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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 100
hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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For full English versions, please visit the following sites.
Story of Pinned Photo Diode (html)
Hagiwara at SONY is the true inventor of Pinned Photo Diode (html)
See also ElectronicsStackExchangeSite on "What is Pinned Photo Diode
? "
Pinned Photo Diode was invented by Hagiwara of Sony in 1975 (PDF)
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これは、超感度・低雑音・低暗電流で、残像のなく、高速 action 映像を可能とする、
高性能 image sensor の基本となる、萩原1975年発明の半導体受光構造のお話です。
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●萩原良昭 著の 技術書籍の紹介です。
人工知能パートナー(AIPS)を支える 「デジタル回路の世界」
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html
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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055 本体 9000円+税
B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)
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書籍の出版社の紹介 青山社
TEL: 042-765-6460(代)
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補足資料(Appendix)
(おまけ) 高校生数学でわかる雑学相対性理論
頭の体操(1) つるかめ算
頭の体操(2) 油わけ算
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内容紹介
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(101) Introduction
(102) Sony original HAD sensor の背景
(103) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(104) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(105) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(106) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(107) NEC日電とSONYの特許戦争について
(108) Fossum 2014年 Fake 論文について
(109) まとめ
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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Pinned Photo Diodeについての以下の画像からもわかるように、
Pinned Photo Diodeの資料はほとんどが 1980年以後のものです。
萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。
Pinned Photo Diode Patent の画像 (1)
Pinned Photo Diode Patent の画像 (2)
Pinned Photo Diode と SONY HAD ( Hole Accumulation Diode ) は同じものです。
Sony HAD sensor Patent の画像 (1)
Sony HAD sensor Patent の画像 (2)
萩原の1975年の発明特許 が Pinned Photo Diode の原点 ( Origin ) です。
Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。
萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの超高感度・低雑音・低暗電流の特徴は
1978年にSONYが Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した FT CCD image
sensor で原理試作され、その後 1980年になってから他社からも追従した形で多くの
Pinned Photo Diode を受光構造に採用した image sensor の原理試作の発表が
ありました。しかし、最初に、その原理試作を発表したのも、Sony Original HAD の
商票登録して商品化に成功したのは、萩原がその開発部隊として従事していたSONYです。
参考文献
(1) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを受光構造として採用した、
世界最初の残像なし超感度のFT CCD image sensor の原理試作の論文発表
Yoshiaki Hagiwara, Motoaki Abe and Chikao Okada,
" A 380H x 488V CCD Imager with Narrow Channel Transfer Gates",
Proceeding of the 10th Conference on Solid State Devices, Tokyo, 1978.
(2) 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diode( SONY orignal HAD) を
受光構造として採用した ILT CCD image sensor 原理試作の論文です。
萩原が1975年に既にそのPPD(HAD) sensor を考案し特許出願していましたが
SONYはCCD image sensor の量産技術の立ち上げ・確立を優先してソニー国分
工場でのCCD専用ラインの立ち上げに全力を尽くしていました。皮肉にも、
世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の原理試作の論文発表の
栄誉はNECの寺西さんの開発部隊がにぎり、世界を驚かせました。萩原は自分
のアイデアがSONYでなくNECで実現されたいへん複雑な思いでした。しかし、
1978年には 萩原が1975年発明した Pinned Photo Diode( SONY orignal HAD)
を受光構造として採用した 残像なし Frame Transfer 方式のCCD image sensor
で原理試作してSONYが発表しており、残像なし ILT CCD image sensor の
原理試作も時間の問題でした。萩原は、NECの追従を見て、自分の1975年の
発明特許の重要性を再確認しました。
N.Teranishi et al ; "No Image Lag Photo Diode Structure in the
Interline CCD image sensor", IEDM Tech. Dig. Papers, pp.324~327,
1982
●SONYは 1984年には、 この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeを
受光構造として採用した 世界最初の 残像なし ILT CCD image sensor の
商品化に成功し、Sony original HAD Sensor の商標を武器に、萩原特許に守られ、
世界市場を制覇しました。
SONYがCCD image sensor の量産技術の立ち上げ・確立を優先してソニー国分
工場でのCCD専用ラインの立ち上げに全力を尽くした成果でした。。
一方、NECは、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの受光構造に
関する SONY-NEC 特許戦争に敗れ、image sensor から撤退することになりました。
世界で最初に原理試作できたのも、すでに 1975年萩原特許は 1978年に公開特許
となり、その萩原1975年には明確にその実施例の1つとして、残像なし ILT CCD
image sensor の構造図が描かれており、その実現は時間の問題です。SONYは
原理試作を学会発表することよりも、量産技術・信頼性技術の確立を優先しました。
そして、早期に image sensor の世界制覇を実現しました。
一方、米国の Faichild社からも、この萩原が1975年発明した Pinned Photo Diodeの
受光構造、特にその built-in vertical OFD 構造に関してですが、10年に渡り特許権に
関する攻撃を受けました。SONY-Faichildの特許戦争(1991~2001)です。
米国Faichild社が保有する特許の出願は 1975年7月22日でした。
一方、SONYの萩原発明の 「 built-in vertical OFD 構造付きの pinned photo diode 」
の特許の出願が 1975年11月10日です。
このほんの数か月の特許申請の遅れがSONYを10年間に渡り、悩ませました。
幸いにも、米国Faichild社の特許構造とSONY萩原特許の受光構造には、
大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いでした。
(1) 米国Faichild社の受光構造は 表面型CCD型のMOS容量の受光部、
SONYの萩原発明の受光構造は、 pinned photo diode の受光構造。
(2) 米国Faichild社の縦型OFD受光構造は、Metal/Oxide/P/N+ /構造で、
SONYの萩原発明の受光構造は、 Oxide/P+/N/P/Nsub 接合構造で、
いわゆる別名、Thyristor 構造として知られているものです。
その動作特性の1つである、PNP transistor型受光部のPunch-Thru 動作
を応用して、built-in vertical OFD 機能を実現したものでした。
大学の半導体物理を学習した学生にはすぐ理解できるレベルの違いです。
しかし、全く、半導体物理の基礎を身につけていない、裁判関係の方々に
説明しご理解いただくことは、SONYにとって、たいへん苦しい挑戦でした。
萩原の1975年の発明特許 と 1978年のSONYの新聞発表が原点です。
Pinned Photo Diode と 萩原1975年発明の SONY original HAD は同じものです。
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(1) Introduction
(2) Sony original HAD sensor の背景
(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(7) NEC日電とSONYの特許戦争について
(8) Fossum 2014年 Fake 論文について
(9) まとめ
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これは人工頭脳(人工知能を搭載したコンピュータ)がどの様に外の世界を認識し
理解し、人間の様な振る舞いをするのかを研究するお話です。まずは、外の世界
を人工頭脳が感知(sensing)するかの勉強から始めます。人間でいうと、人間の
目の網膜に相当する受光素子構造のお話です。人間がものを見て理解するには、
すなわち、外の世界の情報が脳の中に取り込まれるには、大きくわけて3つの
部分が必要です。すなわち、
(1)光信号を信号電荷(電子のかたまり)に光電変換する、目の網膜細胞と、
(2)その信号電荷を網膜細胞から脳に伝達する神経線(信号伝達線)と、
(3)神経線で送られたきた信号電荷を受け取る、脳の中にある記憶細胞です。
この3つの部分が機能してこそ、外の世界の情報が脳の中に取り込まれます。
人間の体は炭素・酸素・水素・窒素等を主成分とする構成物質で形成されます。
しかし、人工頭脳は、シリコン・酸素・金属原子を構成物質とする半導体という
物質で構成されます。
(1)目の網膜細胞に対応するのが P+NPNsub 接合の半導体構造です。
1975年2月20日にSONYに入社し、ビデオカメラの開発研究をしていた
萩原良昭が 1975年11月10日に申請受理され、SONYの特許権利化が
成立した発明特許です。「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に
関する発明特許です。
現在、世界で広く活躍するビデオカメラやスマホや産業ロボットの
「賢い電子の目」、すなわち人工網膜構造に関する発明特許です。
SONYはこの萩原考案の発明特許を武器にし、長年の他社からの
特許権利化戦争に勝ち抜き、SONY original HAD sensorの商標で
SONYの商品ブランドイメージを確立させ、多くの勤勉な技術者の
研究・開発・生産に渡るすべての分野での絶え間ない努力の結果、
CCD image sensor の市場を制覇し、さらに CMOS image sensor
の市場をも制覇するに至りました。
この人工網膜構造が一番重要です。光信号を電気信号に変換する
構造体です。その光電変化効率が一番重要です。超感度で、残像が
なく、かつ低雑音で、低暗電流を特徴とする画像を提供することできる、
この高性能な光電変化機能を持つ、光受光素子構造が一番重要です。
(2)つぎに、網膜細胞から脳に信号電荷を伝達する神経線が必要となります。
この信号電荷を脳に伝達する神経線に対応するのが、CCDと呼ばれる
電荷結合装置でした。信号電荷を効率良く低雑音で、すなわちCkT 雑音
と言われる画像雑音が非常に少ない、CkT 雑音の少ない、非常にきれいな
画像を提供してくれる半導体素子としてCCDは 1969年に発明されました。
これはすばらしい発明でした。萩原の学生時代でした。萩原は大学院の
研究室でこのCCDをdoctor 論文の研究のテーマとして選びました。3人
の恩師の教授、Prof.C.A.Mead, Prof.T.C.McGill とProf. James McCaldin
の指導のもと、埋め込みチャネル型CCDの完全空乏化電荷転送の動作
解析をPhD論文のテーマとして論文を完成させて、1975年2月10日には
SONYに入社しSONY 横浜中央研究所に配属され、CCD image sensor
の設計開発とそのビデオカメラシステムの研究に従事しました。
そして、CCD image sensorは 1980代に入り民生用として完成しました。
それ以来、長い間、低雑音のビデオカメラの発展に貢献してきました。
しかし、超高感度ビデオカメラとしては、CCDは貢献していません。
超感度を実現するのは、(1)の半導体受光素子が不可欠です。
ビデオカメラの性能は 信号(S) と雑音(N) の比 ( S/N ) で決定されます。
CCD は、 分母の雑音(N) を小さくするのに大変貢献してきました。
CCDは 電荷転送配線回路の雑音(CkT雑音)が非常に小さい
電荷転送装置 ( CTD ) として長年たいへん重要な役割を
担ってきました。低雑音化にCCDは多大な貢献をしてきました。
