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hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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See also ElectronicsStackExchangeSite on "What is Pinned Photo Diode
? "
Pinned Photo Diode was invented by Hagiwara of Sony in 1975 (PDF)
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じじいのつぶやき TOPICS 2018.08.10
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page
................. a story of the intelligent AIPS image sensor...........
Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.
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70歳のじじいのつぶやきです(笑顔)
「賢い電子の目」が、その発明者である、もとSONYの萩原良昭を見ています。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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これは SONY original HAD sensor ( pinned photo diode ) の発明者のお話です。
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まずは、SONYの商標、 SONY original HAD sensor について紹介します。
https://en.wikipedia.org/wiki/HAD_CCD
https://www.ptgrey.com/exview-had-ccd-ii-sensor-technology
https://en.wikipedia.org/wiki/Hole_accumulation_diode
https://www.sony.net/SonyInfo/News/Press_Archive/200002/00-007/
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SONY original HAD sensor は、世界では一般には別名で、
pinned photo diode とも呼ばれる半導体受光素子のことです。
もとSONYの萩原良昭が1975年特許発明したHagiwara Diodeのことです。
1969年に発明されたCCD image sensor は世界で初めて完全電荷転送を
可能にし、残像のない映像を初めて可能にしました。それまでの MOS
imager も BBD 型の image sensor も電荷蓄積部が濃度の高い N+の
拡散層を採用しておりその拡散層を低電圧で完全空乏化電荷転送を実現
することは不可能でした。しかし、CCDの発明は、完全空乏化電荷転送を
可能にしました。また埋め込み型CCDも完全空乏化電荷転送が可能と
なりました。その理由は、埋め込み層の濃度(N)を薄くし、完全空乏化電荷
転送を可能にしたからです。萩原はその薄くした埋め込み層の濃度(N)に
着目し、世界で初めて、CCDでなくても従来のMOS型のimage sensorでも
電荷蓄積部の濃度を、埋め込み型CCDの埋め込み層と同じ濃度にする
ことにより完全空乏化電荷転送が可能であることに萩原1975年特許の
実施例の中に示しました。
萩原1975年の特許の実施図の第5図には、 1 bit の絵素ごとに金属コンタクトがあり、
これが製造上非現実的であると、SONY社内でも非難を受け、採用されることはあり
ませんでした。しかし、萩原1975年の特許の請求範囲はもっと普遍的な文章記述で
Hagiwara Diodeの受光構造を以下の様に定義しています。
この1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode は、CCD型とMOS型の両方の
image sensor 方式にも適応可能で、実施例図2に提示されている様に、 ILT方式の
CCD image sensor にも応用が可能としている、萩原1975年特許のHagiwara Diode
そのものをNECの寺西は IEDM1982 で ILT CCD image sensor に応用し発表した。
これを世界は最初の pinned photo diode の発明と誤解した。しかし、NECの寺西が、
IEDM1982 で発表した、 ILT CCD image sensor に採用した buried photo diode は、
その論文に提示された受光構造を見ると、明らかに萩原が1975年に発明した受光構造
と全くの同一構造のものである。 萩原1975年発明のHagiwara Diodeそのものである。
1975年にSONYの萩原が発明した Hagiwara Diode(HAD)は、デジカメ、すなわち、
digital CCD image sensor やdigital CMOS image sensorにも不可欠な受光素子です。
このHagiwara Diodeが超高感度・低雑音・残像のないデジカメを可能にしました。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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このHagiwara Diode、別名 pinned photo diode、Sony では Sony original
HAD と呼ばれるものです。この超高感度・残像なしを実現した受光素子を、
萩原は1975年に特許発明しました。しかし、競合他社とのその特許権利の
問題で長い間、特許戦争が生じ、要約SONYの勝利が確定した2001年に
なってやっとその功績が社内で認められました。その評価が 26年もの歳月
がかかった背景には深い理由がありました。これはそのお話です。
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米国Fairchild社と Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) との
10年間にもわたる長い苦しかった特許戦争(1991~2000)の終結でした。
この特許戦争での陰の最大の功労者で、SONY側所属特許の発明者の萩原は、
大賀会長、出井社長をはじめ多くの当時のSONY幹部から慰労の言葉をもらった。
Sony original HAD sensor ( Hagiwara Diode 1975 ) は、こうしてその誇りある
SONY original Brand を守ってきました。Sony HAD sensorがSONY独自の創意
工夫で実現した、SONYの固有発明であることは、SONY社員全員が断言します。
SONYの創意工夫努力は萩原だけでない。過去には地道な MCZ waferの開発
から始まり、苦労を共にし助けてくれた多くの技術者、川名・加藤・安藤・岡田・
狩野・阿部・松本・神戸・鈴木とも・上田を中心としたプロセス開発部隊や、萩原の
上司・先輩・同僚の、越智・山崎・粂沢・橋本・岡沢・山中・西村・名雲の皆さんや、
竹下・奈良部・浜崎・石川・米本・角ほか多くの、萩原設計・評価技術を継承して、
さらに発展してくれた後輩SONY社員の努力と創意工夫により実現したものである。
その中でも、初期のパイオニア開発者として、また、この最大の特許戦争での
功労者として、その発明者の萩原はSONYでやっと、1975年発明の萩原自称の、
Hagiwara Diode 、すなわち世界一般では、pinned photo diode と呼ばれ、また、
SONYでは SONY original HAD sensor と呼ばれる、高性能超感度の半導体
受光素子構造の基本特許出願の発明者として、萩原は2001年4月、やっと、
2001年1月に特許戦争が米国最高裁判所の判決でSONYの勝利が確定して、
SONYで特許褒賞を受けることができた。たいへん長い闘いだった。その苦労
を知るSONY社内の技術者はほとんど存在しない。多くの社員は黙々とその
生産と商品展開に努力工夫し励んでいた。彼らのお蔭でものができ世に出せた。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 02
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
この話は、1975年26歳の時でSONY中央研究所に勤務していた時に萩原が発明した、
超高感度、低雑音、低暗電流で残像なしの高性能半導体受光素子構造の話である。
具体的には、P+NPNsub 接合構造を持つ thyristor 型の高性能受光素子の話である。
萩原1975年発明(Hagiwara Diode)は、サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光
構造なので、いろいろなサイリスタ―の動作(周知情報)が期待できる。組み込み型の
VOFの実現が可能なことも容易に推察される。 その周知の動作原理に関しては、
構造特許としているので、その詳細な動作原理の説明は省略している。
あくまで構造特許として重要である。
上図からも明らかな様に、サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、
また、トランジスタ―は2つのダイオードの複合構造体である。
このP+NPNsub接合構造のサイリスタ―型の受光構造( Hagiwara Diode )特許、
萩原の1975年発明は、pinned photo diodeをも含む、強力な半導体受光素子
構造に関する特許である。また、この萩原が1975年に発明した、このP+NPNsub
接合構造のサイリスタ―型の受光構造は、SONYでは、 SONY original HAD
image sensor 商標名で登録され、世界中に事業展開され市場を独占した。
萩原1975年特許の特許請求範囲を記述した文章が定義した構造図を示す。
萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造の具体的な応用例として、
下の図に3つの例を示している。この3つの例は、あくまで例であり、萩原1975年
発明の特許の特許請求範囲を制約するものではない。特許請求範囲に示された
内容はいろいろな派生構造、たとえば隣接するCTD(電荷転送素子)に関しては、
CCDだけでなく、過去の classis MOS image sensor をも含み、また、現在市場を
独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor をも可能に
した、強力な基本特許である。
現在市場を独占している、 超高感度で、高性能な digital CMOS image sensor
の実現を可能にしたのも、萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )である。今、
この萩原1975年発明の特許( Hagiwara Diode )は、世界では pinned photo diode
と呼ばれ、 SONYでは SONY original HAD sensor 搭載の digital CMOS image
sensor と呼ばれる。
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萩原1975特許 ( P+NPNsub 接合型受光素子 Hagiwara Diode ) の
具体的な応用例(実施図)として、下の図に 3つの例を示している。
萩原1975特許( Hagiwara Diodeの発明 ) の派生構造、すなわち具体的な応用例を
上の図の3つの実施例を含めて、以下にその詳細について説明する。
●実施例(1) 萩原1975年特許(Hagiwara Diode) の実施例の図5に記載されたもの。
受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン留めされたP+端子)をつけたもので、
pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。
ピン留めさらた photo diode を文字通り英語で、pinned photo diodeという。
従って、この萩原の1975年特許の実施例(具体的な応用例の1つ)が、pinned
photo diode の発明の原点( origin ) である。ピン留めされているということは
その表面のP層が浮遊( floating )状態ではなく、外部電圧で制御されて固定
されているいることを意味する。その電圧の値は自由に固定値に設定が可能
ということである。従って、基板(Psub) の電圧 (GND 電圧)でもいいことになる。
この場合は、表面のP層と基板(Psub) させてもいいことになる。この場合は、
1975年発明の萩原特許( Hagiwara Diode )の特殊な実施例、すなわち、具体
的な例の1つである。従って、1975年の萩原特許( Hagiwara Diode )の発明
の中に含まれる。この場合は、金属コンタクトが不要であることも自明である。
上の図の1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )の特殊実施例(2)は、
1978年にSONYが FT 型 CCD image sensorに搭載された 受光素子構造
である。これを、萩原1975年発明の受光構造( Hagiwara Diode )を現在では、
世界一般では pinned photo diode 、 SONYでは Sony original HAD と呼ぶ。
この受光構造は今でも 裏面照射型、超感度、低雑音、低暗電流で、残像なしの
SONY original HAD 搭載、digital CMOS image sensor として採用されている。
SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して
いないCCD開発担当の管理職も、上図の実施例(1)が萩原特許そのものと
勘違いしていた。この萩原特許そのものを、使いものにならないとけなした。
その将来性を見抜くことができなかった。
Fossum の2014年の fake 論文の中でも、同じ間違った主張を繰り返している。
明らかに、Fossum は 萩原発明の1975年特許の日本語の正確な特許請求文
を読んでいない。少なくとも、理解していない。
この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを
各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは萩原は一言も
書いていない。
この構造が、製造可能かどうかは別の話として、構造特許の有効性の説明
には使える。これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを
示唆した実施例(1)である。
実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、
他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOF
の実現が可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許
としているので、その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造
特許として重要である。
このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diode
をも含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解
であることからも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造
であり、また、トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは
自明である。
従って、 pinned photo diodeも、この萩原1975特許の発明に含まれる。
萩原1975特許は、pinned photo diode 意外にもいろいろな機能を装備した
強力な基本特許でいろいろな応用実施例にその特許請求権利が及ぶもの
である。
昔の Sony original HAD sensor 搭載の digital CCD image sensor の場合
だけでなく、現在、市場を独占している、 modern digital CMOS image sensor
