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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 008

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            SONYの萩原良昭が1975年に出願した

    Pinned Photo Diode の発明特許に関する頃の、時代背景について。

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   この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   1978年の初夏でした。萩原1975年発明のPinned Photo Diode 搭載の 
   FT型CCD Image Sensor の一体化ビデオカメラをSONYは新聞発表。

   盛田会長が自らNewYorkで、岩間社長が自らTokyoで、同時に、
   Press Conference を開催し、多くの新聞・テレビ・雑誌記者の前で、
   大きく、新しい民生用小型ビデオカメラの時代を宣言しました。


   しかし、ここでも、盛田会長と岩間社長は一般メディアに対しては
   全体としてCCD Video Camera が高感度であることには変わりが
   ないことから、一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   ソニーは、萩原設計の 2-chip型の Interline 方式のCCD image
   sensor の商品化に成功し、全日空(ANA)のジャンボジェット機の
   コックピットに搭載し、飛行機の離着陸時の様子を機内のビデオ
   スクリーンで迫力ある、real time の映像を見ることができました。
   この 2-chip型の Interline 方式のCCD image sensor は 透明
   電極を使用し、横型OFD構造でした。受光部は透明電極を使用
   したCCD型の光感知素子構造を採用しており、CCDの完全空乏化
   電荷転送により残像のない、Interline 方式のCCD image sensor
   をSONYは既に1980年に実用化してビデオカメラに搭載しています。

   その成果は国内学会でのみの発表が許可されました。

   狩野、安藤、松本、萩原、橋本、 ”インターライン転送方式CCD撮像素子”
   テレビジョン学会、電子装置研究会 ED 481, pp.47-52, Jan 24, 1980.

   SONYの開発部隊は総力をあげて、この残像なしの、インターライン転送
   方式CCD撮像素子の One Chip 化に取り組んでいました。

   同時に、萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知素子
   構造も、萩原1975年特許の中で説明している様に、CCDでなくても、
   このPinned Photo Diode の光感知素子構造も、完全空乏化電荷
   転送により残像がありません。かつ、光感度はCCD型よりもはるかに
   超感度です。CCD型では、シリコン界面に強い電界がかかり、表面
   再結合準位の存在の為に、CCD型では表面結合の暗電流が多い
   でしたが、この萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知
   素子構造では、表面は外部から電圧固定(ピン止め)されていて
   電界がかからず、表面再結合準位が不活性(quench)され、表面
   再結合による暗電流がありません。また表面捕獲準位の影響も
   受けず、 trap 雑音、 1/f 雑音もない、超感度で低雑音を実現
   しています。


   ソニーは、当初から本命とされ、萩原が設計を担当し、その後、後輩の
   竹下さんがその技術技術を継承した、 One chip の Interline 方式の
   CCD Image Sensorの開発生産技術と信頼性技術に全力を注ぎました。

   そして、世界発のPassportサイズの小型ビデオカメラの試作生産販売を
   成し遂げました。ビデオカメラの市場を制覇、独占しました。

   萩原1975年発明の、この高性能光感知素子構造が CCD Image Sensor
   欠点を助け、CCDの延命に長く寄与しました。

   そして、その勢いは現在も継続し、SONY Brand 商標の 
   SONY original HAD sensor 搭載の CMOS Image  Sensor 
   の技術力と生産力の基礎となっています。

   さらに裏面照射型のPinned Photo Diode は、1975年萩原がこの特許の中で
   世界で初めて構想していたもので、現在の「賢い電子の目」の実現の源点です。
  

   Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

 この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


この開発研究チームは国内の学会でその詳細を発表しています。


平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.