しかし、今では、半導体技術の微細化に伴い、絵素1つ1つに受光部に
直接 active 回路、という電圧電流増幅回路を装備して信号を増幅する
ことが可能となりました。
また半導体の製造工程もCCDより CMOSプロセス工程の方が簡単です。
それも追い風になり、実用レベルに削減できた低雑音のCMOS のデジタル
回路型の半導体電荷転送装置が主流となりました。
さらに半導体技術の微細化に伴い、CCD型電荷転送方式と比較して、
CMOS 型の電荷転送方式を採用した CMOS image sensor の方が、
格段に 消費電力の削減が可能となりました。
さらに、転送効率からくる、原理的な CCDの限界があります。すなわち、
「CCD型では信号電荷の転送効率と言われるものが 99.999% 以上は
不可能である。」 という限界があります。
その理由は、水平画素数が 4K ~8K などの high vision TV 用となると、
隣接する絵素の間の混色率が、
10K = 10000 ですので、00.001 % x 10000 = 10 % 近くになり、
この10%の混色率は、無視できる値ではありません。
その結果、色再現が悪い、混色が目立つ、画像の極端な劣化を招き、
もはや、CCD型の 転送方式を採用した CCD image sensor では、
実用に耐える、高画素数の高解像のビデオカメラの実現が不可能です。
その理由で、CCD型は画素数の少なかった時代には大変貢献して
きましたが、今では、CMOS デジタル回路型の半導体電荷転送装置
が主流となっています。CMOS image senor が主流です。
これが理由で、昔はCCD image sensor が脚光を浴びていましたが、
今では、CMOS image sensor と呼ばれる電荷転送方式の image
sensor が現在主流になっています。
CCD 型とか CMOS 型とかいう、image sensor につく名称の由来は、
信号電荷をどの様に転送されるかを、すなわち、その転送方式の違いを
示した転送方式の違いを区別した名称であるということです。
すなわち、CCD 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を
CCD image sesnorと言います。
一方、 CMOS 方式の電荷転送装置を装備した image sensor を
CMOS image sesnorと言います。
しかし、光を感知して、光信号電荷(電子のかたまり)に変換するのは
光電変換構造です。この(1)の網膜構造のことです。
この(1)の網膜構造が一番重要です。超感度で、残像なし・低雑音で、
低暗電流を特徴とする高性能光受光素子構造が一番重要です。
この(1)の光電変換構造が、CCD image sensor と CMOS image sensor
両方の性能を左右します。
この(2)の信号電荷転送部は、CCD image sensor方式の信号電荷
転送構造よりも、CMOS image sensor方式の信号電荷転送構造の
方が、半導体微細化技術の進歩のお蔭で、有利になりました。
CCD image sensor方式では、転送できる画素数に限界があり、また、
原理上CCD電極容量の充放電にかかる消費電力も致命的となり、
CCD 型の信号電荷転方式は市場から消える運命となりました。
これが、世間一般に現在良く愛好家の間で、「CCD image sensorより、
CMOS image sensor が性能がいい。」と言われる所以です。
しかし、性能という言葉には、広い意味があります。
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(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。
(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。
(3) そして、光感度の大小も性能です。
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この3つの性能についてさらに詳細に説明します。
(1) 絵素数の数(解像度)の大小も性能です。
CCD 型よりCMOS 型の方が高解像化に有利です。
(2) 信号線の信号転送雑音(CkT雑音)の大小も性能です。
CCD型は原理的にCkT雑音が非常に小さいです。
一方、CMOS型は半導体技術の微細化により、
CkT雑音を実用化に耐えるレベルまで低下できる
様になりましたが、CCD型のレベルには原理的に不可能です。
暗い画面ではCMOS型は信号線の信号転送雑音(CkT雑音)
はCCD型に比較して見られます。しかし、注意しないとわから
ないレベルまで改善され、今では一般の実用に耐えるものです。
(3) そして、光感度の大小も性能です。
信号(S)の大きさは光感度に比例します。
超感度とは、光信号を効率良く電気信号に変換することを言います。
「CCD image sensorより、CMOS image sensor が感度がいい。」と
誤解している人も多いです。これは間違いです。
実は、感度は同等です。感度については、(1)の光電変換部の性能
で左右されます。(2)の信号転送方式ではありません。
(1)の光電変換部には、 萩原が1975年に発明した pinned photo
diode が、現在でも 世界中の CCD と CMOS image sensor の
両方にいまだに採用され続けています。
萩原が1975年に発明した pinned photo diode が、SONYが世界で
初めて大々的にNYと東京で1978年に 当時の盛田会長と岩間社長が
自ら記者会見してSONYの社運(ビデオ産業)をかけて発表した CCD
image sensorに採用されて以来、現在でも 世界中の CMOS image
sensor にもいまだに採用され続けています。
この1975年に萩原が発明した pinned photo diode、すなわち、当時は
まだ、このpinned photo diode という名称は生まれていませんでしたが、
具体的には萩原1975年特許で発明された、P+NPNsub 接合の半導体
受光素子構造を採用している以上、CCD image sensorも、CMOS image
sensorも感度は同じです。
しかし、転送方式の違いによる電荷転送雑音(CkT雑音)には若干差が
あります。具体的には、暗い画像では、まだCMOS image sensorは
気づかれないレベルですが CkT 雑音があります。
信号転送線に生じるCkT雑音の少ない事は、CCDにはかないません。
CCD転送方式の良さは、このCkT雑音が極端に少ない事です。
しかし、CMOS転送方式も実用化に耐えるCkT雑音となりました。
半導体の微細化技術 ( Intel の創設者の Dr. Gordon Mooreの
sacling 則) の進歩の当然の結果です。
実は、Dr. Gordon Mooreは、萩原良昭の大学(Caltech)の先輩です。
また、萩原がPhD論文の指導を受けた恩師である Prof.C.A.Meadは、
Dr. Gordon Mooreとは長年の友人で Intel 社とも創設時代以来の
親交があります。
それで、 Prof.C.A.Meadが初めて 「Moore の法則」と呼ぶ様になり
世界に知られるようになりました。萩原も学生時代から、このMOS集積
回路の微細化技術の進歩について学び、実際、Intel社のMOS プロセス
製造ラインを使って、産学共同プロジェクトで MOS 集積回路を母校の
大学(CalTech)の研究室で設計して、Intel社で試作し、評価して IEEEの
学会誌にその成果を発表(共著)したことが学生時代にあります。
(3)つぎに脳の中にある記憶細胞に対応する半導体記憶装置の話になります。
脳の中にある記憶細胞に対応するものは、高速Cache SRAM や USB
メモリ等で代表される不揮発性記憶素子(NVRAM)と呼ばれるものです。
脳には他にもいろいろな信号処理機能を持っていますが、電子頭脳では、
これは processor と呼ばれるもので、大規模デジタル回路で構成される
半導体集積回路のことで、いろいろな信号処理機能を実行します。その
いろいろな信号処理を手順よく実行するためにはいろいろなソフトウェア
が必要となります。人工知能とはこのソフトウェアそのものをも意味します。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、
かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、
1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、
Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?
また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?
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今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから
期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が
追従し、開発製造が可能です。
しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の
のSONYの萩原発明特許が原点です。
萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を
提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション
撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、
1975年の萩原発明特許で定義しました。
1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。
CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置
として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!
本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に
相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の
受光素子のことです。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。
この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。
(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。
萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。
(3) Image sensor の世界の第一人者で、ISSCCやIEDMの国際学会などで、今でも
ご活躍の、Delft 大学の教授の、 元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen
は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は
pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許
の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての
CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての
電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。
また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode
という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、
この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、
SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ
カメラの試作に成功し、記者会見しました。
これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である
ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。
このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は
現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に
採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、
残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍
しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.
下図は Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode です。
Fossum 2014 論文に引用されている pinned photo diode (上図)が
萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode (下図)と全く同じものである
ことは、半導体物理を学習した学生なら誰でも簡単に理解できます。
明らかに Fossum は萩原1975年の特許の内容を理解できないのか、
またはその日本語で記載された特許請求範囲の記述文を読んだことが
ないか、または故意的に無視し、自分の都合の良い虚論を展開したのかも?
もと東京工業大学の松澤名誉教授は、「この Fossum 論文 を fake である。」
とあきれていました。「どうしてこんなバイアスされたものが論文として採用された
のか、理解できない。」とおっしゃっていました。また、image sensor の世界の
第一人者で、 ISSCC や IEDMの国際学会などで今でもご活躍の、
Delft 大学の教授で、もと 元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen
は 「Fossum からFossum 論文の共著になってくれとの依頼を受けたが、
論文内容が懐疑的( doubtful ) で、sensitive な内容であるので、共著を
断った。」 との話でした。誰が pinned photo diodeの発明者であるかを
断定することは、企業間の骨肉の醜い特許戦争にもかかわる、sensitive
な内容であり、当事者の会社同士で決着つけるもので、部外者としては
関係ない話で、共著を断った。」 との主旨でした。
**************************************
Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。
この事実関係は、Prof. Albert Theuwissen との e-mail での内容からも明らかです。
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-----Original Message-----
From: hagiwara [mailto:hagiwara-yoshiaki@aiplab.com]
Sent: Tuesday, July 10, 2018 7:42 PM
To: 'albert theuwissen'
Cc: 'Yasuhiro.Ueda(SONY)' ; 'Terushi.Shimizu(SONY)'
Subject: Who is the Inventor of PPD ?