においても、1975年萩原が26歳の時にSONYで発明した半導体受光素子構造
(Hagiwara Diode)は、Sony では Sony original HAD sensor と呼ばれ、他社
では、 pinned photo diodeと呼ばれ、名称は各社マチマチだが、同じもので、
超感度で、低雑音、低暗電流、さらに残像のない Hagiwara Diode は、世界中
の固体撮像素子の受光部として今も生きている。
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●実施例(2) 1978年原理試作した P+N-Psub 型のHagiwara Diodeの実施図。
Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、
表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。
超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが
できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。
感度向上のために、Hagiwara Diodeは不可欠である。さらに裏面照射型に
してさらなる感度向上の努力が超高感度 CMOS image sensorを可能にした。
裏面照射型のCCD image sensorの開発歴史は古いが、CCDは本質的にsmear が
ひどく不完全だった。萩原も中研時代、裏面照射型のCCD image sensorについて
の米国の技術文献を参考にして、裏面照射型のHagiwara Diode搭載のFT型CCD
のOne chip カラーカメラの為のCCD構造の検討 ( SONY中研 R-76206 )をした
が、CCDは smear が多くで、失敗に終わっている。しかし、現在、SONYの若い
技術者は、裏面照射技術をあきらめることなく、CMOS image sensorに応用して、
今までにない、 超高感度 CMOS image sensor を実現することに成功している。
このSONYの超高感度 CMOS image sensor 中にも、1978年に初めて萩原が
原理試作動作を確認した Hagiwara Diode 、 今のSONY original HAD sensor
であり、かつ世界では pinned photo diode と呼ばれる 高性能高感度の半導体
受光素子構造は採用されて活躍している。
この後、1978年のHagiwara Diode 搭載の FT image sensorの原理試作
動作の確認後、透明電極を使うものと比べれば比較的簡単であるので、
萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、
Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した
pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案した。
透明電極を使うと熱工程がその後入らず、欠陥が熱補正できなくなり、
無傷の完全な CCDを量産することは難しいと萩原は否定的だった。
しかし、SONY 開発部隊のTOPには理解されず、簡単に却下され、
もうこれ以上寄り道はできないと部隊の全力を1つに投入すべきとなり、
萩原1人で頑固に検討を始めようとしたが、チームワークを乱すものと
として、最終的に首になった。その代わりは萩原は別のすばらしい仕事
の機会をもらった。デジカメの実現に不可欠な高速 Cache SRAM chip
の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに
なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。
ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜んだ。
「これでSONYに勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも
聞こえてきた時は、萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。
●実施例(3) Hagiwara Diode を採用したもう1つのFT 型CCD構造図
1979年に Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された
pinned photo diode 構造である。Hynecekは表面のP+層の濃度をさらにあげて、
電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化電荷
転送することを実現していたもので、Hynecekの発明である。萩原1975年特許
構造を採用して、さらに発展させた派生構造の、Hynecekの新しい発明である。
ここで、萩原は 「Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」とは言っていない。
Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、ここでも、 うそを書いている。
Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした
記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
●実施例(4) P+N-Psub 型の Hagiwara Diode を採用した ITL型CCD構造図
NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を組み合わせた
形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板のPsubが導通した pinned
photo diode 構造を採用した Interline 型CCD imager を発表した。
従来の ITL型 CCDにもHagiwara Diodeが適応できることは、すでに1975年の
萩原特許での実施例図2でも描いており、1982年では周知の情報である。
このNECの寺西の IEDM1982の発表は、完全な萩原1975年特許の copy である。
その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に
萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された
P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo
diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の
IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造
の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年
特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの
技術者も見ているはずである。
そして、1978年には同時に FT 型CCD image sensor での pinned photo
diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image sensor を、SONYの岩間
社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見して、大きく、次世代の
ビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。これが Hagiwara Diode ( pinned
photo diode )を搭載した、低雑音、低暗電流、超感度、残像なしの digital
CCD image sensor の幕開けであり、さらに現在も Hagiwara Diode ( pinned
photo diode )を搭載した、さらに高性能な、低雑音、低暗電流、超感度、
残像なしの digital CMOS image sensor を実現している。
ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で
発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。
Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。
1975年の萩原特許の詳細をまったく知らない人たちをだましている。
萩原1975年特許の存在とその詳細明解な特許請求文を理解すれば、
Fossum 2014年論文が 虚論( fake ) であることが即理由が理解できる。
Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろと、ある事ない事を非常に偏見
を持った、バイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、
すなわち、のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した
実施例(派生copy) である。あくまで、pinned photo diodeの発明は、
1975年の萩原特許によるものである。
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いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。
NEC Teranish IEDM1982 application was just a copy of Hagiwara 1975 patent.
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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Image Sensor に関連して、米国電子電気工業会(IEEE)主催の
半導体集積回路の世界的な国際会議(ISSCC2013)での
Plenary Panel Talk の為に 準備したメモをもとに、
IEEE Solid State Society 刊行 の Journal で、
Solid State Circuit Magazine, 2013 Summer Issue
に記載した内容をまとめたものです。
ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk Memo
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
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萩原は1975年にSONYに入社し、SONYの横浜中央研究所に配属され、
家庭用小型ビデオカメラ用の固体撮像素子の研究開発に従事しました。
残像がなく低雑音のCCD( 電荷結合素子 ) は脚光を浴びていました。
CCDは、電子のかたまり(電荷)を取り残しなく転送できる固体素子として、
すなわち、電荷転送装置(CTD) としては優れた特徴がありました。
埋め込みチャネル型CCDの転送効率は、99.999%近い値でした。
しかし、CCD は本来MOS容量構造なので光を透過することができません。
固体撮像装置の受光構造には不向きで利用することは不可能でした。
そこで萩原はSONYに入社してすぐ1975年、CCDの受光素子に代わる、
優れた特徴を持つ受光素子( Hagiwara Diode )を発明し特許申請しました。
CCDが持つ、低雑音で残像なしの特徴をも兼ね備え、さらに超感度な、
P+NPNsub junction capacitor 構造の受光素子が Hagiwara Diodeです。
表面が光と通過するガラス質の SiO2 酸化膜で保護された受光素子です。
3年後、1978年萩原は、この超感度のHagiwara Diodeを受光構造として採用し、
CCD型CTDを電荷転送構造とした FT CCD image sensor の原理試作に成功し、
SONYの 8 mm ビデオムービー試作に、FT CCD image sensor は採用されました。
そして、1978年、東京では岩間社長が、一方、New Yorkでは盛田会長が、同時に、
記者会見を開き、その超感度で低雑音でかつ残像なしの特徴をアピールしました。
しかし、ここで世界は誤解しました。CCDが超感度だと誤解しました。
本当は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diodeが、実は超感度であり、
かつ、CCDと同様に、低雑音で残像なしの特徴を備えていたから実現しました。
この Hagiwara Diode を SONYは、SONY original HAD と呼び商品展開しました。
萩原特許がSONY固有特許であり、過去に米国 Fairchild社との特許戦争や、
NECとの水面下での特許戦争を乗り越え、SONYが勝利し、正々堂々と、SONY
Original Brand の HAD sensor を商標として事業展開し市場を独占しました。
CCD は 長い間、CCD型の電荷転送装置 (CTD) として活躍しましたが、
現在ではCMOS型の電荷転送装置 (CTD) が主流となっています。
その理由は (1)CCDは大きな容量の充放電による消費電力が大きく、かつ、
(2)転送効率が 99.9999% では 絵素数の多い high vision 画像では
画像信号電荷の取り残しが問題になってきて混色の原因になるからです。
それで、現在では、 digital CMOS image sensor が主流となっています。
MOS image sensor の開発は日本では 1970年代に日立の研究者を中心に
実用化されましたが、Hagiwara diode搭載の CCD imager が超感度であり、
かつ低雑音で残像なしの優れた特徴があり、その優れたSONYのビデオカメラ
の性能に負けて、日立のMOS image sensor は、市場から消えていきました。
当時は日立も、超感度低雑音で残像のない、Hagiwara Diode ( SONY 固有
特許構造 ) を MOS image sensorに採用ことは思い浮かびませんでした。
もともとは CCD image sensor 用に考案された corelated double sampling 法
が MOS image sensor に適応され、clock noise が格段に低減されました。また、
CCDの出力段の source follower 回路を各絵素構造に組み込むことも容易に
周知でしたが、なかなかそこまで各絵素の受光用有効面積を犠牲して組み込む
ことは不可能でした。それを可能にしたのは、MOS transistorの微細技術でした。
また、さらにMOS 技術はCMOS 技術として発展し、高速CMOS Cache memory
chip が生産技術も確立し、digital CMOS image sensor が誕生しました。
SONYが代表する小型の digital CMOS image sensor の実用化を可能にした
技術には、image sensor 本体や 一時画像情報保存用の CMOS cache
memory chip だけでなく、現在 USB メモリーで代表される小型の不揮発性
メモリ( NVRAM )の発明( Prof.Szeの発明)の貢献が大きいです。
そしてSONY original HAD sensor 搭載 digital CMOS image sensor となり
今に至ります。
SONY original HAD sensor はSONY固有の商標ですので、萩原が1975年に
発明した Hagiwara Diodeを、世界では、別名の pinned photo diode と
呼ぶようになりました。
Sony original HAD も pinned photo diode も Hagiwara Diodeも同じものです。
この超感度低雑音残像なしの固体撮像装置の受光構造として、萩原が1975年に
発明した Hagiwara Diode は 今でも 活躍しています。現在では、世界では
pinned photo diode と別名で呼ばれ活躍しています。
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
The world does not know the empty potential well
that Hagiwara drew for the first time in the world
in the PNP junction type photo sensor structure (Hagiwara Diode)
that is now also known as pinned photo diode.
