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  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page

  ................. a story of the intelligent AIPS image sensor...........

    Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.

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       70歳のじじいのつぶやきです(笑顔).

          萩原特許の画像


     Fossum is a liar !

     Is Fossum lying ? Or Hagiwara is lying ?

            Judge for yourself.

      This is a very hard technical question.

        

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      The inteligent image sensor ( AIPS sensor )
 is looking at its inventor, Dr. Yoshiaki Hagiwara, IEEE Life fellow.
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      2008年に発足設立し、過去10年間、
 このAIP異業種学習同好会を支援していただいておりました
    神奈川県厚木市在住のNPO法人、
  「特定非営利活動法人AIPSコンソーシアム」
 は平成29年12月8日の社員総会にて、社員の老齢化を理由に、
  解散決議しました。しかし、非法人組織として個人グループ活動は
老人仲間(70歳~85歳)で、ほそぼそとボケ防止にやっています。
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なお、このAIP異業種学習同好会(aiplab.com)のHOME PAGE は、
これからも、私的ボランティア活動として、ボケ防止活動として、
70歳~85歳の、まだ青春時代を楽しんでいる、自由で元気な老人
仲間で継続します。今後とも、ご支援の程よろしくおねがい申し上げます。
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●AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
それが理解できない方は 萩原の著書を買って読んでください(笑顔)
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大学の学生諸君、企業の若手社員の皆さん、自分の大学・会社に図書館に一冊買ってもらって
ください。そしてこの本を読んで学習してください。私が何をいいたいのかおわかりになるはずです。

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     人工知能パートナー(AIPS)を支える   
    デジタル回路の世界
    発足資料(Appendix)
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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055
本体 9000円+税 
B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)
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  書籍の出版社の紹介  
 TEL: 042-765-6460(代)   青山社
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html
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 未来の日本、世界はバラ色です。
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AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
ともに、光を電気エネルギーに 変換する photo diode を使います。
もっとも光変換効率のいいのが 萩原が1975年発明のHAD sensor です。
将来は、HAD 技術搭載の光変換効率の良い、光感度にいい太陽電池が生まれるでしょう。
そして、日本の世界のエネルギー源となるでしょう。日本は今石油と食料を大量に輸入して
いますが、石油ももうすぐ底をつきます。その時は自然エネルギー(太陽電池がスーパー
スター)にかわるでしょう。もし、政府が太陽電池の量産技術に補助金をもっと奮発すれば、
野菜やお米、麦、大豆などを、各企業の地下で栽培できれば、水と電気からの光で清潔な
野菜、くだもの、お米、麦、大豆が豊富につくれれば、日本の国は、エネルギーと食料を自給

できる世界の模範的な自然にやさしい近代国家に変貌することでしょう、その為には AIPS
image sensor 技術は不可欠です。それに、人工知能を支えるデジタル回路が AIPS image
sensor に搭載されれば、もう怖いものなしで、
    未来の日本、世界はバラ色です。

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              代表  萩原良昭    
       hagihara-yoshiaki@aiplab.com
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    TOPICS 2018.06.16

Story of Sony original HAD sensor (1)


          More Story (1) , Story(2), Story(3)

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    まず TOPICS 2018.06.16 を読んでから、 この    

      TOPICS  2018.06.17

Story of Sony original HAD sensor (2)

            を読んでください。

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 まず TOPICS 2018.06.16 とTOPICS 2018.06.17 を読んでから、 この    


         TOPICS 2018.06.18

Story of Sony original HAD sensor (3)


            を読んでください。

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●  まず、雑談からです。


さき程、大阪を中心に震度6弱、京都震度5強、奈良震度5弱の地震がありました。

丁度その時、自宅でこれを書き始めたところでした。

大阪の在住の3男の嫁さんのお父様、妹さんは無事との連絡が取れました。

奈良に住む 102歳のおばさん(父の姉)と娘さん(私のいとこ)のご家族も無事。

しかし、京都宇治に住んでいる弟(68)の家族と、京都河原町三条の近くに住む
兄(73)の家族とは、携帯がつながらず、9時半現在では様子がわらない状態でした。

● そこで、政府や各都道府県、各の市町村の防災センターのみなさんへの提案です。
 
ふと思ったことですが、大阪で地震が起きた場合、全国のN人の人が、M人の
大阪の親類や友人の携帯に同時に連絡をとると、N x M 本の回線が同時に必要
になり、パンクするのは当然です。

  そこで、 N x M ではなく ( N + M )本の回線で済む方法です。

       こういうのを アイデアというのかなあ~


(1)まず、M人の大阪の親類や友人の携帯で、自分が無事の場合、全国のN人
の人に自分の無事を知らせるべく、政府の防災対策本部にあるcomputer の掲示板に、
自分の携帯番号だけを、自分の携帯のinternet を使って、すぐに書き込めば、
回線は 最大 M 本だけですみます。

(2)政府は直ちにその掲示板にある、無事な人の携帯番号の List を、全国の都道府県
にある 補助 computerの掲示版(約50個)に copy し、次に各都道府県から、自分の市町村
にある補助 computerの掲示版(約200個?)に さらに copy します。

  これは 2段の並列処理で高速です。デジタル回路の並列処理手法で強力です。


(3) 全国にいる M人の人たちは、自分の自治体の掲示版をみることができます。

      回線は合計で M本 使うことになります。


   自分の市町村にある、その補助 computer に いつでも携帯でアクセスできます。

 
  自分が心配している人の携帯番号を入力すれば、もしその人が無事な場合は、

   携帯番号自身が自動的にcomputer 処理され、ヒットしている、それだけで、

   心配する人に生存確認ができるはずです。


   そうすれば、ついでに被害を 受けて人は携帯番号だけでなく、

   メッセージを携帯電話番号だけでなく、あらかじめ打てば、

    それも同時に政府の元締めに掲示板に伝達が可能です。

   
●この防犯NET WORKの提案をどうみなさんはお考えでしょうか?

  政府に、各都道府県、各の市町村の防災センター担当のみなさんへの提案でした。

  このサイト見てくれてるかなあ?多分見ていないでしょう。

  私の提案がお気に入りましたら、教えてあげてください(笑顔)。



以上、雑談でした。
 

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●TOPICS 2018.06.17 および TOPICS 2018.06.17 の内容をまずまとめます。
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●人の人生は偶然の重なりである。


   すごい偶然の重なりにより、人は母と父から命をもらう。

   そして、すごい偶然の重なりにより、配偶者と出会い、

    また すごい偶然の重なりで子供が生まれる。

    我々はそんな偶然の重なりの中に生きている。

        人は皆宝くじの当選者だ、。

     このすばらしいプレゼントに感謝し、さらに努力する、

    自分だけでなく、周りの人も、世界中の人の幸せを祈りつつ、努力する。


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「1」まず、どうして、萩原がSONYと関係をもったかの説明からしないと話は始まらない
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          これも偶然の重なりである。。