Albert, thank you for your e-mail.
>After some doubt I declined his (Fossum 2014 paper) invitation,
>because I do know that the discussion about the inventor of the PPD
>is very sensitive, and I do agree with you
>that the structure you developed is indeed a PPD,
>maybe not called that way at that time (1975 )
>and also invented for some other purpose (Vertical OFD) .
>But it still remains a PPD !
>At Philips, in the late '70s a very similar structure was implemented
>in the CCDs, this was before I joined Philips in 1983.
>So yes, there were several p+/n-/p- structures known by the time
>that Teranishi issued his patent. I fully agree to that.
Thank you very much for your kind comments.
from Yoshiaki Hagiwara
************************************************************
事実、 Fossum 2014 論文では、(1) SONY original HAD と pinned
photo diode が まったく同じものであることを隠しています。 すなわち、
1975年発明のSONY original HAD と NECが IEDM1982で試作発表した
pinned photo diode が まったく同じものであることをうまく隠しています。
(2)SONY original HAD と pinned photo diode が まったく同じものである
となると、その発明者、pinned photo diode の発明者は、すなわち、SONY
のSONY original HAD の発明者と同一人物(萩原良昭)になることになります。
Fossum 2014 論文は、この事実をうまく隠し、世界をあざむいたfake 論文です。
Fossum は この Fossum 2014 fake 論文 を武器に、自分に有利な評価環境を
学術学会だけでなく政治的に働きかけ、構築し成功しました。最終的に多くの技術
専門家をもあざむきました。無知な人々まで多くを巻き込みました。完全なる詐欺
行為です。 英国王室からの受賞に関しても、偽りの推薦書を集め、NECの寺西
さんを pinned photo diodeの真の発明者と担ぎあげ、さらに Fossum 自身も、
デジタル CMOS image sensorの真の開発者であると、Fossum 自身に有利な
評価環境を構築しました。本当のデジタル CMOS image sensorの真の開発者は、
勤勉なSONYの技術者です。
Fossum の一連の行為は絶対に許されない詐欺行為です。
*********************************
今となっては市場から消えつつある CCD image sensor にせよ、これから
期待される CMOS image sensor にせよ、時間がたつと、多くの企業が
追従し、開発製造が可能です。
しかし、その超感度化を実現する、original の着想は、1975年11月10日出願の
のSONYの萩原発明特許が原点です。
萩原は、電荷転送装置( CCD型とCMOS 型の両方)に適用できる受光素子を
提案しました。、超感度でかつ、低雑音、低暗電流で残像なしの、高速アクション
撮影を可能とする半導体受光素子、すなわち、P+NPNsub 接合型の受光素子を、
1975年の萩原発明特許で定義しました。
1975年萩原発明特許がすべての超感度で残像なしの image sensor の原点です。
CCDでもMOS imager でもありません。CCDもMOS imager も 電荷転送装置
として別の重要な役割を持っています。しかし、受光素子ではありません!
本当の image sensor (光情報の感知素子)、すなわち、「人間に目の網膜」に
相当するものは、1975年の萩原発明特許で定義されたP+NPNsub 接合型の
受光素子のことです。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。
SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、
これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。
Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.
今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて
このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。
たとえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo
diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の
派生特許にしかすぎません。1989年に萩原出願のUSP特許が先行特許です。
この萩原1975年特許は NECや米国Fairchild等からも特許権の攻撃を受けてきました。
萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての隣接するCTD ( CCDや
CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)に pinned photo diodeを
採用することを特徴とする固体撮像装置としています。CCD受光構造と同様に、
完全空乏化電荷転送が可能で残像のない、かつ超光高感度でVOD機能付きの
半導体受光構造( Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor = pinned photo
diode) を今も提供し続けています。
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以下、その詳細な説明です。
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(1) SONYの Sony original HAD sensor と pinned photo diode は同じものです。
この事実は、東北大学の鏡教授の資料の中でも述べています。
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下の図は 2014年のFossum論文 に引用されている pinned photo diodeの図です。
この図は、1975年萩原出願特許の超感度低雑音残像なしの半導体受光素子、すなわち、
Hagiwara Diode = Sony original HAD sensor と同じものであることは、半導体物理
を学習した学生なら誰でも簡単に理解できるものです。
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(2) SONYの萩原良昭はSony original HAD sensor を1975年に発明しました。
萩原はこの1975年の発明で、SONYで第1級の発明褒賞を受賞しています。
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(3) Image sensor の世界の第一人者で、元 philips 社の Prof. Albert Theuwissen
は 萩原良昭の1975年発明特許出願した半導体受光素子( Hagiwara Diode )は
pinned photo diode そのものだと断定しています。萩原良昭は1975年の発明特許
の中で、この半導体受光素子は、 ITL CCD image sensor なども含むすべての
CTD、すなわち、 CCDだけでなく、 active CMOS imager を含む、すべての
電荷転送装置(CTD)に適用できるとしています。
また、この萩原1975年発明の半導体受光素子、当時はまだ pinned photo diode
という名称も、SONY original HAD という商標も登録されていなかった時代ですが、
この萩原1975年発明の半導体受光素子( Hagiwara Diode )を、1978年には、
SONYは FT CCD image sensor に採用した、超感度残像なし低雑音のビデオ
カメラの試作に成功し、記者会見しました。
これが最初の超高感度残像なし低雑音のpinned photo diode の試作発表である
ことも、国際学会でのProf. Albert Theuwissen は 講演の中で引用しています。
このpinned photo diode は、すなわち、このSONY original HAD sensor は
現在でも裏面照射型の SONYのデジタルカメラの CMOS image senosr に
採用され、生きています。この萩原1975年発明の超感度、低雑音で、かつ、
残像なしの高性能受光素子構造( Hagiwara Diode) が今でも採用され活躍
しています。 Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.
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(4) 以上のことから、pinned photo diodeの発明者が萩原良昭であることは自明です。
SONYは 独自に商標登録し、SONY original HAD sensor と 呼んでいますが、
これが pinned photo diodeと全く同じものであることを世界は知りません。
Hagiwara Diode = Sony original HAD = pinned photo diode.
今では、 pinned photo diode の名前で その価値が近年になり再評価されて
このpinned photo diodeの派生特許が各社から活発に出願されています。
ととえば、1995年にKODAKが出願した CMOS image sensor に pinned photo
diode を採用した Active CMOS image sensor の特許も、萩原1975年特許の
派生特許にしかすぎません。萩原1975年特許は非常に強力な特許で、すべての
隣接するCTD ( CCDや CMOS active sensor を含むすべての電荷転送装置)
に pinned photo diodeを採用することを特徴とする固体撮像装置としています。
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SONYの萩原良昭の1975年発明特許の正確な特許請求範囲の記述内容を精読し、
かつ、その萩原1975年特許の実施例( ILT CCD image sesnor への応用例)と、
1978年のSONYの FT CCD image sensorの新聞発表の技術内容を見れもらえれば、
Pinned Photo Diodeの発明者がSONYの萩原良昭である事をご理解いただけるかも?
また萩原が SONY original HAD sensor の発明者であることも、ご理解いただけるかも?
