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he AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page Top

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com


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        Story of Pinned Photo Diode

Hagiwara at SONY is the true inventor of Pinned Photo Diode

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毎朝6時前から1時間ほど、お天気がいい日は、

 自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

 毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

 その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


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   ●荻野中学校の10月の絵手紙はこちらをclick してください。




 


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賢い電子の目 ( pinned photo diode ) が、その発明者である、もと SONY の萩原良昭

を見ています。光を電気信号に変換する、人間の目の網膜細胞に相当する発明のお話です。

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      70歳のじじいのつぶやきです(笑顔)。

        Story of Pinned Photo Diode

    Pinned Photo Diode Patent by Hagiwara in 1975

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萩原良昭の自己紹介です。


1948年7月4日生まれ、京都市出身。紫野小学校卒業後、洛星中高等学校に入学。

高校2年で渡米、カリフォルニア州Riverside市Riverside Polytechnic High School に編入。

高3の時、同時に飛び級で大学2年生と一緒に Riverside City College で大学数学を学ぶ。

1967年 Pasadena市 から車で50分ぐらいで週末にはRiverside市に遊びに戻れることを優先して

近くのPasadena市にある、California Institute of Technology ( CalTech ) に入学。

1971年BS取得。1971年の夏日本に夏休みに一時帰国し、6月中旬~9月中旬までSONYの

厚木工場で半導体事業部の信頼性保証部の学生実習生として、bipolar transistor IC技術、

bipolar transistorの集積回路の生産技術を学ぶ。1972年MS取得し、再び、1973年夏に、

一時帰国し、6月中旬~9月中旬までSONYの厚木工場で半導体事業部の信頼性保証部の

学生実習生として、今度は垂直型 Junction Type Field Effect Transistor の生産技術と

その信頼性評価測定システム技術について学ぶ。


また、1971年の9月から1973年の9月まで、大学院では Intel社と CalTech の産学共同

プロジェクトチームに参加し、Intel プロセスで 128 bit の高速並列処理data 比較回路の

設計と評価を Prof. C.A. Mead の指導のもと担当した。その研究成果は、後に、Intel社

やHP社に入社し社員となった萩原の先輩や同僚と、SONYに入社した萩原の共同著書

として、Prof. C.A. Mead 筆頭著者で、1976年に 3年遅れで IEEE Journal に発表した。





その後、萩原は物理学部の量子力学の授業のTAを担当しながら、埋め込みチャネル型

CCDの物理動作解析を研究テーマとして、1975年PhDを取得。物理学(minor) と電気

電子工学(major) 工学博士号 (Ph.D.) を取得した。


PhD の研究テーマは当時新しく発明され、脚光を浴びた CCD(表面型) の改良版の、

埋め込みチャネルCCDの動作原理の解明で、特に高速で動作し優れた完全転送効率
 
99.999%を実現する、埋め込み型CCDの将来性を指摘、家庭用ビデオカメラへの

応用性を強調した論文で、1974年2月にはPhiladelphiaで開催のISSCC74 、すなわち、

半導体集積回路の世界最大の国際会議 ISSCC で、そのPhD 研究論文を発表した。

萩原のPhD論文の主旨は、表面型CCD shift register は転送効率が99.9%程度で

しかなく、全く実用化に適していないが、埋め込み型CCDは、埋め込み層を転送し、

シリコン結晶体と酸化膜の界面の不完全結晶性で生じる信号電荷捕獲準位 ( trap

site ) から 信号電荷を保護することができ、転送効率が99.999%もあり、かつ、

埋め込みチャネル層の中の強い電界により、信号電荷が高速で転送できることを

萩原は強調した、論文で、高速転送が不可欠なビデオカメラへの応用に大変重要な

半導体素子であると主張した論文である。




1975年2月帰国し、SONYに入社。Image Sensor, A/D 変換器、DRAM/SRAMの開発、

SONY内製の8 bit と 16 bit マイコンの開発と技術指導、当時SONYの子会社であった、

伊勢原市に事業所がある、 Magnescale 社での マグネスケール用高速DSP chip の

開発プロジェクト( KID Project )に参加し、MOS LSI chip の設計作業を、当時横浜に

拠点のあった、SONY LSI design との共同開発作業で設計した。最終的には SONY長崎

での DSP chip の生産となり、その全体を技術指導しまとめる仕事を担当した。また、

2000年に入って、半導体技術戦略室の室長の立場で、広く半導体事業部門の知的財産

問題から新規にPS2から始まり、PS3の設計と生産技術の技術を広く担当し指導した。

PS3の仕事が最後の仕事となり、2008年7月SONYを定年退職。


その後、2008年7月に有志を募り、神奈川県公認のAIPSコンソーシアム(NPO法人)を

創設し、その代表理事長に就任。社員の老齢化にともない、2017年12月に公式解散。

しかし、非公式には個人活動として、まだ元気な有志と協力して現在も活動を続けている。


また、2009年から2017年の8年間、熊本市にある崇城大学の情報学部の教授として勤務。


現在厚木市の自宅近くに位置する神奈川工科大学の情報学部大学院の非常勤講師および

日本半導体産業人協会の教育委員会メンバーとして勤務。


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   IEEE Life Fellow、 the inventor of Pinned Photo Diode
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半導体産業人協会主催の2つの秋季半導体技術講座の紹介です。



(1)2018年11月1日~2日開催の半導体入門講座の案内

     2018年度 秋季入門講座カリキュラム詳細版



(2)2018年11月5日~6日開催の半導体ステップアップ講座の案内

    2018年度 秋季ステップアップ講座カリキュラム詳細版

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著書に 「人工知能を支える、
デジタル回路の世界」 


ISBN 978-4-88359-339-2 C3055  青山社 出版、

ハードカバー 475ページ、\9000 + Tax があります。

是非、購入してお読みください。


半導体素子の基本物理動作からその応用回路まで

やさしく解説しています。文系の方でも読みやすい

ように工夫し、むずしい数学のバックグラウンド知識

がなくても、容易に直観的に誰でも理解できるように

わかりやすい解説図を本書には多く用意しています。

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   IEEE Life Fellow、 the inventor of Pinned Photo Diode
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Pinned Photo Diode は残像のない、高速撮影が可能なアクションビデオ映像を実現します。





●まず、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


今度は、検索 window の document number 入力欄に 1975-134985 と入力してください。



下の図に示す、P+NPNsub接合( thyrisor ) 型の pinned photo diode に関する、

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を定義した文書と

その詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、その詳細実施図(特許の実施した例を示す

具体的な図)が入手できます。


詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。







●再度、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


検索 window の document number 入力欄に 1975-126747 と入力してください。


次の裏面照射型の現在のCMOS image sensor の原点となる

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を

定義した文書とその詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、

詳細実施図(特許の実施した例を示す具体的な図)が入手できます。

詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。





Pinned Photo Diode とは、「賢い電子の目」のことで、

また、、鉄腕アトムの電子に目のことであり、我々の

生活を支えるいろいろなロボットの目でもあります。














みなさんがお使いのスマフォ、家庭用小型ビデオカメラや小型デジカメには

固体撮像装置 ( Solid State Image Sensor ) という半導体物質でできた

電気部品で構成されています。


この半導体物質は、シリコン結晶体を基体とした複雑な構造体です。

そのシリコン結晶体( Siliocn substrate ) の中に2つの正反対の性質を

持つ不純物原子、例えば、Arsenic (As) 原子 と Boron (B) 原子を

混ぜて造ります。ケーキに砂糖や塩を混ぜて焼くようなものですが、砂糖と

塩がケーキの中でまんべんなく均一に分布しているわけでなく、ある場所は

塩味のケーキになっていて、別の部分は砂糖味のケーキになっていたりして

いろいろな形体を取ることができます。


そうして造られる半導体素子の中に、 Pinned Photo Diode と呼ばれるものが

あります。人間の目の網膜細胞の役割をする半導体素子です。すなわち、網膜

細胞に光があたると、網膜細胞は興奮して電気信号(電荷)を発生させて、その

電気信号(電荷)は、目から脳まで長い距離を、一列に並んだ神経細胞によって、

脳の中の視神経細胞に伝達され、人間はものを見たと認識します。


まず、人間がものを見て認識するには、道具として、





(1)人間の目の網膜細胞が必要です。次に、

(2)網膜細胞からの電気信号(電荷)を、脳まで、長い距離を伝達する、

  無数の信号電荷転送用の神経細胞で構成される、長くて太い転送管が必要です。

(3)そして、その電気信号(電荷)を一時的に記憶する無数の脳にある記憶細胞で、

  脳は、目に映る画像情報、すなわち、二次次元平面情報を受け取ります。

(4)その画像情報はいろいろ情報処理され、必要な情報だけ抜き出され、

  永久保存用の脳細胞に記憶されることになりますが、そこまで到達するには、

  人間はすぐ忘れる動物であり、何度も同じことを学習する必要があります。

人間が見る情報はアナログ情報ですが、コンピュータはデジタル情報を処理します。

デジカメがコンピュータと連携して情報処理するにはこの他に A/D 変換器が

必要となります。すなわち、現代のデジカメには次の5つの電気部品で構成されて

いることになります。



(1)目の網膜細胞に相当する超高感度である Pinned Photo Diode があります。

   これが本題です。


   この後詳細にその解説を行いますが、ほかの4つの

   電気部品についてもここで詳細にまとめてみます。




(2)太くて長い信号電荷を転送する神経細胞管に相当する電荷転送装置、

  すなわち、専門用語で、 Charge Transfer Device (CTD)というもの必要です。

  現在の CMOS image sensor では、 Charge Transfer Device (CTD)と

  いわれる部分は、NMOS Transistor 構造の電極、すなわち、Charge Transfer

  Gate 1個だけです。その後に、Snap Shot 用の一時的に信号電荷を保存する

  薄い濃度で出来たPinned Photo Diode があり、Reset Gate (MOS Tr)にも

  連結されていて不要になった時は、完全空乏化転送で蓄積部を完全空乏化が

  可能なPinned Photo Diode による一時蓄積部となっています。また、この

  また、一時蓄積部として機能する、Pinned Photo Diodeの後段に 電圧信号から

  電流信号に変換する source follower 回路を装備し、そのsource follower

  の回路source 端子側を 信号出力取り出し用 垂直 bit line としています。

  また、各垂直 bit line にはA/D変換器が装備され、狭い幅の layout 配置には

  たいへんな苦労がありましたが(涙)、それで水平出力信号線にはデジタル信号

  が高速に転送されることになり、まったく雑音のないデジタル映像信号を実現しています。

  それが現在の CMOS digital image sensor の基本構造で、まったく、CCDは不要です。

  CMOS digital image sensor には、NMOS Transistor 構造の電極、すなわち、

  Charge Transfer Gate 1個だけで済むようになったからです。しかし、CCD独有の

  特徴とされていた完全空乏化転送用電極として機能するのは1個でも変わりません。

  Charge Transfer Gate を複数個連続に一列に並べたものが、CCD型転送装置と

  と呼ばれるもので、CCDの発明により、世界は完全空乏化電荷転送の動作原理を

  実践活用し家庭用ビデオカメラが実現しました。CCDのその実績は大きなものです。

  CCDのその完全電荷転送機能は、1個だけですが、Pinned Photo Diodeと外部

  CMOSデジタル回路を連結するCharge Transfer Gateとして今でも活躍しています。

  一般にこの1個のCharge Transfer GateはCCD型電荷転送装置と呼びません。

  CCD型電荷転送装置の完全空乏化電荷転送は MOS型容量に蓄積さらた信号電荷を

   隣接する別のMOS型容量に高い転送効率で電荷転送する装置のことを言います。

  萩原が1975年に発明した完全空乏化電荷転送方式は、MOS容量型の蓄積部からでなく、

  PNP transistor 型容量や、P+NPNsub thyrisotor 型容量の信号電荷を隣接する、

  1個の電荷転送装置、すなわち、 MOS transistor の電流を On/Off させる、

  電流 switch 回路として動作する、1個の charge transfer gateを使って、後段の

  デジタル信号処理回路に信号を出力するものです。CCD動作ではないとも言えます。




(3)MOS型の電荷転送用Switch電極( Charge Transfer Gate ) から出てきた、

  アナログ信号電荷を、1と0のデジタル信号に変換する A/D 変換回路とさらに、

  その出力されたデジタル信号を外部端子に出力するまでの電送処理する、後段の

  様々な情報処理(信号の並び替えなどをする)デジタル回路が必要です。デジタル

  回路は複雑ですが既存の周知の回路技術です。しかし、このA/D変換器は高速の

  A/D 変換器となります。1個ではなかなか追いつきません。image sensor は、

  通常、たとえば、横( row ) 1本を4000絵素構成として、縦 ( columm ) 1本を、

  3000絵素構成としますが、縦 ( columm ) 1本に対して、すなわち、 横4000絵素

  に対して、4000本の縦構造( columm ) があることになります。その横4000絵素に

 対応して一個ずつ、合計4000個の内臓小型A/D変換回路を工夫して設計し、現在では

  CMOS image sensorの中に内臓されています。昔の CCD image sensor の場合は、

  A/D 変換回路は外付けの 高速 二段flash 型 A/D 変換回路(SONYの山田隆章さん

 考案)のもので実現しました。山田さんとプロセス担当だった浅野勝昭さんの努力で実現

 しました。この A/D 変換器の実現がなかったら、次に説明するデジタル信号を一時的に

 瞬時に記憶するキャッシュメモリーがあっても、SONYで開発した世界最初に1000万円も

 する高級放送局用ビデオカメラ( fully digitized video camera system ) は実現しなかった

 でしょう。この A/D 変換器が小型で低価格で市場に提供できるようになって初めてデジカメ

 が小型民生商品として市場に提供できるようになりました。。




基本的にデジカメはこの3つの基本電気部品で構成されます。




(4)それだけでは、デジタル信号はたれ流しとなり、情報は瞬時に消えてしまいます。

   その為に。高速に瞬時に出力される高解像とデジタル信号を一時的に瞬時に

   記憶するキャッシュメモリーが必要です。この具体的な半導体部品はSRAMといいます。


   横4000画素、縦3000画素の image sensor の場合、1200万画素になりますが、

   1画素のアナログ信号をデジタル信号に変換すると約1024階層= 10 bit 情報となり、

   1.2 億 bit の情報に相当します。この1.2 億 bit の情報を、1秒間に 実は TVは、

   120 コマ ( frame ) の画像情報を受け取っています。この膨大なデジタル情報をTVに

   転送するには1秒間に約144億 bit のデジタル情報を 超高速 Cache SRAMに

   受け取る必要があります。すなわち、1 bit あたり、約144億分の1秒で超高速 Cache

   SRAMは受け取る必要があります。光の速度は1秒間に約30万Km 進みますが、

   この約144億分の1秒では、光でされも、20.8 cm しか進めません。

      ( 30 0000 000 00 cm ) / ( 144 0000 000) = 3000/144 cm = 20.8 cm

   半導体素子の中で動く電子は、いくら小さくても質量を持ち、光の速さにはかないません。

   光は質量のないエネルギーの粒(光子)で非常に速く、光の速さと比べて、半導体装置の

   中の電子は非常にゆっくり動きます。2GHz で動作する半導体装置は、0.5 nanosec の

   clock 周期で動作しますが、その間に光は約 15 cm 進むことになります。すなわち、

   2GHz で動作する、access time 0.5 nanosec の超高速アクセスタイムの Cache SRAM

   が必要になります。昔は、高解像度TVでなく、横800画素、縦500画素の40万画素程度

   のNTSC方式のTVが普及していました。1200万画素の30分の一の画像情報でしたので、

   Access time 15 nanosec の超高速アクセスタイムの Cache SRAM が1個あれば充分でした。

   Access time 25 nanosec の高速アクセスタイムの Cache SRAM なら2個あれば充分でした。

   SONYは、1989年この Access time 25 nanosec の高速アクセスタイムの Cache SRAM の

   試作に成功し、1000万円以上もする高級放送局用のビデオカメラシステムを完成させ、NHK

   をはじめ、世界の放送局用ビデオカメラ市場を制覇しました。当時SONYで放送局用ビデオ

   カメラの最高事業責任者は森園副社長でした。このプロジェクトがSONYで最初に世界に提供

   した1000万円以上もした高級デジカメでした。それが小型化され民生用のデジカメの原点です。

   この高級デジカメのAccess time 25 nanosec の高速アクセスタイムの Cache 4Mbit SRAMは、

   萩原が率いる開発部隊(宮司、松山、金石、妹尾、江守、萩原)の6人の少数精鋭部隊の努力で

   開発したものだった。宮司さんの発明で、DRAM の refresh mode の時に bit line を一時的に

   浮遊状態にしてまわりの接続回路を遮断し、 bit line の実効配線容量を下げて、高速信号増幅を

   可能とする手法を、この高速アクセスのSRAMに採用したものだった。新規性ある回路工夫により

   当時では世界一高速で、世界一の大容量4MBit SRAM だった。国際会議 ISSCC1989に於いて、

   世界初めての高速25nanosecアクセス 4Mbit SRAM と題して発表した。当時は、日本では、

   4Mbit DRAM の生産がピークの時代でした。「Japan as No.1 ] とちやほやされていた時代でした。

   元気なDRAM 開発の技術者からは、「SONYは4Mbit SRAM を発表したが何に使うのか?

   数は出ないのでは?」と、冷ややかな反応でした。。萩原とその部隊で、翌年、SONY社内で、

   大賀会長からSONYの最高の商品開発に関する最高の賞である CEO賞を受賞しました。

   SONYのTOPは理解していました。それがデジカメの時代の到来であることを。SONYはまず

   高速SRAMの技術に支えられ、 Intel社、HP社、IBM のマイコンボードにSONY製の高速SRAMが

   採用され、SONY社内では民生用のデジカメの開発生産の準備が着々と進んでいました。






(5)そして、最後にゆっくり動作しますが、貴重な画像情報を永久保存してくれる不揮発性半導体記憶

   装置の発明があります。これは、米国ベル研の研究者だった Dr. D. KahngとProf. Simon Sze が

   一緒に研究し、1967年に発明したものです。1967年は萩原がCalTechの大学1年生の時でした。

   Prof. Simon Sze は、 Pysics of Semiconductor Devices というたいへん半導体素子の構造と

   物理をまとめた貴重な技術書の著者でもあり、萩原も学生時代にそれを読み、半導体物理の理解

   を深めました。その第2版の pp. 423~427には、埋め込み型 channel CCDの構造とその動作

   原理の解説があります。その中で、埋め込み型 channel CCDの埋め込み層(N)が完全空乏化

   電荷転送を実現したときの、Empty Potential Curve の図が、p.424 の Fig.53 に描かれています。

   この Empty Potential Curve の意味することは、完全空乏化電荷転送 ( Complete Charge

   Transfer Operation Mode with Completely majoriy carrier depleted charge storage area )

   を意味します。萩原の1975年提案の Pinned Photo Diode の発明特許の実施に中に、この

   Empty Potential Curve が描かれています。 それは、完全空乏化電荷転送 ( Complete Charge

   Transfer Operation  ) を意味することは明らかな事実です。2014年のFossum論文は Fake です。

   萩原1975年考案の2つの発明特許を正確に理解せず、また片方の裏面照射型 Pinned Photo

   Diode 特許は、今の CMOS image sensor の基本特許であるのにかかわらず、引用さえもされて

   いません。2014年のFossum論文は 嘘の記述やバイアスされた真実でない内容を記述し、結果として、

   SONYのoriginal HAD sensor がSONY独自発明のものであることを否定し、また、萩原が本当の、

   Pinned Photo Diodeの真の発明者でないと2014年のFossum論文で断定しています。これはSONYと

   萩原を嘘の供述で侮辱したことにないます。決して許されるものではありません。その詳細についても

   この解説記事の中で、ゆっくり説明していきたいと思っています。



 

  今みなさんが使用されるいるUSBメモリーや 薄型小型 Mini Memory Chip の原点です。


   日本が誇る、もと東芝の外岡さんは、最も集積化に適した NAND型NVRAMの発明者ですが、

   この、1967年に、Prof. Simon Sze が Dr. D. Kahngと一緒に研究し発明した Floating Polysilicon

   Double Gate 型の MOS transistor の Floating Polysilicon Gate 容量に信号電荷を蓄積し、

   その信号電荷があるかないかで、MOS Transistor に電流が流れたり流れなかったたり状態を

   利用したものです。


   












Pinned Photo Diodeは萩原がSONY時代に1975年に発明した高性能半導体受光素子構造です。


萩原がSONY時代、1975年に出願した次の2つの発明特許で定義されたもので、

人間の目で言えば、網膜細胞に相当する、「超高感度の賢い電子の目」のことです。

半導体という物質で出来た電気部品です。ロボットの超感度の目になります。









まず、下の図に示した、「Pinned Photo Diode とは何か ? 」をこれからゆっくり細かく紹介説明します。





Pinned Photo Diodeは萩原がSONY時代に1975年に発明した高性能半導体受光素子構造です。


萩原1975年出願の次の2つの発明特許で定義された人間の目の網膜細胞に相当する超高感度

の賢い電子の目を提供する電気部品の発明です。


その萩原1975年発明特許の1つが下の図に示したものです。


●まず、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


検索 window の document number 入力欄に 1975-134985 と入力してください。


この萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を

定義した文書とその詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、

詳細実施図(特許の実施した例を示す具体的な図)が入手できます。

詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。





萩原1975年発明特許のもう1つは下の図に示したものです。


●まず、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


検索 window の document number 入力欄に 1975-126747 と入力してください。


次の裏面照射型の現在のCMOS image sensor の原点となる

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を

定義した文書とその詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、

詳細実施図(特許の実施した例を示す具体的な図)が入手できます。

詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。






1975年の萩原発明のこの超感度の「電子の目」、すなわち、 Pinned Photo Diode を搭載した、

ビデオカメラの製造に成功し、SONYは1978年にまず岩間社長のTokyo で、続いてすぐ様、

盛田会長がNew Yorkで、 お二人が同日に、少し時差がありますが、世界の新聞記者を相手に、

多くく、SONYの将来をかけた意気込みで、2つのPress Conference を、同時に、二人して開催

しました。その時、、下の図に示す様に、超高感度の萩原良昭が1975年に発明した「電子の目」、 

すなわち、 Pinned Photo Diode を搭載した、一体型ビデオムービーを試作モデル発表し、

広く世界に、超感度低雑音で、残像なしで、高速アクション映像も可能にした、家庭用の小型の

ビデオカメラの時代の幕開けを宣言しました。その超感度を可能にしたのは萩原1975年発明の、

PNP接合型のPinned Photo Diode 、すなわち、鉄腕アトムの 「賢い電子の目」の実現でした。




1975年萩原発明の超感度の「電子の目」は現在でも SONYの CMOS Digital Image Sensor でも

採用され活躍しています。上の写真は SONY original HAD, すなわち、萩原1975年発明の、

超感度の「電子の目」が搭載された、 SONYの CMOS Digital Image Sensor で撮影した写真です。


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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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ご参考:  日本国特許の検索サイト に、萩原良昭 と入力すると、萩原のSONY時代の

   特許リストとその内容が閲覧できます。 「71件ヒット」 と掲示されます。


   そこをクリックして 71件のリストの中から、

   66番 50-134985 (P+NPNsub接合型のPinned Photo Diode の発明特許) と、

   67番 50-127647 (NPNN+ 接合型のPinned Photo Diode の発明特許) を見てください。


また、海外版の日本国特許検索サイト では、 Japanese Patent Number の欄に 


Document Number を 1975-134985 と入力しますと、 萩原がSONY時代に申請した、

   P+NPNsub接合型のPinned Photo Diodeの発明特許の詳細が閲覧できます。





この特許が原点でSONYは1978年に東京(岩間社長)とNewYork(盛田会長)で大きく
Press Confernce を開催し、世界があきらめかけていたCCD image sensor を世界で
SONY一社だけが頑張っていると New York Times や英国の新聞で称賛されました。

1978年のSONYの発表では超感度CCD image sensor と説明されましたが、
実は超感度なのはCCDではなく、萩原1975年発明の PNP接合( transistor構造)型の
pinned photo diode でした。







上の写真は萩原が現在SONYで勤務する後輩からいただいたものです。

今SONYが広く市販している SONY original HAD sensor 搭載のビデオカメラで撮影した映像です。

左側の写真は表面照射型の SONY original HAD sensorの CMOS image sensor の写真です。

右側の写真は表面照射型の SONY original HAD sensorの CMOS image sensor の写真です。

この2つの写真を提供していただいた、SONY(株)のご厚意に感謝いたします。

近年、裏面照射型の超感度高解像度のCMOS image sensorが、
多数のSONYの勤勉な研究・開発・製造開発技術者の力により実現しています。

しかし、上の図に示したSONYの超感度高解像度のCMOS image sensorの基本構造は
1975年に萩原が考案し出願した発明特許の中で定義した超感動低雑音の受光素子構造が原点です。

この日本語特許は、今でもだれでも 閲覧可能です。

是非、 海外版の日本国特許検索サイト に入り、、 Japanese Patent Number の欄に 

 Document Number を 1975-127647 と入力してください。萩原がSONY時代に申請した、
 

この裏面照射型の NPNN+ 接合型のPinned Photo Diodeの発明特許の詳細が閲覧できます。


Pinned Photo Diodeの受光部は電荷転送部(CTD)とは独立したもので、転送部(CTD)が
CCD image sensor 型転送部であろうが、CMOS image sensor 型であろうが接続可能です。
Pinned Photo Diodeの受光部はどんな電荷転送部(CTD)とも、下の図に示す様に、その間に、
電荷転送ゲート ( Charge Trasfer Gate ) を介して電荷転送部(CTD)に信号電荷が転送
されます。その転送モードは、当然完全空乏化電荷転送であり、その結果残像のない映像が
可能となります。高速アクション映像が可能となるわけです。



下の図に示す様に、感知部 P層に蓄積された Positive Charge の信号電荷 ( hole ) が

シリコン基板の主面に対して垂直方向に電荷転送されている様子を示します。このNPN構造の

埋め込み層(P)により、ここで 萩原は世界で初めてCCDではなく、PNP接合構造で垂直

電荷転送が実現することを思考実験により、1975年(当時26歳)発見しました。この電荷転送が

完全空乏化電荷転送 ( Compltete Charge Transfer Mode with Completely Majority

Carrier Holes Depleted from the P region ) であることは下の図7からも明確です。そのことは、

もう一方の同時に出願した特許( PNP型 pinn phto diode )構造でさらに詳しく説明しています。


この出願特許が、「萩原が Pinned Photo Diode の発明者である。」ことは明白です。

NECの寺西特許( USP4484210-A (EX.2001.11.20)  )1980年出願特許を武器に

SONYに対して SONY HAD sensor を攻撃してきました。水面下でのSONY-NEC 特許戦争でした。

現在では、SONY HAD Sensor と Pinned Photo Diode 同一構造体でまったく同じものであることは

周知の事実です。 このSONY HAD Sensor、すなわち、Pinned Photo Diodeの1975年の特許特許は

1977年に公開になっていますす。この萩原の1977年公開特許を参考にしたのが、1980年の寺西特許

です。萩原1975年特許の完全なる派生特許です。

従って、NECの寺西は絶対に Pinned Photo Diode の発明者ではありえません。


●まず、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


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検索 window の document number 入力欄に 1975-126747 と入力してください。


次の裏面照射型の現在のCMOS image sensor の原点となる

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を

定義した文書とその詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、

詳細実施図(特許の実施した例を示す具体的な図)が入手できます。

詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。






************************************

  半導体まめ知識  PPD とは?

