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             hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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       For full English versions, please visit the following sites.

        Story of Pinned Photo Diode (html)

Hagiwara at SONY is the true inventor of Pinned Photo Diode (html)

See also ElectronicsStackExchangeSite on "What is Pinned Photo Diode ? "


Pinned Photo Diode was invented by Hagiwara of Sony in 1975 (PDF)


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まず次の3つの基本的な質問についてご説明します。


質問(1) 

どうしてCCD image sensor が今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界ではスーパースターのように脚光を浴びる存在
だったのでしょうか?

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Question (1)

Why was the CCD image sensor

the super star in the past ?

 



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質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?
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Question (2)

Why is the CCD image sensor now obsolete
in the modern digital high vision TV era ?




***********************************************

質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?
***********************************************

Question
(3)

Why is now the CMOS image sensor dominant
over the CCD image sensor ?





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先日の10月19日(金)に、SONYのご厚意で、ソニー厚木テックでの、
今年も、恒例(高齢)のSONY半導体OB会が開催されました。

SONY半導体OBの方々が会員となり、現在、約350名ほどおられ
ますが、そのうち、約140人以上の方がご出席されました。

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ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間をお借りして、金曜日で
まだ就業時間ですが、3時半受付開始で4時開始で一年ぶりの同窓会
気分で、お酒を含む立食形式懇親会でした。


まず、全員の写真撮影の後、OB会からの会計報告を受けました。

河野文男(もとソニー専務で半導体TOP)や小笠原さん、阿部元昭さん、
辻さんの4人の方々が永眠され、元気をお顔をもう見る事ができなくなり、
参加者の皆さんはたいへん寂しい思いでした。ご冥福をお祈りしました。

その後、ソニー本社(東京)から、ソニー役員常務でもあり、また、現在の
ソニーの半導体全体をまとめる、 Sony Semiconductor Solutions (株)
の社長を兼務しておられる清水さんが駆けつけてくれました。そして、
SONY半導体の事業の現状と将来展望について、140人以上集合した、
SONY半導体OB先輩の前で、力強く元気な声で報告をしてくれました。


清水社長には、たいへん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

また、お元気そうで何よりでした。


清水さんのお話の最後に、SONY半導体OB会に新しく参加してくれた、
米村均くんが1つ質問しました。

「今の日本の半導体で、元気なのはSONYだけ?東芝のメモリーも
身売りの話がでて、、なぜSONY半導体は今でも元気なのですか?」

とその理由についての米村からの質問でした。清水さんの適格な返答は、

「今のSONYの半導体があるのは、SONYの半導体プロセス生産技術が
一番大きな要因・原動力です。」

と、清水さんはおっしゃいました。萩原もその通りだと思いました。

その時、萩原が1971年に大学を卒業して日本に夏休みだけ遊びに、
一時帰国して、ソニー厚木工場を訪問した時のことを思い出しました。


SONYはかつて世界があきらめ全くものになるはずがないと思われていた
トランジスタの量産技術を、歴史あるソニー厚木工場で確立しました。

ソニー厚木工場は、歴史的にも世界で初めての半導体量産工場です。


実は、ソニー創設者の井深さんの御親戚の前田尚利さん(今年の6月21日に
永眠75歳)と、ソニー創業からのメンバーで副社長にもなられた樋口さんの
ご親戚の方のお二人が、萩原の母校(CalTech)に、大学院の留学生として来て
おられました。それで、萩原は、お二人とは大学での先輩後輩のお付き合いを
されていただいていました。そのお二人の紹介でソニーを訪問見学することが
可能となりました。1971年の夏休みのことでした。

当時、ソニー厚木工場はトリニトロンTV用に信号処理用 bipolar transistor
IC ( CX081~CX089Series ) の量産立ち上げの最中でして、そので萩原は、
学生実習生として、1971年の夏、6月から9月までの三か月あまりの間、ソニー
厚木工場の岡田寮に宿泊していました。

うまくことが運んだ理由は、まず本社の人事の植松課長さんが非常に好意を
示していただいたことがあります。既にその時には、青木照明さんと佐藤収一
さんが、米国からの初代留学生として、SONYに入社しておられ、SONY本社
の人事は、米国留学生には、たいへ積極的・好意的な扱いでした。

萩原の希望が、「ソニーの半導体技術を見たい。」という事で、植松課長さんは、
ソニー厚木工場の半導体品質保証室の木内室長に萩原の話を投げかけました。

木内室長判断がつかず、どうしようかと思案していました。たまたま、その時、
品質保証室の木内室長のところで働いていた、青木照明さんに判断が求め
ました。青木照明さんは、木内さんに、「是非受け入れるべきだ。」と進言して
くれました。木内室長さんは、「このくそ忙しい中、アメリカ留学生の夏休みの
お遊びに付き合う時間はない。」との、厳しい現場監督として当然の口調で
した。しかし、「技術主任の宇野義道君を君の指導官につけるから、さぼらず、
しっかり学んで、成果を出しさない。世の中、 Give and Take だからね!」 
と萩原を激励してくれました。



目的は東京周辺見学のためにソニーに宿泊施設を提供してもらうのが萩原に
とっての最大の目的でしたが、、、しかし、ソニー厚木工場を見学してびっくり
しました。宇野義道主任は、厚木工場内の半導体プロセスライン(9号館など)
を隈なく案内し、そこで働く仕事仲間の皆さんを一人一人紹介してくれました。
また昼食時はいつも萩原は宇野義道主任に連れられ、仕事仲間の小笠原さん
や畠中さんたちと加わり、なごやかなに会話し、昼食を楽しんでいました。


実は、萩原の大学の先輩に Intel の創設者のDr. Gordon Moore がいます。

また、大学院の萩原の研究指導官の Prof. C. A. Mead と、Dr. Gordon Moore
のお二人は、二人とも CalTechの卒業生で、在学時代からの親しい友達同士
でした。それで、まだベンチャー会社だった Intel 社でしたが、母校(CalTech)
との産学協同プロジェクトがあり、萩原も行き来したことがあり、米国の最新鋭の
Intel社の PMOS transistor のプロセス製造ラインを萩原は見ていました。

しかし、1971年SONYの厚木工場を訪問して、萩原はびっくりしました。

日本にも最新鋭の半導体工場があると、それも当時米国TI社と集積回路の
基本特許(キルビー特許も含む)の包括契約をしていて、米国TI社と半導体
プロセス製造技術で技術提携していた、とのことです。

