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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 041

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   私は日本から、ものづくり産業が消えるいると感じる、寂しく思っている人間です。


   かつて、日本は Japan as No.1 と言われ、ものづくり産業立国として君臨していました。


   今はその姿がありません。その中で、今でもSONYはものづくりの会社として、
 
   今でも日本の企業(国際企業)の代表です。その栄誉(会社のブランド名とその価値)は

   昔ほど誇れるものではありませんが、その中で日本のものづくり半導体産業を

   リードする、今一番元気がある半導体企業ではないでしょうか?

 
  その精神、その原動力はどこにあるのでしょうか?



日本の半導体産業は、SONYの小型家庭用 transistor radio の誕生から始まりました。



そして現在でも、SONYの CMOS digital image sensor が、日本の半導体産業を支えています。



かつて、日本は Japan as No.1 と言われ、世界から注目の的でした。



その主役だった日本の半導体メモリー産業の姿はもはや跡形もありません。


かつて、日本の半導体大手メーカであった、日電、三菱、日立や東芝が、

中心となり手がけた主力製品で、日本の代表的半導体製品の主役であった、

Dynamic Random Access Memory (DRAM) は、もはや、

日本の半導体産業を支えるものではなくなってしまいました。



フラッシュNANDの不揮発性半導体メモリー事業でさえ、その世界の

市場を制覇して来た東芝でさえも、原子力発電の事業の赤字を埋める為、

罪のない、フラッシュNANDの不揮発性半導体メモリーの生産を担当する

子会社の身売りを、余儀なく、親会社である東芝はしなければなりません。




その中で、日本の半導体産業の代表企業として、

現在、唯一現在SONYだけががんばっています。



SONYはどこが他の企業と違っていたのでしょうか?



日本の半導体の歴史、すなわち、その代表でもある、SONYのものづくり、

すなわち、SONYの半導体生産技術の歴史は、SONYが世界に先駆けて

創造した日本初の小型家庭用 transistor radio の誕生から始まりました。



その精神が、今のSONYのCMOS digital image sensorの生産技術の中に

中に継承され、 今のSONYのものづくり産業と製造産業技術を支えています。


しかし、SONYはいつも半導体部品を作るものづくり会社だけでは終わっていません。


SONYみずからが、いろいろな半導体部品を集めた複雑な構造体(セット製品)を創造し、

その製品の中に、自社生産の半導体部品を心臓部として採用してきました。


SONYは今も日本の半導体産業を支える唯一の日本発の企業(国際企業)として

唯一がんばっています。その原動力はどこにあるのでしょうか?


