資料です。

          「新しい集積回路で左脳と右脳を創る」

    ******************************** 




***************************************
















*************************************


   一般社団法人 半導体産業人協会での活動紹介


*************************************


     また、現在、一般社団法人 半導体産業人協会  http://www.ssis.or.jp/ 

      の教育委員として奉仕しています。  来る 5月28日~29日には、

     協会主催の教育セミナー ( http://www.ssis.or.jp/pdf/kouza/kouza180529_detail.pdf ) にて、


     人工知能搭載、すなわち「賢いイメージセンサー」 と題して講義を担当します。


 
    その講義の補足解説メモをここに掲載します。



      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ



     聴講された方は、講義のテキストスライド(32枚)の図を参照しながら、

           この補足解説メモを読んで復習してください。、


 このテーマに関係して平成30年度文部科学大臣表彰 (科学技術部門)受賞ニュースを紹介します。



           
「積層型多機能CMOSイメージセンサー構造」


           の開発で ソニーの3人の献身的な技術者が受賞したニュースです。


              https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201804/18-029/index.html


    この技術のブレークスルーは未来の「かしこい電子の目」の実現と密接に関連があります。      


*******************************************************************************

 

  また長年、IEEE主催の半導体集積回路に関する国際会議
   
              http://isscc.org/

  の論文委員・論文委員長・運営委員会メンバーとしても奉仕しました。
  


   一般社団法人 半導体産業人協会発行のニュースレター には、

   当時のISSCCのアジア論文委員長としての活動を報告しています。

            ENCORE N0.48 (2006年10月号)

      http://www.ssis.or.jp/ssis/pdf/ENCORE48.pdf


*************************************

   ここで、IEEE Computer Society 主催で、毎年4月に横浜で開催される

   超高速低消費電力の大型集積回路・プロセッサーの国際学会を紹介します。  


   coolchips という学会です。 ( http://www.coolchips.org/2018/ )


        その運営委員会メンバーとして長年奉仕しました。

      現在は、そのアドバイザー・メンバーとして奉仕しています。

   
    昨年2017年は 国際学会 coolchips の20周年記念でした。

       その記念パネルメンバーとして参加しました。

 
        http://www.coolchips.org/2017/?page_id=10



     今年も4月18日~20日に横浜で開催されます。


        http://www.coolchips.org/2018/?page_id=10


    将来の人工知能パートナーシステムをささえるハードウエア、

      すなわち、大型集積回路・プロセッサー実現の為に

   現在、世界第一線で活躍されている技術者を代表する方々です。




*************************************











**********************************


Image Sensor に関連して、米国電子電気工業会(IEEE)主催の

半導体集積回路の世界的な国際会議(ISSCC2013)での

 Plenary Panel Talk の為に 準備したメモをもとに、

  IEEE Solid State Society 刊行 の Journal で、


Solid State Circuit Magazine, 2013 Summer Issue

    に記載した内容をまとめたものです。 


ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo

******************************




return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************






*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 010

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************


*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************





*******************************

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

*******************************




*********************************

  Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

*********************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

******************************






*********************************

 Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

********************************* 

  萩原は1975年にSONYに入社し、SONYの横浜中央研究所に配属され、

  家庭用小型ビデオカメラ用の固体撮像素子の研究開発に従事しました。

  残像がなく低雑音のCCD( 電荷結合素子 ) は脚光を浴びていました。

  CCDは、電子のかたまり(電荷)を取り残しなく転送できる固体素子として、

  すなわち、電荷転送装置(CTD) としては優れた特徴がありました。

  埋め込みチャネル型CCDの転送効率は、99.999%近い値でした。


  しかし、CCD は本来MOS容量構造なので光を透過することができません。

  固体撮像装置の受光構造には不向きで利用することは不可能でした。


  そこで萩原はSONYに入社してすぐ1975年、CCDの受光素子に代わる、 

  優れた特徴を持つ受光素子( Hagiwara Diode )を発明し特許申請しました。

  CCDが持つ、低雑音で残像なしの特徴をも兼ね備え、さらに超感度な、

  P+NPNsub junction capacitor 構造の受光素子が Hagiwara Diodeです。

  表面が光と通過するガラス質の SiO2 酸化膜で保護された受光素子です。

 

3年後、1978年萩原は、この超感度のHagiwara Diodeを受光構造として採用し、

CCD型CTDを電荷転送構造とした FT CCD image sensor の原理試作に成功し、

SONYの 8 mm ビデオムービー試作に、FT CCD image sensor は採用されました。

そして、1978年、東京では岩間社長が、一方、New Yorkでは盛田会長が、同時に、

記者会見を開き、その超感度で低雑音でかつ残像なしの特徴をアピールしました。


しかし、ここで世界は誤解しました。CCDが超感度だと誤解しました。


本当は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diodeが、実は超感度であり、

かつ、CCDと同様に、低雑音で残像なしの特徴を備えていたから実現しました。


この Hagiwara Diode を SONYは、SONY original HAD と呼び商品展開しました。

萩原特許がSONY固有特許であり、過去に米国 Fairchild社との特許戦争や、

NECとの水面下での特許戦争を乗り越え、SONYが勝利し、正々堂々と、SONY

Original Brand の HAD sensor を商標として事業展開し市場を独占しました。



  CCD は 長い間、CCD型の電荷転送装置 (CTD) として活躍しましたが、

  現在ではCMOS型の電荷転送装置 (CTD) が主流となっています。



その理由は (1)CCDは大きな容量の充放電による消費電力が大きく、かつ、

  (2)転送効率が 99.9999% では 絵素数の多い high vision 画像では

  画像信号電荷の取り残しが問題になってきて混色の原因になるからです。

  それで、現在では、 digital CMOS image sensor が主流となっています。



MOS image sensor の開発は日本では 1970年代に日立の研究者を中心に

実用化されましたが、Hagiwara diode搭載の CCD imager が超感度であり、

かつ低雑音で残像なしの優れた特徴があり、その優れたSONYのビデオカメラ

の性能に負けて、日立のMOS image sensor は、市場から消えていきました。


当時は日立も、超感度低雑音で残像のない、Hagiwara Diode ( SONY 固有

特許構造 ) を MOS image sensorに採用ことは思い浮かびませんでした。


もともとは CCD image sensor 用に考案された corelated double sampling 法

が MOS image sensor に適応され、clock noise が格段に低減されました。また、

CCDの出力段の source follower 回路を各絵素構造に組み込むことも容易に

周知でしたが、なかなかそこまで各絵素の受光用有効面積を犠牲して組み込む

ことは不可能でした。それを可能にしたのは、MOS transistorの微細技術でした。



また、さらにMOS 技術はCMOS 技術として発展し、高速CMOS Cache memory

chip が生産技術も確立し、digital CMOS image sensor が誕生しました。



SONYが代表する小型の digital CMOS image sensor の実用化を可能にした

技術には、image sensor 本体や 一時画像情報保存用の CMOS cache

memory chip だけでなく、現在 USB メモリーで代表される小型の不揮発性

メモリ( NVRAM )の発明( Prof.Szeの発明)の貢献が大きいです。
 


そしてSONY original HAD sensor 搭載 digital CMOS image sensor となり

今に至ります。


SONY original HAD sensor はSONY固有の商標ですので、萩原が1975年に

発明した  Hagiwara Diodeを、世界では、別名の pinned photo diode と

呼ぶようになりました。



Sony original HAD も pinned photo diode も Hagiwara Diodeも同じものです。


この超感度低雑音残像なしの固体撮像装置の受光構造として、萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diode は 今でも 活躍しています。現在では、世界では 

pinned photo diode と別名で呼ばれ活躍しています。











     Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.




        The world does not know the empty potential well

          that Hagiwara drew for the first time in the world

    in the PNP junction type photo sensor structure (Hagiwara Diode)

         that is now also known as pinned photo diode.

 The empty potential well is shown below in Fig.6B of Hagiwara 1975 Patent.


          

            
The empty potential well is the result of

       the complete charge transfer of the photo electrons

  to the adjacent CTD , which implies no image lag high quality pictures.

   CTD ( charge transfer device ) described in Hagiwara 1975 patent

       can be a CCD type CTD and also a CMOS type CTD.

     Hence Hagiwara is the true inventor of the pinned photo diode

which can be applied for both CCD image sensors and CMOS image sensors.



******************************

  萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

  萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

  萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

   https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

******************************









     Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

      1975年萩原発明の Hagiwara Diodeは単純な構造特許である。

      
その有効な動作(残像なし)に関しては実施例でいろいろな場合で説明している。

        
基体(substrate)に、単純に PNP 接合構造を設け、そのN層を受光部とする。
          そして、隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を転送する構造を特徴とする
          固体撮像装置、すなわち Hagiwara Photo Diode を特許請求範囲で定義している。

        下の図は、電荷転送素子(CTD)を、CCDではなく、 MOS 型のCTDを採用した例である。

          
         
          簡潔明解で、短い単純な特許請求文の中で Hagiwara Diode の構造を定義している。

          またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例6Bには、
          完全空乏化されたN層の電位図 ( empty potential well )が提示されている。
 

         この図6Bはあくまで特許の応用例の1つである。

          この特許構造 ( Hagiwara Diode ) にはいろいろな有効な動作機能をもつ。

          その1つの例として、縦型OFD機能が組み込まれていることを示唆したものである。


          他にもいろいろな有効な動作機能があることのヒントを示してる。

          構造を定義することにより、すべてのその構造による動作は、一般の半導体物理
          の教科書や技術者に、その詳細が、その構造のあらゆる動作が記述されている。

          構造からその動作は読み取れるものとして、公知文献が存在する場合周知情報となる。

          一般に、その動作は構造を見ることにより、容易に専門家の目で見抜く事が可能である。

          1975年発明の Hagiwara特許は基体(substrate)に PNP 接合構造を定義している。

          すなわち、実際の特許請求範囲では、単純な PNPNsub 接合、すなわち thyristor構造

           を受光部として隣接する電荷転送部(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置と定義している。

          したがって、教科書や技術参考書に公知資料として記述されたthyristor動作、 punch-thru

          動作や、 emiiter-base 接合の順方向電流動作などが built-in VOD として機能することも

          容易に類推することが可能である。

        しかし、特許(発明)は構造特許のみを特許権請求範囲としている。しかし、その実施例に

       例として示された具体的な応用例はすべて、その特許の関連発明と見なすことが可能である。 



          その電位図 ( empty potential well )は、電荷転送動作が、CCD動作と同様に、
          完全空乏化転送であることを意味し、残像がない、高速 action pictureの撮像が
          可能であることを意味する。


           Fossum2014年の fake 論文にはこの事に関する引用が皆無である。

           Fossum is a liar と呼ばれて当然の行為で、Fossumは世界をだました。

          またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例の図5は、電荷転送
          素子(CTD)として 埋め込みチャネル型CCD を採用した場合の図を示している。



          そしてその実施例の図 では、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層のN層と、
          受光部となる Hagiwara Photo Diode の N 層が同一層で同じ濃度であることを
          示し、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層が完全空乏化動作をするのと同様に、
          Hagiwara Photo Diode の N 層も完全空乏化動作することを示唆している。