SONYは見る目がある。トランジスタ特許使用権利を格安の当時の値段の
500ドルでベル研から獲得し、TI社からも格安で集積回路の特許使用件を
獲得しました。後に、日電・三菱・日立・東芝の日本の半導体勢力はDRAM
の生産で、TI社のキルビー特許により、膨大な特許使用料、それを合計する
と、累計、8000億円~1兆円が日本が米国に支払われたとのうわさもあります。


しかし、萩原は1971年SONYの厚木工場を訪問してびっくりしました。

まだ32歳だた宇野義道主任(後のソニー長崎工場長など歴任)に、「ここは
東洋一の半導体大規模生産工場だよ。」と説明を受けました。彼が萩原の
実習の指導官でした。


萩原はあつかましくも、1971年 ( カラーTV用 Bipolar IC CX-081~CX089
シリーズの工場からの出荷時の信頼性試験 が自習テーマ)と、1973年(
Vertical FET の新規開発半導体素子の信頼性試験とその測定用の回路
基板の設計作業)の2回も、ソニー厚木工場に、日本に夏休み帰国していた時、
夏休みの東京周辺の宿泊施設目的にソニー厚木工場の岡田寮を利用しつつ、
ソニー厚木工場で半導体信頼性技術の実習生として萩原は勤務しました。

SONY半導体OB会での清水さんの話を聞いた時、昔のソニー厚木工場内
のプロセスラインをはじめて見学して驚いたことを萩原は思い出していました。

そうだ、その通りだと萩原は思いました。


あの時、1971年の夏、SONYの活力を目撃した瞬間でした。

その感動を萩原は思い出したました。

そしてあのSONYの活力・原動力が、SONYの熊本テックに今継承されています。

SONYの半導体プロセス生産技術は世界の歴史を築いた主役です。

その主役の座は今でも世界の CMOS digital image とその周辺信号処理回路
の設計・開発・生産技術者によって一丸となってに守られ、維持されています。

その主役はSONY original sensor の試作とを担当した鈴木ともさんであり、
CCD のimage sensor の量産プロセスでがんばった上田さんであり、SRAMと
PS3のchip の量産プロセス立ち上げでがんばった清水さんであると萩原は
自負しています。みんな萩原のかわいい後輩です。


そんな思いで萩原は、一年ぶりにお会いできた、SONYの半導体OB会の先輩や
もと仕事仲間のみなさんと、ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間の中で、
お酒を交えて楽しく懇親を今年も深めることができました。



*************************************

       清水社長および慶児テック長ははじめ多くの方のご好意により、
       11月19日(月)にSONY熊本テックを訪問することができました。

     このたび、清水社長、山口副社長、ソニー熊本テック長の慶児テック長、 
    社長室の宮永秘書をはじめ、昔からの仕事仲間の藤埜原朝義さんたち他、
多くの方々から、温かいおもてなしを受けることができ、本当にありがとうございました。

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この11月19日(月)に熊本市にあるSONYのCMOS Image Senosrの
生産拠点である半導体熊本テックを一年半ぶりにお邪魔することに
なりました。前回は、2017年3月末の訪問で、今回は2回目となります。

SONYを2008年に60歳定年退職した後、2009年から8年間熊本市
にある、崇城大学情報学部の教授として8年間勤務していましたが、
その時、2016年4月の熊本地震を身近に体験しました。


その熊本地震で、SONYのCMOS Image Senosrの生産拠点である
SONYの半導体生産拠点であるSONY熊本テックもたいへんな打撃
を受けました。

前回は、熊本地震の1年後の訪問でした。私がSONY勤務の時の
仕事仲間で後輩だった上田社長のご厚意で、崇城大学を68歳での
定年退官に際して、SONY熊本テックにお招きを受け訪問できました。
なつかしい昔の仕事仲間にもたくさんお会いすることができました。


熊本地震で大打撃を受けましたが、社員のみなさんの努力と、また、
温かい関連会社の方々の、連日の徹夜や休日返上のサポートにより、
熊本テックはほぼ完全に復帰していました。

地震から1年足らずでしたが、テックは活気を戻しており、みなさん、
元気な明るい笑顔で歓迎してくれました。

その時、私も「イメージセンサー賢い電子の目」と題して特別講演を
若手技術者をはじめ、InterNet 配信を通じて、全国にある、SONYの
半導体拠点で、同時に多くの社員が、各自のデスクにあるパソコンで
私の講義を見てもらうことができました。

あれから一年半が過ぎました。今回崇城大学の文化祭に際していろ
いろなイベント記念行事があり熊本を久しぶりに訪問する機会を得ま
した。そこで、私がSONY勤務の時の仕事仲間で後輩だった清水さん、
SONY本社常務で現SONY Semiconductor Solution Corporation の
の代表をされている清水社長にお願いして、再度、SONY熊本テック
をこの11月19日(月)に訪問させていただく運びとなりました。

その時に再度、熊本テックの技術者をはじめ興味ある社員のみなさん
に対して、一般向け技術講座として、大学の授業と同じく、90分一コマ
の講義をする機会を頂きました。

今回の講義の題目も、「イメージセンサー賢い電子の目」としています。

その講義の Review Quesion List を下記に示します。

大学の学生にはこれを宿題として来週の授業の時にその解答を
レポート用紙にまとめてきなさいという調子で大学の教授として
教壇に立っていた時は、学生に宿題として課していました。今と
なっては、たいへんなつかしい楽しい思い出です。



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  特別半導体技術講座

2018年11月19日(月) 10:00 ~ 11:30

@ SONY Kumaoto Technology Center  

「イメージセンサー、賢い電子の目」 

  の最初の Introduction の部分の
   
   Slide (001~033) の解説文です。

     講師   萩原 良昭  

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Slide 001

本日は 清水社長、慶児熊本テック長をはじめ、
多くの方々のご配慮により、お忙しい中、半導体
技術講座「イメージセンサー、賢い電子の目」
を開催する運びとなり本当にありがとうごさいます。

