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             hagiwara-yoshiaki@aiplab.com

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       For full English versions, please visit the following sites.

        Story of Pinned Photo Diode (html)

Hagiwara at SONY is the true inventor of Pinned Photo Diode (html)

See also ElectronicsStackExchangeSite on "What is Pinned Photo Diode ? "


Pinned Photo Diode was invented by Hagiwara of Sony in 1975 (PDF)


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            SONYの萩原良昭が1975年に出願した

    Pinned Photo Diode の発明特許に関する頃の、時代背景について。

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   この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   1978年の初夏でした。萩原1975年発明のPinned Photo Diode 搭載の 
   FT型CCD Image Sensor の一体化ビデオカメラをSONYは新聞発表。

   盛田会長が自らNewYorkで、岩間社長が自らTokyoで、同時に、
   Press Conference を開催し、多くの新聞・テレビ・雑誌記者の前で、
   大きく、新しい民生用小型ビデオカメラの時代を宣言しました。


   しかし、ここでも、盛田会長と岩間社長は一般メディアに対しては
   全体としてCCD Video Camera が高感度であることには変わりが
   ないことから、一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


   ソニーは、萩原設計の 2-chip型の Interline 方式のCCD image
   sensor の商品化に成功し、全日空(ANA)のジャンボジェット機の
   コックピットに搭載し、飛行機の離着陸時の様子を機内のビデオ
   スクリーンで迫力ある、real time の映像を見ることができました。
   この 2-chip型の Interline 方式のCCD image sensor は 透明
   電極を使用し、横型OFD構造でした。受光部は透明電極を使用
   したCCD型の光感知素子構造を採用しており、CCDの完全空乏化
   電荷転送により残像のない、Interline 方式のCCD image sensor
   をSONYは既に1980年に実用化してビデオカメラに搭載しています。

   その成果は国内学会でのみの発表が許可されました。

   狩野、安藤、松本、萩原、橋本、 ”インターライン転送方式CCD撮像素子”
   テレビジョン学会、電子装置研究会 ED 481, pp.47-52, Jan 24, 1980.

   SONYの開発部隊は総力をあげて、この残像なしの、インターライン転送
   方式CCD撮像素子の One Chip 化に取り組んでいました。

   同時に、萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知素子
   構造も、萩原1975年特許の中で説明している様に、CCDでなくても、
   このPinned Photo Diode の光感知素子構造も、完全空乏化電荷
   転送により残像がありません。かつ、光感度はCCD型よりもはるかに
   超感度です。CCD型では、シリコン界面に強い電界がかかり、表面
   再結合準位の存在の為に、CCD型では表面結合の暗電流が多い
   でしたが、この萩原1975年発明の Pinned Photo Diode の光感知
   素子構造では、表面は外部から電圧固定(ピン止め)されていて
   電界がかからず、表面再結合準位が不活性(quench)され、表面
   再結合による暗電流がありません。また表面捕獲準位の影響も
   受けず、 trap 雑音、 1/f 雑音もない、超感度で低雑音を実現
   しています。


   ソニーは、当初から本命とされ、萩原が設計を担当し、その後、後輩の
   竹下さんがその技術技術を継承した、 One chip の Interline 方式の
   CCD Image Sensorの開発生産技術と信頼性技術に全力を注ぎました。

   そして、世界発のPassportサイズの小型ビデオカメラの試作生産販売を
   成し遂げました。ビデオカメラの市場を制覇、独占しました。

   萩原1975年発明の、この高性能光感知素子構造が CCD Image Sensor
   欠点を助け、CCDの延命に長く寄与しました。

   そして、その勢いは現在も継続し、SONY Brand 商標の 
   SONY original HAD sensor 搭載の CMOS Image  Sensor 
   の技術力と生産力の基礎となっています。

   さらに裏面照射型のPinned Photo Diode は、1975年萩原がこの特許の中で
   世界で初めて構想していたもので、現在の「賢い電子の目」の実現の源点です。
  

   Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

 この国際学会で萩原は1975年発明の Pinned Photo Diodeの構造を
   説明し、CCDの超感度低案電流は萩原考案の光感知素子の特徴で
   あり、CCD自体は金属電極があり光感知素子には不向きであると論じ
   ています。しかし一般メディアはCCDが高感度だと誤解したままでした。


この開発研究チームは国内の学会でその詳細を発表しています。


平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.



