****************************************************

AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Homepage A006

        hagiwara-yoshiaki@aiplab.com


****************************************************
   1975年2月SONYに入社して、
****************************************************










****************************************************
   1975年2月SONYに入社して、
****************************************************


萩原はSONYに1975年2月20日に入社して、まだ間もない時でしたが、
職場の先輩技術者がみんなCCD Image Sesnor の暗電流に起因する
白点欠陥の画像の傷の問題で頭を痛めているのを知り、その解決法
を模索し始めました。そしてその解決方を萩原は見つけました。

このくせ者の暗電流を抑圧する為に、表面に濃いP+を設けて、表面の
電圧を固定、ピン留めすることを考案しました。その結果、表面の
Hole Accumulation層を設けることになり、これがSONYのHADセンサ
の始まりです。SONY HAD とは、萩原が1975年に発明した、
Hole Accumulation Diode の略称です。

今では、Pinned Photodiodeと社会一般では認知され社会評価を
受けているものですが、これがSONY HADと同じもので、萩原が
その発明者であることは全くSONY社内でも社会一般でも知られて
いません。


実際にSONYのHADとNECの埋め込みPhotodiodeとの
水面下の特許戦争にかかわる文書が残っています。

NEC1980年特許とSONY1975年萩原特許との間の特許戦争

NECは負けてSONYが勝ち、その結果、敵対していたNECは特許
戦争に負けてビジネスが傾く、image sesnor のビジネスから撤退
したという醜い冷酷なお金の亡者の特許戦争が裏にありました。

萩原はNECとの特許戦争と米国 Fairchild社の特許戦争で、その
特許の発明者として、特許戦争の兵隊として戦場で戦う悲しい立場
になりました。その為、萩原は会社でたいへん長い間1991年から
2000年までの10年間にもおよぶ間、不安な会社人生を送っていま
した。戦争でいつも被害を受けるのは、戦争で戦うことを強制された
両方の兵隊さん(技術者)です。利益追求主義の企業の犠牲者です。

特許戦争の被害を受けたのは勤勉に仕事をしていた技術者でした。

SONYと敵対するNECの勤勉な技術者(兵隊)も犠牲者でした。

萩原もSONYも特許戦争の勝者として敗者のNECの傷をなめるのを
しませんでした。それ以上はNECを攻撃することはしませんでした。


NECの寺西さんは1980年に埋め込みPhododiodeの特許を出願
しました。そして、世界で初めて埋め込みPhotodiodeを搭載した 
Interline転送方式のCCD転送型 Image Sesnorを国際学会の
IEDM1982年で発表しました。それが社会的に認知され評価される
ことになりました。

しかし、実際は、埋め込みPhotodiodeの発明は、1975年の萩原の
Pinned Photodiode (SONY HAD)の発明と構造的に重複するもので、
萩原の1975年の発明でした。

しかし、NECの発明を攻撃せず、沈黙を続けていました。

そ事実は全く社会的に知られていません。その技術の詳細も社会的
には全く理解されていません。その結果、萩原の発明は、社会的に
認知も評価も受けることはありませんでした。


その証拠が、この1975年に萩原が発明した2つの特許の特許請求
範囲の定義文と特許の実施例図がすべてを語っています。




特許には特許使用料といお金の話がいつも伴います。

企業で働く勤勉な技術者が発明した特許ですが、
特許は企業に属し、技術者はわずかな補償で満足
している場合が多いです。仕事の報酬はお金より
仕事であると信じ、技術者はより勤勉に自分の仕事
に打ち込みます。

しかし、醜い企業間の特許使用料に関する特許戦争が
勃発します。するとその特許の発明者は、その特許戦争
の兵隊として駆り出され、通常の業務ができなくなる状態
が生じ、その特許の発明者はたいへんな悲惨で不安な
会社人生を歩むことになります。