革命は一人の英雄と、その英雄の知恵と勇気に感銘した、無数の民衆の力で実現します。


産業革命も同様です。半導体産業も同様です。


日本の半導体産業の技術革命を起こした、SONYの半導体生産技術の歴史は、家庭用

小型 transistor radio の誕生に始まります。


そして現在SONYが世界市場を制覇している、SONYのCMOS digital image sensor

の事業を支えているのも、歴史あるSONYの半導体生産技術力、その精神力によるものです。



世界が不可能と当時思われたいた、家庭用小型 transistor radio の事業を支えたのが、

SONYの半導体生産技術の歴史の始まりでした。その歴史あるSONYの半導体生産技術

が今のSONYのビデオカメラ事業を支える最大の原動力です。


革命は一人の人間で始まると言われます。


しかし、革命は多くの人間により成し遂げられます。


革命は一人の人間では実現しません。





産業の技術革新・技術革命は、一人の人間の知恵と創造性に、多くの勤勉な仲間が感銘し、

集い一致団結して同じ夢のために努力してこそ実現します。



産業革命は一人の人間の知恵と創造性に始まりますが、多くの勤勉な人間が同時に感銘し、

集い、一致団結して、その生産技術と信頼性技術を社内で確立してこそ、はじめて、

その努力の結晶として、優れた製品を市場に提供してこそ、企業は社会に貢献できます。


SONYの場合、お客様に近い立場でお客様の声を常に聴き、お客様のご要望にあった製品を

提供することに全力を傾けたセット事業部の技術陣がいました。萩原もSONY入社して間もなく

セット事業部の技術陣先輩の声を身近に聴き最終製品がどういうものであるべきかを学びました。

ビデオカメラは感度が命であると、萩原はSONY入社して間もなく痛感しました。残念ながら、

自分が学生時代に学んだCCDは、結局既に、Intel社も日立も不完全半導体素子として、CCDの

実用化は無理とあきらめていたのは、SONYに入社する前から知っていたが、信じて入社した、

SONYのセット事業部の技術陣からも、SONYのTOPが何を言おうがCCDは感度が悪くてだめだ、

と セット事業部の技術陣から聴かされ、萩原は悩みました。だからと言って、残像が多く、また配線

雑音、クロック雑音が多く、映像信号(感度)が雑音に隠れる、MOS 型 の image sensor は、

高品質高性能ビデオカメラとしてはさらに不満足なはず、まだ、CCD型の image sensor の方が

いいはずだ、どうしてこれで、セット事業部の技術陣先輩は満足してくれないのか?SONYはいつも

高品質高性能を求めている。 セット事業部の技術陣先輩も高品質高性能ビデオカメラを求めていた。

必要は発明の母といいます。萩原は、CCD型の image sensor の感度を補うためにCCD型の、

すなわち、MOS容量型の受光素子構造をあきらめることにしました。MOS型構造にはかならず、

金属電極があり、金属は光を通しません。光が鏡のように金属にあたると反射します。ここは、

従来の N+P型の、MOS型の image sensor で採用されている photo diode をそのまま、

Intgerline 型 CCD image sensor で使用することから、もう一度原点から考えることにしました。

SONYのCCD開発陣のTOPは、セット事業部の技術陣の要求に対して、すなわち、超感度で

残像なしの高品質高性能の image sensor の要求に対して、その答えは、透明電極を使った

MOS容量型の受光素子構想を採用することとしていました。しかし、この構造では、透明電極

用の材料が高温処理に耐えることができず、シリコンプロセスになじまない材料でした。また、

MOS容量型の受光部では、受光時にシリコン表面に強い電界が生じ、界面再結合順位の存在

で暗電流の多い受光素子でした。そこで、萩原がその改良策として考案したのが、後にSONY

では、Hole Accumulation Diode (HAD) と呼ばれるもので、SONYの外では一般に現在、

非常に脚光を浴びて、 Pinned Photo Diode と呼ばれるものです。それが萩原の発明です。



最後に。。。


さて、先日の10月19日金曜日、SONYのご厚意で、厚木テックでの、
今年も、恒例(高齢)のSONY半導体OB会が開催されました。
会員が350人のところ150人が、午後3時半から集結で夜8時まで
のお酒を入れた立食パーティ風の懇親会開催の前に、記念写真の後、
OB会の会計報告とSONYの半導体ビジネスの現状と展望について
会社の現役後輩社員の清水さん(と言いても本社の常務取締役で 
SONY Semiconductorn Solution Corporationの社長さんですが
その偉い方から)力強い説明をうけました。


最後に、OB会のメンバーの1人の米村さんが1つ質問しました。

「今の日本の半導体で、元気なのはSONYだけ?東芝のメモリーも
身売りの話がでて、なぜSONY半導体は今でも元気なのですか?」と
その理由についての質問でした。清水さんの適格な返答は、「今の
SONYの半導体があるのは半導体プロセス生産技術が一番大きな
要因・原動力だ。」とおっしゃいました。私もその通りだと思いました。


SONYはかつて世界があきらめ全くものになるはずがないと思われていた
トランジスタの量産技術を歴史あるソニー厚木工場で確立しました。


ソニー厚木工場は歴史的にも世界で初めての半導体量産工場です。

また、私が1971年に大学を卒業して日本に夏休みだけ遊びに一時帰国して
ソニー厚木工場を訪問しました。実は、SONYの創設者の井深さんの親戚
の方と知り合いで、CalTechに在学中に彼も留学生で同じ学部の大学院生
でした。彼は珍しくもEEでCalTechでPhDをとり再度医学に進みMedical
Doctorの称号を取り、お医者さんとして帰国後お医者さんになった方で、
その方のの紹介でSONYを夏休みに訪問見学することになりました。

当時、ソニー厚木工場はトリニトロンTV用に信号処理用 bipolar transistor
IC ( CX081~CX089Series ) の量産立ち上げの最中でして、そので私は学生
実習生として1971年の夏3か月間ソニー厚木工場で岡田寮に宿泊していました。