******************************

PPD とは Pinned Photo Diode のことです。


(1)まず、世の中の物質を電気を通すか通さないかで分類します。


世の中の物質は、電気を通す金属性物質(M型)と、電気を全く通さない絶縁体物質(O型)と

電気を通したり通さなかったりする半導体物質(S型)など大きくわけて4種類があります。




また半導体物質(S型)には電気を通す時、2種類の通し方があり、N型とP型半導体に分類されます。

(1)N型半導体は、負の電荷をもった電子(electron)をcharge carrierとして

   半導体結晶体 ( Silicon Crystal )の中で、電流となるN型半導体物質です。

(2)P型半導体は、正の電荷を帯びた原子(イオン)がシリコン結晶体の中で
   自分が中性になるために隣接する中性の原子から電子を奪い、
   奪われた原子が代わりに、正の電荷を帯びた原子(イオン)となり、
   さらに原子(イオン)は、そ自分が中性になるために隣接する、
   別の中性の原子から電子を奪い、中性になり、結果的に、
   正の電荷が次から次へと移動して、導体結晶体 ( Silicon Crystal )の中で、
   電流となる P型半導体物質があります。


血液型にもA型、B型、AB型とO型があり、その性質の細かいことは私も知りませんが、

交通事故などで輸血するときのルールがあります。




それと同じです。あまり、物質の細かい性質はこのお話でも知る必要はありません。

いろいろ世の中の物質が、この4種類の血液型 ( A, B, AB, O )と同じく、

電流と光をと通すか通さないかで、物質も ( M, O, S、X ) の4通りにと分類され、

さらに半導体(S)は、P型とN型に分類されるということだけを覚えておいてください(笑顔)。

この中で半導体集積回路の材料となるのは、( M, O, P、N) の4つの物質です。

X型の物質は光も電子(電流)も通さない物質で半導体集積回路をまわりから包み保護し、

外部の紫外線や電気障害(静電気や雷)や電波障害から保護する物質として使用します。


[1] M型は電気を通す金属性物質、光は反射する。


金属配線がいい例です。




金属はアルミ原子や金の原子などのぎっしりかたまった固体です。

その金属原子の中を自由に浮遊するのが電子です。原子を太陽系にたとえると、

太陽(プラスの電荷を持つ原子核)の周りをまわる地球(マイナスの電荷を持つ電子)

の様なものです。太陽の強大な重力が及ぼす引力で地球は太陽のまわりをまわっていますが、

マイナスの電荷を持つ電子は、プラスの電荷を持つ原子核に電気力でしばられていますが、

一番外の軌道にある電子は、少しのエネルギーを光などで外部からもらうことができると、

原子核の引力に勝ち、ロケットが元気に太陽系から太陽の引力圏から飛び出すように、

電子も自由電子となり、半導体結晶体( silicon crystal ) の電子にとってはすけすけの

自由空間をさまようことができます。しかし、それでも金属原子のすきまで浮遊している

だけです。金属のかたまりから脱出したわけではありません。金属は電子の海にも

たとえることができます。電子の海の中を電子は自由電子になって浮遊しています。

ますで、海の中の水の分子のようなものです。しかし、その水の分子はなかなか海の

外には出られません(涙)。


しかし、もし、本当に強いでエネルギーを持った光(強い紫外線)があたれば、水面近くに

ある電子にその光のエネルギー(光子)がぶつかり、電子がそのエネルギーを吸収し

元気になり、金属の原子核の引力から脱出できて、完全に金属から飛び出すことも

可能なはずです。金属に強い紫外線を照射すると電子が飛び出すはずです!


この現象を世界で最初に物理的に理解し、光のエネルギーの粒を 光子( photo )と

名前を付けたのは Albert Eistein でした。彼は 相対性理論で 有名ですが、

今では中学校の数学 (時間変数 t と空間変数 x の2つの変数の連立方程式)の

の知識があれば理解できる特殊相対性理論が当時の物理学者は理解できません

でした。逆に、Albert Eistein は、もっと単純な、この光電効果の物理モデルの提唱

することにより、すなわち、金属に光を照射すると電子が飛び出す現象の物理的な

解釈 (光は波でありまた粒子でもあるという新規な全く新しい物理概念 )により、

多くの当時の世界の物理学者の感銘を受け、Albert Eistein はノーベル賞を受賞

することになりました。むずかしい数学よりも誰もが理解できる直観に訴えることが

できることが、誰にも理解できるようにする努力を惜しまないことが重要であることは、

今の物理学だけでなく、どんな学問でも共通して、たいへん重要なことですね。



さて、金属とは何かのお話に戻ります。





[2] 次に絶縁体であるO型の説明です。Ò型物質は電気を通さない絶縁体のことで、

  ガラス性で光を通すもののことです。絶縁体にX型で黒いゴムや黒い服地などが

  あります。色のついた服は一部の波長の光が光を反射する化合物金属の粉や

  染料や塗料が反射したものと解釈してください。ここではSilicon 結晶体を酸化

  するとそのまわりに形成されるきれいな薄い酸化膜 SiO2 やアルミ金属を酸化

  するとそのまわりに形成されるきれいなアルミナと呼ばれる酸化膜 Al2O3 や

  炭素原子(C)を惑星の奥深く、中心核ので重力の圧力の中で、酸化されたときに

   できるダイヤモンドの宝石などを連想してください。これらはO型の絶縁体です。








[3] N型は電気を通す時もあれば通さない時もあり、中途半端な物質で、

   金属と同じような電気の通し方をするものでN型半導体と呼ぶ。

   空の箱の中をボール(電子)が自由に移動する状態を連想します。

   そのボール(電子)はマイナスの電荷を帯びます。




[4] P型は電気を通す時もあれば通さない時もあり、中途半端な物質で、

   ボールがいっぱい詰まった箱の中でボールが全く動けない状態で

   1個だけボールが飛び出し、穴 ( hole ) があいた状態を連想します。

  その穴 ( hole ) はプラスの電荷を帯びます。




まあ難しく考えないで、物質は、電気を通すか通さないかで、

一般に、( M, O, N, P ) と分類される、

ということだけを覚えておいてください(笑顔)。


(2)そこで、Diodeとは何かを説明します。



N型の半導体物質の下にP型の半導体物質を接合したものをNP接合と呼びます。

DiodeとはこのNP接合の別名です。NP接合型 Diode とも言います。




また、P型の半導体物質の下にN型の半導体物質を接合したものは、

PN接合と呼びます。PN接合型 Diode とも言います。




(3)Photo Diode とは光を感知する Diode のことです。


また光を感知し電気エネルギーに変換する Diodeを太陽電池といいます。

Photo Diodeは太陽電池であると言えます。




また、 このPhoto Diode (絵素)を、2次元平面に、横に 4000 個、縦に 3000 個配列し、

被写体をビデオカメラでとらえ、その映像をカメラのレンズで集光して、 

その光画像の情報を、この平面に投影しますと、1200万画素の 高解像度の

固体撮像装置 ( Solid State Image Sensor ) となります。

この2次元配列された、1200万画素ぶんのPhoto Diodeに蓄積された、

1200万個の個別の信号電荷のかたまり ( 1200万個 packet 信号 )を、

image sensor 内から、1個しかない出口である外部端子(1個)に順序よく

転送し、最終的に家庭で見る高解像 high vision TV に 投影する必要が

あります。被写体を、まず、レンズ集光し、結像された 1200万個の 

Photo Diodeの2次元配列から、順序よく各絵素の電気信号(電荷)を

取り出して、つまり電荷転送装置となる半導体回があってこそ、最終的に、

この1200万個の映像信号(電荷)の Packet 信号が High Vision TV に

届き、その信号が順序よく、TVの 映像 scan 方式に従い、 TVの画面に、

映し出しますと、1200万画素の高解像度のきれいな画像を見ることができます。




Imager には少なくとも、まず (1) 1200万個のPhoto Diode と (1)1200万個

のPhoto Diodeに光電変換され、蓄積された1200万個の信号電荷をそれぞれ

こわすことなく、忠実にそのままの情報をもった信号電荷として順序よく電荷転送し、

最終的に 1 つしかない出口(出力端子)に電荷を転送する電荷転送装置(CTD)が

必要です。 要するに少なくとも、この (1) 萩原が 1975年に考案し発明特許で

定義した半導体受光素子構造は、Photo Diode の改良版で、超感度、低雑音、

残像なしの、人間の目よりもすぐれた性能を持つ、賢い電子の目と言われる、

Pinned Photo Diode が必要です。そして、 (2) 電荷転送装置、つまり、Charge

Transfer Device (CTD) が必要です。電荷転送装置(CTD)として、1969年に

発明された CCD (固体結合素子)は有名です。1980年から2000年の初め頃

までは、CCD型CTDを採用した、CCD image sensor が主流でしたが、それ以後、

現在に至っては、半導体微細化技術の大進歩により、CMOS transistor が

極端に微小構造に形成でき拡散容量雑音が激減し、それをつなぐ金属配線の幅と

厚さも微小寸法に加工が可能となり、金属配線雑音も激減し、また CMOS Active

回路の新しい工夫により、CMOS型CTDを採用した、CMOS Image sensor の

総合雑音が、それまで主流だった、CCD image sensorの出す総合雑音とあまり

かわらない程激減でき、さらに、CCD image sensor は 大容量のMOS型電極の

充放電動作が常に必要で、消費電力が膨大となり、また、high vision 画像では、

CCDの転送効率の 99.999 % では、忠実にアナログ信号電荷 packet の情報を

CCDでは転送不可能で、しかし、CMOS image sensor では各絵素( photo diode )

付近で CMOS デジタル回路の工夫で A/D 変換が可能で、デジタル信号に変換

してから CMOS image sensor の中の、微細化されて配線雑音の少ない、digital

信号金属配線を使って、1つしかない出口(出力端子)に高速でデジタル信号を

電送できることが可能となりました。すなわち、CTD の部品でもある charge

transfer gate (CTG)は、かならず、photo diodeのすぐそばに必要ですが、

その後段には、(3) A/D 変換回路が装備されることになります。また、その

高速に変換膨大な量のデジタル情報を高速に一時的に保存記憶する外部記憶

装置として、次に、かならず、(4)高速大容量 SRAM が必要となります。そして、

最終的に、(5)その保存された情報を再度別の永久保存用記憶装置に転送すること

ゆっくりしか動作できない、磁気テープ ( SONYの Passport Size の 8 mm サイズ

磁気テープのビデオカメラ)や Floppy Disk ( SONYのMAVICA ) が過去に好評

でしたが、現在では、源を切っても情報を保管維持する、不揮発メモリ素子 ( NVRAM )

が必要です。この不揮発メモリ素子 ( NVRAM ) として、みなさんがパソコンのメモリ

保存に使う USBメモリがあるのは有名です。





結論として、現在の新しい CMOSデジカメ ( CMOS digital image sensor ) は、


(1) まず、 SONY時代に萩原が1975年発明した Pinned Photo Diode がある。

  SONY時代、1975年萩原が初めて考案し出願された発明特許で定義された 

  Pinned Photo Diodeで、かつ、CMOS image sensor への応用として、近年、

  SONYの若手技術者により開発実現した世界初の裏面照射型のPinned Photo Diode


(2) 次に、 SONYが社内で最初に開発した SONY社内製のA/D 変換回路がある。

  SONYが初めて、CMOS image sensor の重要回路部品として、社内の若手技術者で

  開発した世界発のデジカメ用の、SONY社内製のA/D 変換器とその周辺CMOS回路。

(3) 次に過去のNMOS基本回路を改良工夫したCMOS型電荷転送装置(CTD)がある。

  CMOS型の電荷転送回路システムは、DRAM の信号転送回路に極似しており、

  NMOS型のimage sensor で普及していたが、配線雑音の少ない CCD型の電荷転送

  装置の実現に負け、NMOS型のimage sensor は市場から消えて、低価格のカメラで

  ほそぼそと採用さていた。NMOS型のimage sensor の電荷転送回路は単純だった。

  DRAM は常に refresh が必要で、劣化・減少した信号電荷はもともとアナログ信号で

  あり、常に 1 bit ごと、active 回路で refresh していた。この方式に似て、1 bit ごとに

  Source Follower type の analog active 回路が 各 1 bit 絵素ごとに装備され、近年の

  昔のMOS型の電荷転送方式が返り咲き、CMOS image sensが完成した。

(4) 次に、世界初のSONYが開発したデジカメ用高速瞬間記憶保存用Fast Cache SRAM がある。

  SONY時代に、萩原とそのチームが世界ではじめてデジカメ用高速キャッシュメモリとして

  開発した 4 MSRAM。 当時は日本では大容量のDRAMのビジネスが脚光を浴びていて

  世界発の、アクセス時間 25 nanosec の高速大容量 4 Mega bit SRAM と言っても、

  あまりその価値を理解した技術者・事業家は存在せず、冷ややかに世界は見ていた。

  この SONYの若手社員(宮司さん)が独自に考案発明したもので、萩原の開発部隊の

  リーダーとして自ら設計した、dynamic floating bit line 方式の信号高速増幅回路は、

  当時、界一の高速アクセス時間、 25 nanosec を実現した 4 MSRAM 技術として、

  そのすごさは、見る人ぞ見るで、SONYの このSRAM 技術は 世界の Intel社が認め、 

  実際、SONY製の SRAM chip は Intel 社製造のマイコンボードに採用され、大量に

  Intel 社が購入した。そのビジネスは Intel 社が SONYの SRAM 回路技術を学習し、

  Intel Processor の中に、大容量の高速 Cache SRAM を内臓するまで続いた。当時、

  SONYの萩原の開発チーム(宮司、中川原、郡、須賀、それに組織は違うが、もと萩原の

  部下であった後輩の竹下たち若手後輩技術者たち)が技術開発したSRAMは Intel 社

  だけでなく、HP社など多くの欧米の企業に認めらてSONYの半導体ビジネスを支えた。
 
(5) 最後に低速永久記憶保存用の不揮発性記装置 Nonvolatile SRAM (NVRAM)がある。

  歴史的には、 磁気テープや Floppy Disk や hard disk が採用され、愛用されたが、

  現在ではデジカメには、 Nonvolatile SRAM (NVRAM)が採用され、広くパソコンの

  USBメモリや SONY meory stick や miniDisk chip に内臓され活躍している。

  世界のNonvolatile SRAM (NVRAM)の主要メーカをリードするのは東芝で、その基盤を

  築いたのはもと東芝の外岡さんの NAND 型 NVRAM の発明であり、さらにその源と

  なったのは、もと米国ベル研の研究者である Prof. Simon Sze の Floating Gate 型

  double polysilicon gate NMOS  trasistor の メモリ動作を発明し報告した研究である。





現在の デジカメ、 すなわち、CMOS digital image sensor の実現に貢献した技術者陣には、


(1) まず、SONY時代に萩原良昭が1975年発明した Pinned Photo Diode がある。

  SONYは、近年世界発の 裏面照射型のPinned Photo Diode を実用化した。

(2) 次に、SONY技術陣(山田隆章さん、浅野勝昭さんたち)がデジカメ用に世界で

  最初にSONYの bipolar プロセス技術で開発した、SONY社内製の高速の

  Flash 型 A/D 変換回路があります。SONYの放送局用に高級ビデオカメラで、

  一台が1000万円もする高性能デジカメが世界で初めて市販されたデジカメです。

(3) 次に、過去のNMOS基本回路を改良工夫したCMOS型電荷転送装置(CTD)がある。


   改良回路の工夫には、特に pinned photo diodeに始めて active 装備した

    CMOS image sensor を考案発明した Phillips 社の技術者陣や、

   CMOS image sensor で SNAP Shot 映像を可能にした、萩原の母校でもある、

   米国のカリフォルニア工科大学( CalTech )所属の ジェット推進研究所、 

   すなわち、Jet Pulsion Lab ( JPL)の技術者陣の貢献が大きいです。
 

(4) それに、世界初のSONYの技術陣(萩原と宮司さんを含む技術部隊)が開発した
  
  デジカメ用高速瞬間記憶保存用 Fast Cache SRAM がある。

(5) 最後に低速永久記憶保存用の不揮発性記装置 Nonvolatile SRAM (NVRAM)がある。

  もと米国ベル研の研究者である Prof. Simon Sze と、もと東芝の外岡さんの貢献は偉大です。



結論として、


 (1) Pinned Photo Diode は、 SONY時代 1975年の萩原良昭の発明です。

 (2) CCD 型だけでなく、CMOS型 digital image sensor は、

    世界の偉大な、特定の複数の発明者の複合体として考案され、

    ともに世界で最初にSONYがその開発・生産技術を開発し、

    民生市場に高級ブランド SONY HAD image sensor として提供したものです。


それが、 image sensor です。






そうです。Photo Diode はビデオカメラの目のことを言います。


Photo Diodeとは、人間の目でいうと、目の網膜細胞のことです。



網膜細胞に光をあたると、網膜細胞はそれを電気信号(電荷)に変換します。

そして、目から脳にまで伸びた神経細胞の束で構成され、電気信号(電荷)を

脳まで転送する、電荷転送神経線を通って脳の一次記憶細胞に情報が

受け取られます。そうしてものを見て、目で見たものを私たちは脳で覚えます。


人間がものを見て、見たものを覚えるには、次の3つが必要です。


  [1] 目の中の網膜細胞で光を電気信号(電荷)に変換し、

  [2] 神経細胞で構成される電気信号(電荷)転送用の神経線を通って

  [3] 脳にある記憶細胞に電気信号(電荷)が到達し、記憶されることが必要です。






Photo Diode は [1] の役目をする重要な電気部品です。

人間の網膜細胞の役割をするのが、このPhoto Diodeという電気部品です。


(4) そこで最後に、 Pinned Photo Diode とは何かを説明します。







ビデオカメラは感度が命です。また、残像がなく、高速撮影が可能でなければなりません。

そうでなければ、高速で走る自動車を認知して衝突を避ける、人間が運転するより安全な、

自動走行車などは実現不可能です。


また、暗いところでもはっきりときれいに見える超高感度カメラが必要です。


Pinned Photo Diode とは Photo Diode の一種で、残像がなく、かつ超感度の

ビデオカメラを実現するのに不可欠な電気部品です。

人間の目(網膜細胞)により、はるかに超感度な鉄腕アトムの電子の目です。

超感度のロボットビジョンを実現します。










超感度は光からどれだけ大きな電気信号(電荷)が取り出せるかのことを言いますが、

このPinned Photo Diodeは、さらにいろいろな信号雑音、たとえば、

[1]暗電流雑音[2]CkT雑音[3]Trap雑音と呼ばれる雑音が少ないです。


また[4]超感度であるだけでなく[5]残像がなく、高速アクション映像を可能とします。


まさに理想的なビデオカメラを実現する、「賢い電子の目」の網膜細胞のことです。


物理的には、Pinned Photo Diodeは単純に、P型半導体物質とN型半導体物質を

3つくつけて、PNP接合型にした Photo Diode のことです。


真ん中のN型半導体物質に光電変換された電気信号(電荷)が蓄積されます。

この PNP接合型Photo Diodeを、PNP型 Pinned Photo Diode と呼びます。

同様に、NPN型 Pinned Photo Diode  も可能です。


PNP型 Pinned Photo Diode は PNP接合構造をしており、

一般に同じPNP接合構造をしているP+NPトランジスタを連想して、

P+N接合をエミッタ接合、NP接合をコレクタ接合とも呼びます。



(5) 1975年に世界ではじめて考案された Pinned Photo Diode は、

   P+N-PNsub接合(サイリスタ)型 Pinned Photo Diode でした。

   萩原がSONY勤務時代に出願した特許の中で定義されています。


   [1]基体(Nsub) に



   [2]第1の半導体領域(P)を形成し、



   [3]その上に、第2の半導体領域(N-)を形成し、光感知部(N-)として、すなわち、

     光電変換された電気信号(電荷)の蓄積部(N-)として、



   [4] この第2の半導体領域(N-)にエミッター接合(P+N-)を形成し、




   [5]第2の半導体領域(N-)と第1の半導体領域(P)で

     コレクター接合(N-P)を形成し、

   [6] 光電変換された電気信号(電荷)の蓄積部(N-)から、

     電気信号(電荷)を隣接する電荷転送装置(CTD)に

     転送することを特徴とする固体撮像装置


 と定義しています。




まさに人間の目の網膜細胞に相当する「電子の目」の定義です。


人間がものを見て脳でものを覚えるには次の3つが必要でした。

  [1] 目の中の網膜細胞で光を電気信号(電荷)に変換し、

  [2] 神経細胞で構成される電気信号(電荷)転送用の神経線を通って

  [3] 脳にある記憶細胞に電気信号(電荷)が到達し、記憶されることが必要です。





[1]の目の中の網膜細胞に相当する発明が、萩原1975年出願特許となります。

[2]の電気信号(電荷)転送用の神経線は電荷転送装置(CTD)をいう電気部品です。

  この電荷転送装置(CTD)の中には、電荷結合装置(CCD)も含みます。

[3] の脳にある記憶細胞は半導体メモリーと一般に呼ばれる電気部品で、

  パソコンのUSBメモリーは一般に普及し有名です。


    (ご参考)  Story of Pinned Photo Diode



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ここで再度 1975年萩原考案の2つの日本語特許の詳細を説明します。

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●まず、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


検索 window の document number 入力欄に 1975-126747 と入力してください。


次の裏面照射型の現在のCMOS image sensor の原点となる

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を

定義した文書とその詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、

詳細実施図(特許の実施した例を示す具体的な図)が入手できます。

詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。



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発明の名称 固体撮像装置

発明者  萩原良昭

出願人 ソニー株式会社

特許出願日 1975-10-23

特許出願番号 昭50-127647 ( 1975-126747 )

特許公開日 1977-4-26

特許公開番号 昭52-51816 ( 1977-051816 )

_______________________


特許請求の範囲
_______________________


 半導体基体の一方の主面側に、絶縁膜を介して
電荷転送用電極が被着配列される1の導電型の転
送領域が形成され、之より上記半導体基体の他方
の主面側に上記転送領域に接する他の導電型の領
域と該領域に接する1の導電型の領域とより成る
受光領域が形成され、上記転送用電極に所要の電
圧を印加することにより、上記受光領域に蓄積し
た電荷を上記転送領域に転送し、上記電荷転送用
電極に上記所要の電圧とは異るクロック電圧を印
加して上記基体の上記一方の主面に沿って電荷の
転送を行うようにしたことを特徴とする固体撮像
装置。



_______________________

特許請求範囲の公式記述文書の詳細な説明
_______________________


(1) 半導体基体の一方の主面側に、絶縁膜を介して
  電荷転送用電極が被着配列される1の導電型の転
  送領域が形成され、
_________________________




これは裏面照射型の image sensor を想定しています。
まずシリコン基体を仮にP型とします。基体(Psub)とします。

また、第1の導電型の転送領域をN型とします。領域は
基体ではありません。基体の中にある限られた領域です。

ここで、電荷転送電極に強いマイナスの電圧を印加しますと、
このN型半導体の転送領域とその上の酸化膜(SiO2)との
界面にできる反転層に プラスの信号電荷である hole(e+)が
引きつけられることになります。その結果、このSiO2の酸化膜
とN型Silicon半導体の間の界面を主面(表)とするPMOS型
の電極を使って電荷転送を実行することになります。

昔は PMOSデジタル回路が歴史的に主流でした。
CCDもPMOS型のCCDで製造していたなごりです。
PMOSの方が界面準位を減らすことが容易であり、
PMOSのしきい値電圧の制御の方が容易だったからです。
PMOS技術でCCDも具体的に製造していました。

しかし、特許の請求範囲では別にCCD型のCCD転送
装置でなくてもOKです。CMOS型の転送装置でも
適用できます。特許の請求文には貪欲に将来のために
いろいろな場合を想定して注意深く記述されています。
あくまで、この場合、PMOS型の電荷転送電極、
すなわち、P-type charge transfer gateを意味します。

_________________________






(2)         之より上記半導体基体の他方
   の主面側に上記転送領域に接する他の導電型の領
   域と該領域に接する1の導電型の領域とより成る
   受光領域が形成され、
_________________________





他方の主面側と呼んでいることから表側照射だけでなく、
裏面照射の場合も想定しています。欲張った特許です。
他方の主面側とは裏面側の主面を意味します。

また、上記半導体基体(Nsub)の他方の主面(裏)側に、
すなわち、表側の主面に沿って形成された第1の電導の
転送領域(N)を上部として、下部から接する他の導電型
の領域(P)が形成されることを意味します。これはプラスの
電荷のhole(e+)を信号電荷として蓄積する埋め込みの
領域(P)を意味します。

ここまでが、本文の、「之より上記半導体基体の他方の
主面側に上記転送領域に接する他の導電型の領域」
の部分の説明となります。

すなわち、埋め込み領域(P)の説明です。


本文は、さらに、「該領域に接する1の導電型の領域」と
続きます。該領域とは、埋め込み領域(P)のことです。

その上部には転送領域(N)と接していました。さらに、
1の導電型の領域(N)と接するとあるのは、下部からも
1の導電型の領域(N)と接するという意味です。


すなわち、PNP構造になっています。


   之より上記半導体基体の他方の主面側に

   (1)上記転送領域(N)に接する
   (2)他の導電型の領域(P)と
   (3)該領域に接する1の導電型の領域(N)とより成る

   PNP構造を受光領域として形成されるという意味です。
_________________________



(3)            上記転送用電極に所要の電
   圧を印加することにより、上記受光領域に蓄積し
   た電荷を上記転送領域に転送し、
_________________________




すなわち、P領域の信号電荷 hole (e+) を、電荷転送用の
PMOS型電極の下に移行することを意味します。つまり、
PMOS型電極に強いマイナス電圧を印加して、酸化膜に
強い電界を発生され、さらに SiO2/silicon 界面下の半導体
基体(N型)にも強い電界がかかった空乏層領域を広げ、
その空乏層が電荷蓄積領域(P型)の空乏層と密着し、
強い電界が電荷蓄積領域(P型)まで到達し、電荷蓄積
領域(P型)内の信号電荷 hole (e+)を吸い取り、それも
完全空乏化転送の形で吸い取り、最終的に、PMOS型
電極の下に反転層に信号電荷 hole (e+)にすべて移行
することになります。
_________________________




(4)                 上記電荷転送用
電極に上記所要の電圧とは異るクロック電圧を印
加して上記基体の上記一方の主面に沿って電荷の
転送を行うようにしたことを特徴とする固体撮像
装置。
_________________________





PMOS型電極に強いマイナス電圧を印加して、
最終的に、PMOS型電極の下に反転層に信号
電荷 hole (e+)にすべて移行しましたが、今度は、
そんなに強い電圧をかける必要はありません。
隣接する電荷転送装置との連携動作で表側の主面
に沿って信号電荷 hole (e+)が転送されることに
なります。ここでまた特許請求範囲を定義する
文には、この埋め込み型の蓄積部(P)が必ずしも
PMOS型電極の直下にあるとは言っていません。
ななめ方向でも特許請求範囲に含みます。

_________________________

最終的に下の図に示す構造もこの特許の示す実施図、
具体的な構造図の1つの例として、可能となります。
萩原の1975年出願の発明特許の請求範囲に含みます。

この下の例では半導体基体をN型として、第1の電導型
領域もN型としています。ただし裏面にはN+層をの主面
に沿って形成した具体例を示しています。この特許が
提案する受光構造の1つの例となります。





●もう一つの特許の説明に入ります。再度、日本国特許庁のと特許閲覧サイトに入ってください。


https://www4.j-platpat.inpit.go.jp/eng/tokujitsu/tkbs_en/TKBS_EN_GM101_Top.action


今度は、検索 window の document number 入力欄に 1975-134985 と入力してください。



下の図に示す、P+NPNsub接合( thyrisor ) 型の pinned photo diode に関する、

萩原1975年考案の発明特許の、詳細文書(まず公式特許請求範囲を定義した文書と

その詳細ないろいろ事例を含む説明文)と、その詳細実施図(特許の実施した例を示す

具体的な図)が入手できます。


詳細な説明文と詳細な実施図はあくまで例であり、簡潔に記述された

この特許の公式な請求範囲を制限するものではありません。



_______________________

発明の名称 固体撮像装置

発明者  萩原良昭

出願人 ソニー株式会社

特許出願日 1975-11-10

特許出願番号 昭50-134985 ( 1975-134985 )

特許公開日 1977-5-23

特許公開番号 昭52-58414 ( 1977-058414 )

特許公告日 1983-10-19

特許公告番号 昭58-46905 ( 1983-046905 )

_______________________



特許請求の範囲
_______________________

 半導体基体に、第1の導電型の第1半導体領域
と、之の上に形成された第2導電型の第2半導体
領域とが形成されて光感知部と之よりの電荷を転
送する電荷転送部とが上記半導体基体の主面に沿
う如く配置されて成る固体撮像装置に於いて、上
記光感知部の上記第2半導体領域に整流性接合が
形成され、該接合をエミッタ接合とし、上記第1
及び第2半導体領域間の接合をコレクタ接合とす
るトランジスタを形成し、該トランジスタのベー
スとなる上記第2半導体領域に光学像に応じた電
荷を蓄積し、ここに蓄積された電荷を上記転送部
に移行させて、その転送を行うようにしたことを
特徴とする固体撮像装置。

_______________________


特許請求範囲の公式記述文書の詳細な説明
_______________________


まず、半導体素子構造の特許ですから、半導体基体から
説明は必ず始まります。実体がないと話になりませんから。

半導体基体(Nsub)の周りは、多くのプロセス工程の結果
によるものですが、固い酸化膜(SiO2)で形成され、通常
保護されているものとします。










(1) 半導体基体に、第1の導電型の第1半導体領域
    と、
_______________________

たとえば、半導体基体をNsub とすると、第1の
導電型の第1半導体領域は P領域となります。












_______________________


(2) 之の上に形成された第2導電型の第2半導体
    領域とが形成されて光感知部と
_______________________




第2導電型の第2半導体領域は N-領域となります。
この第2半導体領域(N)は、半導体基体のNsubとは
異なり導通していません。

之(第1半導体領域の P領域 )の上に形成された
第2導電型の第2半導体領域(N-)とが接しており
N-P接合が形成されて感知部としています。
___________


下の図の N- 領域が感知部になります。






この N- 領域が感知部になります、光電変換されて発生した信号電荷(電子)を蓄積します。




下の図は感知部 N- 層に蓄積された電荷がシリコン基板の主面に対して垂直方向に

電荷転送されている様子を示します。このPNP構造の埋め込み層により、ここで

萩原は世界で初めてCCDではなく、PNP接合構造で垂直電荷転送が実現することを

思考実験により、1975年(当時26歳)発見しました。そのことは、もう一方の同時に

出願した特許( NPN型 pinn phto diode )構造でさらに詳しく説明しています。





第2導電型の第2半導体領域は N領域となります。
この第2半導体領域(N)は、半導体基体のNsubとは
異なり導通していません。

之(第1半導体領域の P領域 )の上に形成された
第2導電型の第2半導体領域(N)とが接しており
NP接合が形成されて感知部としています。
_______________________