  
(1) 萩原がまだCalTechの大学3年生だった時だ。

 
  CalTechの大学院に前田と樋口という2人の日本人が留学生していた。。


(2) 偶然、その2人の日本人留学生と萩原は、大学院寮で偶然出会った。


   前田先輩と樋口先輩は萩原を連れて Santa Monica にある豪邸に

   週末に良く連れていってもらった。わざと腹を空かせていき、出された

   食事をばくばくいつも無言で食べて、皆の話す会話を聞いた。


   奥さんは日本人で日本の大手石油会社の会長の娘さんらしかった。



    その会社の名前「出水」を知らないかと聞かれて、知らないと萩原は答えた。

    みんなが笑顔でほほ笑んだ。萩原は食事をばくばく、そのままニコニコして

    無言で食べながら、皆の話す会話を聞いた。みんなは、「出水」が大手石油

    会社であることを萩原に教えなかった。そのぶん萩原は気楽に食事目当てで

    いつも前田先輩と樋口先輩は後をついて行った。



   Santa Monica の旦那はアメリカ人で画家だった。

   かわいい1歳にもならない赤ちゃんがいた。




  SONYの創設者の井深に義理に父は前田だ、SONYの厚木工場の工場長の

  1人に樋口という名の工場長がいる。それと関係あるとは萩原は知らなかった。


  後に SONYに入社し 半導体技術企画室の仕事をした時、本社の企画部に

  後輩の辻野くんがいた。後で、知ったことだが、彼はSanta Monicaの奥さんの

  弟だった。これもすごい偶然だった。 丁度 Sun Disk が立ち上がった時で

  San  Disk は 将来は パソコンの Hard Disk を置き換えるようになると

  SONY に 数億円の投資を求めたいた。しかし、半導体 TOPも本社も

  パソコンの Hard Disk を置き換えることはないと 投資を拒んだ。

  どれだけ、Sun Disk の社長にSONYの幹部は憎まれたことだろうか。

  ここでも 萩原は米国の大学で学んだアメリカ的冒険心が強く、おもしろい

  アイデアで、パチンコ好きに萩原はその小さいな可能性にかけて、

  ただ、何に他の用途を提案でくる VISIONを萩原は持っていなかったが

  どのその位のお金は出してもいいのではと発言したが、上司からはバカと

  言われた。はっきりしないが、自分がやっている 高速 4 M SRAMの

  Cache Memoryの、電源が落ちた時に補助不揮発性メモリーには

  使えると思っていたが、放送局に収める高級撮像装置で数が出るものでも

  ないので、あまり大きな声で 投資に賛成と言っても、かなづちで釘を打つように

  だまらせらるだけで、結局 上の意向と矛盾しない 客観的で冷たい出張報告と

  してしまった。すごく、辻野くんも私も彼の会社を訪問した時は、歓迎をうけ、

  社長は会社の幹部を率いて、San Jose のレストランで大歓迎を受けたが、

  その期待に沿えなかったのは残念で気の毒だった。

  

●また、話がそれた、ごめん、 大学の学生時代の話にもどる。


    1971年、辺見マリの Los Angelesの little Tokyo での dinner show

    があり、そのSanta Monica の奥さん(出水会長の娘さん)と女性友達1人と

    前田先輩と樋口先輩に萩原がくっついて、合計 5人でdinner showに行った。

    萩原は一人勇気を出して楽屋に行き、辺見マリと2~3分、おしゃべりができた。

    こんど南銀座でshow をやるのよと言われ、そのお店の電話番号をもらった。

    サインも萩原はもらった(笑顔)。その話をソニーの厚木工場に1971年に夏に

    実習に行ったとき、誇らしげに実習の指導官であった宇野主任やほかの仲間に

    話した(笑顔)。実習は朝から晩までした。寮(岡田寮)に戻ってもテレビみること

    しかなかった。 残業を深夜まで、いや徹夜までしてする小笠原技師やほかの

    元気ある社員の中に溶け込み、萩原も楽しく時間をわすれて実習した。結局、

     辺見マリの南銀座でのshow には行く機会がなくて、残念だった(涙)。


    もともと SONYに実習に行けたのは、前田と樋口の紹介があったお蔭だ。


   、私が1971年丁度CalTechの学部を卒業したので、その夏休みに、6年ぶりに

    日本に一時帰国したいと言ったら、「それなら SONY に実習に行ったら」と

    気軽に前田先輩と樋口先輩が気軽るに言った。、それもおもしろいね、と答える

    と、連絡しとくよ、と軽くいわれた。本社に人事部の植松課長の連絡さきをもらって、

    丁寧に自習希望のおねがいのお手紙を書いた。


    高校2年の時に渡米してから6年になるので日本に一時帰国し、秋には CalTech

  の大学院に 1971年の10月にもどり、 Prof. C.A.Meadの研究室に入ることが決まっていた。

   
   大学院での最初の仕事は Intel-CalTech のおそらく世界最初の産学共同

     プロジェクトで、当時の Intel process (PMOS?)で、萩原が設計した

      3本の 128 bit の didital data 高速並列処理:・比較機能を持つ

       デジタル回路を設計し、次に年 1972  年には chipが出てきて、

    Prof.C.A.Meadも 研究室の Richard Pashley 先輩も、「わあ、すごい、

    一発完動だ!」と喜んでくれた。 私がBCCDの研究に着手していたが、

     Richard Pashley 先輩は Intel に就職することが決まっていたので、

     少しは6月の卒業式があるので その並列処理3本data sream での

      128 bit data comparator chip の評価冶具から、評価まで担当し、

     Intel に 入社した後、 1976年にその成果を、連盟で IEEE の

    集積回路のジャーナルに投稿した。そのころには私はもうSONYが

     CCDの開発をしていて、自分が 1975年に発明した Hagiwara

     diode に 没頭していたころだった。。。




[2]    Hagiwara  Diode の誕生の話
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●1975年萩原は自称 Hagiwara Diode を発明した。