目的は東京周辺見学のためにソニーに宿泊施設を提供してもらうのが私に
とっての最大の目的でしたが、、、しかし、ソニー厚木工場を見学してびっくり
しました。私の大学の先輩に Intel の創設者のDr. Gordon Moore がいます。

また、大学院の私の研究指導官の Prof. C. A. Mead とDr. Gordon Moore
のお二人は二人とも CalTechの卒業生で在学時代からの親しい友達同士でした。

それでまだベンチャー会社だった Intel 社を私も 産学協同プロジェクトが
あり、行き来したことがあり、米国の最新鋭の PMOS transistor のプロセス
製造ラインを見ていました。しかし、1971年SONYの厚木工場を訪問して
びっくりしました。日本にも最新鋭の半導体工場があると。それも当時
米国TI社と集積回路の基本特許(キルビー特許も含む)の包括契約をして
いて米国TI社と半導体プロセス製造技術で技術提携していたとのことです。

SONYは見る目がある。トランジスタ特許使用権利を格安の当時の値段の
500ドルでベル研から獲得し、TI社からも格安で集積回路の特許使用件を
獲得しました。後に、日電・三菱・日立・東芝の日本の半導体勢力はDRAM
の生産で、TI社のキルビー特許により、膨大な特許使用料、合計すると
8000億円~1兆円が日本が米国に支払われたとのうわさもあります。


しかし、私は1971年SONYの厚木工場を訪問してびっくりしました。

まだ32歳だた宇野義道主任(後のソニー長崎工場長など歴任)に、「ここは
東洋一の半導体大規模生産工場だよ。」と説明を受けました。彼が私の実習の
指導官でした。私はあつかましくも、1971年と1973年に厚木工場に日本に
夏休み帰国していたとき、宿泊施設にソニー厚木工場の岡田寮を使い、名目、
ソニー厚木工場のプロセスラインの実習生として勤務していました。

SONY半導体OB会での清水さんの話を聞いて、昔のソニー厚木工場内の
プロセスラインをはじめて見学して驚いたことを思い出していました。

1971年の夏休みのことでした。SONYの半導体プロセス生産技術は世界の
歴史を築いた主役であり、その主役の座は今でも世界の CMOS digital image
とその周辺信号処理回路の設計・開発・生産技術者によって一丸となってに
守られ維持されています。その主役はSONY original sensor の試作とを担当した
鈴木ともさんであり、CCD のimage sensor の量産プロセスでがんばった上田さん
であり、SRAMとPS3のchip の量産プロセス立ち上げでがんばった清水さん
であると私は自負しています。みんな私のかわいい後輩です。

若い次の世代がSONYの今の半導体を盛り上げてくれていてこころ強く
感じました。しかし、私ももう70歳になりました。長年お世話になった宇野
さんももう81歳です。今年もOB会で元気に顔を見せていただきましたが
毎年来年会えるかな?とお話して今年もお別れでした。今年のOB会には
たいへんお世話になった川名さん、加藤さん、山崎さんは欠席でした。

いつもたいへんお世話になっていた、もとSONY(株)専務で
半導体のTOPでもおられた河野さんが亡くなられおられません
でした。現役時代萩原もたいへんお世話になった方でSONY
のトリニトロンTVの開発生産の最高責任者でもおられました。
また、CCDのプロセス立ち上げで大活躍されていた阿部さん
とCCD生産で国分工場で指揮を取っておられた小笠原さんの
お二人も亡くなられ、3人のたいへんお世話になった方々の顔
がなくたいへん寂しく感じました。

先日11月21日にもと東北大学学長の「ミスター半導体」で知られる
西澤潤一教授が92歳でお亡くなりになられたと新聞で知りました。

学会でしか私はお会いすることがありませんでしたがいつも私には
ニコニコしてよく親しくお声をかけて下さいました。私が1973年に
SONYでVFETの試作とその信頼性試験の実習をしていたお話を
したら目をきらきらしておられました。

Junction FETの構造と動作原理は CalTech在学中、1969年~1970年に、
後に、Intel の社長になった、Dr.Andy Grove の古典半導体デバイス物理の
教科書を使って、恩師 Prof.James McCaldinの半導体デバイスの授業を
受けた時に学習しました。1973年の夏にはソニー厚木工場で縦型の
Vertical Junction FET の試作と電気特性の測定評価冶具の設計と
組みたて評価を実習のテーマとしていました。それを Pinned Photo
Diode の発明のヒントになりました。