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萩原1975年発明特許の実施図(応用例の1つ)には、PNP接合型の受光素子構造図、
すなわち、pinned photo diode の構造図が描かれている。PNP接合型の受光素子を
基体(Nsub)に構築することも、また明確に、特許請求範囲に記述されている。従って、
これはPNPNsub接合型のサイリスタ構造体である。このサイリスタ構造の固有動作、
いろいろな自由度を持つ固有動作、が期待させることは周知である。その動作の一つ
が縦型のoverflow drain 機能 (VOD) であることを特許の実施例の図は明示している。
特許で素子構造体を明確に定義しておけば、その期待される動作は公知文献や技術
資料や教科書に詳細に記述されている。公知情報である。特許の説明文に期待される
付属動作をすべて記載する必要はない。特許の真価は、その特許の請求範囲を正確に
定義した記述文そのものにある。
萩原1975年特許の特許請求文の内容は、単純に(1)基体(Nsub)にPNP接合構造を
受光素子として、すなわち pinned photo diode として、(2)電荷蓄積部(N層)から
隣接する電荷転送素子(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置とある。
実施図で、この電荷転送が完全空乏化電荷転送であることを明示し、すなわち、
残像のない画像を提供する固体撮像素子を意味する。
また、事実上、PNPNsub 接合(サイリスタ)構造であることから、自動的にVOD機能
があることも期待された固体撮像素子を意味する。
上層部には金属性電極がなく、光は酸化膜を通過できる。直接PNP受光素子である
pinned photo diodeに光が照射され、超高感度な固体撮像素子を提供する。
また、酸化膜と半導体結晶体の界面には、空乏化していない、すなわち hole キャリア
に満たされたP層が存在する。これが、Sony original HAD sonsorの名前の由来である。
この受光素子構造は、電圧が固定された、すなわち電圧がピン留め( pinned )された、
上部のP層があり、CCD型の受光構造では、界面電界のための暗電流が存在するが、
このpinned photo diodeでは、界面電界が生じないので、この暗電流がない、暗電流
による暗電流雑音のない、 S/N 比の高い、高品質画像を提供する。
HADとは、 hole accumulation diode のことを意味する。pinned photo diode (PPD)
の別名である。HAD も PPD も同じものである。この事も世界は詳細には知らない。
この受光素子( HAD / PPD ) のN層は、上層のP層により、界面捕獲準位 ( trap )
からも保護され、埋め込みチャネル型CCDの受光構造と同様に、trap 雑音のない、
S/N 比の高い、高品質画像を提供する固体撮像装置となっている。
この萩原1975年発明の pinned photo diode は、CCD image sensor の時代から
採用されていたが、その優れた特徴がCCDの特徴であると長い間誤解されていた。
CCDは金属電極の存在があり、光感度が悪く、かつ金属電極容量の充放電電流が
無視できず、省エネに不利となり、微細化技術が進んだCMOSデジタル回路技術
に負ける運命となった。
今となり、CCD image sensor が市場から消えつつある現在であるが、それでも、
現在の デジタル CMOS image sensor でも、この萩原1975年発明の受光素子
である pinned photo diodeは超感度低雑音受光素子として採用され生きている。
SONY original HAD sensor 搭載の modern digital CMOS image sensor の中には
今でも、1975年に萩原が発明した超感動低雑音半導体受光素子構造が生きている。
SONY独自のSONY original HAD sensorの開発事業化は、SONYの多くの勤勉な
技術者の開発努力の結果である。しかし、その開発努力も萩原特許の存在があって
こそ、守られ実を結んだ。萩原1975年特許の存在がなければ、単純に他社の
コピーを製造していたとされ、高額な特許使用料を請求され、事業化も難しい状態
に陥る危険性が何度も生じた。しかし、 萩原1975年特許がSONYを守った。
SONYは、1975年萩原が出願した、このSONY original Patent に守られ、Fairchild社
やNEC社等との特許戦争にも勝利し、一方逆に、Fairchild や NEC は、民生用 の
image sensor の大きな市場から撤退することとなった。今では、SONYは、世界の
image sensor 市場の6割以上を独占し、image sensorの単体売上も1兆円を超える
勢いである。人工知能搭載デジタル回路システムにデジタル CMOS image sensor
は不可欠な存在である。ますます、その未来が楽しみである。
(1) SONY original HAD sensor ( pinned photo sensor )の発明者が
当時SONYの萩原良昭の1975年11月10日の発明であることの証拠
(2) 長年に渡るSONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原1975年特許でSONYを含む
多くの image sensor の製造企業が守られたことを示す新聞記事
(3) SONYと米国Fairchild社との特許戦争で萩原が水面下の活動していたことに関して、
当時のSONYのTOPから労いの言葉をもらった。
(4) SONYのHAD sensor 特許がNECから攻撃を受けた特許戦争において、
SONYのHAD を守るため、 SONYからNECに出した対抗文書が出された。
その結果、SONYとNECの特許戦争はSONYの勝利に終わり、その後 Sonyは
SONY original HAD sensorの名前で、image sensorの事業化を展開し、市場を
独占できた。一方のNECは市場から、撤退することとなった。これでやっと、
萩原1975年特許( pinned photo diode 特許)の特許戦争は一段落し、萩原は
社内でやっと公式に評価されることになった。
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(1) Introduction
(2) Sony original HAD sensor の背景
(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(7) NEC日電とSONYの特許戦争について
(8) Fossum 2014年 Fake 論文について
(9) まとめ
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(1) Introduction
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SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話です。
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SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機の
コックピットに搭載されたもので、萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でした。
ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の高い固体撮像素子の実現として世界は
注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしてしまいました。
1975年2月20日に萩原はSONYに入社しましたが、その当時、SONYのCCD開発部隊では、この透明電極を使ったILT CCD
image sensorが本命として開発されていました。しかし、その受光部は透明電極という異質の材料を使い、プロセスの歩留まりを
悪化し量産には向かないものでした。画像欠陥が多く発生し、なかなか無欠陥 CCD chip を造ることは難しいでした。また強い光
により生じる過剰電荷を掃き出すoverflow drain構造として、横型を採用しており、受光部の有効面積がそのぶん減少し、光感度
の劣化を招いていました。また、受光部構造は、CCDと同じくMOS容量型の為、半導体界面には強い電界が生じ、受光部での
暗電流やtrap雑音が発生し、微妙に画像の劣化を招いていました。
しかし、「これ以上の改善は難しい。」と当時のSONYのCCD開発部隊のTOPはこれを本命として事業化を真剣に考えていました。
その中で、萩原はSONYで一人その開発方針に疑問を感じていました。しかし、対案が無い限り、現状を否定することは消極的な
意見で、積極的な、協力的な態度とは言えません。悪口を言っているだけに聞こえます。
何かもっといいアイデアを出さねばならなりません。
萩原は1975年2月20日にSONY入社して、はじめて、1975年11月10日に日本語特許を出願登録することになりました。
この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、現在、世界では一般に
the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD sensor
と呼んでいるものです。
当時はあまり特許権利を武器に、他社の事業化を邪魔したり、特許から高額の特許料を請求することなどは特別な場合以外、
ほとんどなかった温和な時代でした。ライバル企業間ではお互いの自社の特許を交換し、両者が顧客により良い商品を提供する
ことに専念できる時代でした。企業間は温和な協力関係にあり、SONYも同様で、萩原1975年特許は単純にアイデア特許として、
SONYが事業化する場合、自社の事業化を防御する特許としての期待されるものの、、外国特許出願するまでには、萩原もSONYも
まったくこの特許がそれほど重要なものとは、その必要性を感じていませんでした。それが結果として悪さをして、現在に至ります。
この特許の存在はSONY社内でも海外でもまったく知られることのない長い時期を迎えることになってしまいました。しかし、この
1975年の萩原特許が超感度・低雑音・低暗電流でかつ残像のない高画質のデジタルカメラの実現を今でも可能にしているものでした。
SONYがはじめて商品化に成功した CCD image sensor は 1980年に全日空のジャンボ機のコックピットに搭載されたもので、
萩原が設計した two chip タイプの CCD image sensor でしたが、ジャンボ機の離着陸の大きなショックにも耐える信頼性の
高い固体撮像素子の実現として世界は注目しました。しかし、この成功が逆に新しい挑戦に対してはSONYを消極的にしました。
この透明電極を採用した受光構造は、MOS型の受光構造です。しかし、このMOS型の受光部では、半導体界面に強い電界が生じ、
強い電界による暗電流や界面の捕獲準位の存在によるTrap雑音が発生して、画像に雑音が増加し、画質の劣化を招きました。
当時の古典的な MOS 型 image sensor は、MOS型受光構造でなく、表面が単純に酸化膜で保護されたN+P接合容量型の
受光構造でした。当時の古典的な MOS 型 image sensor は、単純にデジタル回路用のMOS プロセスで製造されており、
歩留まりは悪くはありませんでした。無欠陥のMOS 型 image sensor を造ることができましたが、また、MOS 型 image sensor は
光感度と色再現性はまあまあでしたが、残像の多い画像でした。原因は、受光部にN+拡散層を使っており、BBD転送 modeで
動作して、 CCDの様な完全空乏化電荷転送動作は不可能でした。また信号読み出しの output bit line 容量が大きいのが原因で
CkT 雑音が大きく、無視できませんでした。
そこで、CCD受光構造特有の完全空乏化電荷転送の結果成し得る「残像なし」の特徴を当然これからも維持しつつ、さらに、透明
電極を使わない方法はないかと萩原は思案しました。 当時のMOS image sensor は、NP接合型のphoto diodeをそのまま受光
構造素子としていました。萩原はそれを改良した構造ですが、そのNP接合型のphoto diodeをまま使う部分構造として使うことに
しました。その改良点ですが、まず、受光部をN+P接合とせず、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の薄い濃度(N)を使った