The empty potential well is shown below in Fig.6B of Hagiwara 1975 Patent.
The empty potential well is the result of
the complete charge transfer of the photo electrons
to the adjacent CTD , which implies no image lag high quality pictures.
CTD ( charge transfer device ) described in Hagiwara 1975 patent
can be a CCD type CTD and also a CMOS type CTD.
Hence Hagiwara is the true inventor of the pinned photo diode
which can be applied for both CCD image sensors and CMOS image sensors.
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
1975年萩原発明の Hagiwara Diodeは単純な構造特許である。
その有効な動作(残像なし)に関しては実施例でいろいろな場合で説明している。
基体(substrate)に、単純に PNP 接合構造を設け、そのN層を受光部とする。
そして、隣接する電荷転送素子(CTD)に信号電荷を転送する構造を特徴とする
固体撮像装置、すなわち Hagiwara Photo Diode を特許請求範囲で定義している。
下の図は、電荷転送素子(CTD)を、CCDではなく、 MOS 型のCTDを採用した例である。
簡潔明解で、短い単純な特許請求文の中で Hagiwara Diode の構造を定義している。
またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例6Bには、
完全空乏化されたN層の電位図 ( empty potential well )が提示されている。
この図6Bはあくまで特許の応用例の1つである。
この特許構造 ( Hagiwara Diode ) にはいろいろな有効な動作機能をもつ。
その1つの例として、縦型OFD機能が組み込まれていることを示唆したものである。
他にもいろいろな有効な動作機能があることのヒントを示してる。
構造を定義することにより、すべてのその構造による動作は、一般の半導体物理
の教科書や技術者に、その詳細が、その構造のあらゆる動作が記述されている。
構造からその動作は読み取れるものとして、公知文献が存在する場合周知情報となる。
一般に、その動作は構造を見ることにより、容易に専門家の目で見抜く事が可能である。
1975年発明の Hagiwara特許は基体(substrate)に PNP 接合構造を定義している。
すなわち、実際の特許請求範囲では、単純な PNPNsub 接合、すなわち thyristor構造
を受光部として隣接する電荷転送部(CTD)に電荷を転送する固体撮像装置と定義している。
したがって、教科書や技術参考書に公知資料として記述されたthyristor動作、 punch-thru
動作や、 emiiter-base 接合の順方向電流動作などが built-in VOD として機能することも
容易に類推することが可能である。
しかし、特許(発明)は構造特許のみを特許権請求範囲としている。しかし、その実施例に
例として示された具体的な応用例はすべて、その特許の関連発明と見なすことが可能である。
その電位図 ( empty potential well )は、電荷転送動作が、CCD動作と同様に、
完全空乏化転送であることを意味し、残像がない、高速 action pictureの撮像が
可能であることを意味する。
Fossum2014年の fake 論文にはこの事に関する引用が皆無である。
Fossum is a liar と呼ばれて当然の行為で、Fossumは世界をだました。
またこの特許の応用構造の一例として、特許に含まれた実施例の図5は、電荷転送
素子(CTD)として 埋め込みチャネル型CCD を採用した場合の図を示している。
そしてその実施例の図 では、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層のN層と、
受光部となる Hagiwara Photo Diode の N 層が同一層で同じ濃度であることを
示し、埋め込みチャネル型CCD の埋め込み層が完全空乏化動作をするのと同様に、
Hagiwara Photo Diode の N 層も完全空乏化動作することを示唆している。
特許に含まれた実施例の図6Bの電位図 ( empty potential well )は、世界で萩原が
1975年萩原特許 で初めて描いものである。誰も他の者はこの図を描いていない。
これがもとSONYの萩原がpinned photo diodeを1975年に既に発明していた証拠である。
東北大学の鏡教授が指摘している様に、各社呼び名が違うが、SONYのHAD sensorも
世界で後に広く呼ばれるようになった pinned photo diode sensorも同じものである。
そして、SONYのHAD sensorの発明者は萩原であることは、SONY社内で第1級特許
特別褒賞を萩原が受賞していることからも明らかである。
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要約(1) 1975 年 萩原は Hagiwawa Diode なるものを発明し、日本語特許を申請した。
(2) 1978年 SONY は Hagiwara Diode 搭載の FT CCD image sensor の原理試作を、
大々的に、東京では岩間社長が、New York では盛田会長が記者会見し、
Hagiwawa Diode を採用することにより可能となった超感度ビデオカメラをアピールした。
(3) 米国 Fairchild社とSony との特許戦争、1991年から2000年に渡る長期の特許戦争は、
1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の日本語特許のおかげでSONYが勝利した。
(4) この国 Fairchild社とSony との特許戦争で、1975 年に萩原が発明した Hagiwawa Diode の
日本語特許の存在は大きく、当時の大賀会長、出井社長ほかSONY幹部から謝辞を萩原はもらった。
(5)再び、NECとSONYの特許戦争 が起きた。NECの寺西特許 ( 55-138026 , 1980.10.02 ) と
Hagiwara 特許 ( 1975.11.10 )との特許権に関する攻防は、SONYの勝利に終わった。
(6) SONYは、Hagiwara特許 (1975.11.10 )を武器に、Sony original HAD sensorの商標を登録した。
SONYは image sensor の市場を独占できた。SONYとの特許戦争で負けた NECは市場から撤退した。
(7) SONY original HAD sensor で商品展開し、多大な利益を得たSONY は、1975年のHagiwara Diodeの
発明者である萩原に対して、SONY 社内で第1級特別特許表彰を与えた。
以上の事実から、Hagiwara Diode 1975年特許の保有社である SONY は 当然自社の特許権を
守る義務があり、他からの攻撃に対してはその弁護を怠ってはいけない。また、そのHagiwara Diode
1975年特許の発明者であり、もとSONY社員の萩原良昭の名誉を弁護して守る義務を怠ってはいけない。
また、Hagiwara Diode 1975年の発明者である萩原良昭自身も自分の名誉を守るため、真実を世界に
訴える努力を怠ることはできない。真実はいつも1つである。世界は真実を知る権利がある。
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1975年の萩原特許で定義された Hagiwara Diode 以前の Phodo Sensorの開発歴史を
まとめると次の(1)から(4)になる。
(1) Base端子を一時的に floating して、光の光量の値で、Base端子の電圧を微妙に変化させ、
Collector 電流の値を変化させる Photo Biplar transistor 型の 受光構造が存在した。
https://www.radio-electronics.com/info/data/semicond/phototransistor/photo_transistor.php
(2) CMOS image sensorの原理は 1960年代には知られていて、1969年発明のCCD の歴史より古い。
1960年代に入ると、NMOS digital 回路のプロセスで製造が可能だったが、単純なNMOS transistor
のDrain 端子を floating にして受光部としていた。 しかし、Drain 端子の拡散濃度(N+)が高かった。
それで、Drain 端子の拡散の拡散領域を完全空乏化することは不可能だった。その為に、信号電荷の
取り残しが起きて、映像には残像がつきものだった。NMOS image sensorはは必ず残像があった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/CMOSイメージセンサ
その改良版の CMOS image sensor の実用化はまだまだ先の話で、2000年に入るまで待つこととなった。
(3) 表面型CCDが1969年に米国ベル研で発明された。MOS容量型の受光部で、感度は今いちだったが、
完全空乏化転送が可能になり、残像がなくなり、かつ熱雑音(CkT noise)がない良質の映像が実現したが、
信号電荷の転送効率は、 99.9% であり、実用に耐えるものとは言えなかった。ビデオカメラの不可欠な
5つの特徴の1つ、すなわち、(1) low CkT noise の特徴は実現した。
(4) 埋め込み型CCDが 1973 年に米国ベル研で発明された。あまり評価の対象になっていないのが
同じく Bell件の 研究者だった Robert Henry Walden による埋め込みチャネル型CCDである。
https://patentimages.storage.googleapis.com/cc/94/f8/fa9cce020e683e/US3852799.pdf
埋め込み構造にすることにより、界面の trap準位から信号電荷を守ることができた。
その結果、完全空乏化転送が実現し、信号電荷の転送効率が 99.999 %近くまで可能となったこと。
しかし、あくまで、1969年の Boyle/Smithの発明の CCD の派生種として軽く評価された。
本当は、このWalden の1973年の発明のお蔭で、CCD image sensor の実用化が加速した。
この埋め込み型CCDの発明により、(1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image
lag
の3つの特徴がクリアできた。
しかし、酸化膜界面が空乏化しており、表面の界面順位の存在により、受光部の界面結合電流、
すなわち 暗電流 ( dark current ) が増加する、新たな欠点が生じた。
この、埋め込みチャネル型 CCD image sensorには、次に優れた特徴があったが、
(1) low CkT noise (2) low trap noise (3) low image lag
実用に耐えるビデオカメラとしては、まだまだ不十分で、他に次の2つが必要だった。
(4) good light sensitivity and (5) built-in VOD
さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流) の問題を抑圧する工夫が必要となった。
