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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 016

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まず次の3つの基本的な質問についてご説明します。


質問(1) 

どうしてCCD image sensor が今となっては過去になりますが、
ビデオカメラ業界ではスーパースターのように脚光を浴びる存在
だったのでしょうか?

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Question (1)

Why was the CCD image sensor
the super star in the past ?

 



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質問(2) 

どうして近年のハイビジョンのデジタルテレビ時代では、
CCD image sensor がどうして不要の存在になって
しまったのでしょうか?
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Question (2)

Why is the CCD image sensor now obsolete
in the modern digital high vision TV era ?




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質問(3) 

どうして現在、CMOS image sensorが過去の
CCD image sensor よりはるかに高性能だと
言われるようになったのでしょうか?
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Question(3)

Why is now the CMOS image sensor dominant
over the CCD image sensor ?





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先日の10月19日(金)に、SONYのご厚意で、ソニー厚木テックでの、
今年も、恒例(高齢)のSONY半導体OB会が開催されました。

SONY半導体OBの方々が会員となり、現在、約350名ほどおられ
ますが、そのうち、約140人以上の方がご出席されました。

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ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間をお借りして、金曜日で
まだ就業時間ですが、3時半受付開始で4時開始で一年ぶりの同窓会
気分で、お酒を含む立食形式懇親会でした。


まず、全員の写真撮影の後、OB会からの会計報告を受けました。

河野文男(もとソニー専務で半導体TOP)や小笠原さん、阿部元昭さん、
辻さんの4人の方々が永眠され、元気をお顔をもう見る事ができなくなり、
参加者の皆さんはたいへん寂しい思いでした。ご冥福をお祈りしました。

その後、ソニー本社(東京)から、ソニー役員常務でもあり、また、現在の
ソニーの半導体全体をまとめる、 Sony Semiconductor Solutions (株)
の社長を兼務しておられる清水さんが駆けつけてくれました。そして、
SONY半導体の事業の現状と将来展望について、140人以上集合した、
SONY半導体OB先輩の前で、力強く元気な声で報告をしてくれました。


清水社長には、たいへん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

また、お元気そうで何よりでした。


清水さんのお話の最後に、SONY半導体OB会に新しく参加してくれた、
米村均くんが1つ質問しました。

「今の日本の半導体で、元気なのはSONYだけ?東芝のメモリーも
身売りの話がでて、、なぜSONY半導体は今でも元気なのですか?」

とその理由についての米村からの質問でした。清水さんの適格な返答は、

「今のSONYの半導体があるのは、SONYの半導体プロセス生産技術が
一番大きな要因・原動力です。」

と、清水さんはおっしゃいました。萩原もその通りだと思いました。

その時、萩原が1971年に大学を卒業して日本に夏休みだけ遊びに、
一時帰国して、ソニー厚木工場を訪問した時のことを思い出しました。


SONYはかつて世界があきらめ全くものになるはずがないと思われていた
トランジスタの量産技術を、歴史あるソニー厚木工場で確立しました。

ソニー厚木工場は、歴史的にも世界で初めての半導体量産工場です。


実は、ソニー創設者の井深さんの御親戚の前田尚利さん(今年の6月21日に
永眠75歳)と、ソニー創業からのメンバーで副社長にもなられた樋口さんの
ご親戚の方のお二人が、萩原の母校(CalTech)に、大学院の留学生として来て
おられました。それで、萩原は、お二人とは大学での先輩後輩のお付き合いを
されていただいていました。そのお二人の紹介でソニーを訪問見学することが
可能となりました。1971年の夏休みのことでした。

当時、ソニー厚木工場はトリニトロンTV用に信号処理用 bipolar transistor
IC ( CX081~CX089Series ) の量産立ち上げの最中でして、そので萩原は、
学生実習生として、1971年の夏、6月から9月までの三か月あまりの間、ソニー
厚木工場の岡田寮に宿泊していました。