西澤教授は、高抵抗のIntrinsic Silicon をPN接合に挟んだPIN diode の
発明者として有名です。上記のPNP接合型の Pinned Photo Diodeは
名称がよく似ていますが、動作原理は全く違います。

Pinned Photo Diodeの動作を理解するには、PNP型のJunction FET
の動作をまず理解し、さらに、チャネルを形成する真ん中のN層を完全に
空乏化したdynamic 動作を理解する必要があります。

西澤教授は、同じ上図のPNP接合型FETを縦型にしたVFETの発明者でもあります。

ということで、SONYでは特許侵害に当たるとされ、1972年の萩原が実習して
いた時はまだ開発していましたが、その後SONYは開発を中止しました。

Pinned Photo Diodeの基本特許をSONYが所有していたことはSONYにとって
たいへんな幸運でした。そうでなければ、Fairchild社やNECに膨大な特許料を
請求され、場合によっては、採算が取れなくなり、image sensor の事業から
SONYが撤退する立場になったかも知れません。Farichildとの特許戦争に勝利
した時はSONYはひやひやしていました。また、NECからの寺西特許でも
SONYが特許交渉で負けていたら大変なことになっていたでしょう。逆にSONY
との特許戦争に負けたFairchild社とNECはともにImage Sensor 事業から
撤退する運命になり、現在も SONYの独り勝ちが継続しています。

西澤教授は、そういう特許関係の仕事で、あまり個人的にはお会いすること
はありませんでしたが、SONYの萩原特許をよくご存じだった様です。また、
萩原も西澤教授の創造性ある業績にはいつも感銘していました。

西澤教授は、高抵抗の Intrinsic Silicon をPN接合に挟んだ PIN diode の
発明者として有名です。新幹線の送電システムや携帯電話などの通信に広く
今活躍しています。

またLEDの出力が昔は貧弱だったのを今の様に照明機器や昼間の
信号機にも使える程までに強力なものに改善されたのも西澤教授の
業績です。

私の大学時代のPhDの指導官だった Prof. C. A. MeadもLEDの研究を
されていました。その内容を教授からいろいろ学習しました。

また私の発明の Pinned Photo Diode も西澤教授の発明の PIN Diode と
よく間違えられ、いろいろ西澤教授とはご縁ある方でした。

私が VLSI や IEDMや ISSCCなどの学会で活躍している姿を見ては、
「萩原さん、会社でちゃんと仕事しているかね?ほされているのでは?
会社で仕事しないで学会に来ている教え子を見ると、会社でちゃんと
楽しく仕事しているのか心配になるのでね。萩原さんも実はどうなの?」
と厳しいコメントをもらった記憶があります。当時はSONYは米国 Fairchild
との Pinned Photo Diode 特許にかかわる特許戦争(1991~2000)で
たいへんSONYは深刻な状態でした。私も会社ではどうころぶかわからず、
米国からの留学生でもあり、米国の陪審員の感情を逆なですることを避ける
ためにも静かに会社でも目立たず静かにしていた時期で、ただ技術情報の
収集と自分自身の勉強はしっかり続けていた時期でした。会社ではほされて
仕事がもらえない状態(技術企画室の茶坊主)でした。西澤教授はそんな
私の心を見抜いた、やさしいお言葉をかけて私を元気づけてくれました。
西澤教授のご冥福をお祈りします。


最後に、

去年、SONY時代にお世話になったもとSONY株専務で半導体事業本部TOP
を兼任されたいた河野文雄本部長、プロセス開発でたいへんお世話になった
阿部元昭さん、私が1975年SONY入社した時から、同じ年ですが、会社では
仕事の上で大先輩だった粂沢哲郎さんたちが、お亡くなりになりました。

粂沢さんには入社時、まったく無知だった私に、CCDの特性評価で測定機器
の取り扱いなどをいろいろ細かく教えていただいたことが忘れられません。

私が60歳定年で2008年7月末にSONYを定年退職する時まで、粂沢さんには
親しくお付き合いしていただきました。

ここに皆様のご冥福をお祈りします。


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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言でした。

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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.

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