          特許に含まれた実施例の図6Bの電位図 ( empty potential well )は、世界で萩原が
          1975年萩原特許 で初めて描いものである。誰も他の者はこの図を描いていない。
          これがもとSONYの萩原がpinned photo diodeを1975年に既に発明していた証拠である。

          東北大学の鏡教授が指摘している様に、各社呼び名が違うが、SONYのHAD sensorも
          世界で後に広く呼ばれるようになった pinned photo diode sensorも同じものである。
          そして、SONYのHAD sensorの発明者は萩原であることは、SONY社内で第1級特許
          特別褒賞を萩原が受賞していることからも明らかである。













 
要約(1) 1975 年 萩原は Hagiwawa Diode なるものを発明し、日本語特許を申請した。

    (2) 1978年 SONY は Hagiwara Diode 搭載の FT CCD image sensor の原理試作を、
       大々的に、東京では岩間社長が、New York では盛田会長が記者会見し、
       Hagiwawa Diode を採用することにより可能となった超感度ビデオカメラをアピールした。
 
    (3) 米国 Fairchild社とSony との特許戦争、1991年から2000年に渡る長期の特許戦争は、
      1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の日本語特許のおかげでSONYが勝利した。

    (4) この国 Fairchild社とSony との特許戦争で、1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の
      日本語特許の存在は大きく、当時の大賀会長、出井社長ほかSONY幹部から謝辞を萩原はもらった。

    (5)再び、NECとSONYの特許戦争 が起きた。NECの寺西特許 ( 55-138026 , 1980.10.02 ) と  
      Hagiwara 特許 ( 1975.11.10 )との特許権に関する攻防は、SONYの勝利に終わった。

    (6) SONYは、Hagiwara特許 (1975.11.10 )を武器に、Sony original HAD sensorの商標を登録した。
      SONYは image sensor の市場を独占できた。SONYとの特許戦争で負けた NECは市場から撤退した。

    (7) SONY original HAD sensor で商品展開し、多大な利益を得たSONY は、1975年のHagiwara Diodeの
      発明者である萩原に対して、SONY 社内で第1級特別特許表彰を与えた。


   以上の事実から、Hagiwara Diode 1975年特許の保有社である SONY は 当然自社の特許権を

   守る義務があり、他からの攻撃に対してはその弁護を怠ってはいけない。また、そのHagiwara Diode

   1975年特許の発明者であり、もとSONY社員の萩原良昭の名誉を弁護して守る義務を怠ってはいけない。

   また、Hagiwara Diode 1975年の発明者である萩原良昭自身も自分の名誉を守るため、真実を世界に

   訴える努力を怠ることはできない。真実はいつも1つである。世界は真実を知る権利がある。
           
******************************


1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode 以前の Phodo Sensorの開発歴史を

まとめると次の(1)から(4)になる。


 (1) Base端子を一時的に floating して、光の光量の値で、Base端子の電圧を微妙に変化させ、 

   Collector 電流の値を変化させる Photo Biplar transistor 型の 受光構造が存在した。

    https://www.radio-electronics.com/info/data/semicond/phototransistor/photo_transistor.php

 (2) CMOS image sensorの原理は 1960年代には知られていて、1969年発明のCCD の歴史より古い。

   1960年代に入ると、NMOS digital 回路のプロセスで製造が可能だったが、単純なNMOS transistor

   のDrain 端子を floating にして受光部としていた。 しかし、Drain 端子の拡散濃度(N+)が高かった。

   それで、Drain 端子の拡散の拡散領域を完全空乏化することは不可能だった。その為に、信号電荷の

   取り残しが起きて、映像には残像がつきものだった。NMOS image sensorはは必ず残像があった。

 
 
           https://ja.wikipedia.org/wiki/CMOSイメージセンサ


  その改良版の CMOS image sensor の実用化はまだまだ先の話で、2000年に入るまで待つこととなった。 


(3) 表面型CCDが1969年に米国ベル研で発明された。MOS容量型の受光部で、感度は今いちだったが、

  完全空乏化転送が可能になり、残像がなくなり、かつ熱雑音(CkT noise)がない良質の映像が実現したが、

  信号電荷の転送効率は、 99.9% であり、実用に耐えるものとは言えなかった。ビデオカメラの不可欠な

  5つの特徴の1つ、すなわち、(1) low CkT noise の特徴は実現した。


(4) 埋め込み型CCDが 1973 年に米国ベル研で発明された。あまり評価の対象になっていないのが 

   同じく Bell件の 研究者だった Robert Henry Walden による埋め込みチャネル型CCDである。


   https://patentimages.storage.googleapis.com/cc/94/f8/fa9cce020e683e/US3852799.pdf


   埋め込み構造にすることにより、界面の trap準位から信号電荷を守ることができた。
 
   その結果、完全空乏化転送が実現し、信号電荷の転送効率が 99.999 %近くまで可能となったこと。 


   しかし、あくまで、1969年の Boyle/Smithの発明の CCD の派生種として軽く評価された。

   本当は、このWalden の1973年の発明のお蔭で、CCD image sensor の実用化が加速した。


   この埋め込み型CCDの発明により、(1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image lag

   の3つの特徴がクリアできた。



   しかし、酸化膜界面が空乏化しており、表面の界面順位の存在により、受光部の界面結合電流、

   すなわち 暗電流 ( dark current ) が増加する、新たな欠点が生じた。


   この、埋め込みチャネル型 CCD image sensorには、次に優れた特徴があったが、

      (1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image lag

 
    実用に耐えるビデオカメラとしては、まだまだ不十分で、他に次の2つが必要だった。

     (4) good light sensitivity  and  (5) built-in VOD


    さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流) の問題を抑圧する工夫が必要となった。



(5) CCD型受光部は、本来CCDには金属電極が存在し、それが悪さをして短波長(青色)の色再現が良くなかった。



  しかし、一方、従来の MOS image sensor の受光部は 表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された N+P 接合型の 

  photo diodeで、ガラス体は光を透過することができるので、MOS image sensor の光感度は良好だった。


  そこで、萩原は 1975年、SONYに入社してすぐ、表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された 接合型の photo diode

  に注目し、それを改善して、CCD image sensorの受光構造に出来ないかと、検討を始めた。今までの固体撮像装置の

  開発実績 (1)と(2)と(3)を参考にして、 この3つの特徴を維持しつつ、かつ、光感度が良く、(4) good light sensitivity と

  過剰な high beam 画像にも耐える、 (5) built-in VOD と、 さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流) の

  問題を抑圧する受光構造を考案する必要があった。一番萩原にとってヒントになったのは、1971年と1973年にソニー入社
 
  以前に厚木工場での半導体 bipolar transitorの生産ラインでの夏季実習経験の時に学んだことだった。具体的には、

  表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された、 P+NPNsub 接合型( thysitror)を受光構造として、信号電荷蓄積層(N)から

  信号電荷を完全空乏化電荷転送を実現して、隣接する CTD(電荷転送装置)に転送する固体撮像装置の発明である。






そこで、萩原1975年特許の実施例の一つの例として、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )を受光構造とした

具体例を1つ考えた。そして、その例において、信号電荷蓄積層(N)から信号電荷が完全空乏化電荷転送されて

いることを示唆する実施例を図6Bに示した。


これは、dynamic modeで動作する P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域の完全空乏化電荷転送

の結果、base領域には信号電荷が完全に空になった状態であることを意味した。つまり、 信号電荷蓄積層(N) の中の、

完全空乏した信号電荷の電位曲線、すなわち、the empty potential well の電位曲線を、SONYの萩原が、世界で

初めて描いたものである。当時は、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層(N) が完全空乏化転送により、the empty

potential well の曲線は周知だったが、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域内の、the empty

potential well の曲線は、SONYの萩原が、世界で初めて描いたものである。





実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。






実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。


その発明は、萩原特許の図2から明確に読み取れる。受光部の拡散濃度(N)と 埋め込みチャネル型CCDの埋め込み層

の濃度(N)が同一濃度ので、同じ濃度(N)として図2に表記されている。この萩原1975年の発明以前の、当時のNMOS

image sensorでは、受光部の floating の拡散層の濃度(N+) とは違う表記となっている。

















萩原1975特許( Hagiwara Diode ) の派生構造としての実施例を以下に4つ列記する。


 (1) 受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン止めされたP+端子)をつけたもので、 

   pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。


 SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して

 いないCCD開発担当の管理職もこれが萩原特許そのものと勘違いして、萩原

 特許は使いものにならないとけなし、その将来性を見抜くことができなかった。

 この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを

 各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは一言も書いていない。

   
この構造が製造可能かどうかは別の話として構造特許の有効性の説明には使える。

これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを示唆した実施例である。


実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、

他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOFの実現が

可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許としているので、

その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造特許として重要である。

 

このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diodeをも

含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解であること

からも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、また、

トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは自明である。

    

(2) Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、

  表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。

  超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが

  できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。

 

この後、萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、

Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した 

pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案したが、

SONY 開発部隊のTOPには理解されず、却下され、萩原1人で検討

を始めたが、デジカメの実現に不可欠な 高速 Cache SRAM chip

の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに

なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。

ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜び、「 これで

勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも聞こえてきた時は、

萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。


(3) Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された 

pinned photo diode 構造(1979)では、表面のP+層の濃度をさらに濃くして

電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化

電荷転送することを実現していたHynecek発明である。萩原1975年特許

構造を採用して、さらに発展させた派生構造のHynecekの新しい発明である。


ここで、萩原は「Hynecekが発明した Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」

とは言っていない。 Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文はここでも、 

うそを書いている。Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を

非常にバイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。




 

(4) NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を

組み合わせた形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板の

Psubが導通した pinned photo diode 構造を採用した Interline 型

CCD imager を発表した。




   その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に

   萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された 

   P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo

   diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の 

   IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造

   の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年

   特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの

   技術者も見ているはずである。そして、1978年には同時に FT 型CCD image

   sensor での pinned photo diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image

   sensor を、SONYの岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見

   して、大きく、次世代のビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。



   


   ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で

   発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。

   Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

   Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

   記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

  これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、すなわち、

  のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した実施例(派生copy) である。

  あくまで、pinned photo diodeの発明は、1975年の萩原特許によるものである。


   いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。



















 1975年にSONYの萩原が pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) を発明しました。










 実は、水面下で SONY1975年萩原特許と NEC1983年寺西特許の間で、長年、つまり、

 SONYとNECの間で、特許戦争が水面下でありました。しかし、SONYの勝利で終わりました。 

 SONYは pinned photo diode 関連特許で NEC に特許料を支払った事実はありません。


 NEC は 1983年の寺西特許が、世界最初の残像なしの受光構造だと主張しました。

 しかし、事実は 1975年萩原特許( hagiwara diode )が世界最初の残像なしの受光構造です。


    SONYとNECの特許戦争で、 SONY 側から NEC側に対して出した公式見解資料


 1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) は完全電荷転送動作で動作させることを特許の

 例図6B で示しています。これは残像なしの高品質 action picture を可能にすることを

 提示したものです。かつ、構造から 1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) が超高感度で

 低雑音であることは自明です。 その証拠となる 萩原1975年特許の例図6Bに描かれた 

 the empty potential well の曲線を下図に示します。CCDの動作原理を理解する技術者

 ならだれでも周知の一般常識です。Fossum 2014年論文はわざとこのことを隠して引用して

いません。たいへん卑怯でうそで固めた論文です。 この萩原特許( Hagiwara Diode ) の 

the empty potentioal curve , つまり、完全電荷転送を意味し、残像なしを意味する、一番

重要な the empty potentioal curve の記述を、Fossum 2014年論文はわざとこのことを

隠して引用していません。たいへん卑怯でうそで固めた fake 論文です。名誉棄損問題です。





     SONY入社して、すぐ 26歳だった萩原が、Hagiwara Diode を発明し、その受光部(N層)に、

         世界ではじめて描いた the empty potential well の曲線曲線です。

             CCD以外でも完全電荷転送が可能であると示唆しました。

        いや、CCDの受光構造よりも優れていることを世界で初めて示した図です。

     この Hagiwara Diode  ( PNP junction 構造)を搭載することにより、

        CCD image sensor も CMOS image sensor も超高感度になることができるのです。


   Hagiwara diode なしでは、 CCD image sensor も CMOS image sensorも 超高感度にはなりません。





SONYは NECとの pinned photo diode 特許戦争に勝利し、正々堂々と、 SONY original HAD sensorの商標で

世界で image sensor の市場を独占しました。超感度、低雑音で残像なしのSony original HAD sensor 搭載の 

CCD image sensor だけでなく、今でも、 萩原1975年特許のHagiwara Diode は、超感度、低雑音で残像なしの

Sony original HAD sensor 搭載の名前で、高性能 didgita CMOS image sensor として活躍しています。


高性能 didgita CMOS image sensor は、萩原を含むSONYの技術者全員の創意工夫と努力の結果得た産物です。





特許権を失ったNECは image sensor の事業から撤退する運命となりました。


特許創意工夫がどれだけ商品の事業展開に不可欠であるかを実感する結果です。



その事実を不満と思ったのか、 このままでは、SONYと萩原の勢いに押されてしまうと危機感を意識したのか、

Fossum は 不当な嘘の fake 論文をあたかも真実の様にでっちあげ、 2014年に発表しました。


そして、英国王室だけでなく、日本の皇室も含めて、世界の素人さんをだましました。



この Fossum の 不当な嘘の fake 論文は、一般人には理解できない、わかりにくい、あいまいな記述で、嘘の証言

を繰り返しています。 これは 中立な立場で記述された review paper ではなく、 fake paperです。 事実誤認で、

はなはだ不明瞭な表現方法で、世界をだましました。また、さらに、Fossum 2014 fake 論文の中で、「 pinned photo

diodeの発明者は もと NEC の寺西である。」 と全く根拠のない嘘の結論を出しています。


萩原1975年特許の存在とその詳細は、多くの世界の技術専門家は知りませんでした。そのまま、Fossumの嘘の虚述に

だまされてしまいました。Fossum 2014 論文が、嘘の証言であることは、萩原の1975年の萩原特許の特許請求範囲を

定義した日本語の文書を一読した方々なら容易に理解できます。Fossum 2014 論文では、萩原特許の特許請求範囲

の公式文章に記載された本当の萩原特許の内容は一切引用していません。たいへん不当な嘘で固めた論文です。





この Fossum の 不当な嘘の fake 論文には 一切、萩原1975年特許の特許範囲請求文の引用はありません。

萩原特許の例図の一部を持って、それが萩原特許のすべてであるようにFossum は 不当な嘘の fake 論文には

記述されています。たいへんバイアスされた、嘘の論文です。



あたかも自分がしっかり萩原の1975年の日本語特許を読み理解しているような態度で Fossum 2014 年 fake 論文

で、萩原特許をめちゃめちゃに攻撃しています。 自分にとって都合の悪い内容に関してはすべて隠しとおしています。


また、萩原の1975年の日本語特許にある例図に描かれた the empty potential well 曲線の引用もありません。


この曲線は、たいへん重要な曲線です。世界ではじめて萩原が描きました。



*************************************


CCD固有の完全電荷転送動作がCCDだけでなく、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diode

でも実現可能であることを示唆するものです。このHagiwara Diodeが、残像なしで低雑音でかつ超感度の半導体受光構造、

すなわち、未来の鉄腕アトムの電子の目の網膜細胞に相当する画期的な発明であることの証拠となります。このたいへん

重要な、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diodeの受光部(N層)のthe empty potential well 曲線の

存在を、 Fossum の 不当な嘘の fake 論文は 完全に隠しています。たいへん不当( unfar, biased and fake )論文です。


これはたいへんけしからん話です。 このことをNECとSONYの特許戦争の時にSONYが主張していたことをNECもその論争の

対象となっていたのはNEC1983年の寺西特許です。寺西もSONYとNECの特許戦争でNECが負けたことを知っていたはずです。

なのに、ぬけぬけと自分が pinned photo diodeの発明者のふりをしていることは、たいへんけしからんことです。偽りの顔です。









 (1)  Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


    "However, the 1975 application did not address complete charge transfer,

      lag or anti-blooming properties found in the NEC low-lag device,

      and does not seem to contain the built-in potential step and charge transfer device

      aspects of the virtual-phase CCD."


     この文章からも明らかな様に、 Fossum は、 萩原特許に含まれ例図6Bの存在を全く知らない無知な人間か、

     それとも、わざと自分の都合の悪いことを隠す極悪非道な詐欺師かどちらかである。


     嘘の虚述で、完全に萩原を侮辱している。


 (2) また、Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   ”Hagiwara repeats these claims in a 2001 paper [26]  and shows a VOD structure

    that is not found in the 1975 patent application. ”


    [26] Y. Hagiwara, “Microelectronics for home entertainment,”

       in Proc. ESSCIRC, Sep. 2001, pp. 153–161.




  しかし、 1975年萩原発明の  Hagiwara DiodeのP+NPNsub junction 構造そのものが 

  VOD 機能を持つ構造であることは自明である。彼はまったく萩原特許を理解していないばかものである!




(3)また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   " Sony did not seem to pursue the HAD structure until well after the

     NEC paper was published. "


  しかし、1975年の萩原特許で Hagiwara Diode は発明され、 1978年には FT CCD imagerの

  試作に Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) はその受光構造として採用されており、

  これが後になって Sony original HAD  sensor と商標名が登録されただけで、HAD sensorの

  開発は、萩原が 1975年に Hagiwara Diode を発明した時点から始まっている。


  SONY内の TOP(越智さん)の反対にもめげず、萩原はSONY内のプロセス担当者( 狩野さん、阿部さん、

  松本さん)の支援を受けて、自分でimage sensor を設計し、さらに自分でプロセスラインに入り試作している。



(4) また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様に事実誤認の認識不足の記述をしている。

  " However, the “narrow-gate” CCD with an open p-type surface region

   for improved QE also disclosed in the 1975 application was reported in more detail

   by Hagiwara et al. at Sony in 1978 [27].


   [27] Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada,

   “A 380Hx488V CCD imager with narrow channel transfer gates,

    ” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18, supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.


  まさに、この論文に、Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) を搭載したFT CCD imagerの

  試作結果を報告している。その性能は、単純に超感度だけでなく、残像のない、低雑音な受光構造であることを

  実証した論文である。SONYが東京とNYで大々的に記者会見した超感度で残像がない低雑音のimage sensorの

  世界最初の pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) 搭載の新聞発表である。これが最初の、pinned photo

  diodeの原理試作であることは、多くの世界のCCD 開発の権威者も認めている。





  以上の例以外にも多くの虚述がこの Fossum 2014年論文には存在する。



(5) そして最後に、このうその論文は、次のように嘘論をはいた。



 "The PPD, as it is most commonly used today, bears the strongest resemblance

  to the Teranishi et al. ILT CCD device. Thus, these days Teranishi is considered

  as the primary inventor of the modern PPD . "


 と嘘の証言をしている。


この嘘の結論は、上記 (1),(2),(3),(4) の嘘の証言の上で出された嘘の結論である。

 

これを真実とは到底認めることは不可能であり、断固として、萩原とSONYはこれに抗議する。


 このままでは、 SONYの商標名、 brand name の SONY original HAD sensor は、

 もと NEC の寺西の pinned photo diode の発明によるものとなる。


 SONYの商品は NECのcopy品であるという、汚名を受けることになる。


 これは絶対に許されない。 萩原とSONYに対する大きな侮辱である。


  Fossum がこのFake 論文を書いた目的がはっきりした。


  SONYと萩原をけちょんけちょんにけなし攻撃する事により、

  Fossum 自身の業績が強調でき、Fossum自身が 

  modern didital CMOS image sensor の開発者であると主張することである。


 しかし、今世に見る modern didital CMOS image sensor は SONYの多くの技術者の

 努力の結晶により完成したもので、 Fossum 1人が開発したなどとは到底考えられない。


Fossum は、暗闇の中で、政治的に動き、技術的に素人である方々さんを多くだました結果である。 



  どうして嘘をならべて萩原とSONYを攻撃したかがこれで明らかである。


  萩原とSONYの存在が邪魔だったわけだ。。。








  Fossum 2014年 論文は、 嘘の虚術を並べた、絶対に許されない詐欺行為である。

























return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************




*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 011

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************



*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************



*******************************

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

*******************************




SONYと 米国 Fairchild の特許戦争 (1991~2000) は SONYの勝利で終わりました。

  萩原の1975年特許 (Hagiwara Diode = pinned photo diode )の存在が幸いしました。




SONYは、米国 Fairchild 社から次の2件の基本CCD特許で訴えられていた。



(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層polysilicon電極型 CCDの製造方法に関する特許

(2) Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許


多くの日韓の大手半導体メーカを相手にした特許戦争である。その特許請求額はSONY一社で600億円にものぼった。


(1)のAmelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )は、先行文献があり簡単に無効とされ却下された。


実は、Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )に関しては、すでに 1973年12月に国際会議IEDM1973で

米国 Hughes Aircraft社の D.M.Erb氏等による論文 "An Overlapped Electrode Buried Channel CCD", IEDM1973,

Dec. 3-5 が先行しており、SONYのCCDの製造方法は、Amelio USP 3931674特許の製造方法ではなく、この米国

Hughes Aircraft社の D.M.Erb氏等による論文の手法を採用していたことが幸いした。発明時期が、米国 Hughes 

Aircraft社の論文が先行していることで、簡単に却下された。


しかし、(2) のEarly USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、たいへんてこずった。


その救いとなったのが、 1975年萩原が出願した、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeの発明だった。



Hagiwara Diode自身はもともと絵素構造に組み込み縦型OFD機能を持つ万能の高性能半導体受光素子として誕生した。



その後、 SONY original HAD sensor と呼ばれるものも、現在、 pinned photo diode と呼ばれるものも、この1975年の

萩原特許で定義された SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeと同一のものである。これが裁判を救った。