Slide 002

本日の講義の内容の半分以上は半導体の基礎
知識にかかわる内容です。その詳細は萩原が
2016年3月に自主出版した技術解説書に詳細に
解説している内容です。もし、ご興味ある方は、
後ほど、各SONY半導体関連事業所の図書室
には、一冊ずつ寄贈してありますので、それを
ご参考にされるか、または、個人的にご購入いただき、
お時間をかけてごゆっくりお読みいただき、半導体
デバイスの基礎および、そのアプリケーション、つまり、
人工知能システムを支えるデジタル回路の世界に
ついて、ご理解を深めていただければ幸いです。

Slide 003

まず、本日の講座の概要・内容の紹介です。

Slide 004

最終的には、専門用語になりますが、
Pinned Photo Diode とはなにかを
ご説明いたします。そして、この講座の
結論、すなわち、萩原良昭の主張に
なりますが、その Pinned Photo Diode
の発明はもとSONYの萩原が1975年、
今から43年前、萩原が27歳の時の
発明であることを説明しています。

この件に関する細かい内容がここに
記載されていますが、後ほどその詳細
をご説明します。



Slide 005

あくまで人間の目に例えると光信号を
電気信号・信号電荷に変換するもの
で、網膜細胞というものに相当する、
光信号を感知し信号電荷に変換し
一次蓄積し、網膜細胞の役割を
担う電子の目、ロボットビジョンの
発明の話になります。

萩原は1975年に2件特許を出願しています。

一件は、日本国特許 (1975-127647) です。
P+NPNsub接合、すなわち、サイリスタ―型の
光感知半導体素子の発明です。これは縦型の 
Overflow drain 機能を有する素子構造です。

もう一件は、日本国特許 (1975-134985) です。
NPNN+接合、すなわち NPN bipolar transistor
型の構造をしたもので、かつ、裏面照射型の
光感知半導体素子構造に関する発明です。

これは、すべての種類の電荷転送装置(CTD)、
すなわち、BBD型、古典的なMOS型、CCD型、
そして近年話題を独占している、CMOS image
sensor 型の電荷転送装置(CTD)にも適用できる
としています。これが世界で、最初の残像なしで
超感度の裏面照射型CMOS image sensor の
基本特許とも考えることができる特許です。

あまりにもいろいろ専門用語が飛び交い、今の
ところ何の話がご理解いただけないと思いますが、

Slide 006

まず、この講座で、直観的に、以下の項目に関して
ご理解を少しでも深めていただければ幸いです。




●イメージセンサとは?

●イメージセンサの基本構造

●イメージセンサの動作原理

●イメージセンサの歴史

●イメージセンサの市場動向

●賢いイメージセンサとは?

まず、その中でイメージセンサの特徴として、

解像度(resolution),信号雑音比(S/N ratio)、
コマ送り回数(frame rate)、Dynamic Range、
Shutter 効果、それに、色再現度( color
reproduction )などの特徴があります。





Slide 007

次に、イメージセンサの市場動向にかかわることですが、
次の3つの基本的な興味ある質問についてご説明します。

質問(1) 

どうして CCD image sensor が、今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界では、スーパースターのように脚光を浴びる
存在だったのでしょうか?


Slide 008 質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?





Slide 009 質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?


Slide 010

そしてその内容をより深くご理解していただく為に、
次の10個の半導体物性基礎に関する質問の解説
に、時間が許す限り、その詳細解説に挑戦します。

(001) 金属とは?
(002) 光電効果とは?
(003)金属の Work Function とは?
(004) コンデンサーとは?
(005) 誘電率とは?

(006) 抵抗とは?
(007) 抵抗率とは?
(008) 半導体とは? Energy Gap とは?
(009) Donor 型不純物金属とは?
(010) Acceptor 型不純物金属とは?


Slide 011  Q002

その中で 2番目の質問、「光電効果とは?」は、
イメージセンサとは?イメージセンサとは何か?
イメージセンサの基本動作とは何かを理解する
上でたいへん重要な物理動作原理です。




金属の物理モデルは「器に入った水」です。

この場合の水の分子(粒子)が 電子というたとえになります。

金属という器の中で自由に電子(水の分子)は自由に移動できます。

だから金属は自由に電気を通すことになります。




逆に絶縁体( Insulator )は電気を通しません。

金属(器)の周りが絶縁体に相当します。

絶縁体にはガラスのように光を自由に通すものもあれば、

半導体素子を樹脂でまわりを固め、電気や光を通さないように
保護した絶縁体もあります。








合計で一般に物質は以下の4つに分類できます。





まるで血液型が以下の4つに大きく分類できることに似ていますね。





Slide 012

次の11から20までの質問は半導体素子基礎に
かかわる質問です。


(011) N 型半導体とは?
(012) P 型半導体とは?
(013) Donor 型と Acceptor 型不純物金属のペアとは?
(014) PN 接合とは? NP 接合とは?
(015) 空乏層とは?

(016) Bipolar Transistor とは?
(017) Bipolar Transistor の ON 抵抗とは?  
    SONY の川名喜之さん発明の 「中ぐり製法」 とは?
(018) Bipolar Transistor の入力抵抗とは?
(019) SONY の Transistor の開発史を知っていますか?
(020) Ge Transistor とは? Silicon Transistor とは?
米国 Texas Instrument 社のキルビー特許とは?


Slide 013   Q014

特に14番目の質問「PN 接合とは? NP 接合とは?」は
ダイオードの話で、太陽電池の動作原理からはじまり、
image sensor の光感知用ダイオード、すなわち、
Photo Diode の構造とその動作原理を理解する上で
重要な基礎知識となります。




















Slide 014   Q016

次の16番目の質問「Bipolar Transistor とは?」は
さらに、超高感度、低雑音で残像のない Photo
Diode の実現には不可欠な基本知識となります。

人間の頭脳に対応するコンピュータと呼ばれる電子
頭脳はトランジスター回路のかたまりです。しかし、
さらに人間の目の光を感知する網膜細胞に相当する
光感知半導体素子構造も実はこのBipolar Transistor
と同じ構造をしているということです。

人間の目はもともと脳細胞が外の世界を感知するために
進化したもので、目の網膜細胞も、脳細胞が脳から飛び
出したもので、脳細胞そのものです。

賢い電子の目も、結局はcomputerの基本電子部品である 
transistor 構造で、賢い電子の目も、transistor 構造である
ということです。非常に簡単なことですが、その事を萩原は
世界で初めて1975年に気が付き、それを2つの日本国特許
にまとめました。そんな簡単なことでも特許として重要だと
萩原は Image Sensor の開発技術者として感じ取りました。