(5) CCD型受光部は、本来CCDには金属電極が存在し、それが悪さをして短波長(青色)の色再現が良くなかった。
しかし、一方、従来の MOS image sensor の受光部は 表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された N+P 接合型の
photo diodeで、ガラス体は光を透過することができるので、MOS image sensor の光感度は良好だった。
そこで、萩原は 1975年、SONYに入社してすぐ、表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された 接合型の photo diode
に注目し、それを改善して、CCD image sensorの受光構造に出来ないかと、検討を始めた。今までの固体撮像装置の
開発実績 (1)と(2)と(3)を参考にして、 この3つの特徴を維持しつつ、かつ、光感度が良く、(4) good light sensitivity と
過剰な high beam 画像にも耐える、 (5) built-in VOD と、 さらに、 (6) 受光部の low dark current (暗電流)
の
問題を抑圧する受光構造を考案する必要があった。一番萩原にとってヒントになったのは、1971年と1973年にソニー入社
以前に厚木工場での半導体 bipolar transitorの生産ラインでの夏季実習経験の時に学んだことだった。具体的には、
表面がSiO2酸化膜(ガラス体)で保護された、 P+NPNsub 接合型( thysitror)を受光構造として、信号電荷蓄積層(N)から
信号電荷を完全空乏化電荷転送を実現して、隣接する CTD(電荷転送装置)に転送する固体撮像装置の発明である。
そこで、萩原1975年特許の実施例の一つの例として、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )を受光構造とした
具体例を1つ考えた。そして、その例において、信号電荷蓄積層(N)から信号電荷が完全空乏化電荷転送されて
いることを示唆する実施例を図6Bに示した。
これは、dynamic modeで動作する P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域の完全空乏化電荷転送
の結果、base領域には信号電荷が完全に空になった状態であることを意味した。つまり、 信号電荷蓄積層(N) の中の、
完全空乏した信号電荷の電位曲線、すなわち、the empty potential well の電位曲線を、SONYの萩原が、世界で
初めて描いたものである。当時は、埋め込みチャネルCCDの埋め込み層(N) が完全空乏化転送により、the empty
potential well の曲線は周知だったが、P+NPsub 接合型( bipolar transisotr )の base 領域内の、the
empty
potential well の曲線は、SONYの萩原が、世界で初めて描いたものである。
実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。
実際には、この1975年の萩原の発明, 下の図の(4)と(5)に対応する受光構造の時に、(3)の構造も萩原は考案していた。
その発明は、萩原特許の図2から明確に読み取れる。受光部の拡散濃度(N)と 埋め込みチャネル型CCDの埋め込み層
の濃度(N)が同一濃度ので、同じ濃度(N)として図2に表記されている。この萩原1975年の発明以前の、当時のNMOS
image sensorでは、受光部の floating の拡散層の濃度(N+) とは違う表記となっている。
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萩原1975特許( Hagiwara Diode ) の派生構造としての実施例を以下に4つ列記する。
(1) 受光部に、金属コンタクト(文字通りのピン止めされたP+端子)をつけたもので、
pinned photo diode 構造として垂直OFD機能を持たせた実施例(1975)である。
SONY内部でも萩原1975年特許の主旨(正確な公式の特許請求文)を理解して
いないCCD開発担当の管理職もこれが萩原特許そのものと勘違いして、萩原
特許は使いものにならないとけなし、その将来性を見抜くことができなかった。
この構造例はあくまで実施例であり、特許の請求範囲には、「金属コンタクトを
各絵素構造に 1 つ個ずつ装備することを特徴とする。」 とは一言も書いていない。
この構造が製造可能かどうかは別の話として構造特許の有効性の説明には使える。
これは Hagiwara Diodeが built-in OFD 機能を持つことを示唆した実施例である。
実際には もともと サイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造なので、
他にもいろいろなサイリスタ―の動作原理を応用して組み込み型のVOFの実現が
可能なことは容易に推察されるが、動作原理に関しては構造特許としているので、
その詳細な動作原理には触れていないが、あくまで構造特許として重要である。
このサイリスタ―型 (P+NPNsub接合)の受光構造が、pinned photo diodeをも
含んだ、強力な構造特許であることは、その特許請求文が簡潔で明解であること
からも理解できる。サイリスタ―は2つのトランジスタの複合構造であり、また、
トランジスタ―が2つのダイオードの複合構造体であることは自明である。
(2) Frame Transfer型CCDの受光部として採用された P+NP junction 型で、
表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo diode構造(1978)。
超感度を実現できたのは、酸化膜で保護され、光が透過することが
できる受光構造であるからである。CCD自体は光感度は良くない。
この後、萩原は 萩原1975年の実施例にも記載されている様に、
Interline 方式のCCDで 表面のP+と基板のPsubが導通した
pinned photo diode構造の受光部を採用することを提案したが、
SONY 開発部隊のTOPには理解されず、却下され、萩原1人で検討
を始めたが、デジカメの実現に不可欠な 高速 Cache SRAM chip
の開発プロジェクトが発足し、そのリーダーとして萩原は担当することに
なり、CCD開発部隊からは事実上、首になりCCD開発から完全に抜けた。
ライバルの日立やNECは、大門(萩原の旧姓)が抜けたと喜び、「 これで
勝った!」と喜びの声がライバル他社から萩原にも聞こえてきた時は、
萩原はたいへん悲しかった。不幸の始まりだった。
(3) Hynecekが発明した Virtual Phase CCD 構造の受光部に採用された
pinned photo diode 構造(1979)では、表面のP+層の濃度をさらに濃くして
電位バリアの方向性を設け、信号電荷が、CCD型転送部に完全空乏化
電荷転送することを実現していたHynecek発明である。萩原1975年特許
構造を採用して、さらに発展させた派生構造のHynecekの新しい発明である。
ここで、萩原は「Hynecekが発明した Virtual Phase CCD を萩原の発明だ。」
とは言っていない。 Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文はここでも、
うそを書いている。Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を
非常にバイアスした記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
(4) NECの寺西の IEDM1982での発表は、萩原の発明の(1)と(2)を
組み合わせた形である、P+NP junction 型で、表面のP+と基板の
Psubが導通した pinned photo diode 構造を採用した Interline 型
CCD imager を発表した。
その受光構造の pinned photo diode は、その部分だけを見ると、1978年に
萩原が原理試作に成功した、Frame Transfer型CCDの受光部として採用された
P+NP junction 型で、 表面のP+と基板のPsubが導通した pinned photo
diode構造(1978) と全く同じ構造をしたものである。従って、NECの寺西の
IEDM1982での発表のは、萩原の1975年発明の pinned photo diode構造
の copy であると言える。下図参照。まったく同じ構造図である。萩原1975年
特許はすでに 1978年には公開特許となり、SONYのライバルだったNECの
技術者も見ているはずである。そして、1978年には同時に FT 型CCD image
sensor での pinned photo diode型の受光部を採用した、超感度 CCD image
sensor を、SONYの岩間社長が東京で、盛田会長がNew Yorkで同時記者会見
して、大きく、次世代のビデオカメラ市場の幕開けを宣言した。
ここでも、Fossum 2014年 fake 論文 は、 「もと NECの寺西が IEDM 1982で
発明したものが、pinne photo diodeの最初の発明だ。」と、虚論を述べている。
Fossum 2014年の大ウソつきの fake 論文は、 ここでも、うそを書いている。
Fossum 2014年 fake 論文は、いろいろとある事ない事を非常にバイアスした
記述で、嘘を混ぜて、SONYと萩原を侮辱している。
これら4つの実施例は、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、すなわち、
のちに pinned photo diode と呼ばれるものを採用した実施例(派生copy) である。
あくまで、pinned photo diodeの発明は、1975年の萩原特許によるものである。
いずれにせよ、 SONYの萩原が pinned photo diodeの本当の発明者である。
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1975年にSONYの萩原が pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) を発明しました。
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実は、水面下で SONY1975年萩原特許と NEC1983年寺西特許の間で、長年、つまり、
SONYとNECの間で、特許戦争が水面下でありました。しかし、SONYの勝利で終わりました。
SONYは pinned photo diode 関連特許で NEC に特許料を支払った事実はありません。
NEC は 1983年の寺西特許が、世界最初の残像なしの受光構造だと主張しました。
しかし、事実は 1975年萩原特許( hagiwara diode )が世界最初の残像なしの受光構造です。
SONYとNECの特許戦争で、 SONY 側から NEC側に対して出した公式見解資料
1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) は完全電荷転送動作で動作させることを特許の
例図6B で示しています。これは残像なしの高品質 action picture を可能にすることを
提示したものです。かつ、構造から 1975年の萩原特許( Hagiwara Diode ) が超高感度で
低雑音であることは自明です。 その証拠となる 萩原1975年特許の例図6Bに描かれた
the empty potential well の曲線を下図に示します。CCDの動作原理を理解する技術者
ならだれでも周知の一般常識です。Fossum 2014年論文はわざとこのことを隠して引用して
いません。たいへん卑怯でうそで固めた論文です。 この萩原特許( Hagiwara Diode ) の