(3)                    之よりの電荷を転
   送する電荷転送部とが上記半導体基体の主面に沿
   う如く配置されて成る固体撮像装置に於いて、
_______________________


電荷転送部は主面に沿って配置されています。

_______________________


(4) 記光感知部の上記第2半導体領域に整流性接合が
    形成され、該接合をエミッタ接合とし、
_______________________









上記第2半導体領域(N-)とエミッタ領域(P+)と
が整流性接合(P+N-接合)を形成することを意味
します。このエミッタ端子が外部電圧から固定されて
いることを示唆しています。すなわち、従来のトラン
ジスタのエミッタ端子と同様に外部固定されています。
つまり、浮遊状態でなく、ピン(pin)留めされていて、
つまり、pinned された状態を意味します。また、
このエミッタ領域(P+)は hole を majority carrier
としますので、この領域は別名、SONYでは商標登録
されていて、Hole Accumation Diode (HAD) と呼んで
います。具体的には、基体(Nsub)にP+NP接合を
形成したもので、構造上、P+NPNsub接合、すなわち、
Thyristor構造となり、非常に複雑な動作をすることは
1950年初頭にPror.Moll により研究され周知の事実です。
_______________________



(5)                         上記第1
    及び第2半導体領域間の接合をコレクタ接合とす
    るトランジスタを形成し、
_______________________

つまり半導体基体内にP+NP トランジスタ型の
感知部が形成されることになります。
_______________________





(6)                 該トランジスタのベー
  スとなる上記第2半導体領域に光学像に応じた電
  荷を蓄積し、
_______________________

上記感知部は主面下の基体の中に存在することに
なります。すなわち、ベースN領域の電荷蓄積部
が埋め込まれていることを意味します。NECは 
IEDM1982 の学会発表でこれを buried photo diode
と呼びました。しかしその構造はこの萩原の1975年
発明特許で定義された受光構造そのものです。
______________________




(7)      ここに蓄積された電荷を上記転送部
   に移行させて、
______________________




ベースN領域は半導体基体に埋め込まれています
のでその信号をまず吸い取る電荷転送電極つまり
NMOS transistorのゲート電極で形成された、
電荷転送用電極Charge Tansfer Gate 下の 
SiO2/Silicon 界面の反転層に電荷がまず
吸い込まれ移行されることになります。

これは酸化膜とシリコン結晶体(SiO2/Silicon )の
境界面すなわち界面にそった平面に対してはほぼ
垂直電荷転送( Vetical Charge Transfer )と
なります。

萩原は世界ではじめてこの垂直電荷転送を
考案したことになります。


この原理は、現在では SONYの裏面照射型の 
CMOS image sensor で実用化されています。

萩原が26歳の時(1975年)に考案して発明特許を
出願してやっと40年以上が経過しての実現です。。。
______________________



(8)        その転送を行うようにしたことを
   特徴とする固体撮像装置。
______________________

転送する転送装置はCCD型の転送装置だけでは
ありません。現在ではCMOS型の転送装置が主流
となりました。半導体の微細化技術により、配線
容量が減少し配線雑音(CkT雑音)が減少し、もはや
CCDが不要となりました。CCDは基本的に
クロック容量が大きく、その充放電に消費電力が
無視できない程大きいです。また原理的に転送
効率は99.999%以上は不可能で4000x3000画素、
すなわち 1500万画素の High Visio TV 画像や
4000万画素(4K)や8000万画素(4K)の
High Visio TV 画像には適用が不可です。


配線雑音が半導体の微細化で減少することは
水道管でたとえる理解しやすいです。

つまり、送る水の量が少ない細い水道管の方
が、信号として使用する送る水の量が少なく
てすみます。太い水道管より、送る水の量
(信号)が簡単に調整できることからも理解
できます。細い水道管の方が、忠実に送る側
が出すの水の量(信号)受け取り側の蛇口に
伝達できるからです。半導体の微細技術の進
歩は極端に微細化された水道管を実現したこ
とになります。信号の大きさ(S)は今までの
大きさのままです。配線雑音(N)は水の容量に
比例します。水道管が小さくなると流す水の
量も少なくなり、それに比例した雑音(N)が
極端に減少します。結果として S/N が非常に
向上し、CCDの配線容量とほぼ同等となり
今まで大活躍してきたCCDが省エネの傾向
に負けて、最終的に消える運命となりました。

______________________

最終的に下の図に示す構造もこの特許の示す実施図、
具体的な構造図の1つの例として、可能となります。
萩原の1975年出願の発明特許の請求範囲に含みます。





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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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以上を再度まとめます。

   日本国特許の検索サイト に、萩原良昭 と入力すると、萩原のSONY時代の

   特許リストとその内容が閲覧できます。 「71件ヒット」 と掲示されます。


   そこをクリックして 71件のリストの中から、

   66番 50-134985 (P+NPNsub接合型のPinned Photo Diode の発明特許) と、

   67番 50-127647 (NPNN+ 接合型のPinned Photo Diode の発明特許) を見てください。


また、海外版の日本国特許検索サイト では、 Japanese Patent Number の欄に 


  (1) 1975-134985 と入力しますと、 萩原がSONY時代に申請した、

   P+NPNsub接合型のPinned Photo Diodeの発明特許の詳細が閲覧できます。


  (2) 1975-127647 と入力しますと、萩原がSONY時代に申請した、
 

   NPNN+ 接合型のPinned Photo Diodeの発明特許の詳細が閲覧できます。


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 Pinned Photo Diode の基本特許

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世界初の裏面照射型のイメージセンサーの基本特許でもあります。

その発明者は当時26歳のSONY勤務だった萩原良昭です。

この構造が今の世界の超感度デジタルカメラの原点です。

この特許の出願日は 1975年10月23日です。





また、世界で最初の残像なし受光部を持つ、pinned photo diodeの発明でもあります。

シリコンチップを薄く削り、裏面を受光面として N+N層として、

受光部で電荷蓄積部を埋め込みのP層として、N+NP接合を形成します。


その結果、N+NPN 型の Pinned Photo Diode となっています。


シリコンチップを薄く削る前に表の表面層に従来のMOSトランジスタ回路

を形成します。CCDもその時に形成できます。今ではCCDは不要になりましたが。

図7は、裏面から照射された光で光電変換された信号電荷( Hole = e + ) を

表側に形成された MOS 型の転送電極下に吸い取られる状態を描いています。

この信号電荷( Hole = e + ) が完全に吸い取られることができることも

図7は明示しています。すなわち、完全空乏化電荷転送が可能であることを

示唆しています。これはたいへん重要なことです。残像なしの高速アクション

撮影が可能なビデオカメラを実現することができます。さらに、CCDの様な

MOS型の受光構造でないので、光が通過できて超感度のビデオカメラを

実現することができます。


この特許の存在を世界は知りません。




1975年当時、萩原がSONYでこの特許を出願した時、

こんなシリコンシップを薄く削って両側に半導体デバイス構造を

形成するなど実現不可能と上司に笑われた記憶があります。


SONYにはまったく pinned photo diodeの良さについて理解して

くれる人は誰もおらず、萩原は孤独でした。


SONYでただ一人の理解者が当時の岩間社長でした。

岩間社長は物理学者であり、SONYでトランジスタを開発した

最高責任者でもあり、半導体物理を理解した唯一の萩原の

相談相手でもありました。


岩間社長の一存で、プロセスがより単純なFT型のCCD imagerに、

この萩原考案の pinned photo diodeが搭載され試作に成功し、

1978年にSONYは東京で岩間社長がNewYorkで盛田会長が

同時に新聞発表をする、SONYではビデオカメラ時代の到来を

示す歴史的なイベントとなりました。






裏面照射型の特許出願 1975年10月23日の後、

もう1つ、PNP型の 表面照射型の pinned photo diodeの特許も

1975年11月10日に出願しています。



このPNP型のpinned photo diodeを採用した FT 方式 image sensorの

試作に成功し、SONYは1978年にその内容を新聞発表しています。


このPNP型のpinned photo diodeは、あくまで受光部の構造特許であり、

FT 方式 image sensorだけでなく、 IT 方式の image sensorでも

CMOS image sensor でも搭載可能です。


NECの寺西さんの開発部隊が IEDM1982に pinned photo diodeと搭載した

 IT 方式の image sensorの原理試作を世界ではじめて発表しました。


しかし、pinned photo diodeと搭載の IT 方式の image sensor は、

萩原の1975年特許の実施例の1つとして明記されており、あくまでこれは

萩原の発明で、NECの寺西さんは pinned photo diode を発明していません。

 







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特許名称  固体撮像装置

特許番号 昭50-134985

出願 1975-11-10

公開番号 昭52-058414

特許公開日 1977-5-13  

発明者  萩原良昭

出願者 ソニー株式会社

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    特許請求の範囲 (非常に短く単純明快な構造特許である)

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半導体基体(Nsub)に、第1誘電型の第1半導体領域(P)と、

之の上に形成された第2誘電型の第2半導体領域(N-)とが形成されて

光感知部と之よりの電荷を転送する電荷転送部(CTD)とが

上記半導体来たいの主面に沿う如く配置されて成る固体撮像装置に於いて、

上記光感知部の上記第2半導体領域(N)に整流性接合(P+)が形成され、

該接合をエミッタ接合(P+N-)とし、上記第1及び第2半導体領域間の接合を

コレクタ接合(N-P)とするトランジスタ(P+N-P)を形成し、

該トランジスタ(P+N-P)のベースとななる上記第2半導体領域(N-)に

光学像に応じた電荷を蓄積し、ここに蓄積された電荷を

上記転送部(CTD)に移行させて、その転送を行うようにしたことを

特徴とする固体撮像装置。




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この特許は単純に次の4つの部分で形成された構造体特許です。

半導体基体(Nsub)、エミッタ接合(P+N-)、コレクタ接合(N-P)、転送部(CTD)。


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この特許は非常に単純ですべての撮像装置の基本となる特許です。

具体的には、単純に、P+N-PNsub接合を光感知部としています。

隣接する転送部(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置ということです。

また、第2半導体領域(N-)に光学像に応じた電荷を蓄積し、

ここに蓄積された電荷を上記転送部(CTD)に移行させて、

その転送を行うようにしたことを特徴とする固体撮像装置としている。


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またその具体的な電荷転送が完全空乏化電荷転送であることを、特許の図6Bが示しています。

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また特許の図5では、この受光部(N-)の濃度を隣接する埋め込みチャネルCCDの埋め込み

チャネル層の比較的薄く制御された濃度(N-)と同等と図示しています。これがさらに受光部(N-)

の完全空乏化電荷転送を可能にすることを示唆しています。この事例図では受光部に金属

コンタクトが存在しますが、あくまで option (自由な選択肢)です。特許請求範囲には金属

コンタクトのことはなにも言及していません。あくまでこの図は事例、実施例図です。

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半導体産業人協会 (SSIS)の教育委員としても奉仕しています。

 半導体産業人協会主催の 半導体技術講座の案内 です。


  秋の半導体技術講座のプログラム内容です。




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 この秋の半導体技術講座の中で、「賢い電子の目」と題してして 

    image sensor についての技術講座を担当しています。

          これはその補足資料です。


        
      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ


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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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   半導体物理学の豆知識   Pinned Photo Diode とは?

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血液型には大きくわけて、A型、B型、AB型とO型の4つがありますが、
一般には他の人に緊急時輸血できる血液型の種類として分類されます。
輸血できるかできないかだけが重要でほかの性質やそれが何なのかなど、
細かい知識は、私の様な医療関係には全く知識のない人間にはわかりません。

難しい医療関係の知識がなくてもこの程度の血液型のお話は一般常識でしょう。

ここで説明する半導体物理学のお話も本当はたいへん専門的で複雑なお話です。
しかし一般常識程度にお話しを単純化して説明できるかどうかこれから挑戦します。

さて、同様に一般の物質も電気を通すか通さないかで4つの型に分類できます。

具体的には、まず、電気を簡単に通す性質を持つ物質をM型といいます。
逆に、電気を人間がどう扱っても全く通さない物質をO型といいます。この
2つの種類の物質は人間がどうこうできない、一般に自然界にある物質です。

電流を少し通す物質もありますが、それは人間がどう使うかで、時には使う
応用目的から見ると電気を通すM型と解釈されたり、別の応用では流れる
電流が少ないのでO型と解釈されるもので一般にR型と呼びます。炭素の
粉を固く棒状に固めると電圧に比例して電流を流すことができます。これを
電気抵抗体( resistor ) と言いますが、R型の物質の典型的な例です。

このM型とO型と、その中間のR型は人間がどうしようもない物質です。

それに対して、人間の力で思うがままに自由に電気の流れを制御できる
物質が2つあります。その物質をN型物質とP型物質といいます。この2つ
をあわせて半導体( semiconductor ) ともいいます。半導体の典型的な
物質にシリコン結晶体があります。地球上の岩成分としてシリコン原子は
豊富に自然界に存在します。

電流が全く通さない物質を絶縁体とも言いますが、それはO型の物質です。
ガラスやビニールや紙などがあります。これらはすべてO型の物質です。

また非常に電気を通しやすい物質に金属があります。それはM型の
物質です。金、銅、銀、鉄、アルミなどがその仲間です。

パン(M)の間に卵(O)をはさんだ卵サンド(MOM構造)を連想して
ください。この卵サンド型のMOM構造を電気容量(コンデンサー)と
呼びます。電気を蓄積できる電池構造になっています。

またN型の物質とP型の物質を接合させたPN接合構造はダイオード
と呼ばれる電気部品になります。

このPN接合構造に光を照射しますと、光エネルギーを電気エネルギー
に変換することができます。これを太陽電池といいます。光の強度に
従い、、強度に比例して電流が取り出せます。

もしこの太陽電池を横に4000個、縦に3000個並べて合計1200万
個の太陽電池の集合体とすると、レンズを使って結像すれば、平面画像
を検知する平面画像センサーとして使うことができます。

いわゆる1200万画素の固体撮像装置 ( Soild State Image Sensor )
と呼ばれるものになります。

また、P型の「パン」にN型の「卵」をはさんだ卵サンド(PNP構造)と
しますと、このPNP接合構造はPNPトランジスタ―と呼ばれる電気
部品になります。真ん中のN領域に横から少しの電流を流し込むと
PNP接合構造を縦に貫通する大電流(約100倍)の電流を流すこと
が可能となり、トランジスターの電流増幅作用と呼ばれるものです。

1975年当時、これらの物理現象は周知でした。当時SONYに勤務
していた萩原は、それではこのPNP構造に光を照射したらどうなる
かなあと思いました。当時は既に真ん中のN領域を固定電圧、ピン
とめ ( pinned ) とせず、すなわち浮遊( floating )として、この N領
域に光を照射して、結果として少しの電流を光電変換で生じさせて
その小電流の変化分を、PNP接合構造を縦に貫通する大電流に
増幅して光電変換信号をPNP接合構造の縦(上下)から取り出す
光センサー素子として、photo PNP transistor と呼ばれるものが
存在しました。この構造は太陽電池であるNP接合の上にもう一層
のP領域を接合してPNP接合としたものです。真ん中にN層が光電
変換された信号電荷の蓄積部となります。上層の新たに追加された
P層の電圧は固定(ピンとめ)された状態となっています。英語の
pinned の意味は、単純にピン(pin)でピンとめされた状態の事です。

萩原がまだ母校( CalTech)での学生であった頃、米国ベル研で
電荷転送装置(CTD)の一種で、電荷結合装置(CCD)という、
すばらしい発明のことを知りました。この電荷結合装置(CCD)は
その頃知られていた電荷転送装置(CTD)の特徴を更に改良した
もので、完全空乏化電荷転送を可能とした半導体素子でした。

完全空乏化電荷転送とは、電荷を水に例えますと、バケツに入った
水を隣のバケツに移す時、すなわち電荷転送てするとき、バケツに
残る水を完全に空(から)にして、バケツの水を全部完全に隣の
バケツに移すことができることを意味します。水の取り残しが完全に
ない転送方式です。これがCCDという電荷転送装置のすばらしい
特徴で、この発明者はノーベル賞を受賞しています。

この完全空乏化電荷転送とは、残像のない、高速アクション映像を
可能とする、すばらし固体撮像装置( Soild State Image Sensor )
の発明であることを意味します。

萩原の1975年の着想は、この Photo PNP transistor ぼ受光構造
すなわち、人間の目で言うと、網膜細胞に相当するものに光を照射し
電気信号を取り出す際に、その電気信号を網膜細胞から脳まで
伝達する必要が生じますが、その手段に電荷転送装置(CTD)を
使ってはどうかと考えました。さらに、新しく発明された電荷結合
装置(CCD)の特徴である、残像のない、高速アクション映像を
可能とする、完全空乏化電荷転送機能が、このPhoto PNP
transistor構造でも実現可能であると世界で初めて考えました。

従来の、このPhoto PNP transistor は、単純にPNP接合を縦に
貫通する電流を出力とする Static 型の Photo PNP transistor
増幅動作でした。

しかし、本来のPNP transistorの増幅動作とは関係なく、単純に
光電変換で生じた信号電流を増幅せず、そのままの電流量(電荷)
を隣接する電荷転送装置(CTD)に信号電荷として横方向に吸い
取ることが可能であると萩原は見抜き、萩原はSONYに入社して
すぐ、世界で初めて、その着想をまとめ、1975年にそれを日本特許
として申請しました。

萩原の発明の以前までは、単純なNP接合構造のPhoto Diodeの
電流量、すなわち、光電変換された信号電荷を、隣接する電荷転送
装置(CTD)に転送することは周知でした。

しかし、萩原は、世界で初めて、Photo PNP transistor型の接合
構造型の受光構造から 電流量、すなわち、光電変換された信号
電荷を、隣接する電荷転送装置(CTD)に転送することを世界で
初めて提案しました。



当時1975年ではまだ pinned photo diode という名称は生まれて
いませんでしたが、これは現在では世界一般にpinned photo diode
と呼ばれるものです。

また、SONYでは、商標を登録し、SONY original HAD sensor 搭載の
image sensor と呼んでいるもので、世界のすべてのビデオカメラや、
デジカメやスマフォ搭載の小型カメラに起用された、まさに鉄腕アトムの
「賢い電子の目」の発明です。それが Pinned Photo Diode です。




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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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       半導体産業の発展と特許の役割について

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日本の家電の大手のPanasonic(松下電機産業)の源点は創設者の
松下幸之助さんが「ふたまた電球」の発明特許を出願しその事業化
に成功したことがはじまりと言われています。世界の高級家電大手
のSONY(東京通信工業)の源点は創設者の井深大さんが米国の
ベル研究所で発明されたトランジスタの潜在価値を世界でいち早く
見抜きその特許使用権を購入し小型トランジスタラジオの事業化に
成功したことがはじまりと言われています。SONYはさらにカラーTV
のトランジスター化にいち早く取り組み、米国のTI社から Bipolar
transistor の集積化技術(キルビー特許)の潜在価値を、これも、
世界でいち早く見抜き、その特許使用権を購入し、小型カラTVの
事業化に成功しました。さらにSONYの創設者の盛田昭夫さんの
義理の弟だった岩間和夫さんが、米国のベル研究所で発明された
CCDの潜在価値を世界でいち早く見抜き、その特許使用権を購入し
CCDビデオカメラの実用化にいち早く取り組み、それが源点となり
基礎となり、SONYは世界で現在 CMOS image sensor の市場を
制覇する勢いとなりました。世界の高級家電メーカとしてSONYを
長い間支えてきたのは、まずこれらの産業特許の権利化に取り
組んだ技術系の経営者の存在があり、さらにその事業化に貢献
した多くの勤勉な半導体開発・生産技術者の存在があります。

世界の半導体 TOP の Intel 社の源点は、MOS トランジスタの
製造技術特許 ( イオン打ち込み技術による Polysilicon 電極
との self-sligning による Source と Drain 領域の形成技術)
にあります。それを武器に、MOS トランジスタによる小型半導体
メモリ(DRAM)の事業化に成功し Intel は発展しました。さらに、
Intel 社の創設者の Gordon Moore 氏は、MOS 集積回路の
微細化技術の進化を見通し、MOS トランジスタの scaling 則を
基本とする、Intel Processorの事業化に関する将来 vision を
確実なものとしました。この MOS トランジスタの scaling 則は
強力で、最終的には、CCD image sensor 市場をも奪い、現在、
CMOS image sensor が市場を制覇する勢いとなりました。

世界の半導体産業の発展を長い間支えてきたのは、これらの
産業特許の権利化に取り組み、その将来 vison を持ち、強い
指導力 ( leadership ) を発揮した、技術系の経営者の存在が
あり、さらにその事業化に貢献した多くの勤勉な半導体開発と
生産を担った技術者の存在があります。創造力と勤勉努力の
2つの力の結晶が産業の発展の源点です。どちらが欠如しても
産業の発展は実現しません。

将来の日本の産業、半導体産業の発展の鍵は人工知能です。

人工知能には、まず 第1 に、外の世界を感知す為にセンサー技術
の発展が必要です。第2 に、感知した情報を一時記憶する半導体
メモリー技術の発展が必要です。 第3 に、その記憶情報を高速に
並列処理するプロセッサ技術の発展が必要です。そして、最後に、
その強力なプロセッサーの演算を効率よく実行する手順 algorithm
を定義した software 技術の発展が必要です。

人間が知能を持つのは、まず物理的に高度に進化した頭脳という
hardware を保有し、この世に誕生してから いろいろと教育を受け、
学習し、知能(知識と知恵)という software 持つことが必要です。

人工知能も、まずしっかりした hardware を保有し、その上で効率よく
実行する手順 algorithm を定義した software 技術の発展が必要です。
 

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   萩原良昭 ( pinned photo diode の発明者) の略歴

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1948年7月4日京都市生まれ。1961年京都市洛星中学入学。
1965年京都市洛星中学を渡米の為中退(17歳)。米国の
カリフォルニア州 Riverside市の市立技術工業高校である
Riverside Polytechnic High School に高校2年生で編入。
高校3年生の時、飛び級で、Riverside City College の
大学2年生の数学の授業を受ける。1967年 Pasadena市の
California Institute of Technology ( CalTech )に入学。
1971年BS、1972年MS、1975年PhD博士の学位を受ける。

1971年の夏と1973年の夏に一時帰国し、その時に大学院の
留学生(前田さんと樋口さん)の紹介でSONYの厚木工場で
実習生として勤務し、当時カラーTV用の信号処理 Bipolar
ICの信頼性技術と Bipolar Transistorのプロセス技術を学ぶ。


博士論文のテーマは当時脚光を浴びていた「埋め込みchannel
型CCDの完全空乏化電荷転送のメカニズムの関する解析」に
ついてであった。その研究成果は、computer simulation 動画
の形に、母校 CalTechのジェット推進研究所(JPL)のコンピュータ
システムを使い computer animation として仕上げ、1974年の
2月に 米国 Philadelphiaで開催の半導体集積回路の国際学会の、
ISSCC1974で発表した。その1年後、母校Caltechで博士課程を
終了し、博士課程の最終口頭論文試験に合格してすぐ、6月の
卒業式を待たず帰国。当時、SONYの技術担当副社長で、米国の
SONY America の会長を兼務していたの岩間和夫氏は、未来の
家庭用ビデオカメラの研究開発を会社の重要テーマとして位置づけ
していた。その開発部隊の技術者として期待され、岩間和夫氏との
個人面談のもと、入社試験も受けず、岩間和夫氏の一言で入社が
決定され、1975年2月20日SONYに途中入社し、横浜中央研究所の
情報処理研究室に配属され image sensor とそのビデオカメラ
システムの開発研究部隊の一員として勤務することになった。

入社後すぐ image sensor の半導体受光構造に関する特許を
出願した。1975年11月10日その日本国特許が公式登録された。

社内での出願当時は、萩原はまだ母校( Caltech )の学生でも
あり、かつSONYの社員でもあった。従って、この特許は正確には、
SONYと母校のCalTechの両者が工業権を主張できる性質のもの
であるが、当時は、今ほど特許の醜い利害関係をどうこうすることは
ほとんどまだなかった時代であった。特許が防御特許として登録され、
発明者の名誉が守られ、また特許権保有の企業としても、特許が
出願され申請登録されることにより、自社の、その特許を使った製品
の事業化が、他社からの攻撃を受けず保護されれば、それだけで、
特許出願の役割を果たすことになると考えられていた時代だった。


当時、CCDは完全空乏化電荷転送装置として脚光を浴び、
その成果は、高性能 CCD image sensor の実現により、
そのCCDの発明者のノーベル賞の受賞となった。

萩原は、このCCDを学生時代の博士論文のテーマとしていた事もあり、
このCCDの完全空乏化電荷転送のすばらしい特徴に注目していた。

しかし、CCDは本来MOS構造で金属電極を持ち、金属は光を遮断し
反射するので光感度がよくなかった。ビデオカメラは感度が命だった。

そこで、超感度のビデオカメラの開発を担当していた萩原は、SONY
での過去の実習経験をヒントに、CCDだけでなく、従来の bipolar 型でも、
このCCDだけだと思われていた完全空乏化電荷転送が可能である
ことに気づいた。そして、それをすぐに発明特許にまとめ出願した。

さらに、より超感度の受光素子構造としては、CCD受光構造よりも、
むしろ、この bipolar 型の受光構造が有利であることに着目した。

それが 1975年萩原考案の pinned photo diode の発明特許である。

萩原は1971年と1973年の夏にSONY厚木工場のカラーTV用の
信号処理 Biploar トランジスタの製造ラインで信頼性技術の
実習生として指導を受けていた。その経験をヒントに特許を考案。

Biploar トランジスタの信頼性問題(サイリスタ動作による latch-up
誤動作)を学んだ時のBiploar トランジスタの構造をそのまま半導体
受光構造としても、完全空乏化電荷転送が可能であることに気づいた。

さらに、より超感度の受光素子構造としては、CCD受光構造よりも、
むしろ、この bipolar 型の受光構造が有利であることに気づいた。

CCD構造ではMOS容量型で上部に金属性の電極が必要で、金属は
光を遮断・反射するので超高感度の受光素子には絶対になり得ない。

従来型の N+P接合型の photo diodeの受光素子の方が感度の良い事は
当時ではすでに周知だったが、N+層は、NMOS トランジスタの Source
とDrain 領域の拡散層の濃度で、金属コンタクトを取るために濃い濃度N+
が採用され、それをそのまま受光構造としていたので残像がひどかった。

受光部を、すなわち光電変換された光電子の蓄積部を、バケツにたとえ、
かつ、光を光電変換して発生した光電子を、水にたとえると、そのバケツに
たまった水を完全に転送し、バケツを、完全には空にはできなくて、転送
残りが生じ、それが残像の原理となっていました。

しかし、萩原は Biploar の IC 技術に少し手直しすることで、転送残り
のない受光部が実現できると気づいた。


萩原は、基板NsubにP+NP接合型のBiploar トランジスタを形成した
プロセス技術、SONY厚木工場で製造していたBiploar の IC 技術に、
少し手直しすることで、転送残りのない受光部が実現できると気づいた。

そうすることにより、より超感度でかつ完全空乏化電荷転送が可能と
なることに気づいた。すこしの手直しとは、当時のP+NP接合型の
Biploar トランジスタの base領域の濃度をうすくすることでした。

当時すでに周知の埋め込みチャネル型CCDの埋め込みN層の濃度と
同じ程度に薄くすることでした。


埋め込み型チャネルのCCDと同様に埋め込みN層と同じ濃度にして、
その結果、P+NP接合型のBiploar トランジスタのbase領域のN層の
濃度を薄めることにより、P+NPNsub 接合型の受光素子構造でも、
受光層Nの完全空乏化電荷転送が可能であることに萩原は着目した。









萩原は、1975年SONY入社して間もなく、発明特許出願し、その特許は
1975年11月10日に公式に日本国特許して申請登録された。そして、
その時、SONYの pinned photo diodeの工業特許権利が確立した。

SONYは、その後生産技術の確立に合わせて、商標を登録し、生産展開し、
SONY original HAD 搭載の超感度 image sensor の brand が誕生した。

SONYは、萩原の特許に守られ、ビデオカメラの世界市場制覇することとなった。

そしてその勢いは今でも続き、超感度、低雑音、低暗電流、残像なしで、
高速アクション画像を提供する、SONY original HAD sensor 技術搭載の
CMOS digital image sensor 技術として、後進技術者に継承されている。


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これは、その image sensor の基本となる萩原発明の半導体受光構造のお話です。 


すなわち一般に pinned photo diode と呼ばれる半導体の受光構造です。

また、SONYでは Sony original HAD sensor として商標登録されました。

pinned photo diode とSONYの Sony original HAD sensor は同じものです。


CCD image sensor の事業化に大きく貢献しました。そして、現在も、

Sony original の HAD sensor 搭載の CMOS imagesensor として貢献しています。 



これは、超感度・低雑音・低暗電流で、残像のなく、高速 action 映像を可能とする、

高性能 image sensor の基本となる、萩原1975年発明の半導体受光構造のお話です。
 

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T
he AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 001

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com


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                     内容紹介

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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Pinned Photo Diodeについての以下の画像からもわかるように、

Pinned Photo Diodeの資料はほとんどが 1980年以後のものです。


 萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。

     Pinned Photo Diode Patent の画像 (1)

     Pinned Photo Diode Patent の画像 (2)


Pinned Photo Diode と SONY HAD ( Hole Accumulation Diode ) は同じものです。

     Sony HAD sensor Patent の画像 (1)

     Sony HAD sensor Patent の画像 (2)



 萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。


Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。


萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの超高感度・低雑音・低暗電流の特徴は

1978年にSONYが Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した FT CCD image

sensor で原理試作され、その後 1980年になってから他社からも追従した形で多くの

Pinned Photo Diode を受光構造に採用した image sensor の原理試作の発表が

ありました。しかし、最初に、その原理試作を発表したのも、Sony Original HAD の

商票登録して商品化に成功したのは、萩原がその開発部隊として従事していたSONYです。


 参考文献 

(1) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した、 
  世界最初の残像なし超感度のFT CCD image sensor の原理試作の論文発表

  Yoshiaki Hagiwara, Motoaki Abe and Chikao Okada,
  
  " A 380H x 488V CCD Imager with Narrow Channel Transfer Gates",
   Proceeding of the 10th Conference on Solid State Devices, Tokyo, 1978.