Hagiwara, ESSCIRC2001 invited paper on "SONY Consumer Electronics"
   at Vilach, Austria

Hagiwara, ESSCIRC2008 invited paper on "SOI Cell Processor and Beyond"
  at Edinburgh, Scotland UK

Hagiwara, the 60th Aniversary ISSCC2013 Plenary Panel Talk,
  at San Franicisco, USA

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CCDの開発商品化を世界の多くの企業が断念し諦める中、SONYは世界で一社のみで
"Never Give Up " の精神で独走していました。その成果はSONYの次の国内論文の嵐
を引き起こしました。

ます、1978年のSONYの一体化ビデオカメラの発表が最初の花火でした。


その技術内容は東京で開催の国際固体素子コンファレンス1979年でまず
世界に紹介されました。

Y. Daimon-Hagiwara, M. Abe, and C. Okada, “A 380Hx488V CCD imager
with narrow channel transfer gates,” Japanese J. Appl. Phys., vol. 18,
supplement 18–1, pp. 335–340, 1979.

そして、萩原は、その発明開発技術者として、 Scotland UK の Edinburgh 大学で
開催の、CCDの国際会議 CCD79に、招待講演の招待を受けました。

Hagiwara, CCD'79 invited paper on "SONY Image Sensor Efforts"
   at Edinburgh, Scotland UK on SONY CCD image sensors.

その後、SONYはさらに次々とCCDの開発成果を発表しました。

狩野、安藤、萩原、橋本、”インターライン転送方式CCD撮像素子”、
テレビジョン学会、電子装置研究会 ED481、pp. 47-52、Jan 24, 1980

名雲、山中、越智、”CCD カラーカメラの線順次撮像方式と信号処理方式”、
テレビジョン学会技術報告書 TEBS 60-1, pp. 19-25, Jan 25, 1980

村田、名雲、中田、安井、西村、小室、粂沢、”線順次2CCDカラーカメラ”、
テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS 60-2, 
pp. 27-32, Jan 25, 1980

この3つの国内論文の技術内容は国際学会にも
以下の2つの論文の形でも発表されました。

F.Nagumo, T.Asada and S.Ochi, " CCD Digital Color Camera ",
IEEE Transaction on Consumer Electronics,  VOL.CE-26,
No.8, pp. 339-352, Aug. 1980.

T.Asada and F.Nagumo, " A New Digital CCD Color Camera
using Direct Encoding Method", International Conference
on Digital Signal Processing " Florence, Italy,
September 2 - 5 , 1980.


また、同時に構内では、やっと社内で One chip CCD カメラの
実際の技術開発者による、技術詳細の発表の許可がおりました。

平田、大津、阿部、萩原、 "2/3 inch 狭チャンネルCCD撮像素子", テレビジョン
学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS69-3, 電子装置研究会 ED 555,
pp.13-18, Feb. 27, 1981.

島田、梶野、西村、小室、中田、南、"狭チャンネルFT型CCDによる単板カラー
カメラ",テレビジョン学会、テレビジョン方式・回路研究会 TEBS70-4, Sept.8, 1981.


しかし、その成果は会社全体の業績として、会社での開発TOP管理責任者の
実績として記録されることになりました。萩原をはじめ多くの萩原を支援して
くれた技術者陣が総力で成し遂げた仕事の成果実績を、会社のTOの森尾さん
と越智さんにピンはねされた瞬間でした。

”SONYの森尾、越智、土井の3氏にエドアルドライン賞”、毎日新聞、9月8日、1981.

実際には、以下の2つの仕事にも、萩原の開発した Image Sensorが搭載され、
採用されていますが、萩原とその協力技術者の業績の引用(citation) は皆無です。

”フィルム不要のカメラ 磁気ディスクで50枚撮れる、プリントOKカメラ屋さん脅威、
ソニーが開発”、読売新聞、8月25日、1981.

J. Marcom Jr. "Sony unveils a Camera that Doesn't Use Film", Asian
Wall Street Journal, August 26, 1981.

木原、斎藤、浦原、中田、岡本、中鉢、”マビカシステム”、テレビジョン学会技術
報告 TEBS 80-5 , VR 50 - 5, pp. 25-31, March 25, 1981 .