  その良さを当時にCCD設計・評価部隊のTOP越智課長にアピールしたがは聞く耳を持たれなかった。


  当時は 越智さん発明の市松型 IT CCD と 窓あき 表面型 FT CCDの試作研究が中心であった、


  萩原は、そこで、プロセス LINEでの「実習」を、プロセス LINEの担当者の狩野課長さんに申しでた。

  狩野課長さんは、萩原の熱意、それに 1971年と1973年の厚木での 宇野主任を指導官とする

  bipolar transistor Line での話を知っていて、皆と楽しく溶けむ萩原を性格を知っていた。


  狩野課長は、 阿部係長に相談したら、阿部係長も、ニコニコ顔でいいよ、と言ってくれた。

  
   阿部係長は今度は、松本技師を呼んだ。 松本先輩は、現行のCCD process flow (当時の 

  SONY TOP secret ) を丁寧に詳しく、 後輩萩原に教えてくれた。 


  その時、萩原は、中学校のハンドボールの部活で先輩がはじめて入部した一年生の時のことを

  思い出していた。 手取り、足取り、厳しく、しかし、親しみをもって教えてくれた先輩の姿を思い出

  しながら、萩原は、松本先輩が、同じ様に、「これは私が考えた process flow だよ」とニコニコ顔

  で説明してくれる姿に感動していた。


  松本先輩は彼の下でプロセス LINE のレーダの女性アシスタントの渋谷さんと後藤さんを紹介して

  くれた、主の 渋谷さんと、副の 後藤さんのふたりで、プロセス LINE の機械 ( projector,

  拡散炉、spin coaing 機など)の操作を学んだ、 ion 打ち込みは 別の大きな 棟で 同じ年に

  西山さんが管理操作していて、西山さんに ion 打ち込むの工程を全部おねがいできた。



●1978年にSONY は 受光部にHagiwara Diode を採用した FT CCD を発表。

    世界は 超感度CCD の到来と話題になる。 これは、最初の完成 chipは

    萩原がたくさんのプロセスラインの友達に助けられて完成したものだった。

   そのころは、戦力はすべて、越智課長の 市松型 IT CCD と

   窓あき SiO2/Psub の受光部を持つ 表面型 CCDに戦力はすべて

   集中していて、これではだめだとSONYで萩原ほとり、管理者TOPを

   すべて敵に回した。私の支えは 岩間さんだけだった。彼はどういう経過で

   萩原が入ってきたか、盛田会長も知っていた。井深さん義理のお父さんが

   前田多門であること知られている。歴代のソニー厚木工場長の中には

   樋口工場長もいる。 萩原は 偶然知り合った前田先輩と樋口先輩の紹介で
  
   1971年に厚木工場に実習にいくことなり、その時に宇野主任にSONYの

   最大の bipolar transisor process (SONY TOP secret ) を宇野主任の

   紹介だから心配ないと、仲間に入れてもらって、すみから、すみまで、

   まだSONYに入社することはまった考えていない萩原に惜しみなく KNOWHOW

   を教えてくれた。 PNP transisor と NPN transistor の bipolar transisor

    process (SONY TOP secret )であった。でもそれは TI から 特許契約で

    受けた技術でもあり、すべてが SONY original bipolar transisor

    process で、SONYは唯一、TIから、キルビー特許に制約されず、日本に他社に

    様に多額の特許料を支払う義務はなかった。 


   SONYは、その良さ、将来性を見え、他社よりも早く BELL 研究所にドアをたたき、

   当時 500ドルで 井深と岩間は 1954年に取得し、岩間は 第1回目のIISSCC1954

   に偶然しも出席している。


    SONYは、その良さ、将来性を見え、他社よりも早く 米国 TI にドアをたたき、

     Bipolar Transistor の集積回路の技術(キルビー特許も含む)の総括特許

    契約を「格安で」購入できた。


   実際、 SONYはその後、すごくチャンスを逃している。


     多分、ビルゲーツも初期投資を SONY にお願いにきているはずだ、

     その時に 1億円での SONYが 出していれば 今の株の値段は

     ビルゲーツの持ち株の 1 % ぐらいを SONY に譲ったとしたら、

     今のSONYの資産は、それでけだ、100倍X100倍で増額されれば

     1 兆円にのぼるかも???


   また、私と辻野くんが最下部の担当技術者としてその会社に技術力を

    視察にいった時、私の本能的なもやもやをSONYTOPに説得して

    いたら、 SONYと SUNDISK は豊かな未来をシェアーできたかも知れない。


    いまではパソコンの USBメモリーから デジカメの小型メモリchip までが、

    SUNDISK と 東芝の独占場となっている。








(1)...............................................................................................................................................



1975年 萩原は SONYに入社してすぐ、半導体受光素子(HAGIWARA diode)

  を考案し、発明特許を申請した。


  Reference :   Y . Hagiwara, Japanese Patent App 50 - 134985, 1975.


  その構造体は P+NPNsub 接合体の半導体受光素子で、そのN領域を

  受光および電荷蓄積部として、隣接するCTD(電荷転送装置)に電荷を

  転送する複合体とする固体撮像装置( solid state image sensor ) と定義される。





(2)...................................................................................................................................................




固体撮像装置( solid state image sensor )は、 一般に、


     (A) 受光部と

     (B) 転送部と

     (C)出力回路部


の3つの部分で構成されています。1975年の時点では、


  ●転送部(B)には、ILT方式に埋め込みチャネル式CCD(BCCD)が

   最も有望視されていました。また、


  ●出力回路部(C)に関しては、 RCA の Dr.Walter Kosonoky により、

   技術確立していました。しかし、



●受光部の候補として、 


a) MOS image sensor は N+ 拡散層を受光部としています。


受光および光信号電荷(電子)の蓄積部と利用していた受光部は、

しかし、不完全電荷転送により、残像がひどく、未来にビデオ

カメラ用の 理想の固体撮像装置の候補としては、今いちでした。


b)BCCD (埋め込みチャネル型CCD) image sensor でも、 

N+ 拡散層を受光部として使えますが、ひどい残像があり、

BCCDのMOS容量を受光部としますと、CCD 転送なので、

完全電荷転送が可能で、残像は問題ありませんでしたが、


CCD はもともと小さなMOS容量(C)を1列に並べた電荷転送装置の

一種で 、CkT 雑音が少なく、BCCD (埋め込みチャネル型CCD)の

MOS容量にしますと、さらに界面準位(落し穴=trap) から信号電荷

(電子)を守ることができ、 trap 雑音も少なくすることができます。

しかし、金属性の電極によるMOS容量であるため、感度に問題がありました。



以上をまとめます。




         (1) CkT noise   (2) Trap Noise   (3) 残像     (4) 感度
__________________________________________________________________________________

 MOS imager      X      X        X       〇

 BCCD imager     〇      〇       〇      X  
__________________________________________________________________________________



(3)...................................................................................................................................................


当時のSONYのカメラ事業部からは、萩原の所属する SONYの image sensor の

開発部隊は、次の5つの特徴をもつ固体撮像装置( solid state image sensor ) の仕様

の要求を受けていました。すなわち、


    1)  low CkT noise

    2)  low trap noise

    3)  low image lag

    4) good light sensitivity

    5)  built-in vertical overflow drain (VOD)


(4) .......................................................................................................................................................... 