萩原が1975年に発明したものは、実は現在、SONY original
HAD sensor と呼ばれ、世間一般では、Pinned Photo Diode
と呼ばれる、超高感度、低雑音で、残像のない Photo Diode
の基本構造でもあります。

これがあったお蔭で CCD image sensor は 超高感度、低雑音で、
残像のない、高性能ビデオカメラの地位を築くことができました。
そして現在では、萩原の発明があってこそ、CMOS image sensorが
実は現在、高性能ビデオカメラの地位を維持しています。







Slide 015   Q017


現在のCMOS image sensorがより超高感度の高性能ビデオカメラ
の地位を維持することができるのは裏面照射型にする技術が実現
したお蔭です。その技術には image sensor chip を薄くして、裏面
から光を照射することができるようにすることが重要です。

では世界で最初に silicon chip を薄くすることに挑戦した技術者は
誰でしょうか?それはSONYの川名喜之さんです。その目的はimage
sensor の感度向上ではなく、bipolar transistor の ON 抵抗の低減
を実現して、当時のSONYの単体Silicon Transistorの歩留まりを一段
と向上させることが目的でした。

  





Slide 016   Q019

そこで、質問です。

SONYの Bipolar Transistor の開発史を知っていますか?

このSONYの川名喜之さん発明の技術は世界をアッと言わせました。

当時米国では、単体Silicon Transistorは 米国 Texas Instrument
社が軍事用に特殊製造していたものでしたが、それよりも、SONYが
民生用小型トランジスターラジオ用に開発して、中ぐり製法のbipolar
silicon transistor の方が性能が良かったのです。TIの技術者は
SONYの技術者の生産技術に感銘を受け、その後、長くSONYとTIの
技術者の交流は深まりました。


Slide 017   Q020

ここでまた質問です。 

Ge transistor と Si transistor の違いを知っていまか?

実は Ge 結晶の エネルギー GAP は 0.65 eV で、
Si 結晶のエネルギー GAPは 1.1 e V です。

Si結晶で製造される PN 接合や PNP接合型トランジスターの
リーク電流は Ge結晶での製造よりはるかに小さいものでした。

それを世界で最初に提唱したのは、当時 PNPN 接合型の
サイリスタ―の低リーク switching 素子の研究をしていた、
Prof. John Moll でした。彼の論文はSONYの岩間さんは
たいへん重要視し、将来はシリコントランジスタ―であると
判断し、SONYでシリコン結晶から自社開発して未来の素子
シリコントランジスタの開発・生産技術の確立に注目しました。

SONYのシリコントランジスタは世界一の性能でした。

その要因を創ったのは、岩間さんが自らシリコン結晶を日本国産で
量産技術をSONYで構築するとの決断と、この川名さんの中ぐり製法
で世界一の silicon bipolar transistor をSONYが世界市場に提供
できたことが大きな要因となります。

日米半導体摩擦を起こした、日本のDRAM産業で、日本からTI社は
基本集積回路の特許、キルビー特許で多額の特許収入がありました。

しかし、SONYはTIとのそれ以前から大昔からの技術提携があり、特許
総括契約をいち早くTIと結んでおり、SONYはキルビー特許から苦しむ
ことはありませんでした。


Slide 018

次の21から30までの質問は半導体回路基礎
にかかわる質問です。


(021) Emitter Follower 回路とは?
(022) Bipolar Transistor の線形増幅回路とは?
(023) Planor Transistor とは?
(024) MESA Transistor とは? 
    
    SONY の加藤俊夫さん発明の
    Advance Passivation MESA 製法とは?

(025) MOS Transistor とは

(026) Pass Transistor とは?
(027) MOS Transistor の入力容量とは?
(028) 自己整合型 Source/Drain MOS プロセスとは?
(029) Source Follower 回路とは?
(030) Inverter 回路とは?


Slide 019   Q024

(024) MESA Transistor とは? 
    
    SONY の加藤俊夫さん発明の
    Advance Passivation MESA 製法とは?


Bipolar transistor は 1947年の暮れに、ベル研において、
まず接合(接触型)構造transistor として発明され、その後、
MESA構造のtransistorとしてベル研で考案され、米国の
Fairchild社で生産商品化されました。その後、シリコン結晶
を酸化膜で保護する製法が考案され、同じく、Fairchild社で
Planar 型のbipolar transitor が考案され量産性と信頼性
が一段と向上しました。しかし、Fairchild社はその特許使用
量を売り上げの6%と高く要求し、日本企業は手の出るもの
ではありませんでした。その中で、SONYの加藤俊夫さんは
従来のMESA構造のtransistorの BaseとCollectorの側壁
面を保護する、Advanced Passivation MESA構造を発明し、
SONYはしばらくFairchild社のPlanar 型のbipolar transistor
さけて事業を継続することができました。使わなくてもOKだよ
という強い態度が最終的に特許使用料を引き下げる効果に
つながり、加藤俊夫さんの発明はSONYのトランジスタラジオ
と小型テレビの生産事業化にたいへん貢献しました。





Slide 020  Q028


自己整合型の Source/Drain MOS Processとは?

その後、Farchild 社を飛び出した Gordon Moore氏は、
自己整合型の Source/Drain MOS Process を開発し
ました。Fairchild 社が Bipolar Tr 型の SRAMを
商品化していましたが、 Intel 社は 3 Tr 型のcell 構造
で、DRAM chip を MOSプロセス技術で開発生産する
ことにより、急速に事業が成功し、Intel 社は成長しました。




Slide 021   Q029

Source Follower回路とは?