(2) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した 
  世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の原理試作の論文発表

  N.Teranishi et al ; "No Image Lag Photo Diode Structure in the
  Interline CCD image sensor", IEDM Tech. Dig. Papers, pp.324~327, 1982
  
●SONYは 1984年には、 この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを

  受光構造として採用した 世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の

  商品化に成功し、Sony original HAD Sensor の商標を武器に、萩原特許に守られ、

  世界市場を制覇しました。


  一方、NECは、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの受光構造に

  関する SONY-NEC 特許戦争に敗れ、image sensor から撤退することになりました。

  世界で最初に原理試作できたのも、すでに 1975年萩原特許は 1978年に公開特許

  となり、その萩原1975年には明確にその実施例の1つとして、残像なし ILT CCD 

  image sensor の構造図が描かれており、その実現は時間の問題です。SONYは

  原理試作を学会発表することよりも、量産技術・信頼性技術の確立を優先しました。

  そして、早期に image sensor の世界制覇を実現しました。


  一方、米国の Faichild社からも、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの

  受光構造、特にその built-in vertical OFD 構造に関してですが、10年に渡り特許権に

  関する攻撃を受けました。SONY-Faichildの特許戦争(1991~2001)です。


  米国Faichild社が保有する特許の出願は 1975年7月22日でした。

  
  一方、SONYの萩原発明の 「 built-in vertical OFD 構造付きの pinned photo diode 」 

  の特許の出願が 1975年11月10日です。


  このほんの数か月の特許申請の遅れがSONYを10年間に渡り、悩ませました。


  幸いにも、米国Faichild社の特許構造とSONY萩原特許の受光構造には、

  大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いでした。


  (1) 米国Faichild社の受光構造は 表面型CCD型のMOS容量の受光部、

     SONYの萩原発明の受光構造は、 pinned photo diode の受光構造。


  (2) 米国Faichild社の縦型OFD受光構造は、Metal/Oxide/P/N+ /構造で、

     SONYの萩原発明の受光構造は、 Oxide/P+/N/P/Nsub 接合構造で、

     いわゆる別名、Thyristor 構造として知られているものです。

   
     その動作特性の1つである、PNP transistor型受光部のPunch-Thru 動作

     を応用して、built-in vertical OFD 機能を実現したものでした。


  大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いです。

  しかし、全く、半導体物理の基礎を身につけていない、裁判関係の方々に

  説明しご理解いただくことは、SONYにとって、たいへん苦しい挑戦でした。














  萩原の1975年の発明特許 と 1978年のSONYの新聞発表が原点です。

Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。
















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            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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これは人工頭脳(人工知能を搭載したコンピュータ)がどの様に外の世界を認識し

理解し、人間の様な振る舞いをするのかを研究するお話です。まずは、外の世界

を人工頭脳が感知(sensing)するかの勉強から始めます。人間でいうと、人間の

目の網膜に相当する受光素子構造のお話です。人間がものを見て理解するには、

すなわち、外の世界の情報が脳の中に取り込まれるには、大きくわけて3つの

部分が必要です。すなわち、




(1)光信号を信号電荷(電子のかたまり)に光電変換する、目の網膜細胞と、

(2)その信号電荷を網膜細胞から脳に伝達する神経線(信号伝達線)と、

(3)神経線で送られたきた信号電荷を受け取る、脳の中にある記憶細胞です。




この3つの部分が機能してこそ、外の世界の情報が脳の中に取り込まれます。


人間の体は炭素・酸素・水素・窒素等を主成分とする構成物質で形成されます。

しかし、人工頭脳は、シリコン・酸素・金属原子を構成物質とする半導体という

物質で構成されます。



(1)目の網膜細胞に対応するのが P+NPNsub 接合の半導体構造です。


   1975年2月20日にSONYに入社し、ビデオカメラの開発研究をしていた

   萩原良昭が 1975年11月10日に申請受理され、SONYの特許権利化が

   成立した発明特許です。「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に

   関する発明特許です。

 
   現在、世界で広く活躍するビデオカメラやスマホや産業ロボットの

   「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に関する発明特許です。

  
   SONYはこの萩原考案の発明特許を武器にし、長年の他社からの

   特許権利化戦争に勝ち抜き、SONY original HAD sensorの商標で

   SONYの商品ブランドイメージを確立させ、多くの勤勉な技術者の

   研究・開発・生産に渡るすべての分野での絶え間ない努力の結果、

   CCD image sensor の市場を制覇し、さらに CMOS image sensor

   の市場をも制覇するに至りました。



   この人工網膜構造が一番重要です。光信号を電気信号に変換する

   構造体です。その光電変化効率が一番重要です。超感度で、残像が

   なく、かつ低雑音で、低暗電流を特徴とする画像を提供することできる、

   この高性能な光電変化機能を持つ、光受光素子構造が一番重要です。



(2)つぎに、網膜細胞から脳に信号電荷を伝達する神経線が必要となります。


   この信号電荷を脳に伝達する神経線に対応するのが、CCDと呼ばれる

   電荷結合装置でした。信号電荷を効率良く低雑音で、すなわちCkT 雑音

   と言われる画像雑音が非常に少ない、CkT 雑音の少ない、非常にきれいな

   画像を提供してくれる半導体素子としてCCDは 1969年に発明されました。


   これはすばらしい発明でした。萩原の学生時代でした。萩原は大学院の

   研究室でこのCCDをdoctor 論文の研究のテーマとして選びました。3人

   の恩師の教授、Prof.C.A.Mead, Prof.T.C.McGill とProf. James McCaldin

   の指導のもと、埋め込みチャネル型CCDの完全空乏化電荷転送の動作

   解析をPhD論文のテーマとして論文を完成させて、1975年2月10日には

   SONYに入社しSONY 横浜中央研究所に配属され、CCD image sensor

   の設計開発とそのビデオカメラシステムの研究に従事しました。


   そして、CCD image sensorは 1980代に入り民生用として完成しました。

   それ以来、長い間、低雑音のビデオカメラの発展に貢献してきました。


   しかし、超高感度ビデオカメラとしては、CCDは貢献していません。


   超感度を実現するのは、(1)の半導体受光素子が不可欠です。


   ビデオカメラの性能は 信号(S) と雑音(N) の比 ( S/N ) で決定されます。


   CCD は、 分母の雑音(N) を小さくするのに大変貢献してきました。


   CCDは 電荷転送配線回路の雑音(CkT雑音)が非常に小さい

    電荷転送装置 ( CTD ) として長年たいへん重要な役割を

   担ってきました。低雑音化にCCDは多大な貢献をしてきました。




   しかし、今では、半導体技術の微細化に伴い、絵素1つ1つに受光部に

   直接 active 回路、という電圧電流増幅回路を装備して信号を増幅する

   ことが可能となりました。


   また半導体の製造工程もCCDより CMOSプロセス工程の方が簡単です。

   それも追い風になり、実用レベルに削減できた低雑音のCMOS のデジタル

   回路型の半導体電荷転送装置が主流となりました。


   さらに半導体技術の微細化に伴い、CCD型電荷転送方式と比較して、

   CMOS 型の電荷転送方式を採用した CMOS image sensor の方が、

   格段に 消費電力の削減が可能となりました。


   さらに、転送効率からくる、原理的な CCDの限界があります。すなわち、

   「CCD型では信号電荷の転送効率と言われるものが 99.999% 以上は

    不可能である。」 という限界があります。


   その理由は、水平画素数が 4K ~8K などの high vision TV 用となると、

   隣接する絵素の間の混色率が、 


    10K = 10000 ですので、00.001 % x 10000 = 10 % 近くになり、


   この10%の混色率は、無視できる値ではありません。

 
   その結果、色再現が悪い、混色が目立つ、画像の極端な劣化を招き、

   もはや、CCD型の 転送方式を採用した CCD image sensor では、 

   実用に耐える、高画素数の高解像のビデオカメラの実現が不可能です。
   

   

   その理由で、CCD型は画素数の少なかった時代には大変貢献して

   きましたが、今では、CMOS デジタル回路型の半導体電荷転送装置

   が主流となっています。CMOS image senor が主流です。


   これが理由で、昔はCCD image sensor が脚光を浴びていましたが、

   今では、CMOS image sensor と呼ばれる電荷転送方式の image

   sensor が現在主流になっています。

   
   CCD 型とか CMOS 型とかいう、image sensor につく名称の由来は、

   信号電荷をどの様に転送されるかを、すなわち、その転送方式の違いを

   示した転送方式の違いを区別した名称であるということです。


   すなわち、CCD 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を 

   CCD image sesnorと言います。


   一方、 CMOS 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を 

   CMOS image sesnorと言います。



   しかし、光を感知して、光信号電荷(電子のかたまり)に変換するのは

   光電変換構造です。この(1)の網膜構造のことです。


   この(1)の網膜構造が一番重要です。超感度で、残像なし・低雑音で、

   低暗電流を特徴とする高性能光受光素子構造が一番重要です。

   
   この(1)の光電変換構造が、CCD image sensor と CMOS image sensor

   両方の性能を左右します。


   この(2)の信号電荷転送部は、CCD image sensor方式の信号電荷

   転送構造よりも、CMOS image sensor方式の信号電荷転送構造の

   方が、半導体微細化技術の進歩のお蔭で、有利になりました。


   
   CCD image sensor方式では、転送できる画素数に限界があり、また、

   原理上CCD電極容量の充放電にかかる消費電力も致命的となり、

   CCD 型の信号電荷転方式は市場から消える運命となりました。


   これが、世間一般に現在良く愛好家の間で、「CCD image sensorより、

   CMOS image sensor が性能がいい。」と言われる所以です。


   しかし、性能という言葉には、広い意味があります。

*****************************

(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。

(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。

(3)  そして、光感度の大小も性能です。

*****************************

この3つの性能についてさらに詳細に説明します。


 
(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。

    CCD 型よりCMOS 型の方が高解像化に有利です。



(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。


   CCD型は原理的にCkT雑音が非常に小さいです。


   一方、CMOS型は半導体技術の微細化により、

    CkT雑音を実用化に耐えるレベルまで低下できる

    様になりましたが、CCD型のレベルには原理的に不可能です。


    暗い画面ではCMOS型は信号線の信号転送雑音(CkT雑音)

    はCCD型に比較して見られます。しかし、注意しないとわから

    ないレベルまで改善され、今では一般の実用に耐えるものです。


(3)  そして、光感度の大小も性能です。


   信号(S)の大きさは光感度に比例します。

 
   超感度とは、光信号を効率良く電気信号に変換することを言います。



   「CCD image sensorより、CMOS image sensor が感度がいい。」と

   誤解している人も多いです。これは間違いです。



   実は、感度は同等です。感度については、(1)の光電変換部の性能

   で左右されます。(2)の信号転送方式ではありません。


   (1)の光電変換部には、 萩原が1975年に発明した pinned photo

    diode が、現在でも 世界中の CCD と CMOS image sensor の

    両方にいまだに採用され続けています。

    
    萩原が1975年に発明した pinned photo diode が、SONYが世界で

    初めて大々的にNYと東京で1978年に 当時の盛田会長と岩間社長が

    自ら記者会見してSONYの社運(ビデオ産業)をかけて発表した CCD

    image sensorに採用されて以来、現在でも 世界中の CMOS image

    sensor にもいまだに採用され続けています。

   
   この1975年に萩原が発明した pinned photo diode、すなわち、当時は

   まだ、このpinned photo diode という名称は生まれていませんでしたが、


   具体的には萩原1975年特許で発明された、P+NPNsub 接合の半導体

   受光素子構造を採用している以上、CCD image sensorも、CMOS image

   sensorも感度は同じです。


   しかし、転送方式の違いによる電荷転送雑音(CkT雑音)には若干差が

   あります。具体的には、暗い画像では、まだCMOS image sensorは

   気づかれないレベルですが CkT 雑音があります。


   信号転送線に生じるCkT雑音の少ない事は、CCDにはかないません。

   CCD転送方式の良さは、このCkT雑音が極端に少ない事です。


   しかし、CMOS転送方式も実用化に耐えるCkT雑音となりました。


   半導体の微細化技術 ( Intel の創設者の Dr. Gordon Mooreの

   sacling 則) の進歩の当然の結果です。


   実は、Dr. Gordon Mooreは、萩原良昭の大学(Caltech)の先輩です。


   また、萩原がPhD論文の指導を受けた恩師である Prof.C.A.Meadは、

   Dr. Gordon Mooreとは長年の友人で Intel 社とも創設時代以来の

   親交があります。


   それで、 Prof.C.A.Meadが初めて 「Moore の法則」と呼ぶ様になり

   世界に知られるようになりました。萩原も学生時代から、このMOS集積

   回路の微細化技術の進歩について学び、実際、Intel社のMOS プロセス

   製造ラインを使って、産学共同プロジェクトで MOS 集積回路を母校の

   大学(CalTech)の研究室で設計して、Intel社で試作し、評価して IEEEの

   学会誌にその成果を発表(共著)したことが学生時代にあります。

   



(3)つぎに脳の中にある記憶細胞に対応する半導体記憶装置の話になります。


   脳の中にある記憶細胞に対応するものは、高速Cache SRAM や USB

   メモリ等で代表される不揮発性記憶素子(NVRAM)と呼ばれるものです。


   脳には他にもいろいろな信号処理機能を持っていますが、電子頭脳では、

   これは processor と呼ばれるもので、大規模デジタル回路で構成される

   半導体集積回路のことで、いろいろな信号処理機能を実行します。その

   いろいろな信号処理を手順よく実行するためにはいろいろなソフトウェア

   が必要となります。人工知能とはこのソフトウェアそのものをも意味します。



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            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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 SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、

 かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、

 1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、

Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?

また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?

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今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから

期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が

追従し、開発製造が可能です。 


しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の

のSONYの萩原発明特許が原点です。


萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を

提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション

撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、

1975年の萩原発明特許で定義しました。


1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。


CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置

として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!


本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に

相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の

受光素子のことです。



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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。

    この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。


(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。

  萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。

(3) Image sensor の世界の第一人者で、ISSCCやIEDMの国際学会などで、今でも

  ご活躍の、Delft 大学の教授の、 元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

  は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は

  pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許

  の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての

  CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての

  電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。

  
  また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode

  という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、

  この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、

  SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ

  カメラの試作に成功し、記者会見しました。

  
  これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である

  ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。


   このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は

   現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に

   採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、

   残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍

   しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  下図は Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode です。

   


   Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode (上図)が

   萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode (下図)と全く同じものである

   ことは、半導体物理を学習した学生なら誰でも簡単に理解できます。

 
    明らかに Fossum は萩原1975年の特許の内容を理解できないのか、

   またはその日本語で記載された特許請求範囲の記述文を読んだことが

   ないか、または故意的に無視し、自分の都合の良い虚論を展開したのかも?

    もと東京工業大学の松澤名誉教授は、「この Fossum 論文 を fake である。」

    とあきれていました。「どうしてこんなバイアスされたものが論文として採用された

    のか、理解できない。」とおっしゃっていました。また、image sensor の世界の

    第一人者で、 ISSCC や IEDMの国際学会などで今でもご活躍の、

    Delft 大学の教授で、もと  元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

    は 「Fossum からFossum 論文の共著になってくれとの依頼を受けたが、

    論文内容が懐疑的( doubtful ) で、sensitive な内容であるので、共著を

    断った。」 との話でした。誰が pinned photo diodeの発明者であるかを

    断定することは、企業間の骨肉の醜い特許戦争にもかかわる、sensitive

    な内容であり、当事者の会社同士で決着つけるもので、部外者としては

    関係ない話で、共著を断った。」 との主旨でした。


**************************************

 Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。


この事実関係は、Prof. Albert Theuwissen との e-mail での内容からも明らかです。

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-----Original Message-----

From: hagiwara [mailto:hagiwara-yoshiaki@aiplab.com]

Sent: Tuesday, July 10, 2018 7:42 PM

To: 'albert theuwissen'

Cc: 'Yasuhiro.Ueda(SONY)' ; 'Terushi.Shimizu(SONY)'


Subject: Who is the Inventor of PPD ?


Albert, thank you for your e-mail.

>After some doubt I declined his (Fossum 2014 paper) invitation,

>because I do know that the discussion about the inventor of the PPD

>is very sensitive, and I do agree with you

>that the structure you developed is indeed a PPD,

>maybe not called that way at that time (1975 )

>and also invented for some other purpose (Vertical OFD) .

>But it still remains a PPD !

>At Philips, in the late '70s a very similar structure was implemented

>in the CCDs, this was before I joined Philips in 1983.

>So yes, there were several p+/n-/p- structures known by the time

>that Teranishi issued his patent. I fully agree to that.


Thank you very much for your kind comments.


from Yoshiaki Hagiwara

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事実、 Fossum 2014 論文では、(1) SONY original HAD と pinned

photo diode が まったく同じものであることを隠しています。 すなわち、

1975年発明のSONY original HAD と NECが IEDM1982で試作発表した 

pinned photo diode が まったく同じものであることをうまく隠しています。

(2)SONY original HAD と pinned photo diode が まったく同じものである

となると、その発明者、pinned photo diode の発明者は、すなわち、SONY

のSONY original HAD の発明者と同一人物(萩原良昭)になることになります。



 Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。



Fossum は この Fossum 2014 fake 論文 を武器に、自分に有利な評価環境を

学術学会だけでなく政治的に働きかけ、構築し成功しました。最終的に多くの技術

専門家をもあざむきました。無知な人々まで多くを巻き込みました。完全なる詐欺

行為です。 英国王室からの受賞に関しても、偽りの推薦書を集め、NECの寺西

さんを pinned photo diodeの真の発明者と担ぎあげ、さらに Fossum 自身も、

デジタル CMOS image sensorの真の開発者であると、Fossum 自身に有利な

評価環境を構築しました。本当のデジタル CMOS image sensorの真の開発者は、

勤勉なSONYの技術者です。


Fossum の一連の行為は絶対に許されない詐欺行為です。


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今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから

期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が

追従し、開発製造が可能です。 


しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の

のSONYの萩原発明特許が原点です。


萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を

提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション

撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、

1975年の萩原発明特許で定義しました。


1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。


CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置

として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!


本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に

相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の

受光素子のことです。



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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。


  SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、

  これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。


      
Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて

  このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。

 
  たとえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo

   diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の

   派生特許にしかすぎません。1989年に萩原出願のUSP特許が先行特許です。





この萩原1975年特許は NECや米国Fairchild等からも特許権の攻撃を受けてきました。




   萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての隣接するCTD ( CCDや 

   CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)に pinned photo diodeを

   採用することを特徴とする固体撮像装置としています。CCD受光構造と同様に、

   完全空乏化電荷転送が可能で残像のない、かつ超光高感度でVOD機能付きの

   半導体受光構造( Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor = pinned photo

   diode) を今も提供し続けています。

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以下、その詳細な説明です。


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(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。


  この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。

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下の図は 2014年のFossum論文 に引用されている pinned photo diodeの図です。

この図は、1975年萩原出願特許の超感度低雑音残像なしの半導体受光素子、すなわち、

Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor と同じものであることは、半導体物理

を学習した学生なら誰でも簡単に理解できるものです。








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(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。

  萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。

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(3) Image sensor の世界の第一人者で、元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen

  は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は

  pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許

  の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての

  CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての

  電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。

  
  また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode

  という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、

  この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、

  SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ

  カメラの試作に成功し、記者会見しました。

  
  これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である

  ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。



   このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は

   現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に

   採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、

   残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍

   しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.



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(4) 以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。


  SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、

  これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。


      Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.


  今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて

  このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。

 
  ととえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo

   diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の

   派生特許にしかすぎません。萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての

   隣接するCTD ( CCDや CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)

   に pinned photo diodeを採用することを特徴とする固体撮像装置としています。

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  SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、

 かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、

 1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、

Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?

また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?

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萩原1975年発明特許の実施図(応用例の1つ)には、PNP接合型の受光素子構造図、

すなわち、pinned photo diode の構造図が描かれている。PNP接合型の受光素子を

基体(Nsub)に構築することも、また明確に、特許請求範囲に記述されている。従って、

これはPNPNsub接合型のサイリスタ構造体である。このサイリスタ構造の固有動作、

いろいろな自由度を持つ固有動作、が期待させることは周知である。その動作の一つ

が縦型のoverflow drain 機能 (VOD) であることを特許の実施例の図は明示している。


特許で素子構造体を明確に定義しておけば、その期待される動作は公知文献や技術

資料や教科書に詳細に記述されている。公知情報である。特許の説明文に期待される

付属動作をすべて記載する必要はない。特許の真価は、その特許の請求範囲を正確に

定義した記述文そのものにある。


萩原1975年特許の特許請求文の内容は、単純に(1)基体(Nsub)にPNP接合構造を

受光素子として、すなわち pinned photo diode として、(2)電荷蓄積部(N層)から

隣接する電荷転送素子(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置とある。


実施図で、この電荷転送が完全空乏化電荷転送であることを明示し、すなわち、

残像のない画像を提供する固体撮像素子を意味する。


また、事実上、PNPNsub 接合(サイリスタ)構造であることから、自動的にVOD機能

があることも期待された固体撮像素子を意味する。


上層部には金属性電極がなく、光は酸化膜を通過できる。直接PNP受光素子である

pinned photo diodeに光が照射され、超高感度な固体撮像素子を提供する。


また、酸化膜と半導体結晶体の界面には、空乏化していない、すなわち hole キャリア

に満たされたP層が存在する。これが、Sony original HAD sonsorの名前の由来である。



この受光素子構造は、電圧が固定された、すなわち電圧がピン留め( pinned )された、

上部のP層があり、CCD型の受光構造では、界面電界のための暗電流が存在するが、

このpinned photo diodeでは、界面電界が生じないので、この暗電流がない、暗電流

による暗電流雑音のない、 S/N 比の高い、高品質画像を提供する。


HADとは、 hole accumulation diode のことを意味する。pinned photo diode (PPD)

の別名である。HAD も PPD も同じものである。この事も世界は詳細には知らない。



この受光素子( HAD / PPD ) のN層は、上層のP層により、界面捕獲準位 ( trap )

からも保護され、埋め込みチャネル型CCDの受光構造と同様に、trap 雑音のない、

S/N 比の高い、高品質画像を提供する固体撮像装置となっている。



この萩原1975年発明の pinned photo diode は、CCD image sensor の時代から

採用されていたが、その優れた特徴がCCDの特徴であると長い間誤解されていた。


CCDは金属電極の存在があり、光感度が悪く、かつ金属電極容量の充放電電流が

無視できず、省エネに不利となり、微細化技術が進んだCMOSデジタル回路技術

に負ける運命となった。



今となり、CCD image sensor が市場から消えつつある現在であるが、それでも、

現在の デジタル CMOS image sensor でも、この萩原1975年発明の受光素子

である pinned photo diodeは超感度低雑音受光素子として採用され生きている。


SONY original HAD sensor 搭載の modern digital CMOS image sensor の中には

今でも、1975年に萩原が発明した超感動低雑音半導体受光素子構造が生きている。


SONY独自のSONY original HAD sensorの開発事業化は、SONYの多くの勤勉な

技術者の開発努力の結果である。しかし、その開発努力も萩原特許の存在があって

こそ、守られ実を結んだ。萩原1975年特許の存在がなければ、単純に他社の

コピーを製造していたとされ、高額な特許使用料を請求され、事業化も難しい状態

に陥る危険性が何度も生じた。しかし、 萩原1975年特許がSONYを守った。


SONYは、1975年萩原が出願した、このSONY original Patent に守られ、Fairchild社

やNEC社等との特許戦争にも勝利し、一方逆に、Fairchild や NEC は、民生用 の

image sensor の大きな市場から撤退することとなった。今では、SONYは、世界の

image sensor 市場の6割以上を独占し、image sensorの単体売上も1兆円を超える

勢いである。人工知能搭載デジタル回路システムにデジタル CMOS image sensor

は不可欠な存在である。ますます、その未来が楽しみである。


(1) SONY original HAD sensor ( pinned photo sensor )の発明者が

  当時SONYの萩原良昭の1975年11月10日の発明であることの証拠




(2) 長年に渡るSONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原1975年特許でSONYを含む

  多くの image sensor の製造企業が守られたことを示す新聞記事





(3) SONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原が水面下の活動していたことに関して、

  当時のSONYのTOPから労いの言葉をもらった。




(4) SONYのHAD sensor 特許がNECから攻撃を受けた特許戦争において、

  SONYのHAD を守るため、 SONYからNECに出した対抗文書が出された。

  その結果、SONYとNECの特許戦争はSONYの勝利に終わり、その後 Sonyは

  SONY original HAD sensorの名前で、image sensorの事業化を展開し、市場を

  独占できた。一方のNECは市場から、撤退することとなった。これでやっと、

  萩原1975年特許( pinned photo diode 特許)の特許戦争は一段落し、萩原は

  社内でやっと公式に評価されることになった。



  



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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(1) Introduction




**************************************

  SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話です。

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SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機の

コックピットに搭載されたもので、萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でした。


ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の高い固体撮像素子の実現として世界は

注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしてしまいました。





1975年2月20日に萩原はSONYに入社しましたが、その当時、SONYのCCD開発部隊では、この透明電極を使ったILT CCD

image sensorが本命として開発されていました。しかし、その受光部は透明電極という異質の材料を使い、プロセスの歩留まりを

悪化し量産には向かないものでした。画像欠陥が多く発生し、なかなか無欠陥 CCD chip を造ることは難しいでした。また強い光

により生じる過剰電荷を掃き出すoverflow drain構造として、横型を採用しており、受光部の有効面積がそのぶん減少し、光感度

の劣化を招いていました。また、受光部構造は、CCDと同じくMOS容量型の為、半導体界面には強い電界が生じ、受光部での

暗電流やtrap雑音が発生し、微妙に画像の劣化を招いていました。



しかし、「これ以上の改善は難しい。」と当時のSONYのCCD開発部隊のTOPはこれを本命として事業化を真剣に考えていました。



その中で、萩原はSONYで一人その開発方針に疑問を感じていました。しかし、対案が無い限り、現状を否定することは消極的な

意見で、積極的な、協力的な態度とは言えません。悪口を言っているだけに聞こえます。


何かもっといいアイデアを出さねばならなりません。


萩原は1975年2月20日にSONY入社して、はじめて、1975年11月10日に日本語特許を出願登録することになりました。



この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、現在、世界では一般に

 the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD sensor と呼んでいるものです。



当時はあまり特許権利を武器に、他社の事業化を邪魔したり、特許から高額の特許料を請求することなどは特別な場合以外、

ほとんどなかった温和な時代でした。ライバル企業間ではお互いの自社の特許を交換し、両者が顧客により良い商品を提供する


ことに専念できる時代でした。企業間は温和な協力関係にあり、SONYも同様で、萩原1975年特許は単純にアイデア特許として、

SONYが事業化する場合、自社の事業化を防御する特許としての期待されるものの、、外国特許出願するまでには、萩原もSONYも

まったくこの特許がそれほど重要なものとは、その必要性を感じていませんでした。それが結果として悪さをして、現在に至ります。

この特許の存在はSONY社内でも海外でもまったく知られることのない長い時期を迎えることになってしまいました。しかし、この

1975年の萩原特許が超感度・低雑音・低暗電流でかつ残像のない高画質のデジタルカメラの実現を今でも可能にしているものでした。


SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機のコックピットに搭載されたもので、

萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でしたが、ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の

