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AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Homepage A001
hagiwara-yoshiaki@aiplab.com
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半導体は現代文明のエンジン
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半導体は現代文明のエンジンとも言われます。
すべての電子機器、人工知能ソフトを含めて
知的情報処理を実行するのは半導体素子です。
もし半導体のことに興味をお持ちでしたら是非
この内容をお読みいただき、同時に半導体の
構造やその動作原理を学習していただければ
幸いです。トランジスタの動作原理や太陽電池
の構造やその動作原理等の理解は、これから
ご説明する「賢い電子の目」のお話には不可欠
な予備知識です。一緒に学習していきましょう。
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Panasonicが生まれた要因は松下幸之助氏が、「ふたまた
ソケット付きの家庭電灯」を発明し、その商品化ビジネスに
成功したからだと言います。
戦後の何もない日本で、SONYがトランジスタ―ラジオの
ビジネスで成功し、大きくなったのも、井深大氏がまだ海
のものとも、山のものとも不明だった、ベル研のトランジスタ
の発明に注目し、SONYが格安で、ベル研のその基本特許
をまず購入できたことが、大きなチャンスをSONYにもたらし
ました。
誰もが不可能だと思っていた事を、最初に成し遂げ、ビジネス
とした企業が、大きな成功を手にします。
小さなベンチャー会社が成功した例は、SONYだけでなく、
他にもあります。米国の大手半導体メーカーの Intel 社が
その例です。萩原は、学生時代から SONYと Intel 社の
両方から、大変大きな影響を受けて、技術者人生を歩んで
きました。その一部始終を身近に目撃してきました。
萩原が学生時代、当時まだ、Bipolar トランジスタ技術が
中心だった時代でしたが、その中で、Intel社は、特性が
大変不安定だった、MOS トランジスタの特性の安定化に
挑戦しました。MOS型半導体素子の実用化に挑戦しました。
そしてIntel社はそれに成功すると同時に、運よく、3個の
MOS トランジスタを使った、DRAMメモリCell の基本特許を
入手し、その生産を立ち上げることに成功し、Intel社は
大きく成長し、始めました。ここでも特許は需要な役割を
果たしました。
企業は、まず特許で、ビジネスがスタートします。「1%の
ひらめき(idea)と99%の努力(dilligence) があってこそ、
企業の夢が実現する」と言いますが、まさにその通りです。
SONYはベル研の Bipolar トランジスタの基本特許を格安で
購入し、SONYの勤勉な当時の若い技術者(川名喜之さんや
加藤俊夫さん達)により、Bipolar トランジスタ生産技術を
SONYは立ち上げる事に成功しました。
萩原が学生時代に半導体物理を学習した教科書の著者でも
あるり、また、Intel社の社長にも兼任した、Dr. Andy Grove や
Intel 社の創設者でもあり、萩原の母校Caltechの先輩卒業生
の、Dr. Gordon Moore の努力で、MOS トランジスタ生産技術
が Intel社で立ち上がりました。
この米国のIntel 社と日本のSONYの半導体の開発史を身近に
萩原は目撃してきました。これから萩原が見て来た事、感じて
来たことを、いろいろお話できればと思っています。
私も今年で71歳になりますが、自分が今まで何をしてきたのか
と静かに考える時、「自分が20代の若い技術者だった時に、
どんな夢を持っていたか?今もその夢を持ち続けているのか?」
と自分に問いかけます。「人工知能搭載の、人間支援型の、
人間にやさしい、鉄腕アトムの様なものを創ってみたい。」と、
小学校の時にマンガの中で夢見たことがすべての始まりでした。
人工知能が人間の世界を理解するには、人間の世界を感知する、
センサー技術が不可欠です。人工知能にも、人間の目の様な構造
を持たせる事が重要であると思うようになり、SONYに入社して、