そして、企業がその特許戦争に勝利しても、兵隊に駆り出
された技術者は、静かにもとの職場に戻って行くだけです。
そして、何もなかった様に通常業務を遂行します。

特許戦争の中でも、自社特許に対して、他社から攻撃を
うける特許戦争では、勝利しても自社には何のメリットも
ありません。他社の言いがかりをはらいのけただけです
が、そのはらいのけるのに多大な労力とお金が浪費され
るだけです。萩原発明のHADセンサに関する特許戦争は
その戦争の兵隊に過ぎなった萩原にとっては、それは、
たいへん卑劣な戦争経験でした。

また、企業も敗者となった相手側の企業への配慮もあり、
あまり、その特許の詳細に関してはPRすることはしません。

せっせと、沈黙を続け、その自社特許を使ってビジネスを
展開するのみに専念します。発明者はやがて忘れ去られ
てしまいます。これでは、こつこつと勤勉に仕事をしてきた
特許の発明者は、いつも、たまったものではありません。

世間で技術者が自己主張し、企業に対して訴える場合
も生じています。そうならないように、企業はできるだけ
その発明が、社外に社会に目立たないように工作して
自社の、己の利益を守ろうとします姿は醜いです。


そういう世の中の悲しい現実がある中で、SONYは、
HADセンサの発明者の萩原に対して、SONYのTOP
はまだまだ、他社と比較して、発明者の萩原を、非常
に大切にしてきてくれました。

萩原は、亡き岩間社長の Head Hunting を受けて、
SONYに入社し、CCD Imagerの開発研究に従事
しました。岩間社長の死後、大賀社長がそのCCDの
開発研究プロジェクトを引き継ぎ、萩原は大賀社長に
守られ、より自由な立場で仕事を継続していました。




また当時安藤社長をはじめ、木原さん、牧本さん、
青木さん、太田さんの皆様にも、たいへん親しく、
お付き合いさせていただきました。




中村末廣さんが SONY の副社長になられ、半導体の TOP を兼任
された時は、中村末廣さんに守られて、萩原は仕事を続けました。

久夛良木さんと萩原は1975年入社同期です。入社当時、萩原は
中研の情報処理研究室に配属され、CCD Image Sensorの開発
研究に従事していましたが、久夛良木さんも、その後、同じ情報
処理研究室で、金巻先輩と一緒に、Joystick を使って、自由に
コンピュータを使って、画像を瞬間的に、real time で変形処理
できるソフトウェア・システムの開発研究をしていました。















萩原はSONYでの仕事が評価され、萩原はいろいろな
国際学会で基調講演や招待講演を受けました。

(1) International Conference CCD79 in Edinburgh, Scotland UK

See http://www.aiplab.com/0-CCD79_1979Hagiwara.pdf

(2) International Conference ESSCIRC2001 in Vilach, Austria.

See http://www.aiplab.com/ESSCIRC2001.pdf

(3) International Conference ESSCIRC2008 in Edinburgh, Scotland UK

See http://www.aiplab.com/0-ESSCIRC2008Hagiwara.pdf

(4) International Conference ISSCC2013 in San Francisco, California USA

See http://www.aiplab.com/ ISSCC2013PanelTalk.pdf

(5) IEEE Computer Society 主催の Coolchips 2017 at Yokohama, Japan

See http://www.coolchips.org/2017/?page_id=10#panel



1975年にSONYに入社に、2008年に60歳で定年退職
するまで本当にSONYでの楽しい会社人生を過ごす事
ができました。



去年の11月19日には、もと萩原現役時代の後輩で、
現在SONY常務の清水さんのご厚意で現在イメージ
センサの生産拠点であるSONY熊本テックを久しぶり
に訪問する機会をいただきました。



若手社員と後輩技術者と楽しい時間を過ごす事ができました。





この写真は、萩原のSONYでの会社人生の中での最高の宝物です。





**********************
The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.
          return to the TOP Page
**********************