萩原は実は1971年と1973年の夏休みに、日本に一時帰国しており、その時にSONYの

厚木工場で実習生として、SONYの bipolar transistor 集積回路(IC)生産用の実践

プロセス技術を学んだ。 当時SONYは、活発にSony original トリニトロン・カラーテレビ

を販売しており、その信号処理用の bipolar transistor 集積回路(IC)を直接肌で学び、

その集積回路(IC)信頼性試験を実践作業しながら実体験を積む実習生でした。


萩原は、大学時代、CCDは 超高感度で 暗いところでも 雑音のない、高品質の画質

S/N の高い性能が期待できると信じていたが、感度は良くないとのSONYのカメラ事業部

の見解にびっくりした。



そのまま、BCCDのMOS 容量を受光部としてそのまま採用することはできなかった。


とは言え、当時日立が注力していた、 MOS imager は 感度は良くても、CkT 雑音や trap

雑音、残像があり、カメラ事業部の要求を満足しない。

     
それで、 SONYとしては、後、感度を解決すれば、BCCDが最も有力と考え、さらに、透明電極

を採用し、5つの特性条件が満たされ、 2 chip 構成の ILT CCD カメラの商品化に成功しました。

  
全日空のジャンボ機のコックピットに取り付け、飛行機の離着陸の様子を機内のプロジェクターで

映写しました。その迫力あるシーンを機内の乗客は楽しむことができ、大変新規で、好評でした。

それは、早期に量産技術確立の為の、離着陸のショックにも耐える、固体撮像装置としての、信頼性

試験でもありました。 まったく故障がなく、安定した動作を常に維持していました。


2 chip 構成の ILT CCD カメラの生産と商品化に勢いついた SONYは、この実績に自信を持ち、

それまで、 bipolar transisor 集積回路一貫大量生産を担う、ソニー国分工場に、世界初めての、

CCD専用の量産製造LINEを建設しました。




     
その勢いでソニー国分工場で、透明電極を使った one chip ITL CCD chip の量産技術の立ち上げに注力しました。


この構造は受光部も透明電極ですが、MOS容量型の信号電荷蓄積部であり、隣接するCCDに完全転送 mode で転送でき、

残像のない高級画質が可能ですが、受光部が埋め込み型でないので、 転送時trap 雑音が大きかったです。さらに、

界面付近には強い電界があるので、 暗電流は比較的多くなります。


萩原の1975年の特許の、P+NP transistor (HAGIWARA DIODE) では、完全電転送が可能で、かつ界面付近には、P+ですから 

正孔( hole )がたくさんあり、抵抗値が低い金属性の領域となり、P+の電圧が固定(ピン止め)され、すなわち、 pinned 状態となり、

界面には電界がなく、暗電流の少ない特徴が保証されます。



萩原1975年特許の実施例では transfer gate を 上図のような SCCD 転送でなく、 N- に低濃度にして、バリアをつけて 

BCCDに電荷を転送しています。受光部も埋め込みCCD型のMOS容量となりますが、それでも 埋め込み型CCDの 

MOS容量でも界面付近には強い電界があるので、 暗電流は逆に多くなる場合がありました。萩原の1975年の特許の、

P+NP transistor (HAGIWARA DIODE) の N 層は、受光部も埋め込みCCD型のN層と同じ濃度としています。NEC特許は

この件でも、SONYにあつかましく特許権を主張していましたが、その後SONYがどう対応したかは、その時には担当でなかった

ので、萩原は知りません。


今思うに、その当時の開発責任者(越智さん、川名さん、加藤さん)の判断は正しかったと思います。SONYは他社をさし

おいて世界で最初の passport size の カメラVTR一体型の 8mmムービー、今のデジタルカメラの原形を量産販売し,、

市場を早期に独り占めできることに成功し、今では、image sensor chip としての売り上げは SONY単独で 1兆円以上で

市場の50%の 製品にSONYの image sensor が採用されています。


。    
ソニー国分工場で、透明電極を使った one chip ITL CCD chip の量産技術の立ち上げる時期までは、萩原が一貫して、

製品用、開発用の CCD image sensor の 設計・評価を担当していましたが、萩原の部隊も大きくなり、萩原の仕事を長い

間、新卒の新入社員時代から手伝ってくれていた、後輩の竹下さん・奈良部さんに、全面的にCCD関連の設計・評価の責任

と実作業を任せ、萩原は、新しく結成されたSRAM開発部隊に移動し、設計・評価担当のリーダーとして、放送局仕様の高級

ビデオカメラシステム用の cache meory として不可欠な、高速の4 M bit SRAM の開発・試作・評価に従事し、ISSCCで 

世界発の 4 M bit SRAM を他社をしり目に発表しました。その当時、前後して同時に、萩原は、新しく立ち上がった国分工場
  
のCCD製造ラインの即戦力となるべく、国分工場の将来の幹部と期待される新卒の教育指導官としても奉仕し、羽田・鹿児島

の間をひんぱんに全日空のジャンボ機に乗り、往復し、過去に 萩原自身が設計・評価を担当した、 2 chip 構成の ILT CCD

カメラ搭載の全日空のジャンボ機の、離着陸の迫力あるシーンが、機内のプロジェクターから映写される映像を、満足げに、

楽しんでいました。


しかし、どこか萩原の心の中は寂しいものでした。自分が1975年に発明したHagiwara Diodeは、いまだ社内では採用されず、

完全に完全に忘れさられていたからです。1978年に大々的にSONYは東京で岩間社長が、同時にNew Yorkで盛田会長が、

1975年萩原の発明の、自称 Hagiwara diode を 受光部として採用し、転送部を FT BCCD とした image sensor の原理

試作と、そのカメラシステム、すなわち、 世界発のカメラVTR 一体型 8mm ムービー、今の digital CCD image sensor、

CCD搭載の、非常に感度がよく、残像がなく、雑音もない、デジカメの原形の発表でした。





しかし、この時も萩原は寂しい思いをしたのを思いだしました。世界はこの時、SONYが「超感度で、残像と雑音がない

高性能 CCD カメラの開発に成功した」との一般の認識でした。しかし、萩原は知っていました、世界は誤解していると。



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本当は、受光部が、萩原発明の受光部が、非常に感度がよく、残像がなく、雑音もない構造であるからだと。


       CCDではないと、本当は、萩原発明の受光部の自称 Hagiwara Diode だと言いたかった。


萩原発明の受光部の自称 Hagiwara Diode が非常に感度がよく、残像がなく、雑音もない構造であるからだと。

萩原は非常に寂しく感じた。、世界が全く、自称 Hagiwara Diodeの発明には注目せず、超感度はCCD のお蔭

だと誤解し、その後、世界が「超感度のCCDカメラ」と褒めるのには、なんともやり切れない思いだった。

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また、転送部はとりあえず 今はBCCD方式だが、転送効率が 99.999%が限界なら、必ず、1000回の転送で

1%の信号が消えることになるので、もう将来は使い物にならない。。。将来の high vision digital TV では、

ちょっと考えれば、だれでも気が付くことで、その不安が萩原の脳裏を横切っていた。


「将来はCCD技術が消えて、MOS transistor 技術に変わる」という信念を持っていた日立の技術者の言葉や、

また大学時代の恩師で、博士論文の指導教官の Prof,. C.A.Mead の言葉を思い出していた。


私の恩師のProf,. C.A.Mead も、彼の友人の Dr.Gordon Mooreも、私の大学( CalTech ) の大先輩です。よく私が

PhD の学生の時、Prof,. C.A.Mead に会いに、 Dr.Gordon Mooreは 部下の Dr.Andy Grove を連れて 私の

研究室に遊びに来ていました。Dr.Gordon Mooreは、1950年にCalTech を卒業し、 1957年に Fairchild 社を

設立し、1961年には bipolar IC の大量量産で会社は大きくなったが、経営陣とのけんか別れで、Robert Noyceと

会社を飛び出し、1968年7月18日に Intel を設立、第1号社員に Dr. Andy Grove を採用し、三銃士で会社を

スタートさせた。当時はまだ、萩原は CalTech の大学1年生が終わり、秋から2年生になるところだった。 


その1年後、3年生になって、Prof. James McCaldin から半導体物理の授業を受けた。その授業の教科書は、Intel

に入った Dr. Andy Grove が書いたものだった。 今では有名な古典的な教科書である。なぜ、その教科書を採用

したかの理由を聞き、驚いた。 「この教科書で、この授業を受けた学生は、だれでも Intel は会社の幹部候補として、

大学卒業後、入社を希望するなら、歓迎する」 との話だった。まさか本当だとは信じなかった。しかし、後で、萩原が、

大学院に進学して、 Prof,. C.A.Mead の研究室に入ると、 Prof. C.A.Mead に会いに、 Dr.Gordon Moore が 

部下の Dr.Andy Grove を連れて 私の実験室に遊びに来て、よく気軽に、研究室の仲間に、みんなに、声をかける

ので、なるほど、Prof. James McCaldin の話が本当だとわかった。Intel は会長を Dr.Gordon Moore とし、副会長を

Robert Noyce とし、社長を Dr. Andy Grove として MOS LSI の生産工場として、さらに大きな会社になったのは、

世界の知るところである。また、Prof. C.A.Mead が、Mooreの法則と名付けた




話がかなりそれたが、萩原が言いたいのは、


その微細化が進むと 、消費電力、速度、集積度において、 bipolar transistor 技術にも、

CCD 技術にも、いずれ勝つであろうということで、 MOSの天下となる宿命にあると世界は

こころある人間は確信していることを、萩原は感じていて、なにかこのままではいけないのかと

あまりすっきりした気持ちではなかった。





  