すぐに、人間の目の網膜細胞の役割をして、光信号を電気信号に、
変換して、超感度で雑音のない、きれいな映像を提供してくれる、
半導体受光素子の構造について、萩原は考える様になりました。
萩原が、1975年の2月20日にSONYに入社して、すぐの事でした。
職場の先輩の技術者たちは、当時の Image Sensor 構造は、まだ
まだ、不完全で、問題だらけであると、嘆いていました。まず、残像が
あり、感度が悪く、雑音も多かったからです。
SONYは、MOS型の透明電極を使った、光信号を電気信号に変換する
MOS容量型の受光素子を採用していました。受光素子に蓄積された
信号電荷は、CCD動作で転送されるので、残像がありませんでした。
しかし、MOS電極構造なので、MOS電極に強い電界が生じ、また、
シリコン結晶と SiO2の酸化膜の界面の原子レベルの不整合が要因
の結晶の不完全性から、その強い電界により、大きな表面暗電流が
生じ、暗い画面でも、この暗電流でも、画像に白っぽいムラ模様が出て
画質を劣化していました。
そこで萩原はMOS電極では絶対に理論的にこの暗電流が減少しない
事を理解していたので、MOS電極には将来性がないと主張しました。
当時、日立などが中心となり、他社では、CCD型の電荷転送装置(CTD)
を採用した CCD Image Sensor でなく、MOS型の電荷転送装置(CTD)
を採用したMOS Image Sensor を開発していましが、その受光構造は、
MOS電極型の受光素子構造ではなく、従来のN+P接合型のPhotodiode
構造を採用していました。この構造では、MOS型電極ほどの暗電流は
ありませんでした、まだシリコン界面は浮遊状態にあり不安定でした。
さらに、蓄積された信号電荷を隣接する電荷転送装置(CTD)に転送する
時、MOSトランジスタ型の Switch Gate を電荷転送電極(CTG)とします
が、N+層は完全に空乏化できず、電荷転送終了時には、N+層の電位と
Switch Gate として使う電荷転送電極(CTG)のチャネル電位が同じ電位
となり、チャネル抵抗が無限大となり、かならず、最後の少しの受光信号
電荷が、完全に限られた時間では残っていまり、結果として残像が映像
に生じるという問題をかかえていました。
MOS電極もだめ、N+P接合型の受光素子もだめだということになります。
なすすべがありませんでした。そこで、萩原はまず、表面のN+層の濃度
を薄くしてみてはどうかと考えました。たとえば、埋め込み型CCDの埋め
込みチャネル層の濃度と同じぐらいにしてはどうかと考えました。
埋め込み型CCDの埋め込み層と同じ様に、完全空乏化する事を考え
ました。しかし、シリコン界面が浮遊状態となり、正の電荷を帯びた
界面の固定電荷Qssの存在や、トラップ雑音のもととなる、捕獲準位
Nssの影響があることが心配でした。
そこで、表面にP+層を形成し、Hole Accumulation 状態にして、かつ、
受光層のN層の濃度を埋め込みチャネルCCDと同等の濃度にして
空乏化 Photodiode 構造にしてみればどうかと思いました。
P+NP接合型の半導体受光素子、Pinned Photodiodeの誕生です。
SONYの Hole Accumulation Diode、 SONY HAD の誕生です。
これは、P+NP接合型の Bipolar トランジスタ構造そのものでした。
しかし、ベースの濃度は、薄めています。SONYは1974年当時、
学会で Emitter 接合付近の Emitter 側の濃度を薄くすることにより、
Bipolar Transistor の 増幅率が向上することを報告していましたが、
萩原の発明は、ベース領域の濃度を薄めて、完全空乏化 Photodiode
を実現するというアイデアでした。
また、当時のSONYの Bipolar Transistorのプロセスでは、既に、
PNP トランジスタと NPNトランジスタを同時に同じシリコン結晶内
に形成していましたので、萩原は、基板(Nsub)にP+N-P接合を
形成して、P+N-PNsub接合型の受光素子構造とする特許を出願
しました。それが、日本国特許 昭和50-134985 です。
この萩原1975年発明のP+N-PNsub接合型の受光素子構造は、
(1)埋め込み Photodiode の発明です。信号蓄積部が表面から