萩原の母校( CalTech ) の先輩で、当時 UC Davis校の教授をしていた Prof. Bob Bower がこのHagiwara Diodeの発明

について裁判の中で技術証言した時、その発明者の名を尋ねられて時、Prof. Bob Bower は裁判官に対して、発明者は

自分の母校( CalTech ) の後輩で、Prof.C.A.Meadの指導のもとで、CCD のPhD論文を書いた、Yoshiaki (Daimon) Hagiwara

であると証言した時、Fairchild側はびっくりした。それも当然である。 Fairchild社は,もともと、CalTechの卒業生であり、

萩原とProf. Bob Bowerの先輩でもある Dr.Gordon Moore が創設した会社である。Dr.Gordon Mooreは Intel社の

創設者でもある。



実は、 Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、萩原が発明した Hagiwara Diode 特許の出願は、

1975年11月10日となっており、数か月であるが、Early USP 3896485より遅く、この2つの発明の相違を説明するのが

たいへんだった。



半導体素子構造とその物理動作の理解が不可能な一般市民(陪審員)を含む裁判関係者に理解してもらうことは

容易ではなかった。単純に言えば、1975年の萩原特許(Hagiwara Diode)は、表面が酸化膜(SiO2)で保護された、

SiO2_P+N-PNsub 構造となっている。



一方、Early USP 3896485 米国特許では、CCD型の受光構造そのものを採用していた。表面はCCD特有のMOS容量で

構成されている。表面が金属電極で覆われた表面型のCCD構造を採用しており、その下に埋め込みN+拡散層があり、

OFDの機能を果たした。



Early USP 3896485 は、CCD型の受光素子を使ったMOS型のOFD構造であった。しかし、SONYのCCD製造方法では、

thyrister 構造の受光構造 ( Hagiwara Diode ) を採用していた。 すなわち、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造 をとり、

2つは、まったく構造が違っていた。 



SONYのCCD製造方法では、thyrister の動作 modeの1つである punch thru 効果( 周知の基本動作 mode )を採用した

OFD 動作であり、自動的に縦型のOFDが組み込まれた構造となっている。1975年萩原がこのHagiwara Diode特許を

出願した時には、CCD動作はすでに、完全電荷転送による残像なし効果と低雑音という優れた特徴を持っていた。


1975年に萩原が出願した Hagiwara Diodeの発明特許は、このCCD動作と同様に、完全電荷転送による残像なし効果と

低雑音という優れた特徴を持ちつつ、さらに、thyrister 構造のSiO2_P+N-PNsub junction 構造を採用することにより、

CCD型の受光構造にはない、超感度特性と組み込み縦型OFD機能を装備した受光構造を可能とした。



Early USP 3896485 米穀特許は、Metal_SiO2_P_N+ 構造となっており、一方、SONYのCCD製造方法は、

thyrister 構造となっている。


この2つの構造が本質的に違い、別物であることは、、半導体技術専門家には容易に理解できることであったが、

裁判関連担当者は、一般人で、半導体素子の構造とその動作に関しては「素人さん」であり、その方々に

ご理解していただく事は、そう簡単な事ではなかった。



素人を相手にするのではなく、学会で知り合った技術者や、母校(CalTech)の先輩や教授恩師に話しかけ、

根気強く時間をかけて、萩原の意見を説明し、中立な立場で彼らの正直な見解を萩原は聞いてまわった。



わらでもすがる思いだった。自分の1975年特許をただ一心に守りたかった。萩原は発明者としての誇りを

一心に守りたかっただけである。最終的に技術者の世論となり、その声は、裁判官にも届いた結果となった。 


Reference :  Y. Hagiwara, “High-density and high-quality frame transfer CCD imager

         with very low smear, low dark current and very high blue sensitivity,”

         IEEE Trans. Electron Devices, vol. 43, no. 12, pp. 2122?2130, Dec. 1996.


In this paper, Hagiwara, in 1996, revisited the 1975 invention of Hagiwara Diode ( pinned photo diode )

and claimed that the virtual phase CCD has a P+NP junction sructure ( Hagiwara Diode ) in common

Hagiwara Diode was also essentially the invention of the NEC low-lag structures, and as well as

the basis of the Sony so-called “Hole Accumulation Diode,” or HAD structure.













SONYと 米国 Fairchild社との特許戦争では、米国 Fairchild社は次の2つの特許料請求権を主張した。


(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層電極型 CCDの製造方法に関する特許がその1つである。

   この特許に関しては、先行周知技術資料の存在が判明し簡単に却下された。


 1973年12月のIEDMで、もと米国 Hughes Aircraft 社の技術者が発表した、2層電極型 CCDの構造とその製造技術

 に関する発表があった。SONYは幸いにもこの構造での製造方法に近いものだった。実は、この国際会議 IEDM1973

  に出席していた Fairchild社の Amelio は、Hughes Aircraft 社の発表をヒントにその3ヶ月後に派生特許を申請した。

  「Amelio はたいへんずるい奴だ。」と批判する技術者の話を萩原は国際学会でいつも会う友人たちから聞いた。



(2) Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許が2つ目である。


SONYのimagerの製造方法は、 1975年11月10日に萩原が出願 がした特許 ( JAP 50-134985, 1975 ) 構造であったが、

出願日が Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) の方が数か月早かった。これがたいへんな問題となった。

技術的にこの2つの受光構造がまったく異なる構造であることを、裁判関係者(半導体物理を理解しない一般人から選ばれた、

陪審員裁判での陪審員など)に説明し、理解していただくことは、容易な仕事ではなかった。当時、もう萩原はSONYのCCD

開発部隊から首になり、別の仕事に従事しており、この裁判は社内でも最高極秘事項で関係者以外にはまったく社内でも

その情報は知らされていなかったが、その裁判の有力なSONY側の武器はまったく見つからず、やっと特許担当者が社内

の特許リストから萩原1975年特許を見つけて萩原に連絡がきた。当然、当時SONYのCCD開発部隊のTOPの越智は

萩原1975年特許を知っているはずと思っていたが、完全に1990年になると、萩原1975年特許のことを忘れていた。

これにも萩原は寂しい思いだった。当時のSONY側の特許裁判のTOP責任者の越智がその存在を忘れており、特許担当

者がこっそりと私に連絡してきたことが、たいへん萩原には不自然に思えた。萩原と越智がCCDの開発方針で意見が合わず、

最終的に萩原が首になり、越智がTOPのCCD部隊から去っていたことは周知だった。後進の浜崎たちに萩原が技術継承

をしていた事実を越智は認めたくない心情であった。その後のCCD開発の部隊の仕事の中で萩原が残した遺産でCCD技術

が支えらていることは、萩原が育てた後輩たち、竹下、松井、奈良部、浜崎、石川たちは理解してくれていた。浜崎は内心、

越智のCCD開発部隊に疑問を感じ、結局SONYをやめた。浜崎はSONY退社前、ISSCCの論文委員をしており、その技術

内容に関してもいろいろ浜崎から組織を超えて相談を萩原は相談を受ける、中研時代からの古い友達だった。浜崎はSONY

退社を決心した時、ISSCCの論文委員の仕事を引き継いでほしいと萩原に頼んだ。



いろいろな面で越智は、萩原に助けてもらうことを良きとせず、彼の著書や社内技術書のはまったく萩原の貢献を示す記述は

ない。その後、特許裁判で勝利しても、越智の技術報告書や著書には、萩原の重要な貢献を引用した記述は全くない。しかし、

SONY社内ではいろいろと萩原の貢献を示す証拠が今でも残っている。萩原は今までそれを公開したことはなかったので、

萩原の貢献は完全にSONY社内からも忘れ去られることになってしまった。







この2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) の前にも、別件で、1996年度にも、

萩原は、SONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞している。ともに本来は pinned

photo diode の超感度、低雑音、低暗電流の特徴を持つのは当然として、それ意外にも、

縦型 OFD の機能が自動的に装備された構造であることに萩原は注目していた。


萩原が受賞した2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) では過剰信号電荷の吐き出し機能を特徴とした。


萩原はこれ以外にも1996年度のSONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞していた。外部制御電圧を使って、