その後、SONYは、萩原のオリジナル設計のCCD Image Sesnor を採用した、
マビカの商標名でデジタルマビカを商品展開し、市場を驚かせた。

実は、そのマビカの商標名の名づけの親は萩原自身だった。

当時、萩原がSONYの中研時代に、商品名称の社員公募があった時、萩原が、 
Magnetic Video Camera を略して、MAVICAと命名し、応募し、偶然にも、
それが採用された事実がある。萩原はたいへん喜んだ。

たいへん偶然の、名誉あることだと萩原は感じた。その事は公募作業担当者以外、
まったく誰にも知られないことであった。しかし、萩原はSONYのデジタルマビカの
大の愛好者で、海外出張の時には必ず持って出かけた。母校のCalTechを訪問し、
恩師の Prof. T.C. McGIll や、 Prof. C.A. Mead も、大の愛好家であることを
知り、萩原はたいへん満足で幸せな気分だった。♡







萩原1975年発明のP+NPNsub 接合(サイリスタ)型の
光感知素子構造の話にに戻ります。

1975年2月に入社してすぐ萩原は2つの光感知素子構造特許を出願し、
萩原はその構造が本命となると確信していましたが、上司の越智さんを
はじめ、SONYの技術者は誰も、萩原の主張を理解してくれる技術者は
いませんでした。「本命の仕事をじゃまするな!」と上司の越智さんに
言われながらも、「また、SONYのCCD開発方針にけちをつけるのか!」
と叱られつつも、萩原は、P+NPNsub 接合(サイリスタ)型の光感知素子
構造が、残像のない低雑音で低暗電流でかつ、透明電極を使わなくても、
CCDにはない超光高感度とい特徴を持つことに確信していました。

運良く、萩原は1971年と1973年にSONY厚木工場の Bipolar Transisor IC
の製造ラインで実習経験がありました。そのお蔭で、中研でCCDのプロセス
開発部隊の技術者(狩野さん、阿部さん、松本さんたちの先輩技術者)とも、
CCDプロセス技術に関して、対等に話し合うことができました。

それがたいへん幸運でした。「萩原が自ら設計し、萩原が自らプロセス
開発ライン(渋谷さんと後藤さんの女性アシスタント)に入り、先輩に教えて
もらい試作します。CCDカメラ制御回路もデジタル回路ももともと自分の
専門分野なので自分で設計します。はんだづけはあまり得意ではありま
せんが、評価冶具も制作します。」と希望を述べました。

当時、きずのないCCDのチップがなかなか造れず、カメラ制作部隊は
まだかまだかと首を長くして待っていました。岩間社長が中研に進捗報告
会議に毎月のごとく訪問していました。開発TOPの越智さんはチップが
なかなかできないのは、プロセスラインの問題だと責任をプロセス担当
の川名さん、狩野さんチームに擦りつけていました。そのことがたいへん
プロセス担当技術者には不快に感じていました。

そういうストレスのたまった状態で、萩原の雑音でした。

上司の越智さんは猛反対でしたが、「そこまで熱意があるならやらしても
いいのでは、どうせ、CCDの設計評価部隊は、越智さんも岩間社長に
報告した様に、CCDのプロセスラインが未熟で、まだなかなか、きずの
ない、いいCCDができないので、やることがなく、口を開けて待っている
だけだから。」と、勇敢にも、越智さんにいやみを言って、萩原を応援して
くれる先輩がいました。

若い世代のCCDプロセス担当者はもともとMOSプロセス開発部隊の
方々でしたが、CCDプロセス開発部隊のTOPの川名さんや後で参画
した加藤俊夫さんたちのTOPはもともとSONYのシリコントランジスタ
開発時代の現役技術者でした。

川名さんは「中ぐり製法」といい、世界で初めてシリコンの裏面を
薄くする技法を発明し、シリコントランジスタのON抵抗を低減し、
量産性を向上し、SONYのシリコントランジスタ製造技術を世界一
にした技術功労者でした。

また、加藤俊夫さんは、Advanced MESA Passivation 技術の
発明者で、当時のFairchild社が日本の各社を Planar Transistor 
の製法特許で苦しめていた時、SONYだけが Fairchild社のPlanar
Transistor の製法特許を逃げていました。