P+層で隔離・保護された、埋め込み型のN-層となっています。
(2)蓄積部の濃度が、N-と低く、埋め込みチャネル型CCDの
埋め込みチャネル層のN-層と同様で、完全空乏化電荷転送
が可能となります。これは、空乏化 Photodiodeの発明です。
(3)また、受光層の電位は、シリコン界面側は、P+層の Hole
Accumulation 層で保護され、電圧が固定、Pin 留めされて
いて、これは、 Pinned Photodiodeの発明でもあります。
(4)さらに、このP+N-PNsub接合型のトランジスタ構造は、
サイリスタ型の受光素子でもあり、サイリスタ―の動作が
可能となり、その一つの動作が、縦方向に過剰な電荷を
流すことで、その動作により、過剰な電荷が垂直方向に
流し出すことが可能となります。これは縦型 Overflow
Drain (VOD) の発明でもあります。
以上が、萩原が出願した、特許 昭50-134985 の内容ですが、
その少し以前に、萩原は同じ1975年に、特許 昭和50-127647
を出願しています。この特許には、次の2の発明が記載されています。
(5)裏面照射型の Pinned Photodiodeの発明
埋め込み型でもある Pinned Photodiode の
受光構造です。
(6) さらに、表面側の電荷転送電極(CTG)をそのまま
一時的に信号電荷蓄積する、 Buffer Memory
として活用した、、Global Shutter 機能付きの
埋め込み型でもある、 Pinned Photodiode の
受光構造です。
萩原が1975年に出願した後、東芝と日電から同様な
特許が遅れて出願されました。
東芝1978年特許 昭53-1971 は NPN接合型の
縦型 overflow drain 機能を持つ Photodiodeの
構造特許ですが、萩原1975年特許に含まれています。
日電1980年特許 昭和55-123259 は PNP接合型
の埋め込み Photodiode でかつ 空乏化 Photodiodeの
構造特許ですが、表面はP型で、P+型ではなく、電圧が
金属コンタクトで、固定できない濃度で、Hole Accumulation
状態ではありません。表面に電界が生じ、その結果、
表面暗電流が発生する問題があります。特許の実施例の
図にその様子を自ら明示しています。従って、この特許は、
Pinned Photodiodeの特許ではありません。この事実は
あまり世間一般には、全く誤解されたままになっています。
世間一般ではこの特許がPinned Photodiodeの特許だと
誤解していますが、大きな過ちです。実は、この特許は
Pinned Photodiodeの特許ではありません。
東芝の特許も日電の特許も萩原の1975年の特許の存在を
知らないまま、独立して出願されたもの様ですが、この2つの
特許は、1975年に萩原が出願した特許、昭50-134985
の重複特許となり、無効です。
従って、埋め込み Photodiodeの発明者は、
もと、NECの寺西さんではありません。
SONYの萩原がその発明者です。
もとNECの寺西さんの特許は1980年出願で、
遅いものです。これは萩原1975年特許の
重複特許であり、無効です。またこの特許は
正確には、Pinned Photodiodeの特許では
ありません。表面の空乏化が可能です。
そのために表面に電界が存在し、暗電流の
発生が可能となる、不完全な受光構造です。
既に萩原が、1975年に、Pinned Photodiodeの
基本特許を出願しています。Pinned Photodiode
は、空乏化 Photodiode でもあり、埋め込み型
Photodiode でもあります。従って、萩原は、
空乏化 Photodiodeの発明者でもあり、かつ、
埋め込み Photodiodeの発明者でもあります。
日本国特許 昭50-127647 (PDF) または、
日本国特許 昭50-127647(html) を 参照してください。
萩原は (1)埋め込み Photodiode ( Buried Photodiode ) の発明者です
埋め込み Photodiodeは 受光層(N層)が シリコン基板に埋め込まれた
構造をした光感知素子のことです。シリコン酸化膜表面の結晶欠陥による
いろいろな弊害から受光部を守る効果があります。
