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 Image Sensor の基本構造
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Image Sensor の基本構造

Image Sensor の基本構造は大きく分けて2つの部分で構成されます。
その一つが人間の目の網膜細胞に当たる「電子の目」の構造です。
光信号を電気信号に変換するのが人間の目であり、「電子の目」です。
その発明者が、もとSONYの萩原良昭の発明です。SONYに1975年
の2月20日に入社してすぐの、萩原26歳の時の発明でした。
もう一つが電荷転送装置と言われる、昔脚光を浴びていたCCD型の
電荷転送装置や現在広く活躍している、CMOS型の電荷転送装置です。
電気信号を脳に伝達する「電気信号の運び屋さん」です。この2つの
部品が共同で動作して、Image Sensor が機能しています。


つい最近のSONYの CMOS Image Sensor の News Release を見てください。

http://www.optronics-media.com/news/20190319/56173/


固体撮像装置 ( Solid State Image Sensing Device )
は大きくわけて、次の2つの部分で構成されます。

(1)人間の目の網膜細胞に相当する半導体受光素子

(2)電荷転送装置( Charge Transfer Device )




CCDが発明される以前は、MOS型 Image Sensor が
主流でした。日立の技術者の久保さんたちのチームが
世界で最初の MOS Image Sensor を開発しました。

1979年には、縦型 overflow drain を組み込んだ、
大変完成度の高い、MOS Image Sensor の原理
試作に成功し、日立は、学会発表しています。

小池紀雄、竹本一八男、佐藤和弘、笹野晃、長原脩策、久保正治
「単板カラーカメラ用 npn MOS 撮像素子の特性」 
テレビ誌、 33.7, pp.548-553 (1979)


MOS Image Sensor は、従来の DRAM の 比較的
簡単な MOSプロセスで、製造が可能でした。

Honeywell 社の Bill Rigiz が発明した 3TR 型の
電流増幅回路を採用した PMOS プロセスの DRAM 
chip を自社の主力製品として開発して、Intel 社は、
大きく成長した歴史があります。

1967年に、萩原は米国カリフォニア工科大学に入学
して、間もなく、恩師の Prof. James McCaldinから、
萩原は、後に、Intel社の社長を務めた、Dr. Andy Grove
著者の「Physics of Semiconductor Devices ] を
教科書にして、はじめて、半導体デバイスの構造と
その動作原理を学んだ時期でした。

Intel社は、萩原の大学の卒業生で先輩にあたる、
Dr, Gordon Moore が創設した会社で、当時小さな
ベンチャー会社が、IBMの大型顧客を手にして、
この DRAM メモリーチップで事業拡大したいた時
の様子をまじかに目撃していました。





この Intel 社が商品化した、3TR 型のDRAMの回路と、
ほぼ同じ回路を 現在の CMOS Image Sensor は
採用しています。

CMOS プロセスの微細加工技術が進歩し、光感度を
犠牲にすることなく、MOSトランジスタのサイズが
充分に縮小され、各絵素(pixel) に、この 3 TR 型の
電流増幅回路が組み込める時代になったからです。

Image Sensorの開発歴史においては、光感度の
確保は重要です。光感度は犠牲にできず、充分な
受光面積を確保するために、初期の MOS Image
Sensorでは、この3TR型の電流増幅回路を、各絵素
に組み込むことは不可能でした。

日立が初期の時代に開発した MOS Image Sensor は 
1T1C 型のDRAM Cell と同じ回路構成でした。

逆に、Intel 社は、集積度は落ちますが、回路動作が
単純で安定した、この3 TR 型のDRAMの回路を、
まず商品化しました。

また、その後、 回路設計技術も進歩し、DRAMからの
微小信号をラッチ回路で、1 または 0 の値に、瞬間
増幅判定する sense amp 回路の開発に成功して、
1T1C型 DRAMの実用化が可能となりました。

DRAMの世界では、後から、 One Transistor型の 
DRAMが主流になりましたが、Image Sensorの世界では、
最初から、One Transistor 型の受光部が主流でした。
受光部から電荷転送部への橋渡しをする仕事をする、

この One Transistor 回路を電荷転送電極( CTG) と呼びます。

各絵素に不可欠な、電荷を転送する為のゲート
( Charge Transfer Gate ) の機能を持ちます。

電荷転送電極( CTG) というものです。

この One transitor 型トランジスタ型の DRAM Cell の
発明は、国際社会では、IBMの R.H. Dennard の
1966年の発明とされます。