the empty potentioal curve , つまり、完全電荷転送を意味し、残像なしを意味する、一番
重要な the empty potentioal curve の記述を、Fossum 2014年論文はわざとこのことを
隠して引用していません。たいへん卑怯でうそで固めた fake 論文です。名誉棄損問題です。
SONY入社して、すぐ 26歳だった萩原が、Hagiwara Diode を発明し、その受光部(N層)に、
世界ではじめて描いた the empty potential well の曲線曲線です。
CCD以外でも完全電荷転送が可能であると示唆しました。
いや、CCDの受光構造よりも優れていることを世界で初めて示した図です。
この Hagiwara Diode ( PNP junction 構造)を搭載することにより、
CCD image sensor も CMOS image sensor も超高感度になることができるのです。
Hagiwara diode なしでは、 CCD image sensor も CMOS image sensorも 超高感度にはなりません。
SONYは NECとの pinned photo diode 特許戦争に勝利し、正々堂々と、 SONY original HAD sensorの商標で
世界で image sensor の市場を独占しました。超感度、低雑音で残像なしのSony original HAD sensor 搭載の
CCD image sensor だけでなく、今でも、 萩原1975年特許のHagiwara Diode は、超感度、低雑音で残像なしの
Sony original HAD sensor 搭載の名前で、高性能 didgita CMOS image sensor として活躍しています。
高性能 didgita CMOS image sensor は、萩原を含むSONYの技術者全員の創意工夫と努力の結果得た産物です。
特許権を失ったNECは image sensor の事業から撤退する運命となりました。
特許創意工夫がどれだけ商品の事業展開に不可欠であるかを実感する結果です。
その事実を不満と思ったのか、 このままでは、SONYと萩原の勢いに押されてしまうと危機感を意識したのか、
Fossum は 不当な嘘の fake 論文をあたかも真実の様にでっちあげ、 2014年に発表しました。
そして、英国王室だけでなく、日本の皇室も含めて、世界の素人さんをだましました。
この Fossum の 不当な嘘の fake 論文は、一般人には理解できない、わかりにくい、あいまいな記述で、嘘の証言
を繰り返しています。 これは 中立な立場で記述された review paper ではなく、 fake paperです。 事実誤認で、
はなはだ不明瞭な表現方法で、世界をだましました。また、さらに、Fossum 2014 fake 論文の中で、「 pinned photo
diodeの発明者は もと NEC の寺西である。」 と全く根拠のない嘘の結論を出しています。
萩原1975年特許の存在とその詳細は、多くの世界の技術専門家は知りませんでした。そのまま、Fossumの嘘の虚述に
だまされてしまいました。Fossum 2014 論文が、嘘の証言であることは、萩原の1975年の萩原特許の特許請求範囲を
定義した日本語の文書を一読した方々なら容易に理解できます。Fossum 2014 論文では、萩原特許の特許請求範囲
の公式文章に記載された本当の萩原特許の内容は一切引用していません。たいへん不当な嘘で固めた論文です。
この Fossum の 不当な嘘の fake 論文には 一切、萩原1975年特許の特許範囲請求文の引用はありません。
萩原特許の例図の一部を持って、それが萩原特許のすべてであるようにFossum は 不当な嘘の fake 論文には
記述されています。たいへんバイアスされた、嘘の論文です。
あたかも自分がしっかり萩原の1975年の日本語特許を読み理解しているような態度で Fossum 2014 年 fake 論文
で、萩原特許をめちゃめちゃに攻撃しています。 自分にとって都合の悪い内容に関してはすべて隠しとおしています。
また、萩原の1975年の日本語特許にある例図に描かれた the empty potential well 曲線の引用もありません。
この曲線は、たいへん重要な曲線です。世界ではじめて萩原が描きました。
CCD固有の完全電荷転送動作がCCDだけでなく、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diode
でも実現可能であることを示唆するものです。このHagiwara Diodeが、残像なしで低雑音でかつ超感度の半導体受光構造、
すなわち、未来の鉄腕アトムの電子の目の網膜細胞に相当する画期的な発明であることの証拠となります。このたいへん
重要な、萩原の1975年の日本語特許で定義される Hagiwara Diodeの受光部(N層)のthe empty potential well
曲線の
存在を、 Fossum の 不当な嘘の fake 論文は 完全に隠しています。たいへん不当( unfar, biased and fake )論文です。
これはたいへんけしからん話です。 このことをNECとSONYの特許戦争の時にSONYが主張していたことをNECもその論争の
対象となっていたのはNEC1983年の寺西特許です。寺西もSONYとNECの特許戦争でNECが負けたことを知っていたはずです。
なのに、ぬけぬけと自分が pinned photo diodeの発明者のふりをしていることは、たいへんけしからんことです。偽りの顔です。
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(1) Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。
"However, the 1975 application did not address complete charge
transfer,
lag or anti-blooming properties found in the NEC low-lag device,
and does not seem to contain the built-in potential step and charge
transfer device
aspects of the virtual-phase CCD."
この文章からも明らかな様に、 Fossum は、 萩原特許に含まれ例図6Bの存在を全く知らない無知な人間か、
それとも、わざと自分の都合の悪いことを隠す極悪非道な詐欺師かどちらかである。
嘘の虚述で、完全に萩原を侮辱している。
(2) また、Fossum はこのFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。
”Hagiwara repeats these claims in a 2001 paper [26] and shows a VOD
structure
that is not found in the 1975 patent application. ”
[26] Y. Hagiwara, “Microelectronics for home entertainment,”
in Proc. ESSCIRC, Sep. 2001, pp. 153–161.
しかし、 1975年萩原発明の Hagiwara DiodeのP+NPNsub junction 構造そのものが
VOD 機能を持つ構造であることは自明である。彼はまったく萩原特許を理解していないばかものである!
(3)また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様にうその記述している。
" Sony did not seem to pursue the HAD structure until well after
the
NEC paper was published. "
しかし、1975年の萩原特許で Hagiwara Diode は発明され、 1978年には FT CCD imagerの
試作に Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) はその受光構造として採用されており、
これが後になって Sony original HAD sensor と商標名が登録されただけで、HAD sensorの
開発は、萩原が 1975年に Hagiwara Diode を発明した時点から始まっている。
SONY内の TOP(越智さん)の反対にもめげず、萩原はSONY内のプロセス担当者( 狩野さん、阿部さん、
松本さん)の支援を受けて、自分でimage sensor を設計し、さらに自分でプロセスラインに入り試作している。
(4) また、Fossum は このFossum Fake 論文で 次の様に事実誤認の認識不足の記述をしている。
" However, the “narrow-gate” CCD with an open p-type surface region
for improved QE also disclosed in the 1975 application was reported
in more detail
by Hagiwara et al. at Sony in 1978 [27].
[27] Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada,
“A 380Hx488V CCD imager with narrow channel transfer gates,
” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18, supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.
まさに、この論文に、Hagiwara Diode ( P+NPsub junction 型 photo diode ) を搭載したFT CCD
imagerの
試作結果を報告している。その性能は、単純に超感度だけでなく、残像のない、低雑音な受光構造であることを
実証した論文である。SONYが東京とNYで大々的に記者会見した超感度で残像がない低雑音のimage sensorの
世界最初の pinned photo diode ( Hagiwara Diode ) 搭載の新聞発表である。これが最初の、pinned
photo
diodeの原理試作であることは、多くの世界のCCD 開発の権威者も認めている。
以上の例以外にも多くの虚述がこの Fossum 2014年論文には存在する。
(5) そして最後に、このうその論文は、次のように嘘論をはいた。
"The PPD, as it is most commonly used today, bears the strongest
resemblance
to the Teranishi et al. ILT CCD device. Thus, these days Teranishi is
considered
as the primary inventor of the modern PPD . "
と嘘の証言をしている。
この嘘の結論は、上記 (1),(2),(3),(4) の嘘の証言の上で出された嘘の結論である。
これを真実とは到底認めることは不可能であり、断固として、萩原とSONYはこれに抗議する。
このままでは、 SONYの商標名、 brand name の SONY original HAD sensor は、
もと NEC の寺西の pinned photo diode の発明によるものとなる。
SONYの商品は NECのcopy品であるという、汚名を受けることになる。
これは絶対に許されない。 萩原とSONYに対する大きな侮辱である。
Fossum がこのFake 論文を書いた目的がはっきりした。
SONYと萩原をけちょんけちょんにけなし攻撃する事により、
Fossum 自身の業績が強調でき、Fossum自身が