過剰信号電荷の吐き出し制御を行い、ガンマ―補正機能付き受光構造を実現していた。これで CCD image sensor

の dynamic range を大幅に改善することができた。萩原がOFD機能を外部電圧制御するという基本動作をすでに

1975年の萩原特許の発明の時に考案していたが、その具体的な application の1つを、1977年に萩原が考案して

いるが、なぜかその筆頭がいつの間にか、越智、橋本、萩原として特許登録された。


1975年萩原発明の、 thyristor 構造を特徴とする SONY original HAD sensor は、すなわち VOD 機能付き 

pinned photo diode は、 さらに可変速電子シャッターとしても期待されるもので、有能な半導体受光素子構造だった。


しかし、萩原がその説明を特許の有効性を示す特許詳細説明文に追加することは許されなかった。


当時は、 computer の programing も、半導体集積回路の layout 図面でさえも know how と考えられ、

特許と認められることがない、技術者が保護されない悲しい時代だった。萩原もその悲しい技術者の一人だった。



後に萩原がCCD部隊から外れた後、CCD開発TOPの越智は、単独で、可変速電子シャッターを最初の考案者である

萩原と情報シェアすることなく、こっそり単独特許(特許第1522884号、特許1615692号)を申請した。そして、ずいぶん

後になるが、1996年に当時の半導体TOPの越智は、社団法人日本発明協会から全国発明表彰を越智単独で受賞した。


萩原発明の SONY HAD sensor は、もともと、 thyristor 型 埋め込みOFD機能付き半導体受光素子構造であり、

萩原の1975年の発明であり、そのOFDの動作を外部電圧で制御して、(1) 過剰電荷の掃き出し (2)ガンマ補正による 

dynamic rangeの増大 (3) 高速電子shutter 機能による、高速 action picture の撮像を可能にすることは、1975年

萩原がHagiwara Diodeを発明した時には、萩原は当然構造体の動作は Knowhowに所属し、簡単に専門家なら推測、

類推が可能であり、ことあるごとに萩原は、Hagiwara Diode の将来性を述べていたが、その内容を理解した技術者は

いなかった。次第、 1975年萩原が発明した Hagiwara Diodeそのものが、SONYのCCD開発技術者の中に覚えている

ものはいなかった。


当時、萩原は一人で、SONYの開発部隊が手がける CCD image sensorの設計を全機種、担当していたが、 当時のCCD

開発部隊が全力投球で試作をしていた透明電極で横型OFD搭載の ILT CCD は、プロセスが複雑で、欠陥のない 大口径の

image sensorの試作は難しい、本命になり得ない、ダメだと萩原は主張していたが、完全な一人の技術者の「つぶやき」程度に

とられ、当時のCCD開発部隊のTOPは聞く耳を持つものはいなかった。



そのことを萩原は中央研究所を訪問していた岩間社長に直接話したこともあった。


そのことが当時のCCD開発部隊TOPのは面白くない話だった。反対に、萩原が発明したthyristor型受光構造は難しすぎる

として、その試作検討構造として採用することを、当時のCCD開発のTOPは拒否し、興味を持つこともなかった。


しかし、NECの寺西チームが 1982年に IEDMで buried photo diode搭載の ITL CCD  imager の原理試作を

発表した時、今まで、当時のCCD開発のTOPが本命とした、 透明電極で横型OFD搭載の ILT CCDは、やっと断念し、

萩原が発明したthyristor型の受光構造の開発にSONYのCCD部隊は初めて全力投球した。しかし、SONYの担当

技術者はそれがNECの発明だど信じていた。萩原1975年特許は当時完全にCCD開発責任者TOPのほんの数人しか

記憶になかった。いや、SONY開発担当者は完全に全員当時萩原1975年特許の存在を忘れていたかも知れない。

当然、後からCCD部隊に参加した若手技術者には萩原特許の存在を知るものもいなくと当然だった。


SONYの技術者はその構造が萩原が1975年に発明したものであることはまったく理解されていなかった。


萩原ももうすでにCCD開発部隊から離れ、他の仕事に没頭しており、自分の発明であることを、

当時のCCD開発部隊の技術者に積極的に宣伝することはしなかった。




すべては、1975年の萩原特許が当時としては典型的な構造特許であり、まったくその構造から期待される

いろいろな動作に関する記述がまったくないことによるものである。まだコンピュータのソフトや集積回路の

layout 図などがそのまま特許として認められる時代ではなかった。また半導体素子の使い方、動作に関して

も特許対象とは考えられていない時代であった。発明はすべてその半導体構造とその構造の有効性を

他社にわざわざ教えることは、knowhow と見なされた時代だった。賢い人間ならその構造からいろいろな

半導体物理の教科書や技術文献か公知・周知情報として類推・連想できるものとしていた。



当時は動作説明は knowhow に当たるとして、特許は、その構造から見えるヒントをできるだけわかり

にくく記述することが重要とされていた。萩原が当時の特許担当者とのやりとりで、唯一、主張し特許に

組み込めたのが 信号電荷の蓄積部(N層)の完全空乏化電荷転送の結果である。すなわち、 the empty

potential well の電位曲線図であった。今でもこれが一番重要な動作記述情報である。


当時の半導体TOPの指示では、「構造特許のみを請求範囲に入れることで充分で Know How に

かかわるデバイス構造体の動作は容易に専門家なら容易に類推できるものとして、あまり構造特許には

詳細を記述するな。」という話だった。


しかし、NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の 

CCD image sensor を発表した。 NECは、1975年の萩原発明のHagiwara Diodeとは認めず、独自に、

buired photo diode と呼んだ。 1975年萩原発明の Hagiwara Diode は P+NPNsub 接合型の半導体

受光素子であるが、構造上、表面がP+層であり、受光信号電荷の蓄積部のN層が、表面になく、P+層の

下にあり、文字通り、埋め込み層の buried photo diode と呼んだ。後に、 世界一般では、さらに別名で、 

上層部の P+ が floating ではなく外部電圧で固定されているので、 すなわち、 pin 留めされているので、

 pinned photo diodeと呼ぶ様になった。


これらはすべて萩原1975年発明の Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子である。


NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の 

CCD image sensor を発表した後、SONYではあわてて、後追いで、今まで、1975年の萩原発明の

Hagiwara Diodeを無視して、その開発を反対していた、SONYのCCD開発TOPの越智の態度も180度

変換せざるを得なかった。当時SONYの開発部隊TOPの越智とは意見が合わず、萩原はすでに

CCD部隊を去っていたが、中央研究所から優秀な技術者で萩原の友人だった浜崎が、入れ替わり、

越智のCCD部隊に入った。萩原の技術とKnowHowを、萩原は喜んで浜崎に継承した。浜崎が

萩原の代わりに、萩原の夢を、越智のCCD部隊で実現してくれるからである(笑顔)。


さらに、後輩の米本も越智のCCD部隊に入り、1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub

接合型の半導体受光素子は急速に今までのKnowHowの蓄積もあり、すぐに原理試作が完成し、

 HAD sensor として商標登録され事業化を展開し市場を独占した。


この際、NECから SONY HAD sensor は NECの寺西特許が先行すると主張され、

SONYのCCD部隊は困った状態になった。そのころには、CCD開発TOPの越智をはじめ、

浜崎も米本も含め、SONYのCCD開発技術者の間では、萩原が 1975年に発明した 

Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在は完全に

知らされることもなく、忘れさられていた。萩原もそのころには、CCD開発から離れ、

米国 Fairchild社との特許戦争や、NECとの特許戦争に関しては、社内の友人からは

うわさ話をして聞くことはあったが、公式には萩原はCCD開発部隊からは部外者として

社内の事情の報告を受ける立場ではなかった。あまり、萩原はその特許戦争の内容を

教えてもらえなかった。最初に萩原に特許裁判の存在を教えてくれたのは、萩原の母校

の先輩のProf.Bob Bowerであった。SONY側の技術擁護弁論の為SONYが雇用していた

社外技術専門家だった。最後は特許担当者が萩原自身に組織を超えてアドバイスを

求めてきた、初めて萩原は事の深刻さに気が付いた。しかし、結局、萩原が 1975年に

発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在

のお蔭て、米国 Fairchildとの戦争にも、NECとの特許戦争にも SONYは勝利した。




return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************






*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 012

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************




*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************



*******************************

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

*******************************


最終的にSONYの SONY original HAD sensorの開発が本命と位置づけられた。

浜崎さんや米本さん、さらにCCDプロセスを担当した神戸さんをはじめ多くの

勤勉な技術者の努力で完成した、 SONY original HAD sensor であったが、

その特許は、1987年出願特許(浜崎、鈴木智、賀川、石川他)として

申請されていたが、明らかに、NECの寺西の1983年のIEDMでの発表と

その関連の寺西特許の方が先行していた、あくまで、NECの寺西特許の 

pinned photo diodeの派生構造特許に過ぎず、NECから、猛烈な特許工業権利に

関する攻撃には、SONYの半導体開発陣は無能であった。唯一、SONYが武器に

できたのは、最終的に、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub

接合型の半導体受光素子だった。この萩原1975年特許の存在のお蔭で、 

SONYのHAD sensorは、 NECの copy の汚名を受けることはなかった。

事実上、NECの寺西のIEDM1982に発表した、 buried photo diode 搭載の 

ILT CCD imager が SONYの特許の copy となった。






その結果が、2000年度の萩原のSONY HAD sensorの基本特許の発明考案実施褒賞 第1級最優秀賞の受賞である。

これを萩原が受賞して、CCDの開発部隊の技術者はみなびっくりした。それまで HAD sesnorは、CCD開発TOPの

越智の部隊が、浜崎さんたちを中心に開発した HAD sensor は NECの copy だと特許請求権に関する論争(特許

戦争)となったからである。その戦争で、完全にSONYの負けが宣告される寸前で、1975年萩原特許はSONYを救い、

CCD開発部隊の勤勉な努力を無駄にすることにはならなかった。1980年から20年間、萩原はSONYで長い間、

冷たい目で見られていたが、この受賞を堺にして、萩原を見る社内の人間が目が変わった。





しかし、ここでも萩原にとって腹の立つことが起きていた。










この話は、萩原1975年特許の the pinned photo diodeを本命とせず、

他のCCD方式を本命とした当時のCCD開発TOPへの萩原個人の抵抗と

抗議の話だった。しかし、まんまとその客観的な理論解析内容が利用される

結果となってしまった。





1975年には既にCCDの the empty potential well の電位図の物理的は意味

は周知でした。すなわち、CCDの the empty potential well の電位図は、

完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像をCCDが提供するという

すばらしい特徴をCCDが持っていることは周知でした。





See Fig.53 in p.425 of Physics of Semiconductor devices

by Prof.S.M.Sze, 2nd Edition ISBN 0-471-05661-8

for the detailes of (a)BCCD (b)Enerygy band for an empty

potential well and (c) Energy band when a signal packet

is present. See also D.C.Burt, " Basic Operation of Charge

Coupled Devices," Int. Conf. Technol. Appl. CCD,

University of Edingburgh, 1974, p.1 .


萩原は1975年発明の特許の Hagiwara Diode ,すなわち、

現在世界で pinned photo diodeの受光構造でも、CCD型の

受光構造だけでなく、the empty potential well が実現可能で

あることを世界で初めて1975年に特許の中で明らかにしました。




NECとSONYの特許戦争でもこのthe empty potential well の論点が最大の課題

となりました。萩原が動作に関する記述はKnowHow に所属するのでできるだけ

記述説明を除外せよとの当時のCCD開発TOPやそれに従る特許部のStaffの

アドバイスにも抵抗して萩原が「これだけは重要だ」と主張した、この完全空乏化

電荷転送の電位ポテンシャル図の存在のお蔭で、SONYとNECの特許戦争で、

SONYが勝利できた。これは 萩原が1975年に発明した Hagiwara Diode が、

先行特許構造であることの証拠となった。逆にNECの寺西特許は萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diodeのコピーであることを証明したことになった。すなわち、

萩原が pinned photo diodeの本当の発明者であることの証拠でもある。


 



Hagiwara Diodeの特許1975の図6に萩原が描いたthe empty potential well は、

完全空乏化電荷転送の結果、電荷蓄積部が完全に空になっていることを意味し、

それは action picture など高速撮像に不可欠な残像なしの映像を可能にします。

萩原は1975年にすでに Hagiwara Diode ,すなわち、現在世界で pinned photo

diodeと呼ばれる受光構造でも、「残像なし」というすばらしい特徴を持っていること

を示唆した明らかな証拠です。


この事実は理解するには、半導体物理と半導体素子の動作原理をしっかり

学習し理解する必要があります。


たいへん難しい概念ですが、バケツに入っている水をすべて掃き出せば、

バケツの形状だけが見えることのたとえで、半導体物理原理により、

半導体の受光部のバケツの形状がこの the empty potential well の形状

となることを萩原は1975年の特許の図6に世界で初めて描き明らかにしました。


return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************




*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 012

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************


*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************



*******************************

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について


*******************************


特許で一番重要なのはあくまでその特許に記載された公式特許請求範囲である。特許に添付

されている実施例はあくまでその特許の有効性を説明するための応用例にしかすぎない。特に

その素子構造の動作に関する記述となると、その素子構造の使い方のknow-howとなりなかなか

特許権利を行使できるほどに正確に記述は難しく、また動作原理を特許審査官に理解してもらえる

ことはほぼ不可能で、可能であっても新規なアイデアであればあるほど時間と努力がたいへん

かかる難問である。いずれにせよ、商品化にあたり、その素子構造をまず採用しないと、その動作は

実現しないのだから動作に関しては記述する必要がまったくないのが構造特許の本質である。


当然、その特許で定義される素子構造の応用例すべてを特許の実施例として添付必要はない。


構造特許に添付される実施例は、ほんの数件の有効な実施例を示すだけで充分である。あくまで

その素子構造に最大の特許の価値があり、それが知的財産として企業の事業展開に大きく影響する




米国 Fairchild社は、長年萩原1975年特許( 埋め込みVOD機能付きのpinned photo diode構造)