この初期の Intel 社の 3 Tr 型のcell 構造でした。実は、
今のCMOS image sensor の 3 Tr 型の Active 回路と
全くの同一回路です。DRAM回路の歴史は、 MOS image
sensor の歴史に連動しています。今の Image sensor の
開発者の中にはそのことを全く忘れている技術者もいます。

まず、3 Tr 型 DRAM Cell の構造と動作原理を説明します。


(1)小さな記憶用拡散容量に、外部回路から、小さな信号
電荷量を 1つ目の MOS transistor である、Input MOS
transistor( Pass transistor ) を通して書き込みます。

(2)その記憶容量の電圧を、読み出す場合は、2つの目の
MOS Trasnsitorで構成される Source follower用の出力
MOSの 電極 gate に直結し、水道の蛇口の役割をさせ、
記憶容量の小さな容量電圧の値を大きな出力電流に
増幅変換します。

(3)次に、3つ目の Selector 用 MOS Pass transistorで
垂直出力 bit line に接続しています。各、出力 bit line
1本ごとには Source follower MOS transistor が
1個ついています。3つ目の Selector 用 MOS Pass 
transistor がONになっているDRAM Cell の情報に従って
垂直出力 bit lineの出力電圧値が、増幅された形で
決定され、それが外部回路に出力します。

(4)さらに同時に、その出力値を再度その選択されたDRAM 
Cell に書き込むこと ( data refresh action ) も容易に実行
でき、たいへん、容易に開発生産できるものでした。

実際には この 3 Tr 型の DRAM cell が 1969年に発明される
前に、one transisotr 型のDRAM cell が 1966に発明されていま
いましたが、記憶容量が小さくその信号電荷を簡単に増幅できる
Sense Amp 回路の工夫(発明)がまだ出現しておらず、どの企業も
one transisotr 型のDRAM cell の生産商品化に挑戦することは
ありませんでした。後に、SRAM構造の Latch-up 型 Sense AMP
回路が発明考案され、米国のTexas Instrument社と日本のNEC社
がone transisotr 型のDRAM cell の生産商品化に成功し、Intel は
次第に DRAM 事業から撤退し、micoroprocessor 一本で会社を
大きく成長させることになりました。

まさにこのDRAMの開発史は MOS image sensor の開発史と連動します。

この 3 transistor 型電流増幅回路は、そのまま現在の、
CMOS image sensor の 3 transistor 構成の電流増幅
型 active 回路と全く同一のものであります。歴史がここ
で繰り返していることになります。






Slide 022

次の31から40までの質問は半導体デジタル回路基礎
にかかわる質問です。

(031) NAND 回路とは? AND 回路とは?
(032) NOR 回路とは? OR 回路とは?
(033) 比較回路とは?
高速並列処理 128 bit Data Stream 比較回路とは?
(034) Shift Register 回路とは?
(035) Memory 回路とは?
(036) SRAM 回路とは?
     どこの会社が世界で最初に SRAM chip の
商品化に成功したのか?
(037) DRAM 回路とは?
    どこの会社が世界で最初に DRAM chip の
商品化に成功したのか?
(038) DRAM 回路の開発歴史を知っていますか?
(039) MOS Image Sensor の開発歴史を知っていますか?
(040) MOS Image Sensor の問題点は何だったのでしょうか?


Slide 023  Q033

比較回路とは?

高速並列処理 128 bit data stream 比較回路とは?

賢いイメージセンサーとは、外の世界を認識し、
自分で判断し、人間に役に立つ人工知能を
装備したデジタル回路と連携したイメージ
センサーシステムのことです。その中で、特に
画像認識や音声認識、また電話帳などの高速
並列検索エンジンは重要な存在です。その
並列高速処理をサポートする基本的なデジタル
回路は簡単な 1 bit の比較回路であり、それを
複数個、この場合 128 bit の data stream
として比較判断する高速並列処理比較回路です。
これをまた10個、10000個と連結することにより、
同時に 1K bit や 1 M bit の digital data
並列高速処理比較回路が完成します。





Slide 024

Intel社はもともと1966年米国 CalTechの卒業生の
Gordon Moore氏が創設した会社ですが、1972年
Intelが Intel1101 のDRAM chipを開発していた
時期、CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室と 
Intel社の間で、世界で初めての産学共同Project
が実行されました。それが、この128 bit の data
stream として比較判断する高速並列処理比較用
のPMOSプロセスの集積回路の設計開発プロジェクト
でした。






Slide 025   Q037  DRAM回路とは?

どこの会社が世界で最初に DRAM chip の商品化
に成功したのか?


もう明らかですが、Intel が世界で最初に DRAMを
商品化した会社です。

Intel が世界で最初に DRAMを商品化した当時、
萩原は CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室の
PhD学生でした。

まさにこの、128 bit の data stream として比較判断
する高速並列処理比較用のPMOSプロセスの集積回路
の設計を担当した学生でした。

萩原設計の 128 bit data comparotor chip が、Intelの
1101 DRAM と同じ、Intel のプロセス line で製造され
ました。萩原が所属する研究チームはCalTechにその
chip に持ち帰り、CalTechの Prof.C.A.Mead の研究室
の大学院の学生仲間で一緒に評価し、一発感動を皆で
喜んだ、楽しい思い出が萩原にあります。萩原がSONYに
入社する前の話でした。萩原はその頃から人工知能を
支えるデジタル回路システムの研究に関心があり、その
ひとつの研究課題が「賢い電子の目」の開発研究でした。


Slide 026  Q039

MOS Image Sensor の開発歴史を知っていますか?


MOS image sensor の開発史は DRAM の開発史に
連動します。その理由はMOS image sensor の信号電荷
の読み出し回路もDRAMの信号電荷の読み出し回路も
歴史的に昔も今も基本的に全く同じものであることです。










Slide 027

次の41から50までの質問は半導体固体撮像素子基礎
にかかわる質問です。


041) どうして CCD Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?
(042) SONY の CCD Image Sensor の開発史を知っていますか?
(043) CCD Image Sensorを支えた重要な技術は何だったのでしょうか?
(044) SONYの CCD Image Sensor搭載デジカメの開発史を知っていますか?
(045) どうして CCD Image Sensor が 急に市場から消えたのでしょうか?

(046) どうして CMOS Image Sensor が Super Star になったのでしょうか?
(047) CMOS Image Sensor を支えている重要な技術は何なのでしょうか?
(048) SONY original HAD sensor とは? Pinned Photo Diode とは?
(049) 今の SONY の半導体技術の強みはどこから生まれたのですか?
(050) 半導体は文明にエンジンであり、SONY の力の根源でもあります。
    今その未来はどこへ?