modern didital CMOS image sensor の開発者であると主張することである。
しかし、今世に見る modern didital CMOS image sensor は SONYの多くの技術者の
努力の結晶により完成したもので、 Fossum 1人が開発したなどとは到底考えられない。
Fossum は、暗闇の中で、政治的に動き、技術的に素人である方々さんを多くだました結果である。
どうして嘘をならべて萩原とSONYを攻撃したかがこれで明らかである。
萩原とSONYの存在が邪魔だったわけだ。。。
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Fossum 2014年 論文は、 嘘の虚術を並べた、絶対に許されない詐欺行為である。
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SONYと 米国 Fairchild の特許戦争 (1991~2000) は SONYの勝利で終わりました。
萩原の1975年特許 (Hagiwara Diode = pinned photo diode )の存在が幸いしました。
SONYは、米国 Fairchild 社から次の2件の基本CCD特許で訴えられていた。
(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層polysilicon電極型 CCDの製造方法に関する特許
(2) Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許
多くの日韓の大手半導体メーカを相手にした特許戦争である。その特許請求額はSONY一社で600億円にものぼった。
(1)のAmelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )は、先行文献があり簡単に無効とされ却下された。
実は、Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 )に関しては、すでに 1973年12月に国際会議IEDM1973で米国
Hughes
Aircraft社の D.M.Erb氏等による論文 "An Overlapped Electrode Buried Channel
CCD", IEDM1973, Dec. 3-5 が先行しており、
SONYのCCDの製造方法は、Amelio USP 3931674特許の製造方法ではなく、この米国 Hughes Aircraft社の D.M.Erb氏等による
論文の手法を採用していたことが幸いした。発明時期が、米国 Hughes Aircraft社の論文が先行していることで、簡単に却下された。
しかし、(2) のEarly USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、たいへんてこずった。
その救いとなったのが、 1975年萩原が出願した、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeの発明だった。
Hagiwara Diode自身はもともと絵素構造に組み込み縦型OFD機能を持つ万能の高性能半導体受光素子として誕生した。
その後、 SONY original HAD sensor と呼ばれるものも、現在、 pinned photo diode と呼ばれるものも、この1975年の
萩原特許で定義された SiO2_P+N-PNsub junction 構造の Hagiwara Diodeと同一のものである。これが裁判を救った。
萩原の母校( CalTech ) の先輩で、当時 UC Davis校の教授をしていた Prof. Bob Bower がこのHagiwara Diodeの発明
について裁判の中で技術証言した時、その発明者の名を尋ねられて時、Prof. Bob Bower は裁判官に対して、発明者は
自分の母校( CalTech ) の後輩で、Prof.C.A.Meadの指導のもとで、CCD のPhD論文を書いた、Yoshiaki (Daimon)
Hagiwara
であると証言した時、Fairchild側はびっくりした。それも当然である。 Fairchild社は,もともと、CalTechの卒業生であり、萩原と
Prof. Bob Bowerの先輩でもある Dr.Gordon Moore が創設した会社である。Dr.Gordon Mooreは Intel社の創設者でもある。
実は、 Early USP 3896485 米穀特許 ( 1975年7月22日 )に対して、萩原が発明した Hagiwara Diode 特許の出願は、
1975年11月10日となっており、数か月であるが、Early USP 3896485より遅く、この2つの発明の相違を説明するのがたいへんだった。
半導体素子構造とその物理動作の理解が不可能な一般市民(陪審員)を含む裁判関係者に理解してもらうことは容易ではなかった。
単純に言えば、1975年の萩原特許(Hagiwara Diode)は、表面が酸化膜(SiO2)で保護された、SiO2_P+N-PNsub 構造となっている。
一方、Early USP 3896485 米国特許では、CCD型の受光構造そのものを採用していた。表面はCCD特有のMOS容量で構成されている。
表面が金属電極で覆われた表面型のCCD構造を採用しており、その下に埋め込みN+拡散層があり、OFDの機能を果たした。
Early USP 3896485 は、CCD型の受光素子を使ったMOS型のOFD構造であった。しかし、SONYのCCD製造方法では、thyrister
構造の
受光構造 ( Hagiwara Diode ) を採用していた。 すなわち、 SiO2_P+N-PNsub junction 構造 をとり、2つは、まったく構造が違っていた。
SONYのCCD製造方法では、thyrister の動作 modeの1つである punch thru 効果( 周知の基本動作 mode )を採用した
OFD 動作であり、
自動的に縦型のOFDが組み込まれた構造となっている。1975年萩原がこのHagiwara Diode特許の出願した時には、CCD動作はすでに、
完全電荷転送による残像なし効果と低雑音という優れた特徴を持っていた。1975年に萩原が出願した Hagiwara Diodeの発明特許は、この
CCD動作と同様に、完全電荷転送による残像なし効果と低雑音という優れた特徴を持ちつつ、さらに、thyrister 構造のSiO2_P+N-PNsub
junction 構造を採用することにより、CCD型の受光構造にはない、超感度特性と組み込み縦型OFD機能を装備した受光構造を可能とした。
Early USP 3896485 米穀特許は、Metal_SiO2_P_N+ 構造となっており、一方、SONYのCCD製造方法は、thyrister
構造となっている。
この2つの構造が本質的に違い、別物であることは、、半導体技術専門家には容易に理解できることであったが、裁判関連担当者は、
一般人で、半導体素子の構造とその動作に関しては「素人さん」であり、その方々にご理解していただく事は、そう簡単な事ではなかった。
素人を相手にするのではなく、学会で知り合った技術者や、母校(CalTech)の先輩や教授恩師に話しかけ、根気強く時間をかけて、
萩原の意見を説明し、中立な立場で彼らの正直な見解を萩原は聞いてまわった。わらでもすがる思いだった。自分の1975年特許を
ただ一心に守りたかった。萩原は発明者としての誇りを一心に守りたかっただけである。最終的に技術者の世論となり、その声は、
裁判官にも届いた結果となった。
Reference : Y. Hagiwara, “High-density and high-quality frame transfer CCD imager
with very low smear, low dark current and very high blue sensitivity,”
IEEE Trans. Electron Devices, vol. 43, no. 12, pp. 2122?2130,
Dec. 1996.
In this paper, Hagiwara, in 1996, revisited the 1975 invention of Hagiwara
Diode ( pinned photo diode )
and claimed that the virtual phase CCD has a P+NP junction sructure ( Hagiwara
Diode ) in common
Hagiwara Diode was also essentially the invention of the NEC low-lag structures,
and as well as
the basis of the Sony so-called “Hole Accumulation Diode,” or HAD structure.
SONYと 米国 Fairchild社との特許戦争では、米国 Fairchild社は次の2つの特許料請求権を主張した。
(1) Amelio USP 3931674 米国特許 ( 1976年1月13日 ) 2層電極型 CCDの製造方法に関する特許がその1つである。
この特許に関しては、先行周知技術資料の存在が判明し簡単に却下された。
1973年12月のIEDMで、もと米国 Hughes Aircraft 社の技術者が発表した、2層電極型 CCDの構造とその製造技術
に関する発表があった。SONYは幸いにもこの構造での製造方法に近いものだった。実は、この国際会議 IEDM1973
に出席していた Fairchild社の Amelio は、Hughes Aircraft 社の発表をヒントにその3ヶ月後に派生特許を申請した。
「Amelio はたいへんずるい奴だ。」と批判する技術者の話を萩原は国際学会でいつも会う友人たちから聞いた。
(2) Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) CCD型受光部の埋め込み縦型OFD の構造特許が2つ目である。
SONYのimagerの製造方法は、 1975年11月10日に萩原が出願 がした特許 ( JAP 50-134985, 1975 ) 構造であったが、
出願日が Early USP 3896485 米国特許 ( 1975年7月22日 ) の方が数か月早かった。これがたいへんな問題となった。
技術的にこの2つの受光構造がまったく異なる構造であることを、裁判関係者(半導体物理を理解しない一般人から選ばれた、
陪審員裁判での陪審員など)に説明し、理解していただくことは、容易な仕事ではなかった。当時、もう萩原はSONYのCCD
開発部隊から首になり、別の仕事に従事しており、この裁判は社内でも最高極秘事項で関係者以外にはまったく社内でも
その情報は知らされていなかったが、その裁判の有力なSONY側の武器はまったく見つからず、やっと特許担当者が社内
の特許リストから萩原1975年特許を見つけて萩原に連絡がきた。当然、当時SONYのCCD開発部隊のTOPの越智は
萩原1975年特許を知っているはずと思っていたが、完全に1990年になると、萩原1975年特許のことを忘れていた。
これにも萩原は寂しい思いだった。当時のSONY側の特許裁判のTOP責任者の越智がその存在を忘れており、特許担当
者がこっそりと私に連絡してきたことが、たいへん萩原には不自然に思えた。萩原と越智がCCDの開発方針で意見が合わず、
最終的に萩原が首になり、越智がTOPのCCD部隊から去っていたことは周知だった。後進の浜崎たちに萩原が技術継承
をしていた事実を越智は認めたくない心情であった。その後のCCD開発の部隊の仕事の中で萩原が残した遺産でCCD技術
が支えらていることは、萩原が育てた後輩たち、竹下、松井、奈良部、浜崎、石川たちは理解してくれていた。浜崎は内心、
越智のCCD開発部隊に疑問を感じ、結局SONYをやめた。浜崎はSONY退社前、ISSCCの論文委員をしており、その技術