を攻撃していたが、その攻撃論法は、このFossum 2014 fake paper でも悪用されている。すなわち、

特許に記載された正確な特許請求文を無視して、「特許の実施例を、特許請求範囲そのもので

ある」
かの様な論理性欠如した論法で攻撃している。実施例はあくまで応用例であり、特許の公式

な請求範囲を制限するものではないことは誰でも理解できることである。特許の正確な請求範囲

が日本語で単純明解に記述されていているにもかかわらず、日本語が理解できないことが問題か、

それとも日本語で記述した特許自体を入手しておらず、限られた断片的な情報だけで拡大解釈

する攻撃論法を使って、このFossum 2014 fake paperは、間違った結論・虚論を展開している。






   ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で

   発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。

   Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

   Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

   記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

  これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、すなわち、

  のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した実施例(派生copy) である。

  あくまで、pinned photo diodeの発明は、1975年の萩原特許によるものである。


   いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。


CCD固有の完全電荷転送動作がCCDだけでなく、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diode

でも実現可能であることを示唆するものです。このHagiwara Diodeが、残像なしで低雑音でかつ超感度の半導体受光構造、

すなわち、未来の鉄腕アトムの電子の目の網膜細胞に相当する画期的な発明であることの証拠となります。このたいへん

重要な、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diodeの受光部(N層)のthe empty potential well 曲線の

存在を、 Fossum の 不当な嘘の fake 論文は 完全に隠しています。たいへん不当( unfar, biased and fake )論文です。


これはたいへんけしからん話です。 このことをNECとSONYの特許戦争の時にSONYが主張していたことをNECもその論争の

対象となっていたのはNEC1983年の寺西特許です。寺西もSONYとNECの特許戦争でNECが負けたことを知っていたはずです。

なのに、ぬけぬけと自分が pinned photo diodeの発明者のふりをしていることは、たいへんけしからんことです。偽りの顔です。









 (1)  Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


    "However, the 1975 application did not address complete charge transfer,

      lag or anti-blooming properties found in the NEC low-lag device,

      and does not seem to contain the built-in potential step and charge transfer device

      aspects of the virtual-phase CCD."


     この文章からも明らかな様に、 Fossum は、 萩原特許に含まれ例図6Bの存在を全く知らない無知な人間か、

     それとも、わざと自分の都合の悪いことを隠す極悪非道な詐欺師かどちらかである。


     嘘の虚述で、完全に萩原を侮辱している。


 (2) また、Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   ”Hagiwara repeats these claims in a 2001 paper [26]  and shows a VOD structure

    that is not found in the 1975 patent application. ”


    [26] Y. Hagiwara, “Microelectronics for home entertainment,”

       in Proc. ESSCIRC, Sep. 2001, pp. 153–161.




  しかし、 1975年萩原発明の  Hagiwara DiodeのP+NPNsub junction 構造そのものが 

  VOD 機能を持つ構造であることは自明である。彼はまったく萩原特許を理解していないばかものである!




(3)また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   " Sony did not seem to pursue the HAD structure until well after the

     NEC paper was published. "


  しかし、1975年の萩原特許で Hagiwara Diode は発明され、 1978年には FT CCD imagerの

  試作に Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) はその受光構造として採用されており、

  これが後になって Sony original HAD  sensor と商標名が登録されただけで、HAD sensorの

  開発は、萩原が 1975年に Hagiwara Diode を発明した時点から始まっている。


  SONY内の TOP(越智さん)の反対にもめげず、萩原はSONY内のプロセス担当者( 狩野さん、阿部さん、

  松本さん)の支援を受けて、自分でimage sensor を設計し、さらに自分でプロセスラインに入り試作している。



(4) また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様に事実誤認の認識不足の記述をしている。

  " However, the “narrow-gate” CCD with an open p-type surface region

   for improved QE also disclosed in the 1975 application was reported in more detail

   by Hagiwara et al. at Sony in 1978 [27].


   [27] Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada,

   “A 380Hx488V CCD imager with narrow channel transfer gates,

    ” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18, supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.


  まさに、この論文に、Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) を搭載したFT CCD imagerの

  試作結果を報告している。その性能は、単純に超感度だけでなく、残像のない、低雑音な受光構造であることを

  実証した論文である。SONYが東京とNYで大々的に記者会見した超感度で残像がない低雑音のimage sensorの

  世界最初の pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) 搭載の新聞発表である。これが最初の、pinned photo

  diodeの原理試作であることは、多くの世界のCCD 開発の権威者も認めている。






  以上の例以外にも多くの虚述がこの Fossum 2014年論文には存在する。



(5) そして最後に、このうその論文は、次のように嘘論をはいた。



 "The PPD, as it is most commonly used today, bears the strongest resemblance

  to the Teranishi et al. ILT CCD device. Thus, these days Teranishi is considered

  as the primary inventor of the modern PPD . "


 と嘘の証言をしている。


この嘘の結論は、上記 (1),(2),(3),(4) の嘘の証言の上で出された嘘の結論である。

 

これを真実とは到底認めることは不可能であり、断固として、萩原とSONYはこれに抗議する。


 このままでは、 SONYの商標名、 brand name の SONY original HAD sensor は、

 もと NEC の寺西の pinned photo diode の発明によるものとなる。


 SONYの商品は NECのcopy品であるという、汚名を受けることになる。


 これは絶対に許されない。 萩原とSONYに対する大きな侮辱である。


  Fossum がこのFake 論文を書いた目的がはっきりした。


  SONYと萩原をけちょんけちょんにけなし攻撃する事により、

  Fossum 自身の業績が強調でき、Fossum自身が 

  modern didital CMOS image sensor の開発者であると主張することである。


 しかし、今世に見る modern didital CMOS image sensor は SONYの多くの技術者の

 努力の結晶により完成したもので、 Fossum 1人が開発したなどとは到底考えられない。


Fossum は、暗闇の中で、政治的に動き、技術的に素人である方々さんを多くだました結果である。 



  どうして嘘をならべて萩原とSONYを攻撃したかがこれで明らかである。


  萩原とSONYの存在が邪魔だったわけだ。。。



  Fossum 2014年 論文は、 嘘の虚術を並べた、絶対に許されない詐欺行為である。

return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************



*********************************

  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 013

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

*********************************




*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************



*******************************

 
(9) まとめ

*******************************























****************************************

   Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

****************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara


****************************************







****************************

    さらに、萩原良昭の自己紹介を続けます。

****************************







****************************************

        1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

           社会人となってはじめて会社で出願した特許です。

          単純に構造のみに関する特許です。それも単純に、

         「PNP 構造をsensor 構造とする」 という単純特許です。

  構造から期待される動作やその効果については自明として詳細には言及していません。


        実際には、 光電変換されたキャリア(電子)を保護します。

         半導体界面の不完全結晶構造による、暗電流や欠陥から

        保護し、現在の低雑音・高感度センサーを実現しています。

      また、PNP構造の構造上の自由度から、過剰電子の除去も可能です。



****************************************


●  2つ目の特許は、現役を引退し、もっとも最近に、個人として出願したものです。

 離散フーリエ変換回路に類似する信号処理回路、画像・音声処理に関する特許です。


        すなわち、離散周波数成分変換回路の一種ですが、

       信号 sampling が等間隔ではなく、最初は間隔が狭く、
 
   時間が経つにつれ、sampling 間隔が広くなるという手法を提案しています。

 
JP 2016-14942:時間領域データを周波数領域データに変換する演算回路




        1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

         社会人となって現在にいたりますが、一貫して人工知能に関心があり、

         人工知能を支えるハードウエア―としての「電子の目の研究」でした。

        1976年には、大学院時代のProf. C.A. Mead の指導のもと、研究室と

        Intel 社との産学共同のプロジェクトに参加し、当時の最先端の MOS

        LSI Fabrication 技術を使い、LSI chip の設計に挑戦しました。



 
     IEEE Journal of Solid State Circuits, VOL.SC11,No.4, October 1976


               128-bit Multicomparator

      
       a serial-in/serial-out fast 128 bit parallel data comparator chip

      fabricated by Intel corporation p-channel E/D MOS fabrication line






****************************************



     最後に、国際会議で講演したものを4つ紹介します。



● 一番最初は、1979年9月(31歳)当初の活動内容です。なかなかイメジャー素子が
   
   ものにならなく苦労していて、開発研究をあきらめる企業が目立った頃の話です。

   世の中は「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化できる

   のかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ見えない頃でした。


  英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。


                ADVANCES IN CCD IMAGERS


● イメジャーの実用化の目途がたち、Video Cameraやデジカメとして販売実績が確実な

  ものになったころで、イメジャーの信号処理関連LSIから PlayStation2関連のLSIも

  広く開発商品化の段階に入りまだまだこれから大きく花開くと希望と夢がいっぱいの頃でした。

  オーストリアのVilachで開催された国際会議 ESSCIRC2001 で発表したものです。

          Microelectronics for Home Entertainments



●一番最後は、2008年9月(60歳)当時の活動内容で、会社定年前の最後の仕事となりました。

  英国ScotlandのEdingburghで開催された国際会議 ESSCIRC2008 で発表したものです。


           SOI Design in Cell Processor and Beyond


● 2013年はIEEEの国際学会 ISSCC の60周年記念の年で、その基調パネルのメンバーとして

   招待されました。 もう私は現役を退いて崇城大学情報学科で一人の教員として若い学生に授業を

   教える立場でしたが、長年、ISSCCの運営委員メンバーやアジア委員長としても奉仕してきた事も

   あり、ISSCCのOBメンバーとして、また、他の会社があきらめていた中、ソニーだけが(故岩間社長

   の力強いサポートのもと)イメジャーの開発当初から、開発と事業化の環境が維持され、その器の中で

   私もイメジャーの開発の1人の若手技術者としてを従事し、一人のイメージャーの開発者の目から見た

   「昔ばなし」のつもりで、基調パネルで話をしました。しかしかなり下準備をしたものの、よく話せたという
   
   自信は全くありませんでした(涙)。


   その時の下準備の内容と、パネル討論の様子、ISSCC の60周年記念の祝賀会の様子、その内容が

   IEEE Solid State Society の専門 Journal に記載された内容をまとめたものをここに掲載します。


  ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo


*************************************

イメージセンサーを開発していた萩原の現役時代の国内論文を2件紹介します。


      (i) ナローチャネルCCD単板カラーカメラ


      (ii) インターライン転送方式CCD撮像素子


***************************************


   そして、 英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された

     国際会議 CCD'79 で萩原が発表したものがあります。

 
  この論文の中で、1975年萩原発明の、超感度、低雑音で、

       残像なしの のHagiwara Diode搭載をした 

    FT 型 CCD image sensorを初めて国際会議で紹介しています。


           ADVANCES IN CCD IMAGERS


  この学会で、 世界で初めて、 CCDが超感度でないことは

  自明として、 1975年に萩原が特許出願し、萩原が発明した、

   HAGIWARA DIODE 、すなわち、 pinned photo diode が

   超感度低雑音残像なしの特徴を持つことを説明しています。


***********************************************

      萩原良昭の会社生活(1975~2008)の仕事内容に関連して紹介します。

           今となれば、なつかしい青春時代の思い出になります。

***********************************************


  まず、SONYでの勤務時代(1975~2008)の萩原の仕事の紹介です。


  1975年SONYに入社してすぐ、CDT型(電荷転送装置のことで、CCDと

  MOS型の両方) の image sensor に搭載する、超高感度の受光部の

  構造特許を出願、発明しました。すなわち人間の目の網膜細胞に相当する

 「鉄腕アトムの電子の目」の網膜細胞の構造特許の出願から始まりました。



***********************************************
 
 現在この萩原構造特許( Hagiwara Diode ) は pinned photo diode と呼ばれます。

   かつて脚光を浴びた超感度低雑音残像なしの digital CCD image sensor にも、

   現在の、さらに高解像で、超感度低雑音残像なしの digital CMOS image sensor にも

  搭載されています。その価値はますます見直されています。しかし、その特許の発明者が、

  もとSONYの萩原良昭であることはまったく世界に知られていません。その原因はその

  特許が日本国のみ1975年に出願され、日本語で記載され世界の技術者はその存在を

  知らなったためです。それで、もとNECの寺西さんが国際会議でIEDM1983で発表した

  buried photo diode 構造の ILT 方式の CCD image sensorが最初の発明だとされて

  います。 しかし、事実ではありません。誤解です。 真実はいつも 1 つです。


  萩原構造特許( Hagiwara Diode )は 1975年に SONYから日本語特許として出願されました。

  

