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AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Homepage 0000

        hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言です。

       (序論) まず、はじめに

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ノーベル賞の受賞の対象となるのは、世界に多大な影響を与えた
世界最初の公式学術論文の著者や、または特許公開などで公式に
その発明内容を公開した発明者やその開発者に与えられる。

発明者にせよ発明者でなくても、その重要な開発者が受賞する
場合も、世界に多大な貢献をしたその業績の源となる公開技術
資料の存在は不可欠である。その偉大な業績を証明する証拠で
あるからである。特に世界最初の公開技術情報は世界的にその
評価は大きい。「時期的に世界で最初の公式資料という存在」
は重く、その業績を評価して与えられる。

しかし、人間のやることである。時にして見落とされ、誤認
されて間違った人が世界的に評価される場合もあり得る。

そういう落し穴が、過去にも現在にも多く時には存在する。


企業がビジネスを営む上で、特許はたいへん重要な存在である。

まず、特許出願し、商品化して市場に提供することが望まれる。

その過程で、社外にその商品の技術内容を公開する作業があるが、
時として、その技術公開作業が遅れる場合もあれば、わざと、
企業のTOPの方針で、技術者の発表を遅らせる場合などがある。

利益を追求する使命を持つk業としては、特許出願が先行して
いる限り問題は生じない。技術情報の公開は、企業の Know
How を他社に知らせる様なもので、日本の企業ではあまり
技術者の社外発表に消極的な場合が多い。

問題は特許出願が遅れると生じる。

技術内容の発表を特許出願より先行すると
当然その特許は無効となる危険がある。

国際社会では技術発表をした後1年以内に
その技術に関する特許を出願した場合は
有効とされる慣例がある。世界の技術の
発展が加速される事を優先するからだ。


社内で特許出願が遅れ、社外から類似特許
が先行して出願された場合、逆に他社から
多額の特許使用料の請求を受け、大きな問題
となる。

長期に渡る企業間の醜い特許裁判戦争にも
なりかねない事態が生じる場合がある。

SONYのイメージセンサーの開発史の中でも
そういう苦しみを何度も萩原は経験した。


1970年ベル研の2人の研究者がCCDの原理
試作の成果を論文発表した。

1) W. S. Boyle and G. E. Smith,
“Charge-Coupled Semiconductor Devices,”
Bell Syst. Tech. J., 49, pp.587-593, 1970.


これが最初のCCDの公式技術発表という事
でこの2人がノーベル賞を受賞した。

実際は同年に同時に次の論文発表もあった。

(2) Amelio, G. F., M. F. Tompsett, and G. E. Smith, 1970,
“Experimental veri?cation of the charge coupled device
concept,” Bell Syst. Tech. J. 49, pp. 593.


さらに、実際には、CCDのアイデアは当時の
職場の仲間でもあった、M. F. Tompsettが
最初に考案したものであった。

(3) Michael Francis Tompsett at Bell Lab
U.S. Patent No. 4085456, Aug 30, 1972 by


この2人の受賞者、W. S. Boyle と G. E. Smith, は、
M. F. Tompsettのアイデアを元に原理試作して、
その成果を発表した事が評価されたものである。


不幸は、M. F. Tompsettの特許出願がその技術発表の、
2年後の1972年となってしまったことが問題であった。

どうして、最初の1978年の論文に、M. F. Tompsettの
名前が著者の一人として連名で記載されなかったのか
その点も不明な点である。



1970年のCCDの公式発表が先行し1972年
出願と遅れてしまった特許は重要視され
なくても当然の状態となった。

学術論文が先行したことが評価されて
当然な状況になっている。


学術論文の著者が評価された事になる。
特許出願の発明者は評価さらなくても
この場合は当然である。2年も遅れて
の特許出願だからである。

もし確実に評価される為には特許が
まず出願され公開され、世界最初の
公式学術資料という存在を保持して
いなけらばならない。


実際には、CCDのアイデアは当時の
職場の仲間でもあった、M. F. Tompsett
が最初に考案したものであった。

この2人のノーベル賞の受賞者は、
M. F. Tompsettのアイデアを元に原理試作
して、その成果を発表した事が評価された
もので発明者でなかった。

しかし、M. F. Tompsett特許出願がその
2年後の1972年となってしまったこと
が問題である。CCDの公式発表が特許
でなく、学術論文が先行したことで、
学術論文の著者が評価された事になる。