高い固体撮像素子の実現として世界は注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしました。




この透明電極を採用した受光構造は、MOS型の受光構造です。しかし、このMOS型の受光部では、半導体界面に強い電界が生じ、

強い電界による暗電流や界面の捕獲準位の存在によるTrap雑音が発生して、画像に雑音が増加し、画質の劣化を招きました。


当時の古典的な MOS 型 image sensor は、MOS型受光構造でなく、表面が単純に酸化膜で保護されたN+P接合容量型の

受光構造でした。当時の古典的な MOS 型 image sensor は、単純にデジタル回路用のMOS プロセスで製造されており、

歩留まりは悪くはありませんでした。無欠陥のMOS 型 image sensor を造ることができましたが、また、MOS 型 image sensor は

光感度と色再現性はまあまあでしたが、残像の多い画像でした。原因は、受光部にN+拡散層を使っており、BBD転送 modeで

動作して、 CCDの様な完全空乏化電荷転送動作は不可能でした。また信号読み出しの output bit line 容量が大きいのが原因で 

CkT 雑音が大きく、無視できませんでした。


そこで、CCD受光構造特有の完全空乏化電荷転送の結果成し得る「残像なし」の特徴を当然これからも維持しつつ、さらに、透明

電極を使わない方法はないかと萩原は思案しました。 当時のMOS image sensor は、NP接合型のphoto diodeをそのまま受光

構造素子としていました。萩原はそれを改良した構造ですが、そのNP接合型のphoto diodeをまま使う部分構造として使うことに

しました。その改良点ですが、まず、受光部をN+P接合とせず、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の薄い濃度(N)を使った 

NP接合構造として、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層と同じ濃度としました。埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の場合と

同様に、完全空乏化電荷転送がこの濃度(N)を薄くしたNP接合型の受光構造とすればいいのではと萩原は考えました。


しかし、それでもまだ完全でないと萩原は考えました。その理由は、まだ、半導体界面には、強い電界がかかる事になるので、

暗電流や半導体界面に存在する捕獲順位による trap 雑音はまだ存在するので、これでも完全ではないと萩原は考えました。



そこで、萩原は 1971年と1973年の夏休みにSONY厚木工場で自習したことを思い出しました。


当時(1971年~1973年)のSONY厚木工場では、カラーテレビ用信号処理用 bipolar transistorの集積回路の量産体制が、

米国 TI社との特許ライセンス提携のもと、確立しつつある時期でした。萩原はそこで実習生として、 bipolar trasistorの 

集積回路(IC)の不良解析を担当していました。具体的には、bipolar transistorの誤動作の原因の Latch-up 現象を学習し、

これは本来、P+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の punch-thru の現象であることを理解しました。



萩原はそのことを思い出だし、その経験をヒントに、このP+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の受光構造 ( the pinned photo diode )

の発明に至りました。 この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、

現在、世界では一般に the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD sensor と

呼んでいるものです。NECの寺西チームはではIEDM1982でこの萩原1975年発明の受光構造を採用した ILT CCDを発表

しました。NEC考案の独自構造として the buried photo diode と名付けましたが、その構造は、萩原1975年発明の受光構造と

まったく同一のものです











(1) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、

     SONY original HAD sensor のことであり、また、

    世界一般に pinned photo diode と呼ばれるものは同じものです。

    ほかにも、 buried photo diode とも呼ばれる事態を複雑にしています(大涙)。


(2) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、構造特許として権利化

    されています。その期待されるいろいろな動作modeに関してはその特許の

    有効性(Know How) と考えられます。また、その半導体素子の構造を明確に

    定義されれば、その半導体素子の動作は、半導体物理の教科書は技術資料に

    詳細に記述されているので周知情報として特許の説明文に記載する必要は

    ありません。その構造を使うこと自体が特許の対象になるわけで、どう使うに

    関しては特許の請求範囲外となります。使い方はどうでもいいわけです。その

    半導体素子の構造が重要な特許となります。


(3)Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、単純に P+NPNsub接合

   すなわち サイリスタ―構造の半導体受光素子としています。そして、その信号電荷

   が蓄積された受光領域(N層)から隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を

   転送することを特徴とする固体撮像装置です。。そして、その有効性を示す特許詳細

   説明用の実施例の図6に、このサイリスタ―構造は 縦型の overflow drain 機能、

   すなわち、VOD機能を持ち、また、CCD動作と同様に、完全空乏化電荷転送が可能

   である、大変有望な構造であることを示唆しています。具体的には、その信号電荷

   が蓄積されていた受光領域(N層)が完全空乏化電荷転送の結果、信号電荷のない、

   空の状態になっていることを、特許の図6Bに the empty potential well の電位曲線

   として描いています。


(4) このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は1978年には FT CCDに

    採用され、SONYは岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで記者会見し、

    超感度高性能の家庭用小型ビデオカメラの幕開けであることを宣言しました。

    当時はまだ SONY original HAD sensor という商標も、pinned photo diodeという

    名前は存在しませんでした。しかし、1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、

    今も裏面照射型の超感度CMOS image sensor にも採用され続けています。




(5) 1982年になると、NECの寺西さんが IEDM1982に世界で初めて、このHagiwara

   1975年発明の Hagiwara Diode(自称)を採用した ILT CCDの原理試作を

   国際学会で発表しました。しかしこれはあくまで原理試作です。SONYはすでに

   このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)の原理試作は1978年に

   実現しています。 SONYは 1984年遅れること2年で、Hagiwara 1975年発明の 

   Hagiwara Diode(自称)搭載の ILT CCDの量産技術を確立し、また、SONYは

   SONY original HAD sensor として商標登録して市場を独占しました。水面下で、

   NECとSONYは長年に渡り、この1975年SONY萩原発明の Hagiwara Diodeと

   NEC 寺西1982年特許( buired photo diode ) の間で特許戦争がありましたが、

   最終的にSONYの勝利となり、敗れたNECはビデオカメラ市場から撤退することに

   なりました。自社特許がいかに重要であることを物語るものでした。


 (6) SONYが今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、

     その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。

     最高の性能は自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の

     技術者との連携と彼らの知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、

     それも自社で一番強力な特許があってのビジネスの世界の話です。それが萩原が

     1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。SONYは長年、このHagiwara Diode

     に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から2000年に渡る米国 Fairchild社

     との特許戦争がありました。





この米国 Fairchild社とSONYの、埋め込み overflow drain 構造に関する特許戦争での最大の問題は、

Fairchild社の特許 (Early Patent)が1975年7月22日出願で、一方、SONYの特許( Hagiwara Patent)は

1975年11月10日出願で、数か月先行しており、Fairchild社が先願特許と位置付けられたことでした。


その為、この2つの特許の構造の違いと、その特徴の違いを詳細に、特にそのVOD構造の違いを技術的に

半導体物理や半導体素子の動作原理を理解していない裁判の陪審員や審査官にどう説明できるかが最大の

問題でした。SONY側の技術擁護弁論者として、当時 UC Davis の教授の Prof. Bob Bowerに高額の

依頼費をSONYは出していました。偶然にも Prof. Bob Bowerが Caltechの卒業生で、萩原の先輩である

ことが判明し、初めて、Prof. Bob Bowerからの連絡で、米国 Fairchildと SONYの特許戦争の話を非公式に

萩原は知りました。萩原はすでにSONYでは image sensorの仕事はしていませんでしたので、SONY内部

としては極秘事項なのでその裁判の詳細を知る余地はありませんでした。しかし、その特許戦争の対象となる

のは萩原が1975年に出願した萩原特許( Hagiwara Diode ) と Early Patent の本質の違いを明らかにする

ことでした。当時、萩原は ISSCCなど国際学会出席のついでに、UC Davis 勤務のProf. Bob Bowerの自宅

を訪問し、いろいろ非公式に、日本語で書かれた萩原特許( Hagiwara Diode ) について Prof. Bob Bowerに

その詳細と背景について説明しました。









萩原はその裁判の外の人間でした。SONYは、萩原の存在自体を裁判の流れにどう影響するか不安でした。


最悪の場合、感情論となり、「萩原はもと米国の留学生で米国から知識を米国から持って帰った、いや盗んだ

悪人だ。」と陪審員が感じ取る危険性もあったわけです。でもいずれ、SONY保有特許が萩原の発明で、

萩原が誰なのかは隠していてもいずれは暴露されることは明白でした。SONYは裁判で最後の最後まで

萩原の名前を出しませんでしたが、最後にFairchild側からの質問で、その日本語特許の出願者がかつて、

米国留学生でCalTechの卒業生であることを、Prof. Bob Bower は明らかにしました。



それも Faichild社創設者の Dr. Gordon Moore の母校のCalTechの後輩で、Dr. Gordon Moore が、

Fairchildを去った後、新たに設立した Intel社とも、密接な産学共同プロジェクトで、萩原が深く関係して

いることを知り、その偶然に裁判関係者は驚きの顔を隠せませんでした。



しかし、その結果は、どうしたことか、陪審員はFaichild社の主張を認めた判定を下しました。

その結果は、SONY側からの人間から見ると、誰が見ても意外で、論理性がない、感情論といって

いいものだったと記憶します。やはり、萩原が米国留学生だったことが最大の問題だったのか?



しかし、萩原はそれではあきらめられませんでした。萩原が出願した特許は、米国で学んだことで

出願したものではない。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistorの

製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の

Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の

問題をヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。


1975年2月20日の途中入社扱いで萩原が、SONY中央研究所に配属された時、開発部隊の

先輩だった山崎さん、山中さん、名雲さん、西村さん、中田さんから、CCD image sensorを

使ったカメラシステムの特性をいろいろ教えてもらった時に、CCDでは色再現が悪く、致命的で、

当時残像はCCDはなかったが、残像が問題のMOS image sensorの方が色再現がいいと

教えてもらった。CCDは受光部には適さないと教えてもらった。それで、受光部にはやはり当時の

MOS image sensor と同じく、 N+P 接合型がいいと萩原は理解した。しかし、するとCCDの良さ、

完全空乏層電荷転送による残像なしの特徴が実現できなくなる。それをどう解決するか、その

ためには、埋め込みチャネルCCD型と同じく、N-P 接合型の受光構造がいい、しかし、埋め込み

チャネル型は trap 雑音は回避できたが、酸化膜界面の電界がかかるので表面結合電流が増加し

受光時間に暗電流が発生し、これが暗電流雑音となる。この、N-P 接合型の受光構造でも不完全で

ある。そこで、萩原は思い出した。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistor

の製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の

Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の

問題を思い出した。それをヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。





CCD型受光部の最大の問題点、金属性電極による光感度の問題を解決するために考案したのが、

サイリスタ型の、P+NPNsub 接合型受光素子構造( Hagiwara Diode ) の発明だった。米国で萩原が

学んだ知識だけはないと萩原は自信をもって言えた。


実は1972年に CalTechで Prof. C.A. Meadの指導のもと、Computerの検索エンジンに不可欠な

集積回路 silicon chip として、128 bit のdata stream を高速並列処理比較回路 ( 128 bit data

comparator silicon chip ) の集積回路を 当時の Intel の標準プロセス製造ラインで試作し、

大学(CalTech)に持ち帰り、評価し動作確認し、Intel社の技術者(Caltechの萩原の先輩)と連名で、

IEEE Journal of Solid State Circuits (1976年)に産学協同論文として投稿していました。


萩原はいろいろな国際会議の論文委員として奉仕していたことが幸いし、多くの他社の技術者との

交流も深く、連絡を取り合い、いろいろ意見を聞き、アドバイスをもらい、それを Prof. Bob Bpwerに

feedback して、SONY側の技術養護弁論をProf. Bob Bpwerに託していました。





この米国 Fairchild社とSONYの特許戦争でやっとSONYは勝利し、萩原は、大賀会長、出井社長ほか、

当時のSONYのTOPの方々から労いの言葉をいただいています。萩原はただ自分の誇りを守るために

努力したのみです。自分がこの特許の発明者であることを証明するために努力しただけで、SONYからも

誰からもお金は全くもらっていません。





(7)この米国Fairchikd社とSONYの特許紛争ではSONYは勝利しましたが、当然、SONY一社の技術者の

  特許だけでは到底最高の商品を自社開発することは不可能です。多くの他の企業の技術者との連携や

  彼らの知恵(特許)も使って初めて最高の商品が顧客に提供することができます。小さな特許では付属

  特許として、派生特許としてどこの企業でも他社に特許料を支払うことはあります。SONYも同様です。


  しかし、主力商品の重要特許に関してはやはり自社で特許を保有していないと、なかなか大きく事業

  展開は難しいです。 SONYは今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、

  その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。最高の性能は

  自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の技術者との連携と彼らの

  知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、それも自社で一番強力な特許があっての

  ビジネスの世界の話です。それが萩原が1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。


  SONYは長年、このHagiwara Diode に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から

  2000年に渡る米国 Fairchild社との特許戦争がありました。またNECとSONYの間では水面下で、

  同じHagiwara Diode に関する特許戦争がありました。この2つの大きな特許戦争の勝利を得て、

  萩原もやっと1975年発明の自称 Hagiwara Diode 、 SONY original HAD sensorの生みの親で

  あることがSONY社内でも公式に認められました。それまでは特許戦争の行方が不透明で社内でも、

  1975年の萩原特許の存在は社内でもあまり公表されず、 image sensorの開発技術者の間でも、

  萩原1975年特許の存在は知られていませんでした。また社内で特許褒賞を受賞しても特許番号だけで、

  その特許の詳細内容は社内でも公開されておらず、社内のほんの数人の特許関係者以外は、この

  萩原特許の詳細を理解している社内技術者は、ほとんど皆無でした。その理由は、もう1975年特許

  と古く時効で、特許効力・市場価値がない「終わった人の特許」と見なされていたからでした。



  しかし、それでも、SONY社内で初めて公式に、SONY original HAD sensor が 萩原の1975年の発明

  であると認められた瞬間でした。


  この意外な事実を初めて知った、社内の image sensorの開発技術者は、驚いた様子でした。


  重要な技術情報が社内で詳細に共有されていなかったことに疑問を感じた若い技術者もいました。

  やはり、特許が公開されたものに関しては、社内社外の特許に関わらず、担当の開発技術者が

  全員情報共有する必要があると萩原は実感しました。お互いに、先人が出した特許を学習し、

  さらにそれを超える特許を出す勉強会などをもっと奨励することの大切さを感じた若者もいました。

  
  それまでの秘密主義の image sensorの 技術管理TOPの態度に疑問を持つものもいました。

  
  一般論ですが、技術管理者(課長や部長職)は部下の特許を把握し、それをヒントに部下に内緒で

  自分の部下のアイデアを盗み、ヒントにして、勝手に課長や部長が特許を出願し、その部下が生意気で

  邪魔になると、その部下を首にして職場を移動させることも可能です。 特許は 2~5年の間公開される

  までは極秘扱いであることをいいことにして、その間にいろいろ派生特許も出せる立場にあります。会社

  としては誰が発明しようがまったく関与せず、会社の所有であることには違いないので、それ以上は深く

  事実関係を追求しません。特許が 2~5年後、公開される頃には、もうその部下も職場におらず、その

  課長や部長が出願した特許の存在を知る余地はありません。そういう悲しい状況が生まれる危険が、

  情報シェアされない職場にはあると萩原は当時実感しました。

  







  しかし、その後、SONYの多くの技術者開発者の努力が報われ、現在 SONYは世界のimage sensor の市場の

  6割以上を独占する勢いとなり、これからもさらなる発展が期待されています。






 

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      Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.

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Story of Sony original HAD sensor (1)

 More Story (1) , Story(2), Story(3)

Story of Sony original HAD sensor (2)    
Story of Sony original HAD sensor (3)


Story of Sony original HAD sensor (4)

Story of Sony original HAD sensor (5)
      
Story of Sony original HAD sensor (6)

Story of Sony original HAD sensor(7)

Story of Sony original HAD sensor(8)


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毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


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  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 008

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(2) Sony original HAD sensor の背景



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 これは SONY original HAD sensor ( pinned photo diode ) の発明者のお話です。

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  まずは、SONYの商標、 SONY original HAD sensor について紹介します。

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https://en.wikipedia.org/wiki/HAD_CCD

https://www.ptgrey.com/exview-had-ccd-ii-sensor-technology

https://en.wikipedia.org/wiki/Hole_accumulation_diode

https://www.sony.net/SonyInfo/News/Press_Archive/200002/00-007/


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 SONY original HAD sensor  は、世界では一般には別名で、

 pinned photo diode とも呼ばれる半導体受光素子のことです。

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もとSONYの萩原良昭が1975年特許発明したHagiwara Diodeのことです。

1969年に発明されたCCD image sensor は世界で初めて完全電荷転送を

可能にし、残像のない映像を初めて可能にしました。それまでの MOS

imager も BBD 型の image sensor も電荷蓄積部が濃度の高い N+の

拡散層を採用しておりその拡散層を低電圧で完全空乏化電荷転送を実現

することは不可能でした。しかし、CCDの発明は、完全空乏化電荷転送を

可能にしました。実際は 99.999%の精度での完全電荷転送で、今では

それでも充分でないことがわかりましたが、1970年当時としては最高の

すばらしい数値でした。それが評価され、CCDの発明者( 米国ベル研の

Boyle と Smith )はノーベル賞を受賞しました。



表面型CCDは改良され、埋め込み型CCDも完全空乏化電荷転送が可能と

なりました。その理由は、埋め込み層の濃度(N)を薄くし、完全空乏化電荷

転送を可能にしたからです。


1975年、当時SONY勤務だった萩原はその薄くした埋め込み層の濃度(N)

に着目し、世界で初めて、CCDでなくても従来のMOS型のimage sensorでも

電荷蓄積部の濃度を、埋め込み型CCDの埋め込み層と同じ濃度にすること

により完全空乏化電荷転送が可能であることに注目し、萩原1975年特許で

Hagiwara Diode 1975を 発明し、その特許の実施例、その1つの応用例の

図の中に the empty potential well の電位図に世界で初めて描きました。





1975年には既にCCDの the empty potential well の電位図の物理的は意味

は周知でした。すなわち、CCDの the empty potential well の電位図は、

完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像をCCDが提供するという

すばらしい特徴をCCDが持っていることは周知でした。


See Fig.53 in p.425 of Physics of Semiconductor devices

by Prof.S.M.Sze, 2nd Edition ISBN 0-471-05661-8

for the detailes of (a)BCCD (b)Enerygy band for an empty

potential well and (c) Energy band when a signal packet

is present. See also D.C.Burt, " Basic Operation of Charge

Coupled Devices," Int. Conf. Technol. Appl. CCD,

University of Edingburgh, 1974, p.1 .


萩原は1975年発明の特許の Hagiwara Diode ,すなわち、

現在世界で pinned photo diodeの受光構造でも、CCD型の

受光構造だけでなく、the empty potential well が実現可能で

あることを世界で初めて1975年に特許の中で明らかにしました。


NECとSONYの特許戦争でもこのthe empty potential well の論点が最大の課題

となりました。萩原が動作に関する記述はKnowHow に所属するのでできるだけ

記述説明を除外せよとの当時のCCD開発TOPやそれに従る特許部のStaffの

アドバイスにも抵抗して萩原が「これだけは重要だ」と主張した、この完全空乏化

電荷転送の電位ポテンシャル図の存在のお蔭で、SONYとNECの特許戦争で、

SONYが勝利できた。これは 萩原が1975年に発明した Hagiwara Diode が、

先行特許構造であることの証拠となった。逆にNECの寺西特許は萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diodeのコピーであることを証明したことになった。すなわち、

萩原が pinned photo diodeの本当の発明者であることの証拠でもある。 



Hagiwara Diodeの特許1975の図6に萩原が描いたthe empty potential well は、

完全空乏化電荷転送の結果、電荷蓄積部が完全に空になっていることを意味し、

それは action picture など高速撮像に不可欠な残像なしの映像を可能にします。

萩原は1975年にすでに Hagiwara Diode ,すなわち、現在世界で pinned photo

diodeと呼ばれる受光構造でも、「残像なし」というすばらしい特徴を持っていること

を示唆した明らかな証拠です。


この事実は理解するには、半導体物理と半導体素子の動作原理をしっかり

学習し理解する必要があります。


たいへん難しい概念ですが、バケツに入っている水をすべて掃き出せば、

バケツの形状だけが見えることのたとえで、半導体物理原理により、

半導体の受光部のバケツの形状がこの the empty potential well の形状

となることを萩原は1975年の特許の図6に世界で初めて描き明らかにしました。



この萩原が世界で初めて1975年に萩原特許の実施例図6に描いた、

pinned photo diode ( P+NPsub junction sensor ) の

the empty potential well の電位図が、もと1975年SONYの萩原が

the pinned photo diode の本当の発明者であることの証拠であります。





萩原1975年の発明はCCDだけでなく、Hagiwara Diode のちに世界一般に 

pinned photo diodeも 完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像を

可能にすることを、 もとSONYの萩原は1975年の日本語特許の図6に

世界で初めて示唆しました。 従って、pinned photo diodeは SONYの

固有の発明で、発明者は当時26歳のもとSONYの萩原良昭です。














萩原1975年の特許の実施図の第5図には、 1 bit の絵素ごとに金属コンタクトがあり、

これが製造上非現実的であると、SONY社内でも非難を受け、採用されることはあり

ませんでした。しかし、萩原1975年の特許の請求範囲はもっと普遍的な文章記述で

Hagiwara Diodeの受光構造を以下の様に定義しています。





この1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode は、CCD型とMOS型の両方の

image sensor 方式にも適応可能で、実施例図2に提示されている様に、 ILT方式の 

CCD image sensor にも応用が可能としている、萩原1975年特許のHagiwara Diode

そのものをNECの寺西は IEDM1982 で ILT CCD image sensor に応用し発表した。


これを世界は最初の pinned photo diode の発明と誤解した。しかし、NECの寺西が、

IEDM1982 で発表した、 ILT CCD image sensor に採用した buried photo diode は、

その論文に提示された受光構造を見ると、明らかに萩原が1975年に発明した受光構造

と全くの同一構造のものである。 萩原1975年発明のHagiwara Diodeそのものである。




1975年にSONYの萩原が発明した Hagiwara Diode(HAD)は、デジカメ、すなわち、 

digital CCD image sensor やdigital CMOS image sensorにも不可欠な受光素子です。

このHagiwara Diodeが超高感度・低雑音・残像のないデジカメを可能にしました。



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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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このHagiwara Diode、別名 pinned photo diode、Sony では Sony original

HAD と呼ばれるものです。この超高感度・残像なしを実現した受光素子を、

萩原は1975年に特許発明しました。しかし、競合他社とのその特許権利の

問題で長い間、特許戦争が生じ、要約SONYの勝利が確定した2001年に

なってやっとその功績が社内で認められました。その評価が 26年もの歳月

がかかった背景には深い理由がありました。これはそのお話です。

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米国Fairchild社と Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) との

10年間にもわたる長い苦しかった特許戦争(1991~2000)の終結でした。






この特許戦争での陰の最大の功労者で、SONY側所属特許の発明者の萩原は、

大賀会長、出井社長をはじめ多くの当時のSONY幹部から慰労の言葉をもらった。




Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) は、こうしてその誇りある

SONY original Brand を守ってきました。Sony HAD sensorがSONY独自の創意

工夫で実現した、SONYの固有発明であることは、SONY社員全員が断言します。


SONYの創意工夫努力は萩原だけでない。過去には地道な MCZ waferの開発

から始まり、苦労を共にし助けてくれた多くの技術者、川名・加藤・安藤・岡田・

狩野・阿部・松本・神戸・鈴木とも・上田を中心としたプロセス開発部隊や、萩原の

上司・先輩・同僚の、越智・山崎・粂沢・橋本・岡沢・山中・西村・名雲の皆さんや、

竹下・奈良部・浜崎・石川・米本・角ほか多くの、萩原設計・評価技術を継承して、

さらに発展してくれた後輩SONY社員の努力と創意工夫により実現したものである。


その中でも、初期のパイオニア開発者として、また、この最大の特許戦争での

功労者として、その発明者の萩原はSONYでやっと、1975年発明の萩原自称の、

Hagiwara Diode 、すなわち世界一般では、pinned photo diode と呼ばれ、また、

SONYでは SONY original HAD sensor と呼ばれる、高性能超感度の半導体

受光素子構造の基本特許出願の発明者として、萩原は2001年4月、やっと、

2001年1月に特許戦争が米国最高裁判所の判決でSONYの勝利が確定して、

SONYで特許褒賞を受けることができた。たいへん長い闘いだった。その苦労

を知るSONY社内の技術者はほとんど存在しない。多くの社員は黙々とその

生産と商品展開に努力工夫し励んでいた。彼らのお蔭でものができ世に出せた。











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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

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 Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.


この話は、1975年26歳の時でSONY中央研究所に勤務していた時に萩原が発明した、

超高感度、低雑音、低暗電流で残像なしの高性能半導体受光素子構造の話である。

具体的には、P+NPNsub 接合構造を持つ thyristor 型の高性能受光素子の話である。




萩原1975年発明(Hagiwara Diode)は、サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光

構造なので、いろいろなサイリスタ―の動作(周知情報)が期待できる。組み込み型の

VOFの実現が可能なことも容易に推察される。 その周知の動作原理に関しては、

構造特許としているので、その詳細な動作原理の説明は省略している。


あくまで構造特許として重要である。


上図からも明らかな様に、サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、

また、トランジスタ―は2つのダイオードの複合構造体である。


このP+NPNsub接合構造のサイリスタ―型の受光構造( Hagiwara Diode )特許、

萩原の1975年発明は、pinned photo diodeをも含む、強力な半導体受光素子

構造に関する特許である。また、この萩原が1975年に発明した、このP+NPNsub

接合構造のサイリスタ―型の受光構造は、SONYでは、 SONY original HAD

image sensor 商標名で登録され、世界中に事業展開され市場を独占した。


萩原1975年特許の特許請求範囲を記述した文章が定義した構造図を示す。




  

 萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造の具体的な応用例として、

 下の図に3つの例を示している。この3つの例は、あくまで例であり、萩原1975年

 発明の特許の特許請求範囲を制約するものではない。特許請求範囲に示された

 内容はいろいろな派生構造、たとえば隣接するCTD(電荷転送素子)に関しては、

 CCDだけでなく、過去の classis MOS image sensor をも含み、また、現在市場を

 独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor をも可能に

 した、強力な基本特許である。


 現在市場を独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor

 の実現を可能にしたのも、萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )である。今、

 この萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )は、世界では pinned photo diode

 と呼ばれ、 SONYでは 「SONY original HAD sensor 」 搭載の digital CMOS

 image sensor とも呼ばれる。 















萩原1975特許 ( P+NPNsub 接合型受光素子 Hagiwara Diode ) の

具体的な応用例(実施図)として、下の図に 3つの例を示している。





 萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造、すなわち具体的な応用例を

 上の図の3つの実施例を含めて、以下にその詳細について説明する。



●実施例(1) 


萩原1975年特許(Hagiwara Diode) の実施例の図5に記載されたもの。

 BOX で囲まれた PNP 接合構造、すなわち、PNPトランジスタ構造であるが、

 しかし、これは dynamic 動作をする新規なPNPトランジスタ動作で、従来の

 static動作のトランジスタ電流増幅動作ではなく、CCD動作が MOS容量の

 dynamic 動作と位置付けられる様に、この発明は、 PNP 接合構造、すなわち、

 PNPトランジスタ構造の新規な dynamic 接合容量動作を提案したものである。


 その特徴は半導体界面が P+領域( emitter 端子の濃度)となっており、電圧が

 固定( pin 留め)されており、 pinned photo diodeの概念を初めて図示したもの

 である。また、電圧が外部で固定化されているので、半導体界面には電界が

 かからないので、埋め込みチャネルCCDの半導体界面とは違って、界面電界

 により発生する暗電流が、このPNP接合構造の受光素子では極端に少なくなる。

 このPNP構造の受光素子が超高感度でかつ低雑音を実現していることを、

 萩原のチームは、世界で初めて、1978年に報告している。

 
Reference :

Proceddings of the 10th Conference on Slide State Devices, Tokyo 1978;

Japanese Journal of Applied Physics, Volume 18 (1979)

Supplement 18-1, PP.335-340


また、その萩原の成果 (世界で最初の pinned photo diodeの発明と

その原理試作の報告)が注目され、英国 Scotland の Edinburgh で開催の  

CCD79 国際会議で萩原は招待講演を受けた。当時はまだ、

pinned photo diodeの名称は使われていなかったが、これが日本国外で、

世界で最初の国際会議での報告でした。このことは、当時の英国の報道誌にも

 「SONYが世界で単独がんばっている」と報告された。


1979年9月(31歳)当初の萩原のSONYでのCCD開発活動の報告でした。


なかなか、CCD image sensorが、当時の半導体 silicon chip が大口径で

かつプロセスが複雑で、ものにならなく苦労していた時代でした、開発研究を

あきらめる企業が目立った頃の話です。


世の中は、「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化

できるのかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ

見えない頃でした。


英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。


   "ADVANCES in CCD Imagers"by Yoshiaki Hagiwara, SONY @ CCD'79


    世界が CCD image sensorの開発を飽きられつつある状態の中で、

    SONYだけが単独で頑張っている印象を与えた。


    この後、松下も日電もCCD関連の研究開発を続々学会発表し、

    世界が CCD image sensorの開発が再び活性化された。




  
 受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン留めされたP+端子)をつけたもので、 

 pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。


 ピン留めさらた photo diode を文字通り英語で、pinned photo diodeという。


従って、この萩原の1975年特許の実施例(具体的な応用例の1つ)が、pinned

photo diode の発明の原点( origin ) である。ピン留めされているということは

その表面のP層が浮遊( floating )状態ではなく、外部電圧で制御されて固定

されているいることを意味する。その電圧の値は自由に固定値に設定が可能

ということである。従って、基板(Psub) の電圧 (GND 電圧)でもいいことになる。



この場合は、表面のP層と基板(Psub) させてもいいことになる。この場合は、

1975年発明の萩原特許( Hagiwara Diode )の特殊な実施例、すなわち、具体

的な例の1つである。従って、1975年の萩原特許( Hagiwara Diode )の発明

の中に含まれる。この場合は、金属コンタクトが不要であることも自明である。


上の図の1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )の特殊実施例(2)は、

1978年にSONYが FT 型 CCD image sensorに搭載された 受光素子構造

である。これを、萩原1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )を現在では、

世界一般では pinned photo diode 、 SONYでは Sony original HAD と呼ぶ。



この受光構造は今でも 裏面照射型、超感度、低雑音、低暗電流で、残像なしの

SONY original HAD 搭載、digital CMOS image sensor として採用されている。


SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して

いないCCD開発担当の管理職も、上図の実施例(1)が萩原特許そのものと

勘違いしていた。この萩原特許そのものを、使いものにならないとけなした。

その将来性を見抜くことができなかった。


Fossum の2014年の fake 論文の中でも、同じ間違った主張を繰り返している。

明らかに、Fossum は 萩原発明の1975年特許の日本語の正確な特許請求文

を読んでいない。少なくとも、理解していない。

 