 




     1975年萩原発明のHagiwara

     diode は たて型OFD(VOD)なので、受光窓の面積が、横型OFDの面積ぶん広くなり、より感度に貢献するのはわかって

     いたし、透明電極も不要であることもわかっていたが、何しろ、P+NPNsub 接合体という複雑なプロセスには抵抗を感じる

     プロセス開発者が多かった。また、あまり萩原の特許の本質を理解しない、半導体物理の知識のない技術者の中には、萩原

     特許の実施例には絵素ごとに金属コンタクトがついているのを見て、「こんなもの造れるはずがないよ?」と萩原をひやかす

     人もいた。「別にコンタクトがなくてもいいんだよ。」と反論しても聞く耳は持ってもらえず、無視された。P+NPsub 接合型の

     受光素子(Hagiwara Diode) を採用した、1978年の FT CCD  image sensor では、注意してみると、上層のP+層を基板

     のPsub と導通しているのがだれでも見てわかる。VOD機能は失ない、横型OFDを採用する必要があるが、5つのカメラ事業

     部からの要求は、Hagiwara diode でも満足する。横がた OFDを採用することで、でも FT CCDは スメアーがひどく、

     カメラ事業部はこれは使い物にならない、やはり 受光部をHagiwara diode として、転送部を IT CCDとしなければ、

     カメラ事業部では 使ってもらえなっかた(大涙)。。。


     しかし、SONYでは 横型 OFDで 透明電極の IT CCDで、 ジャンボ搭載に実績があるので、そのプロセスを

     優先し、大量生産立ちあげに全力を投球することになり、受光部をHagiwara diode として、転送部を IT CCD

      と する萩原の提案は簡単に却下されて、だれも聞く耳は SONYの中でいなかった。


      横型OFDは受光面積を犠牲にすれば、ILT CCDでも 、FT CCD と

      同じようにプロセスが HAGIWARA DIODE を 使っても 単純になることは、わかっていたが、


     一旦、TWO CHIPで、ジャンボ機搭載で 完成したプロセスを SONYは ONE CHIP にして、量産体制を確立することに

      注力した。 今思うに、萩原はその方針が不満だったが、それは結果を見ると正しいSONYのTOPの判断だったと思う。


      NECが まだ試作段階で、HAGIWARA DIODE を搭載した ILT CCD を 「残像なし ILT CCD」と言っていた時には

      SONYは国分工場の生産ラインの立ち上げをほぼ完了しとり、世界最初に小型ビデオカメラを大量に販売する体制と

      技術力があり、 IEDMに 1983年に NECが寺西チームが発表して すぐに余裕をもって、萩原提唱の HAGIWARA

       DIODE を搭載した ILT CCD を、 SONY HAD sensor の商標登録し、積極的に市場拡販を展開しできた。
  




     「ITLに採用する場合、金属コンタクトをとって横型OFDにしてもいいのだよ。」と萩原は反論したが、

      聞く耳を持ってくれる先輩・同僚はSONYにはいなかったことが最大の不幸のはじまりだった。


     先輩・同僚にはその構造がイメージできなかった。今なら、すべての経験をもつ技術者なら萩原が 1975年の時に

     考えていたことを 特許を見て すぐ理解できるはず? 、当時のSONYも、世界の技術者も萩原特許を

     目にする機会もすくなく、萩原の頭脳で考案した内容は、正確に特許に簡潔に特許請求文として

      記載してあるのに、世界で、それを理解していたのは、 当時萩原1人だったということである。


      今でももしかして、萩原1人の理解であり、他のだれのいも 萩原特許の真意が理解されていないとすると、

      これは萩原にとっても、萩原特許を武器にしてきたSONYにもたいへん悲しいことになる。




       1978年の HAGIWARA DIODEの受光部( P+NP with P+=P ) と FT CCD 転送部の固体撮像装置のように、

       HAGIWARA DIODEの受光部( P+NP with P+=P ) 搭載とし、 IT CCD 転送部とした固体撮像装置にしても、
  
       さらに、横型OFD( P+NPsub プロセス)か、縦型のVOD( むずかしい P+NPNsub プロセス)を新規開発する余裕

       は SONYにはなかった。


         一度成功するとそれを手放したくないのが人間の心情である。新しいことが挑戦できなくなる。

      
       SONYは、 一度成功して技術(透明電極+よこOFD)に固執し、HAIWARA DIODEの良さがわからなかった。、

   
     萩原発明の Hagiwara Diode を プロセスが 複雑だと言う理由で、 本命にするのはできないというのが、

     最終的な会社のTOP開発責任者の判断だった。



     まずは、よこOFDで、 透明電極、または残像ありの、N+Pの photo diode で、 N+ を N-に 薄めることで、

     TOPは開発生産体制の立ち上げに全力投球した。

     
     横型OFDで、カメラ事業部が要求する5つの性能を満足する、 透明電極・横型OFD付きの ITL CCDを本命として、

     ソニー国分工場で量産・商品化を進めた。 


      萩原は寂しい思いだった。ただ、上司からの指示どおり、透明電極・横型OFD付きの ITL CCD の設計・評価を担当した。 


     1975年萩原発明の Hagiwara diode は 複雑なプロセスが必要だとして、理想的な縦型OFD, すなわち、VODをつくるには、

     1975年萩原発明の Hagiwara diode の P+NPNsub 接合体のプロセスで CCDを造るのは、熱工程も増えて、結晶性が

     命で、せっかく、SONY独自の MCZ 結晶技術を使ているのに、萩原はより複雑な構造にす挑戦すべきと無駄を言っていると

     相談した上司(越智さん)は全く聞く耳もたず、萩原は結局 CCD部隊からその時を堺に、出ることなった。



     横につける横型OFDなら通常のプロセスですぐ製造可能なのでSONYは その構造を最終製品としてとりあえず量産体制を確立

     した。萩原は今思うに、越智さんたちの判断は正しかったと思うそれがあったからこそ、そのころの技術で一番単純で量産に会う

     技術だったから、早期商品化が可能となった。 まだ 発明当時 26歳だった 萩原構想の P+NONsub だけに集中していたら、

     おそらく ジャンボ機搭載の信頼性試験も、国分での量産技術立ち上げでも良品が出るのがさらに遅れ、歩留まりのHAGIWARA

      DIODE を はじめから 造っていては、ビデオカメラの市場をここまで 独占できなかったと思い。いろいろ意見が合わなかったが

      越智さんの技術に対する理解度の深さと、ビジネスの対する大局的な視野での判断力があってこそ、 SONYの imager

      技術が事業が今に至ったと萩原は信じる。




     さらに、寺西さんの IEDMの 残像なしの ITL CCDは 世界で最初にその存在定理を証明した人が、世界が彼の業績を

     たたえ、英国王室からも日本皇室からも世界ではじめて、HAGIWARA DIODEを受光部として ITL CCDに採用した業績は、

     その存在定理を、萩原の代わりに、SONYよりはやく、 SONYはあわてて、HAGIWARA DIODEを受光部のよさに気づき、

     NECの発表に追従する形で試作をもう次の年完成し、すぐに NECを抜いて 量産拡販ができ 世界の市場を独占できた。


      その量産拡販ができ 世界の市場を独占を可能にしたのは、SONYの越智さん、川名さん、加藤さん、小笠原さんの

      つよい強力体制のもと、(1)まずは簡単なもので生産販売し、(2)信頼性技術・測定技術を確立すれば、(3)新規なもの

      (HGIWARADIODE) にも着手し受け入れる体制になるというSONYのビジネス開発モデルを越智さん、川名さん、加藤さん、

      小笠原さんたちが認識していたからだ、そして、その開発モデルは (4) 表面型 CMOS imager に、そして、


      (5) 裏面照射型 CMOS imager  技術へと継承されている。 SONYのHAGIWARA DIODEを受光部とする構造は