うまくことが運んだ理由は、まず本社の人事の植松課長さんが非常に好意を
示していただいたことがあります。既にその時には、青木照明さんと佐藤収一
さんが、米国からの初代留学生として、SONYに入社しておられ、SONY本社
の人事は、米国留学生には、たいへ積極的・好意的な扱いでした。

萩原の希望が、「ソニーの半導体技術を見たい。」という事で、植松課長さんは、
ソニー厚木工場の半導体品質保証室の木内室長に萩原の話を投げかけました。

木内室長判断がつかず、どうしようかと思案していました。たまたま、その時、
品質保証室の木内室長のところで働いていた、青木照明さんに判断が求め
ました。青木照明さんは、木内さんに、「是非受け入れるべきだ。」と進言して
くれました。木内室長さんは、「このくそ忙しい中、アメリカ留学生の夏休みの
お遊びに付き合う時間はない。」との、厳しい現場監督として当然の口調で
した。しかし、「技術主任の宇野義道君を君の指導官につけるから、さぼらず、
しっかり学んで、成果を出しさない。世の中、 Give and Take だからね!」 
と萩原を激励してくれました。



目的は東京周辺見学のためにソニーに宿泊施設を提供してもらうのが萩原に
とっての最大の目的でしたが、、、しかし、ソニー厚木工場を見学してびっくり
しました。宇野義道主任は、厚木工場内の半導体プロセスライン(9号館など)
を隈なく案内し、そこで働く仕事仲間の皆さんを一人一人紹介してくれました。
また昼食時はいつも萩原は宇野義道主任に連れられ、仕事仲間の小笠原さん
や畠中さんたちと加わり、なごやかなに会話し、昼食を楽しんでいました。


実は、萩原の大学の先輩に Intel の創設者のDr. Gordon Moore がいます。

また、大学院の萩原の研究指導官の Prof. C. A. Mead と、Dr. Gordon Moore
のお二人は、二人とも CalTechの卒業生で、在学時代からの親しい友達同士
でした。それで、まだベンチャー会社だった Intel 社でしたが、母校(CalTech)
との産学協同プロジェクトがあり、萩原も行き来したことがあり、米国の最新鋭の
Intel社の PMOS transistor のプロセス製造ラインを萩原は見ていました。

しかし、1971年SONYの厚木工場を訪問して、萩原はびっくりしました。

日本にも最新鋭の半導体工場があると、それも当時米国TI社と集積回路の
基本特許(キルビー特許も含む)の包括契約をしていて、米国TI社と半導体
プロセス製造技術で技術提携していた、とのことです。

SONYは見る目がある。トランジスタ特許使用権利を格安の当時の値段の
500ドルでベル研から獲得し、TI社からも格安で集積回路の特許使用件を
獲得しました。後に、日電・三菱・日立・東芝の日本の半導体勢力はDRAM
の生産で、TI社のキルビー特許により、膨大な特許使用料、それを合計する
と、累計、8000億円~1兆円が日本が米国に支払われたとのうわさもあります。


しかし、萩原は1971年SONYの厚木工場を訪問してびっくりしました。

まだ32歳だた宇野義道主任(後のソニー長崎工場長など歴任)に、「ここは
東洋一の半導体大規模生産工場だよ。」と説明を受けました。彼が萩原の
実習の指導官でした。


萩原はあつかましくも、1971年 ( カラーTV用 Bipolar IC CX-081~CX089
シリーズの工場からの出荷時の信頼性試験 が自習テーマ)と、1973年(
Vertical FET の新規開発半導体素子の信頼性試験とその測定用の回路
基板の設計作業)の2回も、ソニー厚木工場に、日本に夏休み帰国していた時、
夏休みの東京周辺の宿泊施設目的にソニー厚木工場の岡田寮を利用しつつ、
ソニー厚木工場で半導体信頼性技術の実習生として萩原は勤務しました。