この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを

各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは萩原は一言も

書いていない。

   
この構造が、製造可能かどうかは別の話として、構造特許の有効性の説明

には使える。これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを

示唆した実施例(1)である。


実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、

他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOF

の実現が可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許

としているので、その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造

特許として重要である。

 
このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diode

をも含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解

であることからも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造

であり、また、トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは

自明である。


従って、 pinned photo diodeも、この萩原1975特許の発明に含まれる。


萩原1975特許は、pinned photo diode 意外にもいろいろな機能を装備した

強力な基本特許でいろいろな応用実施例にその特許請求権利が及ぶもの

である。



昔の Sony original HAD sensor 搭載の digital CCD image sensor の場合

だけでなく、現在、市場を独占している、 modern digital CMOS image sensor

においても、1975年萩原が26歳の時にSONYで発明した半導体受光素子構造

(Hagiwara Diode)は、Sony では Sony original HAD sensor と呼ばれ、他社

では、 pinned photo diodeと呼ばれ、名称は各社マチマチだが、同じもので、

超感度で、低雑音、低暗電流、さらに残像のない Hagiwara Diode は、世界中

の固体撮像素子の受光部として今も生きている。

 



   
●実施例(2) 1978年原理試作した P+N-Psub 型のHagiwara Diodeの実施図。
 

    Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、

    表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。

    超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが

    できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。



感度向上のために、Hagiwara Diodeは不可欠である。さらに裏面照射型に

してさらなる感度向上の努力が超高感度 CMOS image sensorを可能にした。


 



裏面照射型のCCD image sensorの開発歴史は古いが、CCDは本質的にsmear が

ひどく不完全だった。萩原も中研時代、裏面照射型のCCD image sensorについて

の米国の技術文献を参考にして、裏面照射型のHagiwara Diode搭載のFT型CCD

のOne chip カラーカメラの為のCCD構造の検討 ( SONY中研 R-76206 )をした

が、CCDは smear が多くで、失敗に終わっている。しかし、現在、SONYの若い

技術者は、裏面照射技術をあきらめることなく、CMOS image sensorに応用して、

今までにない、 超高感度 CMOS image sensor を実現することに成功している。



このSONYの超高感度 CMOS image sensor  中にも、1978年に初めて萩原が

原理試作動作を確認した Hagiwara Diode 、 今のSONY original HAD sensor

であり、かつ世界では pinned photo diode と呼ばれる 高性能高感度の半導体

受光素子構造は採用されて活躍している。 






    この後、1978年のHagiwara Diode 搭載の FT image sensorの原理試作

    動作の確認後、透明電極を使うものと比べれば比較的簡単であるので、

     萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、

     Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した 

     pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案した。

     透明電極を使うと熱工程がその後入らず、欠陥が熱補正できなくなり、

     無傷の完全な CCDを量産することは難しいと萩原は否定的だった。

     しかし、SONY 開発部隊のTOPには理解されず、簡単に却下され、

     もうこれ以上寄り道はできないと部隊の全力を1つに投入すべきとなり、

     萩原1人で頑固に検討を始めようとしたが、チームワークを乱すものと

     として、最終的に首になった。その代わりは萩原は別のすばらしい仕事

     の機会をもらった。デジカメの実現に不可欠な高速 Cache SRAM chip

     の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに

     なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。

 
    ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜んだ。

     「これでSONYに勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも

     聞こえてきた時は、萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。






●実施例(3)  Hagiwara Diode を採用したもう1つのFT 型CCD構造図



1979年に Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された 

 pinned photo diode 構造である。Hynecekは表面のP+層の濃度をさらにあげて、

 電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化電荷

 転送することを実現していたもので、Hynecekの発明である。萩原1975年特許

 構造を採用して、さらに発展させた派生構造の、Hynecekの新しい発明である。


 ここで、萩原は 「Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」とは言っていない。 


 Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、ここでも、 うそを書いている。

 Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

 記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。




●実施例(4)  P+N-Psub 型の Hagiwara Diode を採用した ITL型CCD構造図


 NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を組み合わせた

 形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板のPsubが導通した pinned

 photo diode 構造を採用した Interline 型CCD imager を発表した。

 
 従来の ITL型 CCDにもHagiwara Diodeが適応できることは、すでに1975年の

 萩原特許での実施例図2でも描いており、1982年では周知の情報である。

   
このNECの寺西の IEDM1982の発表は、完全な萩原1975年特許の copy である。 



   その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に

   萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された 

   P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo

   diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の 

   IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造

   の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年

   特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの

   技術者も見ているはずである。






そして、1978年には同時に FT 型CCD image sensor での pinned photo

diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image sensor を、SONYの岩間

社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見して、大きく、次世代の

ビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。これが Hagiwara Diode ( pinned

photo diode )を搭載した、低雑音、低暗電流、超感度、残像なしの digital

CCD image sensor の幕開けであり、さらに現在も Hagiwara Diode ( pinned

photo diode )を搭載した、さらに高性能な、低雑音、低暗電流、超感度、

残像なしの digital CMOS image sensor を実現している。













ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982

で発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。


Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

1975年の萩原特許の詳細をまったく知らない人たちをだましている。


萩原1975年特許の存在とその詳細明解な特許請求文を理解すれば、

Fossum 2014年論文が 虚論( fake ) であることが即理由が理解できる。


Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろと、ある事ない事を非常に偏見

を持った、バイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、

すなわち、のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した

実施例(派生copy) である。あくまで、pinned photo diodeの発明は、

1975年の萩原特許によるものである。






 いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。 








NEC Teranish IEDM1982 application was just a copy of Hagiwara 1975 patent.








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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


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  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 009

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
    





  





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      2008年に発足設立し、過去10年間、
 このAIP異業種学習同好会を支援していただいておりました
    神奈川県厚木市在住のNPO法人、
  「特定非営利活動法人AIPSコンソーシアム」
 は平成29年12月8日の社員総会にて、社員の老齢化を理由に、
  解散決議しました。しかし、非法人組織として個人グループ活動は
老人仲間(70歳~85歳)で、ほそぼそとボケ防止にやっています。
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なお、このAIP異業種学習同好会(aiplab.com)のHOME PAGE は、
これからも、私的ボランティア活動として、ボケ防止活動として、
70歳~85歳の、まだ青春時代を楽しんでいる、自由で元気な老人
仲間で継続します。今後とも、ご支援の程よろしくおねがい申し上げます。
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         代表  萩原良昭    

     hagihara-yoshiaki@aiplab.com

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  未来の日本、世界はバラ色です。
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AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。

ともに、光を電気エネルギーに 変換する photo diode を使います。

もっとも光変換効率のいいのが 萩原が1975年発明のHAD sensor です。

将来は、HAD 技術搭載の光変換効率の良い、光感度にいい太陽電池が生まれるでしょう。

そして、日本の世界のエネルギー源となるでしょう。

日本は今石油と食料を大量に輸入していますが、石油ももうすぐ底をつきます。

その時は自然エネルギー(太陽電池がスーパースター)にかわるでしょう。

もし、政府が太陽電池の量産技術に補助金をもっと奮発すれば、

野菜やお米、麦、大豆などを、各企業の地下で栽培できれば、

水と電気からの光で清潔な野菜、くだもの、お米、麦、大豆が豊富につくれれば、

日本の国は、エネルギーと食料を自給できる、

世界の模範的な自然にやさしい近代国家に変貌することでしょう。

その為には AIPS image sensor 技術は不可欠です。


それに、人工知能を支えるデジタル回路が AIPS image sensor に搭載されれば、

もう怖いものなしで、未来の日本、世界はバラ色です。

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  この 賢い AIPS sensor は、 萩原が ソニー時代に育てた

     (1)   Sony original HAD sensor   


  https://ja.wikipedia.org/wiki/Super_HAD_CCD  と



    (2)    Play Station Processor 

 https://ja.wikipedia.org/wiki/Cell_Broadband_Engine

     
        の 融合技術から生まれます。


 
        APSCIT2018 でのお話は

  2008年の学会でしゃべった内容の続きのお話です。

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AIPS  image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
それが理解できない方は 萩原の著書を買って読んでください(笑顔)
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もっと技術内容に興味あるかたは、会社や大学の図書館にぜひ

購入依頼をお願いして、一冊会社や大学で買ってもらってください。

そして、時間がある時に貸し出してゆっくり読んでください。

中学程度の数学の知識があれば、それを土台に話を展開している

ので、文系の方でも興味にお持ちに方なら、読破可能です。

         挑戦して見てください。



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     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

      デジタル回路の世界

        補足資料(Appendix)

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

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  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html

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               萩原良昭    紹介
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●工博 Ph.D. 1975 米国カリフォルニア工科大学 (CalTech)

        CalTech = California Institute of Technology, Pasadena California, USA

        Major in Electrical Engineering(電子工学) and Minor in Physics(物理学)

● IEEE Life Fellow

●神奈川県 NPO 法人 AIPS コンソーシアム  代表 理事長 (2008~2017)

●崇城大学 情報学科 教授 (2008~2017)

●ソニー株式会社勤務(1975~2008)

●群馬大学 電子情報学科 客員教授(2004~2008)

●カリフォルニア工科大学(CalTech)

  電子情報工学科&応用物理学科 客員教授(1998~1999)


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  研究テーマ:人工知能パートナーシステム(AIPS)に関する研究

      AIPS = Articial Intelligent Partner System




具体的には、これは身体障碍者や高齢者の介護に役立つ、人間に、自然にやさしい
総合人工知能処理用コンピュータとロボット支援システム実用化のための研究です。

介護を必要とする人が、介護施設や老人ホームに入ることなく、自宅で、自立した
人生が、他の人にご迷惑をかけることなく、最期まで送れる支援システムです。

特にAIPSの心臓部(CoreEngine)となる real timeで、かつ、高速並列処理を、
real timeで実行する AIPS Processor 開発研究と、それをサポートするC言語に
似たもので、ソフトウエア技術者が簡単にcoding可能な処理言語を開発研究します。

 そのために人間との会話システムの構築もたいへん重要なテーマです。


      AIPS会話システムの構築に関しての解説資料


      AIPS会話システムのC言語 source program の例 (試作品)


  入出力 data base file ( AIPS001DB.txt ) と Link 情報 data file ( AIPS001LK.txt )










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  感情を持ったロボットは開発可能でしょうか?

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人間には大脳(右脳と左脳の2つの人格を持つ脳)・小脳・
間脳・自立神経などいろいろ、思考と行動(知能)をつかさ
どる器官がありますが、人間の感覚とはある意味ではこれら
の器官の高度な「興奮状態」を意味しますね。これらの人間
の器官をまねして、いろいろな機能(感情表現を含む機能)
を持つ電子部品を装備したり、その数学モデルを抽出して、
ソフトウエアでシミュレーションすることは今でも、大型の
スパコンを使えばある程度実現可能でしょう。ロボットがあ
たかも感情をもったように表面上ふるまいをするようにプロ
グラムで動作させるロボットはすでにある程度は実現可能だ
と思います。しかし、こころは知性(論理性、知能)と感情
を持ったものとすると、ロボットにもこころを植え付けるこ
となりますね。人間ほど高度な感情、いろいろな微妙な感情
表現までは到達していなくても、ネズミや猫、犬の知能レベ
ルの動物にも感情があるかと感じるときがあるように、将来
ロボットにも感情が植え付けられたと感じることになるでし
ょう。そういう意味では、感情を持ったロボットは開発可能
だと思います。しかしわれわれは、自分の存在を意識し実感
する「こころ」=自己意識というものがあるますね。ロボッ
トに自分の存在を意識し実感する「こころ」を持たせ、その
「こころ」の状態のひとつを表す「こころの感情」を持たせ
ることはどうでしょうか?たいへんむずかしいですね。近い
将来では無理かも知れませんが、「やさしいこころの感情」
すなわち私はそれをAIPSを呼びたいのですが、そのAIPS搭載
の未来ロボットを実現してみたいですね。








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   AIPS搭載の自動運転車と自動運転車いすの実現について

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2013年3月24日 16:05~17:25 放映の全国ネット(フジテレビ)バラエティー番組
 
       「100人の学者が教えます!これが正解アカデミー」

    全自動運転の車が20年以内に販売されるか

  に出演(ほんの数秒!)の際、事前質問アンケート調査に返答した内容です。

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AIPS搭載の未来ロボットは 非常に大きな DOF ( Degree of
Freedom ) が必要となります。しかし、自動運転車や自動運
転の車いすとなると、その DOF は 平面(2次元空間)程度
にしぼられます。そのぶん、AIPS 搭載の未来ロボットより、
AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現ははやく
到来すると期待します。人間が運転するよりはるかに安全で、
軽快な AIPS 搭載の自動運転車や、自動運転の車いすの実現
ははやく到来すると期待します。その為には企業や政府が必
要性を感じて、もっとお金と時間を投資することで実現をさ
らに加速することになると期待しています。燃費や総合効率
性にもつながり、エコ・カーの実現をさらに加速することに
もなります。次の国の産業の活性化にもつながります。車い
すに乗っている身体障害者や病人のアシスト、居眠り運転や
飲酒運転の防止策として自動運転車や車いすが開発市販され
ると私は期待しています。まずは人間アシスト型から、完全
自動でなくても、危険を瞬時に感知し、それを防ぐシステム
の実用化に注力し、それを同時に高速道路を走る自動運転走
行用の車線の整備や病院や老人ホーム内で実用化を!高速・
Real Time 生をもった人工知能(画像認識・音声認識・圧
力センサー・加速度センサー)システムを駆使して、人間が
運転するより、はるかに安全な制御システム( AIPS と私は
個人的に呼びたいですが)を装備して自動運転システムの開
発実現が可能だと思います。

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  人工知能パートナーシステム(AIPS)を支える基礎知識

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(1)基礎情報数学

(2)応用情報数学

(3) 数値計算法

(4) デジタル回路

(5)半導体 LSI 特論

(6) ロボット工学基礎 


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              萩原良昭      活動紹介
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 この4月から、神奈川工科大学 情報学部 情報工学専攻において、

「IoT と知識情報処理技術特論」と題して、特別講義シリーズ(15回)が実施されます。

その中で、第3講義(4/23),第4講義(4/30),第5講義(5/14)を担当することになりました。



講義テーマは 「人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術」についてです。



   ●第3講義(4/23)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(I)

   ●第4講義(4/30)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(II)


   ●第5講義(5/14)の解説メモ

      人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術(III)





   ●人工知能パートナーシステムを支えるハードウエア技術の代表として、「イメージセンサー」技術があります:


      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ

          
    
  いろいろな 研究分野の学部生・大学院生のみなさまに分かりやすく説明・解説したいです。





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      ●ここでさらに理解を深める上で、大変参考になる文献を紹介します。

       慶應義塾大学理工学部の黒田忠広教授による特別講演資料です。

          「新しい集積回路で左脳と右脳を創る」

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   一般社団法人 半導体産業人協会での活動紹介


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     また、現在、一般社団法人 半導体産業人協会  http://www.ssis.or.jp/ 

      の教育委員として奉仕しています。  来る 5月28日~29日には、

     協会主催の教育セミナー ( http://www.ssis.or.jp/pdf/kouza/kouza180529_detail.pdf ) にて、


     人工知能搭載、すなわち「賢いイメージセンサー」 と題して講義を担当します。


 
    その講義の補足解説メモをここに掲載します。



      イメージセンサー(賢い電子の目)についての補足解説メモ



     聴講された方は、講義のテキストスライド(32枚)の図を参照しながら、

           この補足解説メモを読んで復習してください。、


 このテーマに関係して平成30年度文部科学大臣表彰 (科学技術部門)受賞ニュースを紹介します。



           
「積層型多機能CMOSイメージセンサー構造」


           の開発で ソニーの3人の献身的な技術者が受賞したニュースです。


              https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201804/18-029/index.html


    この技術のブレークスルーは未来の「かしこい電子の目」の実現と密接に関連があります。      


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  また長年、IEEE主催の半導体集積回路に関する国際会議
   
              http://isscc.org/

  の論文委員・論文委員長・運営委員会メンバーとしても奉仕しました。
  


   一般社団法人 半導体産業人協会発行のニュースレター には、

   当時のISSCCのアジア論文委員長としての活動を報告しています。

            ENCORE N0.48 (2006年10月号)

      http://www.ssis.or.jp/ssis/pdf/ENCORE48.pdf


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   ここで、IEEE Computer Society 主催で、毎年4月に横浜で開催される

   超高速低消費電力の大型集積回路・プロセッサーの国際学会を紹介します。  


   coolchips という学会です。 ( http://www.coolchips.org/2018/ )


        その運営委員会メンバーとして長年奉仕しました。

      現在は、そのアドバイザー・メンバーとして奉仕しています。

   
    昨年2017年は 国際学会 coolchips の20周年記念でした。

       その記念パネルメンバーとして参加しました。

 
        http://www.coolchips.org/2017/?page_id=10



     今年も4月18日~20日に横浜で開催されます。


        http://www.coolchips.org/2018/?page_id=10


    将来の人工知能パートナーシステムをささえるハードウエア、

      すなわち、大型集積回路・プロセッサー実現の為に

   現在、世界第一線で活躍されている技術者を代表する方々です。




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Image Sensor に関連して、米国電子電気工業会(IEEE)主催の

半導体集積回路の世界的な国際会議(ISSCC2013)での

 Plenary Panel Talk の為に 準備したメモをもとに、

  IEEE Solid State Society 刊行 の Journal で、


Solid State Circuit Magazine, 2013 Summer Issue

    に記載した内容をまとめたものです。 


ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo

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  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 010

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

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  Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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 Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

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  萩原は1975年にSONYに入社し、SONYの横浜中央研究所に配属され、

  家庭用小型ビデオカメラ用の固体撮像素子の研究開発に従事しました。

  残像がなく低雑音のCCD( 電荷結合素子 ) は脚光を浴びていました。

  CCDは、電子のかたまり(電荷)を取り残しなく転送できる固体素子として、

  すなわち、電荷転送装置(CTD) としては優れた特徴がありました。

  埋め込みチャネル型CCDの転送効率は、99.999%近い値でした。


  しかし、CCD は本来MOS容量構造なので光を透過することができません。

  固体撮像装置の受光構造には不向きで利用することは不可能でした。


  そこで萩原はSONYに入社してすぐ1975年、CCDの受光素子に代わる、 

  優れた特徴を持つ受光素子( Hagiwara Diode )を発明し特許申請しました。

  CCDが持つ、低雑音で残像なしの特徴をも兼ね備え、さらに超感度な、

  P+NPNsub junction capacitor 構造の受光素子が Hagiwara Diodeです。

  表面が光と通過するガラス質の SiO2 酸化膜で保護された受光素子です。

 

3年後、1978年萩原は、この超感度のHagiwara Diodeを受光構造として採用し、

CCD型CTDを電荷転送構造とした FT CCD image sensor の原理試作に成功し、

SONYの 8 mm ビデオムービー試作に、FT CCD image sensor は採用されました。

そして、1978年、東京では岩間社長が、一方、New Yorkでは盛田会長が、同時に、

記者会見を開き、その超感度で低雑音でかつ残像なしの特徴をアピールしました。


しかし、ここで世界は誤解しました。CCDが超感度だと誤解しました。


本当は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diodeが、実は超感度であり、

かつ、CCDと同様に、低雑音で残像なしの特徴を備えていたから実現しました。


この Hagiwara Diode を SONYは、SONY original HAD と呼び商品展開しました。

萩原特許がSONY固有特許であり、過去に米国 Fairchild社との特許戦争や、

NECとの水面下での特許戦争を乗り越え、SONYが勝利し、正々堂々と、SONY

Original Brand の HAD sensor を商標として事業展開し市場を独占しました。



  CCD は 長い間、CCD型の電荷転送装置 (CTD) として活躍しましたが、

  現在ではCMOS型の電荷転送装置 (CTD) が主流となっています。



その理由は (1)CCDは大きな容量の充放電による消費電力が大きく、かつ、

  (2)転送効率が 99.9999% では 絵素数の多い high vision 画像では

  画像信号電荷の取り残しが問題になってきて混色の原因になるからです。

  それで、現在では、 digital CMOS image sensor が主流となっています。



MOS image sensor の開発は日本では 1970年代に日立の研究者を中心に

実用化されましたが、Hagiwara diode搭載の CCD imager が超感度であり、

かつ低雑音で残像なしの優れた特徴があり、その優れたSONYのビデオカメラ

の性能に負けて、日立のMOS image sensor は、市場から消えていきました。


当時は日立も、超感度低雑音で残像のない、Hagiwara Diode ( SONY 固有

特許構造 ) を MOS image sensorに採用ことは思い浮かびませんでした。


もともとは CCD image sensor 用に考案された corelated double sampling 法

が MOS image sensor に適応され、clock noise が格段に低減されました。また、

CCDの出力段の source follower 回路を各絵素構造に組み込むことも容易に

周知でしたが、なかなかそこまで各絵素の受光用有効面積を犠牲して組み込む

ことは不可能でした。それを可能にしたのは、MOS transistorの微細技術でした。



また、さらにMOS 技術はCMOS 技術として発展し、高速CMOS Cache memory

chip が生産技術も確立し、digital CMOS image sensor が誕生しました。



SONYが代表する小型の digital CMOS image sensor の実用化を可能にした

技術には、image sensor 本体や 一時画像情報保存用の CMOS cache

memory chip だけでなく、現在 USB メモリーで代表される小型の不揮発性

メモリ( NVRAM )の発明( Prof.Szeの発明)の貢献が大きいです。
 


そしてSONY original HAD sensor 搭載 digital CMOS image sensor となり

今に至ります。


SONY original HAD sensor はSONY固有の商標ですので、萩原が1975年に

発明した  Hagiwara Diodeを、世界では、別名の pinned photo diode と

呼ぶようになりました。



Sony original HAD も pinned photo diode も Hagiwara Diodeも同じものです。


この超感度低雑音残像なしの固体撮像装置の受光構造として、萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diode は 今でも 活躍しています。現在では、世界では 

pinned photo diode と別名で呼ばれ活躍しています。











     Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.




        The world does not know the empty potential well

          that Hagiwara drew for the first time in the world

    in the PNP junction type photo sensor structure (Hagiwara Diode)

         that is now also known as pinned photo diode.

 The empty potential well is shown below in Fig.6B of Hagiwara 1975 Patent.


          

            
The empty potential well is the result of

       the complete charge transfer of the photo electrons

  to the adjacent CTD , which implies no image lag high quality pictures.

   CTD ( charge transfer device ) described in Hagiwara 1975 patent

       can be a CCD type CTD and also a CMOS type CTD.

     Hence Hagiwara is the true inventor of the pinned photo diode

which can be applied for both CCD image sensors and CMOS image sensors.



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  萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

  萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

  萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

   https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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     Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

      1975年萩原発明の Hagiwara Diodeは単純な構造特許である。

      
その有効な動作(残像なし)に関しては実施例でいろいろな場合で説明している。

        
基体(substrate)に、単純に PNP 接合構造を設け、そのN層を受光部とする。
          そして、隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を転送する構造を特徴とする
          固体撮像装置、すなわち Hagiwara Photo Diode を特許請求範囲で定義している。

        下の図は、電荷転送素子(CTD)を、CCDではなく、 MOS 型のCTDを採用した例である。

          
         
          簡潔明解で、短い単純な特許請求文の中で Hagiwara Diode の構造を定義している。

          またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例6Bには、
          完全空乏化されたN層の電位図 ( empty potential well )が提示されている。
 

         この図6Bはあくまで特許の応用例の1つである。

          この特許構造 ( Hagiwara Diode ) にはいろいろな有効な動作機能をもつ。

          その1つの例として、縦型OFD機能が組み込まれていることを示唆したものである。


          他にもいろいろな有効な動作機能があることのヒントを示してる。

          構造を定義することにより、すべてのその構造による動作は、一般の半導体物理
          の教科書や技術者に、その詳細が、その構造のあらゆる動作が記述されている。

          構造からその動作は読み取れるものとして、公知文献が存在する場合周知情報となる。

          一般に、その動作は構造を見ることにより、容易に専門家の目で見抜く事が可能である。

          1975年発明の Hagiwara特許は基体(substrate)に PNP 接合構造を定義している。

          すなわち、実際の特許請求範囲では、単純な PNPNsub 接合、すなわち thyristor構造

           を受光部として隣接する電荷転送部(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置と定義している。

          したがって、教科書や技術参考書に公知資料として記述されたthyristor動作、 punch-thru

          動作や、 emiiter-base 接合の順方向電流動作などが built-in VOD として機能することも

          容易に類推することが可能である。

        しかし、特許(発明)は構造特許のみを特許権請求範囲としている。しかし、その実施例に

       例として示された具体的な応用例はすべて、その特許の関連発明と見なすことが可能である。 



          その電位図 ( empty potential well )は、電荷転送動作が、CCD動作と同様に、
          完全空乏化転送であることを意味し、残像がない、高速 action pictureの撮像が
          可能であることを意味する。


           Fossum2014年の fake 論文にはこの事に関する引用が皆無である。

           Fossum is a liar と呼ばれて当然の行為で、Fossumは世界をだました。

          またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例の図5は、電荷転送
          素子(CTD)として 埋め込みチャネル型CCD を採用した場合の図を示している。



          そしてその実施例の図 では、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層のN層と、
          受光部となる Hagiwara Photo Diode の N 層が同一層で同じ濃度であることを
          示し、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層が完全空乏化動作をするのと同様に、
          Hagiwara Photo Diode の N 層も完全空乏化動作することを示唆している。

          特許に含まれた実施例の図6Bの電位図 ( empty potential well )は、世界で萩原が
          1975年萩原特許 で初めて描いものである。誰も他の者はこの図を描いていない。
          これがもとSONYの萩原がpinned photo diodeを1975年に既に発明していた証拠である。

          東北大学の鏡教授が指摘している様に、各社呼び名が違うが、SONYのHAD sensorも
          世界で後に広く呼ばれるようになった pinned photo diode sensorも同じものである。
          そして、SONYのHAD sensorの発明者は萩原であることは、SONY社内で第1級特許
          特別褒賞を萩原が受賞していることからも明らかである。













 
要約(1) 1975 年 萩原は Hagiwawa Diode なるものを発明し、日本語特許を申請した。

    (2) 1978年 SONY は Hagiwara Diode 搭載の FT CCD image sensor の原理試作を、
       大々的に、東京では岩間社長が、New York では盛田会長が記者会見し、
       Hagiwawa Diode を採用することにより可能となった超感度ビデオカメラをアピールした。
 
    (3) 米国 Fairchild社とSony との特許戦争、1991年から2000年に渡る長期の特許戦争は、
      1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の日本語特許のおかげでSONYが勝利した。

    (4) この国 Fairchild社とSony との特許戦争で、1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の
      日本語特許の存在は大きく、当時の大賀会長、出井社長ほかSONY幹部から謝辞を萩原はもらった。

    (5)再び、NECとSONYの特許戦争 が起きた。NECの寺西特許 ( 55-138026 , 1980.10.02 ) と  
      Hagiwara 特許 ( 1975.11.10 )との特許権に関する攻防は、SONYの勝利に終わった。

    (6) SONYは、Hagiwara特許 (1975.11.10 )を武器に、Sony original HAD sensorの商標を登録した。
      SONYは image sensor の市場を独占できた。SONYとの特許戦争で負けた NECは市場から撤退した。

    (7) SONY original HAD sensor で商品展開し、多大な利益を得たSONY は、1975年のHagiwara Diodeの
      発明者である萩原に対して、SONY 社内で第1級特別特許表彰を与えた。


   以上の事実から、Hagiwara Diode 1975年特許の保有社である SONY は 当然自社の特許権を

   守る義務があり、他からの攻撃に対してはその弁護を怠ってはいけない。また、そのHagiwara Diode

   1975年特許の発明者であり、もとSONY社員の萩原良昭の名誉を弁護して守る義務を怠ってはいけない。

   また、Hagiwara Diode 1975年の発明者である萩原良昭自身も自分の名誉を守るため、真実を世界に

   訴える努力を怠ることはできない。真実はいつも1つである。世界は真実を知る権利がある。
           
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1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode 以前の Phodo Sensorの開発歴史を