       改良に改良を加えてきたが、今も、裏面照射型 CMOS imager  技術に継承されています。下の図は 1978年に

       初めて SONYの 盛田と岩間が、前田と樋口の紹介でSONYにドアをたたいた萩原がすごいことをしたとよろこんで、

       東京とNYで同時記者会見した 1975年発明で、 1978年に初めて世界にその原理試作をして、(1) No CkT noise,

       (2) No trap Noise (3) NO image lag (4) 超高感度の、SONYのHAGIWARA DIODEを受光部とする FT

        CCD の発表である。そのことも知らない、あのばかな Fossum は、 1975年の萩原発明の特許のSONYの

        HAGIWARA DIODEを受光部には、 残像なし、 no image lag, CCDの様な完全電荷伝送の記述がないと、

       2014年の論文で萩原特許を痛烈に攻撃し、うそ八百ならべて世界をだまし英国王室をだまし、日本皇室をだますことは

       到底ゆるさることではない!  



            SONYのHAGIWARA DIODEの開発努力(dilligence) は 1978年にはじまる。


         SONYのHAGIWARA DIODEは、 のちに SONY original HAD と商品登録して 生産拡販し、市場を独占した。

         一方、それを良しとしない他社の技術者は、 埋め込み型 PHOTO DIODE (NEC)とか、ヨーロッパ・米国の

         メーカーは pinned photo diode の名前で あたかも SONY HADとは違うような印象を 世界に誤解され、

        拡販を試み、市場に入ろうとして。罪なき、寺西さんを担ぎだし、 SONYとNECけんかさせ、そのおこぼれを

        もらおうとする、たいへん頭がいいが、悪魔のこころをもった技術者(FOSSUM)に、世界はまんまとだまされたのが

        いまの現状である。 SONYのHADは NECのIEDMでの1983年の寺西さんの発表のあとで始まったとここでも

        悪魔のこころをもった技術者(FOSSUM)は、2014根の彼の偽りの論文の中であたかも真実にようにコメントしている!


  

  したの絵は 今に SONYの 表面型と 裏面型の CMOS image sensor の絵である。



   前田・樋口両氏の紹介で1971年と 1973年にSONYを訪れ、萩原が1975年に岩間社長の当時不況で厚木工場は閉鎖、

   従業員は まな 自宅待機であった時代で、1975年入社の15名の一人だった。 その1975年の時に出した初めての特許が、

   HAGIWARA DIODEの特許だ。その時に15人の入社同期の中に 久夛良木さんがいた。同じ吉田室長が率いる情報処理

   研究所で、先輩萩原、後輩久夛良木の仲であったことも、後で判明したすごい偶然だった。、萩原は、もうすでに厚木に

    半導体事業部に移動し、CCDの開発事業化に専念していた時代だが、ときどきもとの職場の情報処理研究室に遊びに

    いっていた。当時金巻さんの部下だった久夛良木さんは、自分のベンチで、JOY STICK を使って、その動きに従って、

    real time で、 ビデオカメラで撮った人の顔が、テレビ中で、自由自在に変形されるデモを見せてくれた。後に、PS1を

   久夛良木さんが開発事業化に成功したとき、 IEEE Vail Computer Work Shop  久夛良木さんを 東芝の斎藤みっちゃん

   と招待し、次に  久夛良木さん・萩原所属の半導体チームと、東芝の斎藤みっちゃんンの部隊で PS2の開発事業化に

   成功し、今度は、IEEE Vail Computer Work Shop に来ていた AMDや INTEL社の procesor の技術者を差し置いて、

   後で知ったことで、びっくりしたが、萩原のCalTech の後輩率いる IBM の  procesor の技術者との、 IBM・SONY・東芝の

   三社共同開発事業化の PS3 を最後に 萩原は SONYを 60歳で 定年退職した。 














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      2008年に発足設立し、過去10年間、

 このAIP異業種学習同好会を支援していただいておりました

     神奈川県厚木市在住のNPO法人、

   「特定非営利活動法人AIPSコンソーシアム」


 は平成29年12月8日の社員総会にて、社員の老齢化を理由に、

   解散決議しました。しかし、非法人組織として個人グループ活動は

   老人仲間(70歳~85歳)で、ほそぼそとボケ防止にやっています。

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  なお、このAIP異業種学習同好会(aiplab.com)のHOME PAGE は、

   これからも、私的ボランティア活動として継続いたします。

   今後とも、ご支援の程、よろしくおねがい申し上げます。

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           代表  萩原良昭    

       hagihara-yoshiaki@aiplab.com

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     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

      デジタル回路の世界

        発足資料(Appendix)

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

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  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html

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           この 賢い AIPS sensor は、 

            萩原が ソニー時代に育てた

        Sony original HAD sensor と Playstation Processor
     
             の融合技術から生まれます。

      これは学会でしゃべった内容の続きのお話です。

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最終学位:  工博 Ph.D. 1975 米国カリフォルニア工科大学(CalTech)

CalTech = California Institute of Technology, Pasadena California, USA

Major in Electrical Engineering(電子工学) and Minor in Physics(物理学)

     IEEE Life Fellow

●神奈川県 NPO 法人 
AIPS コンソーシアム  代表 理事長 (2008~2017)

●崇城大学 情報学科 教授 (2008~2017)

●ソニー株式会社勤務(1975~2008)

●群馬大学 電子情報学科 客員教授(2004~2008)

●カリフォルニア工科大学(CalTech)

  電子情報工学科&応用物理学科 客員教授(1998~1999)


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  研究テーマ:人工知能パートナーシステム(AIPS)に関する研究

      AIPS = Articial Intelligent Partner System




具体的には、これは身体障碍者や高齢者の介護に役立つ、人間に、自然にやさしい
総合人工知能処理用コンピュータとロボット支援システム実用化のための研究です。

介護を必要とする人が、介護施設や老人ホームに入ることなく、自宅で、自立した
人生が、他の人にご迷惑をかけることなく、最期まで送れる支援システムです。

特にAIPSの心臓部(CoreEngine)となる real timeで、かつ、高速並列処理を、
real timeで実行する AIPS Processor 開発研究と、それをサポートするC言語に
似たもので、ソフトウエア技術者が簡単にcoding可能な処理言語を開発研究します。