内容に関してもいろいろ浜崎から組織を超えて相談を萩原は相談を受ける、中研時代からの古い友達だった。浜崎はSONY
退社を決心した時、ISSCCの論文委員の仕事を引き継いでほしいと萩原に頼んだ。
いろいろな面で越智は、萩原に助けてもらうことを良きとせず、彼の著書や社内技術書のはまったく萩原の貢献を示す記述は
ない。その後、特許裁判で勝利しても、越智の技術報告書や著書には、萩原の重要な貢献を引用した記述は全くない。しかし、
SONY社内ではいろいろと萩原の貢献を示す証拠が今でも残っている。萩原は今までそれを公開したことはなかったので、
萩原の貢献は完全にSONY社内からも忘れ去られることになってしまった。
この2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) の前にも、別件で、1996年度にも、
萩原は、SONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞している。ともに本来は pinned
photo diode の超感度、低雑音、低暗電流の特徴を持つのは当然として、それ意外にも、
縦型 OFD の機能が自動的に装備された構造であることに萩原は注目していた。
萩原が受賞した2000年度のSONY特許1級最優秀賞(特許134985) では過剰信号電荷の吐き出し機能を特徴とした。
萩原はこれ以外にも1996年度のSONY特許1級最優秀賞(特許1654617) を受賞していた。外部制御電圧を使って、
過剰信号電荷の吐き出し制御を行い、ガンマ―補正機能付き受光構造を実現していた。これで CCD image sensor
の dynamic range を大幅に改善することができた。萩原がOFD機能を外部電圧制御するという基本動作をすでに
1975年の萩原特許の発明の時に考案していたが、その具体的な application の1つを、1977年に萩原が考案して
いるが、なぜかその筆頭がいつの間にか、越智、橋本、萩原として特許登録された。
1975年萩原発明の、 thyristor 構造を特徴とする SONY original HAD sensor は、すなわち VOD 機能付き
pinned photo diode は、 さらに可変速電子シャッターとしても期待されるもので、有能な半導体受光素子構造だった。
しかし、萩原がその説明を特許の有効性を示す特許詳細説明文に追加することは許されなかった。
当時は、 computer の programing も、半導体集積回路の layout 図面でさえも know how と考えられ、
特許と認められることがない、技術者が保護されない悲しい時代だった。萩原もその悲しい技術者の一人だった。
後に萩原がCCD部隊から外れた後、CCD開発TOPの越智は、単独で、可変速電子シャッターを最初の考案者である
萩原と情報シェアすることなく、こっそり単独特許(特許第1522884号、特許1615692号)を申請した。そして、ずいぶん
後になるが、1996年に当時の半導体TOPの越智は、社団法人日本発明協会から全国発明表彰を越智単独で受賞した。
萩原発明の SONY HAD sensor は、もともと、 thyristor 型 埋め込みOFD機能付き半導体受光素子構造であり、
萩原の1975年の発明であり、そのOFDの動作を外部電圧で制御して、(1) 過剰電荷の掃き出し (2)ガンマ補正による
dynamic rangeの増大 (3) 高速電子shutter 機能による、高速 action picture の撮像を可能にすることは、1975年
萩原がHagiwara Diodeを発明した時には、萩原は当然構造体の動作は Knowhowに所属し、簡単に専門家なら推測、
類推が可能であり、ことあるごとに萩原は、Hagiwara Diode の将来性を述べていたが、その内容を理解した技術者は
いなかった。次第、 1975年萩原が発明した Hagiwara Diodeそのものが、SONYのCCD開発技術者の中に覚えている
ものはいなかった。
当時、萩原は一人で、SONYの開発部隊が手がける CCD image sensorの設計を全機種、担当していたが、 当時のCCD
開発部隊が全力投球で試作をしていた透明電極で横型OFD搭載の ILT CCD は、プロセスが複雑で、欠陥のない 大口径の
image sensorの試作は難しい、本命になり得ない、ダメだと萩原は主張していたが、完全な一人の技術者の「つぶやき」程度に
とられ、当時のCCD開発部隊のTOPは聞く耳を持つものはいなかった。
そのことを萩原は中央研究所を訪問していた岩間社長に直接話したこともあった。
そのことが当時のCCD開発部隊TOPのは面白くない話だった。反対に、萩原が発明したthyristor型受光構造は難しすぎるとして、
その試作検討構造として採用することを、当時のCCD開発のTOPは拒否し、興味を持つこともなかった。
しかし、NECの寺西チームが 1982年に IEDMで buried photo diode搭載の ITL CCD imager の原理試作を発表した時、
今まで、当時のCCD開発のTOPが本命とした、 透明電極で横型OFD搭載の ILT CCDは、断念し、萩原が発明したthyristor型
の受光構造の開発に全力投球をSONYのCCD部隊は初めて、しかし、SONYの技術者はその構造が萩原が1975年に発明した
ものであることはまったく理解されていなかった。萩原ももうすでにCCD開発部隊から離れ、他の仕事に没頭しており、自分の発明
であることを当時のCCD開発部隊の技術者に積極的に宣伝することはしなかった。
すべては、1975年の萩原特許でまったくその構造から期待されるいろいろな動作に関する記述がまったくないことによるものである。
当時は動作説明は knowhow に当たるとして、特許は、その構造から見えるヒントをできるだけわかりにくく記述することが重要と
されていた。萩原が当時の特許担当者とのやりとりで、唯一、主張し特許に組み込めたのが 信号電荷の蓄積部(N層)の完全空乏化
電荷転送の結果である、 the empty potential well の電位曲線図であった。今でもこれが一番重要な動作記述情報である。
当時の半導体TOPの指示では、「構造特許のみを請求範囲に入れることで充分で Know How にかかわるデバイス
構造体の動作は容易に専門家なら容易に類推できるものとして、あまり構造特許には詳細を記述するな。」という話だった。
しかし、NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の CCD
image sensor を発表した。 NECは、1975年の萩原発明のHagiwara Diodeとは認めず、独自に、buired photo
diode と呼んだ。 1975年萩原発明の Hagiwara Diode は P+NPNsub 接合型の半導体受光素子であるが、
構造上、表面がP+層であり、受光信号電荷の蓄積部のN層が、表面になく、P+層の下にあり、文字通り、埋め込み
層の buried photo diode と呼んだ。後に、 世界一般では、さらに別名で、 上層部の P+ が floating ではなく
外部電圧で固定されているので、 すなわち、 pin 留めされているので、 pinned photo diodeと呼ぶ様になった。
これらはすべて実は萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子である。
NECの寺西が IEDM で 1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを搭載した 1982年に ITL 方式の CCD image
s
ensor を発表した後、SONYではあわてて、後追いで、今まで、1975年の萩原発明のHagiwara Diodeを無視して、
その開発を反対していた、SONYのCCD開発TOPの越智の態度も180度変わらざるを得なかった。越智と仲間われして
萩原はすでにCCD部隊を去っていたが、中央研究所から優秀な技術者で萩原の友人だった浜崎が、入れ替わり、
越智のCCD部隊に入った。萩原の技術とKnowHowを、萩原は喜んで浜崎に継承した。浜崎が萩原の代わりに、
萩原の夢を、越智のCCD部隊で実現してくれるからである(笑顔)。さらに、後輩の米本も越智のCCD部隊に入り、
1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子は急速に今までのKnowHowの
蓄積もあり、すぐに原理試作が完成し、 HAD sensor として商標登録され事業化を展開し市場を独占した。
この際、NECから SONY HAD sensor は NECの寺西特許が先行すると主張され、SONYのCCD部隊は困った
状態になった。そのころには、CCD開発TOPの越智をはじめ、浜崎も米本も含め、SONYのCCD開発技術者の
間では、萩原が 1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在
は完全に忘れさられていた。萩原もそのころには、CCD開発から離れ、米国 Fairchild社との特許戦争や、NECとの
特許戦争に関しては、社内の友人からはうわさ話をして聞くことはあったが、公式には社内の事情の報告を受ける
立場ではなかった。あまり、萩原はその特許戦争の内容を教えてもらえなかったが、最後は特許担当者が萩原自身
に組織を超えてアドバイスを求めてきた、初めて萩原は事の深刻さに気が付いた。しかし、結局、萩原が 1975年に
発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子の発明特許の存在のお蔭て、米国 Fairchild
との戦争にも、NECとの特許戦争にも SONYは勝利した。
浜崎さんや米本さん、さらにCCDプロセスを担当した神戸さんをはじめ多くの勤勉な技術者の努力で完成した、
SONY original HAD sensor であったが、その特許は、1987年出願特許(浜崎、鈴木智、賀川、石川他)として
申請されていたが、明らかに、NECの寺西の1983年のIEDMでの発表とその関連の寺西特許の方が先行していた、
あくまで、NECの寺西特許の pinned photo diodeの派生構造特許に過ぎず、NECから、猛烈な特許工業権利に
関する攻撃には、SONYの半導体開発陣は無能であった。唯一、SONYが武器にできたのは、最終的に、萩原が
1975年に発明した Hagiwara Diode 、P+NPNsub 接合型の半導体受光素子だった。この萩原1975年特許の存在
のお蔭で、 SONYのHAD sensorは、 NECの copy の汚名を受けることはなかった。事実上、NECの寺西の
IEDM1982に発表した、 buried photo diode 搭載の ILT CCD imager が SONYの特許の copy となった。
その結果が、2000年度の萩原のSONY HAD sensorの基本特許の発明考案実施褒賞 第1級最優秀賞の受賞である。
これを萩原が受賞して、CCDの開発部隊の技術者はみなびっくりした。それまで HAD sesnorは、CCD開発TOPの
越智の部隊が、浜崎さんたちを中心に開発した HAD sensor は NECの copy だと特許請求権に関する論争(特許
戦争)となったからである。その戦争で、完全にSONYの負けが宣告される寸前で、1975年萩原特許はSONYを救い、
CCD開発部隊の勤勉な努力を無駄にすることにはならなかった。1980年から20年間、萩原はSONYで長い間、
冷たい目で見られていたが、この受賞を堺にして、萩原を見る社内の人間が目が変わった。
しかし、ここでも萩原にとって腹の立つことが起きていた。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 21
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Hagiwara at Sony is the true inventor of Pinned Photo Diode.