Slide 028 Q041 その中で、まず質問41 は重要です。

(041) どうして CCD Image Sensor が Super Star になったので
しょうか? この後この件に関しては詳細に説明します。











Slide 029 Q044 質問44も重要です。


(044)  SONYのCCD Image Sensor搭載のデジカメの開発史を
  知っていますか? この後この件に関しても詳細に説明します。


ひとことで言うと SONYの Image Sensorの開発はその開発部隊の発足から越智さんがずっと
責任者として頑張ってきたことになっていますが、最初にSONYでCCDを試作したのは佐藤収一さん
がTOPで狩野さんと三船さんたちでした。萩原が1975年2月に途中入社の形でSONYに入社した
時は、SONY厚木工場から新しく川名さんをTOPにしたCCDのプロセス開発部がSONY横浜中央
研究所にでき、佐藤収一さんは退社し米国企業に転職し、三船さんはソニー厚木工場の方に移動
することになり、当時まだ若い現役の狩野さんだけが川名さんの部隊に入り、部下に阿部さんと
松本さんをかかえ三人でSONYのCCDのプロセスを開発することになりました。



実際に One Chip CCD を目標に、その試作開発を担当したのは、萩原と阿部さんと岡田さんのたったの 3人
でした。それも副業で担当していました。当時、CCDの開発部隊のメンバーは全員、萩原・阿部さん・岡田さんも
含めて、本命である One Chip Interline Transfer 方式の CCD Image Sensor の開発に全員が全力投球
していました。萩原はすべてのSONYのCCD Imager の設計とそのCAD Tool Soft (DSPLAY) を担当しました。

この One Chip CCD の試作開発を担当したのは、設計担当が萩原、プロセスが阿部さん、評価が岡田さん
の 3 名だけでした。そして、純粋の技術者として東京で開催の国際会議、固体素子コンファレンスで技術発表
する許可がおりました。

Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada, "A 380Hx488V CCD Imager with Narrow Channel
transfer Gates" Proceedings of the 10th Conference on Solid State Devices, Tokyo, 1978;
Japanese Journal of Applied Physics, Volume 18 (1979) Supplement 18-1, pp.335-34


SONYが試作した最初の One Chip CCD Image Sensor は、電荷転送方式が Frame Transfer 方式の
CCD Image Sensor でした。光感知部(受光部)は、萩原が 1975年に発明した、 Pinned Photo Diode
が採用された、Frame Transfer 方式の CCD Image Sensor でした。当然、この Pinned Photo Diode
は、完全空乏化電荷転送 mode で動作し、残像が全くなく、かつ低雑音で、受光部が酸化膜(ガラス質)で
おおわれていて光が完全に透過し、たいへん感度のよい受光構造となっています。それでSONYは超高感度
な CCD Image Sensor として新聞発表しました。しかし、マスコミは、 CCD が 超感度で低雑音であると
誤解しました。元来、CCDは MOS 構造なので、受光部には採用できません。その単純なこともマスコミには
あまり半導体物理と半導体デバイスの動作原理に詳しい専門家はおらず、なかなかSONYもその詳細を説明
する時間と余裕がありませんでした。それで、SONYの CCD Image Sensor は超感度で低雑音で残像がない
ということのみがひとり歩きしました。萩原発明の Pinned Photo Diode にはまったく感心を持たれることは
ありませんでした。


その結果、萩原の影が薄れ、当時の開発部隊の組織の長である森尾さんと越智さんが組織の代表として、
ライン賞などを受賞することになりました。萩原をはじめ実際に開発したチームメンバーはその時たいへん
くやしい思いでした。 実際に仕事をした技術者は国内学会でその成果を発表する許可がおりました。


平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.


発明者であり、CCDの設計者でもあり、かつ、プロセス条件の洗い出しから、カメラ評価冶具から、CCDを駆動
する clock 信号発生用のデジタル回路の設計からすべて萩原ひとりが中心となり、本命の IT 方式の
Image Sensor の開発の忙しい中、みなさんに自主的に友人として手伝ってもらい、萩原は感謝・感謝でした。


しかし、越智さんは、萩原が懸命に頑張っていて、萩原がまわりの人間を引き込み様子を見て、本命の邪魔
をされるのを心配したのか、萩原に対しては、「あまり邪魔をするなよ。」と冷たい態度でした。Image Sensor
開発のTOP責任者としての当然の態度だったのでしょう。


越智さんは組織のTOPとしてたいへんなプレシャーを感じておられ胃が痛くなり健康を害するほどでした。

CCDがなかなかうまくできず、カメラ事業部(森尾部隊)からは、「社内で出来ないなら、いつでも日立さんや
日電さんの image sensor でカメラを開発する準備はある。」との冷たい態度でした。セットも生き残りが
かかっており、無理のない話でした。

そんな中、アメリカから帰国した萩原は、

(1)越智さんが推進していた市松型のCCDの開発にけちをつけました。絵素数が半分になるとはゆえ、
斜め方向のエイリアシングがめちゃめちゃで子供だましであると、越智さんの方針に反対し食いつきました。

(2)また、SONYのCCD開発部隊全体の開発方針として決定していた、透明電極を光感知素子(受光部)
として採用した横型OFD構造の Interline 方式にも、萩原は1人、「こんな透明電極など異物材料は量産に
向かない、横型OFDは場所をとり、受光面積が減るのでだめだ。」と、冷たくケチをつける生意気な米国帰り
の若い技術者した。その裏には自分が発明した光感知素子構造の方が良いという信念があったからです。

萩原は懸命に、自分が 2月に入社してすぐに考案した、P+NPNsub 接合(サイリスタ)型の光感知素子の
受光部を宣伝しました。その構造は、P+NPNsub 接合(サイリスタ)型で、すなわち、 Bipolar プロセス
技術を必要とするもので、MOSプロセスの経験しかない技術者には、受け入れられる提案ではありません
でした。当時のCCD開発部隊の先輩技術者に、萩原はひとりで説得・説明しにまわりました。

そして、萩原の熱意に同情してくれた先輩もいました。また萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場の 
Bipolar プロセスラインで実習していた経験があることを知って力になると言ってくれた先輩もいました。

萩原が自らCCDのプロセスラインに入り萩原自身で CCD wafer を試作するという条件で、萩原考案の 
Pinned Photo Diodeの試作を手がけるという条件で許可がおりました。これも、当時のプロセス担当の
狩野さん、阿部さん、松本さんがたいへん萩原に対して友好的であったことで実現しました。