また、その原理試作は 1978年に Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensor

  として 初めて世界に公開されました。SONYは 大々的に New York では 盛田会長が、

  東京では岩間社長が記者会見し、発表しました。



   Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensorが超高感度、低雑音で雑音ない、

  高品質の未来のビデオカメラとして、またビデオ記録器との一体型ビデオムービーとして発表

  しました。


  しかし、そこでは、まったく 1975年萩原発明のHagiwara Diode 搭載のことは一言も言及される

  ことはありませんでした。これが最終的に世界に大きな誤解を招きました。世界は CCD image

  sensor 自体が 超感度と誤解しました。


  しかし、本当は、CCD自体は本来金属性の電極を必要とするMOS構造であり、金属は光を透過

  することができないので、CCDは超感度には絶対になりえません。


  あたらしい、受光構造を必要とされていた時代でした。その必要性に答えたのが

  1975年に特許出願したもとSONYの萩原良昭が発明したHagiwara Diode でした。 








  いろいろな CCD 方式を勢力的に検討していたSONYは、最終的に、1984年には SONY original

  HAD sensor と商標を登録し、Hagiwara Diode 搭載の CCD image sensor のお蔭で、世界の

  ビデオカメラの市場を独占することになりました。


Sony original HAD sensorは SONY固有の商標名ですので、後に世界では、これを後に、

pinned photo diode と、学会を中心に呼ばれるようになりました。 しかし、


  (1) 1975年に出願された萩原特許の受光構造特許( Hagiwara Diode ) も、


  (2) また、1984年に、SONY original HAD sensor と商標登録し、SONYが 世界のCCD image

    sensorの市場を独占したものも、

  (3) 1983年に、もとNECの寺西さんが国際会議IEDM1983で発表した buried photo diode 構造の

    ILT 方式のCCD image sensor も、 

  (4) 世界で現在、 pinned photo diode と学会を中心に、呼ばれるものも、


この上記の(1)から(4)のものは、皆、同じものです。


      しかし、この4つのものが同じものであることを、世界は理解していません。


      そして、(3)のもとNECの寺西さんの buried photo diode を、世界は簡単に、

      pinned photo diode と同一であることを判断しました。それで、現在は、もと

      NECの寺西さんが、世界最初に pinned photo diodeの発明者とされています。

  
      これはたいへん大きな誤解です。世界はその事実を知りません。



      上記の(1)から(4)はみな同じものであることを、世界はその事実を知りません。


   従って、pinned photo diode の本当の発明者は もとSONYの萩原良昭であることを、

 
   もとSONYの萩原良昭が、本当のpinned photo diodeの発明者である真実を、世界は

   全く知りません。世界は真実を知る権利があります。真実はいつも 1 つです。


   SONYにも萩原にもその真実を世界に知らしめる責任があります。




return to AIPLAB HOME PAGE TOP

******************************************************************



*************************************


(1) Introction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について


(9) まとめ


*************************************




***********************************************

    SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話でした。

 Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?

***********************************************


Story of Sony original HAD sensor (1)


     More Story (1) , Story(2), Story(3)

Story of Sony original HAD sensor (2)    
Story of Sony original HAD sensor (3)


Story of Sony original HAD sensor (4)

Story of Sony original HAD sensor (5)
      
Story of Sony original HAD sensor (6)

Story of Sony original HAD sensor(7)

Story of Sony original HAD sensor(8)


***********************************************






*****************************************

    以上の内容を理解する上で、基礎・参考となる内容を、下記の本にまとめています。

*****************************************



*****************************************

  最後に、AIPSに関する技術解説書を1冊紹介します

*****************************************

1975年から2008年まで ソニー(株)に勤務しました。 

その後、2009年より2017年まで、熊本市にある崇城大学の

情報学部の教授として勤務しました。本書は若手社員や学生を

対象に教育指導してきた技術内容の基礎をまとめ解説したものです。 

*****************************************








*****************************************

書名  人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

*****************************************

ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

*****************************************

  書籍の出版社の紹介

この本の購入に関しては、下記の出版社のホームページを参照の上、

    出版社に直接ご連絡いただき、ご購入ください。
       TEL: 042-765-6460(代)    青山社 
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


*****************************************
   この本の概要説明です
*****************************************

未来の人間の社会においては、いたるところで、人間にやさしい、
人工知能パートナーシステム( AIPS = Artificial Intelligent Partner
System)とも言える人間支援システムが出現すると期待しています。

たとえば、AIPS搭載の自動走行車や老人介護システム、人間型
歩行ロボット、ロボット・ハウス等です。

このAIPSを支えるのが、コンピュータとその通信技術です。
また、その基礎となるのが、基礎情報数学、数値計算法、
電子回路、知能ロボット工学などです。

そこにはさらに、 ハードとソフトの両面があります。

従って、ハードとソフトの技術が連携して、はじめて、AIPS搭載の
人間支援システムの実現が可能となります。

そこでAIPSを志す人は、宮本武蔵の様に、自己の腕(技術力)を
二刀流で磨いていただきたいところです。


*****************************************









*******************************

毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


*******************************










**************************************


「賢い電子の目」が、その発明者である、もとSONYの萩原良昭を見ています。

 


******************************

******************************

     70歳のじじいのつぶやきでした(笑顔)。

******************************



*******************************

     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

    補足資料(Appendix)

  (おまけ) 高校生数学でわかる雑学相対性理論

*******************************
  

ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

*******************************



  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


*******************************


************************************

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

************************************



*************************************


(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


*************************************







*********************************************************************


半導体産業人協会主催の2つの秋季半導体技術講座の紹介です。



(1)2018年11月1日~2日開催の半導体入門講座の案内

     2018年度 秋季入門講座カリキュラム詳細版



(2)2018年11月5日~6日開催の半導体ステップアップ講座の案内

    2018年度 秋季ステップアップ講座カリキュラム詳細版

*********************************************************************



著書に 「人工知能を支える、
デジタル回路の世界」 


ISBN 978-4-88359-339-2 C3055  青山社 出版、

ハードカバー 475ページ、\9000 + Tax があります。

是非、購入してお読みください。


半導体素子の基本物理動作からその応用回路まで

やさしく解説しています。文系の方でも読みやすい

ように工夫し、むずしい数学のバックグラウンド知識

がなくても、容易に直観的に誰でも理解できるように

わかりやすい解説図を本書には多く用意しています。

******************************

        Yoshiaki Hagiwara, Ph.D.  IEEE Life Fellow、 

  the inventor of Pinned Photo Diode ( SONY HAD sensor )

******************************

あとがき


   私は日本から、ものづくり産業が消えるいると感じる、寂しく思っている人間です。


   かつて、日本は Japan as No.1 と言われ、ものづくり産業立国として君臨していました。


   今はその姿がありません。その中で、今でもSONYはものづくりの会社として、
 
   今でも日本の企業(国際企業)の代表です。その栄誉(会社のブランド名とその価値)は

   昔ほど誇れるものではありませんが、その中で日本のものづくり半導体産業を

   リードする、今一番元気がある半導体企業ではないでしょうか?

 
  その精神、その原動力はどこにあるのでしょうか?



日本の半導体産業は、SONYの小型家庭用 transistor radio の誕生から始まりました。



そして現在でも、SONYの CMOS digital image sensor が、日本の半導体産業を支えています。



かつて、日本は Japan as No.1 と言われ、世界から注目の的でした。



その主役だった日本の半導体メモリー産業の姿はもはや跡形もありません。


かつて、日本の半導体大手メーカであった、日電、三菱、日立や東芝が、

中心となり手がけた主力製品で、日本の代表的半導体製品の主役であった、

Dynamic Random Access Memory (DRAM) は、もはや、

日本の半導体産業を支えるものではなくなってしまいました。



フラッシュNANDの不揮発性半導体メモリー事業でさえ、その世界の

市場を制覇して来た東芝でさえも、原子力発電の事業の赤字を埋める為、

罪のない、フラッシュNANDの不揮発性半導体メモリーの生産を担当する

子会社の身売りを、余儀なく、親会社である東芝はしなければなりません。




その中で、日本の半導体産業の代表企業として、

現在、唯一現在SONYだけががんばっています。



SONYはどこが他の企業と違っていたのでしょうか?



日本の半導体の歴史、すなわち、その代表でもある、SONYのものづくり、

すなわち、SONYの半導体生産技術の歴史は、SONYが世界に先駆けて

創造した日本初の小型家庭用 transistor radio の誕生から始まりました。



その精神が、今のSONYのCMOS digital image sensorの生産技術の中に

中に継承され、 今のSONYのものづくり産業と製造産業技術を支えています。


しかし、SONYはいつも半導体部品を作るものづくり会社だけでは終わっていません。


SONYみずからが、いろいろな半導体部品を集めた複雑な構造体(セット製品)を創造し、

その製品の中に、自社生産の半導体部品を心臓部として採用してきました。


SONYは今も日本の半導体産業を支える唯一の日本発の企業(国際企業)として

唯一がんばっています。その原動力はどこにあるのでしょうか?