まとめると次の(1)から(4)になる。


 (1) Base端子を一時的に floating して、光の光量の値で、Base端子の電圧を微妙に変化させ、 

   Collector 電流の値を変化させる Photo Biplar transistor 型の 受光構造が存在した。

    https://www.radio-electronics.com/info/data/semicond/phototransistor/photo_transistor.php

 (2) CMOS image sensorの原理は 1960年代には知られていて、1969年発明のCCD の歴史より古い。

   1960年代に入ると、NMOS digital 回路のプロセスで製造が可能だったが、単純なNMOS transistor

   のDrain 端子を floating にして受光部としていた。 しかし、Drain 端子の拡散濃度(N+)が高かった。

   それで、Drain 端子の拡散の拡散領域を完全空乏化することは不可能だった。その為に、信号電荷の

   取り残しが起きて、映像には残像がつきものだった。NMOS image sensorはは必ず残像があった。

 
 
           https://ja.wikipedia.org/wiki/CMOSイメージセンサ


  その改良版の CMOS image sensor の実用化はまだまだ先の話で、2000年に入るまで待つこととなった。 


(3) 表面型CCDが1969年に米国ベル研で発明された。MOS容量型の受光部で、感度は今いちだったが、

  完全空乏化転送が可能になり、残像がなくなり、かつ熱雑音(CkT noise)がない良質の映像が実現したが、

  信号電荷の転送効率は、 99.9% であり、実用に耐えるものとは言えなかった。ビデオカメラの不可欠な

  5つの特徴の1つ、すなわち、(1) low CkT noise の特徴は実現した。


(4) 埋め込み型CCDが 1973 年に米国ベル研で発明された。あまり評価の対象になっていないのが 

   同じく Bell件の 研究者だった Robert Henry Walden による埋め込みチャネル型CCDである。


   https://patentimages.storage.googleapis.com/cc/94/f8/fa9cce020e683e/US3852799.pdf


   埋め込み構造にすることにより、界面の trap準位から信号電荷を守ることができた。
 
   その結果、完全空乏化転送が実現し、信号電荷の転送効率が 99.999 %近くまで可能となったこと。 


   しかし、あくまで、1969年の Boyle/Smithの発明の CCD の派生種として軽く評価された。

   本当は、このWalden の1973年の発明のお蔭で、CCD image sensor の実用化が加速した。


   この埋め込み型CCDの発明により、(1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image lag

   の3つの特徴がクリアできた。



   しかし、酸化膜界面が空乏化しており、表面の界面順位の存在により、受光部の界面結合電流、

   すなわち 暗電流 ( dark current ) が増加する、新たな欠点が生じた。


   この、埋め込みチャネル型 CCD image sensorには、次に優れた特徴があったが、

      (1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image lag

 
    実用に耐えるビデオカメラとしては、まだまだ不十分で、他に次の2つが必要だった。

     (4) good light sensitivity  and  (5) built-in VOD


    さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流) の問題を抑圧する工夫が必要となった。



(5) CCD型受光部は、本来CCDには金属電極が存在し、それが悪さをして短波長(青色)の色再現が良くなかった。



  しかし、一方、従来の MOS image sensor の受光部は 表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された N+P 接合型の 

  photo diodeで、ガラス体は光を透過することができるので、MOS image sensor の光感度は良好だった。


  そこで、萩原は 1975年、SONYに入社してすぐ、表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された 接合型の photo diode

  に注目し、それを改善して、CCD image sensorの受光構造に出来ないかと、検討を始めた。今までの固体撮像装置の

  開発実績 (1)と(2)と(3)を参考にして、 この3つの特徴を維持しつつ、かつ、光感度が良く、(4) good light sensitivity と

  過剰な high beam 画像にも耐える、 (5) built-in VOD と、 さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流) の

  問題を抑圧する受光構造を考案する必要があった。一番萩原にとってヒントになったのは、1971年と1973年にソニー入社
 
  以前に厚木工場での半導体 bipolar transitorの生産ラインでの夏季実習経験の時に学んだことだった。具体的には、

  表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された、 P+NPNsub 接合型( thysitror)を受光構造として、信号電荷蓄積層(N)から

  信号電荷を完全空乏化電荷転送を実現して、隣接する CTD(電荷転送装置)に転送する固体撮像装置の発明である。






そこで、萩原1975年特許の実施例の一つの例として、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )を受光構造とした

具体例を1つ考えた。そして、その例において、信号電荷蓄積層(N)から信号電荷が完全空乏化電荷転送されて

いることを示唆する実施例を図6Bに示した。


これは、dynamic modeで動作する P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域の完全空乏化電荷転送

の結果、base領域には信号電荷が完全に空になった状態であることを意味した。つまり、 信号電荷蓄積層(N) の中の、

完全空乏した信号電荷の電位曲線、すなわち、the empty potential well の電位曲線を、SONYの萩原が、世界で

初めて描いたものである。当時は、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層(N) が完全空乏化転送により、the empty

potential well の曲線は周知だったが、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域内の、the empty

potential well の曲線は、SONYの萩原が、世界で初めて描いたものである。





実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。






実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。


その発明は、萩原特許の図2から明確に読み取れる。受光部の拡散濃度(N)と 埋め込みチャネル型CCDの埋め込み層

の濃度(N)が同一濃度ので、同じ濃度(N)として図2に表記されている。この萩原1975年の発明以前の、当時のNMOS

image sensorでは、受光部の floating の拡散層の濃度(N+) とは違う表記となっている。

















萩原1975特許( Hagiwara Diode ) の派生構造としての実施例を以下に4つ列記する。


 (1) 受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン止めされたP+端子)をつけたもので、 

   pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。


 SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して

 いないCCD開発担当の管理職もこれが萩原特許そのものと勘違いして、萩原

 特許は使いものにならないとけなし、その将来性を見抜くことができなかった。

 この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを

 各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは一言も書いていない。

   
この構造が製造可能かどうかは別の話として構造特許の有効性の説明には使える。

これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを示唆した実施例である。


実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、

他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOFの実現が

可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許としているので、

その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造特許として重要である。

 

このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diodeをも

含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解であること

からも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、また、

トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは自明である。

    

(2) Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、

  表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。

  超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが

  できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。

 

この後、萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、

Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した 

pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案したが、

SONY 開発部隊のTOPには理解されず、却下され、萩原1人で検討

を始めたが、デジカメの実現に不可欠な 高速 Cache SRAM chip

の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに

なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。

ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜び、「 これで

勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも聞こえてきた時は、

萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。


(3) Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された 

pinned photo diode 構造(1979)では、表面のP+層の濃度をさらに濃くして

電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化

電荷転送することを実現していたHynecek発明である。萩原1975年特許

構造を採用して、さらに発展させた派生構造のHynecekの新しい発明である。


ここで、萩原は「Hynecekが発明した Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」

とは言っていない。 Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文はここでも、 

うそを書いている。Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を

非常にバイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。




 

(4) NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を

組み合わせた形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板の

Psubが導通した pinned photo diode 構造を採用した Interline 型

CCD imager を発表した。




   その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に

   萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された 

   P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo

   diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の 

   IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造

   の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年

   特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの

   技術者も見ているはずである。そして、1978年には同時に FT 型CCD image

   sensor での pinned photo diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image

   sensor を、SONYの岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見

   して、大きく、次世代のビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。



   


   ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で

   発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。

   Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

   Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

   記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

  これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、すなわち、

  のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した実施例(派生copy) である。

  あくまで、pinned photo diodeの発明は、1975年の萩原特許によるものである。


   いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。



















 1975年にSONYの萩原が pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) を発明しました。










 実は、水面下で SONY1975年萩原特許と NEC1983年寺西特許の間で、長年、つまり、

 SONYとNECの間で、特許戦争が水面下でありました。しかし、SONYの勝利で終わりました。 

 SONYは pinned photo diode 関連特許で NEC に特許料を支払った事実はありません。


 NEC は 1983年の寺西特許が、世界最初の残像なしの受光構造だと主張しました。

 しかし、事実は 1975年萩原特許( hagiwara diode )が世界最初の残像なしの受光構造です。


    SONYとNECの特許戦争で、 SONY 側から NEC側に対して出した公式見解資料


 1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) は完全電荷転送動作で動作させることを特許の

 例図6B で示しています。これは残像なしの高品質 action picture を可能にすることを

 提示したものです。かつ、構造から 1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) が超高感度で

 低雑音であることは自明です。 その証拠となる 萩原1975年特許の例図6Bに描かれた 

 the empty potential well の曲線を下図に示します。CCDの動作原理を理解する技術者

 ならだれでも周知の一般常識です。Fossum 2014年論文はわざとこのことを隠して引用して

いません。たいへん卑怯でうそで固めた論文です。 この萩原特許( Hagiwara Diode ) の 

the empty potentioal curve , つまり、完全電荷転送を意味し、残像なしを意味する、一番

重要な the empty potentioal curve の記述を、Fossum 2014年論文はわざとこのことを

隠して引用していません。たいへん卑怯でうそで固めた fake 論文です。名誉棄損問題です。





     SONY入社して、すぐ 26歳だった萩原が、Hagiwara Diode を発明し、その受光部(N層)に、

         世界ではじめて描いた the empty potential well の曲線曲線です。

             CCD以外でも完全電荷転送が可能であると示唆しました。

        いや、CCDの受光構造よりも優れていることを世界で初めて示した図です。

     この Hagiwara Diode  ( PNP junction 構造)を搭載することにより、

        CCD image sensor も CMOS image sensor も超高感度になることができるのです。


   Hagiwara diode なしでは、 CCD image sensor も CMOS image sensorも 超高感度にはなりません。





SONYは NECとの pinned photo diode 特許戦争に勝利し、正々堂々と、 SONY original HAD sensorの商標で

世界で image sensor の市場を独占しました。超感度、低雑音で残像なしのSony original HAD sensor 搭載の 

CCD image sensor だけでなく、今でも、 萩原1975年特許のHagiwara Diode は、超感度、低雑音で残像なしの

Sony original HAD sensor 搭載の名前で、高性能 didgita CMOS image sensor として活躍しています。


高性能 didgita CMOS image sensor は、萩原を含むSONYの技術者全員の創意工夫と努力の結果得た産物です。





特許権を失ったNECは image sensor の事業から撤退する運命となりました。


特許創意工夫がどれだけ商品の事業展開に不可欠であるかを実感する結果です。



その事実を不満と思ったのか、 このままでは、SONYと萩原の勢いに押されてしまうと危機感を意識したのか、

Fossum は 不当な嘘の fake 論文をあたかも真実の様にでっちあげ、 2014年に発表しました。


そして、英国王室だけでなく、日本の皇室も含めて、世界の素人さんをだましました。



この Fossum の 不当な嘘の fake 論文は、一般人には理解できない、わかりにくい、あいまいな記述で、嘘の証言

を繰り返しています。 これは 中立な立場で記述された review paper ではなく、 fake paperです。 事実誤認で、

はなはだ不明瞭な表現方法で、世界をだましました。また、さらに、Fossum 2014 fake 論文の中で、「 pinned photo

diodeの発明者は もと NEC の寺西である。」 と全く根拠のない嘘の結論を出しています。


萩原1975年特許の存在とその詳細は、多くの世界の技術専門家は知りませんでした。そのまま、Fossumの嘘の虚述に

だまされてしまいました。Fossum 2014 論文が、嘘の証言であることは、萩原の1975年の萩原特許の特許請求範囲を

定義した日本語の文書を一読した方々なら容易に理解できます。Fossum 2014 論文では、萩原特許の特許請求範囲

の公式文章に記載された本当の萩原特許の内容は一切引用していません。たいへん不当な嘘で固めた論文です。





この Fossum の 不当な嘘の fake 論文には 一切、萩原1975年特許の特許範囲請求文の引用はありません。

萩原特許の例図の一部を持って、それが萩原特許のすべてであるようにFossum は 不当な嘘の fake 論文には

記述されています。たいへんバイアスされた、嘘の論文です。



あたかも自分がしっかり萩原の1975年の日本語特許を読み理解しているような態度で Fossum 2014 年 fake 論文

で、萩原特許をめちゃめちゃに攻撃しています。 自分にとって都合の悪い内容に関してはすべて隠しとおしています。


また、萩原の1975年の日本語特許にある例図に描かれた the empty potential well 曲線の引用もありません。


この曲線は、たいへん重要な曲線です。世界ではじめて萩原が描きました。



*************************************


CCD固有の完全電荷転送動作がCCDだけでなく、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diode

でも実現可能であることを示唆するものです。このHagiwara Diodeが、残像なしで低雑音でかつ超感度の半導体受光構造、

すなわち、未来の鉄腕アトムの電子の目の網膜細胞に相当する画期的な発明であることの証拠となります。このたいへん

重要な、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diodeの受光部(N層)のthe empty potential well 曲線の

存在を、 Fossum の 不当な嘘の fake 論文は 完全に隠しています。たいへん不当( unfar, biased and fake )論文です。


これはたいへんけしからん話です。 このことをNECとSONYの特許戦争の時にSONYが主張していたことをNECもその論争の

対象となっていたのはNEC1983年の寺西特許です。寺西もSONYとNECの特許戦争でNECが負けたことを知っていたはずです。

なのに、ぬけぬけと自分が pinned photo diodeの発明者のふりをしていることは、たいへんけしからんことです。偽りの顔です。









 (1)  Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


    "However, the 1975 application did not address complete charge transfer,

      lag or anti-blooming properties found in the NEC low-lag device,

      and does not seem to contain the built-in potential step and charge transfer device

      aspects of the virtual-phase CCD."


     この文章からも明らかな様に、 Fossum は、 萩原特許に含まれ例図6Bの存在を全く知らない無知な人間か、

     それとも、わざと自分の都合の悪いことを隠す極悪非道な詐欺師かどちらかである。


     嘘の虚述で、完全に萩原を侮辱している。


 (2) また、Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   ”Hagiwara repeats these claims in a 2001 paper [26]  and shows a VOD structure

    that is not found in the 1975 patent application. ”


    [26] Y. Hagiwara, “Microelectronics for home entertainment,”

       in Proc. ESSCIRC, Sep. 2001, pp. 153–161.




  しかし、 1975年萩原発明の  Hagiwara DiodeのP+NPNsub junction 構造そのものが 

  VOD 機能を持つ構造であることは自明である。彼はまったく萩原特許を理解していないばかものである!




(3)また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   " Sony did not seem to pursue the HAD structure until well after the

     NEC paper was published. "


  しかし、1975年の萩原特許で Hagiwara Diode は発明され、 1978年には FT CCD imagerの

  試作に Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) はその受光構造として採用されており、

  これが後になって Sony original HAD  sensor と商標名が登録されただけで、HAD sensorの

  開発は、萩原が 1975年に Hagiwara Diode を発明した時点から始まっている。


  SONY内の TOP(越智さん)の反対にもめげず、萩原はSONY内のプロセス担当者( 狩野さん、阿部さん、

  松本さん)の支援を受けて、自分でimage sensor を設計し、さらに自分でプロセスラインに入り試作している。



(4) また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様に事実誤認の認識不足の記述をしている。

  " However, the “narrow-gate” CCD with an open p-type surface region

   for improved QE also disclosed in the 1975 application was reported in more detail

   by Hagiwara et al. at Sony in 1978 [27].


   [27] Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada,

   “A 380Hx488V CCD imager with narrow channel transfer gates,

    ” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18, supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.


  まさに、この論文に、Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) を搭載したFT CCD imagerの

  試作結果を報告している。その性能は、単純に超感度だけでなく、残像のない、低雑音な受光構造であることを

  実証した論文である。SONYが東京とNYで大々的に記者会見した超感度で残像がない低雑音のimage sensorの

  世界最初の pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) 搭載の新聞発表である。これが最初の、pinned photo

  diodeの原理試作であることは、多くの世界のCCD 開発の権威者も認めている。





  以上の例以外にも多くの虚述がこの Fossum 2014年論文には存在する。



(5) そして最後に、このうその論文は、次のように嘘論をはいた。



 "The PPD, as it is most commonly used today, bears the strongest resemblance

  to the Teranishi et al. ILT CCD device. Thus, these days Teranishi is considered

  as the primary inventor of the modern PPD . "


 と嘘の証言をしている。


この嘘の結論は、上記 (1),(2),(3),(4) の嘘の証言の上で出された嘘の結論である。

 

これを真実とは到底認めることは不可能であり、断固として、萩原とSONYはこれに抗議する。


 このままでは、 SONYの商標名、 brand name の SONY original HAD sensor は、

 もと NEC の寺西の pinned photo diode の発明によるものとなる。


 SONYの商品は NECのcopy品であるという、汚名を受けることになる。


 これは絶対に許されない。 萩原とSONYに対する大きな侮辱である。


  Fossum がこのFake 論文を書いた目的がはっきりした。


  SONYと萩原をけちょんけちょんにけなし攻撃する事により、

  Fossum 自身の業績が強調でき、Fossum自身が 

  modern didital CMOS image sensor の開発者であると主張することである。


 しかし、今世に見る modern didital CMOS image sensor は SONYの多くの技術者の

 努力の結晶により完成したもので、 Fossum 1人が開発したなどとは到底考えられない。


Fossum は、暗闇の中で、政治的に動き、技術的に素人である方々さんを多くだました結果である。 



  どうして嘘をならべて萩原とSONYを攻撃したかがこれで明らかである。


  萩原とSONYの存在が邪魔だったわけだ。。。








  Fossum 2014年 論文は、 嘘の虚術を並べた、絶対に許されない詐欺行為である。

























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  The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 011

            hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

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SONYと 米国 Fairchild の特許戦争 (1991~2000) は SONYの勝利で終わりました。

  萩原の1975年特許 (Hagiwara Diode = pinned photo diode )の存在が幸いしました。




SONYは、米国 Fairchild 社から次の2件の基本CCD特許で訴えられていた。



(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層polysilicon電極型 CCDの製造方法に関する特許

(2) Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許


多くの日韓の大手半導体メーカを相手にした特許戦争である。その特許請求額はSONY一社で600億円にものぼった。


(1)のAmelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )は、先行文献があり簡単に無効とされ却下された。


実は、Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )に関しては、すでに 1973年12月に国際会議IEDM1973で

米国 Hughes Aircraft社の D.M.Erb氏等による論文 "An Overlapped Electrode Buried Channel CCD", IEDM1973,

Dec. 3-5 が先行しており、SONYのCCDの製造方法は、Amelio USP 3931674特許の製造方法ではなく、この米国

Hughes Aircraft社の D.M.Erb氏等による論文の手法を採用していたことが幸いした。発明時期が、米国 Hughes 

Aircraft社の論文が先行していることで、簡単に却下された。


しかし、(2) のEarly USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、たいへんてこずった。


その救いとなったのが、 1975年萩原が出願した、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeの発明だった。



Hagiwara Diode自身はもともと絵素構造に組み込み縦型OFD機能を持つ万能の高性能半導体受光素子として誕生した。



その後、 SONY original HAD sensor と呼ばれるものも、現在、 pinned photo diode と呼ばれるものも、この1975年の

萩原特許で定義された SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeと同一のものである。これが裁判を救った。






萩原の母校( CalTech ) の先輩で、当時 UC Davis校の教授をしていた Prof. Bob Bower がこのHagiwara Diodeの発明

について裁判の中で技術証言した時、その発明者の名を尋ねられて時、Prof. Bob Bower は裁判官に対して、発明者は

自分の母校( CalTech ) の後輩で、Prof.C.A.Meadの指導のもとで、CCD のPhD論文を書いた、Yoshiaki (Daimon) Hagiwara

であると証言した時、Fairchild側はびっくりした。それも当然である。 Fairchild社は,もともと、CalTechの卒業生であり、

萩原とProf. Bob Bowerの先輩でもある Dr.Gordon Moore が創設した会社である。Dr.Gordon Mooreは Intel社の

創設者でもある。



実は、 Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、萩原が発明した Hagiwara Diode 特許の出願は、

1975年11月10日となっており、数か月であるが、Early USP 3896485より遅く、この2つの発明の相違を説明するのが

たいへんだった。



半導体素子構造とその物理動作の理解が不可能な一般市民(陪審員)を含む裁判関係者に理解してもらうことは

容易ではなかった。単純に言えば、1975年の萩原特許(Hagiwara Diode)は、表面が酸化膜(SiO2)で保護された、

SiO2_P+N-PNsub 構造となっている。



一方、Early USP 3896485 米国特許では、CCD型の受光構造そのものを採用していた。表面はCCD特有のMOS容量で

構成されている。表面が金属電極で覆われた表面型のCCD構造を採用しており、その下に埋め込みN+拡散層があり、

OFDの機能を果たした。



Early USP 3896485 は、CCD型の受光素子を使ったMOS型のOFD構造であった。しかし、SONYのCCD製造方法では、

thyrister 構造の受光構造 ( Hagiwara Diode ) を採用していた。 すなわち、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造 をとり、

2つは、まったく構造が違っていた。 



SONYのCCD製造方法では、thyrister の動作 modeの1つである punch thru 効果( 周知の基本動作 mode )を採用した

OFD 動作であり、自動的に縦型のOFDが組み込まれた構造となっている。1975年萩原がこのHagiwara Diode特許を

出願した時には、CCD動作はすでに、完全電荷転送による残像なし効果と低雑音という優れた特徴を持っていた。


1975年に萩原が出願した Hagiwara Diodeの発明特許は、このCCD動作と同様に、完全電荷転送による残像なし効果と

低雑音という優れた特徴を持ちつつ、さらに、thyrister 構造のSiO2_P+N-PNsub junction 構造を採用することにより、

CCD型の受光構造にはない、超感度特性と組み込み縦型OFD機能を装備した受光構造を可能とした。



Early USP 3896485 米穀特許は、Metal_SiO2_P_N+ 構造となっており、一方、SONYのCCD製造方法は、

thyrister 構造となっている。


この2つの構造が本質的に違い、別物であることは、、半導体技術専門家には容易に理解できることであったが、

裁判関連担当者は、一般人で、半導体素子の構造とその動作に関しては「素人さん」であり、その方々に

ご理解していただく事は、そう簡単な事ではなかった。



素人を相手にするのではなく、学会で知り合った技術者や、母校(CalTech)の先輩や教授恩師に話しかけ、

根気強く時間をかけて、萩原の意見を説明し、中立な立場で彼らの正直な見解を萩原は聞いてまわった。



わらでもすがる思いだった。自分の1975年特許をただ一心に守りたかった。萩原は発明者としての誇りを

一心に守りたかっただけである。最終的に技術者の世論となり、その声は、裁判官にも届いた結果となった。 


Reference :  Y. Hagiwara, “High-density and high-quality frame transfer CCD imager

         with very low smear, low dark current and very high blue sensitivity,”

         IEEE Trans. Electron Devices, vol. 43, no. 12, pp. 2122?2130, Dec. 1996.


In this paper, Hagiwara, in 1996, revisited the 1975 invention of Hagiwara Diode ( pinned photo diode )

and claimed that the virtual phase CCD has a P+NP junction sructure ( Hagiwara Diode ) in common

Hagiwara Diode was also essentially the invention of the NEC low-lag structures, and as well as

the basis of the Sony so-called “Hole Accumulation Diode,” or HAD structure.













SONYと 米国 Fairchild社との特許戦争では、米国 Fairchild社は次の2つの特許料請求権を主張した。


(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層電極型 CCDの製造方法に関する特許がその1つである。

   この特許に関しては、先行周知技術資料の存在が判明し簡単に却下された。


 1973年12月のIEDMで、もと米国 Hughes Aircraft 社の技術者が発表した、2層電極型 CCDの構造とその製造技術

 に関する発表があった。SONYは幸いにもこの構造での製造方法に近いものだった。実は、この国際会議 IEDM1973

  に出席していた Fairchild社の Amelio は、Hughes Aircraft 社の発表をヒントにその3ヶ月後に派生特許を申請した。

  「Amelio はたいへんずるい奴だ。」と批判する技術者の話を萩原は国際学会でいつも会う友人たちから聞いた。



(2) Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許が2つ目である。


SONYのimagerの製造方法は、 1975年11月10日に萩原が出願 がした特許 ( JAP 50-134985, 1975 ) 構造であったが、

出願日が Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) の方が数か月早かった。これがたいへんな問題となった。

技術的にこの2つの受光構造がまったく異なる構造であることを、裁判関係者(半導体物理を理解しない一般人から選ばれた、

陪審員裁判での陪審員など)に説明し、理解していただくことは、容易な仕事ではなかった。当時、もう萩原はSONYのCCD

開発部隊から首になり、別の仕事に従事しており、この裁判は社内でも最高極秘事項で関係者以外にはまったく社内でも

その情報は知らされていなかったが、その裁判の有力なSONY側の武器はまったく見つからず、やっと特許担当者が社内

の特許リストから萩原1975年特許を見つけて萩原に連絡がきた。当然、当時SONYのCCD開発部隊のTOPの越智は

萩原1975年特許を知っているはずと思っていたが、完全に1990年になると、萩原1975年特許のことを忘れていた。

これにも萩原は寂しい思いだった。当時のSONY側の特許裁判のTOP責任者の越智がその存在を忘れており、特許担当

者がこっそりと私に連絡してきたことが、たいへん萩原には不自然に思えた。萩原と越智がCCDの開発方針で意見が合わず、

最終的に萩原が首になり、越智がTOPのCCD部隊から去っていたことは周知だった。後進の浜崎たちに萩原が技術継承

をしていた事実を越智は認めたくない心情であった。その後のCCD開発の部隊の仕事の中で萩原が残した遺産でCCD技術

が支えらていることは、萩原が育てた後輩たち、竹下、松井、奈良部、浜崎、石川たちは理解してくれていた。浜崎は内心、

越智のCCD開発部隊に疑問を感じ、結局SONYをやめた。浜崎はSONY退社前、ISSCCの論文委員をしており、その技術

内容に関してもいろいろ浜崎から組織を超えて相談を萩原は相談を受ける、中研時代からの古い友達だった。浜崎はSONY

退社を決心した時、ISSCCの論文委員の仕事を引き継いでほしいと萩原に頼んだ。



いろいろな面で越智は、萩原に助けてもらうことを良きとせず、彼の著書や社内技術書のはまったく萩原の貢献を示す記述は

ない。その後、特許裁判で勝利しても、越智の技術報告書や著書には、萩原の重要な貢献を引用した記述は全くない。しかし、

SONY社内ではいろいろと萩原の貢献を示す証拠が今でも残っている。萩原は今までそれを公開したことはなかったので、

萩原の貢献は完全にSONY社内からも忘れ去られることになってしまった。







この2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) の前にも、別件で、1996年度にも、

萩原は、SONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞している。ともに本来は pinned

photo diode の超感度、低雑音、低暗電流の特徴を持つのは当然として、それ意外にも、

縦型 OFD の機能が自動的に装備された構造であることに萩原は注目していた。


萩原が受賞した2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) では過剰信号電荷の吐き出し機能を特徴とした。


萩原はこれ以外にも1996年度のSONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞していた。外部制御電圧を使って、