IBMの R.H. Dennard が国際社会で高い社会評価を
受けています。

しかし、実際には、その一年前 1965年に、日電が
世界初のDRAM(1T1C型)の発明を行っていました。

また、1979年には、日本発明協会からその発明者は
発明表彰を受けています。

その事実は交際社会ではあまり知られていません。

これは世界が認識している内容と矛盾する事が
起きている例の一つです。

その情報の不透明さは日本語という言の障壁に
よりなかなか日本国特許が海外の技術者には
アクセスができず、できても言語の障壁で理解
できず世界的な社会認識が間違ったまま置き
去りにされていることが大問題です。

このWEBサイトでこれからご説明する、
萩原の1975年の半導体受光素子の発明も
同様な矛盾を受けることになってしまいました。

SONYが、発明者の本人の萩原が、ともに
自発的なアクション努力をせず、長期間放置して
きたことによる矛盾です。

それも今回のSONYの相手は、日電の特許が
対象です。日電の出願特許とSONYの特許との
関係で、社会認識に矛盾が生じてしまっています。

今の社会認識は事実誤認もはなはだしい状態です。

日電は、DRAMの特許のPR不足という、苦い経験を
教訓に国際社会で積極的に自社の発明者を守り、
その特許とその開発研究をPRする様になりました。

一方、SONYは、あいかわらず、ビジネスに忙しく、
また、発明者の本人の萩原も、「特許は企業が所有
するものである」からと、あまり発明特許に愛着を
持たず、特許を詳細に正確にPRすることなく、会社
での、研究開発に、日常業務に専念してきたつけが
今まわってきた感じがします(大涙)。

外の世界をしっかり観察していなかった事が大問題でした。




(1)DRAM (1T/1C型)の発明

   1966年 NEC 榎本、一条

実用新案:昭44-20094
出願昭和41年(1966)4月27日
登録昭和44年(1969)8月28日
学会発表 昭41年11月電気4学会論文番号 922,929

1978年外岡富士夫氏解説論文「MOSメモリ」、半導体研究15巻:
西澤潤一編に、「1T/1C方式を、メモリに使うアイディアは、
1968年からあった。」と榎本氏の実用新案と Dennard の特許が
引用され、日本では公知だった。ただし、榎本のものは1966年
が正確である。その後、1979年には、日本発明協会から「世界
初の1T/1Cメモリ」として表彰されている。


(2)DRAM (1T/1C型)の発明

   1967年 IBM Dennard

Dennard本人の回想記事によれば、考案したのは1966年で出願が
1967年。考案月日が上記榎本より早い。その記録に承認のサイン
があれば先発明主義の米国ではこれが最初の発明と認められるが
その証拠は示されていない。また、榎本新案は米国出願していな
いが、日本では先願主義なので榎本のものが認められている。

これは米国および世界の常識認識と日本での常識認識との矛盾を
さらけ出した典型的な例となっている。

(3)初の DRAM 製品 (3T/1C 型)

1970年 Intel

DRAM最初の商品は Intel 社が出荷し当時の半導体製品単体出荷
額の世界記録をつくったことが有名である。Intel社はこの特許を
Honeywellから技術者ごと発明の翌日に受けとり、Intel 製品とし
て出荷できた。それ以前から、Siemens, TI, IBM が 1T1C 型を
精力的に開発、1T1C 型は TI 社が初出荷し、その後はすべてが
1T1C 型になっている。

(4)Mooreの法則( Original Story )

1965 Moore

Gordon Moore は雑誌社から10年後の集積回路の予想についての
意見を述べるように頼まれたのがきっかけだった。1959年以来
毎年2倍ずつ集積度が増していることに気づいた。今後も毎年
2倍が続き、1965年の30個が1975年には6万個になると予想。
Mooreは半導体がいかに安くなるかと言いたかった。結局1975
年は 2.8 万個となり、かなり正確だった。Mooreの母校の
同窓生で友人のCaltechの Prof. C. A. Mead が Mooreの法則
と名づけた。

その後1975年に延長予測したがその傾斜を2年で2倍に修正。
今後、年1兆個出荷時代でもこの線に近い発展を期待している。

萩原はその時期の Prof. C. A. Mead を PhDの論文の指導官に
持つ、Caltech在学中の PhD の学生だった。その頃、Caltechと
Intelの産学共同プロジェクトがあり萩原も参加しており、Intelの
当時のPMOS プロセスで128 bit の Multi-comparator LSI chip
を Prof. C.A. Mead の指導の下で設計し、Intel のプロセスライン
で製造し、Caltechにchipを持ち帰り評価していた。一発完動した
のには、Prof. C. A. Meadも一緒にプロジェクトに参加していた
大学院の学生たちもみんな大喜びだった。萩原にとってたいへん
楽しかった思い出のひとつとなりました。