革命は一人の英雄と、その英雄の知恵と勇気に感銘した、無数の民衆の力で実現します。


産業革命も同様です。半導体産業も同様です。


日本の半導体産業の技術革命を起こした、SONYの半導体生産技術の歴史は、家庭用

小型 transistor radio の誕生に始まります。


そして現在SONYが世界市場を制覇している、SONYのCMOS digital image sensor

の事業を支えているのも、歴史あるSONYの半導体生産技術力、その精神力によるものです。



世界が不可能と当時思われたいた、家庭用小型 transistor radio の事業を支えたのが、

SONYの半導体生産技術の歴史の始まりでした。その歴史あるSONYの半導体生産技術

が今のSONYのビデオカメラ事業を支える最大の原動力です。


革命は一人の人間で始まると言われます。


しかし、革命は多くの人間により成し遂げられます。


革命は一人の人間では実現しません。





産業の技術革新・技術革命は、一人の人間の知恵と創造性に、多くの勤勉な仲間が感銘し、

集い一致団結して同じ夢のために努力してこそ実現します。



産業革命は一人の人間の知恵と創造性に始まりますが、多くの勤勉な人間が同時に感銘し、

集い、一致団結して、その生産技術と信頼性技術を社内で確立してこそ、はじめて、

その努力の結晶として、優れた製品を市場に提供してこそ、企業は社会に貢献できます。


SONYの場合、お客様に近い立場でお客様の声を常に聴き、お客様のご要望にあった製品を

提供することに全力を傾けたセット事業部の技術陣がいました。萩原もSONY入社して間もなく

セット事業部の技術陣先輩の声を身近に聴き最終製品がどういうものであるべきかを学びました。

ビデオカメラは感度が命であると、萩原はSONY入社して間もなく痛感しました。残念ながら、

自分が学生時代に学んだCCDは、結局既に、Intel社も日立も不完全半導体素子として、CCDの

実用化は無理とあきらめていたのは、SONYに入社する前から知っていたが、信じて入社した、

SONYのセット事業部の技術陣からも、SONYのTOPが何を言おうがCCDは感度が悪くてだめだ、

セット事業部の技術陣から聴かされ、萩原は悩みました。だからと言って、残像が多く、また配線

雑音、クロック雑音が多く、映像信号(感度)が雑音に隠れる、MOS 型 の image sensor は、

高品質高性能ビデオカメラとしてはさらに不満足なはず、まだ、CCD型の image sensor の方が

いいはずだ、どうしてこれで、セット事業部の技術陣先輩は満足してくれないのか?SONYはいつも

高品質高性能を求めている。 セット事業部の技術陣先輩も高品質高性能ビデオカメラを求めていた。

必要は発明の母といいます。萩原は、CCD型の image sensor の感度を補うためにCCD型の、

すなわち、MOS容量型の受光素子構造をあきらめることにしました。MOS型構造にはかならず、

金属電極があり、金属は光を通しません。光が鏡のように金属にあたると反射します。ここは、

従来の N+P型の、MOS型の image sensor で採用されている photo diode をそのまま、

Intgerline 型 CCD image sensor で使用することから、もう一度原点から考えることにしました。

SONYのCCD開発陣のTOPは、セット事業部の技術陣の要求に対して、すなわち、超感度で

残像なしの高品質高性能の image sensor の要求に対して、その答えは、透明電極を使った

MOS容量型の受光素子構想を採用することとしていました。しかし、この構造では、透明電極

用の材料が高温処理に耐えることができず、シリコンプロセスになじまない材料でした。また、

MOS容量型の受光部では、受光時にシリコン表面に強い電界が生じ
、界面再結合順位の存在

で暗電流の多い受光素子でした。そこで、萩原がその改良策として考案したのが、後にSONY

では、Hole Accumulation Diode (HAD) と呼ばれるもので、SONYの外では一般に現在、

非常に脚光を浴びて、 Pinned Photo Diode と呼ばれるものです。それが萩原の発明です。




















































ように工夫し、むずしい数学のバックグラウンド知識

がなくても、容易に直観的に誰でも理解できるように

わかりやすい解説図を本書には多く用意しています。



この書籍の付録(1) 小学生の油わけ算の問題の解法例です。

       付録(2) 中学生数学で解ける特殊相対性理論の解説です。

       付録(3) 半導体まめ知識 [1] 半導体とは?

                        [2] 太陽電池とは?
                 
                        [3] 固体撮像装置とは?

******************************

        Yoshiaki Hagiwara, Ph.D.  IEEE Life Fellow、 

  the inventor of Pinned Photo Diode ( SONY HAD sensor )

******************************

あとがき

さて、先日の10月19日金曜日、SONYのご厚意で、厚木テックでの、
今年も、恒例(高齢)のSONY半導体OB会が開催されました。
会員が350人のところ150人が、午後3時半から集結で夜8時まで
のお酒を入れた立食パーティ風の懇親会開催の前に、記念写真の後、
OB会の会計報告とSONYの半導体ビジネスの現状と展望について
会社の現役後輩社員の清水さん(と言いても本社の常務取締役で 
SONY Semiconductorn Solution Corporationの社長さんですが
その偉い方から)力強い説明をうけました。


最後に、OB会のメンバーの1人の米村さんが1つ質問しました。

「今の日本の半導体で、元気なのはSONYだけ?東芝のメモリーも
身売りの話がでて、なぜSONY半導体は今でも元気なのですか?」と
その理由についての質問でした。清水さんの適格な返答は、「今の
SONYの半導体があるのは半導体プロセス生産技術が一番大きな
要因・原動力だ。」とおっしゃいました。私もその通りだと思いました。


SONYはかつて世界があきらめ全くものになるはずがないと思われていた
トランジスタの量産技術を歴史あるソニー厚木工場で確立しました。


ソニー厚木工場は歴史的にも世界で初めての半導体量産工場です。

また、私が1971年に大学を卒業して日本に夏休みだけ遊びに一時帰国して
ソニー厚木工場を訪問しました。実は、SONYの創設者の井深さんの親戚
の方と知り合いで、CalTechに在学中に彼も留学生で同じ学部の大学院生
でした。彼は珍しくもEEでCalTechでPhDをとり再度医学に進みMedical
Doctorの称号を取り、お医者さんとして帰国後お医者さんになった方で、
その方のの紹介でSONYを夏休みに訪問見学することになりました。

当時、ソニー厚木工場はトリニトロンTV用に信号処理用 bipolar transistor
IC ( CX081~CX089Series ) の量産立ち上げの最中でして、そので私は学生
実習生として1971年の夏3か月間ソニー厚木工場で岡田寮に宿泊していました。

目的は東京周辺見学のためにソニーに宿泊施設を提供してもらうのが私に
とっての最大の目的でしたが、、、しかし、ソニー厚木工場を見学してびっくり
しました。私の大学の先輩に Intel の創設者のDr. Gordon Moore がいます。

また、大学院の私の研究指導官の Prof. C. A. Mead とDr. Gordon Moore
のお二人は二人とも CalTechの卒業生で在学時代からの親しい友達同士でした。

それでまだベンチャー会社だった Intel 社を私も 産学協同プロジェクトが
あり、行き来したことがあり、米国の最新鋭の PMOS transistor のプロセス
製造ラインを見ていました。しかし、1971年SONYの厚木工場を訪問して
びっくりしました。日本にも最新鋭の半導体工場があると。それも当時
米国TI社と集積回路の基本特許(キルビー特許も含む)の包括契約をして
いて米国TI社と半導体プロセス製造技術で技術提携していたとのことです。

SONYは見る目がある。トランジスタ特許使用権利を格安の当時の値段の
500ドルでベル研から獲得し、TI社からも格安で集積回路の特許使用件を
獲得しました。後に、日電・三菱・日立・東芝の日本の半導体勢力はDRAM
の生産で、TI社のキルビー特許により、膨大な特許使用料、合計すると
8000億円~1兆円が日本が米国に支払われたとのうわさもあります。


しかし、私は1971年SONYの厚木工場を訪問してびっくりしました。

まだ32歳だた宇野義道主任(後のソニー長崎工場長など歴任)に、「ここは
東洋一の半導体大規模生産工場だよ。」と説明を受けました。彼が私の実習の
指導官でした。私はあつかましくも、1971年と1973年に厚木工場に日本に
夏休み帰国していたとき、宿泊施設にソニー厚木工場の岡田寮を使い、名目、
ソニー厚木工場のプロセスラインの実習生として勤務していました。

SONY半導体OB会での清水さんの話を聞いて、昔のソニー厚木工場内の
プロセスラインをはじめて見学して驚いたことを思い出していました。

1971年の夏休みのことでした。SONYの半導体プロセス生産技術は世界の
歴史を築いた主役であり、その主役の座は今でも世界の CMOS digital image
とその周辺信号処理回路の設計・開発・生産技術者によって一丸となってに
守られ維持されています。その主役はSONY original sensor の試作とを担当した
鈴木ともさんであり、CCD のimage sensor の量産プロセスでがんばった上田さん
であり、SRAMとPS3のchip の量産プロセス立ち上げでがんばった清水さん
であると私は自負しています。みんな私のかわいい後輩です。

若い次の世代がSONYの今の半導体を盛り上げてくれていてこころ強く
感じました。しかし、私ももう70歳になりました。長年お世話になった宇野
さんももう81歳です。今年もOB会で元気に顔を見せていただきましたが
毎年来年会えるかな?とお話して今年もお別れでした。今年のOB会には
たいへんお世話になった川名さん、加藤さん、山崎さんは欠席でした。

いつもたいへんお世話になっていた、もとSONY(株)専務で
半導体のTOPでもおられた河野さんが亡くなられおられません
でした。現役時代萩原もたいへんお世話になった方でSONY
のトリニトロンTVの開発生産の最高責任者でもおられました。
また、CCDのプロセス立ち上げで大活躍されていた阿部さん
とCCD生産で国分工場で指揮を取っておられた小笠原さんの
お二人も亡くなられ、3人のたいへんお世話になった方々の顔
がなくたいへん寂しく感じました。

先日11月21日にもと東北大学学長の「ミスター半導体」で知られる
西沢潤一教授が92歳でお亡くなりになられたと新聞で知りました。
学会でしか私はお会いすることがありませんでしたがいつも私には
ニコニコしてよく親しくお声をかけて下さいました。私が1973年に
SONYでVFETの試作とその信頼性試験の実習をしていたお話を
したら目をきらきらしておられました。PIN diode の発明者でもあり
新幹線の送電システムや携帯電話などの通信に広く今活躍しています。
またLEDの出力が昔は貧弱だったのを今の様に照明機器や昼間の
信号機にも使える程までに強力なものに改善されたのも西沢教授の
業績です。私の大学時代のPhDの指導官だった Prof. C. A. Meadも
LEDの研究をされていて、また私の発明の Pinned Photo Diode も
西沢教授の発明の PIN Diode とよく間違えられ、いろいろ西沢教授
とはご縁あるかたです。私がISSCCなどの学会で活躍している姿を
見て、「萩原さん、会社でちゃんと仕事しているかね?ほされているのでは?
会社で仕事しないで学会に来ている教え子を見ると、会社でちゃんと
楽しく仕事しているのか心配になるのでね。萩原さんも実はどうなの?」
と厳しいコメントをもらった記憶があります。当時はSONYは米国 Fairchild
との Pinned Photo Diode 特許にかかわる特許戦争(1991~2000)で
たいへんSONYは深刻な状態でした。私も会社ではどうころぶかわからず、
米国からの留学生でもあり、米国の陪審員の感情を逆なですることを避ける
ためにも静かに会社でも目立たず静かにしていた時期で、ただ技術情報の
収集と自分自身の勉強はしっかり続けていた時期でした。会社ではほされて
仕事がもらえない状態(技術企画室の茶坊主)でした。西沢教授はそんな
私の心を見抜いた、やさしいお言葉をかけて私を元気づけてくれました。
西沢教授のご冥福をお祈りします。

return to http://www.aiplab.com

******************************************************************