Hagiwara, ESSCIRC2001 invited paper on "SONY Consumer Electronics"
   at Vilach, Austria

Hagiwara, ESSCIRC2008 invited paper on "SOI Cell Processor and Beyond"
  at Edinburgh, Scotland UK

Hagiwara, the 60th Aniversary ISSCC2013 Plenary Panel Talk,
  at San Franicisco, USA

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CCDの開発商品化を世界の多くの企業が断念し諦める中、SONYは世界で一社のみで
"Never Give Up " の精神で独走していました。その成果はSONYの次の国内論文の嵐
を引き起こしました。

ます、1978年のSONYの一体化ビデオカメラの発表が最初の花火でした。


その技術内容は東京で開催の国際固体素子コンファレンス1979年でまず
世界に紹介されました。

Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada, “A 380Hx488V CCD imager
with narrow channel transfer gates,” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18,
supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.

そして、萩原は、その発明開発技術者として、 Scotland UK の Edinburgh 大学で
開催の、CCDの国際会議 CCD79に、招待講演の招待を受けました。

Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

その後、SONYはさらに次々とCCDの開発成果を発表しました。

狩野、安藤、萩原、橋本、”インターライン転送方式CCD撮像素子”、
テレビジョン学会、電子装置研究会 ED481、pp. 47-52、Jan 24, 1980

名雲、山中、越智、”CCD カラーカメラの線順次撮像方式と信号処理方式”、
テレビジョン学会技術報告書 TEBS 60-1, pp. 19-25, Jan 25, 1980

村田、名雲、中田、安井、西村、小室、粂沢、”線順次2CCDカラーカメラ”、
テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS 60-2, 
pp. 27-32, Jan 25, 1980

この3つの国内論文の技術内容は国際学会にも
以下の2つの論文の形でも発表されました。

F.Nagumo, T.Asada and S.Ochi, " CCD Digital Color Camera ",
IEEE Transaction on Consumer Electronics,  VOL.CE-26,
No.8, pp. 339-352, Aug. 1980.

T.Asada and F.Nagumo, " A New Digital CCD Color Camera
using Direct Encoding Method", International Conference
on Digital Signal Processing " Florence, Italy,
September 2 - 5 , 1980.


また、同時に構内では、やっと社内で One chip CCD カメラの
実際の技術開発者による、技術詳細の発表の許可がおりました。

平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.


しかし、その成果は会社全体の業績として、会社での開発TOP管理責任者の
実績として記録されることになりました。萩原をはじめ多くの萩原を支援して
くれた技術者陣が総力で成し遂げた仕事の成果実績を、会社のTOの森尾さん
と越智さんにピンはねされた瞬間でした。

”SONYの森尾、越智、土井の3氏にエドアルドライン賞”、毎日新聞、9月8日、1981.

実際には、以下の2つの仕事にも、萩原の開発した Image Sensorが搭載され、
採用されていますが、萩原とその協力技術者の業績の引用(citation) は皆無です。

”フィルム不要のカメラ 磁気ディスクで50枚撮れる、プリントOKカメラ屋さん脅威、
ソニーが開発”、読売新聞、8月25日、1981.

J. Marcom Jr. "Sony unveils a Camera that Doesn't Use Film", Asian
Wall Street Journal, August 26, 1981.

木原、斎藤、浦原、中田、岡本、中鉢、”マビカシステム”、テレビジョン学会技術
報告 TEBS 80-5 , VR 50 - 5, pp. 25-31, March 25, 1981 .

その後、SONYは、萩原のオリジナル設計のCCD Image Sesnor を採用した、
マビカの商標名でデジタルマビカを商品展開し、市場を驚かせた。

実は、そのマビカの商標名の名づけの親は萩原自身だった。

当時、萩原がSONYの中研時代に、商品名称の社員公募があった時、萩原が、 
Magnetic Video Camera を略して、MAVICAと命名し、応募し、偶然にも、
それが採用された事実がある。萩原はたいへん喜んだ。

たいへん偶然の、名誉あることだと萩原は感じた。その事は公募作業担当者以外、
まったく誰にも知られないことであった。しかし、萩原はSONYのデジタルマビカの
大の愛好者で、海外出張の時には必ず持って出かけた。母校のCalTechを訪問し、
恩師の Prof. T.C. McGIll や、 Prof. C.A. Mead も、大の愛好家であることを
知り、萩原はたいへん満足で幸せな気分だった。♡










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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言でした。

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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.

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