NP接合構造として、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層と同じ濃度としました。埋め込みチャネルCCDの埋め込み層の場合と
同様に、完全空乏化電荷転送がこの濃度(N)を薄くしたNP接合型の受光構造とすればいいのではと萩原は考えました。
しかし、それでもまだ完全でないと萩原は考えました。その理由は、まだ、半導体界面には、強い電界がかかる事になるので、
暗電流や半導体界面に存在する捕獲順位による trap 雑音はまだ存在するので、これでも完全ではないと萩原は考えました。
そこで、萩原は 1971年と1973年の夏休みにSONY厚木工場で自習したことを思い出しました。
当時(1971年~1973年)のSONY厚木工場では、カラーテレビ用信号処理用 bipolar transistorの集積回路の量産体制が、
米国 TI社との特許ライセンス提携のもと、確立しつつある時期でした。萩原はそこで実習生として、 bipolar trasistorの
集積回路(IC)の不良解析を担当していました。具体的には、bipolar transistorの誤動作の原因の Latch-up 現象を学習し、
これは本来、P+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の punch-thru の現象であることを理解しました。
萩原はそのことを思い出だし、その経験をヒントに、このP+NPNsub 接合(サイリスタ)構造の受光構造 ( the pinned photo
diode )
の発明に至りました。 この萩原が1975年に発明した半導体受光構造素子(人間の目でいうと、その網膜細胞に相当するもの)は、
現在、世界では一般に the pinned photo diode と呼ばれるものです。SONYでは商票登録し、SONY original HAD
sensor と
呼んでいるものです。NECの寺西チームはではIEDM1982でこの萩原1975年発明の受光構造を採用した ILT CCDを発表
しました。NEC考案の独自構造として the buried photo diode と名付けましたが、その構造は、萩原1975年発明の受光構造と
まったく同一のものです。
(1) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、
SONY original HAD sensor のことであり、また、
世界一般に pinned photo diode と呼ばれるものは同じものです。
ほかにも、 buried photo diode とも呼ばれる事態を複雑にしています(大涙)。
(2) Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、構造特許として権利化
されています。その期待されるいろいろな動作modeに関してはその特許の
有効性(Know How) と考えられます。また、その半導体素子の構造を明確に
定義されれば、その半導体素子の動作は、半導体物理の教科書は技術資料に
詳細に記述されているので周知情報として特許の説明文に記載する必要は
ありません。その構造を使うこと自体が特許の対象になるわけで、どう使うに
関しては特許の請求範囲外となります。使い方はどうでもいいわけです。その
半導体素子の構造が重要な特許となります。
(3)Hagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、単純に P+NPNsub接合
すなわち サイリスタ―構造の半導体受光素子としています。そして、その信号電荷
が蓄積された受光領域(N層)から隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を
転送することを特徴とする固体撮像装置です。。そして、その有効性を示す特許詳細
説明用の実施例の図6に、このサイリスタ―構造は 縦型の overflow drain 機能、
すなわち、VOD機能を持ち、また、CCD動作と同様に、完全空乏化電荷転送が可能
である、大変有望な構造であることを示唆しています。具体的には、その信号電荷
が蓄積されていた受光領域(N層)が完全空乏化電荷転送の結果、信号電荷のない、
空の状態になっていることを、特許の図6Bに the empty potential well の電位曲線
として描いています。
(4) このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は1978年には FT CCDに
採用され、SONYは岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで記者会見し、
超感度高性能の家庭用小型ビデオカメラの幕開けであることを宣言しました。
当時はまだ SONY original HAD sensor という商標も、pinned photo diodeという
名前は存在しませんでした。しかし、1975年発明の Hagiwara Diode(自称)は、
今も裏面照射型の超感度CMOS image sensor にも採用され続けています。
(5) 1982年になると、NECの寺西さんが IEDM1982に世界で初めて、このHagiwara
1975年発明の Hagiwara Diode(自称)を採用した ILT CCDの原理試作を
国際学会で発表しました。しかしこれはあくまで原理試作です。SONYはすでに
このHagiwara 1975年発明の Hagiwara Diode(自称)の原理試作は1978年に
実現しています。 SONYは 1984年遅れること2年で、Hagiwara 1975年発明の
Hagiwara Diode(自称)搭載の ILT CCDの量産技術を確立し、また、SONYは
SONY original HAD sensor として商標登録して市場を独占しました。水面下で、
NECとSONYは長年に渡り、この1975年SONY萩原発明の Hagiwara Diodeと
NEC 寺西1982年特許( buired photo diode ) の間で特許戦争がありましたが、
最終的にSONYの勝利となり、敗れたNECはビデオカメラ市場から撤退することに
なりました。自社特許がいかに重要であることを物語るものでした。
(6) SONYが今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、
その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。
最高の性能は自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の
技術者との連携と彼らの知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、
それも自社で一番強力な特許があってのビジネスの世界の話です。それが萩原が
1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。SONYは長年、このHagiwara Diode
に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から2000年に渡る米国 Fairchild社
との特許戦争がありました。
この米国 Fairchild社とSONYの、埋め込み overflow drain 構造に関する特許戦争での最大の問題は、
Fairchild社の特許 (Early Patent)が1975年7月22日出願で、一方、SONYの特許( Hagiwara Patent)は
1975年11月10日出願で、数か月先行しており、Fairchild社が先願特許と位置付けられたことでした。
その為、この2つの特許の構造の違いと、その特徴の違いを詳細に、特にそのVOD構造の違いを技術的に
半導体物理や半導体素子の動作原理を理解していない裁判の陪審員や審査官にどう説明できるかが最大の
問題でした。SONY側の技術擁護弁論者として、当時 UC Davis の教授の Prof. Bob Bowerに高額の
依頼費をSONYは出していました。偶然にも Prof. Bob Bowerが Caltechの卒業生で、萩原の先輩である
ことが判明し、初めて、Prof. Bob Bowerからの連絡で、米国 Fairchildと SONYの特許戦争の話を非公式に
萩原は知りました。萩原はすでにSONYでは image sensorの仕事はしていませんでしたので、SONY内部
としては極秘事項なのでその裁判の詳細を知る余地はありませんでした。しかし、その特許戦争の対象となる
のは萩原が1975年に出願した萩原特許( Hagiwara Diode ) と Early Patent の本質の違いを明らかにする
ことでした。当時、萩原は ISSCCなど国際学会出席のついでに、UC Davis 勤務のProf. Bob Bowerの自宅
を訪問し、いろいろ非公式に、日本語で書かれた萩原特許( Hagiwara Diode ) について Prof. Bob Bowerに
その詳細と背景について説明しました。
萩原はその裁判の外の人間でした。SONYは、萩原の存在自体を裁判の流れにどう影響するか不安でした。
最悪の場合、感情論となり、「萩原はもと米国の留学生で米国から知識を米国から持って帰った、いや盗んだ
悪人だ。」と陪審員が感じ取る危険性もあったわけです。でもいずれ、SONY保有特許が萩原の発明で、
萩原が誰なのかは隠していてもいずれは暴露されることは明白でした。SONYは裁判で最後の最後まで
萩原の名前を出しませんでしたが、最後にFairchild側からの質問で、その日本語特許の出願者がかつて、
米国留学生でCalTechの卒業生であることを、Prof. Bob Bower は明らかにしました。
それも Faichild社創設者の Dr. Gordon Moore の母校のCalTechの後輩で、Dr. Gordon Moore が、
Fairchildを去った後、新たに設立した Intel社とも、密接な産学共同プロジェクトで、萩原が深く関係して
いることを知り、その偶然に裁判関係者は驚きの顔を隠せませんでした。
しかし、その結果は、どうしたことか、陪審員はFaichild社の主張を認めた判定を下しました。
その結果は、SONY側からの人間から見ると、誰が見ても意外で、論理性がない、感情論といって
いいものだったと記憶します。やはり、萩原が米国留学生だったことが最大の問題だったのか?
しかし、萩原はそれではあきらめられませんでした。萩原が出願した特許は、米国で学んだことで
出願したものではない。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistorの
製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の
Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の
問題をヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。
1975年2月20日の途中入社扱いで萩原が、SONY中央研究所に配属された時、開発部隊の
先輩だった山崎さん、山中さん、名雲さん、西村さん、中田さんから、CCD image sensorを
使ったカメラシステムの特性をいろいろ教えてもらった時に、CCDでは色再現が悪く、致命的で、
当時残像はCCDはなかったが、残像が問題のMOS image sensorの方が色再現がいいと
教えてもらった。CCDは受光部には適さないと教えてもらった。それで、受光部にはやはり当時の
MOS image sensor と同じく、 N+P 接合型がいいと萩原は理解した。しかし、するとCCDの良さ、
完全空乏層電荷転送による残像なしの特徴が実現できなくなる。それをどう解決するか、その
ためには、埋め込みチャネルCCD型と同じく、N-P 接合型の受光構造がいい、しかし、埋め込み
チャネル型は trap 雑音は回避できたが、酸化膜界面の電界がかかるので表面結合電流が増加し
受光時間に暗電流が発生し、これが暗電流雑音となる。この、N-P 接合型の受光構造でも不完全で
ある。そこで、萩原は思い出した。萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場で、 Bipolar Transistor
の製造ラインで、宇野さんや小笠原さんや中野くんたちから教えてもらった、カラーテレビ用の
Bipolar Transistor集積回路の信頼性の問題、すなわち、サイリスタ―動作の punch-thru の