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode Patent 1975) の原文
萩原1975年特許( pinned photo diode Patnet 1975 )の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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さらに、萩原良昭の自己紹介を続けます。
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 22
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1975年、 CALTECH ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、
社会人となってはじめて会社で出願した特許です。
単純に構造のみに関する特許です。それも単純に、
「PNP 構造をsensor 構造とする」 という単純特許です。
構造から期待される動作やその効果については自明として詳細には言及していません。
実際には、 光電変換されたキャリア(電子)を保護します。
半導体界面の不完全結晶構造による、暗電流や欠陥から
保護し、現在の低雑音・高感度センサーを実現しています。
また、PNP構造の構造上の自由度から、過剰電子の除去も可能です。
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● 2つ目の特許は、現役を引退し、もっとも最近に、個人として出願したものです。
離散フーリエ変換回路に類似する信号処理回路、画像・音声処理に関する特許です。
すなわち、離散周波数成分変換回路の一種ですが、
信号 sampling が等間隔ではなく、最初は間隔が狭く、
時間が経つにつれ、sampling 間隔が広くなるという手法を提案しています。
JP 2016-14942:時間領域データを周波数領域データに変換する演算回路
1975年、 CALTECH ( カリフォルニア工科大学 ) を卒業し、
社会人となって現在にいたりますが、一貫して人工知能に関心があり、
人工知能を支えるハードウエア―としての「電子の目の研究」でした。
1976年には、大学院時代のProf. C.A. Mead の指導のもと、研究室と
Intel 社との産学共同のプロジェクトに参加し、当時の最先端の MOS
LSI Fabrication 技術を使い、LSI chip の設計に挑戦しました。
IEEE Journal of Solid State Circuits, VOL.SC11,No.4, October 1976
128-bit Multicomparator
a serial-in/serial-out fast 128 bit parallel data comparator chip
fabricated by Intel corporation p-channel E/D MOS fabrication line
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最後に、国際会議で講演したものを4つ紹介します。
● 一番最初は、1979年9月(31歳)当初の活動内容です。なかなかイメジャー素子が
ものにならなく苦労していて、開発研究をあきらめる企業が目立った頃の話です。
世の中は「ソニーだけが頑張っているなあ」という応援の目と、本当に実用化できる
のかという静観の目でイメジャー素子の実用に関しては先がまだまだ見えない頃でした。
英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された国際会議 CCD'79 で発表したものです。
ADVANCES IN CCD IMAGERS
● イメジャーの実用化の目途がたち、Video Cameraやデジカメとして販売実績が確実な
ものになったころで、イメジャーの信号処理関連LSIから PlayStation2関連のLSIも
広く開発商品化の段階に入りまだまだこれから大きく花開くと希望と夢がいっぱいの頃でした。
オーストリアのVilachで開催された国際会議 ESSCIRC2001 で発表したものです。
Microelectronics for Home Entertainments
●一番最後は、2008年9月(60歳)当時の活動内容で、会社定年前の最後の仕事となりました。
英国ScotlandのEdingburghで開催された国際会議 ESSCIRC2008 で発表したものです。
SOI Design in Cell Processor and Beyond
● 2013年はIEEEの国際学会 ISSCC の60周年記念の年で、その基調パネルのメンバーとして
招待されました。 もう私は現役を退いて崇城大学情報学科で一人の教員として若い学生に授業を
教える立場でしたが、長年、ISSCCの運営委員メンバーやアジア委員長としても奉仕してきた事も
あり、ISSCCのOBメンバーとして、また、他の会社があきらめていた中、ソニーだけが(故岩間社長
の力強いサポートのもと)イメジャーの開発当初から、開発と事業化の環境が維持され、その器の中で
私もイメジャーの開発の1人の若手技術者としてを従事し、一人のイメージャーの開発者の目から見た
「昔ばなし」のつもりで、基調パネルで話をしました。しかしかなり下準備をしたものの、よく話せたという
自信は全くありませんでした(涙)。
その時の下準備の内容と、パネル討論の様子、ISSCC の60周年記念の祝賀会の様子、その内容が
IEEE Solid State Society の専門 Journal に記載された内容をまとめたものをここに掲載します。
ISSCC2013 the 60th Birthday Anniversary Plenary Panel Talk Memo
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イメージセンサーを開発していた萩原の現役時代の国内論文を2件紹介します。
(i) ナローチャネルCCD単板カラーカメラ
(ii) インターライン転送方式CCD撮像素子
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そして、 英国ScotlandのEdingburgh大学で開催された
国際会議 CCD'79 で萩原が発表したものがあります。
この論文の中で、1975年萩原発明の、超感度、低雑音で、
残像なしの のHagiwara Diode搭載をした
FT 型 CCD image sensorを初めて国際会議で紹介しています。
ADVANCES IN CCD IMAGERS
この学会で、 世界で初めて、 CCDが超感度でないことは
自明として、 1975年に萩原が特許出願し、萩原が発明した、
HAGIWARA DIODE 、すなわち、 pinned photo diode が
超感度低雑音残像なしの特徴を持つことを説明しています。
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萩原良昭の会社生活(1975~2008)の仕事内容に関連して紹介します。
今となれば、なつかしい青春時代の思い出になります。
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まず、SONYでの勤務時代(1975~2008)の萩原の仕事の紹介です。
1975年SONYに入社してすぐ、CDT型(電荷転送装置のことで、CCDと
MOS型の両方) の image sensor に搭載する、超高感度の受光部の
構造特許を出願、発明しました。すなわち人間の目の網膜細胞に相当する
「鉄腕アトムの電子の目」の網膜細胞の構造特許の出願から始まりました。
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現在この萩原構造特許( Hagiwara Diode ) は pinned photo diode と呼ばれます。
かつて脚光を浴びた超感度低雑音残像なしの digital CCD image sensor にも、
現在の、さらに高解像で、超感度低雑音残像なしの digital CMOS image sensor にも
搭載されています。その価値はますます見直されています。しかし、その特許の発明者が、
もとSONYの萩原良昭であることはまったく世界に知られていません。その原因はその
特許が日本国のみ1975年に出願され、日本語で記載され世界の技術者はその存在を
知らなったためです。それで、もとNECの寺西さんが国際会議でIEDM1983で発表した
buried photo diode 構造の ILT 方式の CCD image sensorが最初の発明だとされて
います。 しかし、事実ではありません。誤解です。 真実はいつも 1 つです。
萩原構造特許( Hagiwara Diode )は 1975年に SONYから日本語特許として出願されました。
また、その原理試作は 1978年に Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensor
として 初めて世界に公開されました。SONYは 大々的に New York では 盛田会長が、
東京では岩間社長が記者会見し、発表しました。
Hagiwara Diode 搭載の FT方式の CCD image sensorが超高感度、低雑音で雑音ない、
高品質の未来のビデオカメラとして、またビデオ記録器との一体型ビデオムービーとして発表
しました。
しかし、そこでは、まったく 1975年萩原発明のHagiwara Diode 搭載のことは一言も言及される
ことはありませんでした。これが最終的に世界に大きな誤解を招きました。世界は CCD image
sensor 自体が 超感度と誤解しました。
しかし、本当は、CCD自体は本来金属性の電極を必要とするMOS構造であり、金属は光を透過
することができないので、CCDは超感度には絶対になりえません。
あたらしい、受光構造を必要とされていた時代でした。その必要性に答えたのが
1975年に特許出願したもとSONYの萩原良昭が発明したHagiwara Diode でした。
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いろいろな CCD 方式を勢力的に検討していたSONYは、最終的に、1984年には SONY original
HAD sensor と商標を登録し、Hagiwara Diode 搭載の CCD image sensor のお蔭で、世界の
ビデオカメラの市場を独占することになりました。
Sony original HAD sensorは SONY固有の商標名ですので、後に世界では、これを後に、
pinned photo diode と、学会を中心に呼ばれるようになりました。 しかし、
(1) 1975年に出願された萩原特許の受光構造特許( Hagiwara Diode ) も、
(2) また、1984年に、SONY original HAD sensor と商標登録し、SONYが 世界のCCD image
sensorの市場を独占したものも、
(3) 1983年に、もとNECの寺西さんが国際会議IEDM1983で発表した buried photo diode 構造の
ILT 方式のCCD image sensor も、
(4) 世界で現在、 pinned photo diode と学会を中心に、呼ばれるものも、
この上記の(1)から(4)のものは、皆、同じものです。
しかし、この4つのものが同じものであることを、世界は理解していません。
そして、(3)のもとNECの寺西さんの buried photo diode を、世界は簡単に、
pinned photo diode と同一であることを判断しました。それで、現在は、もと
NECの寺西さんが、世界最初に pinned photo diodeの発明者とされています。
これはたいへん大きな誤解です。世界はその事実を知りません。
上記の(1)から(4)はみな同じものであることを、世界はその事実を知りません。
従って、pinned photo diode の本当の発明者は もとSONYの萩原良昭であることを、
もとSONYの萩原良昭が、本当のpinned photo diodeの発明者である真実を、世界は
全く知りません。世界は真実を知る権利があります。真実はいつも 1 つです。
SONYにも萩原にもその真実を世界に知らしめる責任があります。
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萩原1975年特許 ( pinned photo diode 特許 ) の解説
萩原1975年特許 ( pinned photo diode 特許 ) の原文
萩原特許の画像
https://patents.justia.com/inventor/yoshiaki-hagiwara
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SONY original HAD sensor にまつわる特許戦争のお話です。
Please judge yourself if the story is a truth or a fiction ?.
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Story of Sony original HAD sensor (1)
More Story (1) , Story(2), Story(3)
Story of Sony original HAD sensor (2)
Story of Sony original HAD sensor (3)
Story of Sony original HAD sensor (4)
Story of Sony original HAD sensor (5)
Story of Sony original HAD sensor (6)
Story of Sony original HAD sensor(7)
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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 24
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以上の内容を理解する上で、基礎・参考となる内容を、下記の本にまとめています。
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最後に、AIPSに関する技術解説書を1冊紹介します
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1975年から2008年まで ソニー(株)に勤務しました。
その後、2009年より2017年まで、熊本市にある崇城大学の
情報学部の教授として勤務しました。本書は若手社員や学生を
対象に教育指導してきた技術内容の基礎をまとめ解説したものです。
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書名 人工知能パートナー(AIPS)を支える
デジタル回路の世界
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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055
本体 9000円+税
B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)
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書籍の出版社の紹介
この本の購入に関しては、下記の出版社のホームページを参照の上、
出版社に直接ご連絡いただき、ご購入ください。
TEL: 042-765-6460(代) 青山社
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html
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この本の概要説明です
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未来の人間の社会においては、いたるところで、人間にやさしい、
人工知能パートナーシステム( AIPS = Artificial Intelligent Partner
System)とも言える人間支援システムが出現すると期待しています。
たとえば、AIPS搭載の自動走行車や老人介護システム、人間型
歩行ロボット、ロボット・ハウス等です。
このAIPSを支えるのが、コンピュータとその通信技術です。
また、その基礎となるのが、基礎情報数学、数値計算法、
電子回路、知能ロボット工学などです。
そこにはさらに、 ハードとソフトの両面があります。
従って、ハードとソフトの技術が連携して、はじめて、AIPS搭載の
人間支援システムの実現が可能となります。
そこでAIPSを志す人は、宮本武蔵の様に、自己の腕(技術力)を
二刀流で磨いていただきたいところです。
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「賢い電子の目」が、その発明者である、もとSONYの萩原良昭を見ています。
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人工知能パートナー(AIPS)を支える
デジタル回路の世界
補足資料(Appendix)
(おまけ) 高校生数学でわかる雑学相対性理論
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ISBN 978-4-88359-339-2 C3055
本体 9000円+税
B5サイズ 上製 475ページ (ハードカバー)
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書籍の出版社の紹介
TEL: 042-765-6460(代) 青山社
https://www.seizansha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-88359-339-2.html
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