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The AIPS ( Artificial Intelligent Partner System ) Home Page 013

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以下にその根拠を説明するために萩原の1975年の2つの特許の説明をします。



[1] 特許 1975-127647 に関してですが、

1) 基体の片方の表の面に電荷転送部が設けられ
2) 基体の片方の表の面に沿って 第1の層(N)があり、
3)その第1の層(N)の中に、基体のもう片方の裏の面に沿って
受光電荷蓄積部(P)が埋め込まれ、
4) その受光電荷蓄積部(P)は上記の電荷転送部に隣接し、
5) 電荷転送部の電荷転送電極の印加する電圧により、
受光電荷蓄積部(P)の光信号電荷は電荷転送部に移動される。

 すなわち、光感知素子は単純に NPN構造としています。

実施例図では、裏面から見て N+NPN 構造の Pinned Photo Diode です。かつ、その実施例から
その電荷転送が 埋め込み受光層(P)からの表の表面にある電荷転送部への完全空乏化電荷転送であり、
その結果、残像なしの特徴を示すことは明らかです。



その 実施図には、裏面照射型の Pinned Photo Diode の例を
提示しています。完全空乏化電荷転送の様子も図示しています。
実際に裏面照射型を開発したのは、鈴木さんをはじめ、SONYの
技術者のみなさんです。

特許庁の文献(添付資料)には鈴木さんがその発明者となっていますが、
しかし、その基本構造はこの萩原の1975年の特許の例図に提示されています。

従って、萩原が最初の発明者(考案者)となるはずですが、
そう萩原は考えますが、いかがでしょうか?

ただし、萩原は発明しただけで、手をよごして開発したわけではありません。
SONYの技術者が総力をかけて開発し商品化したものです。

この特許の実施例として、裏面照射型のN+NPN 型の Pinned Photo Diode を
図示しています。従って、萩原がPinned Photo Diodeの発明者でもあります。

萩原の特許の実施図には完全空乏化電荷転送を明示しています。萩原発明の
この光感知素子構造( Pinned Photo Diode ) が完全残像なしの機能を有する
ことを意味しています。実施例には CCD IT 方式にも適用できると
明示しています。

NECの寺西さんは発明者ではありません。NECの寺西さんのチームは
萩原発明の構造(1977年に公開特許)を 1982年になり、原理試作し、
IEDM1982の国際学会で発表しました。「残像なしの IT CCD imager」として
発表したのは事実です。

世界初の、残像なしのIT方式のCCD image sensor は、SONYが開発し、
商品化しました。 1980年にSONYは、透明電極を採用して、横型OFDの 
Two Chip IT CCD (萩原設計のもの)を商品化しています。残像のない
IT CCD imager をすでに商品化し、SONYは全日空のジャン機の
コックピットに搭載し、SONYの商品化したImage sensor の第1号でした。

こういう事実が、世間は詳細に正確にはその事実を知りません。

萩原の特許には、この萩原考案の Pinned Photo Diode が 
IT方式のCCDにも適用できると明示されています。

このことを、しっかりSONYの名誉のためにも、萩原個人の名誉のためにも、
SONYの名誉を守るために、SONYの社員がまずしっかり理解していただき、
その利益代表者であるSONYとして、会社として、SONYのTOPが、公式に
発明協会の方々にSONYを主張であると同時に萩原の主張を、ご理解して
いただけるように、SONYのTOPが努力していただきたいです。

NECの寺西さんが発明者となると、SONYのHADも寺西さんの
発明という結論になります。これは矛盾します。SONYには
たいへん不名誉なことになります。

この萩原の主張を、SONYのみなさんにも、発明協会の関係者の
みなさんにもご理解していただきたいです。

[2] 特許 1975-134985に関してですが、その構造体の定義には、
特許請求範囲で定義された構造は 

1) Nsubの基体に
2) 第1の導電層(P)があり、
3) その上に受光部で電荷蓄積部(N)があり、
4) この電荷蓄積部に接合(P+N)が形成される、

とあります。すなわち、P+NPNsub接合、すなわち、
サイリスタ―型の Pinned Photo Diodeを定義したものです。

特許請求文はいろいろな応用ケースが想定できるので、光感知部の
核となる構造のみを明確に定義しているだけの単純な構造特許です。





特許請求範囲は請求範囲を広いものにするため、文章での構造定義
としています。実施例はあくまで応用例で、特許請求範囲を束縛する
ものではありません。

特許請求範囲に定義された構造から専門家ならその具体的な構造を
イメージして、かつその構造の意味する動作は、半導体デバイスの構造
と動作を記述した教科書などの周知技術情報として、類推できます。

サイリスタ―のPunch-thru動作は教科書にあり周知の情報です。

さらに、Fairchild社所有のEarly 特許の光感知部はPhoto Diode でなく、
CCD構造のMOS型の受光構造です。SONYはそう主張に反論しました。


Fairchild社との縦型のOFDの特許戦争ではこの論理で Early 特許に
対してこの萩原特許を武器にしてSONYのImage Sensor ビジネスを守りました。

特許請求額は当時の金額で600億円以上とたいへん深刻な特許戦争でした。


NECからの特許攻撃の寺西特許(Buried Photo Diode特許 1980年)
に対しても萩原1975年の先行特許が、SONYのビジネスを守りました。

添付の資料では 縦型OFDは東芝の山田さんの発明となっています。

これも1975年の萩原発明のP+NPNsub接合(サイリスタ―)型の
構造は、縦型OFD機能を持った構造体であることは1977年には
萩原特許が公開された時点で世間一般の周知事実です。

東芝の山田さんの発明ではないことになると思うのですが、いかがでしょうか?


萩原の1975年の発明、すなわち、正確にはSONYの発明のはずです。

SONYの名誉、萩原の名誉のためにも、発明協会の方々に是非、
この事実関係をご確認いただき、ご理解いただくことは可能でしょうか? 


この萩原の主張を発明協会の関係者のみなさんにもご理解していただきたいです。


こういう事実が、世間は詳細に正確にはその事実を知りません。


このことを、しっかりSONYの名誉のためにも、萩原個人の名誉のためにも、
SONYの名誉を守るために、SONYの社員がまずしっかり理解していただき、
その利益代表者であるSONYとして、会社として、SONYのTOPが、公式に
発明協会の方々にSONYを主張であると同時に萩原の主張を、ご理解して
いただけるように、SONYのTOPが努力していただきたいです。


この萩原の主張を、SONYのみなさんにも、発明協会の関係者の
みなさんにもご理解していただきたいです。


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これは70歳じじいのぶつぶつぼやきの独り言でした。

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The AIPS image sensor watching at its inventor, Yoshiaki Hagiwara.

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