問題を思い出した。それをヒントに、考案したのが1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) である。
CCD型受光部の最大の問題点、金属性電極による光感度の問題を解決するために考案したのが、
サイリスタ型の、P+NPNsub 接合型受光素子構造( Hagiwara Diode ) の発明だった。米国で萩原が
学んだ知識だけはないと萩原は自信をもって言えた。
実は1972年に CalTechで Prof. C.A. Meadの指導のもと、Computerの検索エンジンに不可欠な
集積回路 silicon chip として、128 bit のdata stream を高速並列処理比較回路 ( 128 bit data
comparator silicon chip ) の集積回路を 当時の Intel の標準プロセス製造ラインで試作し、
大学(CalTech)に持ち帰り、評価し動作確認し、Intel社の技術者(Caltechの萩原の先輩)と連名で、
IEEE Journal of Solid State Circuits (1976年)に産学協同論文として投稿していました。
萩原はいろいろな国際会議の論文委員として奉仕していたことが幸いし、多くの他社の技術者との
交流も深く、連絡を取り合い、いろいろ意見を聞き、アドバイスをもらい、それを Prof. Bob Bpwerに
feedback して、SONY側の技術養護弁論をProf. Bob Bpwerに託していました。
この米国 Fairchild社とSONYの特許戦争でやっとSONYは勝利し、萩原は、大賀会長、出井社長ほか、
当時のSONYのTOPの方々から労いの言葉をいただいています。萩原はただ自分の誇りを守るために
努力したのみです。自分がこの特許の発明者であることを証明するために努力しただけで、SONYからも
誰からもお金は全くもらっていません。
(7)この米国Fairchikd社とSONYの特許紛争ではSONYは勝利しましたが、当然、SONY一社の技術者の
特許だけでは到底最高の商品を自社開発することは不可能です。多くの他の企業の技術者との連携や
彼らの知恵(特許)も使って初めて最高の商品が顧客に提供することができます。小さな特許では付属
特許として、派生特許としてどこの企業でも他社に特許料を支払うことはあります。SONYも同様です。
しかし、主力商品の重要特許に関してはやはり自社で特許を保有していないと、なかなか大きく事業
展開は難しいです。 SONYは今では 世界の image sensor の市場の6割以上を独占する勢いとなり、
その image sensor単体のみの売上売り上げだけでも1兆円以上規模になりました。最高の性能は
自社の特許だけではカバーできません。多くの他の企業や研究機関の技術者との連携と彼らの
知恵(特許)も最高の製品の追求には不可欠です。しかし、それも自社で一番強力な特許があっての
ビジネスの世界の話です。それが萩原が1975年発明した自称 Hagiwara Diode 特許です。
SONYは長年、このHagiwara Diode に関する特許戦争で苦労をしてきました。まず、1991年から
2000年に渡る米国 Fairchild社との特許戦争がありました。またNECとSONYの間では水面下で、
同じHagiwara Diode に関する特許戦争がありました。この2つの大きな特許戦争の勝利を得て、
萩原もやっと1975年発明の自称 Hagiwara Diode 、 SONY original HAD sensorの生みの親で
あることがSONY社内でも公式に認められました。それまでは特許戦争の行方が不透明で社内でも、
1975年の萩原特許の存在は社内でもあまり公表されず、 image sensorの開発技術者の間でも、
萩原1975年特許の存在は知られていませんでした。また社内で特許褒賞を受賞しても特許番号だけで、
その特許の詳細内容は社内でも公開されておらず、社内のほんの数人の特許関係者以外は、この
萩原特許の詳細を理解している社内技術者は、ほとんど皆無でした。その理由は、もう1975年特許
と古く時効で、特許効力・市場価値がない「終わった人の特許」と見なされていたからでした。
しかし、それでも、SONY社内で初めて公式に、SONY original HAD sensor が 萩原の1975年の発明
であると認められた瞬間でした。
この意外な事実を初めて知った、社内の image sensorの開発技術者は、驚いた様子でした。
重要な技術情報が社内で詳細に共有されていなかったことに疑問を感じた若い技術者もいました。
やはり、特許が公開されたものに関しては、社内社外の特許に関わらず、担当の開発技術者が
全員情報共有する必要があると萩原は実感しました。お互いに、先人が出した特許を学習し、
さらにそれを超える特許を出す勉強会などをもっと奨励することの大切さを感じた若者もいました。
それまでの秘密主義の image sensorの 技術管理TOPの態度に疑問を持つものもいました。
一般論ですが、技術管理者(課長や部長職)は部下の特許を把握し、それをヒントに部下に内緒で
自分の部下のアイデアを盗み、ヒントにして、勝手に課長や部長が特許を出願し、その部下が生意気で
邪魔になると、その部下を首にして職場を移動させることも可能です。 特許は 2~5年の間公開される
までは極秘扱いであることをいいことにして、その間にいろいろ派生特許も出せる立場にあります。会社
としては誰が発明しようがまったく関与せず、会社の所有であることには違いないので、それ以上は深く
事実関係を追求しません。特許が 2~5年後、公開される頃には、もうその部下も職場におらず、その
課長や部長が出願した特許の存在を知る余地はありません。そういう悲しい状況が生まれる危険が、
情報シェアされない職場にはあると萩原は当時実感しました。
しかし、その後、SONYの多くの技術者開発者の努力が報われ、現在 SONYは世界のimage sensor の市場の
6割以上を独占する勢いとなり、これからもさらなる発展が期待されています。
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Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.
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Story of Sony original HAD sensor (1)
More Story (1) , Story(2), Story(3)
Story of Sony original HAD sensor (2)
Story of Sony original HAD sensor (3)
Story of Sony original HAD sensor (4)
Story of Sony original HAD sensor (5)
Story of Sony original HAD sensor (6)
Story of Sony original HAD sensor(7)
Story of Sony original HAD sensor(8)
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毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。
毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。
その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 008
hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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(1) Introduction
(2) Sony original HAD sensor の背景
(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(7) NEC日電とSONYの特許戦争について
(8) Fossum 2014年 Fake 論文について
(9) まとめ
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(2) Sony original HAD sensor の背景
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これは SONY original HAD sensor ( pinned photo diode ) の発明者のお話です。
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まずは、SONYの商標、 SONY original HAD sensor について紹介します。
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https://en.wikipedia.org/wiki/HAD_CCD
https://www.ptgrey.com/exview-had-ccd-ii-sensor-technology
https://en.wikipedia.org/wiki/Hole_accumulation_diode
https://www.sony.net/SonyInfo/News/Press_Archive/200002/00-007/
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SONY original HAD sensor は、世界では一般には別名で、
pinned photo diode とも呼ばれる半導体受光素子のことです。
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もとSONYの萩原良昭が1975年特許発明したHagiwara Diodeのことです。
1969年に発明されたCCD image sensor は世界で初めて完全電荷転送を
可能にし、残像のない映像を初めて可能にしました。それまでの MOS
imager も BBD 型の image sensor も電荷蓄積部が濃度の高い N+の
拡散層を採用しておりその拡散層を低電圧で完全空乏化電荷転送を実現
することは不可能でした。しかし、CCDの発明は、完全空乏化電荷転送を
可能にしました。実際は 99.999%の精度での完全電荷転送で、今では
それでも充分でないことがわかりましたが、1970年当時としては最高の
すばらしい数値でした。それが評価され、CCDの発明者( 米国ベル研の
Boyle と Smith )はノーベル賞を受賞しました。
表面型CCDは改良され、埋め込み型CCDも完全空乏化電荷転送が可能と
なりました。その理由は、埋め込み層の濃度(N)を薄くし、完全空乏化電荷
転送を可能にしたからです。
1975年、当時SONY勤務だった萩原はその薄くした埋め込み層の濃度(N)
に着目し、世界で初めて、CCDでなくても従来のMOS型のimage sensorでも
電荷蓄積部の濃度を、埋め込み型CCDの埋め込み層と同じ濃度にすること
により完全空乏化電荷転送が可能であることに注目し、萩原1975年特許で
Hagiwara Diode 1975を 発明し、その特許の実施例、その1つの応用例の
図の中に the empty potential well の電位図に世界で初めて描きました。
1975年には既にCCDの the empty potential well の電位図の物理的は意味
は周知でした。すなわち、CCDの the empty potential well の電位図は、
完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像をCCDが提供するという
すばらしい特徴をCCDが持っていることは周知でした。
See Fig.53 in p.425 of Physics of Semiconductor devices
by Prof.S.M.Sze, 2nd Edition ISBN 0-471-05661-8
for the detailes of (a)BCCD (b)Enerygy band for an empty
potential well and (c) Energy band when a signal packet
is present. See also D.C.Burt, " Basic Operation of Charge
Coupled Devices," Int. Conf. Technol. Appl. CCD,
University of Edingburgh, 1974, p.1 .