当時、完全に傷のない CCD chip は なかなかできませんでした。

CCDの完成品を今か今かと待つCCDカメラ試作開発部隊のTOPだった越智さんは、「いつになったら
できるのですか? 」と プロセス担当者に圧力をかけていました。それはいやみに聞こえて当然でした。


月に一度中央研究所で開催の岩間社長を囲んでの進捗報告会でも、「CCDができないのは我々の責任
ではありません。プロセス担当の川名さんや狩野さんたちです。。」との冷たい報告を越智さんは岩間社長
や本社のカメラ開発部隊(森尾さんがTOP)に、言い訳がましく、していました。そういう責任投げして、文句
を言っている越智さんに対して、CCDのプロセス開発担当者は、あまりいい感情を持っていませんでした。

「ひげちゃん(萩原のあだ名)なら、厚木の Bipolar プロセスの経験もあり、プロセス担当者の、いかに
歩留まりをあげるか、その苦労がわかるようね。」と萩原に愚痴をこぼすプロセス担当者もいました。


透明電極で横型OFD型のCCDプロセスははたいへんだ、そうも感じていた萩原です。いかに単純で
歩留まり(白点やダーク電流の低減)が期待できる、素性のいいCCDプロセスが切望されていました。

萩原はその解が、萩原が考案した、透明電極を使用しない、酸化膜で保護され、光が自由に透過できる、
光感知素子、すなわち、 P+NPNsub 接合型の受光部だと確信していました。

トランジスタ―の量産技術確立努力の苦労の時代には、川名さんは、現役時代、いかにその歩留まり
向上を実現するかの苦悩の中で、トランジスタ―のON抵抗を下げるために、「中ぐり製法」を考案しました。
そういう創意工夫があってこそ、トランジスタ―の歩留まりが向上し、SONYの量産技術が確立したという
歴史がありました。この事実はあまりSONYの中でも、世界の半導体の歴史でも知られていません。


CCDの量産技術の立ち上げの時も、いろいろなプロセス担当者の創意工夫があってこそ、最終的に
CCDの量産技術が立ち上がりました。たくさんの無名の量産技術立ち上げ担当者の努力があってこそ
実現したものです。しかし、その努力のなかでも、川名さんの「中ぐり製法」の様な、もうひと工夫がないと
本当の意味の、CCDの量産技術の立ち上げは成功しません。素性のよいプロセスフローの工夫が必要
です。それは透明電極の様な異物を使うのではなく、SONYがほこる Bipolar プロセス技術を継承した,
萩原考案の、P+NPNsub 接合(サイリスタ―)型の受光部だと、萩原はSONYでひとり確信していました。


しかし、まわりには理解してもらえる人はだれもいませんでした。やっと試作の許可ができ、一部の
先輩たちは萩原の熱意に打たれ、たいへん友好的で協力的で萩原にいろいろ教えてくれました。


しかし、管理職の方々はスケジュール管理もたいへん重要であせりが出ていた時代でした。なかなか
できないと、やじを飛ばすのも無理ない状態でした。

しかし、越智さんは、萩原が懸命に頑張っていて、萩原がまわりの人間を引き込み様子を見て、本命の邪魔
をされるのを心配したのか、萩原に対しては、「あまり邪魔をするなよ。」と冷たい態度でした。Image Sensor
開発のTOP責任者としての当然の態度だったのでしょう。


しかし、仕事がうまく行った時は、管理職の方々にその成果は奪われたことになります。失敗していたら、当然
それも管理職の方々の責任になるわけですので、これは当然の道理でしたが、萩原はなにかしっくり行かず、
もの足りない思いで、トンビに油揚げを盗られた思いでした。今ではあまり許される話ではありませんが、当時
の日本の企業の風潮としては、それが当然の様にまかり通っていて、国際社会からは冷たい目で見られて
いました(大涙)。越智さんには「社外の image を使うぞ。」と言っていた森尾さんと、CCDのプロセス部隊には
「ものができないのはCCDのプロセス部隊の責任です。」と岩間社長の前で責任逃れした越智さんのふたりが
萩原考案のPinned Photo Diode 搭載の One Chip CCD Image Sensorが完成した時には、SONYの開発
部隊の総合責任者ということで、SONYを代表して、森尾さんと越智さんが名誉あるライン賞を受賞することに
なりました。実に、トンビに油揚げを盗られた思いで萩原もCCDプロセス担当者も寂しい思いでした。

しかし、見る人は見てくれていたようで、萩原は、翌年、1979年英国Scoltland の Edinbourgh で開催の、
CCD79 の国際会議に招待され、SONY の CCD Image Sensor の 開発第一人者として講演する機会を
いただきました。 

         International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK 

学会で、380Hx488V 画素の発表準備をしていたころには、すでに 570H x 498 V の One Chip FT 方式の 
CCD Image Sensor の開発が社内では完了していましたが、こちらは一体化ビデオカメラに合わせて SONY
は全社をあげて Press Conference で発表することになりました。実際にSONYの盛田会長が New York
で、そしてSONYの岩間社長が東京で同時にPress Conference を開催し、超高感度低雑音で残像なしの、
SONY 独自の発明の Pinned Photo Diode 搭載の 570H x 498 V の One Chip FT 方式の CCD Image
Sensor を発表しました。しかし、マスコミは、「超高感度低雑音で残像なしの、高性能CCD Image Sensor」
として記憶することになり、本当の Super Star のはずの、「超高感度低雑音で残像なしの、SONY 独自の
発明の Pinned Photo Diode」に関しては誰も関心をもつことはありませんでした(大涙)。





光感知素子(受光部)としては CCDは不合格であることをあまり世間では知られていませんでした。
今になりCCDが完全に消え、CMOS Image Sensorになり、世間は、CCDは結局何だったのかと、
半導体物理や半導体デバイスの動作原理を理解していない方々にはその原因が全く理解できなくても
仕方がありません。この急な変化を物理現象として理解するのはそう簡単なものではありません。

じっくりと半導体物理と半導体デバイスの動作原理、ダイオードや太陽電池やトランジスターの動作
原理から、基礎から理解し、CCDの動作原理、そして、 three transistor 回路の source follower
型 active pixel ( picture cell element ) CMOS image sensor の動作原理などの専門知識が
いろいろ必要になります。しっかりと興味ある方は、このWEBサイトに掲載されている資料をじっくり
時間をかけて学習していただければ、幸いです。