 そのために人間との会話システムの構築もたいへん重要なテーマです。


      AIPS会話システムの構築に関しての解説資料


      AIPS会話システムのC言語 source program の例 (試作品)


  入出力 data base file ( AIPS001DB.txt ) と Link 情報 data file ( AIPS001LK.txt )






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  感情を持ったロボットは開発可能でしょうか?
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人間には大脳(右脳と左脳の2つの人格を持つ脳)・小脳・
間脳・自立神経などいろいろ、思考と行動(知能)をつかさ
どる器官がありますが、人間の感覚とはある意味ではこれら
の器官の高度な「興奮状態」を意味しますね。これらの人間
の器官をまねして、いろいろな機能(感情表現を含む機能)
を持つ電子部品を装備したり、その数学モデルを抽出して、
ソフトウエアでシミュレーションすることは今でも、大型の
スパコンを使えばある程度実現可能でしょう。ロボットがあ
たかも感情をもったように表面上ふるまいをするようにプロ
グラムで動作させるロボットはすでにある程度は実現可能だ
と思います。しかし、こころは知性(論理性、知能)と感情
を持ったものとすると、ロボットにもこころを植え付けるこ
となりますね。人間ほど高度な感情、いろいろな微妙な感情
表現までは到達していなくても、ネズミや猫、犬の知能レベ
ルの動物にも感情があるかと感じるときがあるように、将来
ロボットにも感情が植え付けられたと感じることになるでし
ょう。そういう意味では、感情を持ったロボットは開発可能
だと思います。しかしわれわれは、自分の存在を意識し実感
する「こころ」=自己意識というものがあるますね。ロボッ
トに自分の存在を意識し実感する「こころ」を持たせ、その
「こころ」の状態のひとつを表す「こころの感情」を持たせ
ることはどうでしょうか?たいへんむずかしいですね。近い
将来では無理かも知れませんが、「やさしいこころの感情」
すなわち私はそれをAIPSを呼びたいのですが、そのAIPS搭載
の未来ロボットを実現してみたいですね。





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   AIPS搭載の自動運転車と自動運転車いすの実現について
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2013年3月24日 16:05~17:25 放映の全国ネット(フジテレビ)バラエティー番組
 
       「100人の学者が教えます!これが正解アカデミー」

    
全自動運転の車が20年以内に販売されるか

  に出演(ほんの数秒!)の際、事前質問アンケート調査に返答した内容です。


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AIPS搭載の未来ロボットは 非常に大きな DOF ( Degree of
Freedom ) が必要となります。しかし、自動運転車や自動運
転の車いすとなると、その DOF は 平面(2次元空間)程度
にしぼられます。そのぶん、AIPS 搭載の未来ロボットより、
AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現ははやく
到来すると期待します。人間が運転するよりはるかに安全で、
軽快な AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現
ははやく到来すると期待します。その為には企業や政府が必
要性を感じて、もっとお金と時間を投資することで実現をさ
らに加速することになると期待しています。燃費や総合効率
性にもつながり、エコ・カーの実現をさらに加速することに
もなります。次の国の産業の活性化にもつながります。車い
すに乗っている身体障害者や病人のアシスト、居眠り運転や
飲酒運転の防止策として自動運転車や車いすが開発市販され
ると私は期待しています。まずは人間アシスト型から、完全
自動でなくても、危険を瞬時に感知し、それを防ぐシステム
の実用化に注力し、それを同時に高速道路を走る自動運転走
行用の車線の整備や病院や老人ホーム内で実用化を!高速・
Real Time 生をもった人工知能(画像認識・音声認識・圧
力センサー・加速度センサー)システムを駆使して、人間が
運転するより、はるかに安全な制御システム( AIPS と私は
個人的に呼びたいですが)を装備して自動運転システムの開
発実現が可能だと思います。

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  人工知能パートナーシステム(AIPS)を支える基礎知識

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(1)基礎情報数学

(2)応用情報数学

(3) 数値計算法

(4) デジタル回路

(5)半導体 LSI 特論

(6) ロボット工学基礎 

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                        活動紹介
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 この4月から、神奈川工科大学 情報学部 情報工学専攻において、

「IoT と知識情報処理技術特論」と題して、特別講義シリーズ(15回)が実施されます。

その中で、第3講義(4/23),第4講義(4/30),第5講義(5/14)を担当することになりました。



講義テーマは 
「人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術」についてです。



   ●第3講義(4/23)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(I)

   ●第4講義(4/30)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(II)


   ●第5講義(5/14)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(III)





   ●人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術の代表として、「イメージセンサー」技術があります:


      
イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ

          
    
  いろいろな 研究分野の学部生・大学院生のみなさまに分かりやすく説明・解説したいです。





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      ●ここでさらに理解を深める上で、大変参考になる文献を紹介します。

       慶應義塾大学理工学部の黒田忠広教授による特別講演資料です。

          
「新しい集積回路で左脳と右脳を創る」





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   一般社団法人 半導体産業人協会での活動紹介


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     また、現在、一般社団法人 半導体産業人協会  http://www.ssis.or.jp/ 

      の教育委員として奉仕しています。  来る 5月28日~29日には、

     協会主催の教育セミナー ( http://www.ssis.or.jp/pdf/kouza/kouza180529_detail.pdf ) にて、


     人工知能搭載、すなわち「賢いイメージセンサー」 と題して講義を担当します。


 
    その講義の補足解説メモをここに掲載します。



      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ



     聴講された方は、講義のテキストスライド(32枚)の図を参照しながら、

           この補足解説メモを読んで復習してください。、


 このテーマに関係して平成30年度文部科学大臣表彰 (科学技術部門)受賞ニュースを紹介します。



           
「積層型多機能CMOSイメージセンサー構造」


           の開発で ソニーの3人の献身的な技術者が受賞したニュースです。


              https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201804/18-029/index.html


    この技術のブレークスルーは未来の「かしこい電子の目」の実現と密接に関連があります。      


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  また長年、IEEE主催の半導体集積回路に関する国際会議
   
              http://isscc.org/

  の論文委員・論文委員長・運営委員会メンバーとしても奉仕しました。
  


   一般社団法人 半導体産業人協会発行のニュースレター には、

   当時のISSCCのアジア論文委員長としての活動を報告しています。

            ENCORE N0.48 (2006年10月号)

      http://www.ssis.or.jp/ssis/pdf/ENCORE48.pdf


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   ここで、IEEE Computer Society 主催で、毎年4月に横浜で開催される

   超高速低消費電力の大型集積回路・プロセッサーの国際学会を紹介します。  


   coolchips という学会です。 ( http://www.coolchips.org/2018/ )


        その運営委員会メンバーとして長年奉仕しました。

      現在は、そのアドバイザー・メンバーとして奉仕しています。

   
    昨年2017年は 国際学会 coolchips の20周年記念でした。

       その記念パネルメンバーとして参加しました。

 
        http://www.coolchips.org/2017/?page_id=10



     今年も4月18日~20日に横浜で開催されます。


        
http://www.coolchips.org/2018/?page_id=10


    将来の人工知能パートナーシステムをささえるハードウエア、

      すなわち、大型集積回路・プロセッサー実現の為に

   現在、世界第一線で活躍されている技術者を代表する方々です。




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      萩原良昭の会社生活(1975~2008)の仕事内容に関連して紹介します。

           今となれば、なつかしい青春時代の思い出になります?