萩原はまた、(2)空乏化 Photodiode ( Depletion Photodiode ) の発明者です。
空乏化 Photodiode とは、蓄積されていた光電変換された信号電荷が隣接する
電荷転送装置(CTD)に完全空乏化電荷転送される事により、埋め込み層のN領域
が完全空乏化されます。その結果、信号電荷の取り残しがなくなり、CCD動作と
同様に、残像のない、高速アクション映像を可能にするビデオカメラが実現します。
萩原は、また、(3)ピン留め Photodiode ( Pinned Photodiode)の発明者です。
ピン留めPhotodiodeは、シリコン表面層が濃いP+層となっており、Hole Accumulation
状態になっています。金属コンタクトで電圧を固定(ピン留め)する事が可能な濃度と
なっています。その濃い濃度のために、表面には電界がありません。暗電流のもとと
なる表面の再結合センサーを固定電圧で固定し不活性として暗電流の発生を防ぎます。
その効果で暗電流雑音(Dark Currrent Noise)が現象し、雑音(N)に対する信号(S)
の比(S/N)が増大し、暗電流ムラのない、高感度な画像を提供してくれます。この
ピン留めされた Photodiode が、実は超感度なビデオカメラを提供してくれます。
萩原は、また、(4)縦型のVertical Overflow Drain (VOD)の発明者です。
1971年と1973年に萩原は夏休みに一時帰国し、SONY厚木工場の
Bipolar Transistor の集積回路の製造ラインで、実習生として従事し、
BipolarTransistorの製造と信頼性技術について学びました。その時に
学んだ NPN Transistor 構造を受光素子として応用する事を考案
しました。NPN Transistor には (1) 電流 OFF MODE と
(2) 電流増幅 MODE と (3) Base Punch Thru Mode が
あることは周知情報でした。この動作を持つ、NPN を受光素子として
使う事を考案しました。さらに、表面にP+層 ( Hole Accumulation 層)
を追加して、P+NPN接合構造とすることにより、縦型の Vertical
Overflow Drain (VOD)機能が組み込れた、 Pinned Photodiode 構造の
受光素子となることを考案しました。
その証拠は1975年に萩原が出願した3つの特許が明示しています。
日本国特許 昭和50-134985(PDF)
日本国特許 昭50-127647 (PDF)
日本国特許 昭和50-127646(PDF)
また萩原は1975年同時に、 Pinned Photodiodeを発明し(PDF)、
その基本特許を出願しました。詳細は 昭50-134985 (html)を
参照してください。その応用実施例に Interline Transfer 方式
の CCD 型電荷転送装置への応用例を提示しています。
それは SONYのHAD センサーの基本特許となり、SONYのイメージ
センサーのビジネスを長期に渡り、現在も守り続けています。
NECは最終的に Image Sensorのビジネスを断念しましたが、
SONYは萩原の埋め込みPhotodiodeの特許 昭50-127647(PDF)と
もうひとつの Pinned Photodiodeの基本特許 昭50-134985 (PDF)
に守られてきました。
長期にわたる大手の企業(Fairchild社、KODAK社、NEC)との
水面下での特許戦争や特許に関わる秘密技術提携で有利な
立場を保持してきました。
現在日本で半導体ビジネスで成功している元気な会社はもう
SONY一社になってしまいました。戦後の何もなかった時代に、
日本で初めて、SONYは半導体産業を手がけました。そして、
今もSONYは、「半導体が人類の文明のエンジン」であると深く
認識し、新しいこと(idea)の創出に挑戦し、その実現の為に
社員全員が一丸となって、努力(dilligence)を続けています。
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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.
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