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by Yoshiaki Daimon Hagiwara
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この図が重要です。SONYの中研時代(1975から1980年)に
萩原は中研で一人でCCD Image SensorをCAD Tool (DSPLAY)
も自分で開発して設計していました。当時川名開発部長で
日本ではじめて高エネルギーにイオン打ち込み装置を導入
し、SONY中研は拡散とイオン打ち込みの両方の技術を
CCDのプロセスに併用していました。
萩原も当時中央研究所で自分で設計した Image Sensor
を自分でプロセスラインに入り、waferを流していました。
萩原が1971年と1973年の夏に2回厚木工場のBipolar製造
プロセスラインで実習した経験があったからです。
このP+の拡散を入れる前にまず酸化膜の Etching液に
Waferを浸してすぐに空気に触れる時間を最小限にして
すぐにP+の拡散炉にWaferを突っ込みP+層を形成
します。酸化膜の Etching液にWaferを浸した後しばらく
空気中に放置しますとすぐに酸化膜が 10 から50Å以上
形成されることがあり、金属コンタクト不良を経験した
苦い経験があります。せっかく長い間かかって流した
この工程で台無しです。
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また、アルミ配線形成の為にアルミ膜の蒸着待ちの時間
も後で重要な影響があるのを知りました。いろいろな
LOTが流れていて、順番待ちがありました。酸化膜の
Etching液にWaferを浸した後しばらく空気中に放置します
とすぐに酸化膜が 10 から50Å以上形成されることがあり、
金属コンタク不良を経験した苦い経験があります。せっか
く長い間かかって流したこの工程で台無しです。
いずれにせよ、これが当時萩原が理解していた、Intel社の
PMOS Transistorの断面図です。
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デジタル回路の設計者は、MASKを10枚以上設計する
必要があり、その為に プロセスの全工程を理解する
必要があり、恩師の Prof. C.A. Mead は萩原に手取り
足取り、その詳細を説明してくれました。これはIntel
社の重要な製造KNOWHOWでした。
それで萩原が当時デジタル回路を設計したのが、この
128 bitの高速並列 DATA Stream 比較処理回路でした。
このChipは、一発で感動しました。設計ミスがまったく
ありませんでした。Prof. C.A. Meadも Intel社に入社
してプロセスラインでの試作を手伝ってくれた先輩、
後に Intel社の副社長になった先輩もびっくりしました。
「Yoshi が設計した Chipが 設計ミスもなく完動した」
と皆で喜びました。論文は1976年にIEEEの学会誌に恩師
のProf. C.A. Meadを筆頭著者として発表しました。
発表が遅れてのは実際にこれは IBMの磁気テープの
サーチengineとして採用され、商品化と特許の手続きが
あったからだと理解しています。
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その後、1973年には萩原はPhDの研究となりましたが、
萩原は学生時代から ComputerのProgrammingや先輩
のPhDや研究者の実験集計し、論文の図を Conmputer
で作図して Plot する仕事を、学生アルバイトとして
それで生計を立てていました。NASA JPLでは国家予算
でIBM360の大型計算機が大きな部屋に何台もあり、
Caltechの構内では、CITRAN というCaltech独自の
computer 言語を使って学生たちも技術計算を今の
パソコン並みに便利に 大型 IBM360 汎用計算機を
time share で remote 端末で使っていました。
萩原もその computer を使って、 FORTRAN 言語で
codingして、当時脚光を浴びた、埋込み型CCDの
動作解析を 自分のPhDの論文のテーマにしました。
そして1974年の2月のその解析結果をPhiladelphiaで
開催のISSCC1974で発表しました。 XY空間と
時間軸Tの3次元での boundary 問題を数値計算で
した世界初めての Computer Graphicsの発表でした。
世界で初めて、 CCDの EMPTY POTENTIAL WELLの
概念図を大型計算機で数値計算して描いた、
Computer Graphicsの発表でした。それを16 mm Film にして
ISSCC1974の会場で放映しました。
NASA/JPLの Computer systemを使って 36 mm
film の3分の動画にしました。それを Holywood
の映画会社に行き、16 mm film に焼き直して、
ISSSCC1974の会場で放映しました。
この論文はCCDはもはや大容量メモリーとしては
消費電力が大きく期待できないと学会でも話題になり
もう企業には魅力がないというのが一般の認識でした
が、萩原は埋込み型CCDにする事により転送効率が
99.999%まで期待でき、Image Sensorとしての応用に
は期待できるというのが論文の結論でした。
これに RCAのWalter Kosonocky さんも ベル研
のCCDの開発者も喜んで Author Interviewで萩原
に握手を求めました。記憶にありませんが、その会場
に Boyleさんも Smithさんもいたと思います。一緒に
お話したような記憶がありますがあまり確かではあり
ません。確かなのは、その後2人は1974年に埋め込み
型CCDのUSP特許を出願しました。それで後に
2人がノーベル賞をもらうことになりました。表面
型のCCDは転送効率が99.9%しかなく使いものには
なりません。埋込み型にして実用化ができました。
萩原はすぐに連想しました。当時はN+P接合の
受光素子でしたが、それをP+PN+P接合の
埋込型にすることにより実用ができると判断し
ました。萩原が最初に考案したPPDはP+NP
接合ではありません。P+PN+P接合でした。
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岩間さんは 1954年の第1回目のISSCC1954の2月に
出席しました。当時は萩原はまだ5歳の幼児でした。
京都駅前の大丸百貨店の地下の食料店売り場を歩いて
いろいろわんちゃ坊主の後についていろいろと試食品
を物色していたころで、大人に後について行くと市電
に自由に乗れることを覚えて京都の市電を毎日乗り、
また、大人の後について行くで映画が無料で見られる
ことを知り、京都の町中の映画館を無料で見たい悪ガキ
でした。岩間さんは 1954年の第1回目のISSCC1954の
2月に出席しましが、その20年後にISSCC1974で萩原
は埋め込みCCDの将来性を強調した論文を発表し、
それが岩間さんの目に留まったようでした。
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SONYに1975年2月に入社したころ、SONYでは
CCDには金属電極があり光感度が悪いことで研究者が
困っていました。裏面照射で解決することは周知でした。
しかし、その技術がまだSONYにはありませんでした。
SONYは窓あCCDを考案し学会に発表していました。
また当時の撮像管のデバイス原理も萩原は学習しました。