川名さんと加藤俊夫さんの発明により守られ、SONYの半導体は、
世界一の性能を持つシリコントランジスタを量産継続することが
できました。

また、当時、軍事用にのみ製造していた、米国のTexas Instrument
社の技術者は、自社のシリコントランジスタ製造技術より、SONYの
シリコントランジスタ製造技術が優れていることに驚き、SONYは、
米国 Texas Instrument社から、直接、技術交流の話( Love Call )
を受けることになりました。後に日本の半導体企業は、膨大な特許
使用料請求で苦しみましたが、SONYは米国のTexas Instrument社
との技術提携のお蔭で、米国のTexas Instrument社保有のキルビー
特許に対して、SONYは全くその制約もなく、SONYは半導体ビジネス
を展開することができました。

萩原のCCDへの熱意は、川名さんと加藤さんの、自分たちの青春時代
のことを思い出させたのか、萩原にエールを送ってくれました。

当時はまだSONYにはCCDのプロセス開発ラインは、ソニー中研でしか、
ありませんでした。「1つでも傷のないchipを造れ。」との岩間社長から
の強い号令でした。それが1978年に入り、実現しました。

CCDの設計はほとんどが同じ絵素構造の繰り返しで、非常に単純で、
一人で設計できるぐらいの少ない情報量で設計できます。ただし、chip
面積が 1 cm 角もあり、その設計CADは市販されていません。すべて
社内での内製でした。萩原は一人でそのCCD設計用のCAD(DSPLAY)
の開発を担当していました。そのCAD(DSPLAY)を使って、萩原が一人で
CCD Image Sensor の設計を担当していました。 CCD 絵素構造には、
いろいろと半導体素子の構造物理や動作原理の知識が必要でした。

萩原が所属する情報処理研究室の技術者はコンピュータソフト開発技術
者とアナログとデジタル回路設計技術者が中心で、半導体物性や半導体
デバイスの動作原理を理解した技術者は萩原1人だけでした。

萩原がこつこつと一人で、「ああでもないこうでもない」と思案しながら、
設計し開発した、One Chip 方式のFT 型がまず1978年に完全にきずの
ないchipとして、実現しました。そして、その後に、より複雑なプロセス工程
を必要とする、Two Chip 方式 IT 型も、1980年に実現しました。

両方の方式で、傷のない完全な chip ができました。

これで存在定理は証明されたということです。

川名さんと加藤俊夫さんが現役時代に描いた、トランジスタの開発生産の夢を、
もう一度CCDの開発生産の夢につなげることが可能となりました。

川名さんと加藤さんはSONYの厚木工場の 8号館にCCD開発ラインを造り、
開発技術者がそのに結集しました。

そして、同時に鹿児島県のSONY国分工場ではCCD生産ラインを立ち上げるべく、
SONY国分工場の高橋工場長と宇野義道製造部長が中心となり、小笠原さんを
CCD生産ラインを立ち上げの総合責任者として準備が開始されました。

萩原が1971年と1973年にSONY厚木工場に実習に来た時の、萩原の実習の
指導官は当時の宇野義道主任でした。高橋工場長と宇野義道製造部長の要請で、
萩原はひんぱんにSONY国分工場で長期出張しました。SONY国分工場採用の
新規の若い社員のCCD技術の教育指導官として勤務しました。

その遺伝子が今、SONY国分工場から、SONY長崎工場、さらにSONY熊本工場へ
と継承されて、今に至ります。今では、SONY熊本Techで、世界最高品質の、SONY
が誇る、Digital CMOS Image Sensor が開発生産されることになりました。SONYは、
世界で初めて、裏面照射型の、超光高感度の、低雑音で、低暗電流で、残像なしの、
萩原1975年発明の、光感知素子構造が、今になってやっと、多くのSONYの勤勉な
開発・生産技術者の総力の結晶として、実現しました。





今では、SONY熊本Techで世界最高品質の Digital CMOS Image Sensorが
開発生産されることになりました。世界で初めて、SONYは、裏面照射型の
超高感度の低雑音で低暗電流で残像なしの、萩原1975年発明の光感知素
子構造が実現しました。

(JAP 1975-127648 )と (JAP 1975-134985)を参照。

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萩原の母校のCaltech での在学時代、萩原は教授から 

The truth shall you make you free.