しかし、実際には、M. F. Tompsettが
特許出願したとされる表面型チャネル
CCD特許は役に立っていない。電荷
伝送効率があまりにも低く実用価値
はなかった。その後、特許出願された
埋め込みチャネル型CCDの基本特許は
実用化に耐えて世界のCCD Image
sensorに採用されたものである。

埋め込みチャネル型CCDは、ノーベル
賞受賞者の2人の、W. S. Boyleと
G. E. Smith の発明である。これは
誰が見ても、この2人の業績の方に
社会的評価が集中しても仕方がない
と思われる。

(3) Michael Francis Tompsett at Bell Lab
U.S. Patent No. 4085456, Aug 30, 1972

(4) Boyle, W. S., and G. E. Smith, 1974,
“Buried channel charge coupled devices,”
U.S. Patent No. 3,792,322 February 12, 1974.




半導体集積回路の基本特許で有名な
キルビー特許が良い例である。

キルビー特許とは米国 Texas Instrument
社の の「Jack Kilbyによる集積回路」の
特許のことである。なお、その発明自体は、
先んじてはいたというだけで、技術的には、
1枚のシリコンウェハの上に複数の素子を
作り込んではいたがその素子間の相互接続
は単に金線のボンディングで繋いでいる
だけのもので、集積回路という定義には
沿うものではなかった。

本国の米国においては、「産業の活性化を
阻害する悪性の特許である」と非難を受ける
激しい論争があった。日本においてはさらなる
不利な特殊事情として、日本では特許の成立が
遅く、普及した技術を用いる製品に対して、
多額のライセンス料が課せられた。いわゆる
サブマリン特許と呼ばれる側面があった。


本当の集積回路技術の直接の祖先は、Intel社の
2代目の社長となった、ロバート・ノイスに
よる「プレーナー特許」である。

実は、この「プレーナー特許」も、企業間の
特許戦争の対象とされていた。

実は、Caltechの教授の Prof. James McCaldin も
同時に同じ「プレーナー特許」を考案していた。

長い水面下の特許戦争の末、両者は和解した。

その結果、9割がロバート・ノイスが所有権利を持ち、
残りの1割が Prof. James McCaldin の所有となった。

萩原は、Caltech在学中、1970年、大学3年生の時に、
Intel社の3代目社長の Andy Grove の著書である、
Physics of Semiconductor Device を教科書にして、
恩師の Prof. James McCaldin から、半導体物理と
デバイス構造を学んでいた。

その後、1971年9月から萩原は、Caltechの大学院
へと進学した。

萩原のPhD論文の指導官でもあった、Prof. C.A.Mead と、
たまたま、Intel社の創設者の Dr. Gordon Moore は、
友人であり、同じ Caltechの卒業生であった。

Caltechと Intel社の産学共同プロジェクトが開始された。

萩原も大学院生としてその開発プロジェクトに参画した。

Prof. C. A. Meadの指導のもと、デジタル PMOSトラン
ジスタ―回路の設計技術を学び、128 bit Digital Strean
Data Comparator 回路で、3本の128 bit data stream を
同時に瞬間比較一致判断処理を実行するPMOS集積回路
を設計した。そして、Intel社のPMOSトランジスタ―
プロセスを使って試作評価した。

その後、1972年9月からPhD論文のテーマとして萩原は
埋め込みチャネル型CCDの動作解析の研究課題とした。

最初に学習した論文は、次の2つの技術論文だった。

(1) W. S. Boyle and G. E. Smith,
“Charge-Coupled Semiconductor Devices,”
Bell Syst. Tech. J., 49, pp.587-593, 1970.

(2) Amelio, G. F., M. F. Tompsett, and G. E. Smith, 1970,
“Experimental veri?cation of the charge coupled device
concept,” Bell Syst. Tech. J. 49, pp. 593.