過剰信号電荷の吐き出し制御を行い、ガンマ―補正機能付き受光構造を実現していた。これで CCD image sensor

の dynamic range を大幅に改善することができた。萩原がOFD機能を外部電圧制御するという基本動作をすでに

1975年の萩原特許の発明の時に考案していたが、その具体的な application の1つを、1977年に萩原が考案して

いるが、なぜかその筆頭がいつの間にか、越智、橋本、萩原として特許登録された。


1975年萩原発明の、 thyristor 構造を特徴とする SONY original HAD sensor は、すなわち VOD 機能付き 

pinned photo diode は、 さらに可変速電子シャッターとしても期待されるもので、有能な半導体受光素子構造だった。


しかし、萩原がその説明を特許の有効性を示す特許詳細説明文に追加することは許されなかった。


当時は、 computer の programing も、半導体集積回路の layout 図面でさえも know how と考えられ、

特許と認められることがない、技術者が保護されない悲しい時代だった。萩原もその悲しい技術者の一人だった。



後に萩原がCCD部隊から外れた後、CCD開発TOPの越智は、単独で、可変速電子シャッターを最初の考案者である

萩原と情報シェアすることなく、こっそり単独特許(特許第1522884号、特許1615692号)を申請した。そして、ずいぶん

後になるが、1996年に当時の半導体TOPの越智は、社団法人日本発明協会から全国発明表彰を越智単独で受賞した。


萩原発明の SONY HAD sensor は、もともと、 thyristor 型 埋め込みOFD機能付き半導体受光素子構造であり、

萩原の1975年の発明であり、そのOFDの動作を外部電圧で制御して、(1) 過剰電荷の掃き出し (2)ガンマ補正による 

dynamic rangeの増大 (3) 高速電子shutter 機能による、高速 action picture の撮像を可能にすることは、1975年

萩原がHagiwara Diodeを発明した時には、萩原は当然構造体の動作は Knowhowに所属し、簡単に専門家なら推測、

類推が可能であり、ことあるごとに萩原は、Hagiwara Diode の将来性を述べていたが、その内容を理解した技術者は

いなかった。次第、 1975年萩原が発明した Hagiwara Diodeそのものが、SONYのCCD開発技術者の中に覚えている

ものはいなかった。


当時、萩原は一人で、SONYの開発部隊が手がける CCD image sensorの設計を全機種、担当していたが、 当時のCCD

開発部隊が全力投球で試作をしていた透明電極で横型OFD搭載の ILT CCD は、プロセスが複雑で、欠陥のない 大口径の

image sensorの試作は難しい、本命になり得ない、ダメだと萩原は主張していたが、完全な一人の技術者の「つぶやき」程度に

とられ、当時のCCD開発部隊のTOPは聞く耳を持つものはいなかった。



そのことを萩原は中央研究所を訪問していた岩間社長に直接話したこともあった。


そのことが当時のCCD開発部隊TOPのは面白くない話だった。反対に、萩原が発明したthyristor型受光構造は難しすぎる

として、その試作検討構造として採用することを、当時のCCD開発のTOPは拒否し、興味を持つこともなかった。


しかし、NECの寺西チームが 1982年に IEDMで buried photo diode搭載の ITL CCD  imager の原理試作を

発表した時、今まで、当時のCCD開発のTOPが本命とした、 透明電極で横型OFD搭載の ILT CCDは、やっと断念し、

萩原が発明したthyristor型の受光構造の開発にSONYのCCD部隊は初めて全力投球した。しかし、SONYの担当

技術者はそれがNECの発明だど信じていた。萩原1975年特許は当時完全にCCD開発責任者TOPのほんの数人しか

記憶になかった。いや、SONY開発担当者は完全に全員当時萩原1975年特許の存在を忘れていたかも知れない。

当然、後からCCD部隊に参加した若手技術者には萩原特許の存在を知るものもいなくと当然だった。


SONYの技術者はその構造が萩原が1975年に発明したものであることはまったく理解されていなかった。


萩原ももうすでにCCD開発部隊から離れ、他の仕事に没頭しており、自分の発明であることを、

当時のCCD開発部隊の技術者に積極的に宣伝することはしなかった。




すべては、1975年の萩原特許が当時としては典型的な構造特許であり、まったくその構造から期待される

いろいろな動作に関する記述がまったくないことによるものである。まだコンピュータのソフトや集積回路の

layout 図などがそのまま特許として認められる時代ではなかった。また半導体素子の使い方、動作に関して

も特許対象とは考えられていない時代であった。発明はすべてその半導体構造とその構造の有効性を

他社にわざわざ教えることは、knowhow と見なされた時代だった。賢い人間ならその構造からいろいろな

半導体物理の教科書や技術文献か公知・周知情報として類推・連想できるものとしていた。



当時は動作説明は knowhow に当たるとして、特許は、その構造から見えるヒントをできるだけわかり

にくく記述することが重要とされていた。萩原が当時の特許担当者とのやりとりで、唯一、主張し特許に

組み込めたのが 信号電荷の蓄積部(N層)の完全空乏化電荷転送の結果である。すなわち、 the empty

potential well の電位曲線図であった。今でもこれが一番重要な動作記述情報である。


当時の半導体TOPの指示では、「構造特許のみを請求範囲に入れることで充分で Know How に

かかわるデバイス構造体の動作は容易に専門家なら容易に類推できるものとして、あまり構造特許には

詳細を記述するな。」という話だった。


しかし、NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の 

CCD image sensor を発表した。 NECは、1975年の萩原発明のHagiwara Diodeとは認めず、独自に、

buired photo diode と呼んだ。 1975年萩原発明の Hagiwara Diode は P+NPNsub 接合型の半導体

受光素子であるが、構造上、表面がP+層であり、受光信号電荷の蓄積部のN層が、表面になく、P+層の

下にあり、文字通り、埋め込み層の buried photo diode と呼んだ。後に、 世界一般では、さらに別名で、 

上層部の P+ が floating ではなく外部電圧で固定されているので、 すなわち、 pin 留めされているので、

 pinned photo diodeと呼ぶ様になった。


これらはすべて萩原1975年発明の Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子である。


NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の 

CCD image sensor を発表した後、SONYではあわてて、後追いで、今まで、1975年の萩原発明の

Hagiwara Diodeを無視して、その開発を反対していた、SONYのCCD開発TOPの越智の態度も180度

変換せざるを得なかった。当時SONYの開発部隊TOPの越智とは意見が合わず、萩原はすでに

CCD部隊を去っていたが、中央研究所から優秀な技術者で萩原の友人だった浜崎が、入れ替わり、

越智のCCD部隊に入った。萩原の技術とKnowHowを、萩原は喜んで浜崎に継承した。浜崎が

萩原の代わりに、萩原の夢を、越智のCCD部隊で実現してくれるからである(笑顔)。


さらに、後輩の米本も越智のCCD部隊に入り、1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub

接合型の半導体受光素子は急速に今までのKnowHowの蓄積もあり、すぐに原理試作が完成し、

 HAD sensor として商標登録され事業化を展開し市場を独占した。


この際、NECから SONY HAD sensor は NECの寺西特許が先行すると主張され、

SONYのCCD部隊は困った状態になった。そのころには、CCD開発TOPの越智をはじめ、

浜崎も米本も含め、SONYのCCD開発技術者の間では、萩原が 1975年に発明した 

Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在は完全に

知らされることもなく、忘れさられていた。萩原もそのころには、CCD開発から離れ、

米国 Fairchild社との特許戦争や、NECとの特許戦争に関しては、社内の友人からは

うわさ話をして聞くことはあったが、公式には萩原はCCD開発部隊からは部外者として

社内の事情の報告を受ける立場ではなかった。あまり、萩原はその特許戦争の内容を

教えてもらえなかった。最初に萩原に特許裁判の存在を教えてくれたのは、萩原の母校

の先輩のProf.Bob Bowerであった。SONY側の技術擁護弁論の為SONYが雇用していた

社外技術専門家だった。最後は特許担当者が萩原自身に組織を超えてアドバイスを

求めてきた、初めて萩原は事の深刻さに気が付いた。しかし、結局、萩原が 1975年に

発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在

のお蔭て、米国 Fairchildとの戦争にも、NECとの特許戦争にも SONYは勝利した。




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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

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最終的にSONYの SONY original HAD sensorの開発が本命と位置づけられた。

浜崎さんや米本さん、さらにCCDプロセスを担当した神戸さんをはじめ多くの

勤勉な技術者の努力で完成した、 SONY original HAD sensor であったが、

その特許は、1987年出願特許(浜崎、鈴木智、賀川、石川他)として

申請されていたが、明らかに、NECの寺西の1983年のIEDMでの発表と

その関連の寺西特許の方が先行していた、あくまで、NECの寺西特許の 

pinned photo diodeの派生構造特許に過ぎず、NECから、猛烈な特許工業権利に

関する攻撃には、SONYの半導体開発陣は無能であった。唯一、SONYが武器に

できたのは、最終的に、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub

接合型の半導体受光素子だった。この萩原1975年特許の存在のお蔭で、 

SONYのHAD sensorは、 NECの copy の汚名を受けることはなかった。

事実上、NECの寺西のIEDM1982に発表した、 buried photo diode 搭載の 

ILT CCD imager が SONYの特許の copy となった。






その結果が、2000年度の萩原のSONY HAD sensorの基本特許の発明考案実施褒賞 第1級最優秀賞の受賞である。

これを萩原が受賞して、CCDの開発部隊の技術者はみなびっくりした。それまで HAD sesnorは、CCD開発TOPの

越智の部隊が、浜崎さんたちを中心に開発した HAD sensor は NECの copy だと特許請求権に関する論争(特許

戦争)となったからである。その戦争で、完全にSONYの負けが宣告される寸前で、1975年萩原特許はSONYを救い、

CCD開発部隊の勤勉な努力を無駄にすることにはならなかった。1980年から20年間、萩原はSONYで長い間、

冷たい目で見られていたが、この受賞を堺にして、萩原を見る社内の人間が目が変わった。





しかし、ここでも萩原にとって腹の立つことが起きていた。










この話は、萩原1975年特許の the pinned photo diodeを本命とせず、

他のCCD方式を本命とした当時のCCD開発TOPへの萩原個人の抵抗と

抗議の話だった。しかし、まんまとその客観的な理論解析内容が利用される

結果となってしまった。





1975年には既にCCDの the empty potential well の電位図の物理的は意味

は周知でした。すなわち、CCDの the empty potential well の電位図は、

完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像をCCDが提供するという

すばらしい特徴をCCDが持っていることは周知でした。





See Fig.53 in p.425 of Physics of Semiconductor devices

by Prof.S.M.Sze, 2nd Edition ISBN 0-471-05661-8

for the detailes of (a)BCCD (b)Enerygy band for an empty

potential well and (c) Energy band when a signal packet

is present. See also D.C.Burt, " Basic Operation of Charge

Coupled Devices," Int. Conf. Technol. Appl. CCD,

University of Edingburgh, 1974, p.1 .


萩原は1975年発明の特許の Hagiwara Diode ,すなわち、

現在世界で pinned photo diodeの受光構造でも、CCD型の

受光構造だけでなく、the empty potential well が実現可能で

あることを世界で初めて1975年に特許の中で明らかにしました。




NECとSONYの特許戦争でもこのthe empty potential well の論点が最大の課題

となりました。萩原が動作に関する記述はKnowHow に所属するのでできるだけ

記述説明を除外せよとの当時のCCD開発TOPやそれに従る特許部のStaffの

アドバイスにも抵抗して萩原が「これだけは重要だ」と主張した、この完全空乏化

電荷転送の電位ポテンシャル図の存在のお蔭で、SONYとNECの特許戦争で、

SONYが勝利できた。これは 萩原が1975年に発明した Hagiwara Diode が、

先行特許構造であることの証拠となった。逆にNECの寺西特許は萩原が1975年に

発明した Hagiwara Diodeのコピーであることを証明したことになった。すなわち、

萩原が pinned photo diodeの本当の発明者であることの証拠でもある。


 



Hagiwara Diodeの特許1975の図6に萩原が描いたthe empty potential well は、

完全空乏化電荷転送の結果、電荷蓄積部が完全に空になっていることを意味し、

それは action picture など高速撮像に不可欠な残像なしの映像を可能にします。

萩原は1975年にすでに Hagiwara Diode ,すなわち、現在世界で pinned photo

diodeと呼ばれる受光構造でも、「残像なし」というすばらしい特徴を持っていること

を示唆した明らかな証拠です。


この事実は理解するには、半導体物理と半導体素子の動作原理をしっかり

学習し理解する必要があります。


たいへん難しい概念ですが、バケツに入っている水をすべて掃き出せば、

バケツの形状だけが見えることのたとえで、半導体物理原理により、

半導体の受光部のバケツの形状がこの the empty potential well の形状

となることを萩原は1975年の特許の図6に世界で初めて描き明らかにしました。


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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(8) Fossum 2014年 Fake 論文について


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特許で一番重要なのはあくまでその特許に記載された公式特許請求範囲である。特許に添付

されている実施例はあくまでその特許の有効性を説明するための応用例にしかすぎない。特に

その素子構造の動作に関する記述となると、その素子構造の使い方のknow-howとなりなかなか

特許権利を行使できるほどに正確に記述は難しく、また動作原理を特許審査官に理解してもらえる

ことはほぼ不可能で、可能であっても新規なアイデアであればあるほど時間と努力がたいへん

かかる難問である。いずれにせよ、商品化にあたり、その素子構造をまず採用しないと、その動作は

実現しないのだから動作に関しては記述する必要がまったくないのが構造特許の本質である。


当然、その特許で定義される素子構造の応用例すべてを特許の実施例として添付必要はない。


構造特許に添付される実施例は、ほんの数件の有効な実施例を示すだけで充分である。あくまで

その素子構造に最大の特許の価値があり、それが知的財産として企業の事業展開に大きく影響する




米国 Fairchild社は、長年萩原1975年特許( 埋め込みVOD機能付きのpinned photo diode構造)

を攻撃していたが、その攻撃論法は、このFossum 2014 fake paper でも悪用されている。すなわち、

特許に記載された正確な特許請求文を無視して、「特許の実施例を、特許請求範囲そのもので

ある」
かの様な論理性欠如した論法で攻撃している。実施例はあくまで応用例であり、特許の公式

な請求範囲を制限するものではないことは誰でも理解できることである。特許の正確な請求範囲

が日本語で単純明解に記述されていているにもかかわらず、日本語が理解できないことが問題か、

それとも日本語で記述した特許自体を入手しておらず、限られた断片的な情報だけで拡大解釈

する攻撃論法を使って、このFossum 2014 fake paperは、間違った結論・虚論を展開している。






   ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で

   発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。

   Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。

   Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした

   記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。

 

  これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、すなわち、

  のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した実施例(派生copy) である。

  あくまで、pinned photo diodeの発明は、1975年の萩原特許によるものである。


   いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。


CCD固有の完全電荷転送動作がCCDだけでなく、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diode

でも実現可能であることを示唆するものです。このHagiwara Diodeが、残像なしで低雑音でかつ超感度の半導体受光構造、

すなわち、未来の鉄腕アトムの電子の目の網膜細胞に相当する画期的な発明であることの証拠となります。このたいへん

重要な、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diodeの受光部(N層)のthe empty potential well 曲線の

存在を、 Fossum の 不当な嘘の fake 論文は 完全に隠しています。たいへん不当( unfar, biased and fake )論文です。


これはたいへんけしからん話です。 このことをNECとSONYの特許戦争の時にSONYが主張していたことをNECもその論争の

対象となっていたのはNEC1983年の寺西特許です。寺西もSONYとNECの特許戦争でNECが負けたことを知っていたはずです。

なのに、ぬけぬけと自分が pinned photo diodeの発明者のふりをしていることは、たいへんけしからんことです。偽りの顔です。









 (1)  Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


    "However, the 1975 application did not address complete charge transfer,

      lag or anti-blooming properties found in the NEC low-lag device,

      and does not seem to contain the built-in potential step and charge transfer device

      aspects of the virtual-phase CCD."


     この文章からも明らかな様に、 Fossum は、 萩原特許に含まれ例図6Bの存在を全く知らない無知な人間か、

     それとも、わざと自分の都合の悪いことを隠す極悪非道な詐欺師かどちらかである。


     嘘の虚述で、完全に萩原を侮辱している。


 (2) また、Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   ”Hagiwara repeats these claims in a 2001 paper [26]  and shows a VOD structure

    that is not found in the 1975 patent application. ”


    [26] Y. Hagiwara, “Microelectronics for home entertainment,”

       in Proc. ESSCIRC, Sep. 2001, pp. 153–161.




  しかし、 1975年萩原発明の  Hagiwara DiodeのP+NPNsub junction 構造そのものが 

  VOD 機能を持つ構造であることは自明である。彼はまったく萩原特許を理解していないばかものである!




(3)また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。


   " Sony did not seem to pursue the HAD structure until well after the

     NEC paper was published. "


  しかし、1975年の萩原特許で Hagiwara Diode は発明され、 1978年には FT CCD imagerの

  試作に Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) はその受光構造として採用されており、

  これが後になって Sony original HAD  sensor と商標名が登録されただけで、HAD sensorの

  開発は、萩原が 1975年に Hagiwara Diode を発明した時点から始まっている。


  SONY内の TOP(越智さん)の反対にもめげず、萩原はSONY内のプロセス担当者( 狩野さん、阿部さん、

  松本さん)の支援を受けて、自分でimage sensor を設計し、さらに自分でプロセスラインに入り試作している。



(4) また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様に事実誤認の認識不足の記述をしている。

  " However, the “narrow-gate” CCD with an open p-type surface region

   for improved QE also disclosed in the 1975 application was reported in more detail

   by Hagiwara et al. at Sony in 1978 [27].


   [27] Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada,

   “A 380Hx488V CCD imager with narrow channel transfer gates,

    ” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18, supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.


  まさに、この論文に、Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) を搭載したFT CCD imagerの

  試作結果を報告している。その性能は、単純に超感度だけでなく、残像のない、低雑音な受光構造であることを

  実証した論文である。SONYが東京とNYで大々的に記者会見した超感度で残像がない低雑音のimage sensorの

  世界最初の pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) 搭載の新聞発表である。これが最初の、pinned photo

  diodeの原理試作であることは、多くの世界のCCD 開発の権威者も認めている。






  以上の例以外にも多くの虚述がこの Fossum 2014年論文には存在する。



(5) そして最後に、このうその論文は、次のように嘘論をはいた。



 "The PPD, as it is most commonly used today, bears the strongest resemblance

  to the Teranishi et al. ILT CCD device. Thus, these days Teranishi is considered

  as the primary inventor of the modern PPD . "


 と嘘の証言をしている。


この嘘の結論は、上記 (1),(2),(3),(4) の嘘の証言の上で出された嘘の結論である。

 

これを真実とは到底認めることは不可能であり、断固として、萩原とSONYはこれに抗議する。


 このままでは、 SONYの商標名、 brand name の SONY original HAD sensor は、

 もと NEC の寺西の pinned photo diode の発明によるものとなる。


 SONYの商品は NECのcopy品であるという、汚名を受けることになる。


 これは絶対に許されない。 萩原とSONYに対する大きな侮辱である。


  Fossum がこのFake 論文を書いた目的がはっきりした。


  SONYと萩原をけちょんけちょんにけなし攻撃する事により、

  Fossum 自身の業績が強調でき、Fossum自身が 

  modern didital CMOS image sensor の開発者であると主張することである。


 しかし、今世に見る modern didital CMOS image sensor は SONYの多くの技術者の

 努力の結晶により完成したもので、 Fossum 1人が開発したなどとは到底考えられない。


Fossum は、暗闇の中で、政治的に動き、技術的に素人である方々さんを多くだました結果である。 



  どうして嘘をならべて萩原とSONYを攻撃したかがこれで明らかである。


  萩原とSONYの存在が邪魔だったわけだ。。。



  Fossum 2014年 論文は、 嘘の虚術を並べた、絶対に許されない詐欺行為である。

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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(9) まとめ

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   Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.

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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara


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    さらに、萩原良昭の自己紹介を続けます。

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        1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

           社会人となってはじめて会社で出願した特許です。

          単純に構造のみに関する特許です。それも単純に、

         「PNP 構造をsensor 構造とする」 という単純特許です。

  構造から期待される動作やその効果については自明として詳細には言及していません。


        実際には、 光電変換されたキャリア(電子)を保護します。

         半導体界面の不完全結晶構造による、暗電流や欠陥から

        保護し、現在の低雑音・高感度センサーを実現しています。

      また、PNP構造の構造上の自由度から、過剰電子の除去も可能です。



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●  2つ目の特許は、現役を引退し、もっとも最近に、個人として出願したものです。

 離散フーリエ変換回路に類似する信号処理回路、画像・音声処理に関する特許です。


        すなわち、離散周波数成分変換回路の一種ですが、

       信号 sampling が等間隔ではなく、最初は間隔が狭く、
 
   時間が経つにつれ、sampling 間隔が広くなるという手法を提案しています。

 
JP 2016-14942:時間領域データを周波数領域データに変換する演算回路




        1975年、  CALTECH  ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、

         社会人となって現在にいたりますが、一貫して人工知能に関心があり、

         人工知能を支えるハードウエア―としての「電子の目の研究」でした。

        1976年には、大学院時代のProf. C.A. Mead の指導のもと、研究室と

        Intel 社との産学共同のプロジェクトに参加し、当時の最先端の MOS

        LSI Fabrication 技術を使い、LSI chip の設計に挑戦しました。



 
     IEEE Journal of Solid State Circuits, VOL.SC11,No.4, October 1976


               128-bit Multicomparator

      
       a serial-in/serial-out fast 128 bit parallel data comparator chip

      fabricated by Intel corporation p-channel E/D MOS fabrication line






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     最後に、国際会議で講演したものを4つ紹介します。



● 一番最初は、1979年9月(31歳)当初の活動内容です。なかなかイメジャー素子が
   
   ものにならなく苦労していて、開発研究をあきらめる企業が目立った頃の話です。

   世の中は「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化できる

   のかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ見えない頃でした。


  英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。


                ADVANCES IN CCD IMAGERS


● イメジャーの実用化の目途がたち、Video Cameraやデジカメとして販売実績が確実な

  ものになったころで、イメジャーの信号処理関連LSIから PlayStation2関連のLSIも

  広く開発商品化の段階に入りまだまだこれから大きく花開くと希望と夢がいっぱいの頃でした。

  オーストリアのVilachで開催された国際会議 ESSCIRC2001 で発表したものです。

          Microelectronics for Home Entertainments



●一番最後は、2008年9月(60歳)当時の活動内容で、会社定年前の最後の仕事となりました。

  英国ScotlandのEdingburghで開催された国際会議 ESSCIRC2008 で発表したものです。


           SOI Design in Cell Processor and Beyond


● 2013年はIEEEの国際学会 ISSCC の60周年記念の年で、その基調パネルのメンバーとして

   招待されました。 もう私は現役を退いて崇城大学情報学科で一人の教員として若い学生に授業を

   教える立場でしたが、長年、ISSCCの運営委員メンバーやアジア委員長としても奉仕してきた事も

   あり、ISSCCのOBメンバーとして、また、他の会社があきらめていた中、ソニーだけが(故岩間社長

   の力強いサポートのもと)イメジャーの開発当初から、開発と事業化の環境が維持され、その器の中で

   私もイメジャーの開発の1人の若手技術者としてを従事し、一人のイメージャーの開発者の目から見た

   「昔ばなし」のつもりで、基調パネルで話をしました。しかしかなり下準備をしたものの、よく話せたという
   
   自信は全くありませんでした(涙)。


   その時の下準備の内容と、パネル討論の様子、ISSCC の60周年記念の祝賀会の様子、その内容が

   IEEE Solid State Society の専門 Journal に記載された内容をまとめたものをここに掲載します。


  ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk  Memo


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イメージセンサーを開発していた萩原の現役時代の国内論文を2件紹介します。


      (i) ナローチャネルCCD単板カラーカメラ


      (ii) インターライン転送方式CCD撮像素子


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   そして、 英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された

     国際会議 CCD'79 で萩原が発表したものがあります。

 
  この論文の中で、1975年萩原発明の、超感度、低雑音で、

       残像なしの のHagiwara Diode搭載をした 

    FT 型 CCD image sensorを初めて国際会議で紹介しています。


           ADVANCES IN CCD IMAGERS


  この学会で、 世界で初めて、 CCDが超感度でないことは

  自明として、 1975年に萩原が特許出願し、萩原が発明した、

   HAGIWARA DIODE 、すなわち、 pinned photo diode が

   超感度低雑音残像なしの特徴を持つことを説明しています。


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      萩原良昭の会社生活(1975~2008)の仕事内容に関連して紹介します。

           今となれば、なつかしい青春時代の思い出になります。

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  まず、SONYでの勤務時代(1975~2008)の萩原の仕事の紹介です。


  1975年SONYに入社してすぐ、CDT型(電荷転送装置のことで、CCDと

  MOS型の両方) の image sensor に搭載する、超高感度の受光部の

  構造特許を出願、発明しました。すなわち人間の目の網膜細胞に相当する

 「鉄腕アトムの電子の目」の網膜細胞の構造特許の出願から始まりました。



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 現在この萩原構造特許( Hagiwara Diode ) は pinned photo diode と呼ばれます。

   かつて脚光を浴びた超感度低雑音残像なしの digital CCD image sensor にも、

   現在の、さらに高解像で、超感度低雑音残像なしの digital CMOS image sensor にも

  搭載されています。その価値はますます見直されています。しかし、その特許の発明者が、

  もとSONYの萩原良昭であることはまったく世界に知られていません。その原因はその

  特許が日本国のみ1975年に出願され、日本語で記載され世界の技術者はその存在を

  知らなったためです。それで、もとNECの寺西さんが国際会議でIEDM1983で発表した

  buried photo diode 構造の ILT 方式の CCD image sensorが最初の発明だとされて

  います。 しかし、事実ではありません。誤解です。 真実はいつも 1 つです。


  萩原構造特許( Hagiwara Diode )は 1975年に SONYから日本語特許として出願されました。

  

また、その原理試作は 1978年に Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensor

  として 初めて世界に公開されました。SONYは 大々的に New York では 盛田会長が、

  東京では岩間社長が記者会見し、発表しました。



   Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensorが超高感度、低雑音で雑音ない、

  高品質の未来のビデオカメラとして、またビデオ記録器との一体型ビデオムービーとして発表

  しました。


  しかし、そこでは、まったく 1975年萩原発明のHagiwara Diode 搭載のことは一言も言及される

  ことはありませんでした。これが最終的に世界に大きな誤解を招きました。世界は CCD image

  sensor 自体が 超感度と誤解しました。


  しかし、本当は、CCD自体は本来金属性の電極を必要とするMOS構造であり、金属は光を透過

  することができないので、CCDは超感度には絶対になりえません。


  あたらしい、受光構造を必要とされていた時代でした。その必要性に答えたのが

  1975年に特許出願したもとSONYの萩原良昭が発明したHagiwara Diode でした。 








  いろいろな CCD 方式を勢力的に検討していたSONYは、最終的に、1984年には SONY original

  HAD sensor と商標を登録し、Hagiwara Diode 搭載の CCD image sensor のお蔭で、世界の

  ビデオカメラの市場を独占することになりました。


Sony original HAD sensorは SONY固有の商標名ですので、後に世界では、これを後に、

pinned photo diode と、学会を中心に呼ばれるようになりました。 しかし、


  (1) 1975年に出願された萩原特許の受光構造特許( Hagiwara Diode ) も、


  (2) また、1984年に、SONY original HAD sensor と商標登録し、SONYが 世界のCCD image

    sensorの市場を独占したものも、

  (3) 1983年に、もとNECの寺西さんが国際会議IEDM1983で発表した buried photo diode 構造の

    ILT 方式のCCD image sensor も、 

  (4) 世界で現在、 pinned photo diode と学会を中心に、呼ばれるものも、


この上記の(1)から(4)のものは、皆、同じものです。


      しかし、この4つのものが同じものであることを、世界は理解していません。


      そして、(3)のもとNECの寺西さんの buried photo diode を、世界は簡単に、

      pinned photo diode と同一であることを判断しました。それで、現在は、もと

      NECの寺西さんが、世界最初に pinned photo diodeの発明者とされています。

  
      これはたいへん大きな誤解です。世界はその事実を知りません。



      上記の(1)から(4)はみな同じものであることを、世界はその事実を知りません。


   従って、pinned photo diode の本当の発明者は もとSONYの萩原良昭であることを、

 
   もとSONYの萩原良昭が、本当のpinned photo diodeの発明者である真実を、世界は

   全く知りません。世界は真実を知る権利があります。真実はいつも 1 つです。


   SONYにも萩原にもその真実を世界に知らしめる責任があります。




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(1) Introction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について


(9) まとめ


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    SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話でした。

 Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?

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Story of Sony original HAD sensor (1)


     More Story (1) , Story(2), Story(3)

Story of Sony original HAD sensor (2)    
Story of Sony original HAD sensor (3)


Story of Sony original HAD sensor (4)

Story of Sony original HAD sensor (5)
      
Story of Sony original HAD sensor (6)

Story of Sony original HAD sensor(7)

Story of Sony original HAD sensor(8)


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    以上の内容を理解する上で、基礎・参考となる内容を、下記の本にまとめています。

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  最後に、AIPSに関する技術解説書を1冊紹介します

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1975年から2008年まで ソニー(株)に勤務しました。 

その後、2009年より2017年まで、熊本市にある崇城大学の

情報学部の教授として勤務しました。本書は若手社員や学生を

対象に教育指導してきた技術内容の基礎をまとめ解説したものです。 

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書名  人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

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  書籍の出版社の紹介

この本の購入に関しては、下記の出版社のホームページを参照の上、

    出版社に直接ご連絡いただき、ご購入ください。
       TEL: 042-765-6460(代)    青山社 
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


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   この本の概要説明です
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未来の人間の社会においては、いたるところで、人間にやさしい、
人工知能パートナーシステム( AIPS = Artificial Intelligent Partner
System)とも言える人間支援システムが出現すると期待しています。

たとえば、AIPS搭載の自動走行車や老人介護システム、人間型
歩行ロボット、ロボット・ハウス等です。

このAIPSを支えるのが、コンピュータとその通信技術です。
また、その基礎となるのが、基礎情報数学、数値計算法、
電子回路、知能ロボット工学などです。

そこにはさらに、 ハードとソフトの両面があります。

従って、ハードとソフトの技術が連携して、はじめて、AIPS搭載の
人間支援システムの実現が可能となります。

そこでAIPSを志す人は、宮本武蔵の様に、自己の腕(技術力)を
二刀流で磨いていただきたいところです。


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毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。

     毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。

    その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。


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「賢い電子の目」が、その発明者である、もとSONYの萩原良昭を見ています。

 


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     70歳のじじいのつぶやきでした(笑顔)。

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     人工知能パートナー(AIPS)を支える   

    デジタル回路の世界

    補足資料(Appendix)

  (おまけ) 高校生数学でわかる雑学相対性理論

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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055

本体 9000円+税 

B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)

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  書籍の出版社の紹介  

 TEL: 042-765-6460(代)   青山社

https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html


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     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説  

     萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文

     萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像

      https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara

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(1) Introduction

(2) Sony original HAD sensor の背景

(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの

(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告

(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話

(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について

(7) NEC日電とSONYの特許戦争について

(8) Fossum 2014年 Fake 論文について

(9) まとめ


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