という言葉を良く授業で聴かされました。その意味が、
萩原は、この歳、70歳になり、しみじみと感じています。

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先日、NHKのヒストリアで「幻のノーベル賞」と題して、
癌の研究で一生を捧げた、山極勝三郎教授の業績
たたえた番組がありました。

ノーベル賞でも間違いがあると知りました。

同様な癌の研究で別の科学者が受賞しました。しかし
「その研究は実は間違いだった。」 との内容でした。
ノーベル賞でも判断ミスがあるということを知りました。

山極勝三郎教授は、無念にも受賞を逃しました。

その後も、山極勝三郎教授は、癌の研究に一生を
捧げた方です。たくさんの癌の研究発表や書物を
残されています。健全な細胞に刺激を加える事に
より、人工的に癌を発生させる事に、世界で最初に
成功されました。そして、その再現確認が、世界中
の科学者により、その後なされ、現在に至ります。

「刺激の強い食べ物、熱い飲み物や、タバコや
いろいろな化学物質は癌の発生起爆剤となる。」
といつも話されていた、献身的な癌研究者でした。

「当時、真の癌研究の世界第一人者は、山極勝三郎
教授だった。」と、世界はその事実を今認めています。

過去は情報不足で間違いがあっても仕方がありません。

しかし、事実は1つです。過去は変えられません。しかし、
何が真実で、何が嘘だったか、その調査究明の努力は、
今を生きる人間には可能です。今生きる人間の責任です。

他の科学の分野でも同様な間違いが数多くあっても
仕方がありません。しかし、人類は真実の探求を
あきらめたり、怠っては、人類には未来はありません。

萩原の母校のCaltech での在学時代、萩原は教授から 

" The truth shall you make you free . "

という言葉を良く授業で聴かされました。その意味が、
萩原は、この歳、70歳になり、しみじみと感じています。

萩原は1975年から2008年に定年退職するまでSONYに
勤務しました。SONYが米国ベル研でのトランジスタ―
の発明にいち早くその価値を見通し、特許使用権を格安
で購入し、世界があきらめていた、トランジスタ―の量産
技術の確立に総力をあげて取り組みました。そして半導体
のプロセス開発生産技術者の長年の努力により、小型の
家庭用トランジスターラジオを生産し市場を制覇して、
SONYは大きく成長しました。

1975年に萩原がSONYに入社した時、SONYは世界が
あきらめていた、CCD Image Sensor の量産技術の
確立に総力をあげて取り組んでいました。そして、CCD
のプロセス開発生産技術者の長年の努力により、小型
の家庭用の超感度・低雑音・残像なしの高性能なCCD 
Video Camera を生産し、世界のビデオカメラ市場を
制覇しました。SONYの生産技術力は、今も、Modern
Digital CMOS Image Sensor の開発生産技術力の
基盤となっています。SONYの成功の秘訣は、SONY
のビデオカメラが、超感度・低雑音・残像なしの高性
能なビデオカメラであったのが本当の要因でした。

その高性能を実現したのは、勤勉なSONYのプロセス
開発生産技術者の努力なしには実現しませんでした。
SONYが世界に先駆けて超感度・低雑音・残像なしの
高性能なビデオカメラを市場提供できたのは、勤勉な
SONYのプロセス開発生産技術者の総力があってこそ、
実現しました。

しかし、量産技術だけでは不十分です。何を量産するか
はもっと基本になるものです。どうして、SONYが造る
ビデオカメラが他社と比較して、超感度・低雑音・残像なし
の高性能なビデオカメラだったのでしょうか?