SONY半導体OB会での清水さんの話を聞いた時、昔のソニー厚木工場内
のプロセスラインをはじめて見学して驚いたことを萩原は思い出していました。

そうだ、その通りだと萩原は思いました。


あの時、1971年の夏、SONYの活力を目撃した瞬間でした。

その感動を萩原は思い出したました。

そしてあのSONYの活力・原動力が、SONYの熊本テックに今継承されています。

SONYの半導体プロセス生産技術は世界の歴史を築いた主役です。

その主役の座は今でも世界の CMOS digital image とその周辺信号処理回路
の設計・開発・生産技術者によって一丸となってに守られ、維持されています。

その主役はSONY original sensor の試作とを担当した鈴木ともさんであり、
CCD のimage sensor の量産プロセスでがんばった上田さんであり、SRAMと
PS3のchip の量産プロセス立ち上げでがんばった清水さんであると萩原は
自負しています。みんな萩原のかわいい後輩です。


そんな思いで萩原は、一年ぶりにお会いできた、SONYの半導体OB会の先輩や
もと仕事仲間のみなさんと、ソニー厚木テック内の社員食堂の大きな空間の中で、
お酒を交えて楽しく懇親を今年も深めることができました。



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       清水社長および慶児テック長ははじめ多くの方のご好意により、
       11月19日(月)にSONY熊本テックを訪問することができました。

     このたび、清水社長、山口副社長、ソニー熊本テック長の慶児テック長、 
    社長室の宮永秘書をはじめ、昔からの仕事仲間の藤埜原朝義さんたち他、
多くの方々から、温かいおもてなしを受けることができ、本当にありがとうございました。

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この11月19日(月)に熊本市にあるSONYのCMOS Image Senosrの
生産拠点である半導体熊本テックを一年半ぶりにお邪魔することに
なりました。前回は、2017年3月末の訪問で、今回は2回目となります。

SONYを2008年に60歳定年退職した後、2009年から8年間熊本市
にある、崇城大学情報学部の教授として8年間勤務していましたが、
その時、2016年4月の熊本地震を身近に体験しました。


その熊本地震で、SONYのCMOS Image Senosrの生産拠点である
SONYの半導体生産拠点であるSONY熊本テックもたいへんな打撃
を受けました。

前回は、熊本地震の1年後の訪問でした。私がSONY勤務の時の
仕事仲間で後輩だった上田社長のご厚意で、崇城大学を68歳での
定年退官に際して、SONY熊本テックにお招きを受け訪問できました。
なつかしい昔の仕事仲間にもたくさんお会いすることができました。


熊本地震で大打撃を受けましたが、社員のみなさんの努力と、また、
温かい関連会社の方々の、連日の徹夜や休日返上のサポートにより、
熊本テックはほぼ完全に復帰していました。

地震から1年足らずでしたが、テックは活気を戻しており、みなさん、
元気な明るい笑顔で歓迎してくれました。

その時、私も「イメージセンサー賢い電子の目」と題して特別講演を
若手技術者をはじめ、InterNet 配信を通じて、全国にある、SONYの
半導体拠点で、同時に多くの社員が、各自のデスクにあるパソコンで
私の講義を見てもらうことができました。

あれから一年半が過ぎました。今回崇城大学の文化祭に際していろ
いろなイベント記念行事があり熊本を久しぶりに訪問する機会を得ま
した。そこで、私がSONY勤務の時の仕事仲間で後輩だった清水さん、
SONY本社常務で現SONY Semiconductor Solution Corporation の
の代表をされている清水社長にお願いして、再度、SONY熊本テック
をこの11月19日(月)に訪問させていただく運びとなりました。

その時に再度、熊本テックの技術者をはじめ興味ある社員のみなさん
に対して、一般向け技術講座として、大学の授業と同じく、90分一コマ
の講義をする機会を頂きました。

今回の講義の題目も、「イメージセンサー賢い電子の目」としています。

その講義の Review Quesion List を下記に示します。

大学の学生にはこれを宿題として来週の授業の時にその解答を
レポート用紙にまとめてきなさいという調子で大学の教授として
教壇に立っていた時は、学生に宿題として課していました。今と
なっては、たいへんなつかしい楽しい思い出です。








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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言でした。

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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.

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