(5)MOSFET Scaling 則の発表

   1972, 1974  Dennard et al

1970年 Dennardの勤務する IBM では SRAMの開発 に注力して
いた。一方の Intel 社では、DRAM の生産を始めようとして
いた。しかし、SRAMのコストは コアメモリの100倍もして
いて価格競争力が全くなかった。まだまだ半導体プロセスの
微細化が進んでいなかった時代の話である。そこで Dennard
は、これを100分の1にする方法としてMOSトランジスタの
微細化を考えた。トランジスタのすべての寸法を比較的に
縮小していけば、その結果、同じ電界の値でも、より高速に
動作する事に気づいた。1ミクロンの寸法で試作で実証した
のが1972年の発表だった。これをもとに本格的な詳細論文を
1974年に発表した。これが有名な MOS Scaling 則の論文で
世界中で非常によく引用され始めた。




いずれにせよ、NECも 多くの日本企業も、この 1T1C型の 
DRAMメモリーチップで、日本の半導体の黄金時代を迎える
ことができました。その裏にには、この1T1C型の DRAM
Cell の特許が深く関係していたのです。

特許は企業のビジネスの存亡に大きな影響がある事を
示して事例です。

この 1T1C型の MOS Image Sensorの開発は、既に、
日立の技術者チームにより、ほぼ完全な形にまで、原理
試作に成功していました。

しかし、Image Sensor として実用化するにはまだまだ
問題がたくさんありました。

その MOS Image Sensor に使用された半導体受光素子は、 
N+P 接合型の受光素子 ( Photodiode )でした。

N+P 接合型の受光素子 ( Photodiode )には残像があり、
また受光部が、光を透過するガラス質の酸化膜を介して、
シリコン界面に露出しており、界面の不規則な原子結合の
影響を受けやすく、いろいろな雑音がありました。

さらに、それには、MOS トランジスタ型の DRAM回路に
似た構成の、電荷転送装置(CTD)が採用されていました。

この単純回路構成では、信号線の容量が大きく、それに
起因する熱雑音、CkT 雑音が大きく、映像の劣化が大変
問題でした。


CCDが発明されてから、MOS Image Sensorは、主役の座を
CCD Image Sensor に奪われました。


そのきっかけを作ったのは、SONYが1980年7月1日に発表した、
萩原発明の受光素子 ( photodiode ) を採用した、
「単板カラーカメラ用 CCD Image Sensor 」の発表でした。




当初、CCDは 受光素子としても、電荷転送装置としても
活用され、2つの役割を果たしました。しかし、それでも
まだまだ問題がありました。

まず、受光素子としての CCD型の MOS Photodiodeは
金属性電極があり、光を反射してしまい、CCD型の受光素子
はたいへん感度が不満足でした。特に、短波長の青色の光
の感度が悪く、色再現がたいへん悪いでした。さらに、MOS
型の受光素子で、金属電極と酸化膜を介してシリコン界面に
強い電界が生じ暗電流し、かつ白点が多発し、シリコンチップ
の歩留まりを下げて大変問題でした。

それでCCD型の受光素子は採用されなくなりました。


CCDは単純に電荷転送装置(CTD)として信号電荷の
「運び屋」さんの役割に徹することになりました。

CCD型の受光素子に代わって台頭してきたので、
PNP接合型のバイポーラトランジスタ構造をした
受光素子(photodiode) でした。

それを発明したのが、もとSONYの萩原でした。

日本国特許  昭50ー127647(html)  と 昭50ー134985(html)です。 





以上が Image Sensor の基本構造のお話でした。

Image Sensor の基本構造
は大きく分けて2つの部分で構成されます。
その一つが人間の目の網膜細胞に当たる「電子の目」の構造です。
光信号を電気信号に変換するのが人間の目であり、「電子の目」です。
その発明者が、もとSONYの萩原良昭の発明です。SONYに1975年
の2月20日に入社してすぐの、萩原26歳の時の発明でした。
もう一つが電荷転送装置と言われる、昔脚光を浴びていたCCD型の
電荷転送装置や現在広く活躍している、CMOS型の電荷転送装置です。
電気信号を脳に伝達する「電気信号の運び屋さん」です。この2つの
部品が共同で動作して、Image Sensor が機能しています。





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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.
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