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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言です。

   (1) 萩原1975年出願特許について

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Story_of_Pinned_Photodiode.html

Difference of Buried and Pinned Photodiode.pdf

JAP_1975_134985.html
JAP_1975_127647.html


JP1975-127646.pdf
JP1975-127647.pdf
JP1975-134985.pdf

JP1978-1971.pdf
JP1980-123259.pdf

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もとSONYの萩原は1975年にイメージセンサーの受光素子構造に
関する2つの基本特許を出願しました。その特許に添付された
実施例図を下の図に示します。




イメージセンサーの受光素子構造の特徴には、大きくわけて、
以下の7つの重要な特徴があります。

この2件の特許の請求範囲を定義した定義文と実施例図は、
そのすべての、7つの特徴を持つ受光素子構造が、すべて、
萩原がその発明者であることを明示しています。これは、
ある意味ではたいへん欲張った主張内容となり、萩原自身も
今さらのごとく信じられない状態です。しかしそれが事実です。

この2件の特許とその実施例図が、「萩原が発明者である」
ということの、動かぬ明白な証拠になります。問題は現在
まで、この2つの単純明快な基本特許の存在と技術内容が
社会に周知徹底されていなかった事です。

特許は企業に所属するものとして萩原自身もあまり執着せず
また企業も社員から譲渡された特許であり、釣った魚には
餌を与える必要もないので、社外から特許戦争で攻撃された
時には武器として利用するがそれ以外にはあまり価値のない
ものとして、特許に関してもその発明者に対しても企業は
一般にたいへん冷酷な扱いをします。発明者もあまり執着
せず自己主張をせず素直に企業に対して忠誠を誓い企業に
勤務会社人生を全うする場合が多いです。

しかし、発明者を誤認することとは話は違います。発明者を
誤認することは絶対にあってはならない事です。事実は事実
です。だれが発明者なのかは真実でなければなりません。

日本発明協会の公式WEBサイトはその意味で真実を掲載
していません。事実誤認もはなはだしく、嘘の内容を掲載
しています。これは許される事ではありません。

これらの特許の実施例図が、その証拠となります。まず、
以下の7つの項目に関する萩原の主張をご理解していた
だきたいと希望しております。

(1)萩原は、PNP接合型の埋め込み Photodiode,
   すなわち、Buried Photodiodeの発明者です。
   この特許の実施例図がその証拠になります。

(2)次に、同じPNP接合型の埋め込み Photodiode でありますが、
  さらに特別な特徴を持ち、残像のない映像を提供するもので、
  受光部 ( Charge Collection Region ) が reset する時、
  受光部が、完全空乏化 される事を特徴とする、完全空乏化
  Photodiode、すなわち、Depletion Photodiode の発明者です。
  この特許の実施例図がその証拠になります。

(3)次に、同じPNP接合型の完全空乏化 Photodiode でありますが、
   さらに、暗電流抑圧効果のある、表面に、P+層を持つ構造で、
   その表面の Hole Accumulation層の存在により、表面電位
   が固定され、すなわちピン留めされた Pinned Photodiode
   の発明者です。この特許の実施例図がその証拠になります。

   この Hole Accumulation Diode (HAD) は SONYの商標の
   SONY Original HAD センサーの語源でもあります。

   じつは、「この萩原が SONY HADセンサーの発明者である」
   証拠が、この2件の特許とその実施例図が示しています。


(5)更に、自動的に縦型 Overflow Drain (VOD)機能が組み
   込まれた、P+NPNsub 接合サイリスタ―型の受光素子で
   ある、 Pinned Photodiodeの発明者です。この特許の
   実施例が、萩原がその発明者である証拠となります。

(6)次に、特許の実施例図に裏面照射型の受光構造が明記
   されており、萩原は、また、裏面照射型の Pinned
   Photodiodeの発明者でもあります。この特許の実施例が
   その証拠となります。

(7)最後に、CMOS Image Sensorには不可欠な、Global
   Shutter 用の Buffer Mmeory 用に、電荷転送電極(CTD)
   のMOS容量を使って Image Sensor動作させる事を、特許
   の請求範囲を定義する範囲定義文に明記しています。
   これは萩原が CMOS Image Sensor 用の Global Shutter
   に必要な Buffer Momory の発明者である事の証拠です。


JAP_1975_127647.html

JP1975-127647.pdf








JAP_1975_134985.html

JP1975-134985.pdf







JP1975-127646.pdf

JAP_1975_127647.html
JP1975-127647.pdf

JAP_1975_134985.html
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JP1980-123259.pdf





 







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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.
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