世界発の残像のない Interline Transfer 方式の CCD Image Sensor の商品化にSONYは成功。

1980年SONYは世界で最初の残像のない Interline 方式の CCD Image Sensor を開発しました。

光感知部に透明電極を採用し、横型の Overflow Drain 構造でした。これは萩原が設計したものです。
CCDの設計はほとんどが繰り返しパターンの絵素配列がほとんどの Chip 面積を占有します。1人で
CCD image sensor は簡単に 1 週間ぐらいで設計できる data 量でした。その頃は充分な市販の
CADもなく、萩原は独自に中研時代に CCD image sensor の CAD soft ( DSPLAY ) を開発しました。

この残像のない Interline 方式の CCD Image Sensor の商品化の成功により、CCD Image Sensor
の量産技術、測定評価技術、信頼性評価技術、品質保証技術などが確立していきました。そして、
最終的に、1975年に萩原が発明した、Pinned Photo Diode を光感知部(受光部)に採用することに
より、超感度・残像なし・低雑音の Pinned Photo Diode 搭載の CCD Image Sensor が、萩原の技術を
継承した、次の世代の後輩の、浜崎さん・賀川さん・石川さんたちの努力により完成しました。そして、
SONY は SONY original HAD sensor ( HAD = Hole Accumulation Diode )の商標を登録し、その
後、世界の Image Sensor の市場を制覇することになりました。 

萩原作製の CAD は萩原の後輩の竹下さんや松井さんに継承され、初期のソニー厚木工場での CCD 
image sensor の商品開発にも使用されていました。CCD image sensor の出力部の面積は全体の
chip 面積と比較して、ほとんどありません。その出力部の増幅回路は単純な source follower 回路
でした。最終的には、現在の Active Pixel CMOS Image Sensor では、この単純な source follower
回路が各絵素( Picture Cell Element = Pixel ) に組み込まれほど、CMOSのプロセスの微細化が
実現し、現在に至ります。SONY の CCD の商品化の源点はこの萩原の設計した残像なしの Interline
方式の CCD Image Sensor にあります。これでレールはひかれました。後は躍進するのみでした。

当時のSONYのCCD開発部隊はほんの数人での小さな部隊でした。

CCDの設計を担当したのはまだ20代の萩原と粂沢さんの2人だけでした。
CCDの測定評価担当は安藤さんと岡田さんの2人だけでした。
プロセス担当は狩野さん、松本さん、島田さんの3人だけでした。

この 「7人の侍」 からSONYの image sensor の種は蒔かれました。


C. Okada, T. Shimada, H. Matsumoto, T. Ando, Y. Kanoh, T. Kumesawa, Y, Daimon-Hagiwara,

"An Interline Transfer CCD Imager with High Density Structure", (in Japanese) in Tech. Papers,

Institute of Electronics and Communication Engineers of Japan, no.SSD78-5, pp.31-40, April 1978


















Slide 030 Q045 質問45も重要です。

(045) どうして CCD Image Sensor が 急に市場から消えたの
でしょうか?この後この件も関しては詳細に説明します。


Slide 031 Q046 質問46も重要です。

(046) どうして CMOS Image Sensor が Super Star になったので
しょうか?この後この件も関しては詳細に説明します。


Slide 032 Q048 質問48も重要です。

(048) SONY original HAD sensor とは? Pinned Photo Diode とは?
この後この件も関しては詳細に説明します。








Slide 033 Q050 そして、最後になりますが、

(050) 半導体は文明のエンジンであり、SONY の力の根源でもあります。

今その未来はどこへ?

これは未来予測です。未来は今現在の私たちが築くものです。
今、現在生きている我々の責任です。たいへん難しい問題ですね。


















萩原はCalTechに在学中、1972年から1975年にかけて PhDの研究テーマとして 埋め込みチャンネル型の
CCD の動作解析を課題にしました。その中で、CalTechにある当時としては最新鋭の IBM360の汎用の
科学計算用にコンピュータを使って、X軸、Y軸と時間軸T軸の三次元空間で、X軸とY軸のポアソンの方程式
とX軸とT軸の連続方程式を総合結合されて連立方程式を数値解析する Fortran Programを作製し、計算
解析し、その解析結果を、 Caltech の ジェット推進研究所(JPL)にある、動画作製用の特殊 Computer
Graphic 作製装置を使い、5分程度の 36ミリ Film の動画のしてまもめました。萩原の母校のcaltechは
Los Angeles の郊外の Pasadena市にありますが、そのお隣りに Holywoodがあります。そこで 36ミリの
Film を Holywoodにある映画会社で 16 ミリ film にして学会でも放映できるようにしました。1974年の2月
に Philadelpha で開催された、世界最大の固体素子集積回路の国際会議のISSCC1974 で発表しています。


このX軸、Y軸と時間軸T軸の三次元空間での数値計算法は、SONYで萩原がCCD部隊に配属されてからも
その解析技術は後輩の浜崎さんたちのグループに継承されることになり、SONY original HAD sensor の
開発を支える解析技術の基礎となりました。SONYでは商標登録し、SONY original HAD sensorと呼んで
いますが、世間一般には、 Pinned Photo Diode と呼ばれるもので、その構造解析に萩原がPhD学生時代
に作製して、萩原開発の解析プログラム技術を継承する事により、後輩の浜崎さんのチームは活躍しました。




萩原は CatTech 在学中、恩師の Prof. C. A. Mead から MOS デジタル回路の設計技術を学びました。

その技術は、CalTechの卒業生の Dr.Goodon Mooreが創設した Fairchild社と Intel社の誇る設計技術
と共通する CalTechの遺伝子を継承したものです。

萩原が人工知能(AI)に興味を持ったのは当時まだ24歳だった1972年のことでした。この128ビットのデジタル
dataの高速比較判定機能を持つMOS集積回路の設計は萩原の人生を大きく左右する結果となりました。

人工知能から賢い電子の目の開発から、人工知能を支えるデジタル回路の世界へと、萩原の夢は膨らんで
いきました。そして現在に至ります。萩原も70歳になりました。あれから46年が過ぎました。しかし今でも
萩原は人工知能パートナーシステム(AIPS)を支えるデジタル回路の世界の中で夢を膨らませています。 




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