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(1) イメージセンサーを開発していた現役時代の国内論文を2件紹介します。


      (i) ナローチャネルCCD単板カラーカメラ


      (ii) インターライン転送方式CCD撮像素子


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Image Sensor に関連して、米国電子電気工業会(IEEE)主催の

半導体集積回路の
世界的な国際会議(ISSCC2013)での

 Plenary Panel Talk の為に 準備したメモをもとに、

  IEEE Solid State Society 刊行 の Journal で、

Solid State Circuit Magazine, 2013 Summer Issue

    に記載した内容をまとめたものです。 


 
  ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo



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    ここで、萩原良昭の自己紹介を続けます。

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1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

           社会人となってはじめて会社で出願した特許です。

          単純に構造のみに関する特許です。それも単純に、

         「
PNP 構造をsensor 構造とする」 という単純特許です。

  構造から期待される動作やその効果については自明として詳細には言及していません。


        実際には、 光電変換されたキャリア(電子)を保護します。

         半導体界面の不完全結晶構造による、暗電流や欠陥から

        保護し、現在の低雑音・高感度センサーを実現しています。

      また、PNP構造の構造上の自由度から、過剰電子の除去も可能です。



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(3)   2つ目の特許は、現役を引退し、もっとも最近に、個人として出願したものです。

 離散フーリエ変換回路に類似する信号処理回路、画像・音声処理に関する特許です。


        すなわち、離散周波数成分変換回路の一種ですが、

       信号 sampling が等間隔ではなく、最初は間隔が狭く、
 
   時間が経つにつれ、sampling 間隔が広くなるという手法を提案しています。

 
JP 2016-14942:時間領域データを周波数領域データに変換する演算回路




        1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

         社会人となって現在にいたりますが、一貫して人工知能に関心があり、

         人工知能を支えるハードウエア―としての「電子の目の研究」でした。

        1976年には、大学院時代のProf. C.A. Mead の指導のもと、研究室と

        Intel 社との産学共同のプロジェクトに参加し、当時の最先端の MOS

        LSI Fabrication 技術を使い、LSI chip の設計に挑戦しました。



 
     
IEEE Journal of Solid State Circuits, VOL.SC11,No.4, October 1976


               128-bit Multicomparator

      
       a serial-in/serial-out fast 128 bit parallel data comparator chip

      fabricated by Intel corporation p-channel E/D MOS fabrication line






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最後に、国際会議で講演したものを4つ紹介します。



(4)  一番最初は、1979年9月(31歳)当初の活動内容です。なかなかイメジャー素子が
   
   ものにならなく苦労していて、開発研究をあきらめる企業が目立った頃の話です。

   世の中は「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化できる

   のかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ見えない頃でした。


  英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。


                
ADVANCES IN CCD IMAGERS


(5) イメジャーの実用化の目途がたち、Video Cameraやデジカメとして販売実績が確実な

  ものになったころで、イメジャーの信号処理関連LSIから PlayStation2関連のLSIも

  広く開発商品化の段階に入りまだまだこれから大きく花開くと希望と夢がいっぱいの頃でした。

  オーストリアのVilachで開催された国際会議 ESSCIRC2001 で発表したものです。

         
Microelectronics for Home Entertainments



(6) 一番最後は、2008年9月(60歳)当時の活動内容で、会社定年前の最後の仕事となりました。

英国ScotlandのEdingburghで開催された国際会議 ESSCIRC2008 で発表したものです。


           SOI Design in Cell Processor and Beyond



(7) 2013年はIEEEの国際学会 ISSCC の60周年記念の年で、その基調パネルのメンバーとして

   招待されました。 もう私は現役を退いて崇城大学情報学科で一人の教員として若い学生に授業を

   教える立場でしたが、長年、ISSCCの運営委員メンバーやアジア委員長としても奉仕してきた事も

   あり、ISSCCのOBメンバーとして、また、他の会社があきらめていた中、ソニーだけが(故岩間社長

   の力強いサポートのもと)イメジャーの開発当初から、開発と事業化の環境が維持され、その器の中で

   私もイメジャーの開発の1人の若手技術者としてを従事し、一人のイメージャーの開発者の目から見た

   「昔ばなし」のつもりで、基調パネルで話をしました。しかしかなり下準備をしたものの、よく話せたという
   
   自信は全くありませんでした(涙)。


   その時の下準備の内容と、パネル討論の様子、ISSCC の60周年記念の祝賀会の様子、その内容が

   IEEE Solid State Society の専門 Journal に記載された内容をまとめたものをここに掲載します。


 
  ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo



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    以上の内容を理解する上で、基礎・参考となる内容を、下記の本にまとめています。

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最後に、AIPSに関する技術解説書を1冊紹介します

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1975年から2008年まで ソニー(株)に勤務しました。 

その後、2009年より2017年まで、熊本市にある崇城大学の

情報学部の教授として勤務しました。本書は若手社員や学生を

対象に教育指導してきた技術内容の基礎をまとめ解説したものです。 


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書名  人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)


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  書籍の出版社の紹介

この本の購入に関しては、下記の出版社のホームページを参照の上、

    出版社に直接ご連絡いただき、ご購入ください。
       TEL: 042-765-6460(代)    青山社 
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


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   この本の概要説明です
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未来の人間の社会においては、いたるところで、人間にやさしい、
人工知能パートナーシステム( AIPS = Artificial Intelligent Partner
System)とも言える人間支援システムが出現すると期待しています。

たとえば、AIPS搭載の自動走行車や老人介護システム、人間型
歩行ロボット、ロボット・ハウス等です。

このAIPSを支えるのが、コンピュータとその通信技術です。
また、その基礎となるのが、基礎情報数学、数値計算法、
電子回路、知能ロボット工学などです。

そこにはさらに、 ハードとソフトの両面があります。

従って、ハードとソフトの技術が連携して、はじめて、AIPS搭載の
人間支援システムの実現が可能となります。

そこでAIPSを志す人は、宮本武蔵の様に、自己の腕(技術力)を
二刀流で磨いていただきたいところです。


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  本書ご購入された方は 下記の e-mail にご連絡ください。


         hagihara-yoshiaki@aiplab.com


本書に関する補足資料、Appendix 資料などのご案内をお送りします。

  また、本書を複数冊購入された団体・企業におかれましては、

 内部セミナー講義や説明会・勉強会の開催に際しては、

       喜んで、講師として参上いたしま。。。

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   本書「デジタル回路の世界」を購入された読者のみなさまには、

      本書購入日時と購入手段(購入書店)を記載の上、

     hagihara-yoshiaki@aiplab.com に ご連絡いただければ、

     この補足資料の解答集 (Lecture Note) をお送りします。

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       特別付録    雑学 特殊相対性理論 の紹介

これは、本書の第3章 デジタル回路のための基礎物理のAppendix(3-1-2)の補足資料でもあります。


          ベクトル E[ ] や 行列式 F[ ][ ] の応用例として

          初歩的な特殊相対性理論を例にして解説しています。

         中学程度の数学の基礎からでも取りかかりが可能です。

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     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

    発足資料(Appendix)

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

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  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


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