萩原は1975年発明の特許の Hagiwara Diode ,すなわち、
現在世界で pinned photo diodeの受光構造でも、CCD型の
受光構造だけでなく、the empty potential well が実現可能で
あることを世界で初めて1975年に特許の中で明らかにしました。
NECとSONYの特許戦争でもこのthe empty potential well の論点が最大の課題
となりました。萩原が動作に関する記述はKnowHow に所属するのでできるだけ
記述説明を除外せよとの当時のCCD開発TOPやそれに従る特許部のStaffの
アドバイスにも抵抗して萩原が「これだけは重要だ」と主張した、この完全空乏化
電荷転送の電位ポテンシャル図の存在のお蔭で、SONYとNECの特許戦争で、
SONYが勝利できた。これは 萩原が1975年に発明した Hagiwara Diode が、
先行特許構造であることの証拠となった。逆にNECの寺西特許は萩原が1975年に
発明した Hagiwara Diodeのコピーであることを証明したことになった。すなわち、
萩原が pinned photo diodeの本当の発明者であることの証拠でもある。
Hagiwara Diodeの特許1975の図6に萩原が描いたthe empty potential well は、
完全空乏化電荷転送の結果、電荷蓄積部が完全に空になっていることを意味し、
それは action picture など高速撮像に不可欠な残像なしの映像を可能にします。
萩原は1975年にすでに Hagiwara Diode ,すなわち、現在世界で pinned photo
diodeと呼ばれる受光構造でも、「残像なし」というすばらしい特徴を持っていること
を示唆した明らかな証拠です。
この事実は理解するには、半導体物理と半導体素子の動作原理をしっかり
学習し理解する必要があります。
たいへん難しい概念ですが、バケツに入っている水をすべて掃き出せば、
バケツの形状だけが見えることのたとえで、半導体物理原理により、
半導体の受光部のバケツの形状がこの the empty potential well の形状
となることを萩原は1975年の特許の図6に世界で初めて描き明らかにしました。
この萩原が世界で初めて1975年に萩原特許の実施例図6に描いた、
pinned photo diode ( P+NPsub junction sensor ) の
the empty potential well の電位図が、もと1975年SONYの萩原が
the pinned photo diode の本当の発明者であることの証拠であります。
萩原1975年の発明はCCDだけでなく、Hagiwara Diode のちに世界一般に
pinned photo diodeも 完全空乏化電荷転送の結果で、残像なしの映像を
可能にすることを、 もとSONYの萩原は1975年の日本語特許の図6に
世界で初めて示唆しました。 従って、pinned photo diodeは SONYの
固有の発明で、発明者は当時26歳のもとSONYの萩原良昭です。
萩原1975年の特許の実施図の第5図には、 1 bit の絵素ごとに金属コンタクトがあり、
これが製造上非現実的であると、SONY社内でも非難を受け、採用されることはあり
ませんでした。しかし、萩原1975年の特許の請求範囲はもっと普遍的な文章記述で
Hagiwara Diodeの受光構造を以下の様に定義しています。
この1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode は、CCD型とMOS型の両方の
image sensor 方式にも適応可能で、実施例図2に提示されている様に、 ILT方式の
CCD image sensor にも応用が可能としている、萩原1975年特許のHagiwara Diode
そのものをNECの寺西は IEDM1982 で ILT CCD image sensor に応用し発表した。
これを世界は最初の pinned photo diode の発明と誤解した。しかし、NECの寺西が、
IEDM1982 で発表した、 ILT CCD image sensor に採用した buried photo diode は、
その論文に提示された受光構造を見ると、明らかに萩原が1975年に発明した受光構造
と全くの同一構造のものである。 萩原1975年発明のHagiwara Diodeそのものである。
1975年にSONYの萩原が発明した Hagiwara Diode(HAD)は、デジカメ、すなわち、
digital CCD image sensor やdigital CMOS image sensorにも不可欠な受光素子です。
このHagiwara Diodeが超高感度・低雑音・残像のないデジカメを可能にしました。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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このHagiwara Diode、別名 pinned photo diode、Sony では Sony original
HAD と呼ばれるものです。この超高感度・残像なしを実現した受光素子を、
萩原は1975年に特許発明しました。しかし、競合他社とのその特許権利の
問題で長い間、特許戦争が生じ、要約SONYの勝利が確定した2001年に
なってやっとその功績が社内で認められました。その評価が 26年もの歳月
がかかった背景には深い理由がありました。これはそのお話です。
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米国Fairchild社と Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) との
10年間にもわたる長い苦しかった特許戦争(1991~2000)の終結でした。
この特許戦争での陰の最大の功労者で、SONY側所属特許の発明者の萩原は、
大賀会長、出井社長をはじめ多くの当時のSONY幹部から慰労の言葉をもらった。
Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) は、こうしてその誇りある
SONY original Brand を守ってきました。Sony HAD sensorがSONY独自の創意
工夫で実現した、SONYの固有発明であることは、SONY社員全員が断言します。
SONYの創意工夫努力は萩原だけでない。過去には地道な MCZ waferの開発
から始まり、苦労を共にし助けてくれた多くの技術者、川名・加藤・安藤・岡田・
狩野・阿部・松本・神戸・鈴木とも・上田を中心としたプロセス開発部隊や、萩原の
上司・先輩・同僚の、越智・山崎・粂沢・橋本・岡沢・山中・西村・名雲の皆さんや、
竹下・奈良部・浜崎・石川・米本・角ほか多くの、萩原設計・評価技術を継承して、
さらに発展してくれた後輩SONY社員の努力と創意工夫により実現したものである。
その中でも、初期のパイオニア開発者として、また、この最大の特許戦争での
功労者として、その発明者の萩原はSONYでやっと、1975年発明の萩原自称の、
Hagiwara Diode 、すなわち世界一般では、pinned photo diode と呼ばれ、また、
SONYでは SONY original HAD sensor と呼ばれる、高性能超感度の半導体
受光素子構造の基本特許出願の発明者として、萩原は2001年4月、やっと、
2001年1月に特許戦争が米国最高裁判所の判決でSONYの勝利が確定して、
SONYで特許褒賞を受けることができた。たいへん長い闘いだった。その苦労
を知るSONY社内の技術者はほとんど存在しない。多くの社員は黙々とその
生産と商品展開に努力工夫し励んでいた。彼らのお蔭でものができ世に出せた。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 009
hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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(1) Introduction
(2) Sony original HAD sensor の背景
(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(7) NEC日電とSONYの特許戦争について
(8) Fossum 2014年 Fake 論文について
(9) まとめ
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(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
この話は、1975年26歳の時でSONY中央研究所に勤務していた時に萩原が発明した、
超高感度、低雑音、低暗電流で残像なしの高性能半導体受光素子構造の話である。
具体的には、P+NPNsub 接合構造を持つ thyristor 型の高性能受光素子の話である。
萩原1975年発明(Hagiwara Diode)は、サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光
構造なので、いろいろなサイリスタ―の動作(周知情報)が期待できる。組み込み型の
VOFの実現が可能なことも容易に推察される。 その周知の動作原理に関しては、
構造特許としているので、その詳細な動作原理の説明は省略している。
あくまで構造特許として重要である。
上図からも明らかな様に、サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、
また、トランジスタ―は2つのダイオードの複合構造体である。
このP+NPNsub接合構造のサイリスタ―型の受光構造( Hagiwara Diode )特許、
萩原の1975年発明は、pinned photo diodeをも含む、強力な半導体受光素子
構造に関する特許である。また、この萩原が1975年に発明した、このP+NPNsub
接合構造のサイリスタ―型の受光構造は、SONYでは、 SONY original HAD
image sensor 商標名で登録され、世界中に事業展開され市場を独占した。
萩原1975年特許の特許請求範囲を記述した文章が定義した構造図を示す。
萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造の具体的な応用例として、
下の図に3つの例を示している。この3つの例は、あくまで例であり、萩原1975年
発明の特許の特許請求範囲を制約するものではない。特許請求範囲に示された
内容はいろいろな派生構造、たとえば隣接するCTD(電荷転送素子)に関しては、
CCDだけでなく、過去の classis MOS image sensor をも含み、また、現在市場を
独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor をも可能に
した、強力な基本特許である。
現在市場を独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor
の実現を可能にしたのも、萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )である。今、
この萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )は、世界では pinned photo diode
と呼ばれ、 SONYでは 「SONY original HAD sensor 」 搭載の digital CMOS
image sensor とも呼ばれる。
萩原1975特許 ( P+NPNsub 接合型受光素子 Hagiwara Diode ) の
具体的な応用例(実施図)として、下の図に 3つの例を示している。
萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造、すなわち具体的な応用例を
上の図の3つの実施例を含めて、以下にその詳細について説明する。
●実施例(1)
萩原1975年特許(Hagiwara Diode) の実施例の図5に記載されたもの。
BOX で囲まれた PNP 接合構造、すなわち、PNPトランジスタ構造であるが、
しかし、これは dynamic 動作をする新規なPNPトランジスタ動作で、従来の
static動作のトランジスタ電流増幅動作ではなく、CCD動作が MOS容量の
dynamic 動作と位置付けられる様に、この発明は、 PNP 接合構造、すなわち、
PNPトランジスタ構造の新規な dynamic 接合容量動作を提案したものである。
その特徴は半導体界面が P+領域( emitter 端子の濃度)となっており、電圧が
固定( pin 留め)されており、 pinned photo diodeの概念を初めて図示したもの
である。また、電圧が外部で固定化されているので、半導体界面には電界が
かからないので、埋め込みチャネルCCDの半導体界面とは違って、界面電界
により発生する暗電流が、このPNP接合構造の受光素子では極端に少なくなる。
このPNP構造の受光素子が超高感度でかつ低雑音を実現していることを、
萩原のチームは、世界で初めて、1978年に報告している。
Reference :
Proceddings of the 10th Conference on Slide State Devices, Tokyo 1978;
Japanese Journal of Applied Physics, Volume 18 (1979)
Supplement 18-1, PP.335-340
また、その萩原の成果 (世界で最初の pinned photo diodeの発明と
その原理試作の報告)が注目され、英国 Scotland の Edinburgh で開催の
CCD79 国際会議で萩原は招待講演を受けた。当時はまだ、
pinned photo diodeの名称は使われていなかったが、これが日本国外で、
世界で最初の国際会議での報告でした。このことは、当時の英国の報道誌にも
「SONYが世界で単独がんばっている」と報告された。
1979年9月(31歳)当初の萩原のSONYでのCCD開発活動の報告でした。
なかなか、CCD image sensorが、当時の半導体 silicon chip が大口径で
かつプロセスが複雑で、ものにならなく苦労していた時代でした、開発研究を
あきらめる企業が目立った頃の話です。
世の中は、「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化
できるのかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ
見えない頃でした。
英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。
"ADVANCES in CCD Imagers"by Yoshiaki Hagiwara, SONY @ CCD'79
世界が CCD image sensorの開発を飽きられつつある状態の中で、
SONYだけが単独で頑張っている印象を与えた。
この後、松下も日電もCCD関連の研究開発を続々学会発表し、
世界が CCD image sensorの開発が再び活性化された。
受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン留めされたP+端子)をつけたもので、
pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。
ピン留めさらた photo diode を文字通り英語で、pinned photo diodeという。
従って、この萩原の1975年特許の実施例(具体的な応用例の1つ)が、pinned
photo diode の発明の原点( origin ) である。ピン留めされているということは
その表面のP層が浮遊( floating )状態ではなく、外部電圧で制御されて固定
されているいることを意味する。その電圧の値は自由に固定値に設定が可能
ということである。従って、基板(Psub) の電圧 (GND 電圧)でもいいことになる。
この場合は、表面のP層と基板(Psub) させてもいいことになる。この場合は、
1975年発明の萩原特許( Hagiwara Diode )の特殊な実施例、すなわち、具体
的な例の1つである。従って、1975年の萩原特許( Hagiwara Diode )の発明
の中に含まれる。この場合は、金属コンタクトが不要であることも自明である。
上の図の1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )の特殊実施例(2)は、
1978年にSONYが FT 型 CCD image sensorに搭載された 受光素子構造
である。これを、萩原1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )を現在では、
世界一般では pinned photo diode 、 SONYでは Sony original HAD と呼ぶ。
この受光構造は今でも 裏面照射型、超感度、低雑音、低暗電流で、残像なしの
SONY original HAD 搭載、digital CMOS image sensor として採用されている。
SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して
いないCCD開発担当の管理職も、上図の実施例(1)が萩原特許そのものと
勘違いしていた。この萩原特許そのものを、使いものにならないとけなした。
その将来性を見抜くことができなかった。
Fossum の2014年の fake 論文の中でも、同じ間違った主張を繰り返している。
明らかに、Fossum は 萩原発明の1975年特許の日本語の正確な特許請求文
を読んでいない。少なくとも、理解していない。
この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを
各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは萩原は一言も
書いていない。
この構造が、製造可能かどうかは別の話として、構造特許の有効性の説明
には使える。これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを
示唆した実施例(1)である。
実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、
他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOF
の実現が可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許
としているので、その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造
特許として重要である。
このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diode
をも含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解
であることからも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造
であり、また、トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは
自明である。
従って、 pinned photo diodeも、この萩原1975特許の発明に含まれる。
萩原1975特許は、pinned photo diode 意外にもいろいろな機能を装備した
強力な基本特許でいろいろな応用実施例にその特許請求権利が及ぶもの
である。
昔の Sony original HAD sensor 搭載の digital CCD image sensor の場合
だけでなく、現在、市場を独占している、 modern digital CMOS image sensor
においても、1975年萩原が26歳の時にSONYで発明した半導体受光素子構造
(Hagiwara Diode)は、Sony では Sony original HAD sensor と呼ばれ、他社
では、 pinned photo diodeと呼ばれ、名称は各社マチマチだが、同じもので、
超感度で、低雑音、低暗電流、さらに残像のない Hagiwara Diode は、世界中
の固体撮像素子の受光部として今も生きている。
●実施例(2) 1978年原理試作した P+N-Psub 型のHagiwara Diodeの実施図。
Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、
表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。
超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが
できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。
感度向上のために、Hagiwara Diodeは不可欠である。さらに裏面照射型に
してさらなる感度向上の努力が超高感度 CMOS image sensorを可能にした。
裏面照射型のCCD image sensorの開発歴史は古いが、CCDは本質的にsmear が
ひどく不完全だった。萩原も中研時代、裏面照射型のCCD image sensorについて
の米国の技術文献を参考にして、裏面照射型のHagiwara Diode搭載のFT型CCD
のOne chip カラーカメラの為のCCD構造の検討 ( SONY中研 R-76206 )をした
が、CCDは smear が多くで、失敗に終わっている。しかし、現在、SONYの若い
技術者は、裏面照射技術をあきらめることなく、CMOS image sensorに応用して、
今までにない、 超高感度 CMOS image sensor を実現することに成功している。
このSONYの超高感度 CMOS image sensor 中にも、1978年に初めて萩原が
原理試作動作を確認した Hagiwara Diode 、 今のSONY original HAD sensor
であり、かつ世界では pinned photo diode と呼ばれる 高性能高感度の半導体
受光素子構造は採用されて活躍している。
この後、1978年のHagiwara Diode 搭載の FT image sensorの原理試作
動作の確認後、透明電極を使うものと比べれば比較的簡単であるので、
萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、
Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した
pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案した。
透明電極を使うと熱工程がその後入らず、欠陥が熱補正できなくなり、
無傷の完全な CCDを量産することは難しいと萩原は否定的だった。
しかし、SONY 開発部隊のTOPには理解されず、簡単に却下され、
もうこれ以上寄り道はできないと部隊の全力を1つに投入すべきとなり、
萩原1人で頑固に検討を始めようとしたが、チームワークを乱すものと
として、最終的に首になった。その代わりは萩原は別のすばらしい仕事
の機会をもらった。デジカメの実現に不可欠な高速 Cache SRAM chip
の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに
なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。
ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜んだ。
「これでSONYに勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも
聞こえてきた時は、萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。
●実施例(3) Hagiwara Diode を採用したもう1つのFT 型CCD構造図
1979年に Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された
pinned photo diode 構造である。Hynecekは表面のP+層の濃度をさらにあげて、
電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化電荷
転送することを実現していたもので、Hynecekの発明である。萩原1975年特許
構造を採用して、さらに発展させた派生構造の、Hynecekの新しい発明である。
ここで、萩原は 「Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」とは言っていない。
Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、ここでも、 うそを書いている。
Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした
記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
●実施例(4) P+N-Psub 型の Hagiwara Diode を採用した ITL型CCD構造図
NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を組み合わせた
形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板のPsubが導通した pinned
photo diode 構造を採用した Interline 型CCD imager を発表した。
従来の ITL型 CCDにもHagiwara Diodeが適応できることは、すでに1975年の
萩原特許での実施例図2でも描いており、1982年では周知の情報である。
このNECの寺西の IEDM1982の発表は、完全な萩原1975年特許の copy である。
その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に
萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された
P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo
diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の
IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造
の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年
特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの
技術者も見ているはずである。
そして、1978年には同時に FT 型CCD image sensor での pinned photo
diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image sensor を、SONYの岩間
社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見して、大きく、次世代の
ビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。これが Hagiwara Diode ( pinned
photo diode )を搭載した、低雑音、低暗電流、超感度、残像なしの digital
CCD image sensor の幕開けであり、さらに現在も Hagiwara Diode ( pinned
photo diode )を搭載した、さらに高性能な、低雑音、低暗電流、超感度、
残像なしの digital CMOS image sensor を実現している。
ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982
で発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。
Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。
1975年の萩原特許の詳細をまったく知らない人たちをだましている。
萩原1975年特許の存在とその詳細明解な特許請求文を理解すれば、
Fossum 2014年論文が 虚論( fake ) であることが即理由が理解できる。
Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろと、ある事ない事を非常に偏見
を持った、バイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、
すなわち、のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した
実施例(派生copy) である。あくまで、pinned photo diodeの発明は、
1975年の萩原特許によるものである。
いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。
NEC Teranish IEDM1982 application was just a copy of Hagiwara 1975 patent.
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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毎朝6時前から1時間、自宅のそばの小川沿いや野道を Walking。
毎朝、健康のために、妻と萩原は歩いています。
その時に萩原が撮った写真と妻の絵手紙です。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 009
hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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(1) Introduction
(2) Sony original HAD sensor の背景
(3) the pinned photo diode と Sony original HAD sensorは同じもの
(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
(5) 萩原1975年出願特許( Hagiwara Diode の発明)のお話
(6) 米国 Fairchild社とSONYの特許戦争について
(7) NEC日電とSONYの特許戦争について
(8) Fossum 2014年 Fake 論文について
(9) まとめ
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(4) 萩原良昭の自己紹介と活動報告
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2008年に発足設立し、過去10年間、
このAIP異業種学習同好会を支援していただいておりました
神奈川県厚木市在住のNPO法人、
「特定非営利活動法人AIPSコンソーシアム」
は平成29年12月8日の社員総会にて、社員の老齢化を理由に、
解散決議しました。しかし、非法人組織として個人グループ活動は
老人仲間(70歳~85歳)で、ほそぼそとボケ防止にやっています。
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なお、このAIP異業種学習同好会(aiplab.com)のHOME PAGE は、
これからも、私的ボランティア活動として、ボケ防止活動として、
70歳~85歳の、まだ青春時代を楽しんでいる、自由で元気な老人
仲間で継続します。今後とも、ご支援の程よろしくおねがい申し上げます。
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代表 萩原良昭
hagihara-yoshiaki@aiplab.com
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未来の日本、世界はバラ色です。
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AIPS image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
ともに、光を電気エネルギーに 変換する photo diode を使います。
もっとも光変換効率のいいのが 萩原が1975年発明のHAD sensor です。
将来は、HAD 技術搭載の光変換効率の良い、光感度にいい太陽電池が生まれるでしょう。
そして、日本の世界のエネルギー源となるでしょう。
日本は今石油と食料を大量に輸入していますが、石油ももうすぐ底をつきます。
その時は自然エネルギー(太陽電池がスーパースター)にかわるでしょう。
もし、政府が太陽電池の量産技術に補助金をもっと奮発すれば、
野菜やお米、麦、大豆などを、各企業の地下で栽培できれば、
水と電気からの光で清潔な野菜、くだもの、お米、麦、大豆が豊富につくれれば、
日本の国は、エネルギーと食料を自給できる、
世界の模範的な自然にやさしい近代国家に変貌することでしょう。
その為には AIPS image sensor 技術は不可欠です。
それに、人工知能を支えるデジタル回路が AIPS image sensor に搭載されれば、
もう怖いものなしで、未来の日本、世界はバラ色です。
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この 賢い AIPS sensor は、 萩原が ソニー時代に育てた
(1) Sony original HAD sensor
https://ja.wikipedia.org/wiki/Super_HAD_CCD と
(2) Play Station Processor
https://ja.wikipedia.org/wiki/Cell_Broadband_Engine
の 融合技術から生まれます。
APSCIT2018 でのお話は
2008年の学会でしゃべった内容の続きのお話です。
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AIPS image sensor の原理と 太陽電池の原理は同じです。
それが理解できない方は 萩原の著書を買って読んでください(笑顔)
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もっと技術内容に興味あるかたは、会社や大学の図書館にぜひ
購入依頼をお願いして、一冊会社や大学で買ってもらってください。
そして、時間がある時に貸し出してゆっくり読んでください。
中学程度の数学の知識があれば、それを土台に話を展開している
ので、文系の方でも興味にお持ちに方なら、読破可能です。
挑戦して見てください。
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人工知能パートナー(AIPS)を支える
デジタル回路の世界
補足資料(Appendix)
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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055
本体 9000円+税
B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)
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書籍の出版社の紹介
TEL: 042-765-6460(代) 青山社
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html
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萩原良昭 紹介
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