その要因は、ビデオカメラに採用する、光感知素子構造を
SONY独自で考案し特許化していたからです。SONYは
テレビの事業化の時も、他社とは違う、トリニトロンテレビ
を市場に提供しました。ビデオカメラの場合も、SONYは
他社とは違う、SONY original HAD sensor 搭載のビデオ
カメラを市場に提供し、世界の市場を制覇しました。

この SONY original HAD sensor は SONYの萩原の
1975年の発明です。HAD ( Hole Accumulation Diode)
はSONYの商標名として登録されました。しかし、学会や
一般技術用語として 、Pinned Photo Diode と呼ばれて
います。SONYの商標のSONY original HAD sensor と
学会一般用語のPinned Photo Diodeは同一のものです。
萩原がSONY時代に1975年に発明考案したものです。
しかし、この事実は、あまり遠い昔のことで、また日本国
特許のみの出願で、外国特許への出願が皆無で、世界
的には、その存在がまったく知られていませんでした。
また、発明者の萩原自身も遠い昔のことでその詳細を
忘れていました。SONY社内でもその存在を記憶する人は
皆無でした。

しかし、近年あれだけ脚光を浴びた、超感度・低雑音で、
残像なしの高性能な、CCD ビデオカメラが市場か消え、
今はCCDより高性能で高解像度の、超感度・低雑音で、
残像なしの高性能な、CMOSビデオカメラが市場を制覇
しています。今、やっと世界は、本当は何が、超感度で
低雑音で、残像なしの高性能なのかを理解し始めました。

その主役( Super Star ) は、CCDでもなく、CMOSでもなく、
萩原が1975年に考案し特許出願した、光感知素子構造の
発明、すなわち、SONY original HAD sensor であり、別名、
Pinned Photo Diode と呼ばれるものだと、世界がその価値
に気づくようになりました。

しかし、ここで問題が生じました。

SONY original HAD sensor と Pinned Photo Diode が
同一構造であることを理解していない、違うものだと、誤解
している人たちが、半導体素子構造とその詳細な動作原理
の知識をお持ちでない人たちが、多数存在することがわかり
ました。SONY original HAD sensor の発明者がSONYの
萩原であることは、SONY内では、萩原がHADの発明で、
SONYの特別発明褒賞一級を受賞している事実から明らか
ですが、世間一般は残念ながらその事を知りませんでした。

SONY original HAD sensor はビジネス商標名ですので、
学会関係の方々からは、無視されても当然の事です。

また最初の特許考案やその発明者の話となると、企業間
の政治的な、醜い金銭問題や、特許権利化戦争にかかわる
重大な企業の存亡にもかかわる話で、舞台裏でどんな、
醜い工作があっても、仕方がない話です。しかし、迷惑を
受けるのは、いつも発明者ご本人やその開発技術者です。

罪のない純粋な技術者の名誉と自尊心が迫害される事が
あっては絶対にならない事です。そして、その発明を社内の
独自の発明と信じ、汗と努力で、生産技術を確立し、製品
として実現努力した、多くの勤勉な技術者の存在を無視する
ことはできません。その会社の発明でないなら、その会社の
勤勉な技術者は、「猿まね」をしていたことになります。これは
会社へのたいへんな侮辱であり、社内の多くの勤勉な技術者
の努力を無駄にするもので、絶対許されることではありません。


嘘の話、詐欺まがりの話で世界がだまされ、
無実の人が被害を受ける話をよく聞きます。

学会でも同様です。

事実誤認、または不正や不当な科学者が
評価され、正直に努力し、生きた科学者が
無視される事がよくあります。


実際、そういう事態が、萩原の身近で
生じてしまいました。萩原自身と勤勉な
SONYの技術者を侮辱する不幸・事態が
生じてしまいました(大涙)。

萩原が1975年に既に発明したものが、
別の会社の研究者の1979年の発明だと
誤認され、SONYの勤勉な技術者が総力
で開発し生産技術を確立した、SONYの
Sony original HAD sensor が、ビジネス
商標であるが為、学会や世間一般では
完全に無視され、全く同一構造体である
のに、別名の Pinned Photo Diode と
呼ばれています。また、その発明者は
SONYの萩原(1975年発明)であるのに、
学会や世間一般では、別名の Pinned
Photo Diode の名称だけが一人歩きし、
その発明者が、もとNECの寺西(1979年
発明)となっています。事実誤認もはな
はだしい事が実際に生じてしまいました。


完全に萩原の発明者として誇りとSONY
の勤勉な技術者の努力により実現した
Sony original HAD sensor が、学会や
世間一般からは完全にその業績が無視
される事態が生じてしまいました(大涙)。

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萩原の母校のCaltech での在学時代、萩原は教授から 

The truth shall you make you free.

という言葉を良く授業で聴かされました。その意味が、
萩原は、この歳、70歳になり、しみじみと感じています。

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